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2018年1月16日 (火)

アイビー


13日土曜日、ノートパソコン死亡。電源オンのままブラックアウト。

先輩から頂戴した年賀状をチェックしていたら、
男女が入れ替わっているのを今ごろになって発見。
えらい手間ですね。子供らがよく承知したもんだ。

ノートパソコンが使えないのでデスクトップをメインで使う。
ただし、慣れないので文章が打ち込めない。

千葉県のシクラメン農家の連載を夕刊紙で読んでた。
布施明の歌のおかげでずいぶん売り上げがあったそうな。
日本のシクラメンには香りはないのだけど、近年は香り付きの品種も開発されたとか。
その農家の人曰く、
「小椋佳はなぜ『シクラメンのかおり』というタイトルにしたのか」
とのこと。
新聞連載だから聞こうと思えば本人に取材もできただろうけど、
まあ聞くだけ野暮ってもんだろう。
昔、「高校三年生」って歌があったんだけど、
その大ヒットを記念して楡だかブナだか、歌に出てくる木を植樹したら、
作詞家の人が「この木は何ですか」と聞いてきて、
ギャフンとなったとか。まあ、作詞なんてそういうもんだ。

花の名前なんて、年をとるまでまったく興味がなかった。
この頃は自分が何も知らないという事実に驚愕して、
散歩中に木にネーム版がついていたりすると、しばらくその名前を唱えながら、
歩いていたりする。

そのくせどうでもいい名前は憶えている。
アイビーとか。
昔、風呂屋で仲良くなったおじさんの部屋に遊びに行ったら、
大量のプランターが部屋を埋め尽くしていて、
「女房が死んでから、子供もいないんでご覧のありさまなのさ」とのこと。
アイビーの小鉢をわけてくれた。

次に風呂屋であったとき、「仕事をクビになった」と裸踊りをはじめて、
男の哀愁というものを教えられたのだけど、
男の裸踊りを見せられたのは後にも先にもあの時一回こっきりだ。

アイビーは観葉植物で、昔は実家の食堂の前にも植えていたし、
喫茶店の店先でもよく見かけた。蔓が壁を這って、建物全体を覆いつくす。
1970年代はそういうのがなんとなく「オシャレ」だったのだ。

少し遠くまで散歩の足を延ばすと、このアイビーに覆いつくされた町病院があって、
今は経営していないと思うんだけど、ものすごく懐かしい感じがする。
しばしたたずんで、子供のころの自分になりきる。

16日火曜日、ノートパソコン復活。内臓バッテリーが尽きて完全オフになった。
ACアダプターにつないでスイッチ入れたら普通に起動できた。
去年のゴールデンウイークにも同じ状態になったので、たぶんまた同じだと思ったら、
やっぱりそうだった。内臓バッテリーが尽きるまでちょうど三日かかったのだな。

久しぶりに適当に文章を打ち込んでみたのだけど、ごらんのようになりましたとさ。

2018年1月 9日 (火)

栞ふたたび


そういえば僕がこのブログで絵をのっけてるのって、
本の栞を作るためだったと思い出したので、
初心に帰って栞を描いてみた。
画材……らくがき帳にピグマ0.1と0.3。旧コミックスタジオ。
D

せっかくなので色も塗ってみた。
B

色を塗ると栞っぽくない。
立体的にしようと躍起になるので、フィギュアみたいになる。
2

栞……正月に青空文庫で「小公女」をダウンロードして、
「意外と面白いぞ」
と夢中になって読んでいたのだけど、栞というものも、
何十年か先には形のない、機能的なシステムになってしまうのかな。
「しおり」というからには、紙であったり金属で会ったり、
なんらかの形を持ったものであってほしいもんだ。

むかし、古本屋で昭和三十年頃の文学書を買ったら、
ページの間にイチョウの葉っぱが挟まっていた。
いったいいつからそこにあったのか、
あるいは、僕が生まれる前からずっとそこにあったのか。
なんとなく捨てるに忍びず、いまだに同じページに挟まったままである。

あれ?前にも同じことを書いたっけ?


2018年1月 7日 (日)

散歩

正月に街を散策していたら、古書店が閉店セールをしていて、
全品だいたい半額になっていた。お客がレジで、
「本当にいいの?これ他所だと○○万円くらいでしょ」
と笑っていた。
「ご愛顧のお礼です」
と店主も笑ってた。

古いマニアックなレコードやCDも置いてある店なので、いろいろ物色してみる。
うん、目ぼしいものはだいたい無くなっている。リパッティのBOXは欲しいけど、
半額でもちょっと高めだよな。
孤高の夭折ピアニストのCDを正月に買うのもなんか違う気がするし……

OL風のお姉さんが、必死でレコードコーナを漁っていた。
ジャズが好きなのかな。

昭和歌謡曲のコーナーを物色。
おう、バービーボーイズだ。懐かしい。
チェッカーズとか、渡辺美里とか、すでに懐メロの世界の住人になっている。
中森明菜のCDがいっぱいあるのは、最近リバイバルしているからだろうか。
年末はディナーショーで自虐的MCを飛ばしまくっていたらしい。
「そう、あなた(お客さん)25歳の誕生日なの。わたしの25歳は……
 あんまりいいことがなかったわね」
……会場がシーンと静まりかえったらしい。当時ワイドショーでいろいろ見ているから、
胸に突き刺さるような感じがする。

THE BOOM。
そういえば昔、沖縄のオムニバスCDですごく好きな曲があったのだ。
タイトル忘れちゃったけど。
そのCDをアシスタントさんに貸したところ、別の大御所先生のところに行ってしまい、
「大先生はとても感激しておられました」
とのことだったので、泣き寝入りするしかなかった。
アシさんにCDを貸すと三割くらい「もらったもんだ」と思われて返ってこない。
まあ、自分の好きだったCDを気に入ってもらったのはすごくうれしいんだけど、
その大先生の漫画を見かけるたび、今でも少しもにょる。

