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2017年8月16日 (水)

早く来年にならないかなぁ

祝「風雲児たち」ドラマ化!
来年のお正月に放送されるみたいですね。監督は三谷幸喜さん。
原作のファンとしてはうれしい限りだ。

前野良沢と杉田玄白の「解体新書」のくだりを中心にするみたいだけど、
確かにあのあたりだと平賀源内が出てくるし、田沼意次も出てくる。
その田沼意次役が草刈正雄さんだというのもうれしい限り。

漫画準拠だと関ケ原から始めにゃならんけど、
そこは、名作大河「葵三代」の一話目がまんまあの話なので、
興味のある方は是非。
お金があった頃のNHKが国民から徴収した視聴
料を正しく使いまくり、
ドラマ史上完全な関ケ原の戦いを再現している。蟹江敬三さんの福島正則が大好き。
いまだに再現ドラマなんかで戦闘場面を切り取って使っているし、
あの時の各大名の鎧が、その後の大河ドラマでも繰り返し使われていたりする。

ビデオに撮って繰り返し見てたけど、
人に貸したらそのままとんずらされてもう十年くらいは観ていないな。
無念。

前野良沢のくだりは吉村昭の「冬の鷹」を参考にしてると思うんだけど、
あれも最後の方は男泣きに泣いてしまう名作小説なので、是非。

ああ、早く来年にならないかなぁ!

(年をとらない娘もドラマで忠実に再現するのかな?)

2017年8月10日 (木)

80年代の思い出

 1

「やっぱ、うどんは讃岐だよね」
と、平凡な結論に達しそうな今日この頃、みなさまにはお変わりありませんか。

うどんとか、数年前までは割とどうでもいい食べ物だったのだけど、
アラフォーを大きく踏み越えたあたりから、「うどんいいじゃん」となっている。
年のせいではない。断じてない。新しい味覚の世界に目覚めたのである。
あのコシ!洗練された出汁!

どでもいいけど高校時代は校庭の向かいにセルフのうどん屋があった。
「うどん屋行こうぜ」
とクラスメートの誰かが音頭をとれば、十人くらいがゾロゾロとついていく。
すでにしてブレザー姿の女子高生の集団がセルフのどんぶりを持って並んでいる。
どんぶりの中のうどんを網に落として、お湯を張ったシンクの中でみんなして湯がく。
これが、なんか微笑ましい風景で、昔漫画の中でも描いたことがあったっけ。

タンクのだし汁をどんぶりに張り、上に乗せる薬味やら天ぷらやらを選ぶ、
で、会計。
僕はちくわを選ぶことが多かったな。ちくわは天ぷらにするとおいしさが格段に上がる。
磯辺揚げ最高。
で、席についてみんなしてワイワイくだらないことを話しながら食べるわけだ。

クラスの男子生徒の間で、ジムで筋力トレーニングをするのがブームだったことがある。
なんでか新旧二つの体育館がある学校で、
その二錬の間にウエイトリフティングの施設があった。
普段は体育会系の部活が使っていたのだろうけど、それを一部男子が昼休みに使っていた。
僕は運動系は一切うけつけないので傍観していたのだけど、
同年代の男子が腹筋やら上腕筋やら、
「ちょっと触ってみ?」
と自慢するのは、少しだけうらやましかった。

で、そんな筋肉自慢を店内でワイワイやっていたら、他校の生徒に目をつけられた。
「おいお前ら、外に出ろ」
ときたもんだ。

なんでわざわざうちの高校の縄張りに来たのかわからんけど、
「かかってこいや」
みたいな感じで筋肉自慢をしていたクラスメートを挑発した。僕はこの場合部外者だと思うのだけど、
「おまえがやるか」
と凄みかかられた。困った。基本的にみんなクラスでも穏健派のグループなのだ。

で、その困ったところにクラスでもガタイのいいB君が、
「どったの、俺も仲間に入れてよ」
と飄々と首を突っ込んできた。
別にウエイトリフティングをしていたわけじゃないけど、背は高いし上半身も肉厚。
普段はお笑いキャラなので意識したことはなかったけど、改めて見るとけっこう強そう。
で、その他校の生徒は、
「ちっ!」
と漫画のように舌打ちをして、ズボンに手を突っ込んだまま引き下がってくれた。

その場にいた十人ほどはホッと胸をなでおろした。
B君は「?」な感じで「なになに、何があったの」とすっとぼけてたけど、
たぶん事情はわかってたんだろうなと僕は思ってる。

うどんというと思い出す青春の一コマだ。
夕陽をバックに飄々と笑うB君の笑顔はいまだに瞼に焼き付いて離れない。
僕はあの時のB君みたいな男になりたい。身長は平均くらいしかないけど。

 2

僕の通っていた高校は名古屋でも北の方にあった。
空港が近いから、グラウンドで空を見上げると着陸態勢のトライスターが
水色のラインを見せながら轟音とともに目の前をよぎっていった。
トライスターと言えばロッキード疑惑の飛行機で、あれを買う見返りに、
田中角栄さんはロッキード社から多額の賄賂を頂戴したのだけど、
あの頃はそんな無駄知識はなかったので、単純に、
「尾翼のエンジンがマシンハヤブサみたいでカッコええなぁ」
とぼんやり見上げていた。

食玩でいただいたのが仕事場に飾ってあったりする。

Img_0087

ウイキペディアでさらってみたら、ロッキード社はこのとき、世界中で賄賂をやっていて、
英国とか、あちこちで政治家の失脚が起こっていたらしい。
そのせいか、ロッキード社はトライスターを最後に民間航空事業からは撤退している。

単純な機体の性能ではかなりのものがあったらしいし、
全日空でも次期主力機と考えていたようなのだけど、販売はあんまり伸びなかった。
だから、焦ったロッキード社さんはあちこちの国のお偉いさんに猛烈なアタックをかけた。
田中角栄さんもその攻勢にまんまと乗っかってしまったわけだ。

自分の実家も名古屋では北寄りだったので、
空を見上げるとそこを飛んでる飛行機はデカかった。ヘリコプターも形がはっきり見えた。
だから、東京に来て飛行機がほとんど肉眼で見えないというのはなんか新鮮だった。
飛行機雲はみえるし、銀色の機体がときどききらめいたりもするのだけど、
飛んでる飛行機を真横から見るなんてことは空港の近くでなければまず体験できない。
「ああ、名古屋の状況が特殊だったんだな」
とその時初めて納得がいった。

人間はいろんなものに郷愁を覚える。僕は食玩のトライスターを見ると、
高校時代のグラウンドで見上げていた自分をしみじみと思い出す。

 3

机に向かって音楽を聴いていたら、斉藤由貴の「悲しみよこんにちは」が流れてきた。
ああ、今テレビで不倫騒動が話題になってるおばさんだと、時の流れを感じたのだった。

「悲しみよこんにちは」は高橋留美子さんの漫画「めぞん一刻」のアニメの主題歌で、
曲そのものは僕も結構好きだったりする。
目を閉じればあの当時十代だった斉藤由貴さんが歌っている姿が蘇ってくる。
眠そうな目、なぜか棒立ち、ふっくらした頬っぺた。
宗教的な理由でご実家が厳格だったので、品行方正な清純派のイメージだった。

あの当時、僕はフランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちは」も読んでいる。
たしか、女の子が暇つぶしにお姉さんの彼氏をNTRして、それが悲劇に発展し、
本当の悲しみの意味を知る、みたいなお話だったと記憶している。
だから「悲しみよこんにちは」となる。
斉藤由貴の曲はこの作品のタイトルだけを頂戴したもので、
歌詞の内容はサガンとは何の関係もない。「悲しみとだって友達になってやるわよ」と、
かなりポジティブな内容になっている。

