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2017年10月14日 (土)

浮世絵の終焉

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歌川国芳の有名な浮世絵、「相馬の古内裏」。骸骨のインパクトがすごい。

江戸時代に一大ブームとなった浮世絵は、歌麿、写楽、北斎ときて、
幕末に広重、国芳へとバトンタッチされる。
北斎も大好きだった(と思う)ベルリンのブルー、いわゆるベロ藍は、
広重の「東海道五十三次」「名所江戸百景」なんかでも効果的に使われ、
海外では「ヒロシゲブルー」なんて言われているらしい。
元はヨーロッパからの輸入品だけど、これを用いて画面に広がりを表現したって意味では、
「ヒロシゲブルー」はまんざら間違っていない。

この「空間の広がり」というのは、浮世絵風景画の醍醐味ではないかと思う。
見ているだけで、画面の向こう側に世界の広がりが感じられる。
こういうものを発明したのはいったい誰だろうと思うけれど、
やっぱり、北斎の「富岳三十六景」なのかな。
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北斎は、デッサン力もバケモノめいてすごいけど、構成力もすごい。
「凱風快晴」とか、富士山と空と、下の方に木をちょんちょんと描いて終わりなのに、
なんなんだあの富士の威圧感は!と素直に驚く。
一方で「神奈川沖浪裏」がある。波がドヒャーと襲い掛かってくる。
富士は画面の下の方にちょこんと描かれているだけだが、
巨大な富士があそこにちょこんと鎮座しておられるがために、
波はいよいよ高く、重々しくのしかかってくる。
「化け物」
と目一杯の敬意をこめて呼ばせていただく。

その北斎から遅れること二年くらいで、広重の「東海道五十三次」の刊行が始まる。
北斎が七十を超えた化け物ジジイなのに対して、広重は三十ちょいの若造である。
でもこの人の構成力も凄まじい。画面にものすごい奥行きがある。
そんで、北斎には申し訳ないのだけど、色の使い方と抒情性みたいなもの、
絵の品格の部分では広重の方が圧勝しているのではないかと思う。
北斎は「すげー」と唸らされるけど、広重は「いい絵だな」と浸れるのである。

画面の構成力、奥行きみたいなものを感じさせる能力というのは、求めても得難い。
北斎の画帳なんかを見ると、この人は透視画法についての知識もあったようだけど、
いわゆる一点透視画法、消失点が一つのオーソドックスな遠近法は取り入れていない。
二つあったりする。だから日本橋を描いても両岸の街並みが一点に収束しない。
そんな科学的な屁理屈よりも、自分の目で見たときの印象の方を優先させている。
だから、絵がどんどんダイナミックなことになって、画面の向こうで怪物が高笑いする。
くわばらくわばら。

広重の有名な日本橋の絵だって、消失点を探せばえらいことになる。
一応、透視画法への配慮みたいなものはあるのだけど、基本、見た時の印象が勝ってる。
執拗に繰り返される垂直のライン、物見やぐらや行列の毛槍馬印、橋の欄干、門の板目、
こういった強烈な線の上昇感覚は、厳密な透視画法だと相殺されてしまうものだ。
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透視画法なんてものには頼らず、見たときの印象を咀嚼し、頭の中や画帳の上で再構成し、
絵として完成させる。それで絵に奥行きと抒情性が生まれるというのは、
もうこれは並外れた感性のなせる技だとしか言いようがない。
うらやましい。僕もそんな感性のひとかけらくらいは持って生まれたかった。

でもまあ、そんなに悲観したもんでもないのかもしれない。
北斎が富岳三十六景を描き始めたは七十を超えたあたりからだし、
広重にしても、北斎の前例があったからそれを参考にした部分はあっただろう。
まあ、前例があったからってすぐに吸収してしまえる才能というのも恐ろしいけど。

広重とほぼ同じ時期に活躍していた歌川国芳になると、空間認識はそこまですごくない。
いや、この人も晩年には忠臣蔵のシリーズなんかで透視画法を使っているけど、
教科書どおりの生真面目な遠近法なので、絵というよりは挿絵のような感じがしてしまう。
透視画法の味気なさをものの見事に表現してしまっている。
実際、このシリーズは売れなかったとウイキペディアにも書いてある。

この人はむしろ、画題とか人物の感情表現で突き抜けたものがある。
特に人物の内面表現となれば、これは北斎にも広重にも欠けている才能だ。
ある意味、写楽・歌麿の正当な後継者なんだと思う。
大石内蔵助(大星由良助だけど)の頼れる部長さんみたいな一枚絵とか、
時代を突き抜けて現代的な内蔵助像だと思う。売れなかったけど。
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女を描かせたら歌麿は天下随一だけれど、男を描いて凄みをかんじさせるとなると、
写楽、豊国、国芳あたりがすごいような気がする。
本当のところ、こっちが浮世絵の本流で、北斎、広重が突然変異的化け物なんだよな。

国芳は「武者絵」という武人の絵で一時代を築いた。
時代も幕末になるとそういうヒーローアクションものがもてはやされるようになる。
なのに、国芳というと例の髑髏絵はいいとして、
「向島にスカイツリーを描いた江戸時代の予言者」
みたいな取り上げ方ばかりされてしまうのはいかがなものか。
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で、この国芳さんが明治維新を待たずに亡くなってしまい、いよいよ浮世絵は衰退する。
なんせ時代が江戸から明治なろうというのだから、
文明開化のご時世に「透視画法もろくに習得していない」江戸時代の絵なんて時代遅れだ。
西洋へ輸出する茶碗の包装紙にしてしまえ、みたいになっていく。

でもそんな流れに抵抗する時代錯誤の男というのは必ずいるもので、
国芳の弟子の月岡芳年がその最後の浮世絵師ということになっている。
ずいぶん粋な男前だったと証言が残っている。残っている肖像を見ても、
河鍋暁斎の魁偉な面相に比べればなかなかの好男子だ。

この人は師匠歌川国芳の「武者絵」を継承する浮世絵師だ。
11歳だかで入門して、15歳でデビューしている。
23歳のとき江戸城の無血開城があって、上野の山に彰義隊が立てこもるや、
そこへ出かけて行って血しぶき舞う戦場を実検したらしい。
(ごめん、三十歳だった)
師匠の国芳にはできなかった本物の侍の戦を見るという体験をしているのだ。
「これで本物の武者絵を描くことが出来る」
ってんで、描いた作品が「魁題百撰相」。
侍が血を流して断末魔の目で睨みつける、俗にいう残酷絵というやつである。
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時代が殺伐としてくるとエログロが流行する傾向があるけれど、
当時の人たちには結構ショッキングな絵だったに違いない。
「上野のお山ではみんなこんな風に戦って死んでいったんだな」と、
戦場写真のような需要もあっただろう。芳年さんは浮世絵界の若きエースとなる。

でも、くどいようだけど、浮世絵は時代遅れの過去の遺物になりつつあった。
芳年さんも「このままじゃジリ貧だ」ってんで、いろいろ改革を始める。
まず、西洋画法を取り入れる。透視画法ばんばん、絵は洗練され、エッチング風になる。
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僕は実はこの時期の芳年さんの絵が好きなのだけど、
「これが浮世絵か」
と聞かれると、ちょっと困る。
単純に絵として考えると、デッサン力はすごいし、画面構成も見事、
何より色彩感覚が上品で絵に無類の格調がある。
すごい人なんだってのはもう間違いがない。
でも、これはもう浮世絵ではない別の何かだ。

そんなことは芳年さんにはわかりすぎるほどわかっていた。
だからこういう絵を模索しつつも、同時に江戸情緒丸出しの浮世絵も描きつないでいる。
たぶん、自分を最後に浮世絵は滅びるのだろう、でも、
だからと言って簡単に見捨てられるものか、滅びるなら滅びるで、有終の美を飾ってやる。
華々しく終わらせてやる。

で、この人は華々しく最後の浮世絵師の役割を全うしたのであった。
「月百姿」は北斎の富士に対して、月を主題とした連作なのだけど、
歌麿・写楽ー豊国ー国芳ときた人物の内面を描く流れと、
北斎・広重の画面構成と風景の抒情性がここで一つに合流している。
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江戸から続いた浮世絵版画の彫り師と摺師の技の冴えも、ここで絶頂となる。
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以後、芳年さんはお弟子さんたちに、
「浮世絵以外の技法を勉強して、そちら方面で活路を見出してくれ」
とアドバイスし、実際、お弟子さんたちは新聞の挿絵とか、浮世絵以外の方向に流れる。
厳密に弟子ではないけれど、伊東深水とか、鏑木清方もこの流れになるらしい。

で、本当にどうでもいい話かもしれないけど、
芳年さんが最晩年に浮世絵で描いた連作「風俗参十二相」の「かゆさう」という絵が、
僕はけっこう好きだったりする。蚊帳の中から女の子が身を乗り出してる。
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芸術性の高い西洋風の絵を模索しつつ、しっかり江戸浮世絵を継承し、
最高のおっぱいをも描写するその筆力。右手の指とか、本当はもっとちゃんと描けるのに、
あえて江戸時代の線の色気を優先させる。こういう味は、西洋画法じゃ出せない。

まったく、なんで浮世絵は滅びなきゃならないんだと、芳年さんは大いに不満だったはず。

このおっぱいを描いたのが明治21年で、芳年さんは五十歳。僕とほぼ同年齢。
その四年後の明治25年に芳年さんはお亡くなりになる。若い、若すぎる……
北斎とかこの年齢で死んでたら代表作がほとんど残せなくなってしまう。

こうして浮世絵は芳年さんの死とともに終わったと、そういうことになっている。
でも、浮世絵は終わったけど、その流れはまだ続いている。
現代の漫画とか、間違いなくこの流れにあると僕は考えるんだけど、
どんなもんなんですかねぇ?