THE BOOMのベスト盤を買う。
レジがおばあちゃんに代わっていて、半額かなと思ったら、三割引きだった。
それでも十分安いけど。

冬の日は日中が暖かくても、日が傾くとものすごく寒くなる。
肩をすぼめて歩いていたら、二十代くらいの女の子が走りながら脇をすり抜けて行った。
ちらと見たらものすごい美人さんだった。美人さんだったけど、
お尻がものすごくふくよかで、走るたびお肉が「たぽんたぽん」と波打っていた。
うわあ、新年早々めでたいものを見せていただいたと心の中で拝む。
女の子はそのままコンビニの中に駆け込んでいった。ありがたや、ありがたや。
寒いからビルからコンビニまで全力疾走だったんだろうな。

ずっとイヤホンで音楽を聴きながら歩いてたんだけど、曲のクライマックスで
電池が切れて突然無音になった。
「ああ」
と天を見上げる。冬の空が寒々しく、風の音が耳に冷たい。

でも何度も聴いてきた曲なので、頭の中で曲を最後まで演奏しきる。万雷の拍手。
感謝感激雨あられ。
よし、今年はいい一年になりそうだ!

2018年1月 3日 (水)

お正月!


あけましておめでとうございます。
2018年です。すげー未来だなと昭和世代の自分は思うのです。

1970年代あたりの小学生時代の自分に自慢してやりたい。
君の生きる21世紀では「コンピューター」をみんなが当たり前に持っていて、
電話も一人一台、携帯しているのが当たり前、
それどころか、そいつで映画も音楽も楽しめてしまう。
どうだ、すごいだろう。

昭和時代生まれの特権として、過去からタイムスリップしてきた自分を体験できてしまう。
その目で2018年の日本や世界情勢を見れば、
問題はいろいろあっても、生きて楽しい未来であるのは間違いない。
まず、食べものがおいしい。旅行もいろいろ見て回れる。
とても全部は楽しみ尽くせない。
人情はまだ死滅していないし、出会いの中でときどきホロリとさせられたりもする。
涙もろい性分なので、ときどき天を仰いで「感無量だ」とつぶやいたりもする。(笑)

楽しんで楽しんで、楽しみ倒しましょう。
みなさまにとっても、そんな充実した2018年であることを心よりお祈り申し上げます。

ずっと東京にいたので特に変わった正月でもなかったのですが、
とりあえずドラマ「風雲児たち」は面白かった!久しぶりにドラマで涙が出た。
漫画のファンにとっては楽しみどころが満載で、あの役者がこれをやるか!
あ!高山彦九郎が高嶋政伸だ!とか、林子平カッコよす!とか、
よくもまあ、あそこまで原作テイストを生かしてもらえたものだと、
またしても感無量。永久保存決定。
最後の出演者テロップが役者さんと漫画のキャラのコラボレーションで、
巻き戻して繰り返し見てしまった。

音楽配信で楽曲ダウンロード。今繰り返し聴いてるんだけど、
クラシックで、サン・サーンスの「アルジェリア組曲」だったりする。
昔、若いころにラジオで聴いて「いいじゃん」と思った曲なんだけど、
なぜかCDにはあまり収録されない。YouTubeだとこんな曲。
新春一発目にふさわしい、元気の出る行進曲の部分。

https://www.youtube.com/watch?v=I0D-cwfiHvc

サン・サーンスさんは器用貧乏で思い切り損をした作曲家で、
日本だと音楽評論家の吉田秀和先生に「お菓子の包装紙の絵」とまで言われ、
楽曲だと「動物の謝肉祭」、それも「白鳥」しか有名曲がないけど、
実はテレビなんかのBGMで頻繁に使われて、聴いたことのある曲がものすごく多い。
「序奏とロンド・カプリチオーソ」とか。

https://www.youtube.com/watch?v=ZnBm5AlO_OI

日本の音楽プロデューサーには実は好かれているんだろうなと思う。
それにしてもこの動画は女の子のワキにばかり目が行ってしまうな。
古澤巌さんかっこいいけど。
動画再生数が高いのは三割くらい脇フェチの仕業に違いない。

今年の年賀状用イラスト。
Photo

本当は別のアイデアがあって、写楽の浮世絵版画をコラージュするつもりだったけど、
江戸兵衛一枚でタイムアップ。
2

これを四枚描いて「Let It Be」のアルバムジャケット風にする予定だった。
でもまあ、こっちの方がお正月っぽい気もする。

それでは今年もよろしくお願いします!

2017年12月31日 (日)

2017年ラスト

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落書き。
年末なので適当に絵を描いて、ピグマでペン入れして、
テレビを見ながらずっと色塗りの練習をしていた。
この色とこの色を組み合わせて、こんな風に陰影をつけて……なんてやってたら、
パソコンのスペックオーバーで漫画ソフトがフリーズしてしまった。
画像を取り出すこともできないので、パソコン画面を撮影するソフトで撮影した。
全体的に彩度を落とし気味にしたけど、派手な絵にはなってる。
これが年賀状でも良かったかな、と思わんでもないが、今年はもう出してしまったので
すでに手遅れ。
まあ、新しい一年を妙なクリチャーで迎えるのも申し訳ないので、これはブログ用に。

今年はあんまり女の子が描けなかったなぁ。
スロマガの担当さんはとても理解がある方なので、
当初は原案段階で色っぽい話を入れまくってくれたのだけど、
これがなんというか、編集部から「よろしくない」と指導を受けまして、
マンガ喫茶で隣の部屋のカップルがおっぱじめた回のあたりでストップがかかりました。
うん、そりゃそうだよね、担当さんはなんてものを僕に描かせるんだと、
責任を他人に押し付けて一人とんずらする漫画家、大目玉をくらう担当編集者。
いやいや、面白いものを描かせてもらったので感謝してますけど、
健全な雑誌を目指してるって話だったから、ちょっとまずいかなとは、
薄々思ってはいたのだな。結局描きたい欲望に負けたけど。

それでも、後半戦のパチスロ対決のあたりはめっちゃ燃えました。
カミナリがズババババーンて飛びまくって、レビンさんがすっかり魔物と化していた。
あれ、ご本人がお怒りでなければいいんだけど、描いてる方はノリノリでした。

