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2019年2月21日 (木)

ピグマ


僕は漫画家で、今はピグマがメインの画材になってる。
ピグマは知ってる人には今さらな話なのだけど、顔料インクのサインペンである。
太さがいろいろあって、自分は0.05を使うことが多い。

このサイズになると滅茶苦茶細い線が引けるかわりに、力を入れすぎると先が曲がるし、
中のインクを使い切る前にペン先が摩耗して描けなくなったりする。
一番買い替えの頻度の高いピグマだ。

散歩でぶらりと外を歩いたりすると、わざわざ遠くの文房具屋まで足をのばしたりする。
ピグマはこの手の文房具では定番商品だと思うのだけど、売ってる店は限られていて、
お爺ちゃんが経営している古い店だと置いてあるけど、子供向けの小奇麗な店舗だと、
置いていなかったりする。かわりに女の子向けのカラフルなペンが大量に並んでる。

いや、文房具とはそういうファンシーなものではなくて、合理的で武骨なものなのだ。
あくまで個人の趣味趣向の話なんだけど、
暗殺者の持つナイフがミッフィーの柄付きだったら、ちょっと嫌じゃないか?
まあ、映画やドラマの演出で暗殺者がファンシーグッズを愛用するキャラってのは、
ありだとは思うけど、現実に仕事で使う道具は武骨であってもらいたい。

ピグマは濃紺のボディカラーで、実に落ち着いた色合いだ。そこに金属のフックがあって、
これが小憎らしいことに淡いゴールドの色彩だったりする。ちょいとばかりリッチなのだ。
値段は二百円程度のものなんだけど、そこはかとなく大人の空気を漂わせている。
こいつが机の上にあると、なんか出来る職人さんという感じがする。
漫画家の仕事場でもいいし、官邸のスタッフルームでも、まったくおかしくない。
トランプ大統領やプーチンさんが使っていても、僕はおかしくないと思うぞ。

ところが先にも書いた通り、売ってる店は割と限られている。
ミリペンはあってもピグマはない場合もあり、散歩のコースはだいたい同じになる。

一件、ピグマを扱っていた店はあったのだけど、
そこは老夫婦の経営する古い店で、雑然とした店内は廃墟の一歩手前、物置といった方が、
実情に近い感じのところだ。
嫌いじゃないけど、埃っぽいのはちょっといただけない。この手の古い店は、
マメに手入れをしてこそ、アンティークな味わいが出るのである。

で、一年ぶりくらいでピグマの置いてあるコーナーまで行ってみると、
なんたること、薄っすら埃をかぶってすすけてやがる……
しかも自分の欲しい太さのペンが置いていない。
店のご主人に「ピグマこれだけですかぁ」と聞いてみる。
店によっては箱置きでストックされている場合もあるのだ。一般人は買わないから。

「そこにあるのが全部だよ、お客さん、ピグマならネットで注文するといいよ」

文房具屋が文房具屋の存在を完全否定するような発言をするのだった。
まあ、個人経営の店でご主人も老齢であるから、いまさら商売もくそもないのだろう。
そのへんの気持ちは五十過ぎの自分にもわからんでもないので、
「ありがとうございます」
と礼をのべて店を去った。もうこの散歩コースを利用することはあるまい。
寂しいけど、まあこれも現代社会の縮図である。

個人店舗は軒並みつぶれていき、ネット通販が主力になっていく。
僕が散歩なんかしなくても、かわりに佐川急便のあんちゃんが走り回ってくれるのだ。
ありがたや、ありがたや。

ピグマを箱買いしないのは、僕の意地でもあるのだ。

画材道具の大量ストックは、プロっぽくて嫌いじゃないのだけど、
たとえば箱買いしてある大量の金属のペン先が、今も無為に備蓄されている。
使わないのでアシさんにプレゼントしたりもする。たしかひと箱六千円くらいだ。
ピグマだって、この先ずっと使うかどうかはわからない。
もっといい画材が見つかるかもしれない。
だからまあ、一本一本散歩のついでに買っている。
その方が健康にもいいし、買ったときの記憶が鮮明で、仕事にも身が入る。
他人とのつながりの中で漫画を描いてるって感じがする。
これが割と、大切なんじゃないかと思う今日この頃。

僕が本格的に画材としてピグマを使い始めたのは一年前のことだ。
それまでもちょくちょく使っていたけど、それはあくまで予備的なもので、
Gペンによるペン入れをきっぱりとあきらめて、完全移行したのが一年前、
スロット旅打ちの列伝みたいなのを描いているときの、
三代目旅打ち人タイラさんの回から。
その日は雨が降っていて、一ページ目をペン入れしたらインクが紙ににじんだ。
「こりゃだめだな」
と思って急遽ピグマに持ち替えた。

ピグマは使い勝手のいい画材だけど、惜しむらくは描く線に肉がつかない。
細い線→太い線→細い線
みたいな微妙な変化がつけられず、均一なラインになってしまう……と思っていた。
なんせ、太さ別にサイズが決まっているものだから。

でも印刷されたものを見てみると、荒々しい表現には向かないかもしれないけど、
几帳面で穏やかな線ではあるし、使い込むうちには微妙な線の変化も表現できている。
たぶん一般の方が見ても、これが文房具屋の二百円のペンだとはわからないだろう。

というか、線がにじまない分、こちらの方が圧倒的に使いやすい。

線の肉のつきも、なぜだかどんどん出せるようになってきた。
サインペン特有の均一なラインでなく、
細い線→太い線→細い線
が、使い込んだピグマだとちゃんと表現できていたりする。これはちょっとびっくりした。
……まあ、あんまり熱中してペン入れすると先っぽがひん曲がったりもするのだけど。

ちょいと専門的な話。
日本の漫画の歴史の中で、最初の頃は新聞紙上の挿絵がはしりだと思うけど、
これは印刷の関係上、白黒はっきり分かれたエッチングのような絵が求められた。
濃淡を味わいにする水墨画のような絵は印刷で大量生産できないのだ。
(スクリーントーンを使うようになったのは昭和の四十年代くらいからだと思う)

で、漫画家はこの制約の中で長らく絵を描いてきたのだけど、
濃淡で味わいを出せない以上、線の変化を追及していくことになる。
人体を線で包み込む描法を追及していくと、線に肉をつけることで、
キャラクターの存在感が強くなること気が付く。
だいたい手塚治虫の漫画絵から劇画に移行していく過程だと思うけど、
川崎のぼる先生の巨人の星くらいになると、線に肉がつきまくって、
キャラクターの人体がものすごくリアルに感じられるようになる。
手塚先生の漫画絵と後世の劇画タッチの絵の決定的な違いがこれで、
手塚先生の絵が記号的なのに対して、劇画はリアルに人体を描写している。
(手塚先生は漫画入門を書いていて、そこで漫画絵は記号だと言い切っている)

それはデッサン力とか線の情報量とか、いろいろな理由があるんだろうけど、
線に肉をつけることで、筋肉の隆起を表現できるようになったことも、
割と大きいような気がする。
実際、昔はペン入れというとカプラペンという均一な線を引くものが主流で、
藤子不二雄先生もこれを愛用してらしたと思うけど、
劇画ブームが起こってからは、線に変化がつけられるGペンが主流になっていった。
八十年代くらいになると、漫画と言えばGペン、売れっ子はみんなGペンを使う、
みたいな認識になっていたと思う。少年誌の世界では、たぶんそんな流れだった。