2017年10月10日 (火)

先人の汗

いつもはノートパソコンで文章を打っているんだけど、
今回はデスクトップPCの方で書いてます。キーボード使いづらい。
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お絵かきアップ。カメラ目線は難しい。
難しいなら「描かない」という判断が正しいのだけど、
人間というのは不可能に挑戦してみたくなる生き物なので、あえてドツボにはまってみる。
で、無駄に時間を浪費する。

無駄に浪費された時間というのも、当人には案外充実していたりする。困ったもんだ。

若い頃、二十歳ぐらいの時に似顔絵描きのアルバイトをしたことがある。
ひょっとしたら以前にもこのブログで書いてるかもしれないけど、
先輩に誘われて、名駅前のピアノ屋さんでお客さんの顔を描きまくった。
(名古屋人にしか通用しないそうだけど、「めいえき」とは名古屋駅のこと)

ご両親に連れられた幼稚園児から小学生くらいのお嬢様方がわんさか押しかけ、
その似顔絵を先輩と二人で色紙に描いた。
「このお兄さんたちは美大の学生さんなんだよ」
と、お店の人が強烈な嘘八百をかました。美大生がこんな漫画みたいな絵を描くものか。

近くでは写真専門学校の女の子たちが、動物の着ぐるみをかぶって踊っていた。
どうせ描くならあの子達がいいなぁと、ぼんやり考えた。

子供らは、とにかくまっすぐこちらの目を見てくる。
写真を撮られるのと同じ気持ちなのだろう。当然絵はカメラ目線になる。

難しかった?とんでもない。二十歳ぐらいの自分はまだ絵の壁にぶち当たっていないので、
何の障害もなく、下手くそな絵を描きまくっていた。今考えるとゾッとする。
この世界の名古屋圏のあたりに、今でも自分の下手くそな似顔絵があるかもと考えると、
かなり困った感じになる。あれでお金をもらったというのがとにかく申し訳ない。

で、カメラ目線の話。
前回モナリザの話をこのブログに書いて、
それからしばらくレオナルドさんの技法について、あれこれ考えた。
カメラ目線の絵というのは、レオナルドさんのあたりから肖像画の定番になった。
それまでは視線をそらす絵がほとんどだった。なんでか。

カメラ目線の絵というのはものすごく難しいのである。

まして正面を向いてカメラ目線となると、難しさは格段にアップする。
前回紹介した「裸のモナリザ」の素描がレオナルドが描いたものだとすると、
巨匠ダ・ヴィンチもこれに挑戦して、かなり苦心しているのがわかる。
わかるような気がする。わかるんじゃないかなぁ。

顔単体ならばいい。なんとか描けないでもない。
でも絵として背景が入ってきたり、体全体を描写しようとすると、視線が死んでしまう。
日本でも俗に「八方睨み」なんていい方をするけれど、
絵の向こうから生き物の視線を感じる絵というのは、絵の全体の構成が難しくなる。
ちょっとでも変な線を引くと、視線を感じる障害になってしまうのだ。

視線を中心に、強烈な「磁場」が発生していて、そこから絵を描けばデッサンは狂うし、
ぞんざいなデッサンの絵に目だけ強烈なのを入れても、デッサンの歪さが目立ってくる。

だから、レオナルドは考えた。目と手だ。
この二つを正確に描写しさえすれば、視線の強烈な絵の構成が可能になる。
それで、レオナルドさんは「モナリザ」の手にこだわりまくった。
こだわりすぎて、ついに納得が出来ず、右手の人差指を未完成で放り出してしまった。

あの絵の不思議な奥行きと静けさ、均衡が、あの手によってもたらされているというのは、
ダ・ヴィンチさんのものすごい発明だと、素人の僕は主張してみる。
実際、以後の肖像画はこの絵を規範に「モナリザ風の肖像画」になっていくけど、
「モナリザ」ほどの強烈な視線を感じるものは、あんまりない。
あの「手」のような画面の均衡を出せないからじゃないかなと、僕は考える。

……素人は無責任になんでも言いたい放題だから気楽なもんだ。

視線と画面構成について考えるうち、「あれ?」と気がついたことがある。
西洋絵画……てか、僕らが普通に考える絵というのは、遠近法で描かれている。
消失点を決めて、そこからパースラインを引いて絵に数学的な奥行きを作ってる。

漫画でもそう。大友克洋先生が緻密な背景を描くために、壁から糸を引っ張って、
正確なパースラインを引いていた、という業界で有名な伝説もある。
(普通そこまでやらない)

絵を勉強する人はパースについての概念を叩き込まれ、頭のなかにそれを構築する。
普段見ている風景でさえ、無意識に消失点を探し、脳内で絵を描いている。

でも、「透視画法」は絵の一つの技法でしかない。
ルネッサンス期に発達したこの技法は、「そうすれば奥行きのある絵が描けるよ」
というだけの話で、実際に人間の見ている風景がすべて遠近法であるわけじゃない。
実際、遠近法だと絵の端のほうがいびつにゆがむ現象は、同業者ならみんな知ってる。

じゃあ、遠近法じゃない見方というのは、どんなふうだっけ?と考え、
「あれ?」
となったのである。僕の目は視界を一度に認識できるほど優秀じゃない。
視点の先の、ほんの一部分を認識しているばかりだ。周囲はぼやけている。
これを移動させれば、そのたび消失点は変化する。
「ああ、ピカソとかブラックのキュービズムって、これなのかな」と、
ちょっとわかったような気になった。ぜんぜん違うかもしれないけど、
なんか自分のものの見方が透視画法の呪縛にがんじがらめにされているという事実は、
ようやくにして「発見」できたのである。

こういうことに十代のうちに気がついていればと思わんでもないけど、
年を取ってからでも気がついたのはラッキー♪と考えてみたい。

仕事をしていて、漫画の描線についても、「ああ」と考えることが多い。
ペン先にインクをつけて下書きにペン入れをする。その出て来るラインについて、
「ああ、この角度でペン入れするからこういうラインになるのか!」
と、先人の漫画家さんたちがやってきたことが突然理解できたりする。
それこそ、赤塚不二夫さんの線が飛び出してきて「これでいいのだ!」となったりする。

こういうことを十代のうちに……(以下略)

自分の絵が上達したとか、先人の域に達したなんて傲慢なことは考えないけど、
単純に「わかった気がする」ってのが楽しかったりする。
極端にデフォルメされた「漫画みたいな絵」であっても、根っこにおびただしい素描や、
三次元を二次元化するための研究の痕跡を感じたりする。

そんで、そういうものの積み重ねが日本のマンガの絵であり、
自分がそれに乗っかって絵を描いてるってのが、ものすごくありがたいことだと
ようやくにして考えるのだな、この「忘恩の徒」は
それこそ、漫画以前の浮世絵とか、鳥獣戯画のあたりまで遡って、
「その線を見つけてくれてありがとうございます」と、
先人の「汗」に頭をさげずにはいられない。

で、この先はどうなっていくのだろうと、漠然と考える。
線は、デジタル時代になって一度白紙に返った部分がある。
アナログの描線にあった味わいがデジタルで消えていくのは仕方がない。
ひょっとしたら線という概念でさえ、十年後には消えてなくなっているのかもしれない。

三次元を二次元に落とし込むという古来から続いた努力も、3D全盛となれば無意味だ。

でも、どれだけ質感を表現できて、VRで現実そっくりの世界を表現出来たとしても、
根本のところ、作者が目の前の現実をどう絵に落とし込んだかという部分、
それをきっちり表現できているなら、漫画の絵はまだまだ亡びないんじゃないかと、
僕は楽天的に考えてみるのだった。

観念的なお話でごめんなさい。

2017年10月 4日 (水)

創作噺モナリザ

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「絵なんか描いて何が楽しいんですかねぇ」
という素朴な感想を、真正面からぶつけてくる人がいる。
漫画の編集者の方にも、そういうことを言外に匂わせる人がいて、
あんた、それで飯を喰ってるんじゃないかと、ちょっとムッとしたりもした。
若いころの話だ。今なら笑って「本当に、不思議ですよねぇ」と流すところ。

実際、何が楽しんだろうと、楽しんでる自分を冷静に分析したりもする。

絵は、実在する人間なり自然の景観なりを二次元に記録するものでしかない。
それも時代を重ねるごとに絵のために絵を描くような自家中毒に陥ったりもするけれど、
そんな自家中毒者であっても、しまいには絵は目の前の現象を二次元に落とし込むという、
根本の原理に帰っていく。

ルネッサンス期がそうだった。型にはまった宗教画の約束から解き放たれて、
現実のありのままの姿に一度立ち返り、どうすればこれを二次元に表現できるか、
その根本のところから絵画を考え直そうとした。

レオナルド・ダ・ヴィンチなんて人も、天才かどうかは僕は知らないけれど、
その根本から絵画をとらえ直そうとした人だと思う。
はっきりと、それは闘争本能むき出しにした挑戦だったと思う。
山があるから、山に登る。宇宙があるからロケットを打ち上げる。
そして、二次元に三次元を表現する可能性があるから、それを極限まで極めようとする。
それに熱中し、寝食すら忘れて打ち込むというのは、見えている人には当然の挑戦なのだ。

