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2012年12月

2012年12月23日 (日)

大河ドラマ

今年の大河ドラマは史上ワーストの視聴率を記録したそうで、
自分も「平清盛」という人物には興味があったので、何回かは見ているけれど、
すべてを視聴しているわけではないのでコメントは出来ない。
ただ、事実として数字が悪かったらしい。

平清盛というと、何年か前に渡哲也が「義経」で演じていて、とてもダンディだった。
この時は悪役というよりは父なき義経(タッキー)の精神的父親という役どころで、
ある意味斬新すぎるものだったが、それを違和感なく演じていたと思う。

歴史上有名な人物が輩出する鎌倉前後の日本中世だが、
テレビで映像化して成功させるのは案外に難しい。
大河などでは戦国時代が鉄板で、高視聴率はたいていこの時代を舞台にしたものに多い。
逆に、幕末などは、案外視聴率を取るのが難しいといわれるが、
それでも龍馬や篤姫などというヒット作はある。
鎌倉前後は、それよりも下であろう。

しかし、「平清盛」が失敗だったとしても、
この時代の日本史がつまらない、ということは断じてないのである。

なにしろ平安末期から鎌倉時代というのは陰謀と謀略の嵐で、
調べるほどに面白いキャラクターがいっぱい出てくる。
清盛や義経などは、単純すぎて面白くないと思わせるくらい、
魅力的な悪人たちが跳躍跋扈していた。

ただ、そういうものは明快なヒーローを主役にするテレビドラマには向かないし、
視聴率などは稼げそうにない。面白いのだけど、マニアックすぎるのだ。

けれど、この時代を取り上げて成功している大河ドラマがある。
それが「草燃える」である。

原作は永井路子さんで、司馬遼太郎が幕末明治の歴史小説の大家であるのと同じ意味で、
鎌倉時代を中心とした日本中世の歴史小説の大家だと自分は思う。

永井さんの歴史観、「永井史観」と言ってもいいかもしれないけれど、
それがもっとも結晶されているのは「つわものの賦」で、吾妻鏡をはじめとする
歴史書を、その裏側まで読み込んで
「あの時代に何が起こったのか」
を鋭く洞察している。

Image0571_2

たとえば、のちの征夷大将軍源頼朝が、なぜ弟の九郎義経と険悪になり、
死にまで追い詰めてしまったのかについては、
目付の梶原景時の讒言があったとか、義経の比類なき武功に頼朝が嫉妬したからとか、
いろいろ言われてきたのだけど、
自分としては永井さんの言う「恩賞」についての説明が一番しっくりときた。

京都の朝廷は武家に対し、恩賞としての官位や土地を授けることで国内の武士団を支配してきた。
平安時代までの数百年間に日本国内が古代的な統一を達成していたのは、
その恩賞のシステムを朝廷や公家たちが管理していたからだ。

ところが経済が発達して来て、権威だけで国内を支配できなくなってくると
そのような古代的な統一が成り立たなくなってくる。

平清盛などは、福原遷都を行って、経済で武家が朝廷を支配する体制を作ろうとしたが、
これは上手くいかなかった。
対する源氏の鎌倉武士団は、朝廷の牛耳る恩賞のシステムを自分たちが握ることで、
日本国内の武士を鎌倉の下において、軍事独裁政権を作ろうとした。
その第一歩として、平家を関西圏から追い払った恩賞を「鎌倉が推薦して行う」よう、
後白河上皇に要求してている。
武士団にしても、自分たちに土地や官位を授けてくれる武家の棟梁、源頼朝が一番偉いわけで、
名目上の支配者である朝廷との間には精神的な距離が出来る。
労せずして国内の兵力を掌握できてしまうわけだ。

永井さんはこのアイデアの発案者を大江広元(だったら面白いな)と考えているようだが、
京都でくすぶっていた中間管理職の役人が、朝廷のシステムのほころびを見破って、
「俺はお前らをひっくり返せるんだぞ!」
なんて考えていたとしたら、なかなか愉快である。
まあ、大江広元ではないにしても、それに相当する人材がいて、
鎌倉はそれをヘッドハンティングして、日本支配の大計画を実行に移した。

その時代をひっくり返す大計画を、義経は理解できなかった。
武家の主人が朝廷であり、朝廷のために敵を殲滅し、
その恩賞を朝廷からいただく。
明快にして単純な主従の関係でしか情勢を見ていなかった。

