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2012年10月 1日 (月)

お札の話

紙幣や硬貨というのは世代によってイメージが違っている。

昭和40年代生まれの自分にとって千円札は伊藤博文、
五千円と一万円は、まあ子供だったのでほとんど見る機会はなかったのだけど、
聖徳太子だった。
それと、五百円紙幣が存在して岩倉具視なんてのが肖像になっていたりした。

先日、編集の方と飲んでいて、
「今、銀座カリーを買って応募券を送ると昔の紙幣が当たるんですよ」
なんてどうでもいい話題からお札の話になった。

一万円と五千円が聖徳太子で、千円が伊藤博文、
ここまでは記憶が一致していた。ところがその編集の方は、

「百円は板垣退助でしたっけ」

とおっしゃったので微妙な世代差を感じてしまった。
自分はたぶん、流通している板垣退助を見たことがない。

Seriesb100yen_bank_of_japan_note
ウイキペディアから持って来た百円紙幣の画像。

百円札は昭和41年まで流通し、翌42年から百円硬貨に取って代わられる。
自分が生まれる前の話である。そりゃ知らんわな。

紙幣というのは偽札防止のためか、はたまた政権のアピールのためか
割と短いスパンで新しいものに代わっていく。
そしてそのたびに紙幣に使われる歴史上の人物が話題になる。

高額紙幣が聖徳太子だった時代は1984年までで、
日本の高度成長時代のお金の代名詞はこの偉人だった。
今でも聖徳太子を見ると条件反射で

「お金」

を連想する方は多いと思う。聖徳太子にとっては迷惑な話だ。

Series_c_10k_yen_bank_of_japan_note

大蔵省では1979年から新札発行のプロジェクトが組織されていて、
当初、お札のラインナップは次のようになっていたらしい。

十万円札……聖徳太子
五万円札……野口英世
一万円札……福沢諭吉
五千円札……新渡戸稲造
千円札………夏目漱石

(講談社刊「福沢諭吉 国を支えて国を頼らず」北康利著より)

福沢諭吉は実は三番手だったという衝撃の事実が書いてあった。
1984年の発行時点では見送られたけれど、大蔵省としては
十万円札と五万円札は将来必ず必要になると踏んでいたらしい。
その時まではとりあえず最高額紙幣は福沢諭吉にしておき、
あとで聖徳太子を出すつもりだった、というのが正解のようだ。

そんな番狂わせで聖徳太子の座をまんまと奪い取った福沢諭吉だが、
お金と言えば諭吉、というイメージもずいぶん固まってしまった。
「経済」という言葉は福沢諭吉が「経世済民」から作った言葉だという説もあり、
そういう人物が一万円札の肖像になるというのは似つかわしいようにも思える。

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