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2013年1月 6日 (日)

2013年正月に思うところ

一休宗純は、正月に髑髏をかざして、
「ご用心、ご用心」
と唱えながら、おめでたい街中を歩いたそうな。

一休さんについては、坂口尚先生の「あっかんべェ一休」が
コミカライズされたものの中では最良なものかと思います。
この作品も、新潮社で出版が告知されたり、いろいろ紆余曲折の末、
講談社のアフタヌーンで連載されたものですが、
単行本の最終巻の扉絵を描き終えたところで、坂口先生がお亡くなりになってしまい、
当時は、漫画家としての大往生だと自分は泣いたものでしたが、
作品のためには、あの後もしぶとく生き抜いてもらいたかったと今は考えます。

今年はまず、この作品を読み返しのリストにあげて、
本棚の前面に並べておくことにします。

P1040492

さて、正月に髑髏をさらして歩く一休さんというのは、
あのとんち小僧のその後の姿としては、嫌なかんじなのですが、
人間というのは、死をまじかに感じるほど、生を切実に感じるもののようで、
そういう意味では、一休さんのこの
「ご用心、ご用心」
は、なかなか親切なパフォーマンスだったりします。

死を感じるほどに覚醒する生の実感というのは、女性の方が感度が高いらしく、
やたら危険な男に入れ込んでみたり、海外に一人で自分探しに行ってみたりと、
男の目からは甚だ奇異に映ったりもするのですが、
自分が女だったらと考えると、
そのような一瞬の覚醒のためにあえて危険に身をさらすという事も、
あるのかなと考えます。

台風の近づいているときに、やむを得ない事情で海辺にいたことがあるのですが、
荒れ狂う海を前にして、自分が死ぬかもしれないという状況は、
全身の毛が逆立つような快感があります。
決して、そのような時に海に近づくのは人様の迷惑を考えれば大間違いなのですが、
人間は、年に一度くらいは、そのような恐怖に身をさらすべきなのかもしれません。

手軽なところでは、遊園地のジェットコースターですが、
昔、友人の結婚式の帰りに、豊橋の駅で電車を待っているとき、
新幹線がものすごいスピードで目の前を駆け抜けていったのを見て、
肌の泡立つような恐怖を感じました。あれもいいかもしれない。

死は、あんまり身近にありすぎても困るのですが、
ときどきはその存在を肌に感じて、
生きることに自覚的にならなくてはいけないようです。
一休さんの正月の髑髏の話を思い出すにつけ、そんなことを考えるのです。

特に、死が忌むべきものとして日常から隔離されがちな現代人は、
うっかり生きないためにも、そのようなイベントを一つくらいは持つべき
なんでしょう。

即身仏なんて日本のミイラも、そのために存在しているものかもしれません。

幼稚園のひばり5組の時、先生が平岩先生という方だったのですが、
お休み中に友達と即身仏を見てきたとかで、
その子供向けの絵本を園児たちに読んで聞かせました。
なんか、いろいろとフリーダムすぎて、今なら問題になりそうなのですが、
即身仏になる過程と、失敗した場合の悲惨な末路の話などは、
当時五歳くらいだった自分にはしっかりトラウマとなって残りました。
ありがたいやら、迷惑やら、まあ、判定が難しいところです。

御存知のように、即身仏になるためには五穀絶ちをして、
体から脂を抜いてカラカラの状態になり、
穴を掘ってその中に安座し、上に蓋をして竹筒一本で空気を通わせ、
死ぬまでひたすら鐘を鳴らし続けます。
この鐘が途絶えたところで、掘り返してさらに乾燥させ、
即身仏となるのです。
これが失敗した場合はどうなるのか、
……平岩先生というのは当時まだ二十前後の若い独身女性で、
子供たちを前にすっかりノリノリになっていたのだろうけど、
この失敗したところを、ねっちりと細部まで話して聞かせました。

失敗した場合は、目前に迫った死に怖気づき、
鐘も数珠も放り出して、なんとかその穴から這い出そうとするわけですが、
周りでそれを監視している人間がいて、
石を落してその僧侶を埋めてしまうのだとか。
「こんなふうにね」
と、先生の開いた絵本のページには、
石を投げられながら、穴の底深く落ちていく痩身の僧侶が描かれていました。

いくら仏教系の幼稚園だったからと言っても、
あの時の先生には、子供たちを恐怖に叩き込んで悦に入っている感じがありました。
確かに、ディズニーの紙芝居などよりははるかに刺激的で面白かったのですが、
今だったら、園児の親が角をおったてて怒鳴り込んでくるかもしれません。

この平岩先生とは、成人してからもお会いする機会があったのですが、
この即身仏の絵本については、とうとう聞かずじまいでした。
あの時の先生は、絶対子供を驚かして喜んでいたと思うのですが。

自分は即身仏は見たことがないのですが、ミイラなら、
楼蘭の美女とか、国立博物館の生首とかは見たことがあります。
刺激としては、少し弱いかもしれません。
あとホーチミン廟でホーチミンとお会いしてたっけ。

一時、人体の不思議展なんてので、人体標本が衆目にさらされたことがありましたが、
あれが大ヒットしたのも、死を公然と感じられる場だったからかもしれません。
自分も記念すべき第一回目の時は見にいっているのですが、
縦半分にスライスされた人体標本を横から見たら、
二センチくらいに輪切りにされたご老人のお顔が残っていて、ずいぶんドッキリさせられました。
あれも、原産地が中国だの、政治犯がうんたらという理由でなのか、
この頃はさっぱり見なくなったけれど、
現代社会で人間が死と近づく場所としては、面白い試みだったと考えます。

と、ここまでは日常で死と触れ合う方法を見てきたのですが、
死は、実のところ日常以外の何者でもなく、
実際に病院の集中治療室などに入れば、死と生の境界線上にいる人が
普通にいたりします。自分もそういうところに面会で入る機会があると、
もうそれはアトラクションなどではないわけで、
生きることにしがみつきたい衝動をひしひしと感じます。

そういう死と生の最前線にいる方たちにとっては、
自分がここまで書いてきた内容などは呑気にすぎると思われるのだろうけれど、
そういう、死と触れ合う場としての創作があって、
漫画もドラマも、それを抜きにしてはただの絵空事になってしまうような気がするのです。
ですから、これは自分に対する戒めでもあるのだけど、
死をもっと真剣に考えるべきじゃないかと、思うわけです。

冒頭の一休さんの話などは、
当人としては単なる嫌がらせでやっていた可能性も否定できないのですが、
生を謳歌する民衆に死を突き付けるという、エンターテイメントの根源が
あるようにも感じます。
新年のめでたい気分が続く中ですが、
「ご用心、ご用心」
と、一休宗純よろしく、自分の心に唱えてみるのです。

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