でも結構好きな曲だったりする。結果的に印象的な歌詞になっているし、
歌っていれば「頑張ろう」って気分にもなる。

その斉藤由貴さんも尾崎豊とあれこれあったり、清純派ではなくなってしまったけど、
瞼を閉じれば昔のかわいいお嬢さんのイメージは僕の中で生き続けているので、
まあいいかと思う今日この頃であった。
若い子にはピンとこないだろうな、昔の彼女がどれだけ輝いていたか。

2017年8月 3日 (木)

またもや音楽の話

お中元で水菓子をいただいて、半分くらい食べてしまったところで、
「この菓子は冷凍庫で8時間ほど凍らせてからお召し上がりください」の但し書き発見。
ゼリーかと思ってそのまま食っちまったよ。

またもや音楽の話。別に絶対音感があるわけでなし、楽器も何も弾けないのだけど、
とりあえず仕事中やらなんやらで机に向かうときはスピーカーから音楽が流れている。
BGMってやつだ。バック・グラウンド・ミュージック。

僕がクラシック音楽を聴くのは、間違いなく漫画の神さま手塚治虫の影響。
この方は仕事中にはテレビをつけているか、ステレオでクラシックを流していた。
お亡くなりになってから家族の方が「聖域」である仕事部屋に入ったところ、
ジャケットから取り出された状態のレコード盤がうずたかく積み上げられていたそうな。

今でも特定の音楽を聴くと手塚治虫を思い出したりする。
昭和天皇が崩御されたとき、テレビでバッハの「G線上のアリア」の生演奏があって、
今でもこの曲を聴くと30年近く前のあの時代の空気を思い出すのと似ている。

チャイコフスキーの交響曲第4番の第1楽章は金管楽器の咆哮がすさまじい。
これを手塚先生は大自然を破壊する科学文明のアニメで使っているのだけど、
NHKの特番を繰り返しビデオで観たせいで、いまだにこの曲を聴くと思い出す。
どうでもいいけどこの曲の第4楽章を聴くと「涼宮ハルヒ」のゲームの話を思い出す。

モーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」の第2楽章は大好きな曲なんだけど、
これは手塚先生の追悼番組で流れていて「手塚先生も好きだったのかな」と思ったが、
よく考えたら選曲したのはテレビ局の人なのであんまり関係ないかもしれない。

ストラヴィンスキーの「火の鳥」はまんま同名の作品が手塚先生にもあるので、
まあ、間違いなく聴いていらしたはずだ。これを聴きながら描いてた部分もあるかなと
想像するのは結構楽しい。

ベートーヴェンは間違いなく手塚治虫が大好きだった作曲家だったと思う。
どの漫画だったか忘れてしまったけど、ショパンが祖国を去る時、
思いのたけをベートヴェンのピアノソナタ「熱情」を弾いてぶつけるシーンがあったはず。
手塚先生の創作したオリジナルエピソードだと思うけど、なんか好き。
「ルードヴィヒ・B」は未完の作品だけど、手塚先生のベートーヴェン好きがよくわかる。
でも読むとちょっと複雑な気分になる。絵の力はおそろしいもので、読むと音楽に影響される。
ベートーヴェンの作曲の師匠には有名なハイドンさんがいるけど、
この二人の関係は結構複雑なもので、ベートーヴェンサイドからハイドンを語ると、
どうしてもハイドンの印象が悪くなる。
ハイドンは「交響曲の父」と言われる音楽史上の重要人物だけれど、
ベートーヴェンからすれば一昔前の古い音楽をやる人で、乗り越えるべき対象であった。
だから、ハイドンが「君の作品に師匠である私への献辞をつけなさない」と命令すれば、
ベートーヴェンはこれをつっぱねるし、
「このハ短調のピアノ三重奏曲は発表しないほうがいい」とアドバイスされれば、
そのアドバイスを鼻で笑って出版したりもする。
実際はものすごい人格者で立派な人なんだけど、ベートーヴェンを通して語ると、
なんかものすごい時代遅れの俗物っぽくなってしまう。
で、手塚先生の漫画の中でも上のエピソードは出てくるのだけど、そのハイドンの絵が、
なんというか、ものすごく俗物なので困る。いや、わかるんだけどさ、
漫画の表現としてハイドンを俗物っぽい絵にしたほうが読者にわかりやすいってのはさ。
でもなんかもうちょっと人格者っぽくしてもらいたかった。

その「ルードヴィヒ・B」の作中で、モーツァルトが出てくる。
ベートーヴェンとモーツァルトが実際に会ったかどうかは不明なんだけど、
実際に会っていたらこんな関係だっただろうなっては、漫画に許された表現の特権で、
手塚先生もその特権を大いに楽しんでいる。
ボンからやってきた冴えない若者をモーツァルトは適当にあしらうのだけど、
その才能を認識するや、それまでの態度が一変する。このシーンはものすごく好き。
でもそんな大作曲家モーツァルトに対しても、ベートーヴェンは批判的になる。
あんた、音楽を書き飛ばしすぎじゃないか、となる。もっとじっくり楽想を練れよと。
で、そんなモーツァルトのエピソードとして、トイレに入っていたと思ったら、
トイレットペーパーに音符を書いて出てくるというのを手塚先生は描いている。
この絵がなんちゅーか、ものすごく頭に焼き付いていて、なんか困る。
別にトイレでネタを考えるくらいのことは誰だってやってると思うし、
今日名曲とされているものの中にも、排泄中に思いついたものはあるんだろう。
乙女の紅涙を絞る美メロディがうんこの途中で思いついたものだったりしたら、
それはそれで面白い。手塚先生にだってそうやって思いついた感動物語は多いはずだ。
だから、これは批判でも何でもないのだけど、モーツァルトを聴いていて、
「ああ、これはモーツァルトがトイレで排泄中に思いついたかもしれないな」
と考えてしまうのは、嫌いじゃないけどちょっと困るよねって話。

手塚先生と音楽の関係をもっとも分かりやすく伝えてくれるのは、
僕はブラックジャックの中の、LET IT BEのエピソードなんじゃないかと思う。
ネタ晴らしにならないように気を使って大筋を書くと、こうなる。
昔は東西冷戦の時代でしてね、アメリカ中心の資本主義社会と、
ソビエト連邦中心の共産主義社会に明確に分かれておったのですよ。
で、いわゆる「東側」であるソビエトの方では、「西側」の音楽は退廃音楽とされていた。
レーニンが政治のトップだった頃にはその傾向が強くて、
「現代音楽なんてものは腐った資本家どもの豚の音楽である」
ってことになっていた。だから、ショスタコーヴィチとかプロコフィエフとか、
亡命することなく祖国で作曲を続けた人たちは、悲惨なことになる。
発表された音楽が当局に目をつけられ「退廃音楽」ってレッテルを貼られてしまうと、
仕事は奪われるし下手をすればシベリアあたりに追放されて重労働を課せられる。
だから、「ごめん悪かった、こんな豚の音楽を書いて自分は間違っていた」
と反省文を発表させられたりもした。
当然、そういう音楽を一般の人が耳にするのも不可能で、
レコードを持っているのもやばいし、プレイヤーにかけるのだって下手をすれば銃殺もの。
でも、そんな時代にもお医者様が手術をするときには密室の中で音楽は聴けるはずだ。
患者は麻酔で眠っているし、オペを一人でやれば誰にも邪魔されることなく、
「退廃音楽」を堪能することができる。
で、手塚先生はそういう漫画をブラックジャックの中で描いているのだけど、
このとき手塚先生が「退廃音楽」として選曲したのが、
THE BEATLESの「LET IT BE」全曲だった。
ある程度ビートルズを知っていると、いやいやそこはホワイトアルバムだろうとか、
いろいろ突っ込みたい気もするけど、作品の書かれた時代の楽曲の知名度を考えたら、
まあ、妥当な線かなと思う。ウクライナの娘がうんぬんのBACK IN THE USSR流したいけど。
それに、「なるようになるさ」ってLET IT BEの投げやりさは物語に合ってる。
で、このエピソードを思い出すたび、手塚先生は仕事部屋でクラシックを聴きながら、
あの東側のお医者さんみたいに作品を描いていたんだろうなと想像すると、
ちょっと物悲しい気分にもなったりする。創作は孤独な作業なのだ。

