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2019年9月14日 (土)

雑談

 

中学生くらいの時、作家の高橋三千綱さんが芥川賞を取った。
「九月の空」という剣道を題材とした青春ものだった。
「父よ、僕はこの本が読んでみたい」
と何気なく言ってみたら、父は本屋で買ってきてくれた。
で、読んだ。
四十年近く前の話だから記憶はおぼろげなのだけど、
女子剣道部員の袴の脇から主人公が手を入れるシーンがあって、
なんか「すげー」と鼻息が荒くなった。
いや、実際あの当時は剣道部に所属していて、
女子部員の袴の脇から、見えてしまうこともあったりなかったり。
そこはほれ、ロマンなわけだ。
ミニスカ・ニーソの剣道部版、絶対領域なのだ。

いや、九月と言えばなんだろうとあれこれ考えていたら、
「九月の空」をちょっと思い出しただけなんだけどね。

九月と言えば秋場所。
最近は炎鵬の取り組みを見ないと落ち着かないのだけど、
人と会う約束があったので、録画して出かける。
インド人のカレー屋でカレー食う。
インド人……なのかなぁ。ネパール人かもしれない。
この手の店は近所にいっぱいあって、ネパール料理の店もあるのだけど、
この店はよくわからない。
カレーは美味しいと思うけど、鶏肉はたぶん冷凍もの。
あんまりおいしくなかった。

インド人なんて愛想ないだろうと思うけど、
会計済ませて外に出たら、店先まで送ってくれて、
「ありがとございました、また来てください」
と笑っていた。
……店の経営が危ないのかと心配になった。

帰りにスーパーに寄って備蓄用の寿がきや味噌煮込みうどんを買った。
なんか、さっきニュースサイト見てたら、
寿がきやが店舗を一割閉鎖するという記事があった。
コメントを見ていたら、
「子供がラーメンを食べる店という偏見があって、オシャレなテナントに出店出来ない」
という、ひどく納得させられるコメントがあった。

寿がきやは「デパート屋上の遊園地に付属した飲食店」みたいなイメージがある。
いや、ひょっとしたらこのイメージが通用するのって昭和世代だけかもしれないけど、
日曜日に父親が家族サービスに目覚めて、でもあんまり遠出はしたくないなって時、
とりあえず母親のご機嫌も取れるしってことでデパートに出かける。
で、屋上には小さな観覧車やゴーカートのある遊園地があって、
百円を入れると動く動物の乗り物なんかもある。
父親は子供たちを遊ばせながら、
「女の買い物は長くてかなわん」
なんてボヤキながら煙草をふかす。
で、お昼少し前くらいに母親と合流して、
「何食べようか」
と子供にたずねたとき、子供が答えるのが、

「寿がきや!」

……みたいなイメージ。
今どきの子供はデパート屋上の遊園地なんかじゃ満足しないし、
どうせ食べるならお肉がメインのインスタ映えするものを選びそうな気がする。

で、自分は古い昭和世代の人間なので、
若いころにさんざんお世話になり、現在も備蓄用に乾麺を買ったりする寿がきやは、
名古屋の象徴だったりするわけだ。

このところスーパーに寄るたび、スタウトのビールが売ってないかと思うのだけど、
売ってないね、スタウト。黒くてコクのあるビール。
あんまりビールらしい爽快感がないからなのかしらん。
ずっとお酒は飲まないようにしてたんだけど、スタウトがないとわかると、
なんか意地でも飲みたくなるという今日この頃。

家に戻ってコーヒー(インスタント)を入れて、録画しておいた秋場所を見る。
炎鵬は本当にすごいよね、出てきただけで会場がワーーーっと、えらい大歓声になる。
相撲が面白いもんな。小さい体でクルクル動く。
録画の冒頭で同じ小兵力士の舞の海との対談があった。
まあ、普通に考えてこの対談は組みたくなるよなぁ。

舞の海の取り組みが何番かビデオで再生される。
対小錦戦、対貴乃花戦……ついこの間のような気がするけど、時間が流れるのは早いな。
それと、
舞の海はあんまり変わらんなぁ。

「舞の海は相手の懐に入ってからの足さばきがいやらしいんだよね」

と解説の親方。
そんで、その「いやらしい足さばき」を炎鵬に手取り足取り教え込む舞の海(笑)

この頃は若手がどんどん活躍しているので、先々の楽しみになっていたりするのだな。


(追記)

ああ、友風、鶴竜から金星取って男泣き。
泣きながら勝利者インタビュー。
尊敬する先輩、嘉風引退とか、いろんなものが一気に噴き出したんだろうなぁ。

 

2019年9月 8日 (日)

歪さの利点


オザケン、というと今の若い子はどういう感じを抱くのかしらん。
小沢健二……いわゆる「シブヤ系」とかいうので、ダッフルコートでブイブイやってた。
いや、なんか渋谷系というとダッフルコート着なきゃいかん気がしてしまうんだ。

昭和の自分が生まれる前の歌謡曲というと、リンゴの唄とか、青い山脈とか、
高校三年生、みたいな感じになる。まさかオザケンにそういう古いイメージはないよな、
と思いつつも、どうなんでしょうね。

同じカテゴリーだと堂島孝平さんの「Emerald 22 Blend」はなぜか愛聴している。
たぶん三か月に一回くらい聴いてるから、気に入ってるんだろう。
カジヒデキさんの「ミニ・スカート」……一曲目の「ラ・ブームだってMy~」(長い)
XTCのメイヤー・オブ・シンプルトンにそっくりなことで有名だけど、
自分もXTCからこの曲のことを知って、興味本位で聴いてみたら、
アルバムごとまるっと聴けてしまった。
ちなみにXTCのアンディーパートリッジは「影響を与えたなら嬉しい」とコメント。

いやね、最近配信音源をあれこれ聴いていて
「スカート」ってアーティストさんのアルバム聴いてたら、
ダッフルコートがなんたらと歌詞に出てくるし、先祖返り的に渋谷系なのか!と、
渋谷系リバイバル来るのか!と、またぞろ古いアルバムを引っ張り出して聴いているのだ。
「僕らが旅に出ない理由」って歌詞とか、
間違いなくオザケンを意識してるよな。(「僕らが旅に出る理由」という曲がある)

以上、つかみ。
ごこ二年ばかり絵の勉強をさせていただいて、
原稿用紙をクルクル回転させたり、いろいろ試してみた結果、
「これか」
というのがようやく理解できた。

で、ここ何か月か、折に触れて文章にしてみようとしてるんだけど、
なんかね、上手く表現できない。

デッサンの上手下手って、結局「ピント」の問題なんだと思う。
人間は生まれながらに肉体的な違いがあるから、人それぞれなんだけど、
生まれながらに「ピント」が合ってる人もいるし、
合っていない人もいる。
自分の場合、右下の方に少しずれているらしい。
で、そのずれた「ピント」を修正するわけだけど、
その方法として、ペン入れの時に原稿用紙を回転させていた。