手塚治虫先生の絵が「古いな」と感じるのはそのためで、
劇画ブーム以降の漫画絵と比べると、線の美しさはあっても、
それが人体を抉りだすようなラインではないので、記号的な感じがしてしまう。
手塚先生がムキムキの筋肉男を描いても、そのムキムキ度には限界があって、
どこか「漫画」な感じがしてしまう。
ちば先生の「あしたのジョー」みたいな男同士が殴り合う描写は、向いていない。

もちろん、記号としての絵には別の美質があって、その流れは今でも続いているし、
パソコンで作画する時代になってむしろ均一な線が戻ってきている気もするけど、
人体をリアルに描写しようとすれば、線に肉をつけるのは、割と必須だったりする。

で、ピグマのようなラインマーカーだと、これは向いていないと僕は思ってた。
(ここまでくるのにものすごく話が脱線したなぁ……)
ところが使ってみると、そうでもないというのが素直な感想で、
やろうと思えば劇画調の絵だって、描けるんじゃないか、と思い始めている。

で、そのことをアシさんに話してみたら、
「今さら……ジョジョってピグマで描いてるらしいですよ」
と言われて、僕が一年かけて達した結論が、すでに天才によって出されていたのかと、
すこし世界のことわりの理不尽さを痛感したのでした。

2019年2月 9日 (土)

問答無用で技術的な話(非一般向け)


 1

弟子「師匠に質問です」
師匠「はいはいはい」
弟子「〇ってどうやって描けばいいんですか」
師匠「は?」

弟子「師匠いつも言ってますよね、絵の一番の肝は〇だって」
師匠「いやいや、あれは北斎が書いた略図指南がそうなってるって話だよ」
弟子「えー言ってたやん、〇を究めればどんな絵でも描けるって」
師匠「僕もまだ修行中の身だから断言は出来んのよ。明日には変わるかもしれんし」
弟子「いい加減だなぁ」

師匠「絵がわかった!って瞬間は、今までに何十回とあったんだよね」
弟子「ああ、自分もありますよ、これでもう何も怖くない、何でも来いって」
師匠「絵は紙を回転させてペン入れすればいいってのも、そこで終わりじゃなかった」
弟子「でもここ2年くらいはずっとそのやり方でペン入れしてますよね」
師匠「うん、でも今年に入ってからの2回の原稿は紙を回転させてない」
弟子「!」

師匠「頭の中心に×印を描いて、それを中心だと認識しながらペン入れしてた」
弟子「なんと、それは何か新しい描き方なんですか、是非教えてください!」
師匠「いや、結局その2回だけで、また元の回転させるペン入れになってる」
弟子「……おやまあ」
師匠「このへんのことは説明すると難しくなるんだけどね」

師匠「絵を描くときに×印を配置するってのは、比較的若いころからやってるんだ」
弟子「配置……といいますと、体のパースを決める、みたいなことですか?」
師匠「そう。頭を〇で描いて、その中心から胸のあたりに×を置いて」
弟子「ふむふむ」
師匠「腰、股関節と×を並べていく」
弟子「なるほど、で、手足にも×を配置するんですね」
師匠「肩、ひじ、手首、と打って、大腿骨の始まりと膝、足首と打っていく」
弟子「関節部分が×になるんですね」
師匠「まあ、実際に描く場合もあるけど、点を打つだけの場合の方が多いかな」
弟子「なるほど」

師匠「頭の中にしっかりイメージを作ってると、どこに×を置くかが見えてくるんだ」
弟子「見える?」
師匠「曲がった腕なんかは手首の×を置いて、肩との間をイメージするとひじが見える」
弟子「なんかすごいことを言ってますけど……超能力ですか?」
師匠「そんな大したもんじゃないよ。説明が難しいだけで、誰でも出来るはずだ」
弟子「そうかなぁ……」

師匠「前にこのブログでも書いたけど、僕の人体認識はミクロマンなんだよ」
弟子「日本版GIジョーですね。関節が動く人形」
師匠「絵のアタリを書いてから、関節に×を置いていくんだけど、それは見えるんだ」
弟子「見えますか……」
師匠「まあ、そこは今回はあまり突っ込まないで欲しいんだけどね」

弟子「つまり関節の位置を決めてから、人体の筋肉とかを描くわけですね」
師匠「そうそう。で、これをやっておけば、まずたいていのポーズは描ける」
弟子「ほう、すごいですね!」
師匠「ただし、これをやってしまうと、後から顔を描くときにえらい苦労をする」
弟子「ダメじゃん!」
師匠「顔から描き始めると、体の全体のバランスが取れなくなる」
弟子「ちっ、まったく役に立たねぇぜ」

師匠「いい顔が描けて、それに後から体を加えると、顔が気に入らなくなることが多い」
弟子「なんでそうなるのかなぁ……」
師匠「顔ってか、頭の中心を無視してるから、あとで整合性がとれなくなるんだ」
弟子「?」
師匠「関節と同じように、頭にもどこかに×印を置かなきゃならんわけよ」
弟子「おお、やっと話がつながってきました。だから今年に入って描き方変えてたのか」

師匠「紙を回転させるペン入れを2年間やってて、疑問に感じる点もあったしね」
弟子「といいますと?」
師匠「回転させるってことはどこかに中心があるわけで、俺は何を中心にしているのか」
弟子「……話がまた抽象的になってきた」
師匠「そこまで難しい話じゃないよ。頭にはどこかに中心がある、OK?」
弟子「OK」
師匠「僕はそれが両目の間の奥の方だと考えたんだ。そこに×を置いてた」
弟子「地球のコアみたいなもんですね」
師匠「そうそう、そういう感じ」

師匠「で、今年に入ってからの2回はそれを中心に紙を回転させないでペン入れしてた」
弟子「反時計回りのペン入れでしたっけ。すべての部品を立体と考えて線で包み込む」
師匠「それそれ」
弟子「基本的に上から下の線で描くから、紙を回転させてたんですよね」
師匠「うん。でももともと器用な人間だから、下から上のラインも引けることは引ける」
弟子「え」
師匠「昔アシスタント先でやって、チーフの人に気味悪がられた」
弟子「たしかに、気持ち悪いですね」
師匠「いやいや、そこまで変じゃないけど、やろうと思えば紙を回転さなくても描ける」

弟子「すごいんだか、キモイんだか……」
師匠「まあ、それはどうでもいい話なんだけど、やってるうちに気が付いたことがある」
弟子「なんですか」
師匠「〇って、実は中心を決めなくても簡単に描けるんじゃないかって」
弟子「!」


 2

師匠「顔から描くにしても、きちんと〇の法則上にあれば、体は描ける」
弟子「おお、今までのいろんな問題が一気に解決ですね」
師匠「そうかもしれない、とは思ってる」
弟子「で、その〇の描き方ってのはどうやるんですか!」

師匠「なんかちょっと恥ずかしい」
弟子「……はい?何を頬を赤らめてるんですか!かわい子ぶりっ子ですか!」
師匠「君、何歳だよ」
弟子「ケチケチしないで教えてください、てか教えろ、今すぐ教えろ」
師匠「あのさ……」
弟子「教えないと師弟の縁を切りますよ!」
師匠「なんでそこまでされにゃならんのだ」

師匠「なんかものすごくわかりきったことだから、今さら話すのが恥ずかしんだよ」
弟子「えーーそんなありふれた答えなんですか?」
師匠「人によっては何がすごいのかさっぱりわからんと思う。僕には重要なことだけど」
弟子「……?」