まず、デッサンがある。科学的に人体を分析し、それを二次元に描写する。
次に光、そして光が生み出す色彩の世界。
ある意味武骨な科学の目の世界に、フランドルの幻想性が流れ込み、
光の中に浮かび上がる人物絵画の世界が忽然と広がり始める。

ダ・ヴィンチの絵を描く目標はこの時はっきりとビジョンを結ぶ。
人物画を描こう、まるで本当の人間がそこにいるような、究極の絵画を描き上げよう。

そして、研究の末に到達した結論、視線と手の関係、
手を重ね合わせることで人体は調和し、視線に力が込められる。
まるで本当に見つめているような絵が描けるはず。

だから、ジョコンダ氏から肖像画の依頼があったとき、ダ・ヴィンチはそれを実践した。
リザ・デル・ジョコンダ夫人はジョコンダ氏の第3夫人で、最近娘を亡くしたばかり、
当然、喪服を着用している。これはダ・ヴィンチが考える絵にうってつけだった。

黒衣ならば観る者の目は嫌でも重ねられた手に集中することになる。
絵のからくりが自然に完成する。

その肖像画は、微笑をたたえていなくてはならない。陰鬱な絵は面白くない。
だいたい「ジョコンダ」とはラテン語で幸福を意味する言葉なのだ。
彼女の微笑をこの絵の意匠にしてしまえば、それでジョコンダ家の絵だとわかる。
わかる人にはわかる。
つまり、笑顔以外の余計な情報は一切入れる必要がなくなる。

レオナルドはデッサンを始める。その過程で、もう一枚の絵が着想される。
「裸のモナリザ」である。
こちらの絵は女性が正面を向いている絵になる。上半身はヌードになる。
なぜそんな絵を描かねばならなかったのか。
注文主がその絵を希望したのか?
そんなはずはない。ダ・ヴィンチはもう一枚のモナリザを描く必要があったのだ。
それが何かはダ・ヴィンチにしかわからないけれど、それも絵画の可能性の一つだった。
ぶっちゃけ、エロいモナリザがものすごく描きたくなった、それだけのことだ。

レオナルドは二次元に三次元を表現する可能性を追求した。
なら、VRばりに本物のような裸体だって描けるはずだ。
これぞ究極の絵画だと、男性ならば誰もが同意するはず!

で、どうなったか。
四年がかりで挑戦して、結局完成することが出来なかった。
絵は注文主には渡されず、その後も十年以上、ダ・ヴィンチはこの絵を手元に置き続ける。
何か、この絵を完成させるためには何かあと一歩、足りないような気がする。
あと一歩でこの絵は三次元を超えた究極の二次元になりそうなのに、それがわからない。

裸のモナリザの絵の方は放棄される。弟子のサライに素描をくれてやる。
好きにするがいい。はっきり言おう、おっぱいが邪魔である。
おっぱいがあるために、人物の視線はそのボリュームの分だけ弱くなる。
なんだこのおっぱいは!なんでこんなものがついているのだ!
ダ・ヴィンチは自分が同性愛者であることをしみじみと自覚したのだった。

で、そのうちフランスの国王からの招きに応じて、モナリザとともにフランスへ。
その地でダ・ヴィンチは没する。絵はついに完成しなかった。
(モナリザは右手の人差し指とか、あちこちに未完成部分がある)
絵は弟子に遺贈され、それをフランソワ一世が買い上げた。
後年のフランスの至宝は、こんな理由でルーブル美術館に常設展示されることになる。

このへんの事情はダ・ヴィンチが何も書き残さなかったため、詳細は何もわからない。
ただ、画家であるヴァザーリがその絵が「モナリザ」であることと、
フランス王室に渡ったいきさつを「美術家列伝」に書き残している。
「モナリザ」に関する情報の大部分はこの著作から来ている。

ただ、同時代の証言に、これと微妙に食い違うものも残っていたりする。
「レオナルドはジョコンダ夫人の肖像画と、モナリザの二枚を描いている」という
ロマッツォによる証言だ。モナリザは春のような微笑みをたたえているという。

この発言が後世の美術史家を混乱させた。
本当にもう一枚のモナリザが存在するのか?どっちがルーブルのモナリザなんだ?
かくて、美術史家たちは「裸のモナリザ」を探し続けるのであった。

で、このたび、疑惑の一枚、サライが押し付けられた素描をルーブル美術館が鑑定した。
結果、モナリザと同時期に描かれたレオナルドの作品かもしれないと判定された。
手の形なんかは、まんまモナリザだったりする。同時期の絵となれば、
これはもうレオナルドが描いたものに間違いない。
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でも、僕はこれは失敗作じゃないかと思う。あんまりいい絵だとは思えない。
おっぱいの力に負けないために人物を正面から描くことで視線を強めようとして、
結局おっぱいに負けた、という感じがする。

素描はサライによって油彩画となり、「裸のモナリザ」としてエルミタージュにある。
素描の方はイギリスにあって、こちらが今回ルーブルが鑑定をしたものだ。
長年の疑問に、一つの有力な解答が与えられた、という話なのだけど、
僕はもっとエロいモナリザが見たかったので、ちょっと残念だなと、
しみじみ考えるのであった。

おっぱいが邪魔うんぬんの話は僕のでっち上げです。
モナリザの微笑みがジョコンダ家の意匠を意味してるってのは、
ルーブルの学芸員の方の著作にある推論で、これはかなり説得力があると思う。
このことから、ルーブルのモナリザはジョコンダ夫人の肖像で間違いないと、
僕は思うんだな。

2017年9月27日 (水)

対話篇5-お絵描きー


弟子「今日こそ師匠に絵の描き方を教えてもらおう」
師匠「♪」
弟子「師匠、お仕事中申し訳ありませんが、私に絵の描き方を教えてください」
師匠「フンフンフン♪
弟子「ヘッドホンしてるから聞こえないのかな、ねえ師匠?」

師匠「お絵描きは~楽しいなぁ~」
弟子「師匠!」
師匠「わっ!びっくりした、おどかすんじゃねぇよ」
弟子「絵の描き方を教えてください」

師匠「絵なんて頭に浮かんだものをチョイチョイと紙に描くだけだよ」
弟子「そんな簡単なものじゃないでしょ。何かあるんでしょ?コツみたいなの」
師匠「そりゃあるけど、口で説明するのは難しいよ」
弟子「そこをなんとか」
師匠「だいたい、職人の技術ってのは見て盗むものだ」
弟子「だって、見てもわかんないんだもん」

師匠「この頃の若者は自分でどうにかしようという気骨が足りない」
弟子「身近に描いてる人がいれば聞くのが当然でしょ?、早く教えてください」
師匠「だいたい、僕のアシスタント先の先生だって何も教えてくれなかったよ」
弟子「そうなんですか?」
師匠「描いてるところは絶対見せないようにしてた。だから僕のは全部独学なんだよ」

弟子「独学でいいから教えてください」
師匠「あー」
弟子「是非」
師匠「頭に浮かんだ絵を紙に描きうつす」
弟子「だから、それはもうわかりましたから」

師匠「実はここ数日、ずっと頭の中にイメージがもやもやしてるんだ」
弟子「ほう」
師匠「なんかこう、クルクルってね、らせんの中に女の子がいるの」
弟子「抽象的ですね」
師匠「いろいろ紙に描いてみるんだけど、なんか違うんだよね」

弟子「どんな女の子なんです?」
師匠「かわいい女の子」
弟子「なんじゃそりゃ」
師匠「女の子のかわいさを引き出すからくりがらせんなんだよ」
弟子「はあ、そのらせんてのはいったい何なんです?」

師匠「くるくるっとね」
弟子「はい」
師匠「女の子のまわりを回転してるの」
弟子「全然理解できない」
師匠「らせんの中に女の子がいたら、スゲーかわいいじゃん」
弟子「……その女の子はらせんの中で何をしてるんです?」
師匠「飛んでる」
弟子「はい?」
師匠「こう、膝を折り曲げてね、ふわふわ飛んでるの」
弟子「ああ、うる星やつらのラムちゃんみたいな飛び方ですね」
師匠「それだ」

弟子「あ、師匠が何か絵を描き始めた」
師匠「つまり鬼の娘が飛んでいて、まわりに雷が渦を巻いてると……」
弟子「早いな。もう描けちゃった」
師匠「おかげで具体的なイメージが固まったから、頭の中の映像をなぞったんだ」
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弟子「……ラムちゃんのまんまですね」
師匠「さすがに気が引けたから、つのは一本にしといた」
弟子「トラ皮のビキニまで同じだ」
師匠「いや、それビキニちゃいますねん。体毛ですねん」
弟子「は?」
師匠「胸を隠してるのは胸毛です」
弟子「おいおい」
師匠「パンツの部分はものすごく濃い体毛です」
弟子「それじゃあこの娘は素っ裸じゃないですか」
師匠「オールヌード」
弟子「ダメじゃん」

師匠「頭の中にフィギュアみたいに具体的な形が出来てたから、それをなぞったんだ」
弟子「へえ、なんかすごいですね」
師匠「できる人は十代でできてしまう。才能がないと僕みたいに何十年も苦労する」
弟子「才能……ですか」
師匠「あと運かな。身近に絵が描ける人がいれば、ずいぶん違ったと思うけど」