そのうち、どこに焦点を合わせればいいか、感覚的にわかってきたので、
原稿を回転させず、ペン入れ出来るようになった。

右下の焦点を、目の前にグイっと持ってくる感じ。

……技術的なことはいくら文章にしても、伝えきれない部分が多いんだけど、
こういう「コツ」がわかってくると、絵を描くこともまだまだ楽しくなるわけだし、
最初から「ピント」が合って生まれてくるより、多少歪で生まれてきて、良かったな、
と思わんでもない。「ピント」が合ってる人は、合ってない人よりも、
それがどういうものか、理解していないわけだし。

だから結局、上手なデッサンも上手なペン入れも、
正確な丸を描けるよう、自分の体を矯正するってことなんだと思う。
「正しい姿勢」
ってのは、それが機能的に一番理にかなっているということで、
「見た目が美しい」とか、「エレガントで高貴な感じがする」なんてのは、
副次的な理由にすぎない。
戦闘機や新幹線のデザインと一緒だ。機能を追求して、出てきた形が一番美しい。

親とか教師なんかは、このことを上手に説明できないから、
形を強要するしかないので、もっとしゃんとしなさいとか、テーブルに肘をつくなとか、
躾というか、調教するような感じになりがちだ。
「なんで?」
と子供が疑問に感じたとしても、親だって教師だって何十年も生きてるわけじゃないから、
上手に説明は出来ない。
「大人になれば理解できる」
とお茶を濁すしかない。

ただ、本能的に理解する子供はいるんだな。
それが「機能的に一番正しい」ってのが、わかってしまう。
俗に、手のかからない子、なんて言われたりするけど、
これも良かれ悪しかれで、社会の大半が非効率で出来ているから、衝突することも、
多かったりするのだな。

ただ、「機能的に正しい」ことが「素晴らしい」というわけでもないから、
これはもう、趣味趣向の領域。
車だって最近のデザインより、不便でもレトロカーがいいって人もいるし、
絵だって、正しいデッサンは「見てて疲れる」という人もいる。
まあそれは、正しいデッサンを無理やり描いてるから、という気もするけど。

つらつら今頭の中にあることを書き出してみました。
もうちょっと整理出来るといいんでしょうけど、まあ、メモ書きみたいなものだから。

 

2019年9月 4日 (水)

蝶々が綺麗

 

九月になって、とたんに涼しい日が多くなった。
それでも、あれこれ、なんやかんや外出することが多くて、
首に長タオル巻いて汗だくになって歩き回っていたんだけど。

ふと、マンションの駐輪場で蝶々が飛んでいるのを見かける。
なんという種類かわからないけど、青味がかった色彩が強烈に目に飛び込んできた。
……これだけ色彩の氾濫した21世紀の日本に暮らしていても、
生命の作り出す色彩ってのは、とんでもなく強烈だったりする。
カツオやマグロですら、水族館で泳いでいる奴は、青い色彩が印象的なのだ。

パソコンの画面でいくら綺麗な色彩を発見しても、
所詮は作り物の色彩なわけだし、印刷だってインクのブレンド加減にすぎない。
漫画なんか白黒二色の制約がずっと何十年も続いている。
江戸の絵草紙なんかの流れも含めれば、ざっと4~500年くらいか。
白と黒、二次元平面上で手で持ち上げられる大きさの書籍サイズの印刷物。
これはいわゆる、
「縛り」
というやつなのだ。

これは大好きなエピソードなので、以前にもこのブログで取り上げているけど、
スペインの美術館の収蔵品が大量に日本で公開されることがままあって、
ゴヤやらエル・グレコやらを目当てに出かけるんだけど、
展示されている絵画が年代順に並べられていると、最初は赤身の強かった色彩が、
青い絵の具の発明と共に、一気に華やかになるというのが、けっこう快感だったりする。
昔は青い絵の具を使おうとすれば、高価なラピスラズリの鉱石を砕くしかなかった。
フェルメールの青いターバンの少女の絵なんかがそれだ。

それが、化学的に青い画材を合成できるようになって、日本にも幕末に入ってきている。
北斎の「富岳三十六景」とかがそれで、このシリーズの最初の方は、
青をふんだんに使ったものが多い。
当時の人にしてみれば、版画に青い色が使われているというだけで、
超ハイビジョン並みの驚きだったはずだ。

まあ、それにしたって青い色が高価なのは変わりないんだけど。
よく古い雑誌を読み返すと、青が経年劣化で飛んで、グラビアが赤っぽくなってたりする。
写真もそうだ。自分が子供時代の昭和40年代のカラー写真なんかは、みんな赤っぽい。
安い材料で青を表現すると、その青が時間の流れに耐えられなくて、消えてしまう。
富士フイルムが「百年プリント」なんてことを言いだしたのは、昭和50年代かしらん、
このあたりからプリントされた色彩が経年劣化に耐えるようになってきた。

自分の小学校の卒業写真をたまたま見返すことがあって、その色彩の鮮やかさに驚いた。
まるでつい昨日のことのように何もかもが生々しい。
卒業写真なんてめったに見ることがないから、ページとページの間に空気が触れなかった、
というのも大きいのかもしれない。いや、それにしたって、
四十年近く昔の小学生の姿がここまで残せるものなのかと、技術のすごさに感動した。

同じような体験で、僕は何十年も同じグラビア雑誌を購入していたのだけど、
こちらは本屋やコンビニなんかでも買えたものなので、印刷インキが比較的安価だ。
つまり、経年劣化には対応していなくて、発売から一年くらいで色があせる。
資料用で何度も目を通しているので、そのたび最新号と古いのの落差を味わうことになる。
まるでスーパーで買った生鮮食品みたいなもので、
買ってすぐのときはその印刷鮮度の高さをじっくり味わったりもした。
一年もすればこの感動は確実になくなるのだ、今のうちにじっくり味わっておこうと。

印刷物には印刷物の制約があって、その範囲内でコストを考えながらインクを選んでいる。
卒業写真なんかは百年くらいは色あせないインクを使っているだろうし、
雑誌のグラビアなんかは、瞬間的な発色は強いけど、長期保存にはむかない安いのを使う。
このへんの裏事情を考えながら、自分は雑誌なんかを読んでいたわけだけど、
それも最近は、パソコンやスマホの普及で雑誌そのものを買わなくなってしまった。
デジタルというのは、色彩をデータとして記録してしまえば、あとは端末の問題で、
色彩に関する業界の最大の注目点は、スマホの画面がどこまで色彩を再現できるか、
だったりする。……実はそこにはあまり興味がわかないのだな、僕は。