師匠「僕が反時計回りにペン入れするのは、僕が右利きで、それが一番自然だからだ」
弟子「それはなんとなくわかります。左利きなら時計回りになりそうだし」
師匠「これを法則に逆らって時計回りで引くと、線が立体の内側に入り込む」
弟子「ほう」
師匠「アゴのラインなんか、逆に引くとふっくら感が無くなるんだ」
弟子「よくわからんですが、そうなんですか」
師匠「反時計回りだと物体の外側から線で包み込む感じになるけど、逆だと駄目なの」
弟子「……」
師匠「時計回りにペン入れすると、物体の内側からペン入れしてる感じになる」
弟子「……質問。師匠って、線の内側とか外側がわかるんですか」
師匠「ペン入れっても筆と同じだからね。筆で線を引くと、穂先が動くでしょ」
弟子「動きますね」
師匠「穂先の向きと反対側が物体の表面になる」
弟子「?」

師匠「まあここは物体を線で包み込むには反時計回りって覚えておいてね」
弟子「……はい、もっと突っ込みたいけど、今はいいです」
師匠「これは鉛筆で下書きする場合もやっぱりそうで、基本反時計回りで描いてる」
弟子「下書きもなんだ……」
師匠「いや、僕はそこまで厳格にはやってないんだよ。下書きでそこまで出来ないし」
弟子「ダメなんですか?」
師匠「あんまりこだわりすぎると絵が死ぬんだよね。アタリは割と自由にやってる」

師匠「だから下書きするとき、頭のラインなんかはめんどくさくて時計回りになってた」
弟子「ペン入れの時さかさまにすればいいやってことですもんね」
師匠「うん、まあそうだよね。でも、ふとひらめいたことがあってさ」
弟子「はい?」

師匠「時計回りで〇を描いて、それを反時計回りで下書きしたら割と正確な〇になる」
弟子「!」
師匠「少なくとも僕は、これをやると結構正確な〇が描けた」
弟子「!!!!!」
師匠「なに感嘆符並べてんだよ」
弟子「いや、すごいことのような、当たり前のような、なんとも表現に困ります」

師匠「時計回りに描いた〇の歪な部分を、反時計回りで矯正してるんだ」
弟子「いや、まあすごいんですけど、具体的にどうやって絵に反映させるんです?」
師匠「そこは企業秘密」
弟子「ええええええええ!」
師匠「でも下書きするときに時計回りの〇を描いて、反時計回りに清書する感じだね」
弟子「アタリが時計回りとか?」
師匠「例えば瞳なら瞳を時計回りで位置決めして、瞼なんかは反時計回りに描く」
弟子「ほう」
師匠「瞼が描けてから瞳も反時計回りに下書きする」
弟子「おお」

弟子「ちょっとわかりづらいので図解してもらえませんか」
師匠「いや、それはあんまりやりたくない」
弟子「どうして!ケチ!」
師匠「君が質問したのは〇の描き方でしょ。そこはちゃんと話したもの」
弟子「ケチケチケチ!けちん坊!」
師匠「この書き方だって数か月後にはダメになるかもしれないんだよ」

弟子「割といい線いってるような気もしますが」
師匠「手ごたえは、ある」
弟子「ひょっとしてワザとわかりにくく書いてませんか?」
師匠「僕が絵について書くといつもこんなもんだよ」
弟子「いったい何のためにブログで書いているのやら」
師匠「ここまで書いたのって、つまり歪な〇しか描けない人間の矯正法なんだよ」

弟子「矯正法?」
師匠「僕は天才ではない、天才でありたかったけど、そうは生まれてこなかった」
弟子「なんですか、いきなりオッサンが語り始めましたね」
師匠「描ける人間はスイスイ描けるんだよ。そういうのをいっぱい見てきたんだ」
弟子「まあ、そうかもしれません」
師匠「だからね、そういう天才どもの鼻を明かしてやりたいんだよ、僕は」
弟子「……ずいぶんひね曲がった根性ですね」
師匠「生まれながらの才能に胡坐をかいてる人間の足元を掬ってやりたい」
弟子「うわあ、暗い、暗いなぁ!」
師匠「まあ、冗談だけどさ、下手な人間にも上手に描けるやり方ってあると思うんだ」
弟子「いや、今の絶対本音ですよね……」

師匠「そういうやり方を発見するってのも、自分の目標だったりするんさ」
弟子「するんさって、どこの方言ですか」
師匠「たぶん三重弁。母方の親戚が使ってた気がする」

弟子「まあ、いいヒントはいただいたので、自分でいろいろ試してみますよ」
師匠「そうしてちょ」
弟子「ちょ?」
師匠「たぶん名古屋弁」
弟子「なんだかなぁ~」

2019年1月31日 (木)

熱く激しく愛おしく

床屋で頭をワシャワシャ洗われるのが好きだ。
親父さんのごっつい手でこう、ワシャワシャワシャっと掻きまわされる。
「かゆいところはないですか」
とたずねられれば、
「全体的にかゆいです」
と、無茶な要求もしてしまう。
本当にかゆいわけではない、頭を乱暴に掻きむしられる感覚が好きなのだ。

中学時代に読んだ小説でそんなのがあった。筒井康隆だったかな、
あれは畳男だったか、じゃあ違うかな、どうもはっきりしないけど、
ひょっとしたら内田百閒とかそのあたりかもしれない。
床屋で頭を乱暴に洗われる描写があって、それがなんとも心地よさそうだった。

最近だとネットで読んだ小話で、美容院で女の人が頭を洗われているうち、
あまりの気持ちよさにウトウト居眠りしはじめ、
無意識に自分の胸をもみ始めてしまい、ハッと我に返って、
洗い髪のまま逃げ出す、というのがあった。本当かどうか知らないけど、
まあ、それくらい頭を洗われるのは気持ちがいい。

若いうちはそれこそ、髪が引きちぎれんばかりにワシャワシャ洗われたもんだ。

ところが齢をとってくると、どうもそうはいかない。
この頃は床屋の親父もずいぶん弱っているようで、
客の頭を洗う腕に力がまったく入っていない。
サラリーマンならとっくに定年退職していそうな年齢だから、仕方がない、
人間はいつまでも若いままではいられないもんだと、
親父さんがやさしく掻きなでる感触に、諸行無常を感じたりもするのだ……

もちろんこれは冗談である。
親父さんとしては、客の薄くなり始めた髪の毛に十分な配慮をし、
一本でも多くの髪の毛を延命させるために、手心を加えているのだ。
客が毛量の豊かな若者なら、容赦せずにワシャワシャ洗いまわすことだろう。
齢をとったのは、客である自分の方なのだ。

そう考えると一抹の寂しさを感じてしまったりする。
自分はもう、親父さんの手で豪快に頭を掻きまわしてもらえないのだ。
頭皮の破れんばかりにワシャワシャと指をこすりつけてはもらえないのだ。
なんという悲劇だろう。自分はまだそんなひどいハゲというわけでもないのに、
親父さんの善意が、数少ない自分の楽しみを取り上げてしまったのだ。

いやまあ、「もっと激しくやっちゃってください」とお願いすればいいんだけど、
それを言うことが、自分のプライドをいたく傷つけもする。
床屋は頭をマッサージするところではない。
それに、髪の寿命というのも、やはりどうしても気にかかるお年頃なのだ。
ここは親父さんの善意をありがたく受け取るべきなのだろう。

という文章を、アシさんの仕事待ちの間に何となく書いてみた。

頭を刺激されるというのは、ものすごい快感なところが自分にはあって、
若いころ、歯医者で親知らずを抜かれたときの感覚も、自分にはものすごい快感だった。
麻酔をかけられ、治療用の椅子に横になる。口を大きく開け、そこに、
マスクをした歯医者がペンチのようなものを突っ込んでくる。
で、親知らずをペンチの先っちょでつまんで、グググイっと引っこ抜く、
麻酔が効いているので痛みはまったく感じない。ただ頭蓋骨に激しい振動があって、
自分の顎から何かが奪われていく感覚が、割とはっきり伝わってくる。
ゴリ、ゴリゴリ、ゴリっと振動が脳みそに伝わってきて、スポッと抜ける。
これはなかなかに気持ちがいい。そんなことを考えるのは自分だけかもしれないけど。

