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2012年6月12日 (火)

curator

018

「こんなことってあるんだな……」

人気のない美術館で、自分は少しばかりの居心地の悪さを感じる。

地方の美術館なら、平日の昼に客足が途絶えるということもあるだろう。
けれどここは東京の池袋で、美術館としての規模も大きい。

実際、以前「北斎肉筆画展」が行われた時は、満員御礼の状態で、
エスカレーターが上までびっしりと人でいっぱいになっていた。
お目当ての美人画の前は黒山の人だかりで、とても絵を鑑賞するという雰囲気ではない。
後ろの人に気をつかい、ものの10秒ほどで次の画に移動したものだ。

それが、とても同じ美術館とは思えないくらい、閑散としている。

薄暗く照明を落とした館内で、イタリアの作家の彫刻が並んでいる。
ボナノッテ……現代の作家で小さな盤上に人間らしき小人が配置され、
独自の小宇宙を形成している。抽象化された人間の周囲に、
温かい、作家の人間性を感じる。

けれど、入場して以来、一人の人間も見かけないというのはどうしたことだろう。
まるで、開館前だか開館後だかに迷子が一人紛れ込んでしまいましたという感じで、
集団を愛する日本人としては不安を感じずにはいられない。

作品はどれも素晴らしいと思う。それまで作品集でしか知らなかった彫刻が、
目の前に存在し、何事か語りかけてくる。自分はしばしそれに耽溺し、
愉快な気分を味わいながらも、ふと、その場に自分しかいないという状況に気が付き、
困惑する。

厳密には、自分は一人でない。
薄暗い館内を注意してみれば、光の当たらない柱の影に学芸員の女性がいて、
マネキンのように沈黙して椅子に座っている。
決して目線は合わせない。
自分が作品を鑑賞する目で彼女たちを見たとしても、
その視線は床に落とされたまま、微動だにしない。
彼女たちは職業としてその存在を抹殺し、展示室の備品となり、
たぶん、自分が作品を鑑賞するときにはこっそりとこちらを観察している。
普段は感じない不気味さを彼女たちに感じる。

展示は下の階から二階三階と続き、どのフロアにも客はいない。
決して、その作家が無名だからではない。
たまたま、客足の途絶えたエアポケットのような時間に
自分がすっぽりと入りこんでしまったのだと思う。
イタリアの巨匠の名誉のためにそれははっきりと断言しておく。

最上階は作家の工芸作品のコーナーだった。
その独特の造形と線が日常品やアクセサリーに使われている。
展示室の中央にはガラスのケースが置かれていて、
どうやら宝飾品が並べられているらしい。
何の気もなしにそれを覗き込んで、瞬間、自分は雷に打たれたようにビクリとした。
あまりに突飛な行動に、柱の影の学芸員の女性が視線を向けてくる。
ああ、あなたもそこで驚かれますか、そう言っているような気がした。

そこには巨大なダイヤモンドの指輪があった。

本物かどうかはわからないが、
大粒のその宝石は照明に照らし出され、極上の輝きを放射していた。
作家には申し訳ないが、今でも覚えているのは宝石の圧倒的な輝きであり、
それを支える台座の印象が、思い出そうとしても思い出せない。

結局、その美術館を出るまで、一人の客とも遭遇しなかった。

美術館は駅ビルの中にあり、一歩外に出ると人でごったがえしていた。
平日とはいえ、ここは池袋なのである。

自分は不思議な気分で流れる人波をながめていた。

それからしばらくして東武美術館はなくなってしまったのだけど、
それは全く彫刻家とは関係のない話だ。
自分はただ、恐ろしく特別な時間を体験したのだと思う。
あれから幾つの美術展を見たのか数えきれないけれど、
あのような特殊な時間を味わったことは二度となかった。

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