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2013年1月

2013年1月29日 (火)

文房具あれこれ

●ボールペン

パソコンを覚える前は、
文章はレポート用紙にボールペンで書いていた。

ボールペンは、一度書いてしまうとやり直しがきかないので、
気に入らなくてもそのまま書き進めることになる。

自分が若い頃に書いた文章を読みかえすと、
最初のうちはノリが悪かったり、辻褄が合っていなかったりするけれど、
書き進めるうちに、ペンに勢いがのってきて、
なめらかで、すんなり頭に入ってくる文章になっていたりする。
(身びいきもあるけれど、自分ではそう感じる)

今はパソコンで文字を打ち込む機会が多いけれど、
これだとどうしても書き出しの文章が気に入らなくて、
何度もバックスペースのキーでデリートすることになる。
そしてそこで時間を無駄に浪費してしまって、
結局文章がものにならない、というケースが多い。

昔、書道を習っていて、
半紙を四つ折りにして文字を四文字書くのだけど、
一字目が上手く書けず、紙を何枚も無駄にして一字目を練習していたら、
書道の女先生にひどく怒られた。
「気に入らなくても最後まで書きなさい。それが練習です」

このエピソードなどは、自分の完璧主義の幼稚さと、
物事を最後までやり遂げることの大切さが、身につまされるところである。

そういう教訓があったから、
一時の自分は意味のない愚痴でもなんでも、
とにかくダラダラと文章にして、そのうち何か意味のある言葉が出てくるのを、
ひたすら待つことがあった。
そのために、ボールペンは太目でインクのよく出るものが望ましい。
あんまり安くて細いボールペンを使っている文章だと、
「ボールペンがしみったれて……考えが途切れる……」
と、かすれる文字で書きこむことになる。(実際そう書いてある)

そうして、二十本でも三十本でも、空のボールペンがたまっていくのだけど、
自分も嫌らしい人間なので、そういう使えなくなったボールペンや、
三センチくらいまで使い込んだ鉛筆を、
「戦利品」
と称してとってあったりする。

今でも、ノートに文字を書きこむ場合は、
ボールペンを使うことがある。
「出だしで失敗しても、とにかく書き進める」
という気分に自分を追い込めるからだ。

●シャープペン

シャープペンは卑怯者の筆記具であるという意識が、
自分にはある。
学生時代の恩師が、
「鉛筆は数本用意して、勉強を始める前にナイフでトキントキンにしなさい。
削ることで精神を集中させ、学習中はとっかえひっかえこれを使うのです」
と教えたのである。
(ちなみに、「トキントキン」は尖った鉛筆の名古屋弁表現である)

だから、この恩師の考えからするとシャープペンは精神の集中を妨げる、
邪悪な筆記具であり、
こんなものを使うのは怠け者だ、となる。

その恩師の言葉に洗脳されて、自分もシャープペンシルを使うのがなんだか悪いことのような、
いけないことのような気がしてしまうので、
絵を描くのもやっぱり三菱のユニだよね、2Bくらいがちょうどいいよね、
となる。

けれど、これが結構微妙な問題をはらんでいたりする。

シャープペンシルというのは線が均一に細いので、
これで絵を描くと描かれた絵がどんどん繊細に、緻密になる傾向がある。

八十年代以降、21世紀初頭までの漫画の絵は、
シャープペンシルの進化とともに繊細化してきたような感じであり、
鉛筆の豪快なラインを一方の雄としながらも、
次第に覇権を握っていったような感じに、自分は感じる。

学生時代などは、女の子はシャープペンで細かい字をノートに書きこむ傾向があり、
極端な子はHの硬い芯で、繊細極まりない線を引いていたりした。
このノリで少女マンガなどは線が細く、繊細なのではないかと自分は考えるが、
それがやがて少年漫画や、果ては青年漫画にも進出してきたようにも思える。

自分も、シャープペンを使ったり、鉛筆を使ったりと、
優柔不断なことをしていたのだけど、
ペンの持ち方が歪なせいか、芯の中心ではなくエッジで描こうとするためか、
シャープの芯がやたらポキポキ折れ、
挙句に本体までポキポキ折れるので(高いシャープほど本体が折れる)
結局鉛筆を使うことが多かった。