以前にもこのブログで書いたと思うんだけど、頭への刺激は脳を活性化させる。
漫画で面白いアイデアを思いつくのも、たいていは風呂で頭を洗っているときで、
床屋で頭を洗ってもらっているときも、
「日本語だと地味な女の子が外国語を喋るとカッコよくなる」
ってのが浮かんで、これはオモロイなと喜んだりした。

こうなるといいアイデアを求めて、風呂場で頭を洗いまくったりもする。
まあ、一番大切なのはリラックスすることだから、あんまり意味はないのだけど。

ただそうやって頭を「酷使」するために、髪は擦り減り、薄っすら頭皮が見えたりもする
男とは悲しい生き物なのだ。でもこれはいわば、「傷は男の勲章」的なものであって、
決して嘲笑されていいものでもない。むしろ誇るべきものだと僕は思う。
かのショーン・コネリーがカツラをカミングアウトしたとき、
「天下のジェームス・ボンドが作品のイメージを壊すとは何事か」
という意見もあったけど、僕はむしろ拍手喝采した方だ。ボーンヘッドは美しい、
男はハゲてこそその男っぷりが上がろうってもんだ。

と、馬鹿なことを書いていたらアシさんの仕事が一区切りついたらしい。
仕上げに入らなくちゃ。

2019年1月29日 (火)

飛び出す絵本


日曜にテレビをつけたら大相撲の千秋楽だった。
僕は最近の相撲がどうなってるのかよく知らないんだけど、
先場所の貴景勝が優勝したのとか、面白かったからそのまま見続けた。
今場所はその貴景勝が横綱白鳳を下して、休場所に追い込んだことから、
この若者がいよいよ大関昇進か、という相撲だったらしい。
まあ玉鷲が優勝してその後の貴景勝の取り組みがあかんかったので、
大関うんぬんは来場所以降に持ち越されたわけだけど。

で、中継を見ていたら、玉鷲の優勝が決まった数秒後、NHKの速報が入った。
「玉鷲優勝」
……そんなもん見てればわかるだろう、と思った。
そういえば前回の貴景勝優勝の時もテロップが流れたけど、
これは最近の新たな風習なのかと頭をひねった。

で、調べてみたら、答えらしきものがネット上にあった。
緊急速報は総合、Eテレ、BSとすべて共通に流されるために、
生放送中の大相撲でも自動的に流れるらしい。

で、その緊急速報ののちにもう一度緊急速報が流れて、なんだしつこいなと思ったら、
今度のは嵐の来年解散報道だった。

すげえぜタッキーと、ちょっと思った。
いや、ジャニーズも内部でいろいろあるんだろうなと、下種な勘繰りをしたのだ。
それにしても、嵐の解散はさすがに緊急速報級の話題ではあるのだな。

びっくりした緊急速報というと、もう三十年も前の話だけど、
テレビを見ていたら緊急速報が流れた。
「英ロックバンド、クイーンのフレディ・マーキュリーがエイズを告白」
というものだった。あらら、こりゃ大変だな、でも告白だけで緊急速報とか、
さすが天下のフレディだと思ったら、
数時間後か翌日だったか、フレディ・マーキュリー死去がやっぱり緊急速報で流れた。

エイズが人々の恐怖を駆り立てていた時期だったから、
フレディがエイズというのは、衝撃的な話題ではあるし、
僕個人は緊急速報でもおかしくないとは思うけど、
知らない人がそれを見たら、
「なんでこれが緊急速報?」
だったかもしれない。
最初の速報ではまだ亡くなってはいないわけだし。

八十年代にも、「恋したーら、誰だーってー」のアイドル歌手が自殺未遂して、
その時も速報が流れた。
おや、大変だ、でも命に別条がないならとりあえず良かったと思ったら、
数時間後に「自殺した」のテロップが流れて、
ちょっと混乱した。自殺未遂の後に再度自殺を図って、お亡くなりになってしまったのだ。
岡田有希子さんだ、書いてるうちに思い出した。
僕より一個上だからほぼ同世代。
生きてらしたらもうオバちゃんだけど、記憶の中では永遠に女の子のままだ。
あの曲好きだったけど、配信とかはされているのかしらん。
「あみん」にも同じフレーズと同じメロディラインの曲があって、
そっちも好きだったな……と、話題がそれてきた。

テレビの緊急速報には毎度度肝を抜かれるという話でした。

僕が子供の頃は「飛び出す絵本」がなぜだかうちにあった。
自分で買った覚えがないので、店のお客さんがくれたものかもしれない。
タイトルは「あしたのジョー」……そう、あの名作漫画の飛び出す絵本である。
たぶんだけど、講談社がジョーのアニメ化とその商業的展開の中で、
「これを飛び出す絵本にしたらおもしろいんじゃね?」
と制作したものだと思う。

細部のことはあまり良く覚えていないし、現物もとっくに無くなっているのだけど、
ページを開いたとき、あの泪橋のジムのリングがパーッと広がって、
その上にジョーがいたのは、よく覚えている。
丹下のおっちゃんはリングの下にいたし、他に何人か、マンモス西やらなんやらいたと思う。
飛び出す絵本だから、これらがすべて立体なわけで、
工作大好き少年だった僕は、「すげー」とその仕組みを飽かずながめていた。
リングの横の紙の棒を動かすと、リングの上のジョーがスパーリングをする仕掛けだった。
裏側をひっくり返して、「ページを開くと飛び出すからくり」を頭に叩き込んだ。

その成果は小学校四年の時の、クラスのプレゼント交換で発揮され、
僕は「開けると戦闘機が飛び出すカード」を作って、それをプレゼントに混ぜた。
今でもはっきり覚えている。プレゼントはU君の手に渡ったのだ。
担任の女先生が
「これはかわすみ君の手になるものだね」
と一発で見抜いたことも、覚えている。
覚えすぎて、そのあと、クラスの女の子が突然泣き出したことまで記憶している。
自分のところに回ってきたプレゼントが算数の図形の時間に作った白い箱だったのだ。
立方体をわら半紙でとりあえず表現してみました、みたいなやつ。

女先生としては初めて担任として受け持ったクラスだったので、
いろいろ新しいチャレンジをしてみたのだろうけど、
それだけに毎度いろいろな問題点も飛び出してきた。
まさかそんなものをプレゼント交換に使うとは考えもしなかったのだろう。でも、
いきなり「プレゼントを用意して」と言われた生徒の方も、途方に暮れたと思う。
わら半紙の箱をプレゼントにした子の気持ちも、わからんでもない。

ちなみに、僕がもらったのは、市販のクッキーだった。

大人になった今になって考えてみると、
僕の飛び出すカードをもらったU君はどう思ったのだろう。
そのあと、みんなに見せていたところは記憶しているけど、
小学生が作ったものだから、案外わら半紙の箱と同じだったような気もする。
ただ、それよりはだいぶ手は込んでいたけど、U君は「困惑した」かもしれない。
体育会系だったし。

でも、本のページを開いて、そこに立体物が飛び出すというのは、
ある種ロマンというか、夢があるようにも考えるのだな。

今だとスマホをかざすと立体的な映像が飛び出す、みたいなシステムもあるけど、
そうじゃなくて、純粋に紙だけで立体を表現するってのが、
自分の工作少年だった部分をくすぐるポイントなのだった。


