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2012年12月13日 (木)

若者と対峙できる大人がいないと音楽は生まれんのかもね

小学校の掃除の時間のBGМだと思うけど、流れている音楽が、

たららら たららら たん↓ たん↑ たん↓

て感じで、割と耳について離れない音楽だった。

それから何十年かたって、この音楽がゴセックのガボットだとわかったのだけど、
子供の頃に聴いた音楽というのは、耳がやわらかいせいもあって、割と忘れない。


名古屋出身の自分が中日ドラゴンズのテーマソング、
「燃えよ!ドラゴンズ」を覚えたのは幼稚園のスピーカーから繰り返し流れていたからで、
あれは一種の洗脳だったのではないかと思っていた。

ところが、ウィキを見ると、どうもラジオの企画で坂東英二さんの番組に、
当時まだ学生だった山本正行さんが「賞金十万円」という先輩の嘘に引っかかって応募し、
それが名古屋で1974年に大ヒットしていたようなので、
あるいは、先生もポピュラーソングのノリで流していたのかもしれない。
おかげで今でも「一番高木が塁に出て~」と、
ここだけファーストバージョンで歌ってしまう。

ためしに坂東英二の歌う最初のをネット上でフルで聴いていたら体の血がうずきだした。
この曲は名古屋人には恐ろしい覚醒作用をもたらすようだ。


小学校に上がると、一年生か二年生のとき、
「およげたいやきくん」
が大ヒットした。
不条理極まりない歌詞で、「なんで鯛焼きが水に溶けへんの?」とか、
「海の水でグチョグチョのはずの鯛焼きを、なんでおじさんは平気で食べちゃうの?」
と、その内容には子供ながらに納得できない部分が多かった。
けれど、その不条理が案外ヒットの鍵なのかもしれない。
たとえば某宅急便なんか、黒猫とか縁起の悪いものをマスコットにしてるのに、
業界ナンバーワンだったりする。
頭で割り切れるような単純なものは、人の心に引っかからないのかもしれない。

この曲で覚えていることというと、クラスに田宮君だったかな、
塗り絵みたいな「たいやきくん」の線画を大量にクラスに配っていた。
なんか、黒板の前あたりに立たされて、先生から
「田宮君がいっぱい持ってきてくれました」
みたいな紹介をされて、教室中に拍手が起こった。
ちょっとスネ夫みたいだなと子供心に思った。

単純に嫉妬なんですけどね。


小学校の五年生か六年生ごろ、NHKの人形劇「プリンプリン物語」がクラスでヒット。
ブラックなユーモアが子供たちの心を捕える。
なぜか掃除の時間に男女一緒になって
「世界お金持ちクラブの歌」
を合唱していた。youtubeで見ることが出来るけど、これは名曲だと思う。
今でも唄えと言われればフルで歌える。

なんか、この時代の悪役というのは輝いていたなとしみじみ思う。
今は、悪い人にも事情があるんだ、みたいな擁護論がまかり通ってしまうけど、
本当の悪人は悪に殉じて地獄に落ちても閻魔大王の前で高笑いできる豪傑であるべきだ。
もちろん、そんな人とお近づきにはなりたくないけど。
でも、世の名作の面白さのエッセンスは、たいてい魅力的な悪役が担っているように思う。
そして、そいつらが「改心」なんてした日には、一気に魅力がなくなる。
天津飯はその点大失敗だったが、ピッコロは上手いことやり抜けた。(謎)

プリンプリン物語はNHKのずさんな管理体制のために、
多数のマスターテープが紛失してしまったが、
名作大河「草燃える」が視聴者のビデオをかき集めてほぼ完全に復活したみたいに、
元にもどらんかなとちょっと思う。


世代ごとにそれぞれ耳だこな音楽というのは違うけれど、
自分は割と、クリーンヒットが多数あった時代に生まれたのではないかと思う。
ベビーブームのあとの世代で、小学校の学級は8クラスまであった。
子供向け市場がビジネスとして成り立っていたから、そこに才能が投入された。
そして、投入された才能は「戦争を知らない子供たち」世代で、
過度に悲愴になることなく、親の世代を小馬鹿にすることが出来た。
その小馬鹿にした親の世代が、世界を相手に大戦争をやっていたのだから、
自己を確立する対象としては巨大すぎる壁だった。
ヘーゲル的な弁証法ですさまじいエネルギーが生まれていたのかもしれない。