哀れな義経は、鎌倉が朝廷を相手に政治的駆け引きをしている間に、
上皇から勝手に官位を授かってしまう。
「俺が平家を撃退したのだし、上皇も是非にというから、官位を頂戴したのだ。兄上だってちゃんと説明をすれば理解してくれるだろう」
……頼朝が怒らないわけがない。

こうして義経の没落が始まる。

永井路子さんは歴史の一級資料である「吾妻鏡」などを読み込んで、
この男たちの策略と駆け引きと、それが引き起こす悲劇を
「面白い」
と思ったのだろう。
鎌倉時代を中心にして、「北条政子」「炎環」などの小説を書き続けた。
これに先にあげた「つわものの賦」を加えて、
大河ドラマ「草燃える」の原作となる。

主役の頼朝は石坂浩二。そしてもう一人の主役である北条政子を岩下志麻が演じている。

岩下志麻さんは、権力者の妻の愛憎を巧みに演じ、
しかも気品と格調を失わない。
この作品以降も「独眼竜政宗」とか「葵三代」などの名作大河で、
作品の核心となる奥方を演じることになる。

頼朝の石坂浩二さんは何を考えているかわからない貴族的な人物を、
その人間的な内面まで演じきって、
「これぞ頼朝」と納得させられる。
いろんな人が演じている頼朝役だけど、自分は石坂さんのが一番好きだ。

対する義経は国広富之で、「打倒平家」しか考えていない天才武将の悲劇を
うざいくらいにまっすぐに演じている。
日本史上屈指のヒーロー役だが、出てくるだけでうんざりさせられるというのは、
すごいことじゃなかろうか。
原作の意図を考えれば、これが大正解。

他にも、物語の主役の一人である北条義時役に暴れん坊将軍、松平健、
その親友にして狡猾な政敵、三浦義村役にライダー藤岡弘と、
現在となっては超豪華なキャスティングがなされている。
特撮ファン必見なのは、岸田森さんが大江広元役で鎌倉幕府の中枢にいることで、
「怪奇大作戦」が好きな自分としては、この方の顔を見ているだけで幸せな気分になる。

緻密にねりあげられた原作と、優れた脚本、
そして名優たちの大バーゲンセールで、大河史上、最も完成度の高い作品になっているこの名作大河。
しかも「承久の乱」を映像化した数少ない歴史劇。
(天皇謀反という刺激的すぎるキャッチフレーズのせいで、今後も映像化は難しいかも)
自分はこの「草燃える」が大河史上のベスト作品なのだが、
前回も書いた通り、NHKがビデオテープを使い回ししたために
マスターが消滅してしまった。
それを視聴者に呼びかけて家庭用ビデオで録られたものをかき集めたのが、
現在のアーカイブ作品である。
だから、映像の状態はちょっと悪い。
中には冒頭が少し欠けているものも存在する。

それでも、全話がそろって視聴可能になったのは本当にすばらしい奇跡で、
これを21世紀にも残せたことは幸福なことであった。

今年の大河は数字的に残念なことになったけれど、
鎌倉時代前後の日本の歴史はかなり面白い。
これに懲りず、この時代から再び名作が生まれることを切に願うのである。

2012年12月13日 (木)

若者と対峙できる大人がいないと音楽は生まれんのかもね

小学校の掃除の時間のBGМだと思うけど、流れている音楽が、

たららら たららら たん↓ たん↑ たん↓

て感じで、割と耳について離れない音楽だった。

それから何十年かたって、この音楽がゴセックのガボットだとわかったのだけど、
子供の頃に聴いた音楽というのは、耳がやわらかいせいもあって、割と忘れない。


名古屋出身の自分が中日ドラゴンズのテーマソング、
「燃えよ!ドラゴンズ」を覚えたのは幼稚園のスピーカーから繰り返し流れていたからで、
あれは一種の洗脳だったのではないかと思っていた。

ところが、ウィキを見ると、どうもラジオの企画で坂東英二さんの番組に、
当時まだ学生だった山本正行さんが「賞金十万円」という先輩の嘘に引っかかって応募し、
それが名古屋で1974年に大ヒットしていたようなので、
あるいは、先生もポピュラーソングのノリで流していたのかもしれない。
おかげで今でも「一番高木が塁に出て~」と、
ここだけファーストバージョンで歌ってしまう。