パソコンやスマホのディスプレイ上の色彩がどれだけ綺麗になっても、
それが電気的に作り出されたものだと考えると、どうも味気ない感じがする。
……若い人はそうは考えないかもしれないし、自分が昭和の生まれだからなんだろうけど、
「紙に印刷する」とか、
「二次元に固定化する」という職人のこだわりに、自分は意味を見出していたんだと思う。
そこにはさまざまな制約があって、その制約の中で最大限の効果を求める、
そこで試行錯誤する人間の悪戦苦闘が、単純に好きだったのだ。

いや、パソコンやスマホの画像をリアルにしようって技術者のこだわりはわかるんだ。
テレビなんか、NHKが人間の視覚の限界に挑戦しまくって、えらいことになってる。
スーパーハイビジョンだっけ?4Kとか8Kとか、高価な受信機を買えば、
ものすごくリアルな映像が手に入るんだそうな。
家電量販店でその手のすさまじくリアルな映像とやらを見ると、へえ、すごいなとは思う。

でもそこまでくると、その技術が一般人にはほとんど理解不能な領域なので、
それを応用して何か新しいことを考えるヒントなんかには、ならないのだな。
たとえば北斎は、青い絵の具を手に入れて、それで風景画を描いたら面白いと考えた。
色彩的に広がりのあるすごい視覚体験を二次元上に作り出せると、創作意欲を爆発させた。
僕が雑誌のグラビアを発売すぐに見るようにしてたのだって、
たかが二次元の紙束の中に、ものすごい広がりを感じることが出来たからだ。

でもそれって、現実の風景を見ればそっちの方がスゴイってのが、わかった上なんだよね。

制約があって、その縛りの中で工夫をする人間が好きなのであって、
制約を乗り越えて可能性を無限に増大させる方向の努力というのは、あまり興味がない。
だってテレビの画面がいくらリアルになったって、現実の風景の方がスゴイの知ってるし、
結局、家に引きこもる人間が増えるだけじゃないか。
ツールとしての進化の方向が、間違ってるような気がする。

すべてが特定の企業が生き残るための強迫観念ではないかとすら邪推する。
新技術を開発しなきゃ、うちの企業は生き残れない、
次の世代のイノベーションを掌握するのだ、みたいな。

それでスカイツリーを作ってハイビジョン放送なんかが始まったのだけど、
若者はむしろテレビからは離れている。いや、ハイビジョン放送は綺麗だと感嘆するけど、
企業が努力するのはハード方面のことばかりで、ソフトとなると創作者まかせだから、
そちらの方には投資しないんだよね、たぶん。

企業が次世代のイノベーションとやらを掌握するためにはハードを確立しなきゃいけない。
それでスーパーハイビジョンなんてものが出てくるわけだけど、
じゃあそれで何が新しくなるんだ、人間はそれで何が出来るんだ、って点になると、
企業はたぶん何も答えられない。経営者の企業理念と創作者のクリエイティブな感性は、
必ずしも同一線上にはないのだ。

……この話題だとまだいろいろ語れそうなんだけど、
たいてい「漫画家に金まわせ」ってオチにしかならなそうなので、
このへんでおしまい。
企業にとって創作者への支払いは人件費みたいなものなんだろうけど、
そこを削減して「次世代のイノベーションがなんたら」とやってる現実が、
奇妙に思えただけの話です。

それにしても散歩中に見た蝶の羽の色が、鮮やかすぎて、いまだに頭を離れない。
散歩中も汗をかきながら、そのことをずっと考えてた。
なんでああも、生き物の作り出す色彩ってのは、綺麗なんでしょうね。

技術のある人は、それを別の形で再現してみたいと思うし、
テレビであの色彩とあの感動を表現できれば、これはきっとスゴイことなのだ。
技術者は「これは儲かりますよ」と起業家に話をもちかけて、
実はこっそりと楽しんでいるのだ。
大量の資本を投入したうえで繰り広げられる、色彩の新しい可能性に。
それでもし、起業家が大損こいたとしても、それはそれ、また別の話。
舌を出して笑っていればいい。

色彩美しさと、その感動を表現したいという人間の衝動。
これに踊らされているのが起業家、という図式だとしたら、
それはそれでちょっと愉快かもしれない。

 

 

2019年9月 3日 (火)

愛しき日々


お絵かきしながらテレビを見ていたら、浅草を散策するバラエティ番組で、
堀内孝雄さんが出ていらした。もう七十歳くらいだとかなんとか。
収録が暑い日だったらしく、汗だくになって共演者につっこまれてた。
「新陳代謝がいいんだよ」

浅草寺前の仲見世をあちこち冷やかしていらして、揚げ饅頭の店とか、
店先にお客さんがいっぱい並んでたんだけど、カメラが出演者を写して、
振り返ったらもういなくなっていたのは、笑ってしまった。
ADが「収録しますんで空けてもらえますか」とか、お願いしたんだろう。
お店の方もノリノリで、「お代はいただきません」と太っ腹なところを見せる。
そりゃ、無料で宣伝してもらえるんだからなぁと、ここでも笑う。

揚げ饅頭、おいしそうだった。そのうち買って来よう。

堀内孝雄さんというと、アリスの人なんだけど、
番組の中でもアリスについて思い出話を繰り広げる。
ミュージシャンとしてなかなかヒットに恵まれなかったころ、
「バイトとかなさって生活してらしたんですか」
と出演者に尋ねられ、
「実家に帰ると父親がカーサンには内緒だぞと渡してくれた」
と正直に暴露。
「母親もトーサンには内緒だぞとそっと手渡してくれた」
と、堂々とスネカジリ・カミングアウト。
……これくらいの大御所になると、普通にバイトしてたって話じゃ面白くない。
父親母親を話にからめてくるあたり、上手いもんだなと思う。
それにしても、
七十歳になっても谷村新司のことを「チンペイ」呼ばわりなんだな。
このままずっと呼び続けるつもりに違いない。

堀内孝雄と言えばドラマ「白虎隊」の主題歌で、
自分も年末時代劇を見て「主題歌いいな」と思ったクチ。
その後、再放送されたのをビデオに録って繰り返し見ている。

八十年代後半に里見浩太朗主演で大作時代劇が毎年のように作られていたのだ。
忠臣蔵とか田原坂とか。白虎隊はその二作目で、
堀内孝雄さんの「愛しき日々」が爆発的に大ヒットした。
浅草散策の番組の中でも、
「あれがなかったらこういう番組に出てないよ」
と、堀内孝雄さん本人がしみじみ語っている。
なんせ、二日かけての長編ドラマだし
ドラマの要所要所で流れるわけだから、やっぱり強烈に頭に残る。