ひるがえって我々の世代は、と思うのだけど、
対象が団塊の世代とか、なんかみみっちい感じがしてしまう。
少子化で子供が少ないから、そこをターゲットにした市場も縮小傾向にある。
昔はどの世代でも連発していたミリオンヒットの子供の歌も、
この頃はあまり出てこなくなった。

そして、若者が対面する「悪」の象徴が、情けない上の世代ではなく、
アジアやアメリカ、中東方面に向かっていく。
特に、選挙前の今、極東アジア方面の悪漢振りが若者の血肉を駆り立てている。

これは自分らや上の世代が、若者の血気を受け止められないほど、
非力なためかもしれないと、ちょっと思わんでもない。
あるいは、巧妙に若者の持つエネルギーが自分たちに向かわないようにと、
団塊以後の世代が世論に2重3重にプロテクトをしているだけかもしれないが、
自分個人としては、やはり非力だろうなと感じる。

若い世代が、恐れおののきながらも、「この悪魔め!許せん!」
と立ち向かえるぐらいの悪の大魔王な大人になりたかったものだ。
黒いマントをひるがえして、
「こわっぱどもは相手にならぬわ、わっはっは!」
と高笑いできる、そんなB級な大人になりたかった。

そういう意味では、格差社会を容認したあの人は立派な大魔王だった。
ちょいと魅力的な首相だったと自分ですら思う。


「正義」という言葉のインチキ臭さを、自分らの世代はうんざりするくらい
感じてきた。
多くの場合、「正義」とは、「安全地帯から人様を攻撃してみたい」
という自己正当化の小道具でしかなかったりする。

昔、「警察手帳があれば犯人をでっちあげて半殺しにしてもいい」という
とんでもない勘違いをした女の子が、本当の正義に目覚める、という漫画を
描こうとして、
その正義がなんなのか、描き手の自分がまずよくわかってなくて、
ちゃんとまとめられなかたことがあった。

「正義」は圧倒的大多数の利益にかなうものであって、
「正義」を振りかざしたとき、絶対的少数は切り捨てられる。
それを、人から憎まれながら行うのが大人であり、
それを憎み、非難するのが若い世代だけの特権なんだと思う。

自分も若い世代ではないので、世の中をそういう仕組みのものと割り切って、
「これは人間の文化に巨大なエネルギーを生み出す上手いカラクリかもしれんね」
とまで開き直っているけれど、
そういう大人を、若者は攻撃し、大人はある時点から攻撃される側に回るものだと、
考える。

「大人はみんなわかっちゃくれないけど、ロックンロールは最高なんだぜ!」

などと大人は死んでも口にしてはいけない。
ジョン・レノンは、社会に対して攻撃的だった三十路の自分から距離を置いて、
実生活に四苦八苦する小さな自分を歌にして、カッコ悪いロックンローラーを、
世界中のファンに見せつけたけれど、あそこで死んでしまったので、
世界中の大人はカッコ悪いままで止まってるという、そんな錯覚さえ起こる。
まれに、本当の大人になったロックンローラーというのもいるだろうけれど、
そういうミュージシャンは「アイドル」にはならないので、
注目もされないし、忘れられることになる。ジョージみたいに。

大人のアイドルというのは、存在しえないのかもしれない。
大人は、世界的な英雄などにはならず、身近で慎ましく悪行を重ねているものだ。
「ちょいワル親父」
なんてのが以前はやったけど、ブームにまではならんかった。

世の大人といわれる人間は、自分を含め、ずいぶん小粒な小悪党にすぎない。
本当の「ワルな大人」に憧れながらも、それが何なのかイメージ出来ないでいる。

P1000668

写真は、うちにいるジョン・レノンさんです。

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