ためしに坂東英二の歌う最初のをネット上でフルで聴いていたら体の血がうずきだした。
この曲は名古屋人には恐ろしい覚醒作用をもたらすようだ。


小学校に上がると、一年生か二年生のとき、
「およげたいやきくん」
が大ヒットした。
不条理極まりない歌詞で、「なんで鯛焼きが水に溶けへんの?」とか、
「海の水でグチョグチョのはずの鯛焼きを、なんでおじさんは平気で食べちゃうの?」
と、その内容には子供ながらに納得できない部分が多かった。
けれど、その不条理が案外ヒットの鍵なのかもしれない。
たとえば某宅急便なんか、黒猫とか縁起の悪いものをマスコットにしてるのに、
業界ナンバーワンだったりする。
頭で割り切れるような単純なものは、人の心に引っかからないのかもしれない。

この曲で覚えていることというと、クラスに田宮君だったかな、
塗り絵みたいな「たいやきくん」の線画を大量にクラスに配っていた。
なんか、黒板の前あたりに立たされて、先生から
「田宮君がいっぱい持ってきてくれました」
みたいな紹介をされて、教室中に拍手が起こった。
ちょっとスネ夫みたいだなと子供心に思った。

単純に嫉妬なんですけどね。


小学校の五年生か六年生ごろ、NHKの人形劇「プリンプリン物語」がクラスでヒット。
ブラックなユーモアが子供たちの心を捕える。
なぜか掃除の時間に男女一緒になって
「世界お金持ちクラブの歌」
を合唱していた。youtubeで見ることが出来るけど、これは名曲だと思う。
今でも唄えと言われればフルで歌える。

なんか、この時代の悪役というのは輝いていたなとしみじみ思う。
今は、悪い人にも事情があるんだ、みたいな擁護論がまかり通ってしまうけど、
本当の悪人は悪に殉じて地獄に落ちても閻魔大王の前で高笑いできる豪傑であるべきだ。
もちろん、そんな人とお近づきにはなりたくないけど。
でも、世の名作の面白さのエッセンスは、たいてい魅力的な悪役が担っているように思う。
そして、そいつらが「改心」なんてした日には、一気に魅力がなくなる。
天津飯はその点大失敗だったが、ピッコロは上手いことやり抜けた。(謎)

プリンプリン物語はNHKのずさんな管理体制のために、
多数のマスターテープが紛失してしまったが、
名作大河「草燃える」が視聴者のビデオをかき集めてほぼ完全に復活したみたいに、
元にもどらんかなとちょっと思う。


世代ごとにそれぞれ耳だこな音楽というのは違うけれど、
自分は割と、クリーンヒットが多数あった時代に生まれたのではないかと思う。
ベビーブームのあとの世代で、小学校の学級は8クラスまであった。
子供向け市場がビジネスとして成り立っていたから、そこに才能が投入された。
そして、投入された才能は「戦争を知らない子供たち」世代で、
過度に悲愴になることなく、親の世代を小馬鹿にすることが出来た。
その小馬鹿にした親の世代が、世界を相手に大戦争をやっていたのだから、
自己を確立する対象としては巨大すぎる壁だった。
ヘーゲル的な弁証法ですさまじいエネルギーが生まれていたのかもしれない。

ひるがえって我々の世代は、と思うのだけど、
対象が団塊の世代とか、なんかみみっちい感じがしてしまう。
少子化で子供が少ないから、そこをターゲットにした市場も縮小傾向にある。
昔はどの世代でも連発していたミリオンヒットの子供の歌も、
この頃はあまり出てこなくなった。

そして、若者が対面する「悪」の象徴が、情けない上の世代ではなく、
アジアやアメリカ、中東方面に向かっていく。
特に、選挙前の今、極東アジア方面の悪漢振りが若者の血肉を駆り立てている。

これは自分らや上の世代が、若者の血気を受け止められないほど、
非力なためかもしれないと、ちょっと思わんでもない。
あるいは、巧妙に若者の持つエネルギーが自分たちに向かわないようにと、
団塊以後の世代が世論に2重3重にプロテクトをしているだけかもしれないが、
自分個人としては、やはり非力だろうなと感じる。

