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2012年7月

2012年7月29日 (日)

怪談2

自分にはいわゆる「霊感」というのはありません。

ただ、霊魂というのはなんとなく存在しているのではないかと
考えることはあります。
以前に書いた墓場トレースの話もそうですが、
死んだ人間に対する敬意というのは、やはり忘れるべきではない。
お盆に墓参りは出来なくても、いちおう先祖に手は合わせています。

自分の父親が亡くなったのは自分が高校の二年生の時で、
9月の中頃のことでした。
それまで元気だったのが、脳の血管が切れて二週間のスピード逝去。
あっと言う間のことでした。

この前後数か月のことは今でも割と鮮明に覚えています。
父が倒れた状況、病院の集中治療室に何度も見舞いに行ったこと、
学園祭のクラス演劇でみんなに迷惑をかけてしまったこと、
その演劇の代役の美術部部長が急な交代だったのに
主演男優賞をとってしまったこと。(彼はとても立派だった。)
父が心肺停止で亡くなったこと、葬式の段取りや親戚とのやりとり、などなど。

ところがそれから何年も経ってから
うちの弟がこんなことを言い出しました。

「あの時計、どうしようか?」

あの時計がなんなのかわからなくて、真顔で聞き返したのだけど、
「あんたが黙ってろっていったんじゃないか。」
と弟はムッとします。

弟が語ったお話はこうでした。
弟は父が使っていたお古の腕時計を使っていたらしいのです。
父はとてもお洒落な人で、背広や時計などを結構とっかえひっかえして、
使わないものを子供にあげたりしていました。
弟は父が病院で亡くなったときもその時計をしていたのですが、
それが父が亡くなった朝の8時14分でピタリと止まってしまったらしいのです。

当時の弟は中学の二年生でしたが、この時計の始末に困ったそうです。
ひょっとしたら、父が死に際に霊的なメッセージを残したのかもしれない。
だったらこのことを家族みんなに知らせるべきではないかと。

それで葬式の準備中に長男である自分に相談をしたというのです。
するとその長男は
「お母さんには絶対教えるな。」
と言ったそうです。いえ、自分なんですけどね、この長男。

母親は父の死後、寝込んでしまいまして、
葬式の喪主も長男に一任という状況でしたから、
そんな不安定な精神状態の人に「死亡時間で止まった時計」なんて見せられるわけがない。
ナイスな判断です、長男。

それで弟はずーーーっと黙っていたらしいのですが、
そろそろ供養するなりなんなり考えた方がいいのではと話を向けたら
長男は完全に忘れていた、ということらしいのです。

今現在、その時計がどうなっているのか自分は知りませんし、
この話自体を母はいまだに知らないんじゃないかと思います。
もし弟が言ってることが本当なら
偶然にしてはタイミングが絶妙なので、父が死に際に時計を止めたと考えるのが
自然なのかもしれません。

父は農家の四男坊で島根から名古屋に集団就職で出てきたのだと聞いています。
僕は自分が名古屋人だと考えていますが、父は根っからの島根県民だったようで、
宴会芸では安来節を披露していたそうですし、たまに野球中継を見ても中日は応援せず、
近所のよしみなのか広島カープばかり応援していました。

亡くなる一か月前に父は同窓会で島根に帰省しているのですが、
その時は買ったばかりの自家用車を自慢するために名古屋から運転していって、
父の次兄一家にわざわざ見せびらかしたりしています。(本家長男は沖縄で戦死してます)
父は三十代までは職を転々としていて、母と食堂をやったりセールスになったりしていたのですが、
四十代になって大おじの会社(国内大手)で認められて大きな仕事をするようになっていました。
自分などは「おじの七光り」と呼んでいたのですが、
応接間のような個室を与えられて、椅子でふんぞり返ったりしていたようです。
たぶん、その姿を島根の親類に見せたかったのだと思います。
俺は故郷に錦を飾ったんだぞ、的な意味で。

同窓会で気炎を吐いてきた父は、ぐてんぐてんに酔っぱらって生まれた育った島根の家に帰ってきました。
とても苦しそうで夜風に当たりながら畑の脇に飲んだものを戻していたので、
自分も畑まで出て父の背中をさすってやりました。
故郷を離れて遠い名古屋の地で、ようやく島根の人たちに自慢できる男になれた、
父はそう考えていたのかもしれません。だから、多少羽目を外すのも仕方なかったでしょう。
それにしてもあまり見られたもんじゃないな、と思いながら背中をさすり続けました。
見上げると満天の星空で、吸い込まれそうなくらいきれいだったのを覚えています。