小椋佳さんの歌詞も白虎隊の悲劇を思うと涙もんだし。

……なんか「白虎隊」のビデオが見たくなってきた。
森繁久彌とか若き日の国広富之(トミーとマツのトミー)とか、
土方歳三役の近藤正臣とか。沖田総司役の中川勝彦とか(中川翔子のお父さん)
この時代劇のせいか、土方歳三というと近藤正臣のイメージがあるな。
いや、鉄板は栗塚旭さんだと思うんだけど、史実に近い方となると、
近藤正臣かなぁ、と。栗塚さんは殿堂入りだから。

2019年8月25日 (日)

セメダイン


百円ショップの老眼鏡を使ってみたら、絵を描くのに便利だったので、
ずっと愛用していたら、百円の悲しさか、レンス周りのフレームが折れた。

有名なタレントさんで収入が何億とあるだろうに、
やはり百円ショップの老眼鏡を愛用している人がいて、
ロケ先で紛失して大混乱になったそうな。
たかが百円だと馬鹿にしたもんじゃない。日常的に愛用するアイテムというのは、
値段ではないのだ。まあ、百円ショップで買った靴ベラはすぐに割れてしまい、
靴屋でサービスにもらった靴ベラは、二十年近く現役だったりはするのだけど。

それで、壊れたフレームを固定するのにセロハンテープを使ってみたのだけど、
視界にテープの端がチラついて、気になって仕方がないので、
スーパーで瞬間接着剤を買ってきた。

瞬間接着剤というのは、もともとは釣り針の修繕用に開発されたものらしいけど、
アロンアルファが「どんなものもたちまちくっつく魔法の接着剤」みたいな売り方をして、
あっという間に市民権を得てしまった。テレビCМがすごかった。
ウイキペディアで「アロンアルファ」を検索すると、当時のCMの詳細が出てくる。
壁にアロンアルファを塗って、そこにウイリーしたバイクが突っ込み、
前輪が壁に張り付いてしまう奴をよく覚えている。

ついでなのでいろいろ調べてみた。
瞬間接着剤のもともとの開発は、第二次世界大戦の銃器開発までさかのぼるらしい。
照準用のレンズをプラスチックで製造する過程で、シアノアクリレートが見つかった。
この物質は密閉された空間では液状だが、大気中の水分に触れると反応して個体になる。

この物質を発見したアメリカ人が戦後にフィルムメーカーのコダックで
「瞬間接着剤」として売り出して一気に普及した。

水と反応すると凝固する性質なので、机の引き出しなんかに入れておくと、
開封後は中身まで凝固してしまう。だから、乾燥剤と一緒に袋詰めするとか、
冷蔵庫なんかに入れておくと、長期保存が出来る。(使用前に室温に戻す必要あり)

老眼鏡を修繕しながら、いろいろ思い出してた。
アロンアルファが一般向けに発売開始されたのが1971年で、
日常的に見かけるようになったのはたぶん七十年代の後半から八十年代初頭くらいで、
それまでは接着というと「セメダインC」を使うことが多かった。

金属チューブに入った「臭い」接着剤で、紙とかプラスチックを接着した。
「セメダイン」というのは不思議な感じのする言葉だけど、
創業者が1920年代に作ったオリジナルで、
「セメント+ダイン(力の単位)」という意味と、
「攻め出せ、メンダイン(イギリス製の接着剤)」という意味があるらしい。
……このへんのセンスに大正昭和の日本人っぽさを感じてしまう。

あと、「接着剤」という日本語を作ったのは、この創業者さんではないかと言われている。

接着の原理は、あのニオイから考えるとシンナーのような揮発性の溶剤が蒸発して、
残った物質が凝固するんじゃないかな。デンプン糊が水分の蒸発で凝固するのと、
原理的には同一線上にある。だから、物質の化学反応を利用するアロンアルファ系は、
本当にすごい発見だったんだなと、今さらのように気がついたりする。

「セメダインC」はアロンアルファが国内で普及するまで、つまり
1970年代くらいまでは接着剤の代名詞みたいな存在で、
そのへんの雑貨屋でチューブ糊なんかと一緒の棚で売られていた。
いや、今だって「セメダイン」の名前の付く商品はたくさんあるけど、
あの当時はそういう商品が現在ほど普及してなかったので、
「セメダイン」という言葉のパワーが、今より大きかったように感じる。

今の子に「ママレモン」と言っても、何のことだか通じない、みたいな。
でも七十年代に「ママレモン」と言えば、誰でも家庭用台所洗剤を連想したはずだ。
これも「ママ+レモン」という優れた造語なんだけど、今はほれ、
男女平等で「家庭用洗剤を使うのが女性だけという考えはいかがなものか」ってんで、
この商標そのものがなくなってしまった。
あと、「クリーム+レモン」とか、
八十年代にはいるとレモンに性的なイメージがついてきたし。

でも、「ママレモン」はいいネーミングだよな。「ドラえもん」だって、
案外この言葉から連想された可能性が……ないか。

なんか迷走してきたのでこのへんで。

2019年8月24日 (土)

記憶

人間の記憶というのは、どうにも曖昧なものだ。

名古屋出身の僕は中日ドラゴンズの野球帽を持っていたのだけど、
小学校の低学年の頃だったか、公園で友達と遊んでいて、
「えいや!」
と空に放り投げたら、そのまま空中に消えてしまった。
たぶん、投げ方が悪くて変な方向に飛んで行ってしまい、
木の枝か藤棚の上にでも引っかかったんだろうけど、
子供の自分にしてみれば
「とんでもない奇跡を見てしまった」
となるわけで、
しばらく茫然と立ち尽くしていた。

だいたい、それくらいの年齢の話。

仲のいい友達がいた。同じクラスの男子で、ときどき一緒に遊んだりした。
うちの学区は東の山の手方面と西の住宅街ではっきり二分されていたのだけど、
彼は山の手のお金持ちのたくさん住んでるあたりの家に住んでいた。
だから、たぶんお金持ちだったんだろう。

庭がずいぶん広くて、庭の端と端とでトランシーバーで会話した。
何せスマホも携帯もない時代の話だから、巨大なレーシーバーを持って会話するのは、
兵隊さんになったみたいで楽しかった。……考えてみると、そんなものを持っているのは、
金持ちの息子以外の何者でもないような気がする。