若い世代が、恐れおののきながらも、「この悪魔め!許せん!」
と立ち向かえるぐらいの悪の大魔王な大人になりたかったものだ。
黒いマントをひるがえして、
「こわっぱどもは相手にならぬわ、わっはっは!」
と高笑いできる、そんなB級な大人になりたかった。

そういう意味では、格差社会を容認したあの人は立派な大魔王だった。
ちょいと魅力的な首相だったと自分ですら思う。


「正義」という言葉のインチキ臭さを、自分らの世代はうんざりするくらい
感じてきた。
多くの場合、「正義」とは、「安全地帯から人様を攻撃してみたい」
という自己正当化の小道具でしかなかったりする。

昔、「警察手帳があれば犯人をでっちあげて半殺しにしてもいい」という
とんでもない勘違いをした女の子が、本当の正義に目覚める、という漫画を
描こうとして、
その正義がなんなのか、描き手の自分がまずよくわかってなくて、
ちゃんとまとめられなかたことがあった。

「正義」は圧倒的大多数の利益にかなうものであって、
「正義」を振りかざしたとき、絶対的少数は切り捨てられる。
それを、人から憎まれながら行うのが大人であり、
それを憎み、非難するのが若い世代だけの特権なんだと思う。

自分も若い世代ではないので、世の中をそういう仕組みのものと割り切って、
「これは人間の文化に巨大なエネルギーを生み出す上手いカラクリかもしれんね」
とまで開き直っているけれど、
そういう大人を、若者は攻撃し、大人はある時点から攻撃される側に回るものだと、
考える。

「大人はみんなわかっちゃくれないけど、ロックンロールは最高なんだぜ!」

などと大人は死んでも口にしてはいけない。
ジョン・レノンは、社会に対して攻撃的だった三十路の自分から距離を置いて、
実生活に四苦八苦する小さな自分を歌にして、カッコ悪いロックンローラーを、
世界中のファンに見せつけたけれど、あそこで死んでしまったので、
世界中の大人はカッコ悪いままで止まってるという、そんな錯覚さえ起こる。
まれに、本当の大人になったロックンローラーというのもいるだろうけれど、
そういうミュージシャンは「アイドル」にはならないので、
注目もされないし、忘れられることになる。ジョージみたいに。

大人のアイドルというのは、存在しえないのかもしれない。
大人は、世界的な英雄などにはならず、身近で慎ましく悪行を重ねているものだ。
「ちょいワル親父」
なんてのが以前はやったけど、ブームにまではならんかった。

世の大人といわれる人間は、自分を含め、ずいぶん小粒な小悪党にすぎない。
本当の「ワルな大人」に憧れながらも、それが何なのかイメージ出来ないでいる。

P1000668

写真は、うちにいるジョン・レノンさんです。

2012年12月 9日 (日)

「雷おこし」と「かわすみひろし」

  1

前回の続き。

「週刊和綴じ」というのは馬鹿馬鹿しいアイデアだったけど、
ようは、読者にも集める楽しさ、本を作る楽しさみたいなものがなければ、
雑誌を買おうなんて気にはならないんじゃないか、と思ったのである。
デアゴスティーニ的な意味で。

模型や名作DVDを毎週少しずつ集めるというのは、焦らしのテクニックで、
男の欲望をかきたてるものがある。

それに、単行本は雑誌形態より小さい判型になるので、
気に入った作品だと、元の大きさで読みたいと思うこともしばしばある。

そういえば、小学生の時だと思うけど、コロコロコミックを解体して、
連載中だった「ドラえもん~のび太の恐竜」を少しずつ集め、
自分専用の単行本を作ったのを思い出した。

結局、ちゃんとした単行本が出たときに買って、自分で綴じたのは捨ててしまったけど、
あの時の自分だけの本を作るワクワク感は、いいものだった。

本を作るのは楽しい。
学生時代に友達が詩集を作るというので、イラストを何枚か描いた。
二十歳の頃の絵だけど、こんなやつ。
1989年の書き込みがある。

Ui

出来上がった本はチープなつくりだったけど、うれしかったな。

彼はその後も製本技術を向上させながら、次々本を作り続け、
製本マニアの域に達するかと思えた。
コピー本だけど、表紙は自己流にハードカバーで、
立派なものだった。
それを文芸部やら、学部の知己に配り歩いていた。