でもまあ、LET IT BEを聴いて手塚先生を思い出すことはあんまりない。
むしろ、こいつを録音していた時のメンバー間のいざこざとか、
ボールの意向を無視して映画が公開され、それを映画館で観たジョンが泣いたとか、
ワインディングロードをフィルスペクターが派手なアレンジをしてポール激高とか、
ループトップライブでジョージのギターのプラグが外れたとか、
いらん予備知識が多いので、そっちの方をどうしても思い出してしまう。

以上、手塚治虫と音楽のお話でした。って、当初書くつもりだった話から脱線しちまった。

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街を散策していたらセクシーな足の看板が歩いてた。

2017年7月23日 (日)

カッメーラ!

デジタルカメラを買いに池袋まで行ってきた。
以前にもこのブログで書いているけれど、長年愛用していたのが壊れてしまい、
しばらくは携帯のカメラでしのいでいたのだけど、いよいよどうにもならなくなって、
「買うべ」
と腹を据えた。

だいたいのイメージとしては、小型で持ち運びに便利なもの、できれば望遠、
接写もできれば素敵だね、くらいのものだったので、まあ大抵のものがOKになる。
日本のカメラの技術は大したものなのだ。

特に自分のような、いまだに頭の中がフイルムカメラ時代のままなおじさんにとっては、
21世紀のデジタルカメラはドラえもんのひみつ道具みたいなもので、
どの機能をとっても「へぇ!」と驚くことになる。
奥様、自動でピント合わせができるんですってよ!お肌の色も機械が調整してくれて、
本人よりも写真の方が美人に写りそうな勢いなんですってよオホホホホ。

池袋のデンキ屋さんには中国人のお客さんが多い。エレベーターに乗ろうとしたら、
店員さんが中国人の男の子と話しているのとすれ違った。なんつーか、
あっちの子は物怖じしないよなぁと素朴に思う。
日本人の子供が店員と対等に話してるのって、なんかイメージしづらい。

カメラ売り場に上がって、良さそうなのを見つけ、
「これください」
と若い店員さんに声をかける。
キヤノンのシルバーっすねと、在庫を探しにバックヤードに引っ込み、しばらくして、
「お客さんラッキーっすね、このカラーの在庫はこれが最後っすよ」
と、ちょいと気持ちのいいことを言ってくださる。そうか、それはラッキーだな。

僕の買い物はこれで終了なのだけど、店員さんにとってはここからが本番になる。
「液晶画面の保護フイルムいかがっすか!」
ああ、あの玄人は風呂場で裸になって貼るってやつね。僕はいらないかな。
傷がついてもその傷を楽しむって境地になってるし、誤って気泡ができたり、
フイルムの角度が微妙に傾いて貼れてしまったりすると、めちゃくちゃイラつくから。

「SDメディアいかがっすか!製品には入ってませんよ!」
写真を保存するやつか。
古いデジカメのメディアをそのまま再利用できればいいんだけど、なんせ十年前のだし、
たぶん認識しないんじゃないかなと考え、買うことにする。ちなみに前のは2G。
「一番安いので8Gになります!」
ありゃ、やっぱ容量デカいのな。(ちなみに前の2Gも認識はしてくれた)

「各種保証はいかがっすか!メーカー保証のほかにビックの五年保証もできますよ!」
これは入る。故障があって修理を依頼するとき、
保証があるとないとでは店の客に対する対応が極端に変わるのだ。
保証があるととりあえず人間扱いはしてもらえる。
でも無いと迷惑クレーマーなみにぞんざいな扱いになる。

「全損保証はいかがっすか!ぶっ壊れても五百円の保証に入っていれば、二千円くらいで
同じ商品が手に入りますよ」
「それはいらないかな」
「ですよねーぇ」
あんたもそう思ってたんかいと、心の中で突っ込みを入れる。

家に帰ってからいろいろ写真を撮ってみる。
画素数はやたらデカいけど、ブログ用はレベルを落とすからあんまり意味なし。
接写はさすがに前のよりも高性能だ。しかも自動で接写モードになる。
Img_0012

どっかお出かけして風景も撮ってみたいけど、それはまた別のお話。

今朝の読売新聞の日曜版。
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毎度見出しが著名人の名言だったりするのだけど、今回はこいつが来た!
思わす、声に出して歌っちまったよ。
(ジャスラックに気をまわしてボカシ入りました)

高校時代、名古屋ローカルのラジオ番組を毎晩聞いていたんだけど、その中で
「GSア・ゴーゴー!」ってグループサウンズの特集コーナーがあって、おかげさまで
ザ・タイガースとか、昔の音楽もそれなり耳にしていたりする。
「花の首飾り」はそのコーナーのテーマ音楽だったのかな。
当時のトップアイドルだったザ・タイガースが一般から歌詞を募集して、
18才くらいの女学生が書いたのがこの詩だ、というのは雑学として知ってた。
いわゆる企画ものなんだけど、これが当時大ヒットしたんだよね。
リアルタイムは知らんけど。

ボーカルは加橋かつみさんで、「ニルスのふしぎな旅」のオープニングの人といえば、
僕らの世代ならまず通じる。同じザ・タイガースの沢田研二さんとはまるで違う歌声で、
雄大な大地の歌声、みたいなスケールのデカさを感じる。すごい好き。

で、この日曜版はその著名人の名言とそのゆかりの土地を毎度紹介しているのだけど、
今回は北海道の八雲町なのだった。作詞の女の子のふるさとなのだ。
で、ここはお土産品として有名な木彫りの熊の発祥の地だといわれている。

鮭くわえた例のアレですね。八雲町のはくわえてないのが特徴だそうだけど。

この熊のお土産の由来については最近テレビで知ってちょっと興味を持っていました。
明治の御一新で尾張徳川藩士が職を失い、新天地を求めて北海道に入植したあと、
その行く末を常に見守っていた尾張藩の徳川義親公が、
「スイスに視察に行ってこんなん見つけたけど、みんなも作ってみたらいいんじゃね?」
と提案したのが土産物用の小さな木の彫り物で、
「だったら熊が定番だよね」
って彫り始めたのが、北海道の熊の彫り物のルーツなんだそうな。

わが地元名古屋も少し関係があるのかと思うと、ちょっと誇らしかったりする。

で、その土地が「花の首飾り」の詩の生まれた場所だってのは、また驚きだったりする。
いつか、行ってみたいものだなと、しみじみ考えたのでした。

あ、いつの間にかカメラの話でなくなってら。

2017年7月20日 (木)

