無料ブログはココログ

amazon

  • PCソフト
  • DVDベストセラー
  • ベストセラー
  • ウィジェット

2018年7月15日 (日)

わらしべ長者

床屋に行ったら親父さんが店の横で脚立にまたがって庭木の手入れをしていた。
「あ、どうも」
とキョドると、上から「いらっしゃいませ」と返事が返ってきた。

三連休の初日である。西日本の水害について連日メディアが報道する中、
「ものすごく暑い夏」が日本列島に迫りつつある。
この日もとにかく暑い日なのだった。

暑さのせいか、土曜日なのにお客はいなくて、
こういう場合の通例として、親父さんは実に丁寧に剃刀をいれるわけだ。
マニアなんじゃないかと思う。肌を押し広げて、埋まってる髭まで剃りつくそうとする。
途中でおばあちゃんが来店して、剃刀を当ててもらうつもりだったようだけど、
「まだあと15分くらいかかります」
と親父さんは笑っていた。まだ15分も剃るんかい。

ようやく髪が仕上がって、会計するときにレジ台にドカンと抽選箱が置かれた。
「五枚引いてみてください」とのこと。
「お中元セールのサービスっすか……僕はこの店に来るたび抽選をやってる気がします」
「そうですか。何かいいものが当たりましたか」
「けっこう当ててます」
実際、干物セットとか、お菓子とか、除菌スプレーなんかを当てている。
五百円で一回引けるところを、床屋だとそれなりの値段だから、確率は当然高くなる。
今回もなんか当たるかなと思ったら、全部スカだった。
「ありゃりゃ」
「残念ですね……そうだ、こちらを持って行ってくださいよ」
と、四等の当たり券を二枚引っ張り出してきた。
「前のお客さんが置いていったものです」

なるほど、その場でもらえるならまだしも、交換所まで足を運ばなきゃいけないから、
面倒だと思う人はいるんだろうなと思い、ありがたく頂戴する。

交換所は花屋か文房具屋になってる。このブログでも何度も書いてるけど、
最初のうちは花屋で交換してもらってたけど、この頃は文房具屋に行ってる。
ついでだから画材でも買っていけば面倒がないと思ったのだ。

サインペンとシャープの芯を買い、交換券を差し出す。
「四等ですか、すいません、もうゴミ袋しか残っていません」
ということで、ゴミ袋を二つ頂戴する。
お店のオジサンはものすごく申し訳なさそうだったけど、あって困るものでもないので、
「いえいえ、ものすごく助かります」
とお礼を言って店を後にする。

最近は部屋の不要なものを捨てるのが個人的なブームになっているので、
ゴミ袋の消費が結構早くなってるのだ。
とにかく何でも捨てる。
ビデオテープも燃えるゴミで捨てていいんだとわかってからは、
いらないビデオテープをガンガン捨ててる。
昔、漫画の仕事で資料用としてもらったビデオテープなんかも、
なんとなく残してあったけど、個人的におもろいと思ったもの以外はどんどん捨ててる。

ちなみに、個人的にツボだったのは、某原作者さんが北朝鮮に取材に行って、
あちこち撮影してきたものだ。、日本に戻る前にビデオは当然のように検閲され、
あとで再生してみたらあちこち編集されていたと。
劇場を案内されたときも、昼間だったから公演はなかったはずなのに、
ちゃっかり派手なレビューシーンが挿入されていたりした。
ホテルで素朴な料理を他の観光客と食べているシーンでも、
なぜか突然豪華な料理のシーンに切り替わったりして、不自然この上ない。
これは残しておかなくてはと、妙な使命感を感じてしまった。

ゴミの捨て方にもいろいろルールがある。
スプレー缶なんかも、僕は底に穴を開けてガスを排出してから捨てていたけど、
うちの地域ではこれは実は間違いで、穴を開けずに中身を空にして、
「不燃ごみ」として捨てなくてはいけない。空き缶のような「資源ごみ」とは別なのだ。
たぶんだけど、中途半端に排気するとガスや中身の液体が残って、
引火の可能性がかえって高くなるからだと思う。

タンスやカーペットなどの大きなゴミは、「粗大ごみ」として
区の方に有料で引き取っていただく。先日もネットで予約をしてタンスやらテレビ台やら、
壊れたファクシミリなんかを取りに来ていただいた。

廃棄するときは家の前やマンションの玄関口に出しておけば持って行ってくれるのだけど、
その場合は必ず、料金分の処理券を貼り付けなくてはいけない。
タンスだとだいたい1200円分くらいの券が必要になる。

あれやこれやで、4000円分の処理券が必要なので、コンビニまで買いに行く。
オバチャン……いや、小柄なお姉さまにメモを渡して
必要な券をそろえていただいた。眼鏡の似合う笑顔のお姉さまは、
「コンビニでこれだけの金額の買い物をする人も珍しいわね」
と言いながら、レジ台にドカンと抽選箱を置いた。
セブンイレブン名物の商品引き換えくじである。
……なんか二か月に一回くらいはこのサービスに遭遇しているような気がする。

「五枚引いてね」

とのことだったので、底の方から五枚引っ張り出す。やるからにはガチで当てにいくのだ。
……三枚がアタリで、清涼飲料水3本と交換してもらった。
「良かったわね、きっといいことがあるわよ」
とお姉さまはニコニコしながら商品の入った袋を差し出した。

コンビニで四千円以上の買い物をする人は珍しいだろうし、ジュースを三本当てる人も、、
あんまりいないんじゃないかな。一本はビックサイズだったので、
四百円分くらい得をしたことになる。

髪を切ってゴミ袋を手に入れ、タンスを捨ててジュースを手に入れるという、
わらしべ長者的なお話なのでした。

2018年7月 8日 (日)

サティ

高校時代、僕はバスで1時間かけて通学していた。
名古屋市内の学校なので、距離はたいして離れていなかったのだけど、
途中、幅の狭い橋を二つ越えなければならなかったので、毎度のこと大渋滞に巻き込まれた。
特に市場が混み合う月曜日は要注意で、
短編小説を一本読み終える間、バスがまったく動かなかったこともある。

まあ、乗り物酔いしやすい体質なので、本を読む環境としては良かったのだけど。

そんな理由で、高校時代の僕は割と早起きだった。
家族で一番早く起き出して、食堂の明かりをつけ(実家は大衆食堂だった)
朝刊を読みながらトーストをかじった。
テレビもつけるのだけど、八十年代にはまだ24時間のテレビ放送はなくて、
早朝は試験放送ばかりだった。唯一、中京テレビだけが環境音楽を流していた。