弟子「やっぱりコツがあるんじゃないですか」
師匠「頭の中のイメージを、撫でまわせるくらいまで明確にするのがコツなんだ」
弟子「……なんかいやらしいですね」
師匠「何がいやらしいもんか。目を描くときに瞼と眼球を立体として意識するんだよ」
弟子「?」
師匠「立体物をどうやってペンでえぐり出すか、そのやり方がその作家の作風なのだ」
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弟子「筆ペンとピグマであっという間にペン入れが終わってしまった」
師匠「下描きで骨格の位置まで決まってるから、ペン入れは早いよ」
弟子「紙をクルクル回転させてました」
師匠「基本、反時計回りに丸で囲んでるだけだからね。気分は筆の彫刻家」
弟子「めんどくさそうですね」
師匠「イラストだから几帳面に回転させたけど、手抜きで回転させない描き方もある」
弟子「漫画だとそっちの描き方が多くなるんですね」
師匠「いや、まあ、漫画が手抜きってわけじゃないんだけどね」
Photo_5

弟子「色まで入った」
師匠「色塗りは勉強が足りないのでさすがに時間がかかる。主に配色で悩む」
弟子「いろんなバージョンを試してましたね」
師匠「一度塗って、時間を置いてから修正するんだ。デジタルなので簡単に直せる」
弟子「パソコンさまさまっすね」
Photo_6

師匠「ってことで、完成しました」
弟子「おお」
師匠「どうよ!」
弟子「……やっぱりラムちゃんっすね」
師匠「おいおい」
弟子「高橋留美子先生にあやまれ」
師匠「ごめんなさい」

弟子「でも師匠がやりたかったことは、なんとなくわかりましたよ」
師匠「そうかい」
弟子「このらせんの雷は師匠の手ですね」
師匠「え?」
弟子「女の子をらせんでギュッと握ってるんですよ」
師匠「……」
弟子「いやらしいなぁ、師匠は」
師匠「……」
弟子「女の子の立体感がスケベなのも、師匠の心の手が触りまくってるからです」
師匠「おい」
弟子「はい?
師匠「おまえ、破門な」
弟子「え!」

(続く)

2017年9月23日 (土)

対話篇4ープラモデルー

対話篇8

師匠「♪」
弟子「師匠がロボットのプラモデルを作っている」
師匠「たいよーのきばー♪」
弟子「ノリノリである」
師匠「だーぐらーむ♪」
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弟子「五十近い爺さんが子供みたいで見てられない」
師匠「……うるさいなぁ」
弟子「なんなんですか、それ」
師匠「太陽の牙ダグラムだよ。八十年代初頭にテレビでやってたサンライズアニメ」
弟子「さんらいず?」
師匠「アニメ会社ね。ガンダムでリアルロボットアニメのブームに火をつけたとこ」

弟子「体はガンダムみたいなのに、頭がヘリコプターの操縦席みたいだ」
師匠「メカデザイナーは大河原邦男さんでね。当時の子供はみんなお世話になってる」
弟子「たとえば?」
師匠「タイムボカンシリーズ。特にヤッターマンのメカは有名」
弟子「あのすっとぼけた犬のロボットですか!」
師匠「やったーワン!」

弟子「へえーすごい人なんですね」
師匠「元々デザイナーさんだったって聞いたことがある。デザインに奥行きがあるんだ」
弟子「奥行き?」
師匠「裏側まで見通せるっていうか、立体化しやすいデザインなんだよ」
弟子「つまり?」
師匠「おもちゃ会社が商品にしやすいデザインってこと」
弟子「なるほど」
師匠「ガンダムA誌で最新の家庭用旋盤を嬉々としていじってた姿は微笑ましかった」
弟子「工芸的なデザインセンスが要求されるんですね」
師匠「そう」

弟子「ガンダムもこの方がデザインしてるんですか」
師匠「基本のラフが冨野さんで配色とアニメ用の調整が安彦先生だったはず」
弟子「色は違うんだ」
師匠「おもちゃ会社が白いロボットじゃ売れないって企画会議で注文をつけてね」
弟子「バンダイ?」
師匠「いや、当時権利を握ってたのはクローバー。で、安彦さんがその場で色を決めた」
弟子「あの青やら赤の配色ってそんな行き当たりばったりで決まったんだ」
師匠「トリコロールカラーは子供に受けるって言われてたんだ。ドラえもんとか」
弟子「ああ、ガンダムとドラえもんはなんか似てる気がする」
師匠「色は同じだよね」

弟子「大河原さんがデザインした部分は案外少ない?」
師匠「いやいや、あの造形は素人じゃできない。どの角度で見てもガンダムってわかる」
弟子「ほう」
師匠「足とか、大河原節だよね。ふくらはぎがものすごくセクシー」
弟子「ロボットにセクシーさはいらんでしょ」
師匠「それまでのロボットのデザインにはなかった部分だよ。ここ重要」

弟子「で、その人がデザインしたのがその……ダグラム?」
師匠「キャノビーが戦闘ヘリっぽいのが革新的だよね」
弟子「子供に受けたんでしょうか」
師匠「どちらかというとガンプラブームで模型に目覚めた層がターゲットかな」
弟子「バンダイ?」
師匠「タカラトミーだね。バンダイとはライバル関係にある」
弟子「売れたんですか」
師匠「売れたねぇ。おかげで本編のアニメも放送が延長されたくらい」

弟子「ほう」
師匠「外国のカメラマンの写真集を見ていたらソルティックが映ってて笑った」
弟子「ソルティック?」
師匠「コンバットアーマーね。ガンダムで言えばザクみたいな敵方のロボット」
弟子「次々と訳の分からん用語が飛び出してくる……」
師匠「ダグラムはストーリーが政府VS反政府ゲリラだったからメカがリアル志向なの」
弟子「ああ、ベトナム戦争っぽい感じなんだ」
師匠「高橋良範のリアル戦争ものはボトムズで頂点を迎える」
弟子「もう何が何だかわからない」

師匠「ゲリラ側が最新の兵器を手に入れて大活躍♪」
弟子「ものすごく物騒な話ですね」
師匠「一途なヒロインとのラブ要素もあるよ」
弟子「なんかものすごく頬がこけてるんですけど」
師匠「リアル志向」
弟子「わざと萌え要素を排除しているようにしか見えない」
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師匠「そのダグラムのプラモデルを知人からいただいてね、半年くらい放置してたんだ」
弟子「なぜダグラム?」
師匠「さあ……出来がいいから作ってみろ、みたいな話じゃなかったかな」
弟子「実際、素組みのプラモデルとは思えない完成度ですね」
師匠「作ってて思い出したよ。僕、八十年代にもダグラムのプラモデルを作ってる」
弟子「なんと」
師匠「キャノビーとか必死に色を塗ってた記憶がよみがえってきた」
弟子「……」
師匠「関節の可動部分にポリキャップを使った最初期の模型じゃなかったかな」
弟子「……忘れてたって事実に驚きですよ」

師匠「あの当時はいろいろ作ってるからね。ダンバインも最初期のを買ってる」
弟子「すごいんですか」
師匠「頭のデザインが不評ですぐに修正してるんだ。その修正前の不細工なやつ」
弟子「今ならそっちの方が価値がありそうですね」
師匠「パテで修正してアニメのデザインに近づけたんだ」
弟子「もったいない」

師匠「八十年代初頭の男の子はみんなプラモデルに手を染めたもんだよ」
弟子「……そうかなぁ。師匠のオタク趣味のような気がするけど」
師匠「部屋がシンナー臭くなって父親に怒られた」
弟子「そりゃそうだ」
師匠「一日働いて家に帰ってきてシンナー臭いのは耐えられないと」
弟子「そっちですか。シンナーは不良の代名詞だからやめろって話かと」
師匠「アンパンね」
弟子「アンパン?」
師匠「シンナーの瓶をパン屋の袋に入れて吸うの。で、注意されたらアンパンですと」
弟子「いろいろ無駄な知識が飛び出してくる」

師匠「でもダグラムの頃には水性ホビーカラーが普及し始めてたから臭くはなかった」
弟子「師匠がプラモデル好きとは知らなかった」
師匠「いや、今回ダグラムを作ったのが三十五年ぶりくらい」
弟子「あらら」
師匠「資料用のボーイング747とか作ったことがあるけど、模型熱は完全に冷めてた」

弟子「で、作ってみた感想は?」
師匠「ふるえたね」
弟子「魂が?」
師匠「指先が」
弟子「じいさんですか」

師匠「普段ペンを使うくらいしか細かい作業をしないから、自分の耄碌ぶりにびびった」
弟子「米粒みたいな部品が多いですもんね」
師匠「でも途中からスイスイ組み立てられるようになった。老化防止にいいのかも」
弟子「どんどん話が老人臭くなってくる」

師匠「いやいや、マジで指先がプルプル震えてたのが最後の方は完全になくなってたの」
弟子「ふーん」
師匠「それに、完成したときの充実感がものすごい」
弟子「さっきからニャニヤいじりまくってて気持ち悪いんですけど」
師匠「だって、素組みでここまで完成度が高いとは思ってなかったからさ」
弟子「確かに良く出来てますね」
師匠「色を塗らなくてもここまでのものが出来てしまう、この技術はすごいと思うよ」
弟子「老人ホームで模型を作る爺さんがはびこる未来が見えるようだ」
師匠「本当にそんな時代が来るかもね」


2017年9月16日 (土)

対話篇3 ジンクス

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師匠「吹雪まんじゅうを見るとシーボーズを連想するよね」
弟子「……なんですか、シーボーズって」
師匠「ウルトラマンに出てきた怪獣だよ。怪獣墓場から落ちてきた幽霊怪獣」
弟子「知りませんよ。そんなマニアックなネタ」