イワシ

今年はウナギが平年よりも一割ほど安くなってるぞと、夕刊紙に書いてあった。
稚魚漁が好調だったそうな。それでも水産庁は、
「ウナギの資源量が回復しているという科学的根拠はない」
と、慎重な姿勢を崩さないのだが、
実際スーパーなどをのぞいていて、
「おやおや」
と肌身に感じていたことではあるので、ウナギは今年の「売れ線」になるのだろう。

イワシ。

先日の新聞紙面で日本の漁獲量の変化をバブル期から追ったものが載っていて、
それによると八十年代後半をピークに、日本の食卓から魚が消えていく様子がわかる。
ピーク時と比較して、現在は一割以下といったところか。
魚売り場は本当に寂しくなった。
マグロが主役の座を降りたのはいつのことだったか。
いつの間にやらサーモンが刺身の目玉商品になっていたりする。庶民的にはそうなる。

漁獲量激減の一番の原因はイワシの不漁が三十年近く続いているためで、
かつては朝食メニューの定番だった「めざし」が鮭やシシャモにその座を譲っている。
若い人の中には「めざし何それ」な人も多いみたいで、ネットでちょっと調べてみたら、
若者のめざし離れを嘆く老人の愚痴がいくつか見つかった。

全体の流通量が激減しているので、逆にめざしなんか安くなってる気もする。
スーパーの隅っこのほうで九尾二百円くらい。一時おいしいので食べまくっていた。
都内だと節分に厄除けで食べたりするので、その時期は大量に出回ったりする。

近年は漁獲量が回復傾向にあるという観測もある。

この頃は中国人がサンマやサバのおいしさに目覚め、公海での乱獲が問題になってるけど、
彼らもさすがにイワシには手を出さないんじゃないかと思うので、
案外何年か先には日本の国民食の地位を回復するかもしれない。

日本人にとってイワシは諸外国以上に身近な魚だったりする。

だいたい「鰯」という漢字そのものが日本の代表的な国字で、中国由来ではない。
最古の事例は長屋王(!)の邸宅跡から出土した木簡で、
そこに「魚編に弱い」の文字が確認できる。
なにしろすぐに痛む魚なので、干物にするか油につけるかするしかない。
だから「弱い魚」と表記するのかなとも思うけれども、
語源はいまいちよくわからない。

西洋ではオイルサーディンとかアンチョビみたいな油漬けが主流の食べ方になる。
なんだかんだ、お酒のお供にぴったりな魚なんだな。
どうでもいいけどオイルサーディンはあの髭のマークの缶詰が大好きだ。
洋酒あおりながらちびちび食べたくなる。

イワシは生臭くて焼いても独特の臭いがするのだけど、
それが昭和の家庭のにおいだった気もする。
サザエさんなんか、ずいぶんイワシ臭い世界だったと思うのだけど、
この頃はそんな空気もなくなっているんだろうな。

イワシ、カムバック!とおじさんは願うのでありました。

2017年7月15日 (土)

新聞小説のヒロイン

夕刊の新聞小説をこの頃は読み続けている。
平将門の時代を舞台とした歴史もので、馬と甲冑と弓矢が飛び交う坂東の物語だ。
これを毎夕楽しみにしていて、夕刊はまずそこから読み始める。

日々に移ろうニュース記事よりも、小説の中の登場人物の方が気がかりだったりもする。
新聞小説というのはそうやって読者を毎日紙面に引き付けるものなのだろう。

新聞小説というと、尾崎紅葉の「金色夜叉」あたりがまず浮かんでくる。
「金色夜叉」は僕は読んだことがないのだけど、寛一お宮の悲恋物語じゃないかと思う。
昔の名古屋のテレビCМで
「来年の今月今夜のこの月を、僕の涙で曇らせてみせる!」
という名セリフを繰り返し流していた。
熱海の浜辺で学生服の男が、このセリフとともに美人の娘に蹴りを入れる、
娘はそれでも成金との縁談にすがりつく。
「ああ、ダイヤモンド!」
……そこで「宝石の美宝堂」とかなんとか、社名が流れたんじゃないかと思う。

あらすじを読んでも、絶世の美女が学生との恋よりも成金との縁談を選ぶ話のようで、
女の即物的な欲望の象徴が「ダイヤモンド」(アクセントはヤの字にあり)なのだろう。
これをCМで使ってしまうあたり、名古屋の下世話なお笑いセンスなんだろうけど、
苦笑とともに宝石屋の名前は頭に残るので、まあCМとしては成立している。

明治の新時代、古風な大和撫子は知的で即物的な明治の女へと変貌しつつあった。
江戸の封建時代を知る明治男からすれば、それが実に新鮮で、面白く見えたであろうし、
女性からしても、最新の女性とはそんなものかしらと興味をそそられたに違いない。

夏目漱石が大学教授の職を投げうって、朝日新聞の新聞小説を連載し始めたとき、
その題材がまた、「今どきのけしからん女」だったのは面白い。
「虞美人草」は漱石の文語美文体小説では最後の作品になるのかな。
(※「草枕」があるの忘れてた)
古めかしい文体なんだけど、読み始めるとこれが滅法面白い。
名家の令嬢の藤尾が周りの男性を手玉に取りまくる。
「金色夜叉」のダイヤモンドに対して、こちらは金時計なのだけど、
その金時計を振り回して「お金が欲しければ私の犬になりなさい」みたいな感じで、
明治の男どもをばったばったとなで斬りにする。

夏目漱石としては「金色夜叉」はあまりお気に召さなかったみたいで、
島崎藤村の「破戒」を「金色夜叉」などより上だとほめていたりするのだけど
その漱石が新聞小説を書くと、「金色夜叉」っぽいノリになってしまうのは、
一般読者の興味を分析した結果なのかもしれないけど、まあ面白い。
実際、「虞美人草」は発表当時大評判となり、関連商品も売れたそうな。
アニメのヒロインが話題になってキャラクターグッズが売れるのと似ている。
藤尾は明治時代のヒロイン像の一つの典型なのだろう。
その影響は「高飛車で上から目線の金持ちのお嬢様」として未だに生き続けている。

ところで、漱石自身は藤尾のようなヒロインは「大嫌い」で、
「虞美人草」という作品そのものが、このいけすかない女を破滅させるための物語だ、
みたいなことを手紙か何かで書いていたはずだ。
たしか門人か誰かにあてた手紙。
「藤尾ちゃん、いいすね、激モエっすよね」みたいな言葉に対して、
「あんなもんを好きになっちゃいかん!あれはダメな女だ、あれを破滅させるために私は小説を書いたんだから!」
みたいな感じだったかな。

実際、物語の終盤になると漱石の筆はノリノリになってきて、ものすごく楽しそうに
自分の創造したヒロインを破滅させている。
文章を読んで書き手の「グルーブ感」を感じたのは僕は「虞美人草」が初めてだったので、
その部分はやたら強烈に頭に残っている。

でも読者はそうは読まなかった。高飛車な藤尾というヒロインが
ものすごく魅力的に映った。
だから関連商品は売れたし、作品も評判になった。
のちに映画化もされたし、ドラマにもなっている。
(自分のイメージだと大原麗子なんだけど、実際は古手川祐子さんだった)

新聞小説の使命として、魅力的なキャラクターを創造し、
その一挙手一投足で読者を引き付けるというのが大きいと思うのだけど、
その点でいえば漱石の「虞美人草」は新聞小説の大成功例なのは間違いない。
でも、漱石自身は、案外「金色夜叉のパロディ」を書いただけだったのかもしれない。
「こういう女を喜ぶとか、おかしいんじゃないか」
と一般の読者に提示したつもりだったのに、読者は藤尾を称賛している。
これぞ新時代の女であると、喜んでいる。この生意気さがかわいんだよね、
俺も藤尾に振り回されてみたいと、けしからんことまで言い始めた。
「従順なだけの女は面白くない、こういう男を足蹴にする女が魅力的なんだ」
まできたところで、漱石はおおいにつむじを曲げる。
以後、漱石は藤尾のような新時代の女はヒロインにせず、
むしろ昔ながらの古い女を持ち上げるようになる。