そこで流れているのが毎度同じピアノ曲で、僕はその曲名から演奏者の名前まで、
完全に覚えてしまった。
今になってみると覚えるまでもなく、超定番曲なんだけどね。

エリック・サティのジムノペディ。
演奏はフランスのピアニスト、パスカル・ロジェさんである。

84年に発売されたレコードはけっこう売れたらしい。
瞑想的な起伏のない曲調で、病院の待合室で流すのにうってつけ、
放送開始前の朝のテレビで流すのにだって、ピッタリである。
……おかげでこの曲を聴くと高校時代に中日新聞を読みながら、
トーストをかじってた自分のことを思い出す。

有名な曲だと思うのだけど、タイトルまでは認知されていないのかもしれない。
大学時代に知人とステーキハウスに行ったとき(退院祝いだったかな)、BGMで流れていて、
「あ、この曲なんだろう」
と呟いていたから、
「エリック・サティのジムノペディ第1番、演奏はパスカル・ロジェ」
と条件反射で答えたら、
「なんでそこでスラスラ返せるんだよ!」
と呆れられた。

高校時代に毎朝聴いていたからだけど、なんか「すごい奴」と思われたようなので
そのことは黙っておいた。

ところでこの知人はその後、実際にCDを買って聴いてみたそうで、
「なんかつまらんかった」
と感想を述べた。
「おまえのせいで余計な出費をした」
……知らんがな、そんなもん。

エリック・サティは「家具の音楽」を提唱した人で、
「音楽は壁紙やテーブルのように、さりげなく存在しているのがよい」
と考え、そういう音楽を書いた人である。

BGMはさりげなく室内に流れ、
運悪くその存在に気が付いてしまったとしても、「つまらない」と忘れ去られるのがいい。
コンサートホールで聴く自己主張の激しい音楽とは真逆の、雰囲気だけの曲なのだ。

漫画だって、このごろは重い意味を押し付けない、軽いものが好まれている。
深刻ぶらず、たとえ重たいテーマがあったとしても、表面上は軽く流す。
……何事も重大事件のように大騒ぎしがちな昭和バブル世代にとっては、
なんとも不思議な時代の傾向なんだけど、
それだけ若い人にとっての現実がハードってことなのかもしれない。

ところで僕自身はピアノの曲はそれほど好きではないし、サティのアルバムも、
持ってはいるけどあんまり聴かない。基本的に自己主張の激しい、
うるさい音楽が好きなのだ。

先日、アシスタントさんの家の近所に「男の晩飯!」なる食堂があると聞いて、
わざわざ食べに行った。なんとなく濃いものが食べたくなったのだ。

カロリーの高そうなメニューを一瞥してから「レバニラ丼!」を注文する。
「レバニラ丼一丁!」とやたら濃い顔の外人さんが注文を通す。
なかなかに徹底している。
しばらくして濃い顔の店員さんが料理を持ってきた。
でっかいドンブリに大盛りご飯とレバニラが載っていて、
さらにその上にはレバカツまで飛び出している。まさに男の晩飯!
ドンブリ持ち上げてマンガのようにガツガツとかきこむ。
年齢的に厳しいものがあるけど、ときどきならこういうドカ食いの店も悪くない。
……まあ、「お昼はレディース定食もあります」の貼紙には、経営の厳しさも感じたけど、
店内の脂ぎった感じと言い、なんとも僕好みの漢空間だった。
しかも!その時BGMで流れていたのは、水木一郎の「タオ」(ゲキレンジャーの曲)なのだ!
暑苦しくも超熱血!

……たまにはそういうBGMも悪くないのだな。

YouTubeだとこれ→https://www.youtube.com/watch?v=b5kTyihW-FA

2018年6月25日 (月)

月、な。
物心ついた頃から空に輝くあの物体はなんとも不思議なモノだった。
僕が生まれたのは1968年で、アポロはこの年に月面に着陸している。
だからまあ、物心ついた頃には月の神秘はあらかた解明されていたわけだけど、
そういう世界のムードとは別に、月を見ているとなんとも不思議な気分になる。

天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ

万葉集の柿本人麻呂の歌なんだけど、月を見上げた千年以上昔の大和人のことを思えば、
さぞや壮大な宇宙が頭上に広がっていたんだろうなと考える。
月の船と言われて巨大な宇宙船を連想してしまう自分がなんともうらめしい。

小学四年生のとき、授業で「月は自転しているか、自転していないか」と先生が質問して、
クラスの大半が「自転していない」に挙手をした。
「自転している」に挙手をしたのは僕一人だった。
正解は「自転している」なのでこれは僕の自慢話なのだけど、
黒板に地球とその周囲を回る月をいくつも描いて、
それが常に同じ面を向けているのだから、
「ほら、自転してるじゃん」
と言った時、クラスの大半が「?」だった中、超おさげ髪の後藤さんだけが、
「あ」
と理解してくれたのが、ものすごくうれしかったのだな。

彼女はそれこそ月のように輝くおでこを持った女の子で、
生まれてからずっと髪を伸ばし続けていた。一度書道教室に通う道すがら、
この子の家の前を通ったら、お風呂上がりだったのか、
膝まである長い髪を足らした状態で玄関先にいて、おでこが黒髪に覆われていた。

夕暮れ時だったし、風通しのいいところで髪を自然乾燥させていたのだろうけれど、
唐笠お化けのように長い髪が広がっていて、そこから白い素足が伸びているさまは、
完全に異形の存在だった。僕に気が付くと「見たなぁ」みたいな目で睨みつけてきた。
怖くなって慌てて逃げ出した。何か深層心理を抉るような不気味さがあった。
まあ、この子とは中学まで一緒のクラスになったりしてたんだけどさ。
その後も卒業までずっと「おさげに満月のおでこ」のキャラクターのままだった。

このことがあったせいなのか、いまだに、
髪の濡れている女の人を見るとちょっと「怖い」と思う。
オカルト映画の「リング」で貞子が登場したシーンを見たとき、
「あ、後藤さんだ」と懐かしい気分になったのは秘密である。