そんな繊細なシャープペンシルだが、
この頃の若い子はパソコンでタブレットで描きこむ方も多く、
そうなると繊細さはシャープペンの比ではなくなってしまう。
それがこの十年ばかりでとんでもない進化を遂げて、
シャープだ、鉛筆だとやり合っていた世代を駆逐しつつある。

若い頃はそんなことは思わなかったけれど、
苦労して技術を習得しても、新しい技術革新がすべてをひっくり返して、
熟練した年寄連中の職人技を、時代遅れな過去のものにしてしまうのは、
ずるいと思う。

●技術革新

少し話は脱線するけれど、
新しい技術が開発されると、芸術でもなんでも、
その直後に最高のものが生まれるような気がする。

たとえば、油絵の具の開発時期に、オランダやイタリアのルネッサンスがあって、
最高の絵画というのは、あの時期に完成されてしまったように思える

油絵の具は薬の調合のように岩を砕いで、色をブレンドするのだけど、
レンブランドもダ・ヴィンチも、そうやって作った岩絵の具を
「油脂で平面に固定する」
という技術革新によって、それまでなかったような緻密で奥行きのある絵を作り上げた。
新しい技法が、それまで存在しなかった絵画世界を開いていくというのは、
この時代の巨匠のみが味わうことの出来た、とてもエキサイティングな体験だっただろう。
うらやましいことである。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、有名な「モナリザ」を生涯自分の手元に置いて、
その死の時まで、これに筆を入れ続けたという。
ダ・ヴィンチが手に入れた技法の総決算が、たぶんこの絵には凝縮されている。

ところがそのあとのヨーロッパ絵画は、巨匠たちの作り上げた名作を模倣し、
それを自分たち流にアレンジしていく方向へと進み始める。
油絵具という技術革新が持っていた衝撃は、時代とともに薄らいでしまい、
絵は油絵具で描くもの、という「慣れ」が生まれてしまう。

もちろん、青い絵の具の発展によって、のちのヨーロッパ絵画は色彩が鮮やかになり、
題材も多様化していくのだけど、
かつての巨匠たちが、色彩を追及するために岩を砕いて絵の具を手作りしていたのが、
手軽に誰でも楽しめるよう、チューブ入りの既製品が主流になってくると、
絵はどんどん、「絵っぽいもの」を量産するだけの状態になってくる。

こういう閉塞感を破るために、ヘタウマすれすれの印象派絵画がうまれ、
セザンヌやゴッホ、モネやらマネが絵画の新しい時代を切り開いていく。
……けれどそれは油絵具という素材の悪用というか、
本来の使い方とは違う使い方という感じがしないでもない。
もともと実用本位のユニホームだったメイド服を、オタクファッションとして楽しむ、
そういうイケナイ感じが、発生時の印象派絵画にはある。

印象派のあとには象徴主義やらキュービズムやら、
それぞれに名作が作られていくのだけど、
油彩画として最高傑作は、やはりダ・ヴィンチのモナリザで、
それ以降これを越える名画はない、というのは、割と世界の共通認識ではないだろうか。

音楽の世界でもこれと同じことが起こっているように思える。

ハープシコードやチェンバロといった鍵盤楽器が、
より繊細な音を出すピアノへと進化していく過程で、
ベートーヴェンが32曲のピアノソナタを作りあげている。
これは前の時代のモーツァルトのソナタよりもはるかに多彩な音を表現しており、
その後のピアノ音楽の可能性が、彼一代の音楽の中にあるともいわれる。

ピアノはさらに改良され続け、今日のグランドピアノに近いものが完成されると、
その時代にショパンが現れる。
ピアノの詩人ともてはやされるあの人である。

ショパンのポロネーズやら幻想即興曲やらは、ピアノ音楽の代名詞みたいなもので、
たぶん、西洋文化圏にいてこの音楽を聴いたことのない人はいないんじゃないか。
「知らん」と言われても、「太田胃酸のテーマソングの人だよ」と言えば、
日本人ならたいてい「ああ」と納得してもらえるはずだ。
それくらい、この人一代のピアノ音楽で、ピアノのための曲は完成されてしまった。
(別に、太田胃酸のテーマがピアノ音楽の最高峰ではないけれど)

これは楽器の技術革新が、その直後に偉大な作品を生み出す原動力になるということの、
証明だとは言えないだろうか。

もちろん、ショパン以降にも、ピアノの名品はあるだろうけど、
ドビュッシーとか、ラヴェルとか、音の印象派も、
ショパンを超えるほど一般に認知されているかどうか、ちょっと怪しいと思う。