カミナリのエフェクトはトーン処理でやってます。
細かい説明はめんどうなので省きますが、カミナリのトーンをレイヤー化して、
黒い部分にホワイトを置いて雷レイヤーを作っています。
コミックスタジオに特に説明はなかったので、その機能に気づいたときは、
「おお!」と唸った。
鉄子ではあんまり使えなかったけど、パチスロサバイバルでは使いまくってる。
めんどうだけど、楽しい作業なのだ。

11月にライドさんの強制終了が発表されて、残念なことになっていたのだけど、
しばらくは歴代の旅打ち人のレジェンドを漫画化する方向になるみたいです。
それはそれで面白そうだなと思う。
女の子は出てきそうにないけど。
先日も電話で担当さんと打ち合わせをして、
「この実在編集者の方は若い女性なのですか」とお伺いいたら、
「気持ちは若いです」
との話だったので、僕の中ではものすごい美少女になりつつあります。

それでは、なんだかんだ今年も大変お世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願いします。


2017年12月26日 (火)

給食

寒いですね。冬ですからね。
日中はそれでもまだ暖かいんですけど、
明け方は本当に寒い。夜型人間にはこたえる。
近況というか、この頃の自分なのですが、
一時味噌ラーメンを作るのがマイブームで、
気が付くと擂粉木でゴマをすり潰していたりして。
ゴマがスープにコクとうまみを与える、というとなんか偉そうですが、
ああ、これおいしいじゃんと今さらのように気が付いたのでした。
小学校時代の給食で「おぼろ味噌めん」というのがあったのですが、、
赤味噌ベースでひき肉を甘辛く煮込んだやつ、再現しようとしても再現できなかったけど、
あれもゴマを入れたらなんか近くなるような気がしてきた。
問題は、ソフト麺が売ってないから、ラーメンで代用せにゃならんこと。
なんだ、味噌ラーメンのつけ麺バージョンじゃないか。

ところで東京都では2015年からソフト麺は給食メニューの定番ではなくなってるとか。
今は米飯給食が主流になっているのだな。
ソフト麺は出荷時に蒸気で蒸したり、いろいろ手間がかかるので敬遠されているらしい。
ああ、蒸気で蒸しているから他の麺類と違っていたのかと、
今さらながら無駄知識を獲得したのだった。
この先消えていくものなら、本当に無駄知識だ。
おいしかったよな、カレー麺とか、名古屋のおぼろ味噌めん。
それも昭和平成の懐かしの味として消えていく運命なんだろうな。

米飯給食。僕が小学生くらいの頃にちょくちょく試験的な導入はあった。
「本日は米飯給食です」
ってんで、いつもはパンが入っているケースに米飯が詰め込んであって、
それをしゃもじですくって配膳した。
なんせパンとかソフト麺にすっかり慣らされていたので、米飯はちょっと抵抗があった。
「給食でご飯って……」
って感じだった。
実際のところ、昭和の日本は米国から大量の小麦を輸入せにゃならんかったので、
「日本人に小麦粉を使った料理を食べさせる」
って裏の理由で給食メニューになっていたわけでして、
僕らの世代はまんまと政府の策謀にはまっていたのだ。
それが、70年代後半から徐々に米のご飯の方にシフトしていった。
お米離れが進むと日本の農家が困るからね。実際、コメの消費量は減少してるみたいだし。
その小麦からお米へのシフトが、ちょうど僕の小学校時代だったわけなのだな。

まあ、七十年代には普通に朝食はパンって家庭も増えていたし、
スパゲッティも定番メニューになっていたので、そろそろ給食も小麦の呪縛から解放だと、
偉い人が考えたのでしょう。あ、スパゲッティってのはパスタのことね。
パスタよりスパゲッティの方がおいしそうな響きで食欲が掻き立てられるんだけどな。

今でもソフト麺を使うケースとなると、コンビニ弁当の肉料理の下の麺がそうらしい。
言われてみればそんな気もするけど、あんな味だったかな。
まとめ買いするためには通販で購入するのがベストみたいだけど、
機会があれば、そのうちまとめて取り寄せてみようかしらん。

七月にパチスロライターの睦月ライドさんが旅打ちで東京まで南下してきていて、
作画担当の自分もお会いすることになった。で、当時絶好調のライドさんに会って、
いろいろお話を伺ったのだけど、帰りに旅打ちで使ってるホンダのカブをみせてもらいに、
某パチンコ屋の駐輪場までそそくさと出向いた。
で、そこに給食を出すお店があって、「おお、こんなところにあったのか」と驚いた。
ライドさんもずっと駐輪してたくせにまったく気づいてなかった。
店が開いてればちょっとのぞいてみたかったけど、お休みだったのかな、
閉まってたんで中は確認できなかった。それでもしつこくのぞきこんでたら、
「そろそろ行きますよ」
と担当氏に急き立てられて、引っぺがすように連行された。
足立区なので次に行く機会がなさそうなのだけど、食べてみたかったな。
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スロマガを読んでいる方はもうご存知だろうけど、
ライドさんは京都であえなく強制終了となりまして、
八回目の旅打ちは行程半分で終わっています。その辺の事情は漫画で描きましたので、
お読みいただければご納得いただけると思います。
漫画はまだ続けていただけるそうですが、内容は只今検討中だそうです。
好事魔多しと申しますか、ジャンジャン稼ぎまくってたライドさんが失格になるとは、
僕は夢にも思わなかったですよ、本当。

そんなこんなで、12月はてんやわんやだったのですが、
大急ぎで強制終了の漫画を描き終え、その次の日にはまた病院で検査だったのですが、
「このタイミングで検査かよ」と間の悪さにちょっと笑ってしまう。
連日たばこプカプカ、徹夜でカップ麺みたいな生活でしたから、
いい結果が出るわけがない。
採血は若い女の子だったので、ちょっと不安だったのだけど、滅茶苦茶上手だった。
「チクッとしますよ」
の「よ」の字のところで、しっかり針が突き刺さっていた。絶妙だと思った。
こちらが身構えるワンテンポ手前で挿入するのは、プロの技だなと感動した。