月は潮の満ち引きに影響を与えている。人間の気分にも影響していると思う。
二十代の初め頃、僕は満月になると絵が描けなくなる、みたいなジンクスを持っていた。
なんか絵が上手く描けないなと思い、夜の散歩で川辺をブラついたりすると、
たいてい空には真ん丸なお月様が輝いていた。
「あ、お前のせいか」
と絵が描けないイライラを月のせいにしていたわけである。

当時住んでいたのは江戸川区の繁華街のど真ん中で、周囲はビデオ屋とラブホだった。
田舎の知り合いが大挙して東京にいらしたとき、駅前の居酒屋で飲んでいたのだけど、
そのとき、
「満月の夜は絵なんて描いてられないですよ」
と、その通りの意味でこぼしたところ、
「おお、君は満月の夜には狼になるのか、そりゃこんなところに住んでりゃな!」
と盛大に勘違いされてしまい、以後猥談モードに入ってしまった。

思えば、絵の話題を真剣に語れる相手というのは僕の人生には一人もいなかったなぁ。
この時も仕方がないので田舎の方の「武勇伝」を、
「おお、すげー!さすが!」
と笑顔でやり過ごしたけど、自分の孤独さに圧し潰されそうになっていたのだった。

絵のことは本当に、誰に話しても通じない話題なのだな。
漫画の編集さんに話を向けても、
「私は丸も書けない不器用ものだから」
と逃げられたりする。たぶんえらい漫画家さんに、
「君、丸描けるの?描けないの?描けないくせに俺の絵にケチつけるの?」
とか、いじめられたんだろうなと思う。

同業者でも通じない話題だったりする。絵のことを話題にすると、
お互いプライドとかコンプレックスとか、いろいろ複雑に絡んでいたりするので、
「てめーこの野郎」
と最終的には険悪になる。ものすごくデリケートな話題なのだ。
だからまあ、四十代になる頃には話題にすることを避けるようになってしまった。

絵を描いてる人に絵をくさすと、とにかくものすごく怒る。
一般の人は「事実を指摘して怒るのは人間が出来ていない証拠だ」と考えるけど、
その一般人は人生かけて一つことを追求した経験がなかったりする場合がほとんどで、
「全人生を否定される苦痛」というのを理解していない。これはまあ、しゃーない。
それがどうだ、お互いがお互いのウイークポイントを的確に知ってる同士の喧嘩となれば、
血で血を洗う壮絶なものとなる。てめーのアゴのラインはゆがんでるんだよ、
に始まり、視線があさっての方向を向いてやがる、
首が長い、眉がおでこに生えてる、肩幅がゴリラだとか、下半身が安定しないとか、
絵の初心者なら誰でも通る道で、深くえぐれる傷のありそうなあたりを、
バッサバッサとなで斬りにするわけだ。

何かに夢中になり、何かを究めようとすれば、人間は誰でも孤独になるという。
人様の意見に耳をふさぎ、あるいは「おまえに何がわかる」とバリアを張って
予防線の中で孤立したりする。
某原作者の人と酒の席でお話をしていて、
「漫画家さんの絵に注文を入れると狂ったように人格が変わるのはなんでか」
と嘆いていたけど、身を斬られるような苦痛を感じているのは、
漫画家さんの方だろうなと僕は考えてしまう。同業者だからというのもあるけど、
ひとつことを究めようとして、孤独になってしまう人間というのは、
それがどんな趣味や職業であっても、どうしょうもなくナイーブなのだ。
そこに世間一般の物差しを持ち込むのは、残酷だとすら思ってしまう。

残酷ではあるけど、世間一般に合わせるのがお仕事である以上、
それを乗り越えるのも原稿料分の仕事なんだけどね。

最近双葉社から月岡芳年の「月百姿」の画集が発売されて、
新聞の広告でそのことを知った僕は、本屋さんまで買いに行ったのだ。1900円+税。
画題が月ということもあって、満月の絵が多いけど、
上手いよな、芳年さん。毎度夜空の月を見上げて画想を練ったりしていたんだろうか。
月の下に百人の人間の人生模様があって、それぞれに味わいがある。
まあ、何人か神様もいるけどさ。

月を画題にすると孤独で寂しい感じがひとしおとなる。
最後の浮世絵師と呼ばれる人が晩年に病と闘いながら描いた絵だから、
余計に孤独で寂しい感じがしてしまう。

でも絵はものすごくバラエティに富んでいるのだ。滑稽画風だったり、美人画風だったり、
師匠国芳譲りの武者絵風だったり。
自分が受け継いだ江戸の浮世絵の伝統を、ここで集大成しているような感じがする。
絵描きの心は孤独だけど、絵を描く心は全然孤独じゃないんだよな。

もうすぐ満月になるみたいだけど、三十代になる頃には例のジンクスは消えていたなぁ。
ときどき絵がまったく描けなくなる時があって、こうしてキーボードを叩いたりするけど、
ふと思いついてネットで月齢を調べたりすると、満月にはまだ日があったりする。
絵が描けないことと月はあんまり関係がないのかもしれない。

それでもまあ、憂さ晴らしに夜道を散歩していたりすると、
「絵が描けないのはお前のせいだ!」みたいに
月に悪態をつくことは、あるんだけどね。

2018年6月21日 (木)

ドナドナ

原稿を出版社に送ってから、小さい冷蔵庫を一日がかりで磨いたのだな。

うちには二台の冷蔵庫があるのだけど、近所にスーパーも出来たし、
冷蔵庫を回収業者さんに引き取ってもらって、空いたスペースを有効活用しようと考えた。

小さいと言っても僕の肩ぐらいの高さがある。まさにセカンド冷蔵庫。
うちに来てもう15年になるから、中学三年生ってところか。
やわらかいベージュのボディで、愛着もひとしお。
いちおうリサイクル業者に回収してもらうのだから、新しいご主人様と巡り合って、
幸せになるんだよぉ~なんて考えながら、隅々まで磨く。
プラグも雑巾で丁寧に掃除する。
まさに、娘を嫁に出すような心境。

ところが業者さんに話を伺ったら、
「リサイクル対象になるのは五年が限界なんで、これは廃棄処分になります」
とのこと。なんか、ものすごい罪悪感を感じてしまった。

トラックに積み込まれて「ドナドナ」されてしまうかわいいそうな冷蔵庫!