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師匠「僕のリアルタイムは新マンからなんだけどね」
弟子「新マン?」
師匠「帰ってきたウルトラマンだよ。団次郎の」
弟子「団次郎?」
師匠「俳優だよ。MG5のCMで有名な」
弟子「もう何がなんだかわからない」

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師匠「ウルトラマンは黒部進ね」
弟子「俳優さんの名前で言われてもピンときませんよ。ハヤタ隊員ですね?」
師匠「そうそう、ハヤタ隊員。吉本多香美のお父さんね」
弟子「だから、混乱するからやめてください」

師匠「ウルトラマンも今見ると古いよね。リマスターはされているけど」
弟子「半世紀前の昭和全開の作品ですからね」
師匠「観てると子供の頃の風景を思い出して懐かしいんだ」
弟子「例えば?」
師匠「子供が野球帽かぶって半ズボンで白のハイソックス」
弟子「ああ、半ズボン。今どきの子供は履きませんね」
師匠「クラスメートの半キンをどれだけ見せられたことか……」
弟子「昭和ですね」

師匠「走ってる車も古いし、背広がネルでやけに厚ぼったかったり」
弟子「師匠が生まれたころはそういうのが当たり前だったんですよね」
師匠「うん。町中にミヤコ蝶々みたいなおばあちゃんがいっぱいいたりね」
弟子「ミヤコ蝶々ってどんな蝶々ですか」
師匠「……関西に生息する夫婦善哉な蝶々だよ」

師匠「今回はジンクスのお話」
弟子「風邪が吹くと桶屋が儲かるみたいな」
師匠「それはジンクスとちゃう」
弟子「風が吹くとなんで桶屋がもうかるんですかねぇ」
師匠「……まあいいや、話にのりましょう」

弟子「なんでです?」
師匠「差別用語が入るからあんまりメジャーにならない理由なんだけどさ」
弟子「ほいな」
師匠「風が吹くと埃がまってみんな目をやられる」
弟子「ふむ」
師匠「盲人が増える」
弟子「強引ですね」
師匠「めくらが増えるとみんな三味線を始める」
弟子「なんで?」
師匠「昔はめくらの商売と言えば金貸しか按摩か三味線のお師匠さんだったんだよ」

弟子「で、みんなが三味線をやり始めました」
師匠「三味線が飛ぶように売れて、町から猫がいなくなる」
弟子「皮を剥いで三味線の材料にするんですね」
師匠「猫がいなくなるとネズミが増える」
弟子「なるほど」
師匠「ネズミが増えると桶をかじられるんで、桶の需要が増える」
弟子「……それで桶屋が儲かると」
師匠「そう」
弟子「強引ですね」
師匠「バタフライエフェクトよりは可能性がありそうだけどね」

弟子「で、ジンクスの話」
師匠「ずっと同じGペンのペン先を使い続けてるんだ」
弟子「え?」
師匠「今描いてるのは全部同じペン先で描いてる」
弟子「普通は取り換えるもんなんですか?」
師匠「かわぐちかいじ先生は4ページぐらいで取り換えているって何かで読んだ」
弟子「取り換えないとどうなるんです?」
師匠「インクの線がフニャフニャになる」
弟子「ダメじゃないですか」

師匠「まあ、ジンクスだよね。この作品をこれ一本で描き終えたら絶対いいことがある」
弟子「……単なる思い込みですね」
師匠「それに僕の今の描き方だと、割と古いペン先でも描けちゃうんだよね」
弟子「本人が納得してるなら別に構いませんが」
師匠「で、さっきペン入れしてたら妙にシャープな線が引けちゃったの」
弟子「ついに達人の境地に達しましたか」
師匠「予備用のペンでペン入れしてた。こっちは新しいペン先だったんだよね」
弟子「ああ」
師匠「ジンクス破れたり」

弟子「くだらない。ジンクスなんて科学的根拠に乏しい思い込みですよ」
師匠「まあそうなんだけどね」
弟子「今の時代、ジンクスなんて誰も信じていませんて」
師匠「そうでもない。出版業界には有名なジンクスがある」
弟子「といいますと?」
師匠「出版社がビルを建てると経営が傾く」
弟子「なんじゃそりゃ」

師匠「某大手が新社屋を建てたとき、編集さんが話してた」
弟子「単にヒット作が出なかっただけでしょ」
師匠「実際、出版業界は経営が傾きまくってる」
弟子「それは……」
師匠「出版不況は某社が立派なビルを建てちゃったからだと、個人的に思ってる」
弟子「また師匠の無茶振りが始まった」

師匠「まあ、社員にとっては新社屋はうれしいけど、めんどくさいってのもあってさ」
弟子「引っ越しが大変ですもんね」
師匠「それで愚痴るうちにそんなジンクスが生まれたんじゃないかと思うんだ」
弟子「なんか不評だったみたいですね、某社の新社屋」
師匠「役員室がビルの下の方にあるの」
弟子「?」
師匠「火災があったときにはしご車が届く限界位置なんだってさ」
弟子「ああ、上の階の社員はムッとしますね」
師匠「噂だけどね」

弟子「インフルエンザが流行ると、あっという間に会社中に広まったそうで」
師匠「空調がうまく機能しなかったらしい。後になっていろいろ問題がみつかるんだ」
弟子「ビルだと気軽に窓を開けて換気ってわけにはいきませんからね」
師匠「あと、エレベーターホールがあって、八基くらい稼働してるんだけどさ」
弟子「すごい大手の出版社ですね」
師匠「ボタンを押してもどれが来るかわからない」
弟子「ああ」
師匠「八基全部に注意していないとエレベーターに乗れないというクソ仕様」
弟子「数が多いというのも考え物ですね」

師匠「さすがに今は改善されているけどね」
弟子「で、けっきょく師匠は何が言いたいんですか」
師匠「ジンクスなんてくだらないよねって」
弟子「そこですか」
師匠「さあ、新しいペン先で続きを描くぞ!」

2017年9月 9日 (土)

対話篇2~ボスジャンの思い出~

 1

弟子「肩の調子はいかがですか?」
師匠「だいぶ楽になったよ。心配をかけて申し訳なかったね」
弟子「老人をいたわるのは若者の義務ですから」
師匠「……老人ってほどくたびれちゃいないよ」

弟子「北朝鮮が日米韓に脅しをかけまくってます」
師匠「水爆やらICBMやら、いろいろやらかしてくれてるね」
弟子「師匠も新聞やらテレビやらをよくチェックしておられます」
師匠「肩が痛くて外出できなかったから、なんか見ちゃったね」

弟子「金正恩についてはどのようにお考えで?」
師匠「路上でギターを弾いてる不遇なアーティスト」
弟子「……またわけのわからない例えが飛び出してきた」

師匠「池袋とか歩いてるとたまに遭遇するよね。若いアーティストさん」
弟子「池袋はかつてモンパルナスに例えられたくらい、芸術家の街でしたからね」
師匠「個人的には若い人が頑張ってる姿を見るのは大好きなんだ。応援してしまう」
弟子「ギターの箱を地面に広げて、どこかで聴いたような曲を演奏しております」

師匠「生歌、生ギターはやっぱりググッとくるもんがあるよね」
弟子「それでみんな騙される。別に大した音楽をやってるわけじゃないですよ、あれ」
師匠「……なんだい、いつになく辛辣だね。路上アーティストに恨みでもあるの?」
弟子「思ったことをまんま喋ってるだけですよ。で、なんであれが金正恩なんです?」

師匠「俺の歌を聴け!って、頼まれもしない音楽を押し付けてくる」
弟子「……師匠の方がよっぽど辛辣な気がするんですけど」
師匠「ICBMは俺の魂の叫び~♪」
弟子「なんか歌い始めた」
師匠「水爆はお前たちの鎮魂歌~♪」
弟子「しかもけっこういい声してる」
師匠「昔、演劇やってるお兄さんに褒められたことがあるんだ。美声だねって」

弟子「確かに、俺を認めろ!って叫んでる部分は路上アーティストと似てなくもない」
師匠「お金がなくて生活が苦しいところもそのまんま」
弟子「金正恩自身はおいしいものを食べすぎて太りまくってますけどね」
師匠「近代資本主義では貧困者ほど太る傾向が認められる」
弟子「自分が太っていることへの言い訳ですか。でもまあ、北朝鮮は貧困国ですよね」

師匠「お金がないからやけくそになって自作曲を歌いまくる」
弟子「近所迷惑な話です」
師匠「しかもなぜか結構いい曲なんだ」
弟子「半世紀前に大ヒットした曲をまんまパクってますからね」
師匠「水爆実験でゴジラが誕生したのが1954年だから、半世紀どころじゃない」

弟子「で、金正恩青年はひたすら自作曲を歌い続けるわけですね」
師匠「魂の叫びだから」
弟子「近所が苦情を言っても聞く耳を持たない」
師匠「聴く耳がないのは隣近所の愚民の方だから」
弟子「若いアーティストってのはめんどくさい生き物ですね」

師匠「パトロンはついてるのよ。お金を出してくれるお姉さんとかがバックにいる」
弟子「ああ、年増のセレブ女子とか喜んでお金を出しそうですね」
師匠「おまえは~いい女だ~♪」
弟子「頑張ってねマー君、応援してるわよ、ビックになって私をメロメロにして!」
師匠「なんだい、急に」
弟子「三十近い自称アーティストが夢を語る姿って、苦手なんですよ」
師匠「君も漫画家を夢見る自称アーティストだから、身につまされるのね」