父の葬式はとても盛大なものになりました。、
町の小さな定食屋の前に恐ろしい数の花輪がズラリとならんだのです。
町の一区画、道路に沿った一面にひたすら白黒の花輪が並び続ける感じです。
父の、というより大おじの会社の威光のすさまじさを実感しました。
なにせ、花輪の列を見た一番下の弟の小学校の教頭が、父を地元の名士と勘違いし、
「もっと早くにご連絡いただけたら花輪をご用意できましたのに」
と喪主の自分に文句を言いだす始末でした。
いや、父はそんな立派な人じゃないですから。

ただ、人生の最後にすさまじい幸運が舞い込んできて、
ものすごく有頂天になっていたのです。

そういう人が突然人生を奪い取られるというのは、
さぞかし悔しかっただろうな、とは思うのです。
時計の一つくらい止めて、意思表示くらいはするかもしれない。
ただ、自分は心のどこかで「いいかげんにしろ」と考えていたのだと思います。
もし、父が怪奇現象を引き起こしたのだとすれば、
それは末っ子根性で人の注目をひきたがる父の甘えだろうと。
今の自分がそう考えるのだから、17歳の自分だって同じことを思ったのかもしれない。
だから、怪奇現象を黙殺したんじゃないでしょうか。
まあ、単にテンパっていて記憶が欠落した可能性も高いですが。

父に出来たことなら息子の自分にもできるかもしれませんが、
自分はたぶん、時計を止めて生きてる人たちを困惑させるようなことはしないはずです。
父が末っ子根性を生涯引きずったように、自分も根っからの長男気質なので、
われ関せずで黙々と成仏する気がします。多少不平や不満があっても
それを耐えてしまうのが長男気質なのです。

怪談と銘打っておきながらちっとも怖くない霊の話でした。

P1030947

正月に名古屋に帰省したとき弟の部屋に忍び込んで勝手に撮った写真。
削除して欲しかったら電話ください、弟。
手前はたぶん西部警察仕様のフェアレディーZ。
僕もプラモデル作りたいです。

2012年7月22日 (日)

夏の風物詩

夏と言えば「かき氷」ですが、自分が子供の頃、実家の食堂ではかき氷を出していました。
もう数十年前の話なので、今とはだいぶん勝手が違うかもしれませんが、
あの頃は氷は氷屋さんから買っていました。

麦わら帽子をかぶったおじいさんが自転車の荷台に氷を載せてもってくるのです。
「毎度どうも」
と言って荷台の箱のふたを開けるとガラスのように透明な氷が入っていて、
それを鎌とか鋸を使って必要なだけ切りわけるのです。

自分は大人がそういう作業をしているのを見ているのが好きだったので、
「坊や、あぶないよ」
と言われながらも、氷が切断されるのをじっと見ていました。

業務用の氷は透明度が高くて気泡も少なく、とてもきれいです。
今でもホテルの宴会とかで氷の彫刻は製氷会社が作っていたりしますが、
まじかで見ると吸い込まれそうなくらい透明です。

その透明な氷をかき氷にして店で出していました。

例の鋼鉄製の巨大なかき氷器がありまして、
鉄の爪でがっちりと氷を固定して、ハンドルをガシガシ回すと
下からサクサクのかき氷が出てきます。

これに金属製の長い杓を使ってシロップをかけます。
イチゴ、メロン、レモン、練乳あずき
確かこんなラインナップだったと思います。

当時は店を出してまだ数年といったところなので両親も張り切っていたのでしょう、
店先には白地に赤く「氷」と染め抜かれたのぼりも吊るしました。
これは数年前までは実家に残っていたのを見た記憶があります。

自分の父親は若いころに名古屋の製氷会社にいたので、
たぶんかき氷の氷はこの○東製氷さんから買っていたのだと思います。
親戚の人が長く勤めていらしたので自分もこの工場に何度か行っているはずなのですが、
氷を裁断する巨大な回転のこぎりと大きな冷凍施設の記憶がかすかに残っているだけです。

業務用に作られた氷は家庭では絶対に作れない美しさがあります。
あの感じを自宅でも出せないものかと、湯冷ましの水で氷を作ったりとかしてみるのですが、
あんなきれいな氷は絶対に作れません。