どうでもいいけど「ドナドナされる」ってなかなかうまい言い回しだ。
冷蔵庫の悲しい運命はさておき、僕はドナドナについて調べてみることにした。

「ドナ・ドナ」は第二次世界大戦中にユダヤ人作曲家によって作られた曲で、
日本では安井かずみさんが訳詞をされたものが有名。
なんと、「超時空要塞マクロスー愛・おぼえていますか」と同じ作詞家さんである!
……というのは今さらなくらい、日本歌謡史に残る名作詞家さんである。

なんだ、ただの翻訳か、と思われるかもしれないけど、
この方、一度発表したものを修正していて、
その修正版が現在みんなの知ってる「ドナ・ドナ」なのである。
修正前は子牛が食肉として死ぬ運命なのだと露骨にわかってしまうものだったけど、
現行バージョンではそこは伏せられている。
子供が歌っても、「子牛さんは新しい飼い主さんと出会えて幸せになれるといいな」
とはぐらかすことが出来る。でも、よくよく注意してみると、
「子牛が市場に売られていく、ただそれだけのことですよ」と語る語り口は、
とんでもなく重たいのである。
やっぱ、日本語の訳詞が優れているから、この歌は普及したのだと思う。

ドナドナが「不要になって売り飛ばされる悲しみ」を表現する言葉になったのは、
僕の記憶だとアニメ「攻殻機動隊」のどれかの話で自立機動兵器「タチコマ」が
不用になって廃棄される?みたいなシーンだったと思う。
タチコマ君たちが集団で「ドナドナ」を歌っていた。
それでオタク界隈から「ドナドナされる」みたいな使い方が広がったと僕は思うけど、
こういうのって同時多発的にあちこちで発生したりするので、
ソースカツ丼の発祥地よろしく、その起源はよーわからんのです。

「ドナドナ」はことほど左様に現代語として普及しつつあるように見える。
そのうち広辞苑にも載るのかもしれない。いや、もう載ってるのかな、
手元にないからわからないけど、ネット上では普通に日本語として解説されている。

うがった見方をすれば少子高齢化社会になって、
「未来ある若者がドナドナされている!」とか、
「いや、老人の方がドナドナされてるんだ、楢山節考だ!」とか、
現代のいろんな社会問題がこの一言で語られてしまうのが、普及の理由かもしれない。
社会学者さんが本を出すとき、「ドナドナされる日本」とかタイトルをつけそうだ。

でもこういうものはギャーギャー騒ぐよりも、作詞家の先生よろしく、
「それが日常なのだ」
と歌に流すのがよい。いいじゃん、荷馬車でドライブ。
人生なんてどうせ「市場」に到着するまでの一里塚。
泣こうがわめこうが、終わるもんは終わる。

とりあえず僕は、
「今ある冷蔵庫は大切に使ってあげよう」
としみじみ思うわけなのだな。

2018年6月20日 (水)

パタリロの第40巻が大好きだ、という話

本棚の大移動もようやく落ち着いてきたのだな。

自分はかなり本を持っている方だとは思っていたのだけど、
実際に箱に詰めたり担いで移動したりしていると、
「きゃははは」
と頭の回線が切れて笑ってしまうくらい、無尽蔵に本が存在している。
いったいいつ読んだんだろうと疑問に思うのだが、
どの本にも見覚えがあり、モノによってはそれを本屋で買った時の情景まで、
はっきり記憶していたりする。

岩波文庫で「セザールフランクの生涯」昭和20年代の発行で、すでにしてボロボロ。
名古屋にいた頃からずっと探していた本だったので、東京の古本屋で目にした時、
「!」
となった。頭で理解するより先に目が釘付けになったというか、
視線が背表紙に吸い込まれたというか、
ああ、本好きの人が本に呼ばれるってこういう感じを言うんだろうなと、
その時しみじみと思った。値段を見たら600円だったので、
「安い、この店の店主は見る目がない、僕の勝ちだ」
とよくわからない勝利に酔いしれ、レジでふんぞり返ったことも、はっきり覚えている。
内容はフランスの作曲家セザールフランクの生涯を、
弟子のヴァンサン・ダンディが書いたもので、ダンディが恩師を必要以上に持ち上げ、
神様のように崇拝しているために、評伝としての評価は低い。
むしろ「フランク教」の教典としてイロモノ的に楽しむもの。
だからまあ、これを喜んで買う人はものすごく少数だとは思うんだけどね。

小川国男さんの随筆集があり、パラパラと読んでいたら、
学生時代に色画用紙で作ったしおりが挟んであった。
どこへやったのかと思っていたら、こんなところで眠っていたのかい!と、
感慨深くながめる。
確か、修学旅行か何かで関東方面に行ったとき、箱根の寄木細工を実際に目にして、
「何か無駄に手先を使うようなものを作りたい」
と衝動にかられ、作ってしまったのものだと思う。
赤と黄色の色画用紙を組み合わせて、織り込んである。
二十代の前半くらいまではしおりとして活用していたのだけど、その後行方不明になった。
三十年以上前のものなので、黄色い画用紙に赤い画用紙の色が移っている。

パタリロの第40巻。
現在100巻近くまで続いている有名な漫画だけど、僕はこの40巻が大好きで、
これだけ別にしてあった。
別にしてあったためにしばらく行方不明になってしまうというのは、、
まあ割とよくあることだよね。本棚の裏に落ちていた。
この40巻はパタリロの中でも異色作で、基本的にパタリロは出てこない。
「出てこない」という設定になっている。
実際は国王パタリロが単調な生活に飽きて、変装して日本で発明三昧のバカンスを過ごす、
という内容である。だからシバイタロカ博士は出てくるけど、パタリロは出てこない。
僕がなんでこの巻が好きかというと、パタリロなのにこれ、ラブコメなのである。
気の弱い高校生と、世話焼きの幼馴染、クラスのマドンナ、かわいい妹と、
ラブコメの要素がこれでもかとぶち込まれている。
「魔夜峰央がラブコメを描くとこうなります」
という実験を、先生本人がオチャラケてやってしまった!という作品なのである。
しかも、ラブコメとしての完成度もかなり高い。一巻のなかで綺麗にまとまっている。
なんなら前後関係なく、この巻だけ買っていただいても問題はない。
パタリロがマリネラの国王で、英国情報部にバンコランというスパイの知り合いがいて、
そのバンコランが視線だけで美少年を落とす「美少年キラー」だとわかっていれば、
十分に楽しめる。
最近「飛んで埼玉」が話題になってその才能がますます注目されている魔夜先生だけど、
これも同じくらい……いや、正直に言ってしまえばそれ以上に楽しい作品だと思う。