2019年1月25日 (金)

喧嘩草雲

もう昨年の話だったと思うけど、担当さんと電話で話していて、
何かの流れで河井継之助の話題になった。
どうやったら今の仕事の話からそこへ行き着くのか、まったく覚えていないのだけど、
「ヘリのコクピットは前」→「ガトリング砲がついてる」→「ガトリング侍」
って流れだったと思う。
なんでヘリコプターの話になったのかは完全に記憶がない。

「ガトリング侍でネット検索すれば河井継之助が出てきますよ」
「あ、本当だ出てきました」

で、しばらく明治維新しょっぱなの戊辰戦争の話になった。
まあ、大したことは話してないけど。
単純に「ガトリング侍」という言葉が面白かっただけの話だ。
だって、ガトリング侍って、なんだよそれって話だし。

ガトリング砲ってのはご存知連射式の機関銃でありまして、
横のレバーをクルクル回すと「だだだだだ」と銃弾が雨あられの様に飛び出してくる。
これが慶応四年に日本に入ってきまして、三台あったうちの二台を長岡藩が購入している。
そこの家老が河井継之助さんで、よっぽどうれしかったのか、
このガトリング砲を撫でまわし、実際に撃ちまくったりして、
「これがあれば我が藩は官軍にも徳川にも属さず中立でいられるのだ」
と満面の笑顔でのたまうのであった。ちなみに、昔見たドラマでは中村勘三郎が演じてた。

ネットで調べたら、役所広司主演で映画化の話があるらしい。
なんで今?と思ったら、

役所広司→山本五十六の映画主演→山本の尊敬していた同郷の人物

という流れらしい。えらいイケメンの継之助になるな。
原作はたぶん司馬遼太郎の「峠」あたりなんだろう。

司馬遼太郎はこの人物を題材に「峠」「英雄児」の二作を書いているけど、
僕は別に司馬遼太郎のファンというわけでもないので、短編の「英雄児」しか読んでない。
それも、二十代の頃に短編集で目を通しただけだ。

そんでまあ、もう一回目を通しておきたくなって、本棚から持ち出してきて読んだ。
新潮文庫の「馬上少年過ぐ」という短編集だ。
表題作は伊達政宗の生涯を短編にしたもので、全七作品収録。
最初の一遍が河井継之助を題材にした「英雄児」だ。
題名だけだとものすごくカッコいい話かなと思うけど、このタイトルがすでに皮肉で、
「英雄も生まれる場所を間違えると悲惨なことになるよね」
という意味が込められている。

河井継之助は長岡藩の名家に生まれて、幕府だ天皇だという時代の流れの中で
「そのうち徳川と薩長で戦争になるだろう」と予測して、
長岡藩の財政を立て直し、莫大な利益を出して、その金で武器を買いまくった。
日本のスイスとして永世中立を維持して時代を乗り切ろうという算段だった。

ところがこれがギャグ漫画ならそう描かざるを得ないのだけど、
ガトリング砲を手に入れて、この無敵の武器にすっかりのぼせ上ってしまった。
機関銃を打ちまくって「快感……」と酔いしれる薬師丸ひろ子のように(古いなぁ)
河井継之助はこの連射砲に惚れ込んでしまったのだ。
で、これを実戦で撃ちまくってみたい衝動に駆られて、いや、それほど愚かではないけど、
これがあるがために、官軍との間で戦火を交えてしまった。
実際に家老本人がこのガトリング砲を官軍めがけて撃ちまくったりしている。
で、まあいろいろ不運も重なって米沢方面に逃れたところで死んでしまった。

司馬遼太郎はこの人物に対しては批判的というか、割と淡々としている。
長編の「峠」の方は読んでいないのでなんとも言えないけど、
「英雄ってのは困ったもんだね」
というスタンスなのだろう。

ついでなので短編集を順番に読んでいって、
僕はむしろ三本目の「喧嘩草雲」が面白かった。
これを読んだ二十代の頃には完全に読み飛ばしていたけど、
河鍋暁斎とか、今だと結構リアルに想像できるので、惹きつけられた。
題材は田崎草雲という幕末の画家で、足利藩の侍でもある人物。
身長は180センチほどもあって、眼光の鋭い乱暴者。
剣の腕もなかなかのものだったけれど、父親が絵をたしなんでいた流れで、
自分でも絵を描くようになり、ついには江戸に出て谷文晁に弟子入りしたりしている。
けっこうすごい人についてたんだなと思うけど、
その死後は師の画風をまねることを拒絶して、絵師としての栄華の道を断ってしまう。
文晁の弟子でございと師匠風の絵を描いていれば生活に困ることもなかっただろうに、
この人はあくまで「俺は何者か」というところにこだわってしまうのだな。
不器用で世渡り下手くそなんだけど、こういう人物は僕は大好きである。

で、この人も足軽とはいえ侍ではあるので、ご維新の混乱に巻き込まれていく。
司馬遼太郎がこの人物を取り上げたのはおそらく河井継之助と対にするためで、
ほぼ同じような状況になったとき、河井継之助は戦死して藩を滅亡させたのに対し、
田崎草雲はこれを乗り切って、藩主から感謝され、のちに国から表彰までされている。

個々のエピソードも面白い。具体的なところはネタバレになるので書かないけど、
僕はこの短編のいくつかの部分を繰り返し読んで、
「ホントかよ、漫画じゃんこれ」
とご満悦なのであった。
この面白さに気が付かなかった二十代の自分は馬鹿だなとしみじみ思う。

で、今伊達政宗のところまで読み進めているところなのだ。
以上、読書日記なのでした。

夢の話

なんか変な夢を見た。
いや、いつも変な夢ばかり見ているのだけど、
いったい僕のどこからそんな夢が出てくるのか、フロイト様もびっくりだよ、ってな、
変な夢だった。

どことなく、昭和のオカルト番組風に思えた。
薄暗く、青みがかったような色調の夢だった。
画像の粗さが恐怖心をあおる、みたいな。

僕……なのかな、その人物は学生で、歯科関係の専門学校に通っている。
講義を履修する。歯科矯正専門の教授?が担当教諭で、
初老のマッドサイエンティストみたいな人。
雑誌に写真が載っていて、怪しい人だけど大丈夫かなと不安になる。

でも講義は人気で、女の子が大勢受講するみたいだ。
特に美人ではいない、ごく普通のお嬢さん方だ。
いや、ひとりものすごい美人がいた。彼女はこの講義を再履修するらしい。

「歯科言語学」という言葉が彼女の口から飛び出してくる。
なんじゃそれ、と思う。
彼女はカルトな宗教の信者の様に、教授の講義のすばらしさを語る。
「歯は人間のすべてなの。歯を美しく保てば、人間はみんな美しくなれるのだわ」

教授はどうやら、この道を究めた末に、究極の歯科矯正を発見したらしい。
ある特定の言葉を繰り返せば、歯の正しい成長が促進されるのだという。
なんかわかったようなわからないような話だ。
配られたテキストには、その呪文のような意味不明の言葉が印刷されている。
「さあ皆さんご一緒に」
と教授が扇動すると、教室の生徒が全員その呪文を唱え始めた。
まさに新興宗教だなと、僕はトホホな気分になる。

で、教室を見回すと、普通の顔のお嬢さんばかりだったのが、
みんなどんどん綺麗な女の子に変貌していったのだ。
呪文の詠唱が彼女たちの歯を正しい形に矯正したらしい。
なるほど、歯科衛生士が綺麗な子ばかりだと思うのは、マスクで顔を隠すからではなく、
みんなこの授業を受けているからなんだな、と感心した。