家の周囲は鬱蒼と茂る林に覆われていた。山の手ってくらいなので、
やたらめったら樹木が多い。大半が私有地で、立ち入りは禁止されているのだけど、
子供にはそういう概念はないので、勝手に入り込んで探検ごっこをした。
手入れのまったくされていない藪の中を進んでいくと、突然プールが現れた。
たぶん個人の家が作った個人用のプール。
管理されていないのでコンクリートの池と化していた。

こんな林の中に、昔泳いでいた人がいたというのは、不思議な感じだった。
友達は「あめんぼうだ」と言って枝先で突いて遊んでいた。

こんなところに住んでいるせいか、昆虫とか生き物が好きな子だった。
彼の家には昆虫採集用のキットがあって、ときどきそれを出してきては、
トンボだの蝶々だのに注射器で防腐剤を注入していた……昔の玩具はけっこうおそろしい。

で、その子とは何度も遊んだ記憶はあるのだけど、名前をまったく思い出せない。
顔すら記憶から欠落している。
小学校三年の時に引っ越しが決まって、見送りに出向き、
車のリアウインドウ越しに手を振ってさよならをした。

その時の相手の顔が、のっぺらぼうとしか思い出せない。

こうなると、トランシーバーも林の中のプールも、昆虫採集キットですら、
夢の中の出来事なんじゃないかって気がしてくる。
子供がトランシーバーで会話するというのもおかしいし、林の中にプールがあるのも変だ。
昆虫採集用とはいえ、注射器を使っていたのというのも、
今になってみるとあり得ない話のような気がしてくる。

すべては幻想の色彩に彩られていく。

彼と遊んだ広大な雑木林は自分にとってかけがえのない思い出の場所なのだけど、
小学校の高学年くらいになると、悪ガキ連中はそこに新しい名前をつけた。
いわく、エロ本地帯……

広大な雑木林というのは、始末に困った本を捨てるには格好の場所なんだろう。
探すとかなりの確率でアダルトな本が落ちていた。
で、我々マセガキたちは学校が終わった後、
「エロ本地帯行くぞ!」
と意気揚々と繰り出したわけだ。てか、誰が付けたんだ「エロ本地帯」。

その頃の友達の名前は全員言えるし、顔もはっきり覚えている。
中学も一緒だったし、成人式で顔を合わせたりもした。
トランシーバー君のことは、たまたま記憶から欠落してしまった思い出なのだ。

そんで、そういう記憶の欠落部分というのは、何かしら幻想的で、
神秘的な感じが入り込むらしく、名前のないその子のことが、
大人の自分には妖精か何かのように思えて仕方がない。

空中に放り投げた野球帽が落ちてこなかったのだって、
たぶん天使が持ち去ったんだろうと、子供の頃の確信が残っていたりする。
おそらく天国というところに行くと、イタズラな天使がわんさかといて、
その中の一人が、中日ドラゴンズの野球帽をかぶっているのだ。


(追記)
エロ本地帯で思い出した。
学校から少し離れたところに「ビートル」という喫茶店があった。
大通りから少し外れた、テナントのうちの一軒。
「ビートル」という名前は、たぶんフォルクスワーゲン・ビートルからだろう。
あの当時は若者の車と言えば昆虫のようなあの車で、やたらいっぱい走っていた。
友達と一緒に歩いていて、ビートルが通るたび、
「ビ~トォ~ル!」
と叫んだりした。
で、その店なのだけど、マスターが猥褻の容疑で逮捕された。
僕は見ていないけど、テレビのニュースで流れたらしい。
女性の猥褻な写真を撮影してうんたらかんたら……細かいことは知らない。
とにかく、喫茶「ビートル」は次の日から男の子たちの「聖地」となった。
まあ、半分馬鹿にしての話なんだろうけど、店の前まで行って、
歌を歌った。「ゲッターロボ」のオープニングの替え歌で。

 若い命が真っ赤に燃えて~
 ビ~ト~ルおじさん~現れ消える~
 いまだ~写すぞ~願いを込めて~
 写す!写す!やったーぜ!
 エ~ロ本会社に売り飛ばすんだ~

……誰が作ったか知らないけど、
「エロ本地帯」といい、あの頃僕のクラスにはとんでもない才能を持った奴がいたらしい。

 

 

2019年8月14日 (水)

新選組の本を読んだ。


「新選組戦場日記」永倉新八著

古本屋巡りをしていると特定分野の本がドカンと入ることがあり、
しかもそれがかなりマニアックだったりする。
この本も天然理心流の技術指南書と一緒に購入している。

上述の本の原題は「浪士文久報国記事」で、
二十年ほど前に発見された「新選組当事者の覚書」である。
歴史資料としては第一級品と言って間違いない。だって、本人なわけだから。

「永倉新八」

知る人ぞ知る、新選組二番隊組長である。
ぐっさん(山口智充)が大河ドラマで演じていらしたので、
クックドゥのCMを見るたび、
「あ、永倉新八だ」
と思う。

小説が作家の空想なのに対して、こちらは当事者の「肉声」であり、
しかも書かれた時期が明治初頭ごろと推定されるので、リアル度がすごい。
たとえば池田屋のくだり。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

川端た三条小橋北側にて、池田屋と申す旅籠屋あり。
(不逞浪士は)右のうちに居る趣、表廻りは厳重に固め、それよりまかり入る人は

近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助、

表口よりまかる。
鉄砲、槍、たくさん是あり。縄にてからむ。

玄関らしき所へ参り、亭主を呼び出し、
「今宵、旅宿御改め」と申すと、亭主驚き奥の二階へ去り、
あとを直につけ参る。

長州人二十人ほど残らず抜刀。

近藤勇、
「御用御改め!手向いいたすにおいては、容赦なく斬り捨てる!」と申し、
(長州人は)その大音に恐怖いたしあとへ下がる。

壱人斬りてかける者これあり。沖田総司、是を斬る。

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 原文を少々いじってみたけど、
「長州人二十人ほど残らず抜刀」のくだりで悶絶しそうになる。
続く近藤の言葉も、ドラマの脚本ではなく永倉が耳にした実際の文言である。
あんまりデカい声だったので相手勢がびびって後ずさりし、
中の一人が斬りかかってきたところを、沖田総司が斬り捨てる。

歴史考証的にはその場にいた人数とか、全員が長州人ではないとか、
いろいろ突っ込むところもあるけど、当事者にはそんなことは知ったことではない。
アクセルを踏みながらブレーキを踏んでいたと主張する上級国民だっている。
味わうべきは言葉の裏のリアルさである。