透明度の高い氷をまるまる使って洋酒のロックとか、オツなものです。
最近は日本酒ばかりで洋酒は飲まないのですが、
ああいう氷の贅沢というのもたまにはやりたいものですね。
似合わねーけど。

写真のコーナー

P1040421

写真は汐留にある旧新橋駅(復元)です。日本で最初の駅ですね。
明治五年に新橋ー横浜間が開通して、これが日本の鉄道のはじまりになりました。

P1040445

当時の写真。自分が写り込んじゃったのでモノクロ化して誤魔化してます。

現在はビアホールみたいになっていて、屋外で一杯やれます。
明治三年に0哩標識(ゼロマイルヒョウシキ)が打ち込まれた跡があって、
ここから日本の鉄道が始まった!と盛り上がりたいところなのですが、
すべてレプリカなのであんまり盛り上がりません。

P1040437

裏側から見たところ。ホームです。
パーティーご予約承り中とありますが、
明治の人たちはここから西日本へ旅立っていったのだと想像して
感涙にむせびましょう。

内部は展示施設があってそれなり楽しめます。

2012年7月13日 (金)

怪談

漫画家にとって恐ろしいもの、それは

「トレース」

写真をコピーして上に原稿用紙を重ね、下から光を当てながら写真を写し取る。
すると、なんやしらんすごい上手な絵が描ける。
アスリートにおける薬物使用、
会社における粉飾決済、
女性におけるコテコテの厚化粧、
それがトレース。

青年誌の作家さんでアシスタントさんと公園でひたすら格闘シーンを演じ、
撮影した写真をトレースしてリアルな格闘シーンを描く人がいる。
これは「良い漫画家さん」。

グラビア雑誌でカッコいい写真があったので、
それをトレースして顔だけ自分のキャラクターに置き換える。
これは「悪い漫画家さん」。

自分のところにいるアシスタントさんで料理の絵がすごく上手い人がいるけど、
この方はトレースがあまり好きではないので、料理関係のトレースはまずない。
こちらがチャラチャラと描いたアタリに丁寧に料理の絵をいれてくれる。
あんまり丁寧すぎて同業の先生から「あれ、トレースですか」とその本人が聞かれたそうだ。それくらいよく出来てる。

逆に、トレースが得意なアシスタントさんも多い。そういう人に
「このファントムをフリーハンドでよろしく」とかお願いするとチョロQファントムになったりする。
「ダメじゃん」とかクレームを入れると、
「アタリ通りに描きました。アタリの段階でデッサン狂ってたんじゃないですか」
とか言われて泣く。アタリをトレースするんじゃねえ。

泣きたくないからそのアシスタントさんにはトレースで背景をお願いした方が楽だ、という考えになる。
それで外出するときはカメラを持ち歩いてパシャパシャ写真を撮る怪しいお兄さんになる。
あとで現像すると、写真の中のお姉さんがスゲー怖い目で睨んでたりする。ごめんなさい、後ろの新宿の街を撮ってたんです。
先日も新橋でパシャパシャやってたら横で男女二人連れが撮影が終わるの待ってた。ひたすら頭を下げて謝罪する。

漫画家だってそこそこキャリアがあればトレースが危険なものだってことくらいわかってる。
ネット上の画像を使ってトレースをしたために、検証ページで元画像あげてさらし者にされた漫画家さんがいた。
泣く。すごく泣く。その漫画家さんの気持ちがわかるからすごく泣く。

「著作権を侵害したんだから当然の報い」なんだけどさ。

ずいぶん昔の話になる。
漫画の中で墓場のシーンを描くことになって、担当さんに相談したところ、
「印象的なシーンだから最高にいい絵を入れましょう」
ということになって、その熱血編集者の方が写真を撮ってきてくださることになった。

今思えば、なぜその時に「危険だ」と気づかなかったのだろう。
あんなことになる前に、僕は悲劇を回避することが出来たのだ。

写真屋でもらえる小さいアルバムにお墓の写真がいっぱい入っていた。
「これでいけますか。」
「もちろんです。助かります。うちにトレースが得意なアシスタントさんがいるので彼にやってもらいましょう。」
担当さんに感謝しながらその写真をアシさんに渡す。
「この字とこの字を組み合わせて、家之墓、とくるわけです。」
そのアシさんはいつもどおり、手早くその写真をトレースし始めた。