このように、芸術分野の技術革新というのは、
その直後に才能ある人たちの出現によって、一気に完成されてしまう感じがする。

この辺の事情は20世紀になってからも同じで、
映画が音入りのカラー映画として一つの完成を見るや、
「風と共に去りぬ」なんて名作が早々に作られたりしている。
今はどうだか知らないけど、アメリカはこの名作映画がよっぽど自分たちの誇りらしく、
冷戦時代は核攻撃によってフイルムが消滅することを恐れ、
世界各地に質のいい複製フイルムを保管していたらしい。
自国が消滅してもアメリカの文化的偉業を人類に伝えようとするその心意気は、
実にあっぱれである。

アニメーションもそうで、ディズニーが総力を挙げて作った作品、
「白雪姫」とか「ファンタジア」は、演出上の古風さはあるけれど、
映像としては、いきなり頂点を極めてしまっている。
その後の各国のアニメーターたちは、手塚治虫がそうだけど、
これらの作品を仰ぎ見、反発しながら、
結局その手のうちの中で自分たちのやり方を見つけ出すことになる。

フイルム映画の技術革新と言えば、CGが八十年代前後くらいから取り入れられ、
このショックも、21世紀初頭くらいまでは続いていた。
今はもう、当たり前になってしまったけれど。

この後、3Dなんてものも出てきて、世界的なヒットになったけれど、
この辺りになってくると、目新しさばかりで、本質的には大きな変化はないように思える。
業界はこの技術革新が大きな経済効果を生み出すことを願ったけれど、
「技術革新がまったく新しい世界を人類にもたらす」
という意味では、3Dにはそれほどの力はないのじゃないかと、自分は考える。
だって、ただ立体に見えるってだけの話だから。

このように、技術革新が各分野に傑作を生みだし、
その傑作がのちの規範となり、やがて尻すぼみに衰えていくという現象がある。

その、衰えていくのを少しでも遅らせるため、
細かい技術革新がたびたび起こるのだけど、
全体としては、絵画もクラシックも、衰退しているように感じる。

自分たちは芸術と言うと才能ある天才たちが生み出すものだと考えがちだが、
実は、才能なんてものは強烈な技術革新が起これば自然発生するものであり、
そんな連中より、油絵具や、グランドピアノや、映像技術を作った連中の方が、
人類への貢献度はよっぽど高いのではないかと、そんな気がする。

だから、
今までにない新しい楽器を作ろうとする人たちとか、
新しい画材を開発しようとする人たちは、
歴史的には無名で終わってしまうことが多いけれど、
本当はものすごい影響を人類にもたらす可能性があるのだと、自分は断言してみる。

漫画もまた、シャープペンシルとか、パソコンやタブレットによって、
作家が刺激をうけ、表現の幅を広げたてきた。
それは、手塚治虫が漫画に映画的手法や演劇的要素を持ち込んだとき程、
爆発的なものではなかったけれど、漫画に新しい活力を与えてきたのだと思う。

だから、この先漫画が今まで以上に盛り返すとしたら、
そこにはものすごい技術革新が必要なのかもしれない。
新しい漫画道具の開発とか、表現上の新しい手法の導入とかである。

自分などは巨匠の技術に面喰って、それを習得することに時間をかけすぎてしまったけれど、
若い人らには、「技術革新」を頭の隅にでも置いておいてもらえたらと、思わんでもない。

●ノート

画材について書くつもりが、ずいぶんと脱線をした。

ルーズリーフというものがいつ頃普及したのかよく知らないけれど、
高校生くらいになると、安価で編集の容易なこの紙素材をみんな使い出した。

けれど、自分の性格なのか、何なのか、
ルーズリーフを一枚用意すると、
その頭から文字を書き始めて、無意識に最後の行で文章を完結させるクセが出る。
上手くまとまらないと、
最後の行で強引にまとめようとすることもある。
だから、パソコンなどで無限に文字を打ち込めるのは、ある意味自由でいいのだけど、
果てしなく書きつづけられるので、こういう、まとまりのない文章にもなる。
この点、コンパクトにまとまるルーズリーフは身に合っているのかもしれない。