人妻が百合の花を手にしながら、自らの恋心に罪悪感を感じるとか、たまらんですよ。
それを奪い取って破滅していくとか、本望じゃねぇか!みたいな。
ある意味、裏返しの「金色夜叉」みたいな方向へと走る。
「それから」の美千代さんが藤尾ほど印象的なキャラクターとは思えんけど、
漱石としてはそれは近代と敵対してでも守るべきものだったのかもしれない。

新聞小説の大ヒット作といえば、菊池寛の「真珠婦人」がある。
僕は横山めぐみさん主演のドラマのほうをCSで観て、滅茶苦茶はまった。
昼ドラの帝王といってもいいくらい、奥様方に人気のあった番組である。

男どもを手玉に取る若き美貌の未亡人「真珠婦人」。
その彼女は実は秘めた恋を守り通す一途な女性だった!みたいなお話。
ある意味、「金色夜叉」「虞美人草」のヒロインの発展形なのだけど、
悪女的な新時代の女性に「貞淑な昔ながらの女性」を強引に合体させたところが、
なんとも新機軸だったりする。
これは原作を読んで、そちらも面白いなと夢中になった。

なんでこんなアクロバットなことが可能になったかというと、
状況が清楚で貞淑な女性をどんどん追い込んでいき、
「この恋を守るためには、私は悪女にだってなってやるわ!」
な心境にさせてしまうのだ。だから、本当の意味で悪女ではないのだけど、
大衆娯楽作品としてはこの微妙な匙加減が大いにウケた。
だって、外面的には男を手玉に取る悪女なのに、
実は一人の男を一途に思い続ける貞淑な大和撫子なんですぜ、お客さん。

設定としては日和ってるし、尾崎紅葉や漱石が描き出したかった「醜悪な近代文明」とは、
違うような気がするけど、「一途に恋を守り通すヒロイン」は確かに魅力的なのだ。

新聞小説ではないけれど、ラジオドラマの「君の名は」(アニメじゃない方)も、
状況がヒロインを悪女にしていく系の作品である。
男性が冷静に物語を見ると、
「こうまで不運の連続攻撃を受けると、ギャグとしか思えない」
となるのだけど、製作者のご都合主義は「運命のいたずら」という甘い言葉になり、
「真知子さん、かわいそう!春樹はもっと彼女の気持ちを考えるべきだわ!」
という女性からの共感を引き起こすことになる。
僕は映画の三部作を見て笑いが止まらなかったけれど。
(恋敵のアイヌの少女が谷底に落ちていくときは、腹を抱えて笑ってしまった)

菊池寛が発明した「悪女の免罪符」としての「運命のいたずら」は、
昭和のドラマの全盛期にそれこそ雨後の筍のように乱用されまくることとなる。
本来微妙な匙加減だったものが、乱造され、それがドラマだ!みたいなノリになる。
むしろ、その過酷な運命(製作者の悪意)に立ち向かう健気なヒロインさえ出てくる。
山口百恵の赤いシリーズなんかはそうだろう。
スプリンターのヒロインが走れなくなった足にフォークを突き立てるシーンは、
壮絶なギャグとして僕の中では記憶されているのだけど、70年代のドラマではそれが
割と当たり前の演出だった。運命とは、笑ってしまうくらいに過酷なのである。

この時期のドラマを見まくった自分たちの世代なんかは、
運命がいたずらをするのはむしろ当然のことであって、
それが物語のような気さえするのだけど、たぶんとんでもない勘違いである。

新聞小説の世界で魅力的なヒロインを創造しようとすれば、悪女が一番である。
でもその悪女に道義的免罪符を与えようとすれば、運命のいたずらに頼るしかない。
で、そのうち「運命のいたずら」の面白さに製作者が目覚めてしまって、
ドラマの世界に「運命の歯車の大脱線まつり」がはじまってしまったのではないか、
なんてことをちょっと考えてみた。

何考えてんだろうな、僕は。

2017年7月 6日 (木)

エイトフォー

久しぶりに床屋に行った。若いころは無精に髪を伸ばすのが
「反体制的」
みたいな70年代のノリを引きずっていたので、割とほったらかしだったのだけど、
年を取ると「爺さんの長髪」というのは、よっぽどの覚悟がなくてはできない。
「反体制」のフラッグが「社会不適合者」の烙印になりかねない。
オッサンは東京の片隅でひっそりと漫画を描く「小市民」なのである。

「この街には落ち武者ヘアーの漫画描きがいる!」
と、妙なUMA扱いされて、当局に要注意人物扱いされたくはない。

床屋の話は以前にもこのブログで書いたのだけど、
近所の床屋が「お客さん漫画家さんなんですか」とやたら根掘り葉掘り聞いてくるので、
ここ二十年ほどは隣り町の無口な床屋さんを贔屓にしている。

自分の頭頂部の栄枯盛衰を知り抜いているのは、家族とこの親父さんくらいのもんだ。

平日なのでお客はおらず、店主はお客の椅子でテレビを観ておられた。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」

この頃は無口は無口なりに時事的な会話程度はするので、天候についてあれこれ話した。
台風は僕の知らない間に関東を通り抜けていたらしい。
「今年は雨が少ないので、もう少しいっぱい降らしてもらいたかったですけどね」
なるほど、店のテレビ(床屋式の椅子からは見えない)でも、関東の水がめがピンチで、
荒川水系で節水が始まっているとニュースキャスターの声がしている。
「荒川は埼玉県を通っている」と、どうでもいい予備知識まで披露している。
ダムの貯水率は平年の20%程度らしい。

「今年も去年のキャベツのように、野菜が値上がりするかもしれませんね」
と、適当な感想をのべると、
「そうですねぇ」
と、あちらも適当な相槌を返す。

テレビは節水についての蘊蓄をしゃべり続けている。
歯磨きはコップに水をためて、蛇口の水は流しっぱなしにするな、
髪を洗う時もこまめにシャワーを止めろ、
それだけで一日に2リットルのペットボトル十本分くらいは節約できるらしい。

うちは共栄住宅なので、水を流しっぱなしにするのは配管の中の水を入れ替えるって、
そういう意味もあるんだけどなぁと、ぼんやり考える。
以前部屋の外で水道業者が会話していたのを聞いてしまったのだけど、
「外側のパイプの入れ替え工事をして、それで水は奇麗になりますか」
「ダメだね。個々の部屋への配管は古いままだから、ずいぶん汚いことになっているよ」
と、物騒なことを話題にしていた。
以来、水道の水を口に入れるときは、ある程度流しっぱなしにしている。

基本的にそれほど神経質な人間ではないので、ネットで、
「中国のウナギ業者は自分のところのウナギは食べない」
って話題を読んだ時も、そんなもんかなと納得した。
なんか、始末に困った人間の死体を餌の代わりに養殖槽に放り込んでるとか、
そういう風聞なのだけど、
「危険な薬物を投入されるよりはまだマシ」
「死体が怖くてシャコが食えるか」
とネット人が笑い飛ばしていて、まあそりゃそうだ、生々流転ってくらいで、
自分が普段口にしている有機物にも、かつては人様を構成していた物質もあろうし、
だいたい肉や魚はまんま生き物なのだ。