そういえば最近、今やってる旅打ち漫画でタイラさんのお母様を描くとき、
担当さんに「顔に母と文字を書くと魔夜峰央っぽい」と話題にしたのだけど、
その出典はこの40巻である。何がそんなに魔夜峰央っぽいのかというのは、
読んでいただければわかる。あのネタは至高である。

魔夜先生というと、中学の頃クラスメートの水野君に「面白いよ」と紹介されているから、
もう40年くらい読み続けていることになる。初期パタリロとラシャーヌは、
読んでいて床の上を転がりまわるくらい笑った。こんなに面白いものがあるのかと、
目から鱗が落ちて背中で割ってしまうくらい、転がりまくった。
中学生になって一時期漫画から離れて小説ばかり読んでいたのだけど、
再び漫画の世界に嵌るようになったのは魔夜先生の責任である。
それと「ガラスの仮面」……どちらもいまだに完結していないというのは、
さすがに中学生の自分には思いもよらないことだったのだな。

他にもいろいろな本が再発見され、再び読書欲が目覚めている自分なのだけど、
そうなるとまた部屋に籠りきりになってしまいそうで、健康には良くないなと、
考えてみたりもするのだな。

2018年6月10日 (日)

ぺぺんぺんぺん

 1

またもや絵について語るわけだけど、
いいかげんうざいと思うので、興味のある方だけ読んでくださいませ。

ルネッサンス期に「絵と彫刻はどちらが上か」という論争があったらしい。

そんなのどうだっていいような話なんだけど、
美術に造詣の深い方々が頭を突き合わせてさんざん議論した結果、
「絵の方が上である」
という結論に達した。

彫刻家が聞いたら怒り出しそうな話なんだけど、
「彫刻は3Dを3Dに移し替えるだけだが、絵は3Dを2Dにしている」
というのがその理由らしい。
作業工程が一つ多いのだから、絵の方がより高度な芸術だと判断されたのだ。

本当にまあ、絵に興味のない人にはまったくどうでもいい話なんだけど、
この話が正しいのかどうかはともかく、絵がどうやって生まれたのか、
そのヒントみたいなものは、このルネッサンス期の挿話から読み取れる。
少なくともルネッサンス期のイタリア人にとって、絵画は彫刻の進化系だったのだ。
ミケランジェロのような彫刻家が、彫刻の技法を二次元に持ち込むことで、
絵画はより写実的になった。
持ち運び可能なペッタンコの彫刻として、絵画は誕生したのだと思う。

ペッタンコの彫刻というと「レリーフ」が頭に思い浮かぶ。
有名なのだと金貨や銅貨の盤面に皇帝の横顔を彫像したもの。
キリストが「カエサルのものはカエサルに!」と言ったあれである。
二千年前のローマのコインには皇帝の顔が浮かび上がっていた。

インド文明やエジプト、ギリシャローマ文明では、壁面にレリーフを施すことが多い。
僕は子供のころ、レリーフの中途半端な立体感がものすごく気持ち悪くて、
なんであんなことをするのだろうとものすごく不思議だった。
横から見たら顔潰れてるじゃん。

日本にも欄間の彫刻とか、漆喰画で同じように潰れた立体物がある。
日光東照宮の左甚五郎の彫刻は、西洋で言うところのレリーフである。
見ざる聞かざる言わざるのお猿さんは、横から見ると潰れている。

ああいう中途半端な立体物というのは、絵画が写実的になるための前段階で、
あれをさらにペッタンコにしたのが、ルネッサンスの絵画なんじゃないかなと、
僕はこの頃考えているのだ。

……何が言いたいんだお前は!と怒られそうだけど、
彫刻の進化系が絵なんだという考え方は、僕には今までなかったものなのだな。
不勉強なだけなんだけど。

彫刻家がペッタンコの彫刻を作ろうとして、それがとことんまでペッタンコになれば、
紙とかキャンバスに線を引いたり、絵の具で色を塗るようになる。
彫刻刀では絵は描けない。
そこで彫刻刀を筆やペンに持ちかえるわけだが、やることは基本的に同じである。
立体物を紙の上に思い浮かべ、形を抉り出す。
彫刻と違って見る者の視点は限られてくるので、「パース」という概念が生まれてくる。
透視画法の理論が確立される。

ルネッサンス以後、絵画というのは星の数ほど描かれてきたので、
それがどれだけ画期的なことだったのか、21世紀の僕たちにはわかりづらいのだけど、
「紙の上に立体物がある」という絵画の技法は、
それは人類史上における、ものすごい発明だったんじゃないかと思うのだな。

 2

日本人にはそこのところがちょっとわかりづらいのかもしれない。

西洋の漫画やアニメ作品を見ていると、日本とのあまりの違いに驚かされる。
一番大きな違いは、西洋人がキャラクターを立体的に描写するのに対して、
日本人は、キャラクターを線で認識するという点である。
最近は慣れたけど、トイストーリーなんかの立体的なCGアニメーションが苦手だった。
アニメは線で動かして欲しいと切実に願った。

このへん、線で絵を認識する日本人と、立体としてとらえようとする西洋人の、
絵に対する嗜好の差がはっきり出ている。
あんまり突っ込んで考えると、漢字を使う東洋人とアルファベットの西洋人とか、
いろんな要素が入り組んでいて、よくわからなくなってくるのだけど、
日本人は漢字の延長線上で記号としての絵を認識するのに対して、
西洋人はあくまで彫刻の延長線上に絵を考えているというのは、あるのかもしれない。

実際、僕は漫画の絵を記号として考えていたので、
下書きにペン入れするときにえらい難儀をした。
いっそ筆で描いた方が楽なんじゃないかとも考え、実践しようとしたこともある。
僕は筆で文字を書くやり方でもって、下書きにペン入れしようとしていたのだな。

でも、そこが割と落とし穴だったのだ。
漫画の絵が今日のように完成されるまでの歴史を考えてみると、
明治期に美術大学で西洋絵画を学んだ人たちが基礎的なやり方を作っていたりする。
一番有名なのは岡本太郎のお父さん……でいいんだよな……の岡本一平氏で、
美大で絵を学んだ人が漫画家として大成し、インクとペンの技法を持ち込んでいる。

そのやり方は当然「彫刻の技法」の進化系であって、
下書きにペン入れするというのは、彫刻刀で立体を抉り出すのと、ほとんど同義なのだ。
線を引くのではない。線で立体を抉り出すのである。