ところが、ルーズリーフはバラバラになるのが災いして、
部屋のあっちこっち、机の上の右や左に
うず高く積み上げられることになる。
あとで整頓するのが果てしなくめんどくさいので、
せっかく書いたものをちら見して、ゴミ箱に丸めて捨てることも多い。

だから、やっぱり初めから製本されているノートの方が、よっぽど便利だ、
という結論になる。
あの文章、どこに書いたっけ、と思っても、
ノート単位なら割と見つけやすい。
テーマごとの編集は不可能になるが、
ノートなんて自分で見るものだから、そこまで編集が必要という気もしない。

以上、最近文房具について思うあれこれを、思いつくまま書いてみました。

P1040111

東京タワーの蝋人形館にいるレオナルドさんとジョコンダさん。
写真を撮るのに、「撮っていいですか」と許可もらってます。

モナリザはキャンバスではなく、木の板に描かれている。
その昔、ナポレオンがベルサイユのトリアノン宮を使っていた時、
寝室の壁にモナリザを飾ろうとして、用意した額縁が少し小さかったので、
「両端を切れ」
と命じたという伝説がある。

だから、昔はモナリザの背景はもっと広かったのではという人もいたようだが、
調べてみると、画板の端から裏にかけて絵の具がこびりついていることから、
その伝説は完全に否定された。

モナリザには数々の逸話があるのだけど(盗難にあったりとか若いモナリザがあるとか)
これはデマでよかったと思う。

ナポレオンに切り取られるモナリザと言うのも面白いのだけれど。

2013年1月21日 (月)

寒いけど味噌煮込みうどん食べて頑張ろう。

  1

漫画サンデー休刊という話題が少し前にネットを騒がせた。

自分がこの話題について何か言うのはおこがましいのだけど、
自分の知る限り本当に素晴らしい編集部なので、
もったいないなと感じている。

ところで土鍋の活躍する季節である。

普通に白菜やら魚介やらを突っ込んで、ぐつぐつやるのもいいし、
すこし小ぶりな奴で味噌煮込みうどんを作るのもいい。
東京でも味噌煮込みうどんは袋入りで売ってるけど、
個人的においしいのは寿がきやのインスタントで、
これは麻薬でも入ってるんじゃないかというくらいおいしい。

あんまりおいしいから箱ごと取り寄せることもある。
具をいろいろ投入して、それだけで一食済ますことも多い。
いくら名古屋人で子供の頃から寿がきやの味に慣らされているからとはいえ、
ちょっとおかしいのではないのかと、すこし不安になる。

けれど、正月に名古屋に寄って、
何気なくスーパーに入ってみたら、
インスタント食品の棚の、一区画が丸ごと上から下まで寿がきやの味噌煮込みうどんで、
思わず笑った。いやはや恐るべし名古屋人。

都内でも、売ってるところはあるので、
探せばすぐ手に入るものかもしれない。お見かけになったら是非。

Img_0095_l

味噌煮込みうどんで思い出したけれど、
小学校の五年生の三学期、クラスの友達何人かと学校から帰る途中、
道端に車を止めた男女二人組に声をかけられた。
「CBCラジオですけど、将来の夢についてインタビューに答えてもらえませんか」
それで、人の好い我々は一人ずつラジオのインタビューに答えていった。
今だったらどうだろう、こういう怪しいインタビューのやり方は問題かもしれない。

後日、なぜか自分のものが採用されて、ラジオで放送された。
たぶん漫画家になりたいとか、子供らしい夢を語ったのが採用のポイントだったのだろう。

放送された日はたまたま風邪をひいて自宅にいたのだけど、
むちゃくちゃ恥ずかしかったので部屋にひき籠ったまま、ラジオは聞いていない。
店の方で母親がラジオ局からの電話に生中継で答えている声が聞こえてきた。
……こんな恥ずかしい思いをするのならインタビューなど受けるのではなかったと、
ひどく後悔した。

この話の何処に味噌煮込みうどんが出てくるのかというと、
ラジオ局からいただいた景品が味噌煮込みうどんの詰め合わせだったのだ。
この時は父が直接ラジオ局まで行ってもらってきたのを覚えている。
なんで郵送してもらわなかったのか謎なのだけど、たぶん父の性格を考えると、
ラジオ局に行ってみたかった、というのが正解かもしれない。