もうすぐ2017年が終わります。やっと終わるかと、ちょっとホッとしてみたり。
今年は年始に母親から「あんた厄年で今年は碌なことがないから」と脅されて、
なんてことを言うんだこの人はと、憤慨したのだけど、
実際、ロクなことがない一年だったので、母親は偉いなと思ったりしています。
そういえば年始にYahoo!のおみくじ引いたら大凶だったな。
あんなものでも一応当たっているのだなと感心してみたり。

年賀状も出したし、あとはのんびり新年を待つだけなのでした。

2017年12月25日 (月)

何気ない言葉のホントの意味 第五回


●「やばい」
昭和世代にとっては言葉の意味が露骨に変わったものの一つ。
僕が子供のころは「やばいぞ」って言い方はちょっと犯罪者っぽかった。
刑事ドラマなんかで犯人が刑事に追い詰められて、
「やばい!ずらかれ!」
みたいな使い方に限定されていた。つまり、
「悪事が露見してこのままでは捕まってしまう」
という意味だった。
調べてみたら、江戸時代には「やば」の使用例が確認されるそうで、
「盗人や香具師などの隠語であった」
となってる。
僕が子供のころに使っていた意味の方が「正しかった」わけなのだけど、
これが八十年代ごろから微妙に変化し始め、九十年代で意味がひっくり返る。
「やっべー!あの女の子めっちゃやべぇじゃん」
と言われれば、昭和世代は、
「女捜査官に悪事でも露見したか?」となるし、少し後の世代だと、
「ダサい女でも目に入ったのか?」となる。
もちろん、爺さんにも「ああ、かわいい女の子がいたんだな」というのは理解できる。
理解できるのだけど、
この言葉を使っている人間が一瞬、刑事ドラマの犯人に見えてしまうのは、
どうにも仕方がない。
百歩譲って、女の子の神々しいまでの美しさが破邪顕正の輝きとなって、
「やべぇよ、美しすぎて自分の醜さに耐えられねぇよ」
と涙を流して改心する犯罪者、とも考えられなくはない。
結局犯罪者である。
日本人は感激するとみんな刑事ドラマの犯人のモノマネを始めるという、
とても奇怪な現象が蔓延しているように、僕には思えてしまう。

●「しゃらくさい」
写楽といえば、江戸時代の浮世絵師だ。見栄を切った役者の「大首絵」で有名。
活動したのは江戸の寛政期、いわゆる「化政文化」の少し前で、
西暦で言うと1790年代。モーツァルトが貧困に苦しみ、若くして死んだ頃合いだ。
この時期、西欧社会では王侯貴族による封建社会がいよいよ崩壊し、
フランスでナポレオンが暴れまわることで、「人間て平等じゃね?」な考え方が、
いよいよ世界規模で広がっていくことになる。
「人間平等」は非常に響きのいいキャッチフレーズだが、
それがいいことなのか悪いことなのかは、微妙だと思う。
人間は千差万別、個性豊かなのが当然だと思うし、万人が共通の福祉を受けられる社会は、
そりゃ素晴らしいものだと思うけど、
このお題目のために、なんでもかんでも平等にしようとしたために、
切り捨てられた人類の文化は、ものすごく多い。
文化とは、非常に狭いサークル内で趣味のいい人間だけが集まって作られる時が、
一番質のいいものが生まれるものだと僕は思う。
漫画やアニメもそう。政府が介入して「ザ・日本文化」になってしまった頃から、
凋落は始まっている。広大なマーケットを意識して、万人が満足するもの、
たくさん売れるものを指向した瞬間から、文化の質は落ちる。
なんでか。文化は非常に差別的なもので、
「お前らにはどうせわからないだろう」って選民意識が、その質を向上させるから。
「私には理解できる」って優越感が文化の根底には脈々と波打っている。
極端な話、温水トイレを使っている瞬間にも、そのような優越感はあるし、
コンビニの新商品だって、「他の大多数はまだ食べていない味」を先取りするという、
一部人間にだけ許された優越感が購買衝動の根底にある。
だから、「人間は平等」となった瞬間から、その優越感のもっとも高貴な部分が否定され、
松竹梅でいえば松のない竹梅ばかりが絶対正義になった。
ナポレオンを境にして、その後の文化は質的にはどんどん下降線をたどっている。
ライトノベルなんて同じようなものは昔からあったけど、今ではそれが文学の
メインストリートを走っていたりする。
いや、好きだけどさ、ライトノベル。でも出版社が純文学までライト化させてるのは、
まずいんじゃないかな、とは思う。いわゆる「文壇」という秘密結社めいたものが、
まったく力を持たなくなって、売り上げが絶対正義になって、
審美眼の基準がものすごく低くなってしまった。
昨今グローバリズムの反動から世界が保守化しているけれど、僕はもう、
「世界は一つになる」みたいな考え方はやめて、
どんどん細分化して小さくまとまってしまう方が、文化のためにはいいように考えてる。
文化には、馬鹿にされ、嘲られながらも、「お前たちにはわかるまい」と自己満足する、
中二病的選民指向が絶対に必要なのだ。
で、写楽なのだけど、この人は浮世絵界に彗星のように現れ、彗星のように消えていった、
謎の浮世絵師、ということになっている。
デビュー時の刷り物は爆発的大ヒットになった。
それまでの基準で言えば、決して美しい浮世絵ではない。
「なんじゃこりゃ」と眉根をひそませるヘンテコな絵である。
でも表現力はとてつもない、役者の表情からその人間性までも読み取れてしまう。
若造が「こんな下手糞な絵が売れるわけないじゃん」と正直な感想を述べれば、
江戸の通人が、「しゃらくせぇ、お前に何がわかる、こういうのが本当の絵なんだよ」
と優越感に浸ったのは間違いない。それくらいヘンテコな絵なのである。
「しゃらくさい」の語源はこの「写楽齋」から来ているという説もあるけど、
まあ、「しゃらくせぇ」という江戸言葉がさきにあって、
それををもじったペンネームという方が妥当かな。
二葉亭四迷の「くたばってしまえ」とか、左右田一平の「そうだ一杯ぇ」と同じである。
訳知り顔に「くだらない」と批判してくる半可通に「しゃらくせぇ」と罵声を浴びせる、
そういう精神が昔にはあった。
この言葉が現代日本で死語の域に近づきつつあるのは、
人間社会が表面上は「平等」になって、選民思想が悪い意味で排斥されているからだろう。
対語の「お高くとまりやがって」の方は、まだ当分消える気配はない。