下書きをして、その線を「清書」するのではなく、
下書きでおおよその形を把握して、刃物であるペンで立体を彫塑するのである。

僕にとって下書きは消しゴムで修正可能なペンのラインに他ならなかった。
特に三十代前半までは立体に対する認識なんてほとんどなかった。
だから、目を描いても目の形を線でなぞっているだけで、
上瞼のラインと下瞼のラインがまったく同じ線になってしまうため、
下瞼のラインは省略せざるを得なくなったりした。
(漫画絵で下瞼のラインを省略する作家が多いのはそのせい。鼻の穴も同じ理屈)
出版社で編集さんに
「下の瞼のラインもちゃんと入れてください」
とアドバイスされ、入れたら絵が大混乱!なんてことも起こったりした。

上瞼のラインは下から抉り出すラインだし、下瞼のラインは、上から抉り出すラインだ。
  →→
 / ◎ \  ←目
  ←←
彫刻家ならば当然彫刻刀の角度を変えるところだけど、発想が書道だと、
口の文字の書き順で横棒を引いてしまう。

ことほど左様に、ペン入れというのは彫刻家の技法が多く用いられている、
と僕は思う。

「手癖でペン入れするとおかしな絵になる」
「立体を頭の中でイメージしながら、下書きをペンで彫塑しなくては」
と、このことにようやく思い至ったのが、漫画家生活十五年目くらいだったりする。
なんつーか、もうね、独学で絵を勉強すると、いちいち遠回りをする羽目になるのだな。

えらく読みにくい文章だと思うけど、実は自分の絵について愚痴ってるだけなので、
あんまり得るところはないかもしれない。
でも、発想の転換はどこかで必要になるんだ、みたいなことは、
わかっていただけるんじゃないか、わかってもらえるとうれしいな、
とまあ、そういうお話なのでした。

2018年6月 5日 (火)

あじさい

五月が終わり六月になって、紫陽花のガクも大きく膨らみ始めている。
もうすぐ紫がかった赤っぽい色がついて、雨に鮮やかに映え渡るようになる。

アジサイを「紫陽花」と書くのは日本だけらしい。中国ではそうは書かない。
「斗球花」とか「八仙花」の文字を使う。
……慣れもあるんだろうけど、「紫陽花」の表記は秀逸だなと個人的には思う。

日本人はすごいな、偉いなと右曲がりに喜んでみるけど、
実はこれは平安時代の日本の学者の早とちりが原因らしい。
白居易の漢詩にあったのを、アジサイのことだと勘違いしたのだ。
実際はライラックのことではないかと言われている。

今さらそんなことを言われても「紫陽花」で刷り込まれたイメージは取り消せないので、
日本人は千年この方、この漢字を使い続けている。
いいじゃん、紫陽花。もうこの漢字を見るだけで雨の中に咲きほこる花が見えてしまう。

人生はたいてい思い込みと勘違いで作り上げられてしまう。

またしても本棚の話だけど、一つの本棚を丸まる開放して、
そこに「ガンダムA」をぶち込んだのだ。

なんのこっちゃ。

2001年ごろに機動戦士ガンダムをコミカライズしようという動きがあり、
最初は講談社に話を持ち込んで、のちに角川がこれをメインにした雑誌を発行した。
題して「機動戦士ガンダム ジ・オリジン」である。
漫画執筆をアニメーターでもある安彦良和先生が担当されると聞いて、
僕は狂喜乱舞した。ガンダムのキャラデザで作画監督の安彦先生が漫画を描くのだから、
これはもう、ほんまもんのガンダムである。
雑誌は六年間、毎月発行されるとのこと。これはもう、買うしかない。
買って安彦先生の神がかった描線をじっくり堪能しようと心に誓った。

安彦先生の名前は物心ついた頃から認識していた。
勇者ライディーンとか、ろぼっ子ビートンとか、洗練されたキャラデザに魅せられた。
千代田橋のユニーに映画の宣伝でやってくると聞けば、小躍りして出向いたりした。
クラッシャージョウはミネルバのプラモデルを作っちまうくらい、のめり込んだ。
あんな風にスラスラ絵が描けるようになりたいな、神様だなと思ってた。

その熱狂が去り、懐かしく思い出すようになるのが三十代になってからで、
その時期にこの企画を立ち上げるというのは絶妙だし、ずるいと思う。
僕は毎月買ってきた「ガンダムA」を堪能し、安彦絵に酔いしれ、
その分厚い雑誌の処分に窮した。
捨てられないのだ、「ガンダムA」。

安彦先生の絵を資源ごみとして廃棄することがなぜできるだろうか。

幸い、うちにはかなり広大な収納スペースがあったので、
雑誌はそこに押し込まれることになる。なに、たったの六年だ。
余裕で収納できるはずだ。番外編でも始めない限り、余裕のよっちゃん♪

シャア・セイラ編始動!(笑)

幼いシャアとセイラ、キャズバルとアルテイシアのお話は、そりゃ見たいさ。
ランバラルとハモンさんの馴れ初めも、おお、こうであったかと楽しませていただいた。
でも一年戦争開戦まで続くこの番外編が、雑誌の量をどんどん増大させていく。
仕事場のあちこち、ソファーの上から机の下まで、雑誌がどんどんたまっていく。

連載は結局、十年間続いた。

押し入れやらあちこちに乱雑に積み上げられたジ・オリジンは、もちろん順不同であり、
たまに手に取ると、ジャブローでズゴックが暴れていたり、
別の雑誌では「マチルダさぁあああん!」とアムロが絶叫していたりする。
最初からちゃんと読みたいと思っても、創刊号がどこにあるのかわからない。
いっそ単行本を買って雑誌を捨てるか?とも考えたけど、
アムロのパンツの柄が変更される前の雑誌版は、貴重と言えば貴重なのだ。
(ミライさんの服の柄と被ったとか、そんな理由で変更されたはず)

で、ゴールデンウイークから進行していた本棚大整理作戦の終盤メインとして、
本棚一個丸まるガンダムAを並べることにした。

そのために不要な雑誌やら旅行ガイドブックを大量に破棄。
狭い我が家の本の占有率を無理やり引き下げる。
ゼクシイとか、なんでいまだに取ってあるんじゃい!と苦笑しながら、
まとめてポイする。たぶん本棚一つ分くらいはスペースが空いたはず。