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それより下へと逃げる者これあり。近藤勇、下へと差揮する。

下には八軒の灯りこれあり。それ故に大きに助かり。
沖田総司、病気にて会所へ引き取り。

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 下へと逃げた長州人がいて、
近藤勇の「下だ!」の声に、隊士四人は抜刀したまま階下へ降りる。
夜のことだから暗いと困るところ、照明具が照らしてくれていたので良く見える。
「ありがたい」

しばらくして沖田総司がしきりと咳き込み始める。
「沖田、大丈夫か」
「……」
「会所(新選組本陣)に戻れ。ここは俺たちで大丈夫だ」
「……すいません」

てな感じだろう。最初の派手な剣戟で持病がぶり返したものと思われる。
屋内の新選組隊士は残り三人。

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是より三人奥。
奥の間は近藤勇、防ぎ居る。台所より表口は永倉新八、防ぎ居る
庭先は藤堂平助。

表口へ壱人、逃げ出す者これ有り。
(永倉新八)それと見るより後を追いかけ、表口より谷万太郎、槍にて突き、
とたんに永倉新八は肩を斬る。

本のところへ永倉新八参る。

又壱人表口へ逃げる者、永倉追いかけ、袈裟懸けに一刀でおさまる。

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 新選組とすれば、長州の不逞浪士を池田屋内に閉じ込めておけばいい。
そのうち会津の軍が召し取りにやってくるはずだ。
それで周囲を新選組隊士で囲み、内部を精鋭三人で抑え込む。

永倉新八は台所から玄関口を見張っていたが、浪士が一人玄関口に走ったので、
これを追いかけると、表にいた「槍の谷万太郎」がエイヤと浪士を突いた。
そこを永倉が肩口から斬りつける。

相手を無力化したところで、また元の位置に戻る。で、また斬る。

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それより庭先に参る。
雪隠へ逃げ込む人おり、それと見るより串刺しに致す。
呉、刀を抜かんとすれど、刀に突かれおるゆえ倒れる。
直に胴を斬る。

藤堂平助、垣根際より長州人に切られ、それより戦い、
目に血が入り難渋のよし、夫々(それその?)刀切れ出す。

永倉新八それと見るより助太刀。いきなり腰の所へ斬り込むと、
(相手は)突く行かんと受け止め、それより永倉新八に切りかける。

藤堂平助深手負い会所へ引き取る。

永倉必死の戦い、近藤勇見て居るところ、両三度も危うき事これ有り。
近藤勇、助太刀に参るべき存じ居れども、奥の間、敵大勢それを防ぎ居るゆえ、
助太刀にも参られず、永倉、漸々のことで肩先へ斬り込み、ついに倒れ仕留める。

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 表口は谷万太郎らが外から守っていることであるし、
永倉新八は庭の方に回る。藤堂平助が心配になったのだろう。

途中でトイレに逃げ込む者があったので、刀で串刺しにする。
相手は自分の刀を抜こうとして、その姿勢のまま倒れたので、胴に一太刀浴びせる。

「藤堂、大丈夫か」
見れば藤堂平助、長州人相手に格闘中で、その顔には血が流れて目をふさぎ、
刀はササラのように刃こぼれしている。
あとで聞いた話だと、垣根際からいきなり斬りかかってきたらしい。

永倉新八は味方の危機とばかり、相手の長州人の胴にめがけて刀を振り下ろす。
ところが相手はこれを刀で払いのけ、その勢いのまま今度は永倉に切りかかってくる。
藤堂が苦戦するわけだ、けっこうな手練れである。

藤堂平助は深手を負っていたので、そのまま会所の方へ引き上げる。
屋内で奮戦する新選組隊士は近藤勇と永倉新八の二人になる。

近藤勇は奥の間で敵を叩いていたのだが、そこから永倉新八の戦いが見えた。
事件後に近藤の語ったところによると、
「お前、三度くらい危なかったぞ。俺も手が空いていれば助太刀に行ったんだが」
とのこと。それほどの強敵だったが、永倉はなんとかこれを倒す。

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長州人四人刀を差しだし、謝罪いたす。直に縄を懸ける。
永倉手のひらを少し切られ、刀刃切り出す。
それ故に長州人の刀分捕りいたす。

それより表口の新選組、大勢押し入る。

家を捜る。二階の天井が破れ、長州人壱人落ちる。
武田観柳斎、これを斬る。

表へ逃げた者、残らず新選組の手に掛る。

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 ようやく事件も終息に向かう。あとは事後処理。
永倉新八は手のひらに負傷し、刀もボロボロになっていた。
このことについて詳細した手紙を近藤勇が故郷に書いているのだが、

「藤堂も永倉も刀がボロボロになっていたが、自分のは虎徹だから大丈夫」

と、自慢している。
本物かどうかわからないが、近藤勇の刀といえば名刀虎徹であり、
本人もそれを誇っていた。

……このあと、島田魁が槍先を切り落とされながら、刀で敵を仕留めたり、
原田左之助が活躍したり、いろいろあるけど、文章のクライマックスは、
藤堂を負傷させた難敵を倒すくだりだろう。

近藤も沖田も藤堂平助も、みんな明治前には亡くなっているので、
池田屋事件の当事者が語った文章というのは、それだけ価値が高い。

それに何より、剣豪が朴訥と語る自分の過去の戦歴というのは、
文字の裏にいろんな情報が読み取れて面白い。
永倉も、自分の経験を講談のように安っぽく語るのは面白くないから、
出来るだけ自分を抑えて、結果、客観的な文章になっているのだけど、
それがところどころ綻びそうになる。

近藤の「おまえ、三回くらい危なかったぞ」
のくだりは、解説本と自分の文章で解釈が違っていて、
解説本だと「近藤さんが三回くらい危なかったので助太刀に行きたかった」
となっているけど、自分はこうじゃないかな、と素人なりに考えた。

自分が戦った強敵を「強敵」と描写することは、安い講談師みたいで矜持が許さない。
それでそこのところに「近藤さんの言葉」を持ってきた。
たぶん、事件後に近藤勇と語り合って、強敵を仕留めたことを褒められ、
それがすごくうれしかったんじゃないかなと、そこまで妄想した。

以上、最近読み返した本の感想なのでした。

 

 

2019年8月12日 (月)

笑顔


「新聞を取ってます」
というと、みなさん「なんで?」という顔をなさいます。
このあいだも某編集者にそういう反応をされた。
「ネットがあれば必要ないんじゃないですか」
「いやいや、あれも意外なところで役に立ったりするんですよ」