これもまた、立派な青春である。

あの頃はワープロ打ちだったけど、今ならもっと楽に作れたんじゃないかな。
でも、あのハンドメイド感覚は、パソコンじゃ出せないかもしれない。

自分も本作りには憧れがあって、
二十代の頃は自分の書いた漫画のネームを和綴じにして何冊も本にしてた。
もちろん、編集部に持っていったら、
「やめてください。コピーできないです」
と拒否られたけど。

ことほど左様に、本を作るのは楽しい。

電子化の流れとは逆行するけど、青空文庫の作品を、
印刷して製本したい欲求を、自分はときどき感じる。
現行のプリンターでは、紙の厚みの問題やらで、
市販の本ほどきれいな製本は出来ないかもしれないけど、
プリンターサイズで製本までやってくれるマシンがあれば、
ちょっと欲しいかもしれない。

  2

電子化の流れといえば、
今、アマゾンのKindleストアで「大使閣下」一巻他、いくつかの講談社漫画の
99円フェアやってます。
安いです。Kindleをお持ちの方、購入のご予定がある方は是非。
あと5日くらいやってるはずです。
(フェアは終了。引き続き販売中です)

Kindleは書籍用タブレットとしては大本命だと思います。
これが成功するかどうかで日本国内の電子書籍普及の今後を占うことが出来る。

自分のような、本に埋もれているのが快感とか言う変人でないなら、
大量の本をサーバー上で保管してもらえるシステムというのは、
究極の読書スタイルかと思われます。

(閑話休題)

えーと、タイトルで「雷おこし」と「かわすみひろし」という
ダジャレ混じりなのをつけてしまったのだけど、
雷おこしというと、名古屋時代に1年ほど印刷屋さんでアルバイトをしたことがあって、
そこに東京土産で雷おこしを持っていったらえらく喜ばれたことがあった。

中小程度の印刷所なのだけど、名古屋にはほれ、トヨタがありますので、
その関係のオフセット印刷をいくつか引き受けていたわけです。

小学校の文集や、折込広告なんかもガンガン印刷したけど、
なにせバブル期の話で、えらい給料が良かった記憶があります。
輪転機について作業してたら社長さんにポンポン肩を叩かれ、
「はい、ボーナス」
と紙袋を渡され、四万円入っていたことがあります。

今じゃ考えられない。

その仕事場はとても感じのいいところで、
自分が東京に遊びに行って、浅草名物「雷おこし」をお土産に持って行ったところ、
「私、雷おこしが大好きなんですよ!」
と責任者の方はじめ皆さんにえらく喜ばれた記憶があります。
その喜び方も、大人のリップサービスめいたものじゃなく、
「ひゃっほー!」
って感じだったので、たぶん本気で好きだったんじゃないかな。

おいしいもんな、雷おこし。

まあ、これも製本にまつわる楽しい思い出ということで。

2012年12月 3日 (月)

語るに落ちたりかわすみひろし

子供の頃は同じ漫画を繰り返し読みふけって、
そのセリフまで暗記してしまうことがあったけれど、
この頃は、面白いと思っても、一度読んでそのまま放置、
なんてことも多い。

高校時代はなぜかガラスの仮面のアルディスとオリゲルドのセリフを
いくつか覚えていて、通学途中のバスの中で「ふたりの王女」を
脳内再現していたりした。
ああいうのが、結構好きらしい。
ちなみに、ガラスの仮面やらパタリロはいまだに買い続けている。

あと最近読んだ漫画だと、「風雲児たち」は面白い。

実は弟が手塚治虫の大ファンで、
「ルードヴィヒ・B」目当てにコミックトムを買っていた。
その雑誌に、大黒屋光太夫のロシア漂流あたりの「風雲児たち」が載っていて、
腹をかかえて大笑いした。こんな面白い漫画があったのかと。
それから上京後もコミックトムを買い続け、単行本もちょいちょい手に入れていた。
解体新書のくだりと田沼政治の終焉にかけては、何度繰り返し読んだかわからない。

先日、海音寺潮五郎の「悪人列伝」で田沼意次のくだりを読んで、
作者に「きらいだ」と切り捨てられた意次さんだが、
どうも、風雲児たちを先に読んでいるので、悪い人のような気がしない。
いい人だったんじゃないかと思ってしまう。