じゃあ再履修していた美人さんも、元は一般人レベルの顔だったのか、
と彼女の横顔をマジマジとのぞき込んだところで目が覚めた。

変な夢だった。でたらめのようだけど、筋道は立っているような気がする。
面白かったので「歯科言語学」という言葉を忘れないようにメモした。
起き抜けに夢のメモを見ると「なんじゃこりゃ」と思うことがよくあるけど、
「歯科言語学」というフレーズが独特だったので、細部まで思い出すことが出来た。
まったく、どこから出てきたんだこんな言葉。

変な夢と言えば、何か月か前に見た夢も不思議だった。
僕はマンションの一階の部屋を安く借りているのだけど、
それは部屋のトイレが壊れていて、中庭の掘立小屋のトイレを使う仕様だったからだ。
(という設定の夢ね)
ところが、このトイレがど派手に爆破されたのだ。
なんで、と思うけど、それよりトイレが使えなくなったのが大問題である。

大家さんに懇願しに行くと、近所に病院があるから、そこのを使ってね、と突き放された。
直してよと思ったけど、僕は素直な人間なので、近所の総合病院までトイレを借りに行く。
ところで現実の僕も近所に割と大きな病院があるところに住んでいるのだけど、
夢の中の病院はそれよりははるかに近未来的で、
病院というよりはデパートのような作りだった。
マツモトキヨシが十階建てのビルになったような感じというか、
エスカレーターまでちゃんと完備されていた。

僕は受け付けの看護師の目をかいくぐり、エスカレーターに飛び乗る。
そこには小さなプラスチックのカゴに入った市販薬や日常品、
つまりマツモトキヨシで売っていそうなものが陳列されていたけど、
それを踏みつけにして、僕は上の階にのぼっていく。
最上階で僕はようやくにしてトイレを発見する。高級ホテルのトイレの様に、
広くてピカピカのトイレだった。
さすがに大病院のトイレだ、でも毎日ここに通うのはしんどいな、
と思いながら僕は用を足す。(もちろんおねしょとかはしてませんよ)

で、さっき登ってきたエスカレーターを、商品を踏みつけにしながら下っていく。
止まってれば被害は最小限で済むのに、
僕はとにかく小走りに下っていくのだ。
なんせ、関係者でもないのに勝手にトイレを使っているのだから、
やましさが半端ない。

まったく、安い部屋に住むとろくなことがないな、と思ったところで目が覚めた。

こんな調子で、よくわからない夢を僕は時々見る。
夢は基本的に自分の中の記憶をもとに作られるものだと思うんだけど、
記憶にないような情報が飛び出したりもすることがあって、
ひょっとして夢を見ている間、自分は並行宇宙にでも飛ばされているのか、
と考えてしまうこともある。
僕の夢は総天然色でかなり細部までリアルに見えているのだ。
アニメ調とか漫画調ではなく、現実そのままのリアルな感じである。
まあ、そう感じるだけで実際はけっこうボンヤリしているのかもしれないけど、
例えばエスカレーターの上の商品なんかは、箱書きも確認できそうな感じがした。
まあ、別の夢で文字を読み取ろうとして、起きてから思い返したら、
まったく意味不明の言葉の羅列だったりはしたけど。

自分が覚えている一番古い夢は、幼稚園の頃に見た夢で、
仮面ライダーのクモ男だかクモ男爵だかの怪人が現れて、うちの父に、
「こいつを殺せ」
と命令し、父親が見事に操られるという夢だった。
これはさすがに強烈だったので、いまだにはっきり覚えている。
肉親が実の息子を殺そうと近づいてくるのだから、トラウマものである。
起きてからしばらくは父親の顔を見るのが滅茶苦茶怖かった。

あとこんなのも見た。学生時代だと思うけど、僕はプロレタリアートで、
思想のために特高に逮捕される。こわい特高警官たちに囲まれ、
仲間の情報を吐けと強要されるけど、僕は仲間を売ったりしないぞと考え、
歯を食いしばる。
ところが、いざ拷問が始まろうとするところで、
「ごめんなさい、みんな白状します、拷問はやめてください」
と涙ながらに懇願し始めるのだ。

なんだそれ、かっこ悪いなと思ったところで目が覚めた。
当時の自分は信念に忠実なのがカッコいいと思っていた純朴な人間だったので、
なんか、自分に裏切られたような感じがした。
でも、本当に夢のようなシチュエーションになったら、
僕は仲間を売り飛ばしてしまうかもしれない、たぶんそうなるんだろうなと、
夢ごときでひどく落ち込んでしまうのだった。
まあ、僕はプロレタリアートでもなんでもないんだけど。

ちなみに、この夢を学生時代の友人に話したら滅茶苦茶ウケた。
いかにも君らしい小心者の見る夢だと言われ、
こんちきしょう、話すんじゃなかったと大いに後悔した。
腹が立ったので、
「同じ状況になったら真っ先にお前を売ってやる」とすごんだら、
なおさらウケて大笑いされた。
仕方がないので僕も一緒になって笑った。
まあ、こういう冗談が大好きな変わり者だったんだけどさ。

若いころの夢は割と論理的でわかりやすいような気がする。
まあ、論理的で物語としてわかりやすいから記憶してるんだろうけど。

こんな夢も見た。これは江戸川区で一人暮らしを始めたときの夢だ。
畳敷きの広大な部屋の中央で、僕はポツンと立っていた。
そんで、突然これが夢だということを理解した。
「おお、俺は夢を見ているんだ。夢だから欲望のままに何をやっても自由だぞ」
と興奮しながら走り回ってるうちに目が覚めた。

夢が覚めるボンヤリした意識の中で、
ああ、興奮したら夢から覚めちゃうんだ、これは失敗だったと激しく後悔した。
まったく、二十代の頃の話とはいえ、
夢の中で何をやらかそうとしたのやら。

2019年1月16日 (水)

消しゴム

仕事に一区切りついたので、机の上を少し片付けようかなと思った。
一番汚れているのは、トレース台の脇にたまった大量の消しゴムのかす。
下書きやネームなんかの作業をしていると、鉛筆の線を修正するのに大量に出る。
世の中に、こんなに大量の消すカスを生産する職業が他にあるかな、
と思うくらい、いっぱいたまっている。

文房具としての消しゴムには、それこそいろんな種類のものが存在する。
僕が子供の頃には天然ゴムの消えの悪いものも普通にあって、それがもともとの消しゴム、
なんだろうけど、こちらは六十年代のベビーブーム後の世代なので、
文具メーカーが子供の需要に合わせてしのぎを削った高性能の消しゴムも、普通にあった。
いわゆる、プラスチック消しゴムという奴だ。

これの何がすごいかって、とにかく書いた文字が綺麗に消える。
消しカスがまとまって掃除が楽ちんと、とにかくいいことずくめ。
そういえば小学生くらいの頃は、授業中に消すカスを一本のひもの様にのばしていって、
どこまで長いカスヒモが作れるか、チャレンジしている同級生もいたっけ。
天然ゴムの古い消しゴムだと、カスはバラバラの粉っぽい感じになるので、こうならない。
消しゴム製造業者の創意工夫はすごいなと、この年になって感動するポイントである。