そんなどうでもいいことをあれこれ考えているうちに床屋は仕事を終えていた。
本当にどうでもいいことだ。
僕は頭をいじられていると面白いアイデアを思いつくことが多いので、
風呂で髪を洗っているときとか、床屋でアイデアを仕入れることがある。
「外国語で話すと人格が変わるって面白いよな」
ってこの店で髪を刈られている間に思いついて、早くメモしなくてはと焦ったこともある。
でもこの頃は割と平凡に、くだらないことばかり考えている。

レジで会計を済ませようとすると、小ぶりなゴミ箱が置いてあった。
「商店街の催しなんですよ」
とクジを引くように勧められた。五百円で一回。僕は七回引くことになる。
五等が五枚、三等が二枚当たった。
「申し訳ない、二枚も当たってしまった」
「景品交換所でお菓子なんかと交換できますよ」
とのことだった。

毎年やっているので、これまでにも干物の詰め合わせとか、割とよく当てている。
今年は何だろうと交換所の文房具屋に向かう。

何も買わないのも何なので、漫画用のインクとピグマを買う。まさに思うつぼ。

三等の景品は店の隅の箱の中から選べるとの話だったが、目ぼしいものはあまりなかった。
むしろ四等の箱の中のほうが、お菓子やらグッズやらがあって賑やかな感じがした。
三等は洗剤とかティッシュの箱とか、制汗剤だったりした。「8×4」だ。
「なんで八かける四なのだろう」と今調べてみたのだけど、
もともとはドイツの商品で、有効成分に
「Hexachlordihydroxydiphenylmethan」
が使われているらしい。これが三十二文字。だから八かける四でエイトフォー。
「ちなみに現在はこの成分は使われていない」となっている。

語呂が面白いから名前だけ意味不明のまま残っているってことか。どうでもいいけど、
商品名の来歴だけまとめたブログがあったら、そこそこ人気になるんじゃないかと思った。

景品を目の前にしばらく考えてから、除菌剤と洗剤を取り出して、
「これいただきます」
とお店の人に提示した。
「そこに袋があるんですよ」と、店主がレジ袋に詰めてくれた。

面白い商品名というと、サランラップがある。
透明な樹脂を発明した二人組の研究者がいて、それぞれの奥さんが「サラとアン」だった。
だから愛妻家の二人はのろけ半分に「サラ・アンド・アン樹脂」と名前を付けた。
それが詰まって、「サランラップ」になったのだけど、
「ン」一文字に短縮されたアンさんがなんか不憫だなと、思い出すたびに考える。

夕方の空は夏前なのでずいぶん明るいのだけど、少し曇っていて、時々雨粒が落ちる。
買い物の奥様方が自転車で行き過ぎる。半袖にコットンパンツで、尻の形が頭に残る。
漫画描きの名言に
「若者は胸にこだわるが、年を取ると尻の良さに目覚める」というのがあるのだけど、
人体のデッサンをしていると、尻のデッサンが案外難しいのだなと気が付く。

尻とはなんであるか。

股関節から足が分岐し、その付け根の形状が尻になる。
ダビンチのように人体の構成を解剖学的に考えると、そこには一切の無駄はなく、
筋肉の配置の妙があの形を作り出していることになる。それなのに、
なんで人間は尻に変なロマンを抱いたりするのだろうか。
一説には、サルは発情期に交尾を促進するために、メスの尻が赤くなって、
それが煽情的にオスを駆り立てるというのがある。
太古の人間にもそういう時期があって、女性の尻の形状に種の保存への欲望が、
フツフツと湧き上がるのかもしれない。

桃の果実や半分に切ったリンゴの断面にも、ロマンを感じる男はいる。

そういったロマンを突き詰めていくと、尻のラインには生命の根源が感じられるようで、
その核心をなんとかつかみ取ってみたいものだなと思うけれど、
客観的に考えてただのエロおやじ以外の何物でもないので、困ったもんだ。
ものすごく哲学的な話題だし、それに人生をかけた芸術家もいるのだけど、
自分には万難を排して尻に人生をかける男気はないなと、
またしてもくだらないことを考えながら、夕方の商店街をブラブラと歩いた。

特に書く話題を用意しないでダラダラ文章を書くと、本当に意味のない文章になるという、
見本みたなものだな。

2017年7月 3日 (月)

七月は文月 本の陰干しの季節だ!


今年も半分終わってしまって、さあ後半戦だと張り切ってみたけど、
なんか雨が降っていたりして結局部屋の中でじめじめと本ばかり読んでいる。
本って言っても、十年くらい前の漫画なのだけど、
「この高校生たちももう二十代の後半か」
と考えるとなかなかに感慨深い。まあ、○○〇(自主規制)なんですけどね。

なんでこの漫画がうちにあるんだろうと考えるのだけと、
なんでかよく思い出せない。
「▽△▽(同上)」も同じ本棚に並んでいるので、たぶん当時プチブームだったのだろう。
この先生の漫画は感情が高ぶってくると絵に作者本人が乗り移って、
ぶっちゃけ、ご本人の顔が絵に出てきているようで、ちょっと困る。
まあそんなことを考えるのは僕だけかもしれんけど、原稿越しに作者の顔が見えると、
同業だけにちょっと居心地が悪くなる。

漫画家の飲み会でとある女性漫画家の方をお見かけして、
そのご尊顔がお描きになっているキャラクターとあまりにそっくりだったので、
思わず隣の方に「リアル○○だ!」と叫んでしまったことがある。
「いやいや、あれ動物キャラだからそんなこと言っちゃ失礼ですよ」
なんてたしなめられたのだけど。

美男美女系のキャラだと作者の願望やコンプレックスの裏返しみたいな事情もあって、
あんまり似ていることはないようだけれど、
少し砕けた感じのキャラクターだと、ご本人に生き写しということはよくある。
実際何度も目にしてるし、その名前を出せないのが歯がゆいくらい、クリソツなのである。
(いつの言葉だよ、クリソツ)
画家はたぶん自分の体を物差しにして絵を描いているので、
顔なんかも自然と画家本人の顔に似てくるものなんでしょう。
だから、売れっ子漫画家には味のある顔の人が多い!とまでは言わないけど、
DNAで絵柄は左右されるなとはときどき考えます。

昔、アマチュアの漫画描きの集まりで、
「怒った表情を描くときって自分も怒った表情で描いてるよね」
って話になって、ああ、僕だけじゃなかった!とうれしく思ったことがあります。
いまだに絵を描いているときによく思い出すのだけど、
そういえばこの頃は年のせいか、絵を描くときは割と無表情だなと、
いまさらのように気が付いたりもします。目玉はカッ!と見開いているのだけど、
口元なんかは表情につられて開いたりはしない。だってよだれが落ちたら原稿汚れるし、
いちいち表情筋を動かすのにも体力を使うお年頃なのである。

若いうちはデッサンの狂いなんかは気にしないで、気合の限りを原稿に叩きつけるのが、
後々のためには良かろうと考えます。デッサンが崩れるからと、
ハンコ絵のキャラばかり量産するよりははるかに良い。
そうやって若いうちに絵の人物の「表情筋」を動かしておくと、
年をとってから無表情で感情の激しい絵が描けるような気がします。
だって、ペン入れするときって、気合を込めすぎると線が汚くなるし、
あんまり気合の入りまくっていびつになった下書きにペン入れするのも、
なかなかに技術のいることなのです。たぶん。