以前住んでいたマンションの隣の部屋に感じのいいオジサンが住んでいた。
挨拶するとにこやかに返事を返してくれる。
奥さんはいなくて息子と二人暮らしだったけど、
息子の方は髪を染めて肩を怒らせた感じの、ちょっと怖い風体だった。
この息子が顔を見せなくなって半年してからだったか、
オジサンの部屋のポストに新聞がたまるようになった。
数日分の朝刊と夕刊が扉の新聞受けにねじり込まれて、オブジェと化していた。

夏の暑い日で、僕は前日から徹夜でネームを書いており、朝になってゴミ捨てに出た。
そこでポストの異常に気がついた。何かあったのかな、と思ったけど、
さすがに徹夜のあとで眠かったので、部屋に戻ってソファーで仮眠をとった。
このソファーが共用通路側の窓の下にあるのだけど、
昼頃になってなんだか賑やかになってきた。複数の男性の声がしている。
何かなと思ったら、警察だった。
刑事さんが僕の部屋にやってきた。

「死後二日ほど経った状態で発見されました。事件性はないと思われますが念のため」
心当たりがないか話を聞きにきたという。

「息子さんがヤンキーで感じ悪かったです」

刑事さんが思いっきり顔をしかめて苦笑をした。なんだい、聞かれたから教えたのに。

これなど夏の暑い日だったから発見が遅れていれば悲惨なことになっていただろう。
ポストの異常に気がついた管理人か新聞屋が通報したのだと思う。でなかったら、
たぶん第一発見者は僕になっていたはずだ。死体の臭いの直撃をくらうのは僕だから。

なんにしても感じのいいオジサンだったので、その死に対しても不快感はなく、
自分が何日も死体と数メートルの距離で生活し、なおかつネームを書いていたというのも、
それなり楽しい武勇伝になっている。いや、なんも勇ましくないけどさ。

オジサンのお亡くなりになった部屋は、その後徹底的にリフォームされ、
次々と住人が変わり、今住んでいる人も昔そこに笑顔がかわいいオジサンがいたことを、
当然知らない。知るわけがない。
でも人ときちんと挨拶を交わしてくれる方というのは、
死してもその穏やかな感じを残していってくれるので、悪い感じが残りようがない。
僕もオジサンのように、すれ違う隣人には笑顔で挨拶しようと、
心に誓うわけなのだな。

2019年8月 8日 (木)

銀河鉄道の夜


作者の死後に発見され、名作となった作品というと、
自分はまず、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を思い出す。

いや、この前提からしてクリアするのがかなり困難だ。
名作を書いて、それをどこかに隠しておいて、死後に発見されるというのは、
よっぽどのレアケースだろう。

たとえばベートーヴェンのエリーゼのために。
……楽譜に汚い文字で「エリーゼのために」と書いてあったのでそうなった。
どうも意中の女性のために、その思い出をつづったメモアールのようなものと思われる。

ショパンだと「幻想即興曲」。これはわかりやすい。
ピアノの使い方がベートーヴェンの月光ソナタの三楽章に似ていたから、
「パクリと思われるのは癪だ」
という理由で封印されたと思われる。

あと、シューベルトの未完成交響曲とかあるけど、
シューベルトは存在そのものが死後に発見されたようなものなので、あんまり意味がない。

他にも「アンネの日記」とか、いろいろあるんだろうけど、
僕は何と言っても「銀河鉄道の夜」を真っ先に思い出すし、
日本語で書かれたメルヘンとしては、その幻想性は群を抜いてると思う。

……なんてことを偉そうに語っておいてなんだが、
自分が知ったのは漫画の方の「銀河鉄道999」が先で、
その流れで小学四年生の時に図書館で本を借りた。
たぶん、メーテルとか鉄郎とか、謎の車掌さん(cv肝付兼太 )の流れの上だ。
作画はアニメ版の小松原一男で。

子供の頃に読んだ童話というのは、独特の空気をまとった思い出となる。
僕の印象では木造校舎の窓辺の席で、窓からの光に浮かび上がる感じがある。
ま、実際は弟二人がテレビのチャンネル争いをしている横で読んだんだろうけど。

内容はよくわからないけど、面白かったので二月ほどしてもう一度借りてきて読んだ。
すると、今度はラストがかなり変わっていた。変な男が出てきて説教をしている。
……「銀河鉄道の夜」は完成稿が存在せず、作者の死後に編纂された異稿が存在する。
賢治本人は削除するつもりだったかもしれないけど、
バッサリと切り捨ててしまうとそこに語られている賢治の世界観がなくなる。
物語としての完成度を取るか、あえてこれを残して読者に提示するか、というので、
ラストは二つのバージョンが存在する。
当時小学生だった自分にはそんな事情は分かろうはずもないので、
「銀河鉄道の夜は不思議だ。読むたび内容が変わる」
と素朴に考えた。

世の怪奇現象というのは、たいていこういったもんだ。

とにかく、「銀河鉄道の夜」のファンタジーはすごい。
当時の日本にまったく存在しなかったもので、ひたすら賢治の幻想が作り出した世界だ。
賢治は目の前の世界を違ったものに変質させる力があり、
また、意識的にそうしていた部分がある。
目の前の山や川にエスペラント語の名前を付ける、というのがそうだ。
岩手をイーハトーボと読み替えれば、それは全く新しい世界になる。
本質は何も変わらないかもしれないけど、人間の脳が認識する世界は一新される。

これと同じことを詩人の西脇順三郎さんがやっている。
古臭い日本情緒にうんざりしていた西脇氏は、イギリスに向かう船上で
萩原朔太郎の「月に吠える」を読んで爆笑した。
なんだこれは、日本語ってのはこんなことが出来るのか、まだ捨てたもんじゃないな、
そういう、意表を突かれたという意味での「笑い」である。

人間の生み出した言葉というのは不自由なもので、
「空」とか「海」とか、使い慣れた言い回しを使うと、
その瞬間に目の前の世界は小さくなる。
言葉というものが目の前の現象をコンパクトにまとめてしまう性質のものだからだ。
だから西脇はそこにシュールレアリズムを持ち込んだ。
全くかけ離れた言葉を目の前の現象にぶつけることで、
風景の本質にいっそう肉薄しようとした。

だから、西脇順三郎が戦後に書いた詩は、ありふれた日本の農村の風景なのに、
まるでギリシャとか地中海の空気をまとい始める。
農家のおばあちゃんが怪しい魔術師の風貌で舌を出したりする。
詩人の目が、ありふれた風景を別のフィルターで見ているのである。

この西脇順三郎は宮沢賢治の二歳年上なので、
根っこは同じなのかもしれない。
それまでの古い日本語を破壊して、あたらしい言葉を作ろうという機運が、
大正時代の若者たちの間であった、ということなんだろう。