今現在だと、消しゴムの技術はさらに進化している。
よく、消しゴムで線を消していると鉛筆の黒鉛(鉛は入っていない)がカスにまざって、
紙を黒く汚してしまうことがある。こうなると、もう消しゴムで消すことはできない。
白い紙の上に灰色の染みのような部分が残ることになる。
人物の顔を修正しているときにこれが起こると悲惨で、特に女の子の顔なんかだと、
涙ながらに新しい原稿用紙に描き直すことになる。だって、女の子の顔に染みって、
かわいそうじゃないですか、トレースしたり一からデッサンをやり直すことになる。
ところが、こういう事態に対処するため、鉛筆の黒鉛(鉛は入っていない)を
消しカスが包み込んで、紙と直接接することがないようにする消しゴムがある。
まさに、漫画家御用達といってもいいくらい、便利な消しゴムだ。僕は使ってないけど。
(小さい消しゴムを小まめに取り換えることで対処している。もったいないけど)

ほかにも、常に角っこで消す感覚を保つとか、消すときの抵抗が少なくて済むとか、
消しゴムの技術革新は恐ろしいレベルまで進化している。
ただ、それらは特殊な需要に対するものなので、一般人は全く気が付いていない、
それどころか、もう何年も消しゴムを使っていないという人だって、いるかもしれない。
時代はペーバーレスであり、紙を使わないんだから、消しゴムなんて過去の商品なのだ。
まあ、僕は完全デジタルで漫画を描くなんて器用なことはできないので、
死ぬ寸前まで、消しゴムのお世話になるんだろうけど。

そして日々、消すカスは机の上で生産され続ける。
細かいゴミなので掃除機のノズルを狭いタイプに付け替える。
窓のレール部分とか、細かいところを掃除するタイプのやつだ。
これだと、ペンや紙を吸い込む心配がない。多少机の上がとっ散らかっていても、
消しカスだけを綺麗に吸い込むことが出来る。
昔は、金属のペン先が大量に転がっていて、これも一緒に吸い込むと厄介だから、
いちいち消すカスの中から取り出していたけど、今はピグマメインなので、
せいぜいクリップを吸い込む程度だ。まあ、それもできるだけよけるけど。

で、掃除機というものには不思議な魔力があって、やり始めるとあちこちと、
いろんなところを掃除し始めてしまうのである。パソコンのキーボードとか、
ここぞとばかりに掃除しまくる。
煙草の灰とか、いろいろ汚れているのだ。ときどきポロリと落としたりするので。

で、楽しく掃除機をかけまくっていたら、部屋のブレーカーが落ちた。
夜だったので、僕の仕事部屋は真っ暗になる。
おかしいな、電子レンジは使っていないし、そんなに大量の電気は使っていないだろうと、
隣の部屋のアシさんのところ(こっちは電気が落ちていない)へ行ったら、
「ああ、僕の使ってるヒーターはそっちの部屋から電源引っ張ってるんですよ」
とのことだった。
そういえば、パソコンをメインで使うアシさんの部屋だと、
ブレーカーが落ちたら仕事が全部消えるという事態になりかねないので、
暖房なんかは冷蔵庫のあたりから延長コードで引っ張って来ているのだった。
で、その夜は寒かったので、アシさんはヒーターをフルで稼働させていたのだ。
何年も前の話だけど、その時の機転が功を奏して、アシさんの仕事は守られたのであった。
偉いぞ、何年か前の俺。

消しゴムの進化についてあれこれ考えてみる。
自分の世代は、とにかくベビーブーム後の子供がまだいっぱいいた時代だったので、
消しゴムは日本全国で大量に売られていた。子供がみんな使うから、
各社それぞれにいろんな工夫をして、変な商品も大量に発生していた。
匂い付きの消しゴム、なんてのも、僕が子供の頃にはすでに出回っていた。
カレーの匂いがする消しゴムとか……そんなもん、何がうれしいのかと思うけど、
まあ、子供はカレーが好きという共通認識のあった時代だから、
買ってしまう子供はいたのかもしれない。イチゴとかフルーツ系の香りもあった。

あと、消しゴムは子供の身近なアイテムということで、
これを成型型で加工して、おもちゃのようにしたグッズもあった。
僕が小学生の頃は、フェラーリとかランボルギーニとか、スーパーカーがブームで、
当然のごとくスーパーカーの形をした消しゴムが売られていた。
というか、これはちょっとしたブームになったように記憶している。
肝心の消しゴムとしての機能は二の次で、
「子供が学校に持ってきても、消しゴムですと先生に言い訳できるおもちゃ」
という、なかなか巧妙なカラクリで、みんなして放課後に遊んでいた。
鉛筆の尻ではじいて、誰が一番遠くまで走らせられるか、みたいな遊びだ。

このスーパーカー消しゴムのブームの後、僕より下の世代で、
「キン肉マン消しゴム」いわゆる、キン消しがブームになったらしい。
その当時には僕はもう高校生くらいにはなっていたので、よくは知らないのだけど、
下の弟なんかは集めていたように思う。
男には「すべてコンプリートしないと気が済まない」という謎の欲求があるので、
そこを突いた実に巧妙な商売だと思う。

こういうものはどうだろう、その後も続いていたのかしらん。
AKBとかももクロとか、消しゴムになっていてもおかしくないと思うけど、
そもそも、そういう消しゴムを集めて何かうれしいのか、兵馬俑でも作るのかと、
この齢になると疑問に思わんでもない。
始皇帝のお墓だっけ、いろんな民族のリアルな人形を作って、それを並べて埋葬したのだ。
あのコレクター的な情熱と自己顕示欲の無駄な発露は、
消しゴム人形を集める衝動に通じるものがあるような気がする。
気のせいのような気もするけど。

2019年1月14日 (月)

梅原猛さん

梅原猛さんがお亡くなりになったな。
自分も中くらいには長く生きているので、このブログも故人の追悼記ばかりになる。

二十代の頃、アシスタント先で先輩に「梅原猛」の名前を出したところ、
「某御大先生の本棚にはそればっかりだよ」
と苦笑していたりした。なるほど、その当時に連載されていた作品には、
なんかそれっぽい空気があったな、と思う。

そういえば手塚治虫の火の鳥太陽編も、日本の神と仏教の戦いになっていて、
それまでと神に対する考え方が変わってるんだけど、あれは梅原さんの考えに
影響されているんじゃないか、そういう匂いがするなと発売当時は思ったっけ。
真相はともかく、昭和の漫画家さんには結構影響を受けている人が多い。

いわゆる、歴史学の本道ではない。もともとは京都で哲学をやってらした方だ。
その方が日本の古代史についての本を出していたのだから、
その著作はアカデミックなものとはずいぶん変わったものとなる。

今となっては自分が何を読んでこの方の本を買い漁っていたのか、さっぱりなのだけど、
「隠された十字架」は代表作であるし、面白かったからよく覚えている。
法隆寺は藤原氏が聖徳太子の怨念を封じ込めるために作ったお寺である、
でないとなんであんなおかしな建築にしたのかわからない、
という話である。

本堂だか五重塔だかの入り口の真ん中に柱があるとか、
仏像の背面に釘が打ちつけてあるとか、
推理小説の探偵の様に謎を解き明かしていくのも面白かったが、
その論理を展開させる過程で出てきた、
「日本のお墓はなぜ巨大な石を埋葬した遺体の上にのせるのか」
という話が、なぜかはっきりと記憶に残っている。

いわく、死者がこの世への未練や恨みで蘇らないようにするため、というもので、
「ゾンビにフタをする」式のとんでも理論なのだけど、
たとえば菅原道真とか、朝廷の権力争いに負けて九州に左遷されたのち、
お亡くなりになって、その後ライバルたちが怪死するわ、雷が落ちるわで、
「死者が呪ってるんだ」って話になって、それで朝廷がしたことは、
名誉を回復し、天満宮を作って神として祀ることだった。

梅原猛さんは、死者の呪いにフタをするために、これを祀るのが日本人の古来からの習性、
と看破したのだった。恭しく美麗に飾るけど、それは「ゾンビにフタ」なのであって、
華やかな外見の裏には呪いに対する恐れと忌避の感情がある、とのこと。