背景は最高に素晴らしいものが入った。
「いいね。リアルだし雰囲気がよく出てるよ。」
まるで自分が本当にそこにいるかのような背景だった。
そりゃそうだよ、本物の墓場の写真を使ってるんだもん。
本物のお墓で、墓石の下には本当に死者の魂が眠っているんだもん。

……

そのアシスタントさんが苦しみだしたのはその直後からだった。

「いててててててててててててててててててててててててててててててててえ!」

お腹を押さえて苦しみに耐えるアシスタントS。
「救急車を呼べ!」
錯乱する漫画家K。

彼が病院へと去ったあと、机の上に盛り塩をして、
写真はお寺の方で供養していただきました。

彼は幸い、数日で仕事場に復帰できた。
本当に、なぜ自分はその危険性に気付かなかったのだろう。
魔が差したとしか思えない。

墓石にも著作権はある。その魂という名の著作権を侵害した者には
おそろしい祟りがふりかかるのだ。


写真のコーナー

新橋に行ったとき近くで鳥取の物産展をやっていました。
鳥取と言えば漫画家の水木しげる先生。ゲゲゲの鬼太郎のグッズはガチで定番。
なんか買っていこうと思い、あごの竹輪やらなんやらと一緒にこれも購入。

Image0491

鬼太郎も目玉の親父もあったのに、猫娘汁を手に取ってしまった。。

猫娘汁の味はオレンジジュースだそうです。heart01

2012年7月 6日 (金)

絵の具

「トーンクラスター」というのがあります。

ピアノで、すべての鍵盤を抑えると、
まるでこの世の終わりのような不協和音が鳴ります。
それをトーンクラスターと呼ぶのだそうです。

それとよく似た話で、小学校の三年生くらいだと思うのですが、
友達の家に遊びにいったとき

「絵の具を全部混ぜてみようぜ」

と、とんでもない実験をやらかしたことがあります。

絵の具の「トーンクラスター」をやったわけですね。

さっそくというので、風呂場にパレットと絵の具を持ち込んで、
全部の絵の具をひねり出して、筆でぐるぐるかき混ぜました。

結果は、今でも目に焼き付いて離れません、
ヘドロというか、なんというか、
この世のものとも思えない薄汚い色が出来上がりました。

この友達というのは工作とかお絵かきとかが得意な子で、
小学校は別々だったのですが、同じ工作教室にかよっていました。
というか、幼稚園で仲が良かったので、自分が同じ教室に通った
というのが正解かもしれない。

週に一回、近所の保育園の教室を借りて、その工作教室はひらかれました。
先生はどこだかの美大の研究生か何かだと思うのですが、本名がどうしても思い出せない。
ただ、みんなで愛情をこめて

「先公」

と呼んでいました。ずいぶん失礼な話なのですが。

この教室では、高学年で絵の才能のありそうな子は、
先生直々にキャンバスを使った油彩画を教えてもらえたのですが、
(友達もキャンバスで描いてたはず。)
自分は最後まで工作をしていた記憶しかありません。
「戦士の盾」とか「トーテムポール」とか
変なものをこさえては近所の子と遊んでました。
実際、アフリカの戦士をイメージした盾は水鉄砲を使った子供同士の戦いで
おおいに役に立ったのを覚えています。表面の絵の具はずいぶん流れ落ちちゃったけど。

考えてみれば、自分が人物の絵を描き始めたのは高校以降のことで、
それまでは「工作少年」だったと思うのです。
絵の具を使って色塗りをするよりは、紙を切ったり貼ったりして、
「できるかな」のノッポさんみたいなことばかりやってました。

まっとうな目的で絵の具を使ったことというと、
高校の学祭で演劇をやった時、ポスターを描いたのが最初だったはずです。
その絵は自分で回収する前にクラスメートが「記念に」と持って行っちゃったので、
どんな絵だったかあまり記憶がありません。