●「オロナミンC」
この言葉の何がすごいかって、最後のCの文字がものすごくカッコいいってことである。
発売された1965年の前年、体操競技の世界で「ウルトラC」という言葉が注目された。
すべてはたぶん、この「ウルトラC」から始まっている。
オロナミンCの発売からちょうど一年後、テレビで「ウルトラQ」の放送が始まる。
こちらははっきりと、「ウルトラC」からもじった造語であることがわかってる。
以後、「マジンガーZ」「ウルトラマンA」「フェアレディZ」と続いていく。
日本語の後ろにアルファベットをつけるだけで、なんだか妙にミステリアスで、
ものすごい謎の力を秘めているように感じてしまうというのは、本当に、
日本人にしか理解できない謎の現象である。
「オロナミンC」については、それが「ウルトラC」からきているのかは判然としない。
大塚製薬の公式見解は、
「オロナイン軟膏を作ってる弊社がビタミンCいっぱいの健康ドリンクを作ったよ」
みたいなことになっている。でも、タイミング的には、
「ウルトラC」系のネーミングで間違いないだろう。
この商品が半世紀以上生き残ってる理由は、「元気ハツラツ!」のCM効果もあるけど、
炭酸飲料だったために医薬品の認可が下りなかったことが大きい。
薬局で売れないから全国の小売店で販売する形になった。
なんせものすごく売れたものだから、本家の「オロナイン軟膏」の方も、
「オロナインD軟膏」「オロナインH軟膏」とアルファベットを使うようになっていく。
漫画家の藤子不二雄先生が分離して「藤子F不二雄」「藤子不二雄A」に改名したのも、
たぶんこの流れの上に起こった現象だけど、
藤本先生はなんで「藤子不二雄F」にしなかったのかな。
「ファイター!」みたいでカッコいいのに。

2017年12月17日 (日)

チャンス

まあ、あれだ。
「チャンスってやつは万人に平等に訪れるけど、潰すのは間違いなく自分なんだ」
ってのは、ここ数年折に触れて考えていることだったりする。
なんせ半世紀近く生きているから。チャンスに遭遇したり取り逃がしたり、
いろいろ思い当たることはあるわけです。

中学のころ、担任の先生が言ってたな。
「チャンスの神様には後ろ髪がないから、近づいてきたらすぐにつかめ」
だったかな。とにかく考えるな、とりあえずつかんどけ、つかんでから悩め。
おお、わが担任ながらいいことを言うなと思ったけど、
同じネタを魔夜峰央の「パタリロ」の中に発見して、
なんか有難みが少し減った感じがした。魔夜先生大好きだけど。

若いころはとにかく見栄を張り勝ちだから、チャンスは両手からどんどん零れ落ちていく。
なにせ若いから、この先チャンスなんていくらだってあるだろうと考える。
今のがしてもまたつかめばいいさと思う。
でも、そんなことはない、チャンスはそうそう巡ってこないってのは、
半世紀生きたオッサンの素直な実感である。しまった、つかんどきゃ良かったと後悔して、
夜中に布団の中でもんどりうったりする。
「うわぁぁぁぁぁぁぁなんであの時の自分は馬鹿やっちゃったのかな!」
と心の中で絶叫する。もう遅いんだけどさ。人生の分岐点はものすごい速さで通りすぎ、
同じチャンスは二度とは戻ってこない。だから、みっともなかろうが、浅ましかろうが、
チャンスにはどん欲に食らいついていくべきだ。だいたい、カッコいいいチャンスはない。
チャンスはたいていみっともなくて、カッコ悪くて、赤面するくらい恥ずかしいもんだ。

イギリスに「マニック・ストリート・プリチャーズ」とかいうバンドがいて、
この人たちはある意味ものすごくカッコ悪いバンドだったりする。
特に初期のころは中二病を発症していたとしか思えない。興味があったらウイキを参照。
「ここまでやらかしたらもう生きていけない」
ってネタの宝庫である。
たとえば、初期の曲に「モータージャンク」うんたらかんたらってのがあるけど、
歌詞は、「ジョンレノンが死んだときは大笑いしたぜ、俺には何の意味もない奴だから」
だったりする。デビュー時にラジオでこの曲の解説を聞いて、
「なんて失礼な奴らだ!」
と僕は憤慨したね。あの無礼千万なオアシスのギャラガー兄弟ですら、
「ビートルズなんてくだらない」と発言したドラマーを袋叩きにしていたりする。
「先人に対してのリスペクトがない」だったかな。
まあ、ギャラガー兄弟はビートルズのジョージ・ハリソンが「人間として」大嫌いで、
移動中の飛行機でジョージの息子を発見するや、酒を飲ませてぐてんぐてんにして、
空港に迎えに来たジョージに大恥をかかせる、みたいなことをやらかしてるけど。

で、その「マニックうんたらかんたら」さんたち、略して「マニックス」だけど、
ファーストアルバムを発売するとき、
「俺たちは二枚組のアルバムを出して速攻解散する!」
なんて超絶中二病発言までやらかしていたりする。
普通、思いついてもそんなこと言わない。これがカッコいいと思って発言しているのが、
どうしょうもなく恥ずかしかったりする。
アホかと思う。
で、発売されたファーストアルバムは結局二枚組にはならず、チャートもそこそこで、
これで解散したらホントのアホやなと思っていたら、ちゃっかり二枚目を出してきた。