かくして、すべての雑誌を順番通り並べ切ったのであった。

ずらっと並んだガンダムAを見ながら、僕は思うのだ。
おまえ、本当にそこまでガンダムが好きなのか?と。
単なる思い込みなんじゃないか、と。

ふと記憶がよみがえる。中学生の頃ガンダムの再放送を見ていて、
それはシャリアブルの回だったのだけど、
亡き父が後ろから覗き込んで、
「それ、何が面白いんだ」
と真顔で聞いてきたのだ。

いや、シャリアブルの回はニュータイプの話の説明回みたいなものだし、
安彦先生は過労で倒れて入院中だから、作画もけっこういいかげんで……と、
中学生の自分は必死に言い訳しようとしたけど、まあ、
面白いかと言われれば、けっこう微妙な回なんだよな。ひたすら宇宙空間だったし。

しかし父よ!今やお台場にUCがそびえ立ち、日本人でこれを知らない人はいない。
「これはとてもいいもの」なのだ!(塩沢兼人の声で)

そこでようやく最初の話に戻るのだけど、
人生はたいてい思い込みや勘違いで成り立っている。
アジサイは紫陽花であると千年以上誤表記され続ける。

でもそれが人生なのだと開き直りつつ、
僕は「ガンオタの女」を掲載順に読み進めるわけなのだな。


2018年5月31日 (木)

本棚

三十年くらい買い続けていた雑誌があって、大半がストックしてあるんだけど、
それを二十一世紀に入ってからの分だけでも本棚に収納しようと思い、
本棚の本を移動させたり、不要なものを処分したりと、
今週はそんな感じでのんびり過ごしている。もちろん仕事はしてますけど。

仕事場に二つの本棚があるんだけど、その下から二段目の段を空にして、
横160センチくらいずらーーーっと雑誌を並べてみた。
壮観。
しばし達成感に酔いしれる。

入らなかった雑誌も同じぐらいの量放置されているんだけど、
これはどうしたものか。パラパラめくってみる。
お、鉄道写真家の広田尚敬先生が奥様と連載をしていらっしゃるではないか。
広田先生の奥様はハーブの研究家なのだった。
植物について書かれた文章に先生が写真をつけておられる。
夫婦でこんなお仕事もなされていたのか。
もう一度ちゃんと読み返さなくては。

僕が読んだ回はニラについて書かれたものだった。
ニラというと餃子とか最近になって使われるようになった野菜のイメージがあるけど、
実は違う、大昔から日本にはニラがあった。滋養のある薬草だった、
みたいなお話。なるほどなぁ、確かに古い日本のニラ料理って、なんかイメージできない。
どうしても、餃子とかニラレバ炒めが頭に浮かんでくる。

なんだかニラが食べたくなってきた。

本棚の整理というのは五月に入ってから断続的にやっている。
ゴールデンウイークはひたすら本に雑巾をかけていた。
僕は煙草を吸う人なので、本の背表紙のあたりが茶色くなっているのだな。

高価な本はカバーに特殊なコーティングがされているので、たいてい一拭きでとれる。
文庫だと取れないものも出てくる。
でも中公新書と中公文庫は一発で取れた。
なんて読者思いの出版社なのだろうと、改めて感心したのだった。

まあ、茶色く変色してしまうのも味っちゃ味なんだけどね。
川端康成の雪国なんか、新潮文庫のを十代の頃に買っているんだけど、
さすがに八十年代だとまだフォントが小さめで、紙質も酸性紙で茶色くなっている。
煙草に燻されて妙な風格が出ている。
でも昨年読み直した時は案外気にならなかった。むしろこういう昔の小説だと、
新しくて現代的なフォントや紙質の方が違和感がある。

煙草の煙に燻された本も、自分と一緒に数十年を過ごしてきた証であるし、
そう考えると、ただの汚れとは思えず、愛着は増していく。
それに新しい本よりも、古い本を本棚に並べてみた方が、
部屋の景観は落ち着くし、居心地は良くなるのだな。

ふと、目の前の景観が昭和の本屋の中みたいだなと考える。
小売りの本屋は近所から完全に消えてしまったので、
もう身近だと自分の部屋でぐらくしか、こういう感覚は味わえない。
なんだか本屋の親父になったような気分だ。
万引きもないし、立ち読みする人もいない。というかお客がいない。
そういう本屋で漫画を描きながらのんびり時間を過ごしていくというのは、
ある意味で僕の理想の人生なんだろうなぁ。

2018年5月25日 (金)

机は画材なのだ!


クイーンのロジャー・テイラーだったかな、
ドラムをセッティングするとときにものすごく微妙な位置調整をやっていて、
その姿を見たギターのブライアン・メイが、
「わ。なんか、ものすごいプロっぽいのが来た」
と感動したって話があった。
デビュー前のドラマーのオーディションの話だと思う。

ギターは座るにしても立って演奏するにしても、あんまり位置の微調整はなさそうだ。
でも職種によっては、椅子の位置とか机の角度とか、めちゃくちゃこだわるものはある。

僕はいちおう漫画家なんてやってるんだけど、
机の位置や椅子にはそれなりにこだわっている。
実は今月に入ってから机を取り換えて、一日がかりで微調整をやっているのだけど、
これが奇跡的に、ベストな調整が出来てしまって、
タイラさん旅打ちの五回目はそれで描いた。

問題は、ノートパソコンのタッチタイプが出来なくなってしまったことである。
何が違うんだか、肩が凝って集中力が続かない。
かといって絵を描く方は何の問題もないので、今さらパソコン用にいじることは出来ない。
それで今床に仰向けになって、立膝をして、そこにパソコンを置いて打ち込んでいる。
いろいろ試した結果、暫定的だけど、これが一番文章を書きやすい。
モニターが遠いので変換の文字がよく見えんけど。

話を絵の方に戻すけど、絵を描くときは割と全身を使って描いていたりする。
みなさんにしても、文字を書く場合、けっこう全身の筋肉を使って書いてると思う。
その力は滅茶苦茶すごい。昔、数年間お世話になったアシスタントさんがいたのだけど、
その人は椅子の上で胡坐をかくタイプの人で、絵を描くときに足を踏ん張るせいか、
見事に椅子に二つの穴が開いてしまっていた。

そういう全身の力を机の上の紙の一点に集中するわけだから、
当然机や椅子の微妙な調整が必要になってくる。
大砲をぶちかますために砲身の土台固めが重要なのと同じことだ。