だから、「銀河鉄道の夜」がファンタジーだと言っても、
それは空想の作り出した幻想というよりは、
目の前の世界を別の言葉で表現しようとした結果のファンタジーなのであって、
「現実逃避」とはまるで逆のものだ。
現実を一層リアルに感じるための、認識操作である。

賢治が「銀河鉄道の夜」を書くときに思い描いていた風景は、
パステル色のメルヘンワールドではなく、目の前の見慣れた岩手の風景だった。
それを丹念に認識し直すことで、それまでになかった独自の文学作品が出来上がった。

案外、ここにも日本語の新しい使い方を実践した
萩原朔太郎の影響があるのかもしれないなと、
何の根拠もないいつもの妄想を垂れ流す自分だった。

2019年8月 3日 (土)

クラリネット


 1

自分は絵を描く人なのだけど、
立体造形も割と好きで、中学時代はひたすらプラモデルばかり作ってた。
で、それ系の雑誌もお小遣いで買って読んだりしていたのだけど、
八十年代の初頭というと、今でいうフィギュアの黎明期というか、
タミヤ模型の軍人スケールモデルから始まる人物の立体造形が、
異常に進化し始めた時代だった。プラモのモコちゃんとか、
ダイコンⅢのバニーガールとか、マニアしか知らないキャラクターが、
アマチュア模型師によって作られたりしていた、そんな時代だ。
たしか漫画家の鳥山明さんも、あの時代の田宮のコンテストの常連、
だったような気がする。さすがに四十年近く前だとあんまり覚えていない。

そう考えていくと、今あるフィギュアの文化のルーツって、
田宮の軍人人形なのかもしれないと、ふと思いついたりする。
ドイツ軍とか日本の軍人なんかのスケールモデル。
そういう市販のプラモデルをパテで改造して、アニメのキャラを作るってのが、
一つの流れとしてはあった。

あと、こういうのもある。博多人形師。
月例のフィギュアコンテストで、毎回レベルの高い人形を出品している人がいて、
その人が博多人形師の元で修行をしているというのは、割と有名だった。
……つまり博多人形の技法でメルヘンな人形を作っていたのだ。

その人の作品で「ユニコーンと少女」みたいなのがあって、
妖精のような女の子がユニコーンに葉っぱか何かを食べさせているのだけど、
品があってそのまま応接間に飾っておけるような美術品に思えた。
これを他の、アラレちゃんとかガンダムのフィギュアとかと並べて出品していたわけだ。

で、毎回賞を取ると製作者のコメントが掲載されるのだけど、
その「ユニコーンと少女」の時のコメントで、
「とうとう師匠にバレてしまいました。てっきり怒られると思ったのですが、
逆に頑張れと激励されてしまいました」
というのがあった。もう何十年も昔の話だけど、
今頃は国宝級の博多人形師になっていても、おかしくないなと思う。

あの時点ではまだ「オタク」なんて言葉もなくて、
フィギュアはミリタリーモデルの亜流みたいな感じだったんだけど、
それがいつからか、独立したジャンルになり、アニメ作品の立体化、
みたいな認識に変わっていった。有名絵師のイラストを三次元化する、
二次元のものを三次元として眺めるアイテム、といった風。

そんなもん、何が楽しいんじゃ!と思う人もいるかもしれないけど、
目が造形物を楽しむ感覚というのは、小説や映画を楽しむのと本質は同じだ。
そこには造形師が感じたものが刻まれており、それを目で追うことで、
鑑賞者は新しい発見をしたりもする。

こういうものが数百年後の未来に残っていたとして、
未来人がどう思うのか、そんなこともいろいろ夢想したりする。
……今目の前にあるのはゴジラのフィギュアなんだけどね。

 2

音楽を聴くのにもサイクルがあって、古いロックばかり聴くこともあれば、
突然、クラシック以外は受け付けなくなることも、ある。

今はモーツァルトがブームで……というとなんか高尚な感じがするけど、
プレイリストを作って延々とリピートしていたりする。

モーツァルトは日本で言えば江戸時代の中期くらいの人で、
葛飾北斎の前半生とほぼ重なる感じだったりする。
北斎が絵師として売り出し中だったころ、モーツァルトはザルツブルグで作曲していた。

貴族や金持ちがイベントをするとなれば、楽器奏者を大勢集めて何か音楽を鳴らすのだが、
そのための音楽を大量に書いていたのが、このザルツブルグ時代で、
だいたい十代後半から二十代の初めくらい。
バイオリンやチェロなんかの弦楽奏者と、ホルン吹き、オーボエ奏者、ファゴット奏者、
そこにトランペットやフルートなんかも加わることがあり、
もしそれを使える人がいれば、クラリネットなんかも採用されたりした。

このへんの、管楽器に注目してプレイリストを作ったのだけど、
たとえばクラリネットが活躍する作品というのは、
当時のザルツブルグの楽団にクラリネット奏者がいなかったので、
交響曲だと31番くらいまで出てこない。
この曲はフランスのパリで演奏したものなので、そこにクラリネット奏者がいたのだ。

で、結局最後の方の39番になって、クラリネットが大活躍する曲が出てくる。

たぶんだけど、モーツァルトはクラリネットという楽器が好きだったと思う。
初めて自作に取り入れたのはイタリア旅行で書いたディベルティメント一番で、
これもイタリアの楽団にクラリネット奏者がいたからなのだな。

ところが、ザルツブルグに戻ればそこにはクラリネット奏者がいなかったりするわけで、
「チキショウ、なんて遅れてる楽団なんだ」
と、大いに不満だったはず。

それで、ザルツブルグの大司教と喧嘩してウイーンに移ると、
そこのクラリネット奏者と仲良くなって、その人のために何曲も書いていたりする。
……その曲がどれも傑作ばかりなのだな。

このへんの流れでプレイリストを作ると、
「うれしいな、うれしいな、クラリネットが使えてうれしいな」
というモーツァルトの気持ちがわかるような気がして、微笑ましかったりする。

……まあ、僕はフルートやオーボエが好きなので、
フルートが大活躍する交響曲21番を聴きまくっているのだけど。

どうも、僕の年代はクラリネットというと「パパからもらったもの」で、
「壊れて出ない音」がある、みたいなイメージなのだ。
(そういう歌が昔流行ったんですよ)
実際、江戸川区に住んでた頃は流しのチンドン屋がやってくることがあって、
そこで吹いてたのが、クラリネットだった。

モーツァルトの時代には最新の楽器だったものが、昭和世代には場末めいて聞こえるのは、
失礼な話だなとは思うんだけど。

 

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