当然、ファンからは袋叩きにされる。嘘つきの裏切り者呼ばわりされる。
僕らのマニックスは商業主義に堕ちた、となる。
でも二枚目のアルバムは僕は大好きなんだよね。曲も好きだけど、
「カッコ悪くてもちゃんと二枚目を出してきた」ってのは、立派だと思う。
ここでホントに解散していたら、ただの馬鹿野郎だもの。
罵られようが、馬鹿にされようが、汚辱にまみれて仕事を果たしたってのは、
僕にとっては感動こそすれ、くさす要素にはならない。
チャンスは糞まみれの泥だらけになってむしり取るものだ。
安っぽいプライドなんてまったくお呼びではない。

このバンドは、その後もイギリスのゴシップ誌に数々の話題を提供し、
その話題だけで本が一冊書けてしまうくらい、とんでもない話ばかりなのだけど、
四枚目のアルバムで見事イギリスロック界の頂点に立ち(笑)国民的人気を博している。
この四枚目のアルバムはすごいよ。CDの解説が「ついに商業主義に堕したか」
みたいな否定的なレビューで、思いっきりくさしている。
でも僕は大好きなアルバムだったりする。いいじゃん商業主義。
「A Design For Life」はいっときヘビーローテーションだった。
ストリングスばんばん、恥ずかしげもなく繰り出されるオペラのような盛り上がり、
最高じゃん。

恥も外聞もなく、ひたすら売れることに徹する仕事人の姿は、僕はカッコいいと思う。
自分の中二病発言にがんじがらめになって人生を棒に振るのは愚かだ。
まあ、その後もマニックスは中二病を連発して、
「世界で千枚だけのシングルだ」みたいなことをやって、慌てて買いに行ったけど、
ちゃっかりベスト盤に入っていて、ものすごくガッカリさせられたりたりとか。
言いたいことはいろいろあるが、んが!
「The Masses Against The Classes」はいい曲だし、「冬が僕らを一つにする」とか、
歌詞が中二病っぽいけど、あと、ビートルズみたいなコーラスとか、
「ジョンをくさした連中がどの面下げて」と思わんでもないが、
そのみっともない生き方は、僕は嫌いではない。断じて嫌いではない。
半分笑ってしまうけど。

だから若い人は、チャンスが来たら恥も外聞もなく、泥水すする気持ちでつかんで欲しい。
エレガントにつかめるチャンスはない。チャンスはみっともなくてカッコ悪いもんだ。
半世紀を経過して腐敗臭を発し始めているよれよれのオッサンのたわごとなのでした。

そういや、昔、ギターやってるアシさんがいて、
マニックスの黒歴史の数々を話してあげたら、めちゃくちゃウケてたな。
「バンド仲間に話したら腹抱えて大笑いしてた」とのこと。
いちおう、「悲劇のバンド」ではあるのだけど、
その「悲劇」がもうどうしょうもなく、笑えてしまう。メンバー一人失踪してるのに、
それがネタに昇華されてしまうというのは、もうなんというか、すごいね。

まあ、腕にカッターナイフで「4REAL」(本気と書いてマジと読む)って彫っちゃう人
なんだけどさ。

2017年12月13日 (水)

何気ない言葉のホントの意味 第四回

何気ない言葉のホントの意味 パート4

「弘法も筆の誤り」
前の実家のすぐ近くに覚王山日泰寺があって、
毎月21日になると「弘法さん」と称して門前に出店がいっぱい出ていた。
僕も子供のころ、GIジョーのパチモンのサイボーグジョーだったっけ?
買ってきて、GIジョー専用のウルトラマンの着ぐるみをさせてた記憶がある。
で、その弘法さんと言うのが空海のことだと知ったのは、ずいぶんあとになってからだ。
そんで、「弘法さん」が実は日本全国あちこちに存在している縁日で、
おじいちゃんおばあちゃんがわんさか寄ってくるというのも、
知ったのは高校生くらいになってからじゃないかな。
意外と日本人の身近に存在している人なのだな。
千年以上昔のお坊さんだけど、いちおう現在も生きている設定らしい。
弘法様は伝説をいっぱい残していて、いろは歌の作者にされていたり、
書が滅茶苦茶上手だってのも、知る人ぞ知る有名エピソード。
その弘法様がお寺の額に寺院の名前を書くように依頼され、点を一つ書くのを忘れた、
というのがこの格言の元ネタらしい。小学生のころ学研の漫画を図書館で読んで覚えた。
「猿も木から落ちる」という格言と同じ意味なのだけど、
自分より役職が上の人、部長とか社長の失敗を表現する場合は、
さすがに「サル」呼ばわりはできないので、「弘法様みたいですね」と言うことになる。
格言というのもその場その場の空気を読むように、いろいろ気を使ってるんだなと、
ちょっと感心してしまう。
もちろん、影でこっそり「サル」呼ばわりする場合はその限りではない。

「トウモロコシ」
普段あんまり考えないけど、けっこう不思議なネーミングである。
名前の由来の「唐」と「唐土(もろこし)」って同じ意味じゃん、
ネーミングかぶってるじゃん、私の私服ってくらい変じゃん、とは常々考えていた。
調べてみると、この場合の「唐」は「海外産の」くらいの意味で、
「もろこし」の方は中国伝来のイネ科の植物をいうらしい。
海外産のもろこし、と称するつもりが、海外産を全部「唐」と称したために、
唐ものの唐土、と表現するしかなく、トウモロコシという表現が定着してしまったのだ。
……今なんとなく、「お姫様の姫はじめ」という言葉を思いついてしまったけど、
さすがにちょっとお下劣だ。