弟子「金正恩は思い通りにならない世の中に核ミサイルをぶつける若者なんですね」
師匠「僕にはそういう風に見えてしまう。たぶん根っこの部分は似てるんだよ」
弟子「だから見ていると自分の若いころを思い出してイライラしてしまう」
師匠「六畳の部屋でひたすら原稿を描き殴ってた時代がよみがえる」
弟子「この作品で天下をとってやるぞ!」
師匠「そうそう、傑作を作れば未来は変わると単純に信じてたよね」

弟子「金正恩が核ミサイルに込めている願いは、なんとなくわかりました」
師匠「この一発で世界は変わる」
弟子「田舎のお父さんお母さんが泣いているぞ」
師匠「世間様に申し訳が立たない、いいかげん夢を諦めて孫の顔をみせておくれ」
弟子「やめてください、ものすごく心がえぐられる」

師匠「俺はピックな~スーパーアーティスト~♪」
弟子「ご近所さんもたまりかねて、とうとう警察に通報してしまった」
師匠「そこで駆け付けたのは天下のジャスラック」
弟子「なんでやねん」
師匠「あなた、お金は払ってるんですか。勝手に音楽やっちゃいけないんですよ」
弟子「自作曲なんでしょ?」
師匠「お金払ってくれないと訴えますよ」
弟子「理不尽だなぁ」

師匠「潰しますよ」
弟子「勘弁してください、生活がかかってるんです」
師匠「そのギターを破壊します」
弟子「……金正恩にちょっとだけ同情してしまう」
師匠「パトロンさんに言いつけて、お金を渡さないようにします」
弟子「石油禁輸決議ですね」
師匠「いい年なんだから、もう変な夢は見ないで真面目に働いてください」
弟子「ジャスラックの是非はともかく、言ってることは正しい気がする」
師匠「頑張れ金正恩!」
弟子「だからどうしてそうなる!」

師匠「嫌いなんだよ、ジャスラック」
弟子「気持ちはわかるけど、核兵器はさすがに迷惑でしょう」
師匠「自前で開発したもんを持ってて何が悪い」
弟子「そりゃそうですけど、その核兵器ってソビエト系のパクリもんでしょ?」
師匠「偉大な創作物です」
弟子「だから近所迷惑なんですって」
師匠「俺がいかにビックなアーティストであるか、周辺諸国は思い知るべきである」
弟子「なんか金正恩が憑依してる。あんたは○○の科学の偉い人か」

師匠「みんな核兵器持ってるのに、なんで僕が持ってちゃいけないのさ」
弟子「核不拡散の取り決めがあるんですよ」
師匠「大国のエゴだ」
弟子「そりゃそうかもしれないけど」
師匠「こんなすごい核兵器を作っちゃう僕を、周辺諸国は認めるべきである」
弟子「僕を認めてって、まるで売れないアーティストみたいだ」
師匠「……つまり、そういうことなのかなって」

弟子「やっと正気にもどってくれた。……確かに金正恩は路上アーティストですね」
師匠「ジャスラックのいかがわしさに反旗を振りかざすところは認めてもいいけど」
弟子「別にジャスラックは関係ないですよ」
師匠「結局は利権なんだよね」
弟子「なんだかとってつけたような結論だなぁ」
師匠「金正恩君もいい年なんだから、いいかげん定職につくべきだと思う」
弟子「身につまされるからやめて」

 2

師匠「眞子様がご婚約を発表なされた」
弟子「秋篠宮殿下のご息女であらせられます」
師匠「このあいだまで紀子さんフィーバーで盛り上がってたのに、早いもんだね」
弟子「いつの話ですか」
師匠「秋篠宮が礼宮って言ってた時代の話」
弟子「四半世紀も昔のことじゃないですか」

師匠「もうそんなになるかね」
弟子「あのとき生まれたのが眞子様ですから」
師匠「あの子いくつ?」
弟子「25歳です」
師匠「早いなぁ」

弟子「ボスジャンが生まれたのが25年前です」
師匠「缶コーヒーのBOSSが特典で作ったジャンバーだよね」
弟子「このあいだテレビCMで25周年記念って言ってました」
師匠「トミー・リー・ジョーンズはずっと見ていたってやつね」

弟子「いいですよね、ボスジャン」
師匠「背中にBOSSって書いてあるの。それだけなんだけど、男としては憧れる」
弟子「何か思い出があるそうで」
師匠「25年前に食料品の問屋さんでアルバイトしていたことがあってね」
弟子「ほうほう」
師匠「お店の偉い人が持ってたから、くださいってお願いしたの」
弟子「いけずうずうしい話ですね」

師匠「だってカッコいいんだもん」
弟子「問屋さんだと営業の人が持ってくるからいっぱいありそうですね」
師匠「うん、お客さんも欲しがるから、お得意さんにみんな配ってたみたい」
弟子「ああ、あの人らにアピールするって意味もあったんだ」
師匠「中間業者を引きつけなきゃ商品が回らないからね」

弟子「業者さんがみんなボスジャンを着ていた」
師匠「くやしかったなぁ。僕も欲しかった」
弟子「バイト風情が言ってもくれないでしょう」
師匠「でもあんまりしつこく欲しがってたら、代わりのものをくれたんだよ」
弟子「ごね得ってやつですか。何をもらったんです?」
師匠「MAJORのアポロキャップ」
弟子「……なんか微妙なものが出てきた」
師匠「黒地に金文字でMAJORって書いてあるの」
弟子「缶コーヒーつながりですか」
師匠「けっこう気に入ってたんだ」

弟子「ま、良かったじゃないですか」
師匠「銭湯の帰りにカバンにくっつけてたら、途中で落としてなくしちゃった」
弟子「ああ」
師匠「悲しかったなぁ」
弟子「今ならそれなりに価値があったかもしれませんね」
師匠「思い出はお金には代えられないもんだよ」

2017年9月 4日 (月)

対話篇

 1

師匠「仕事で頑張ったら肩が壊れた」
弟子「大丈夫ですか?なんだかめっちゃ痛そうなんだけど」
師匠「背中が割れるように痛いんだよね。それでもなんとか原稿を上げたんだけど」
弟子「苦労して無理やり女の子の絵を入れてましたね」
師匠「そこはポリシーだから。旅打ち漫画は男臭くなりがちだから強引に描き込んでる」
弟子「肩が痛いのに無理しちゃって」
師匠「頑張ってチャイナドレスの女の子とバニー風の女の子描いたんだけどね」
弟子「バニーガールがパチスロ打っちゃダメでしょ」
師匠「編集とか、怒ってるかもしれないね。健全な誌面を目指してるって言ってたし」
弟子「ダメじゃないですか」
師匠「健全って言われると、なんか抵抗したくなるんだよね。漫画家のサガかな」

弟子「なんでチャイナドレスなんか描いたんです?」
師匠「モブを描きまして」
弟子「ああ、二百人とかさらっと注文来てましたね」
師匠「深夜にパチンコ屋さんの前で並んでるの。それを一日がかりで描きまして」
弟子「笑っちゃうくらい細かく描き込んでますよね」
師匠「朝になって行列が二百人に達したところで、なんか嫌になってきた(笑)」
弟子「それはまあ、仕方がないと思います。写経並みに地味な作業ですから」
師匠「で、ヤケになってどんどんおかしなものを描き始める」
弟子「それでチャイナですか」
師匠「うん、なんか気が付いたらチャイナドレスの女の子を描いてた」
弟子「無意識に描いちゃうんだ」
師匠「けっこういい下描きだったから、そのままペン入れしちゃったの」

師匠「で、いつもは時間経過のコマにお店のお姉さんを描いてるんだけどね」
弟子「ネームではそうなってますね。”特に意味もなくお姉ちゃん”ってやつ」
師匠「ついでだからそこもチャイナにしてね、もう一コマもバニーに変更した」
弟子「担当さん、呆れてるんじゃないですか?」
師匠「かもね」
弟子「でも描いちゃう」
師匠「頭の中に絵が出来てたから、描いちゃった方が早かったんだ」
弟子「絵って、頭の中に出来てるもんなんですか」
師匠「けっこうリアルに想像してるよ。で、それをペンの先でなぞってる」
弟子「写真を見て描いてるのかと思ってました」
師匠「それだと著作権がうるさいから……」

弟子「で、仕事中にバニーガールのことをイメージしていたと」
師匠「若いころによくバニーのお店に連れていってもらったの」
弟子「うわ……」
師匠「銀座の割と高級そうなお店」
弟子「そういう趣味があるなんて知らなかった……」
師匠「担当さんの趣味だね。昭和世代の大御所漫画家さんとご一緒させてもらったの」
弟子「女の子にウサギの格好をさせて服従させる……」
師匠「床に膝をついて水割り作ってくれたね」
弟子「うわ……」
師匠「でもその頃はバニーなんて好きでも何でもなかったんだけどね」
弟子「今は好きなんだ」
師匠「池袋の交差点で信号待ちしてたら自転車に乗ったバニーさんが目の前に現れてね」
弟子「あの格好で自転車乗ってたんですか?
師匠「緊急の買い出しかなんかだったのかな。ウサギの耳をつけたままで」
弟子「なんてか……ある意味カッコいいかもしれませんね」
師匠「サドルの上のお尻に白いしっぽが生えててね。なんかすごくイナセだった」