 2

正月に実家に帰るたび、弟夫婦がやたら大須に遊びに行く話をするので、
年始の大須はよっぽど面白いのだろうなと思った。
自分は、もう長いこと大須に行っていないので、現在の大須の様子がわからない。
何でも風のうわさでは、大須は名古屋のアキバと言われるほど、オタク化しているらしい。

自分の覚えている大須観音とその門前に続くアーケード街は、
すこぶる庶民的な雑多な場所で、西に大須のアメ横と呼ばれる区画があって、
そこで電気屋とか海賊版のソフトを見て歩くのが楽しかった。

80年代は著作権がまだ曖昧だったから、ビートルズの海賊版がえらい安く手に入った。
それも、ジョン、ポール、ジョージと、それぞれの作品を編集したようなCDまであって、
今ならi-podですぐ作れてしまうけど、あの時代なら重宝したのではないかと思う。
この電気屋で中古の8ミリを買ったり、コンポを買ったりもした。

質流れの品を売ってる店とかもあって、バブル期だからブランド品が大量に並んでいた。
あの有名な「コメ兵」も大須観音に近いあたりにあったと思う。

そういう、電気街的なものや、質屋的なもの、さらには衣料品や甘味処などが集まり、
そのあいまに神社があったり観音様があったり、じつに不思議な空気のあるところだった。

アメ横というと上野から御徒町方面に続く商店街が有名だが、
確かにこの2つの商店街の雑多な感じはなんとなく似ている。
自分はそういうゴチャゴチャした怪しい感じのする商店街が、すごく好きである。

あと、自分は知らなかったのだけど、メイド喫茶の、
「お帰りなさいませ、ご主人様」
ってのが名古屋の大須発祥ではないかという説があるらしい。
すごいな、名古屋、っていうか大須。

P1040475

以前のブログ記事で書いた大名古屋ビルヂングの現在の様子。(左側)
現在建設中である。

2013年1月 6日 (日)

2013年正月に思うところ

一休宗純は、正月に髑髏をかざして、
「ご用心、ご用心」
と唱えながら、おめでたい街中を歩いたそうな。

一休さんについては、坂口尚先生の「あっかんべェ一休」が
コミカライズされたものの中では最良なものかと思います。
この作品も、新潮社で出版が告知されたり、いろいろ紆余曲折の末、
講談社のアフタヌーンで連載されたものですが、
単行本の最終巻の扉絵を描き終えたところで、坂口先生がお亡くなりになってしまい、
当時は、漫画家としての大往生だと自分は泣いたものでしたが、
作品のためには、あの後もしぶとく生き抜いてもらいたかったと今は考えます。

今年はまず、この作品を読み返しのリストにあげて、
本棚の前面に並べておくことにします。

P1040492

さて、正月に髑髏をさらして歩く一休さんというのは、
あのとんち小僧のその後の姿としては、嫌なかんじなのですが、
人間というのは、死をまじかに感じるほど、生を切実に感じるもののようで、
そういう意味では、一休さんのこの
「ご用心、ご用心」
は、なかなか親切なパフォーマンスだったりします。

死を感じるほどに覚醒する生の実感というのは、女性の方が感度が高いらしく、
やたら危険な男に入れ込んでみたり、海外に一人で自分探しに行ってみたりと、
男の目からは甚だ奇異に映ったりもするのですが、
自分が女だったらと考えると、
そのような一瞬の覚醒のためにあえて危険に身をさらすという事も、
あるのかなと考えます。

台風の近づいているときに、やむを得ない事情で海辺にいたことがあるのですが、
荒れ狂う海を前にして、自分が死ぬかもしれないという状況は、
全身の毛が逆立つような快感があります。
決して、そのような時に海に近づくのは人様の迷惑を考えれば大間違いなのですが、
人間は、年に一度くらいは、そのような恐怖に身をさらすべきなのかもしれません。

手軽なところでは、遊園地のジェットコースターですが、
昔、友人の結婚式の帰りに、豊橋の駅で電車を待っているとき、
新幹線がものすごいスピードで目の前を駆け抜けていったのを見て、
肌の泡立つような恐怖を感じました。あれもいいかもしれない。

死は、あんまり身近にありすぎても困るのですが、
ときどきはその存在を肌に感じて、
生きることに自覚的にならなくてはいけないようです。
一休さんの正月の髑髏の話を思い出すにつけ、そんなことを考えるのです。