「黒歴史」
スーパーで買い物してたら、目の前の若夫婦の旦那の方が、
「それって俺の黒歴史じゃん」
と当たり前のように使っていた。いつの間にか日本語として定着しているらしい。
そのうち広辞苑なんかにも採用されるのかもしれない。
意味は、人に知られたくない恥ずかしい過去、思い出したくない若き日の自分、
青春の情動にまかせて好きでもないクラスの女の子とやっちゃったこととか、
思い出すと床をのたうちまわりたくなるような闇の歴史のことである。
出典は∀ガンダムだってのは、オタクの世界では割と有名。
冨野監督は宇宙世紀のガンダムに関するすべてを「黒歴史」の名のもと、
一切合切みんな闇に葬り去ってしまった。物語の中でそういう使われ方をしている。
たぶん、冨野監督が世に送り出した最後の名言なんじゃないかと思う。今のところ。
他にも、「坊やだからさ」とか、
「認めたくないものだな、若さゆえの過ちというものを」とか、
冨野さんがガンダムで送りだした名言は枚挙にいとまがない。
でも、それらがガンダムの名言としてガンダムを土台に語られているのに対し、
「黒歴史」の方は出典不明のまま、日常の言葉として定着しつつある気がする。
似たような言葉に伊集院さんがラジオで発した「中二病」ってのがあるけど、
それよりも使い勝手ははるかにいいように思われる。
スターウオーズの「フォースの暗黒面に堕ちる」ってのが近いかな。
かわいいアナキン少年が中二病を発症し、フォースの暗黒面に堕ち、
ダースベーダーとなって帝国軍の大悪党となるが、精神体となってからだと、
「あれは私の黒歴史だ」ってことになる。エピソード3の終わりからエピソード6まで、
全部アナキン・スカイウオーカーの黒歴史である。
黒甲冑のダースベーダーだけに。
ごめんなさい。ネームを書きあげた勢いで書いているので、
文章がなんか妙なノリになってる。
今回はここまで。一回寝よう。

BGM


仕事部屋の机の脇に、でっかいCDラックを据え付けて、大量のCDを眺めながら、
「今日は何を聴きましょうかしらん」
なんてやるのが、自分の一時期のステータスだった。
ビートルズを流したり、ベートーヴェンを流したり、
好きな音楽を耳にしながら仕事が出来るなんて、こんないい商売はない。

「大使閣下」でご一緒した原作者の西村さんも、
ベトナムで仕事場にラジカセを持ち込んでいた。
あの時流れていたのはテレンス・トレント・ダービーの三枚目のアルバムで、
そのことに触れると、
「お、わかってるね」
とものすごくうれしそうに笑ってた。
お部屋にも入れてもらったけど、エレキギターがずらっと並んでいて、
ああ、この人はギター小僧だったかと、妙に納得がいった。
文章のノリとか、それっぽい感じがする。

どうでもいいけど、テレンス・トレント・ダービーの声を聴いてると、
なぜか柳沢慎吾の顔が浮かんできて、
「あばよ、いい夢みなよ」
と言いだしそうな感じがする。

そうそう、このあいだチープトリックさんの音楽をYouTubeで聴いた。
七十年代に勇名をはせた歴史的バンドが現役で活動しているというのは、
なんか励まされる。
僕が聴いたのは最近アップされた
「ビートルズのサージェントペッパーをフルで演奏してみました」
ってやつで、なんつーか、
非常にビートルズ愛にあふれたものだった。
ものすごく忠実に演奏を再現している。
中盤でシタール(インドの楽器)が出てきたときは、笑ってしまった。
そうだよね、そこでそれやらなきゃサージェントペッパーにならないよね。
(ア・デイの目覚まし時計とか、期待したけどなかった)

チープトリックというと、マジカルミステリーツアーとデイトリッパーのカバーも、
割と好きでよく聴いているけど、
ジョンとやってお蔵入りした「アイム・ルージング・ユー」も、
アルバム版より好きな演奏だったりする。
オノ・ヨーコはなんでこっちを没にしたんだか。

と、まあ親父趣味丸出しの昔の洋楽ロックはよく聴いている。

あとはクラシック。巨匠が次々とお亡くなりになって、
日本でクラシックの巨匠と言うと、もうベルリンフィルのサイモン・ラトルという、
「え、あの人まだ若手じゃなかったっけ?」
という非常事態になっている。
僕と十幾つしか違わないのに。

僕が子供のころは、クラシック音楽が一つのステイタスとして存在していた。
教養として、名曲くらいは押さえておけ、みたいな空気があった。
テレビでもラジオでも、バンバン演奏が流れていた。
それが、カラヤンがお亡くなりになり、バーンスタインも亡くなって、
いわゆる「みんなが知ってるクラシックのアイコン」がいなくなってしまい、
なんか妙にとっつきにくい音楽分野になってしまった。そんなこと全然ないのに。

来日予定の海外指揮者が新聞でインタビューに答えていたけど、
「ハハハ、ドボルザークの交響曲なら何でもよかったんだけど、
今回は新世界交響曲なんだ」と微妙なセールストークをかましていた。
他の交響曲じゃお客が呼べないから、ドボルザークなら「新世界」をやるしかない。
それがスポンサーサイドの要請であることは明白で、来日指揮者もそう答えるしかない。
ホントは第七をやりたいと思っても、お客はたぶん来ない。
六番交響曲なんて、アニメの銀河英雄伝説ファンくらいしか知名度がないだろうけど、
あれはあれで面白い曲なんだけどなぁ。

前にもここで書いてるけど、音楽の需要の歴史は再生装置の発展とリンクしてる。
ドイツの名指揮者カラヤンの生涯はオーディオの発展の歴史抜きには語れない。
ステレオを買って、その性能をフルに発揮させる音楽となれば、
カラヤンのベートーヴェンとか、Rシュトラウス、みたいな感じになる。
でも今、自宅に大掛かりなステレオシステムをそろえるのはよっぽどの愛好家か、
お金持ちくらいのもんだろう。大半はダウンロードしてヘッドホンで音楽を楽しんでる。
そうなってくると、フルオーケストラの微妙な面白さってのは、わからない。
「モーツァルトってみんなおんなじ曲だよね」
みたいな意見まで出てきたりする。そんなわけないのに。