 2

弟子「今回はまた性懲りもなく音楽の話をするつもりなんですか?」
師匠「肩が壊れて痛いんで、寝転がって音楽ばっかり聴いてるの」
弟子「はたから見るとただの怠け者ですね」
師匠「激痛が走るんだからしょうがない。昨日も病院で血液検査があったんだけど」
弟子「ついでに診てもらえば良かったのに……」
師匠「採血が済んでから腕を上に向けて三分間待つのが苦行だった」
弟子「四十肩のひどい奴なんですね」
師匠「若いお姉さん看護師が見下ろす中、五十男が苦痛に顔をゆがめているという」
弟子「あの女の子もずいぶん採血が上手くなったみたいですね」
師匠「うん、いつもは怖くて見てられないんだけど、肩の方が痛かったんでつい」
弟子「注射針が刺さるところをじっくり観察してしまったと」
師匠「肩の痛みに比べれば、針とかむしろ気持ちがいいじゃないかって」
弟子「そんなに痛いなら病院へ……って病院でしたね、そこ」

師匠「で、普通の聴いても飽きちゃうから、自分で選曲したの聴いてる」
弟子「プレイリストってやつですね。古いロックとかですか」
師匠「それもやってるね。クイーンのブライアン・メイの曲だけ集めてみたりとか」
弟子「クイーンってベスト盤が最高で、アルバムはイマイチってよく言われてました」
師匠「二枚目のQueenⅡは評判いいけど、それ以外は構成がゆるい気がする」
弟子「ジャズってアルバム、大好きですよね」
師匠「一曲目のインパクトと最後の方のDon't stop me nowが大好きだから」
弟子「他のアルバムはあんまり聴かないんですか?」
師匠「いい曲は多いけど、全体として聴くのがつらい感じがする」
弟子「なるほど」
師匠「だからギター中心とか、フレディのボーカル中心とか、まとめた方がいい」


師匠「で、これはクイーンのロックっぽいのをまとめたプレイリスト」
弟子「ウイー・ウイル・ロックユーから始まるんですか。ミーハーですね」
師匠「次でいきなりヘッドロングに飛ぶ。で、次がストーンコールドクレイジー」
弟子「その次がシア・ハートアタックですか」
師匠「テンションがおかしい曲ばっかりが続く」
弟子「でも最後の方がどんどん渋くなってくる。スリープ・オン・サイドウォークとか」
師匠「おしまいはイッツ・ツー・レイト。ここできっぱり終わるのがいい」
弟子「アルバムだとこのあとメランコリーブルースが続きますけど」
師匠「フレディのバラードっぽいので終わるの、あんまり好きじゃないんだ」

弟子「それと同じ選曲をクラシックでもやる」
師匠「モーツァルトの緩徐楽章だけ集めて聴いてるんだ」
弟子「邪道ですね」
師匠「そうかな?」
弟子「交響曲とか、三楽章四楽章で構成されているものを抜き出して聴くのは邪道です」
師匠「頭が固いなぁ」
弟子「ドボルザークの新世界の第四楽章だけ聴きまくるくらい邪道です」
師匠「あそこが一番盛り上がるし、しょうがないじゃん」
弟子「第一楽章からの積み重ねがあって、第四楽章が盛り上がるんです」

師匠「でもモーツァルトくらいだと交響曲も組曲の発展形って感じだし」
弟子「やっぱりばらして聴くんだ……」
師匠「まあ、ちょっとこのプレイリスト見てみ?」
弟子「……いきなり魔笛の’夜の女王のアリア’から始まってるじゃないですか」
師匠「ザラストロをぶっ殺せ」
弟子「純真な若者を戦争へとけしかける邪悪な曲ですね」
師匠「次がレクイエムのディエス・イレ(怒りの日)ピアノ協20番の第一楽章と続く」
弟子「めっちゃ破壊的なモーツァルトだ……」
師匠「グルダのCDだとカデンツァがベートーヴェンでますます破壊的」
弟子「神経が焼き切れますよ」
師匠「次はおなじみ交響曲40番ホ短調の第一楽章」
弟子「ガーディナー指揮で高速演奏なのがまた恐ろしい」
師匠「BGMで聴くにはこれくらい早い方が気持ちいいよね」
弟子「次は?」
師匠「レクイエムの”呪われ退けられし者たちが”」
弟子「映画でモーツァルトが死にそうになってるときにかかる曲ですね」
師匠「アマデウスね。奥さんが湯治場から馬車を走らせて帰ってくるの」
弟子「その次が」
師匠「これもアマデウスつながりで交響曲25番の第一楽章」
弟子「サリエリが自殺未遂した冒頭シーンで流れて有名になった曲」
師匠「僕も高校生の時に映画で観てから好きになったんだ」
弟子「たいへんだーたいへんだーサリエリさんがー死にそうだー」
師匠「変な歌詞をつけないように」

弟子「次はまた超有名曲」
師匠「ピアノ協奏曲23番の第二楽章」
弟子「この流れで聴くと死にそうに暗い曲に思えます」
師匠「23番自体は明るい曲なんだけどね」
弟子「呪われたモーツァルト」
師匠「で、レクイエムのラクリモサ(涙の日)でとどめを刺す」
弟子「神経がもたないです……」
師匠「で、その次が二台のピアノのための協奏曲の最終楽章」
弟子「いきなり超ネアカになった」
師匠「ホルン協奏曲第3番の終楽章」
弟子「どんどんネアカになっていく」
師匠「さんざん地獄を味わった後に仏のモーツァルトがやってくるわけだな」
弟子「次は?」
師匠「ハフナーセレナードのロンド楽章」
弟子「バイオリンが高速で弾きまくるやつですね」
師匠「バイオリニストが必死の形相で弾いてるのを想像すると楽しいよね」
弟子「ネアカもここまで突き抜けると恐怖です」

師匠「次がピアノ協奏曲26番戴冠式の終楽章」
弟子「明るいですね」
師匠「スキップしてるよね、モーツァルト」
弟子「やけくそのようにも聴こえます」
師匠「最後がジュピターの終楽章。交響曲史上、もっとも完璧な締めの曲」
弟子「とうとう天国まですっ飛んでしまった」
師匠「終わりよければすべて良し」
弟子「まあ、あの曲は最終楽章だけ繰り返し聴いても許されるかも」
師匠「昔、画家の東山魁夷のインタビュー番組があってね」
弟子「はい」
師匠「徹夜で富士山の絵を描いてたらBGMがジュピターになった」
弟子「え……日本画家でもBGM流すんだ」
師匠「うん、で、ちょっと煮詰まってたんだけど終楽章が流れる中、アトリエに朝の光が射し込んできてね」
弟子「ほう」
師匠「一気にテンションが上がって絵が仕上がってしまったと」
弟子「なるほど、なんかわかります。富士にはフーガがよく似合う」
師匠「これがもし新世界の終楽章だったら富士山が噴火していたかもしれない」
弟子「……東山魁夷はそんな富士山は描かないと思いますよ」

パワードスーツ


パワードスーツを着用して、この文章を打ち込んでいる。

八月が終わって、一気に気候が秋めいてしまったために、体が変化に追いつかなかった。
ぶっちゃけ、背中が滅茶苦茶痛い。肩甲骨のあたりが内側からえぐり込むように痛い。
で、しばらく寝転がっていたら治るかなと思っていたのだけど、治らんかった。

アニマックスで機動戦士ガンダム、ジ・オリジンの連続放送があって、
ララア・スンが出てきて、おお、かわいいじゃねぇか、とんだオジサンキラーだぜ、
なんて思ったりしていたのだけど、
それでも激痛は全然収まらない。

金曜に検査で病院に出向いたとき、内科の先生に話してみたのだけど、
「いやあ、血液検査の結果は滅茶苦茶健康ですね!」
と、数字の素晴らしさをさんざん褒められた。
いやいや、直前までタバコをふかしまくって睡眠も2・3時間で原稿に没入していたのに、
いい数字なんて出るわけないでしょ!と思ったけど、前回よりもいい数字が出ていた。
現代の医学はあんまり当てにはならない。

「タバコをふかすと血液が濃くなる傾向があるので、そこんとこよろしくね」

とのことだったので、ちょうどマルボロが最後の一本だったので、
それをふかしてプチ禁煙に入った。肩が痛いのは血液の循環によるものなのは確実なので、
体の中の液体をできるだけきれいに保ってみようと心に決めた。
それで土曜日はガンダムを観ながら安静にしていたのだけど、結局どうにもならんかった。

暑かった日々が突然秋めいて涼しくなってくるこの時期、毎年なんらかの変調はくる。
一度首がどうにも痛くなって、按摩を探して知り合いと街をブラついたことがある。
腰が痛くてベッドでもんどり打ったこともある。今年は右の肩甲骨なのだ。

で、日曜日は隣の町までブラブラ散歩をして、また刻みのタバコを買ってしまった。
おばあちゃんがうめ味の飴ちゃんをサービスしてくれた。
肩に入れ墨を入れたお兄ちゃんが店の前に陣取っていて邪魔だったけど、それをかき分け、
ふらふらと踏切の方へと歩く。
目の前に大きなパチンコ屋がある。ああ、仕事しなくちゃ。

でも机に向かって煙管をふかしていても、十分と我慢が出来ない。とにかく痛い。
こりゃどうにもならんなと、また横になってみるのだけど、そうそう寝てもいられない。
一日絵を描かないとイライラするのはタバコと同じ。なんか描きたい。