で、その流れの上で、法隆寺は聖徳太子の怨念を封じ込めるための寺、
という発想につながっていく。
本を押入れから引っ張り出すのが億劫なので記憶だけで書くけど、
太子の死後、藤原氏が太子の一族を滅亡させたことで、その怨念に祟られることを恐れ、
法隆寺を建立した、そのため、この寺には怨念を封じ込めるためのカラクリが、
あちこちに施されている、という流れだったと思う。

歴史学者の考証学的な学問というよりは、直観によるところが大きく、
それを「定説」とするためにはいろいろ足りないところもあるのだけど、
僕がだいたいが直観で行動する人間なので、
この説はかなり面白いし、説得力があるなとと夢中になった。
日本の通俗的な古代史のガイドブックなんかでも、一つの面白いネタとして、
紹介されていたりなんかする。

隆慶一郎の「影武者徳川家康」なんかもそうだけど、
作者が「とんでも理論」とされかねないものを、確信をもって書いていたりすると、
そこにとんでもない熱が生まれて、読者もそれにつられて夢中になったりする。
おかげで、僕には法隆寺は聖徳太子の呪いにフタをするものであるし、
徳川家康は関ケ原以降は影武者二郎三郎ということになっている。

と、テレビで市原悦子さんの逝去が報道されている。
ヒルダが……いや、家政婦は見た!の有名女優さんだな。
ヒルダ……アニメの声優さんとしても創成期の方だったりする。
「君の名は」にも出演していらしたと、今報道されたところだ。
なんとも特徴的な声の方で、僕などはその声で育ったと言ってもいいくらいだ。
なんか、幼少期の本能的な部分をくすぐられる。

ご冥福をお祈りします。


追記

後になっていろいろ記述の間違いがわかって修正してます。
お寺の名前とか……早朝起き抜けに衝動的に書いてるから、
どうもいいかげんになってしまいます。ごめんなさい。

2019年1月 4日 (金)

2019年正月

正月も三が日が過ぎて、だいぶ落ち着いてきたようです。
街を歩いていると、ああ、文房具店なんかは子供のお年玉目当てなのか、
もうやってるんだなと、今さら気がついたりします。
あと床屋さんももう営業していた。近いうちに髪を刈ってもらおう。

松屋の例の一号店に入る。全国の松屋はすべてこの店から始まった。
ところがこの店の状況はそれほどスペシャルなものじゃない。
自動ドアが去年からずっと壊れたままで、手動で開けてくれとの貼り紙がしてある。
「まあ、こういうのは嫌いじゃない」
とガラガラと開けると、店員のお兄ちゃんが、
「シェーマジエン、〇×△ふじこレレレしゃーす!」
と、ものすごくテンションの高い早口言葉を唸る。券売機を開いて中をいじっているので、
ああ、カウンターで直接注文しろと言ってるんだなと見当をつける。
それでも、いちおう何か言葉をかけてみたかったので、
「券売機が使えないんですか」
とあえて言ってみる。
「シャーーーーっす!」

何もスペシャルじゃなく、むしろ個性的なところが一号店のすばらしさである。

正月4日とはいえ、開いてる店はそんなに多くない。
マクドナルドとか、コンビニとか、あと、スーパーはもう開いていた。
必要なものをあれこれ買っていたら、ゴホゴホ咳き込みながら小さい子供が駆けてった。
あとから耳にピアスした金髪のお父さんがついていく。
ああ、なんかヤンマガとか読んでそうなお父さんだなと、妙な感想を抱く。
帰ったらうがいをしなくちゃ。

駅から少し離れたところで、ママさんたちが行列を作っていたので、
何かお菓子でも売ってるのかなと思ったら、洋菓子店だった。
シナモンが焼けるような甘い匂いが通りにたちこめている。
でもなぁ、シナモンてか、ハッカとかニッキとかの匂いって、
和菓子に使われると自分はなんか苦手な感じになる。生八つ橋とか。
あと、つげ義春先生の「ゲンセンカン主人」のおばあちゃんがしゃぶってる姿が、
なんとなく脳裏によみがえってくる。
それから、ケケケケケとか、クェッ、クェッ、とか、日本髪のおかみさんが唸って、
そのあとなぜか、李さん一家はまだこのアパートに住んでいるのです、となる。
漫画ってすごいな、シナモンごときで連鎖的にイメージが蘇ってくる。

シナモンと言えば、
キッコーマンが出してるシナモン味の飲み物が、ドトール並みにおいしい、しかも安い、
というネット上の記事を見てから、ずっと探していたりする。
自分はハッカとかニッキとかは苦手だけど、シナモンは割と好きなのだな。
まったく同じもののはずなんだけど。

今年の年賀状。イノシシ。

Photo

仕上げの段階で、どうも右半分がよくないってことで、トリミングした。
そうそう、僕はどうも左右のバランスのとり方が下手くそのようで、
僕が絵について悩んでる理由の90パーセントくらいは、このバランス感覚に原因する。
たとえば、左右の目がバランス的に傾いているとか。

鉛筆で描くといい絵だけど、ペン入れすると絵がおかしくなるって人は多いと思うけど、
その理由はこれで、がっちり描けば描くほど、バランスの崩れが目立ってくる。
その解決法として、絵をクルクル回転させながら描くというのも一つの手で、
僕はここ二年ばかりはそういうペン入れ法をしていたし、
この年賀状もそうやって描いてる。

でも、頭の中で「中心」を右から左に移動させる感じでペン入れすると、
絵を回転させなくても同じようなペン入れが出来るんだなと、最近になって気が付いた。
いやまあ、そのことはずいぶん前から知ってはいたけど、具体的な解決法が見えた、
みたいな。

それで年末からずっと、僕はとても上機嫌なのだ。

今年の読書はじめは、なんとなく本棚に手をのばしたらそこにあった、
小林泰三さんの「玩具修理者」だった。
……いきなりホラーから始まる新年である。
なんだかなぁと読んでるうち、結構嵌ってしまって、
深層心理を抉られまくっているのだった。
あと、四半世紀前に発表されたものだから、文章からあの当時の空気が感じられて、
そこはかとなく懐かしい。

百年くらいすると、こういう空気も「平成ロマン」みたいになるのかな。
明治、大正、昭和、平成と、ご維新以後の時代もずいぶん経過したもんだ。
昔は明治時代の爺さん婆さんとか普通にいらしたのに、もう誰も残ってない。
それどころか、大河ドラマがいよいよ大正・昭和時代に突入だもんな。
新聞の夕刊小説で先に読んでるけど、僕なんかそれほど昔のような気もしない。
加納治五郎とか、もう時代劇の人なんだな。
NHKの予告も観たけど……悪い意味でドラマ臭がハンパなかった。
ゴテゴテしてるというか、色彩的に落ち着きがないというか、
役者さんの演技も、なんか派手派手しい。僕の勝手な趣味だけど、
もっと武骨でぶっきらぼうな方が、個人的には好印象だったりする。

それでもまあ、観るんだけどね。

おまけ。
トリミングして色をいじった年賀状の最終版。

02


2019年1月 2日 (水)

「名人伝」 その4

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

で、ひたすらアップしている「名人伝」のネーム版、ラストです。
そのうちカテゴリーとしてまとめる予定。

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落語家の古今亭志ん生さんが高座で居眠りをはじめて、
「お!天下の名人が居眠りをしてるぞ」と、お客さんはそれを喜んだ、なんて話がありますが、
至芸とはまさにこういうことを言うのかもしれませんね。違うかもしれないけど。

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