前世紀の末ごろには日本にも朝比奈隆さんと言う伝説のブルックナー指揮者がいた。
現天皇陛下だと思うけど、
「頑張ってくださいね」
みたいなことを言われて、
「勅命により(笑)現役を続けることにしました」とインタビューで答えてた爺さんだ。
個人的にこのエピソードが大好きだったりする。
涼宮ハルヒの朝比奈みくるちゃんはたぶんこの人の名前が元ネタなんだろうなと思う。

あの頃はチェリビダッケとか、ブルックナー指揮者が音楽業界を賑わせていて、
音楽好きならブルックナーを聴け、みたいな空気があった。
交響曲の極北、正当なベートヴェンの後継者の「ザ・シンフォニー」みたいな感じ。
その至高の音楽を録音嫌いで正規版のCDがまったく存在しない、
ミュンヘンのチェリビダッケの指揮で聴くというのが、なぜかものすごいブームだった。
僕もそのブームにのっかって、海賊版のチェリビダッケなんかを秋葉で買いあさっていた。
あの頃の秋葉は、まだオタクの聖地ではなかったんだよな。
石丸電気が懐かしいぜ。

シャルル・デュトワ。N響の指揮者として日本のクラシックに多大な影響を残している。
最近どうしてるのかなと思ったら、今年もしっかり来日していた。
現役の指揮者の中では一番知名度が高いと思う。
この人の名前も某ラノベで美少女キャラにされてたな。
ラノベ作家はクラシックが好きなのか?(インフィニット・ストラトス)
同じフランス人指揮者にシャルル・ミュンシュという伝説の指揮者がいて、
過激な爆演をかましていたのだけど、名前が似ているのでときどきこんがらがる。
デュトワさんの演奏はどちらかというと繊細で安全運転。まったくの別物。

そういう有名指揮者が次々と現役を退いていくと、クラシックのますます縁遠くなる。
最近のクラシック音楽で何かブームってあったっけ?

前世紀だと、ドラマで使われたラフマニノフの交響曲第2番がブームになった。
第三楽章が甘いムードミュージックみたいで、それがウケた。
ラフマニノフのファンには第1と第3の方が出来がいいという意見もあるけど、
一般受けという観点からすれば、第2の第三楽章は群を抜いてる。
なんせ、ハリウッドの甘い音楽の源流はこれなんじゃないかって言われてるくらいだし。
あと、村上春樹が小説の中にクラシックの名前を出すとなぜかブームになる。
日本でヤナーチェクのCDが売れるなんて、誰が予想しただろう。
まあ、ルドルフ・ブフビンダーの名前を出しても反響はなかったけど。(遠い太鼓)

あとは漫画。「のだめカンタービレ」のおかげでクラシックはずいぶん救われた。
それまでベートヴェンの交響曲と言えば運命か田園か合唱くらいだったのに、
そこに「七番」が加わるようになったのはこの漫画のおかげ。
作曲当時は「ベートヴェンの気が狂った」とか「酔っぱらって書いた」とか、
滅茶苦茶言われてた曲だけど、第二楽章の「不滅のアレグレット」が有名だし、
もっと聴かれてもいいのになと思ってたら、聴かれるようになった。
あと、モーツァルトのオーボエ協奏曲も、僕が仕事場で流してたら、
「のだめの曲」呼ばわりされてた。

クラシックの世界では有名曲だけど、一般的な知名度のない曲はいっぱいある。
ショーソンの「協奏曲」のシシリエンヌとか、日本人にウケるだろうにと思ってたら、
某音楽番組のメインテーマに使われて、いよいよくるか!と身構えていたけど、
なんか空振りに終わった。日本人好きそうなのに。
あと、グリーグのピアノ協奏曲は昔は有名曲だったけど、この頃はあんまり聴かない。
たぶん、吉田秀和先生がくさしたからだ。シューマンの亜流だとかなんとか。
でも、日本人が好きそうな曲調だし、リバイバルしてもいいじゃんと思う。
あと、グリーグだと「ホルベルク組曲」は大好き。
前奏曲がシューベルトの第二交響曲の終楽章と一瞬重なる。
グリーグは甘いボンボン菓子だとかアメリカの有名な批評家にくさされてたけど、
そこまで悪いもんでもない。
ダンディの「セヴェンヌ交響曲」。作曲家が貴族で排他主義者だったせいか、
あんまり聴かれないけど、この曲はけっこう面白い。ピアノが大活躍。
シューマンの第二交響曲は日本人指揮者にもファンがいるらしく、
ときどき演奏される。第二楽章が某オーケストラの入団試験に使われていた。
あと、第三楽章がロマン派の管弦楽の中では「至宝」と呼ばれている。
はじめて聴いた時は鳥肌が立った。でも曲全体の構成はかなり奇妙。
でも第三楽章がとにかくロマンチック。そこだけ抜き出しても意味ないけど、
そこを聴くためだけに全曲を聴いてもいいかな、とは思う。(失礼)
あとはブラームスの弦楽六重奏曲の二番の方とか、二つのラプソディとか、
もっと有名になってもいいのにな、とちょっと思う。
同じようにBGMとしてもっと流行ってほしい音楽となると、
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3の2楽章とか、昔から大好き。
曲はモーツァルトの亜流だとか、モーツァルトに挑戦して負けた曲とか、
散々な言われようだけど、僕は5曲の協奏曲ではこれが一番好き。
だいたいモーツァルトのピアノ協奏曲と比べて勝てる曲なんてあるわけない。
ブラームスも言ってるけど、
「今の人がモーツァルトを理解できないから、私らが作曲家をやってるんだ」
となる。
いい音楽が万人に受け入れられるわけじゃない。
僕もバルトークが好きだからってそれを薦めようとはさすがに思わない。
昔、弦楽ディベルティメントを留守電のBGMに使ったら親に怒られたもの。
「それだけはやめなさい」って。

思いつくまま気の向くまま、音楽を語ったらこんな感じになりました。
YouTubeで検索していただけると、ああこんな曲を喜んで聞いてるのねと、
何かの参考にはなるんじゃないかなと思います。なんの参考だよ。

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