ここで一気に時間がとびますが、漫画家としてデビューして、
「はまりんこ」という漫画を掲載していただけることになったとき、
たぶん、26歳くらいだったはずですが、
「センターカラーやらせてあげる」
といきなり編集さんに言われて、かなり焦った記憶があります。
「はあ。」
「新人にいきなりカラーをあげるのだから、気合をいれていいものを描いてください。」
「絵の具って、あんまり使ったことないんですが。」
「気合で描いてください。」
「うう……」
もちろん、大変光栄なことだから必死に頑張りましたさ。
でも、色塗りってやっぱり経験の蓄積だと思うのですよ。
まず、画材がよくわからない。
美大生じゃないから絵の具の区別もまずわからない。
とりあず近所の小学校の前の文房具屋さんで不透明水彩を買ってきて、
小学校の図工の要領で塗りました。細部は面相筆を使ったと思うのですが、
まあ、素人丸出しだったはずです。

これを編集部に持っていくと、担当さんはさすがに渋い顔をしたわけです。
「色が淡いね。もっと強い色を出さないと目立たないでしょう。」
「強い色……原色とかですか。」
「あと、影を汚い色で塗っちゃダメです。君、ベースの色に暗い色混ぜてるでしょう。」
「はあ」
「わざと汚い色にしてるんだよね、これじゃあ、印刷で濁っちゃうから。」

影を美しく塗らなきゃいけないというのは、新しい発見でした。
人物の肌色とかでも、影を茶色で塗るのではなく、ぎりぎり明度を抑えた赤で塗っていく、
そうするとなるほど、プロっぽい絵になる。

それから美術館で絵を見るときに注意してみるようになったのですが、
輝くようなまぶしい絵というのは暗い部分に奥行きのある深い色を置いてあるものです。
だから、光ってる部分の色が余計に引き立つ。
自分の場合は、暗いところに濁った絵の具を置いて、結果として汚い絵になっていたわけですね。

こういうことは美大を出た漫画家さんには自明なことなのかもしれませんが、
自分にとってはすごい驚きでした。26歳なのに。

それから、連載が終わった後に集中的に色の勉強をしました。
透明水彩を画材屋で買ってきて、全部の色を塗りまくって、
とりあえず色を整頓することから始めたわけです。

調和させながら、できるだけ強い色を押し出していく、
三原色(オペラ、イエロー、ピーコックブルー)を中心に色をまとめる。
この三原色を中心に、できるだけ彩度を落とさないように明度を下げていく。
すべてをカラーチャートに分けて分類、整理する。
……この辺で画家というよりは工作少年のノリが出てきます。
時計を分解してそれを組みなおしてるような気分になってくるわけですね。

こうして、いよいよ「大使閣下の料理人」になるわけですが、
自分の色塗りの信用はほとんど崩壊しておりました。

「単行本の色塗りは業者の人にやってもらうから」

というわけで、大使閣下の単行本表紙の色塗りは全部業者のCGになりました。
確かに、素人が塗るよりは商品として立派になるもんね。

文庫本の方は、1巻の表紙のみ業者さんで、以降13巻まで全部自分が塗ってます。
色塗りは水彩をあきらめてコピックに乗り換えた時期なので、発色がすごくいいです。
なんで自分で塗ることになったのか、よくわからないのですが、
自分が業者さんに色の注文を付けすぎたせいかもしれません。

プラチナはコピック。牧田は水彩。裁判員はコピック。(水彩を希望されたけど)

「裁判員の女神」を終わってから、大手出版の方でデジタル入稿の方が楽です、と
注文されたので、以後、コミックスタジオ導入ということになります。

これはぶっちゃけて言ってしまうと、デジタルは出版社の方で人件費を削減できるから
だと自分は勝手に想像しております。

昔は写植とか学生アルバイトのお姉ちゃんたちがボンドで張り付けてたけど、
それがデジタルならすべてパソコン上でできてしまう。
大きなテーブルでみんなでお菓子をつまみながら写植貼りをしていた女学生集団がいなくなるのはさびしいことですが、
これも時代の流れ。仕方のないことです。

原稿のやり取りだって、デジタルなら某転送サービスを使えますから、
家にいながらにしてデータを送れてしまう。
すごく楽です。担当さんと顔を合わせなくても仕事が出来てしまう。

科学ってなんて素晴らしいんだろう。

こういう話を別の出版社(日曜漫画誌)との飲み会で偉い人にしたところ、

「肉筆最高」

「生原稿にこそ魂が宿る」

と力説されて、ちょっとうれしかったです。

「下手でもなんでも肉筆原稿に魂が宿る。」

これは自分たちの世代にとっては正しいことだと思います。
長い間、ああでもないこうでもないと悪戦苦闘の末獲得した技術が味になってる気がします。

それでも、色塗りが下手な自分にとって、CGはとてもありがたい技術なんですけどね。

Photo_2

「風より疾く」一巻の別バージョン。
本編の作画を考えるとこっちの道着が正解なのですが、
担当さんが白い道着がいいよね、と言っていたので
いくつか色違いを用意して提出しました。
そしたら白が採用された。そりゃそうだ。