あれから四半世紀は経ったけれど、最新刊はようやく「桜田門外の変」である。
これも、テイストは微妙に変わっているけど、熱い漫画だと思う。
当初の予定通り、明治まで突っ走って欲しい。
最後までお付き合いします。

と、当初は漫画を繰り返し読まなくなった話を書こうかと思っていたのだけど、
なんか好きな漫画の話になってしまった。

繰り返し読まないのは、その漫画が詰まらないとかではなくて、
単に若い頃と読み方が変わっているのだろうなと感じる。

自分が中学生の頃、パタリロの最新刊を何分で読めるかをやったら、
二十分かからなかったと記憶している。
若いから読んでる間の集中力がすごいのだ。

けれど、この頃は時間をかけて、休みを入れながらちょっとずつ読むことが多い。
これは一般の書籍でも同じかもしれないが、一章読むごとに休みを入れて、
ぼんやり内容を反芻しながら、散歩になんか出ることもある。

これが今の齢相応の漫画の読み方なのだろう。勢いで読むのではなく、
自分のリズムで少しずつ漫画を咀嚼している。

だから、雑誌という媒体で読むよりは単行本でもいいや、となる。

出版社は雑誌で赤字を出しつつ、単行本で売り上げを稼ぐという作戦になっている。
とにかく、何百万部も売れていた時代は既に過去であり、今は数万部しか売れないという
ニッチな雑誌も多い。
こういう雑誌は採算ラインを既に割っているので、単行本で稼ぐしかなくなってしまう。
ここ数年はその流れが極端になってきているが、
出版社は出版社でそういう時代にマッチするべく、
単行本が売れるビッグタイトルを作ろうと、あれやこれや手を尽くしている。
そうなると、初めから雑誌の埋め草みたいな作品は軽視され、例のあの
「読みきりなんていらねーんじゃね?」
みたいな極端な問題提議が編集側からなされることになる。

自分はあれはわざと問題を投げかけて、それに対する作家や読者の反対意見を
探ったのだと思うのだけど、明確な回答は、自分もまだ見ていない。

みんな次の出版形態を模索しているのである。

雑誌が売れないなら、描きおろしでいいじゃん、と言った某出版社社長がいるが、
その場合の作者の取り分は「出来高」だそうで、漫画制作のシステムを完全無視している。

文芸だと、純文学の書き下ろしを始めたのは新潮社だったか、
それまでは雑誌掲載分をまとめて単行本化するのが一般的だったと思う。
おそらく、それと同じ理屈を漫画に持ち込んでいるのだろうけど、
漫画は小説よりも集団作業に頼る部分が多いので、
みんな簡略な絵にでもしない限り、描き下ろしなんて芸当はたぶん出来ない。
「人件費」は重いのである。

だいたいそれだったら出版社なんかに頼らずにネットでやった方が早い。

問題は、「出版社が儲かりつつ、漫画家が漫画を描ける場なんてあるのか」
と言うところに集約される。

この出版社と言うところをちょん切ってしまおうという意見もあるのだが、
それは仁義にもとる。ここでは考えない。

雑誌の利点は最新の作品をすぐ読めるところにあるのだが、
その「最新」にこだわらない客層が増えている。少なくとも自分はそんな感じだ。
だったら、雑誌が本棚に並べられるくらい、きっちりした作りで、
一年くらいは保存がきいて、ある程度ためておいてから、一気読みが出来る、
その方がいくらかありがたい。
ただ、そういう雑誌も現実に存在するが、たいてい隔月刊ペースで、
週刊だとあっという間に部屋を占領してしまう。

いっそう、各作品ばらばらに綴じて、引っ張るとその漫画だけ取れるシステム。
「週刊和綴じ」
みたいなのにしてみる。

気に入った作品だけ取り出して自分だけの単行本が作れます。
単行本化するときの再和綴じ化のバインダーカバーとおまけ漫画を後で販売。

みたいな?

とにかく、雑誌と言う読み捨てシステムが、限界にきているのである。

ごめんなさい、落書きみたいな文章になってしまいました。

127

横浜にいた猫。すぐそばにいた人間の子供をじっと見ていたので、
撮った。自分はペット飼ったことないけど、
たまに人様の家で猫にじゃれ付くと、指を噛まれるわ、
しょんべんもらされるわで、ろくなことがない。
でも、基本的にネコ派のような気がする。

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