絵の見易さ読みやすさというのが自分の漫画を描くときの重要テーマなのだけど、
激しい感情を絵としてどうやって成立させるか、それがなかなかに難しい問題なのです。
そういうことをつらつら考えていくと、浮世絵師の写楽とか、
あいつはスゲーなと笑ってしまいます。

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激しい感情を絵として成立させれば、それはいい絵なんじゃないかな。

2017年6月21日 (水)

鉛筆の話の続き

 1

地下鉄の工事現場に子供の絵が長い間飾られていた。
そこは有楽町線でも多くの軌道が重なるところで、工事は何年も続いている。
百メートルくらい、殺風景なフェンスが続く道路があったりする。
道なりに地下鉄の軌道があるのだから仕方がない。

あんまり殺風景だから、近所の小学校の子供の描いた絵がフェンスに飾られていた。

どなたのアイデアかは知らないけれど、これが案外悪くない。
何十メートルも子供の絵がひたすら並んでいる。散歩中の自分もつい見入ってしまう。
上手い下手でいえばヘタクソな絵なのだけど、
そのヘタクソさ加減が、なんとも心地よい。
クレヨンや水彩で描かれた家族や友達、未来予想図、心地よい部屋の風景、
そんなものを何十メートルも歩きながら眺めていると、
「これが絵なんだよな」
としみじみ考えたりもする。

絵は上手下手ではない、いくら綺麗に描いてある絵でも不快なものはある。
よく言われることだけど、小学生の天真爛漫な絵が中学にあがる頃から技巧に走りはじめ、
安っぽい漫画みたいな絵になったり、「俺、絵が上手でしょう?」的な空気を漂わせて、
大人をがっかりさせることがある。違う、そうじゃない、そういう絵を描いちゃいけない、
そういう自尊心を満足させるだけの絵は、ものすごく不愉快なんだよと、
叫び出しそうになる。

自分がそういう不愉快な絵をいっぱい描いていたから、なおさら目を背けたくなる。

子供はなにしろ無垢な生き物だから、上手に描こうとか認められたいとか、
あんまり複雑なことは考えない。だから、思春期以降の大人よりはよっぽどいい絵を描いている。、
絵を描く根源的な理由に近い感じはあるから、眺めていると癒される。

 2

鉛筆の話、その続き。

鉛筆で線を引いて、それが気持ちのいいラインか、そうでないか。
一本の線ならいい。
人間には誰にでも、自分の引きやすい線というのがある。
勢いよく、サーーーッと引けば、それはたいてい気持ちのいいラインだ。

では二本目の線はどうするか。
同じような線では絵として成立しないから、ちょっと無理をしていびつな線を引く。
この瞬間に、絵は成立しなくなる。だって、無理やり引いた線なのだから、
それが気持ちがいいはずがない。

子供はそんなことを考えない。
ひたすら気持ちのいい線だけを引く。だから、絵として成立する。

上手な絵を描こうとする人は、無理やり線を引きまくって気持ちの悪い絵を描く。
見た目はなるほど上手そうに見えるが、それはたいてい上手な人の絵の模倣であり、
線の集合体としてはむしろ死んでいることが多い。

だから、無理やり上手そうに描いた絵よりは、下手糞でも勢いのある線の絵の方が、
よっぽど気持ちが良かったりする。
複雑なデッサンを駆使した絵が、なんだか気持ち悪く感じてしまったりするのは、
たいていこんな理由である。もちろん、複雑な絵でも気持ちのいいものは気持ちいいんだけど。

だから、一本目の線を引いて、二本目をどう引くかというのが、
わりと重要な問題だったりする。

うん、まったく鉛筆の話になっていない。

書きやすい鉛筆というのは、芯が本体の中央を正確に貫いている
「そうでない鉛筆なんてあるの」
と聞かれそうだけど、ある。昔の鉛筆は芯が中央に来ていないものがときどきあった。
極端な話だけれど、昔中国の色鉛筆をお隣にいただいたら、
芯が思いっきりずれていて、鉛筆削りで削ったら「ときんときんの木の棒」になった。
芯はその先端のわきに、木星の大斑点のようにずれまくっていた。

書き心地のいい鉛筆というのは、いろんな要素があるけれど、
まず芯が中央になくてはいけない。
そうでなくては、握りを変えるたびに線がぶれてしまう。この、線がぶれるというのが、
なかなかに重要だったりする。

いい絵は線がぶれていない。
常に一定の法則の上に線が存在している。
それは、線が常に円を描いて始点と終点をつないでいるからで、
ようは綺麗な円を描いている。

これがきれいな絵の第一要素。

一本目も二本目も、同じ円の円周上に存在していること。
そして三本目四本目と円を重ねていって、
それらが常に同じ中心点を持つ円の上に構成されていれば、絵は綺麗に成立する。

二本目の線がいびつで不快になりがちなのは、この法則を完全に無視しているからなので、
絵として出来上がったとき、その線が示す円の中心点が、てんでばらばらだったりする。
人の目は対象をとらえたとき、その中心点を無意識に見ている。
いい絵はその中心点が明確であり、見るものはその中心点の明確さをもって
いい絵と悪い絵を区別している。
たぶん、そうなんじゃないかと思う。(いきなり弱気になった)

鉛筆という筆記具の優れたところは、この円を導き出しやすいところにある。
筆だとある程度修行を積まないときれいな円は描けない。
気合を入れて、
「ふんぬ!」
と筆をぶんまわして、
それで中心点の明確な絵になる。
でも鉛筆だと、そこまで気合を入れなくても、消しゴムで線を修正しながら、
大体の形を探ることができる。いわゆる、「下書き」というやつである。

僕は何十年も絵を描いているけれど、それで気が付いたことは、
「自分の絵は芯のずれた鉛筆で描いた絵みたいだ」
ということだったりする。
絵の中心に対して、向かって左側に少しずれている。

いい絵を描く人はたぶん中心がしっかり真ん中にきている
だから二本目三本目と線を重ねても、すべて中心が明確な線になっている。
僕は中心がずれているから、なかなかうまい絵にならない。
人体を描いて、その中心が人体の外側にあったら、それは幽体離脱した絵であり、
見ていて気持ちが悪いのは当然のことだ。

すなわち、絵が死んでいる。

だから、絵を描くときはこの「中心」がしっかり対象の真ん中になくてはならない。
自分の目の右側にすっ飛んでしまった中心を、しっかり目の前に移動させる。
おかげさまで、絵の中心というものは、なんとなくわかるようにはなっているのだ。
それをぐっと中心に移動させて、意識をそこに集中させる。
気合を注入する。
で、頭に浮かんだイメージにそって、鉛筆をできるだけ気持ちよく動かして、
大体の輪郭を一気に描き写す。

あとはその中心を意識しながら、細部をちょこちょこ入れていく。

弘法は筆を選ばすという言葉があるけれど、
いい筆は、持つと自然と中心の明確な線が引けたりする。
ペン先でも、おろしたてのものは中心のはっきりした絵になりやすい。
体がペン先にひきずられて、正しい姿勢になっているからだ。
逆に使い込んでへたったペン先だと、無駄な力が入らないから、体はその分だらける。
そのだらけた体の導き出した中心に向かって、てんでバラバラに線を引くから、
絵はぼやけるし、見ていて不快な絵になったりもする。

でも弘法大師ほどの達人になれば、筆記具の力は借りなくても、中心は見えているので、
どんな筆であろうが、きれいな線が引けてしまう。

初心者ほどいい筆記具を使わなければならないというのは、このためなのだろう。

Photo

本当に、年をとるといろんなものが見えてきて、
若いころにこれが理解できていればなと、歯噛みすることがいっぱいある。
早いとこ医学が進歩して、老人でも十代の若者の気力が持てるようにならないものか。