確かに、女の子は白い道着のほうが可憐ではかない感じがしますもんね。
紺色は色落ちするから下着が大変なことになります。
どんな白パンも水色に染まります。

2012年7月 2日 (月)

「天皇の料理番」 その3

テレビドラマの「天皇の料理番」はドラマ史上に残る名作なのですが、
全19話中の15話を過ぎて、いよいよ篤蔵が天皇の料理番になるあたりで
物語のテンションがすこしばかり下がります。
これはいろいろ推測するしかないのですが、やはり天皇という素材の扱いが
かなり難しかったのではないかと思うのです。
それで、「天皇の料理番としての出世より、大切なものがあった」
という物語構成にして、その難しかったところをかわしたんじゃないかなと、
勝手な想像をしております。

しかし、実際の秋山徳蔵は天皇の料理番になってからも、
その人間としてのテンションが下がることはありませんでした。
「舌」というエッセイ集があるのですが、
この中で料理のうんちくを語りまくる徳蔵おじいちゃんは、かなり面白い。
なんせ、冒頭からひたすら「食べるとあっちが元気になる料理」の話題を
語り出して留まることを知らない。
これを読むと滋養強壮についての知識がかなり豊かになり、
毎日実践したくなります。

たとえば、

黒ビール、もしくはスタウトに生卵を入れて飲め。
色の濃い野菜を食え、人参は生をすりおろして食え。
朝鮮人参がいいけど、普通の人参もそこそこいけるぞ。
肝臓は強壮の益なし、みんな勘違いしとるんじゃ。
数の子を正月に食うのにはわけがある。あれはええものだ。
元気になりたいなら卵巣だの精巣だの食え。
椎茸は性欲を抑える効果があるぞ、だから精進料理には欠かせんのだ。
でも坊さんだってあっちは元気だぞ
その秘密は実はゴマだ。あれをすりつぶすとたちまち元気になるぞ。
ウミガメ最高。なきゃすっぽんで我慢しろ。(本を人に貸してるんで結構意訳)

エッセイの大半があっちが元気になる料理の話で、
そこに過去の思い出(下ネタ)が挟まる感じです。
ああ、こういうじいちゃんいたよな、と妙に懐かしい気分にさせられます。

さて、
天皇の料理番と言えば、個人的な話が一つだけあります。
自分は昔、似たようなタイトルの漫画の企画に加わったことがあるのですが、
その連載が始まってしばらくは

「天皇の料理番描いてるんだって?」

とよく声をかけられたのです。
わざと間違えてる場合もあったのですが、
みんなよっぽどこのドラマのことが印象深かったのだな、としみじみ思いました。
某出版社の宴会で以前お世話になったアシスタント先の先生にお会いした時も、
この方は絶対なんか言うぞと身構えていたら、

「かわすみさん、女王陛下の料理番やってるんですってね」

と変化球で攻められました。
さすが巨匠、ただでは済まさない。

(注記)
数の子とか卵巣を食べるといいとありますが、
某出版社の編集さんが北九州の出身で、
子供の頃から明太子を毎日のように食べ続けていたら、
50を過ぎてから腎臓結石になったとおっしゃってました。
魚の卵はカルシュームの殻があるそうで、それが腎臓にたまって
スポンジに石ころが大量に詰まってる状態になっているとか。
しかも、これがかなり痛いとのことです。

自分はもうそれほど若くもないので、今から食べまくっても平気でしょうが、
若い方はほどほどが良いと思います。

…………
さて、ハードディスクの中の画像をさらって見つけた一枚。

V6010017_2

8年くらい前のもの。コピックで塗ってます。

色塗りについては、子供の頃お金持ちで
画材に湯水のようにお金をかけられた人の方が有利だと思うのです。
勝手な妄想で、それもどちらかというと「被害妄想」に近いとはわかっているのですが、
どうしてもそう考えてしまいます。

そのへんの貧乏人の僻みを次の回で語ろうかと思います。

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