で、思いついた。パワードスーツを使おう。

ガンダムはもともとパワードスーツが題材のSF小説が元ネタだったと思う。
宇宙の戦士だったかな。ハイラインのやつ。
人間の機能を機械的に拡張させて、スーパーマンになる。
僕が子供の頃は完全な夢物語だったけど、この頃は実用化の一歩手前まで来ているらしい。
日本だと主に介護目的だけど、重い荷物を持ち上げたり、階段を楽に登ったりできる。
自分の住んでいる街は坂が多くて、よく電動アシスト自転車に乗ってる主婦に会うけど、
あれもまた、一種のパワードスーツだ。

で、たすき掛けに肩をひもでくくってみた。
肩が背中の方に強制的に持ち上げられて、痛いのが少しだけ緩和される。
で、今その状態で文章を打ち込んでいたりする。
プチ・パワードスーツだ。

ガンダムはどうやらこのまま本編の方まで作り直されるらしい。
銀河英雄伝説も作り直されるって話があるけど、あちらが不安いっぱいなのに対し、
こちらはジ・オリジンでだいたいのレベルは想像がつくので、割と楽しみだ。

コミカライズの方は毎月雑誌を買って読んでた。
で、最後の方のセイラ大活躍とか、ちょっと「ん?」な部分はあるし、
ランバラルがイメージよりずいぶん若返っているって個人的な難点もある。
マグネットコーティングのモスク・ハン博士とか、フラナガン博士のデザインとか、
テレビシリーズと違うところはやっぱり気になる。
(安彦先生が病気で倒れていた間にスタッフでデザインを作ってた部分)
でも大筋では満足のいくコミカライズだったので、やっぱりアニメ化はうれしい。

声優さんについても、フラウ・ボゥなんかはすでに前日談でアニメ化されているけど、
志熊理科・福圓美里さんが幼馴染をやってて好感が持てた。なんか馴染んでる。
ユニバース!
ララアの早見沙織さんはどうなってしまうのか楽しみ。

男性声優陣は続投がほとんどかな。古川登志夫さんのカイシデンは昔のまんま。
でもそれがよい。ギレンは銀河万丈さん。ジオンはまだ十年は戦える。(マ・グベ談)

セイラ役の井上瑤さんはかなり以前にお亡くなりになっているんだけど、
そこをララア役だった潘恵子さんの娘の潘めぐみさんが演じることになる。
プレッシャーはあるだろうけど今のところ好演中。リトルウイッチアカデミア良かったし。
このあいだ俺物語!見たんだけど、大和役もすごくかわいかった。
(あざとくないかわいさって難しいと思う。女の人は特に)

同じく、井上さんが演じていたマスコットロボのハロは新井里美さん。
まったく気が付かなくて(馴染んでて)、後でテロップで確認して笑ってしまった。
絶妙のキャスティング。この方がミライ役でも面白かった。

そのミライ役は藤村歩さん。UCのミネバ様。
今んとこあんまり喋ってないけど、ホワイトベースのお母さんっぽい感じをどう出すか、
楽しみだったりする。
どうでもいいけどジ・オリジンでミネバのお母さんがドズルと絡むシーンは、
なんか微笑ましくてニヤニヤしてしまった。あの人がソロモンでああなって、
その後アクシズでああなっちゃうんだなと、しみじみする。「ゼナ」って名前が出ると、
条件反射で「行け!ミネバとともに!」と返してしまうのは、なんなんだろうね。

で、シャアとアムロは当然のごとく池田古谷の定番コンビだったりする。
まあ、学生時代のシャアを池田秀一さんがやるのはどうかと思ったけど、
ファースト世代にはむしろあれの方が納得もいくので、全然OK。
ララアとの出会いのシーンとか、アニメ化されてちょっとうれしかった。
あれが池田さん以外の声だったらなんか嫌だったと思う。
アムロの古谷徹さんもイケルはず。

ブライト艦長の鈴置さんが鬼籍に入られているのは残念だけど、
UCから引き続き成田剣さんだと思われるので、まったく不安はない。
「左舷弾幕薄いよ!」「スタンバっとけ!」を思いっきりやっちゃってもらいたい。

なんだ、盤石ではないか!

2017年8月26日 (土)

24時間テレビ

24時間テレビか……
僕が子供頃には「24時間、テレビが放送されている」ってのはすごいインパクトだった。
40年くらい前の昭和のお話だ。

テレビは深夜に11PMを観て(ガキがそんなもん観るなよ)一時くらいになると終了。
あとは停波になって走査線がザーーーーと流れていた。
ブラウン管テレビだから、縞模様にランダムな光線が発射されるのだ。
不気味っちゃ不気味である。リングの貞子が出てもおかしくない。

昔の深夜番組はものすごくスケベだったんだよね。70年代末期はすごかった。
今じや絶対あり得ない。ウイークエンダーとか、すごかった。
母親が男と再婚して、熱々の夫婦だったんだけど、娘を残して他界。
で、男は失意のあまり、亡き妻の面影を娘に見て、手を出す。
ショッキングなシーンがおっぱい付きで展開された後、
「私お母さんの代わりにされちゃったよ……」という娘のセリフが続く。
で、お父さんが殺されて、その実際にあった事件をドラマにして見せているんだけど、
小学生にあんなものを見せちゃいかんな。

せんだみつおの番組もすごかった。トップレスの女の子たちがガラスの蟻地獄に入って、
周囲にばらまかれた札束目当てに這い上がろうともがくもがく。
それをカメラはガラスの向こうから煽るように撮影する。
おっぱいとかガラスに押し付けられて変な形にゆがんでるんだよね。
でも女の子たちの表情があんまり必死だったんで、エッチというより卑猥って感じだった。
あんなきれいなお姉さんでもああも浅ましくなるもんかと、小学生にはいい勉強になった。
(父親は「ひろし君はスケベだな」と言ったまま放置してくれた)

二時間ドラマの目玉が女優さんのベッドシーンと
おっぱいシーン(シャワーシーン)だった時代の話だ。
バブル前のお父さんたちは、ああいうテレビ番組で日ごろの疲れを癒していたんだよね。
八十年代になって規制が強化されて軒並み消えてしまったけど。

また話題がそれた。

そんなこんなで24時間、テレビがぶっ続けで放送されるというインパクトはすごかった。
ビデオもまだ普及する前の話だから、あれを全部見るってのは、勇者!って感じ。
純真な小学生だった僕は、テレビ局の人が不眠不休でボランティアをするのは偉いなって、
素朴に信じ込んでいた。きっとみんな無料で働いてるんだろうなって。

そんなわきゃねぇ。

名古屋の純真な、漫画好きの小学生にとっては、手塚治虫のアニメが楽しみだった。
24時間テレビの中間地点、朝方からお昼前くらいの時間だったと思う。
坂口尚さんがキャラデザのバンダーブック?が最初だったかな。
で、マリンエクスプレスとか、手塚治虫が大将になって作ったアニメが放送されていた。
毎年必ず一作づつ、夏の最後の豪華なプレゼントって感じで。

マリンエクスプレスは力入ってたな。手塚キャラ総出演って感じ。
海の中を走るオリエント急行みたいな豪華列車の中で事件が次々と起こる。
名探偵ヒゲ親父が大活躍!みたいな。
古代風の武装兵団が何万と襲ってくるシーンがちゃんと動画で動いていて、
ヒゲ親父がそのことを突っ込むメタなセリフなんか、よく覚えている。
アニメーター手塚治虫としてはそこを注目してもらいたかったんだろうな。
宮崎駿がナウシカとかやる前の話で、手塚先生としては自分がアニメを牽引しているって、
ものすごい自覚があったんだと思う。

そういうアニメとしてのすごい部分は、八十年代にナウシカとかマクロスが出てきて、
すべて乗り越えられてしまったわけだけど。(二つとも劇場で観てスゲー!ってなった)

八十年代に入ってプライムローズなんかもアニメ化していたけど、
僕らの世代にはすでに手塚先生の絵は古臭い昔の絵になっていたので、
それで八十年代風ロリッ娘アニメをやられても、ちょっと……って感じだった。
せめてヒロインの髪の毛が原作同様ピンクだったらよかったんだけど、紫だもんな。

ある意味、時代を先取りしていたんじゃないかと思わんでもないが、
綾波とか、「馬鹿バッカ」のルリちゃんとか、あんな感じの髪の色を使うのは、
八十年代だとちょっと時期尚早だった。おばちゃん臭い。

聖闘士星矢のアテナ様とか、クールビューティなライバルキャラによく使われていた色だ。
魔女っ子メグちゃんのライバルキャラみたいな感じ。
年をとるとメインの赤やピンクより青系のクールビューティが好きになってくるけど、
プライムローズでヒロインの子にそのカラーリングだけ使うのは、なんか違った。

ある意味、手塚先生は来たるべき90年代のアニメの方向性を模索していたのだ!と、
変な勘ぐりをするのも、また楽しからずや。
いつの時代でも子供は天真爛漫な赤系の女の子に入れ込み、
お兄さん世代はライバルの青系クールビューティに惚れ込んだりする。
じゃあいっそ、青系クールビューティーをヒロインにすればいいじゃない!となったのは、
たぶん90年代に入ってからのことじゃないかな。
その頃にはもう手塚先生はお亡くなりになっていて、
すでにアニメの神様ではなくなっていた。

今はもう24時間テレビでアニメを放送することもなくなっちゃったんだよな。
代わりに芸能人がマラソンを走って視聴率を稼いでいる。
走る人がいなくなったら、是非手塚作品のリバイバルとかやって欲しいところだ。
(クールビューティなプライムローズとか)
ま、無理か。

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