漫画家さんでも、アーロンチェアだったかな、十万円くらいする椅子を使う人が多い。
昔、アシスタント先の先生も使ってたな。
この先生のところにはいろんな種類の椅子があって、さんざん試行錯誤したんだろうなと、
妙なところで感心させられてしまった。
まあ、僕は正座の一歩手前みたいな変な姿勢をさせられる椅子をあてがわれて、
ちょっと迷惑だったけど。
あれも先生が絵を描くために試したものであるのは間違いない。

つまるところ、椅子に座って、鉛筆も持って、
一番きれいな丸を描けるポジションに机の天板があること、
それがもっとも重要なのではないかと考える。
どのカーブにも均等に力が振り分けられて、コンパスのようにきれいな円が描ける姿勢、
それを長時間維持できること。

画家がイーゼルを使って画版を縦に固定させるのは、
それが一番円を描きやすいからだと思う。
漫画家さんでもそうやって描いている人がいる。
実はアシスタント先の先生のところにもそのための机があったのだけど、
あの先生は結局机の上で水平に絵を描いていたなぁ。
人それぞれで、いろんな描き方があり、みなさん苦労してベストな姿勢を探しているのだ。

ここでふと閃いた。
浮世絵師の葛飾北斎は、生涯に何十回も引っ越ししまくった引っ越し魔だったのだけど、
あれって、絵を描くための絶好のポジションを探していただけかもしれない。
なんせ、絵にこだわりまくった画狂老人卍先生なわけだから、
「柱の位置が気に入らねぇ」とか、
「天井が低すぎて絵がゆがむ」
くらいのことは言い出しかねない。
江戸時代の北斎にとって、家そのものが机や椅子に相当したってことは、
割とありそうだなと思う。

「なにを神経質な」と笑われるかもしれないけど、
それくらい、絵を描く人間にとって、机と椅子は重要な「画材」だったりするのだな。

2018年5月12日 (土)

チュッパチャプス


人間を長くやっていると、いろいろな「コツ」が身についていたりする。

うどんを茹でるときに「びっくり水」をいれるとか、
ポテトサラダのジャガイモは砂糖を加えて茹でるとか、
人間関係でも、否定的な言い回しはなるべく使わないとか、
知識として本で読んだり、長年の経験から習得した技術もある。

絵を描くときにもいろいろな「コツ」がある。
顔を描くとき「十字線」を入れる、みたいなのは割と有名なんじゃないかな。
僕は入れないけど、丸を描いて、十字線を入れると、なんとなく顔っぽくなる。
このとき横線より下に目を入れると、子供っぽい顔になり、
上に入れると大人の顔になる。

絵を描く人はたいてい頭を丸として認識している。
丸に首が生え、胴体とつながっているというのが、人体の基本認識である。
だからまあ、絵を描き始めた十代の頃なんかは、
一生懸命「頭」ばかりを描いているのだな。顔を描くのは上手だけど、
体を描かせるとおかしなことになるという人も結構多い。
僕の身近にも何人かそういう人がいた。

顔から体が生え、手足が生えているから、遠くの部位になるほどデッサンは崩れる。
そこでいろいろ絵の模索がはじまるのだけど、
逆転の発想で「胴体から頭が生えていると考えた方が絵が描きやすいんじゃないか」
とはなかなかならない。冷静に考えれば当たり前のことなんだけど、
「頭→首→胴体」というのは描きたい部位の優先順位みたいなものだから、
どうしてもそうなってしまう。

少なくとも、絵を描きだすときに首のだいたいの位置は決めておいた方がいい、
というのがこの頃の僕のやり方で、二本の縦線を引いてから、
頭のだいたいのラインを引いて、それから目鼻を描くようにしている。
イメージとしては、チュッパチャプスを描いて、その棒を握りながら、顔を描く、
みたいな感じである。

このやり方にしてから、いろいろな発見があった。
顔の左右のバランスはこのやり方の方が圧倒的にとりやすい。
左右の目のバランスが狂うと、変な表情になってしまうのだけど、そこはなんとか解決。
あと、あごの描き方が劇的に変わる。
頭を丸として認識すると、あごは球体の下半分って考え方だから、
どうしても頭頂部の影響を受けて丸っこくなってしまう。
でも首の位置を先に決めてしまうと、あごは体から生えている一つの独立した部位になる。
頭の部品というよりは、首とか胴体の側の部品なのだと思う。

と、これがここ一か月くらいの僕の絵を描くときの「コツ」だったりする。
絵を描かない人には本当にどうでもいい話なんだろうけど、
「人間の顔は球体として認識するよりも、チュッパチャプスと考えた方が描きやすい」
というのは、僕には割と「大発見」だったりするのだな。

ところでチュッパチャプスとは何か。
僕が子供のころ、お隣が煙草屋さんで、菓子パンとかお菓子も売っていたのだけど、
ある日、スタンドに大量の飴玉が突き刺さった謎の物体が出現した。
棒に飴玉がくっついているのが大量に密集して、ハチの巣のようだった
「おばちゃん、これ頂戴」
と一つ買って食べてみたのだけど、それが僕とチュッパチャプスの出会いだった。
たぶん七十年代の後半ごろだと思う。

元々はスペインのお菓子で、あちらは第二次世界大戦前からフランコ政権が続いており、
長い間独裁国家だったのだけど、フランコ自身はかなり良識ある独裁者だったようで、
「自分が死んだら王政復古が望ましい」と、およそ独裁者らしからぬことを考え、
その通りに実行した。1975年にスペインは立憲君主制の国家となった。

以後、スペインの商品が世界中で展開されることになるのだけど、
僕が煙草屋さんで出会った「チュッパチャプス」もその一つで、
このキャンディはCMでの宣伝効果もあり、今に生き残る定番商品となっていく。

僕は「チュッパチャプス」というと、
あのハチの巣のようなスタンドディスプレイを思い出して、
「外国からきたオシャレなキャンディ」とイメージするのである。

そう言えばもう長いこと食べてないな。
大きな飴玉は口に入れると邪魔だけど、棒をつければ食べやすくなる。
飽きたら一度口から取り出すことも出来る。
昔はそういうお菓子がいっぱいあったような気がするけど、
一度口にしたものを取り出すのが汚いせいなのか、見かけなくなった。
棒付きの飴というと、鳴門巻きみたいなのがあったけど、
あれもまったく見かけなくなった。

チュッパチャップスは近所のスーパーで売ってるので、
今度買ってみようかしらん。


«セピア色