ま、無理か。

鉛筆の話

社会人になると使わなくなる文房具ってのは結構あります。
分度器とか、三角定規とか、人によっては鉛筆だって触らなくなるかもしれない。
シャープペンシルがあれば日常的には事足りますからね。

鉛筆は鉛の筆と表記するけれど、芯の成分に鉛は一切使われていない。
「芯をなめると鉛中毒になるぞ」
というのは鉛筆の表記に惑わされた誤解だったりします。
……いや、今の子は鉛筆をなめたりしないか。
昔の人は筆に墨を含ませて文字を書いていましたから、
筆先をなめて湿らせていたんです。
その癖で、明治大正生まれのおじいさんおばあさんはよく鉛筆をなめていました。

じゃあなんで鉛なんて名前がついているのかというと、これは単なる「誤解」です。
芯の材料になる「黒鉛」は、昔は鉛が入っていると思われていたそうで、
のちに炭素の塊だと判明したのですが、
「いまさら呼び方を変えるなんてできねぇよ」
ってんで、そのまま「黒鉛」の呼び方が残ってしまったそうです。

で、黒鉛を使っているから「鉛筆」って名称になるのですが、
まあ、「えんぴつ」という音はときんときん(名古屋弁)の芯のイメージに合ってますし、
市民団体も左翼系の歴史学者も特に文句をつける筋合いのことではないので、
そのまま使われ続けております。

僕も細かいことで揚げ足をとって勝利宣言をする趣味はないので、
鉛筆は鉛筆のままでよいのではないかと思います。

……今気が付いたけど、筆の文字を「ぴつ」と読ませるのってなんでなんだろう。
「えんひつ」が自然と「えんぴつ」の発音になったんだろうか。
他には「末筆」くらいしか思いつかないけど、どちらも一度唇を結んでいるから、
そこから「Hi」の音に行くときに破裂音になるのかもしれない。
この「ぴ」の字の破裂音が、なんかいい感じに鉛筆の形態を表している。
英語の「pencil」も破裂音から始まってるし、
破裂音には細くてするどいニュアンスがあるから、偶然にしてもよく出来てる。

ちなみに、ペンシルの語源はラテン語の「ペニス(尻尾)」からきているようです。
これを「ペニスちゃん」みたいな呼び方にしたのが「ペニキッルス」で、
これがラテン語の「画筆」になります。「小さくてかわいいしっぽ」ですね。

……いろいろ突っ込みたいところだけど、ここはあえてスルーします。

いやダメだ、スルー出来ない。

だいたい「ぱぴぷぺぽ」はなんかいやらしい。
「おっぱい」とか「おちんぽ」とか、「ヒップ」とか、「ぷりぷりのお尻」とか、
なんで卑猥な表現には「ぱぴぷぺぽ」が多用されるのか!
おかげで、「えんぴつ」まで卑猥な言葉のように思えてくるじゃないか!

「艶筆」

じゃかーしいわい!

などと一人で盛り上がりつつ閑話休題。
黒鉛を棒状にして、それを手に握って皮や紙にこすりつける、
これが鉛筆の原理です。
さすがにそのままじゃ手が汚れるので、布や紙を巻いたり、木の間に挟んだりします。
この、木の間に挟む形態の発展形が現在の鉛筆になります。

作るのはいたって単純。平たい板の上に溝を何本も彫って、そこに芯を並べる。
上から同様の板をのせて接着材で貼り付ける。
これを芯にそってバラバラに切断すれば鉛筆になります。

だから、17世紀に鉛筆が考案された当初は、芯は四角形で木の部分は八角形でした。
カドを落とすってのが、一番簡単な成型法ですからね。

当初は芯の部分は先端から真ん中あたりまでで、後ろのほうに芯はなかったそうです。
そりゃそうだ、削って使ううちにどんどん短くなるんだから、
後ろまで芯を入れても意味がない。僕は子供の頃からずっと不思議だったんです、
なんで使わないところにまで芯を入れちゃうかなって。

本当になんでなんだろう。

記録上最初に鉛筆を生産したのはドイツの業者だったのですが、
面白いことに、この時期の鉛筆が伊達政宗公の墓所から見つかっています。
どうも輸入品の鉛筆を参考にして国内で作らせたものらしく、
おしゃれな木製のキャップまでついています。
あと、久能山東照宮には家康のものとされる鉛筆が残されています。
これがもし普及していたら、江戸時代は鉛筆の文化になっていたかもしれず、
そうなると浮世絵なんかの芸術方面がずいぶん違ったものになっていたんでしょうけど、
まあ、そうはならなかった。
筆と墨で十分じゃん、となった。

一方、ヨーロッパでは鉛筆はどんどん発展していきます。この違いはなんだろう。
美的感覚の違いかな。横文字は鉛筆で書いてもそれなりに見られるけど、
漢字やひらがなは、均一な線で書くと味わいがずいぶん損なわれる。
それに西洋では船乗りが鉛筆を愛用したって話もあるし、
鎖国中の日本ではそれほど遠くまで航海はしなかったので、
「墨がなくなった!文字が書けねえ!」
みたいなアクシデントが少なかったのかもしれない。

船乗りにとって鉛筆が便利だったのは、インクの補充がいらないとか、
インク壺をひっくり返す心配がないとか、いろいろ考えられますけど、
一番大きいのは水に濡れても文字がにじまない、ってことだったそうです。
だったら、日本でも事情は同じはずなんだけど、
なんでか日本人は鉛筆を使わなかったんだよなあ。
日本で耐水性の開明墨汁が発明されたのって明治になってからだし……

で、まあ明治になって西洋文化が大量に入ってくるようになって、
ようやく日本人も鉛筆を使うようになりました。
明治20年にはあの「三菱鉛筆」さんが国産鉛筆の製造を開始しております。

みなさんご存知のことでしょうが、この三菱と銀行とか車の三菱さんは
まったく関係ありません。別企業です。
三菱財閥が商標登録しようとしたら、十年も前に三菱鉛筆さんが登録していたそうです。

ウイキペディアを見ていて面白い話を見つけてしまった。
戦後になってGHQが入ってきて、日本国内の財閥をすべて解体したのですが、
このとき三菱財閥も解体されています。
アメリカにしてみれば軍需産業の頭目ですから、真っ先に解体します。
戦艦武蔵とか、ゼロ戦とか、さんざん苦しめられた兵器を作ったのはこの企業ですから、
そりゃあぶっ潰します。徹底的に。

で、GHQは三菱鉛筆も一緒に解体しようとしたそうです。

「うちは三菱さんとは別会社じゃ!」
とさんざん抗議しまくって、どうにか理解してもらえたそうですが、
日本人の僕ですら二十歳くらいまで三菱グループの企業だと思っていたので、
外人さんにしてみれば「なんで同じ名前やねん」てなもんでしょう。

「うちのが元祖なのになんで名前を変えなあかんねん!」
ってことですか。

似たような話でオウム真理教事件のときのオーム電機ってのがありますが、
事件の真っ最中に家電品の大値引きセールがあって、僕はアイロンを購入しています。
滅茶苦茶安かった記憶があるので、オームさんにしてみれば不幸なことだったでしょう。
(三菱とオウムを一緒にするなって話ですが)

これが鉛筆の簡単な歴史なのですが、
本当はここから画材としての鉛筆と絵の関係を考察するはずだったんだけど、
断線しまくってるうちに文章が長くなりすぎた。
このへんで終わります。

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