特に、死が忌むべきものとして日常から隔離されがちな現代人は、
うっかり生きないためにも、そのようなイベントを一つくらいは持つべき
なんでしょう。

即身仏なんて日本のミイラも、そのために存在しているものかもしれません。

幼稚園のひばり5組の時、先生が平岩先生という方だったのですが、
お休み中に友達と即身仏を見てきたとかで、
その子供向けの絵本を園児たちに読んで聞かせました。
なんか、いろいろとフリーダムすぎて、今なら問題になりそうなのですが、
即身仏になる過程と、失敗した場合の悲惨な末路の話などは、
当時五歳くらいだった自分にはしっかりトラウマとなって残りました。
ありがたいやら、迷惑やら、まあ、判定が難しいところです。

御存知のように、即身仏になるためには五穀絶ちをして、
体から脂を抜いてカラカラの状態になり、
穴を掘ってその中に安座し、上に蓋をして竹筒一本で空気を通わせ、
死ぬまでひたすら鐘を鳴らし続けます。
この鐘が途絶えたところで、掘り返してさらに乾燥させ、
即身仏となるのです。
これが失敗した場合はどうなるのか、
……平岩先生というのは当時まだ二十前後の若い独身女性で、
子供たちを前にすっかりノリノリになっていたのだろうけど、
この失敗したところを、ねっちりと細部まで話して聞かせました。

失敗した場合は、目前に迫った死に怖気づき、
鐘も数珠も放り出して、なんとかその穴から這い出そうとするわけですが、
周りでそれを監視している人間がいて、
石を落してその僧侶を埋めてしまうのだとか。
「こんなふうにね」
と、先生の開いた絵本のページには、
石を投げられながら、穴の底深く落ちていく痩身の僧侶が描かれていました。

いくら仏教系の幼稚園だったからと言っても、
あの時の先生には、子供たちを恐怖に叩き込んで悦に入っている感じがありました。
確かに、ディズニーの紙芝居などよりははるかに刺激的で面白かったのですが、
今だったら、園児の親が角をおったてて怒鳴り込んでくるかもしれません。

この平岩先生とは、成人してからもお会いする機会があったのですが、
この即身仏の絵本については、とうとう聞かずじまいでした。
あの時の先生は、絶対子供を驚かして喜んでいたと思うのですが。

自分は即身仏は見たことがないのですが、ミイラなら、
楼蘭の美女とか、国立博物館の生首とかは見たことがあります。
刺激としては、少し弱いかもしれません。
あとホーチミン廟でホーチミンとお会いしてたっけ。

一時、人体の不思議展なんてので、人体標本が衆目にさらされたことがありましたが、
あれが大ヒットしたのも、死を公然と感じられる場だったからかもしれません。
自分も記念すべき第一回目の時は見にいっているのですが、
縦半分にスライスされた人体標本を横から見たら、
二センチくらいに輪切りにされたご老人のお顔が残っていて、ずいぶんドッキリさせられました。
あれも、原産地が中国だの、政治犯がうんたらという理由でなのか、
この頃はさっぱり見なくなったけれど、
現代社会で人間が死と近づく場所としては、面白い試みだったと考えます。

と、ここまでは日常で死と触れ合う方法を見てきたのですが、
死は、実のところ日常以外の何者でもなく、
実際に病院の集中治療室などに入れば、死と生の境界線上にいる人が
普通にいたりします。自分もそういうところに面会で入る機会があると、
もうそれはアトラクションなどではないわけで、
生きることにしがみつきたい衝動をひしひしと感じます。

そういう死と生の最前線にいる方たちにとっては、
自分がここまで書いてきた内容などは呑気にすぎると思われるのだろうけれど、
そういう、死と触れ合う場としての創作があって、
漫画もドラマも、それを抜きにしてはただの絵空事になってしまうような気がするのです。
ですから、これは自分に対する戒めでもあるのだけど、
死をもっと真剣に考えるべきじゃないかと、思うわけです。

冒頭の一休さんの話などは、
当人としては単なる嫌がらせでやっていた可能性も否定できないのですが、
生を謳歌する民衆に死を突き付けるという、エンターテイメントの根源が
あるようにも感じます。
新年のめでたい気分が続く中ですが、
「ご用心、ご用心」
と、一休宗純よろしく、自分の心に唱えてみるのです。

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