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2013年2月

2013年2月27日 (水)

不況時代のノスタルジー

 1

自分はバブル世代なので、単純な進歩史観を持っていたりします。

人類社会は過去から未来にまっすぐ進歩していくような気がしますし、
長生きしたらそれだけ発展した未来が見られるんじゃないかと、
そんな期待もしています。

でもそれは、自分がバブル世代で、
日本が史上最も極端な急成長をしていたからなのかもしれません。

自分が一番「進歩」を実感したのはテレビジョンでした。

自分が物心ついた頃は、既にカラーテレビは普及していたのですが、
白黒テレビと共存状態で、番組も白黒のドラマやアニメが再放送されていました。
チャンネルは回転式で、リモコンはまだ発明されていなかった。

それが、あれよあれよという間にリモコン式チャンネルが出回り、
回転式チャンネルが駆逐され、電源スイッチを入れてすぐに起動するようになりました。
(昔のテレビはパソコンのOS並みに起動に時間がかかった)

八十年代には家庭用ビデオデッキが出回り、
それまでテレビ番組に合わせて生活していたのが、
録画さえしておけば好きな時にテレビが見られるという便利な時代がやって来ました。
この段階で自分は中学生でしたから、その進化のショッキングさと言うのは、
かなり肌身に染みて感じていたりします。

文明は右肩上がりに進歩していく、自分らがそう思い込むのも、無理はないと思います。

雲行きが怪しくなってきたのは、昭和天皇崩御の前後で、
あの時期は石原裕次郎や美空ひばり、手塚治虫などの昭和を代表する著名人が、
次々とお亡くなりになっていました。

何だか日本が終わってしまいそうな勢いだな、とぼんやり感じたのを覚えています。

平成に入って、友人が一冊の漫画を持ってきて、
「これ面白いから読んでみろ」
と脅しました。
「本編はいいから巻末のエッセイ漫画だけでも読め」
と言われて、二巻目だったかな、読んでみたら結構面白かった。
「この、何コマ目で私は人生を誤ったでしょう、ってのが面白かった」
「だろ?こういうのが漫画なんだよ」

それはさくらももこ先生の「ちびまる子ちゃん」で、
その奇妙な少女漫画は、その後アニメ化され、主題歌の「踊るポンポコリン」は、
空前の大ヒットとなり、新しい平成日本の幕開けかとも思われました。

でもよく考えてみると、あの漫画に描かれた世界は自分の良く知っている昭和の日本で、
あのヒットそのものが消えゆく昭和という時代へのノスタルジーだったような気もします。

平成と言うのは、自分にとってあまりピンとこない時代で、
消えゆく昭和の香りを生活のあちこちに見つけては、
「あの頃は良かったな」
などと爺臭いことを考えていたように思います。

日本人は無意識に、もう一度昭和が再現されないかなと思っていたのかもしれません。
読売巨人でゴジラ松井が現れれば、ON時代の巨人軍の夢を再びと思い、
若花田・貴花田が土俵を沸かせれば、大鵬やウルフ千代の富士を懐かしみ、
モーニング娘。にはおニャン子クラブの幻影を感じて、
そういう「新しい昭和」を平成の御世に期待したのではないでしょうか。

ところが最近は、そういう昭和の面影を感じさせるものが、
だんだんと活力を失っていって、
いよいよ昭和が本当に姿を消してしまいそうな不安を感じないでもありません。

 2

日本の近代史で言うと、明治時代が終わって、
大正から昭和初期の時代が、なんとなく今の時代と似ていると、
指摘している人がいるような、いないような。
確かに、政治家がコロコロ変わったり、世界経済がおかしなことになったりと、
共通点は多いような気がします。

ちなみに、昭和4年の日本ですが、
この年、東大卒の就職率が30%を切っていて、
映画「大学は出たけれど」がヒットしていたりします。

この時期、なんでそんなに不況だったかと言いますと、
第一次世界大戦では、日本は「船成金」が生まれるほど大儲けをしているのですが、
大戦終了とともにその反動で戦後不況がはじまりまして、
ワシントン軍縮会議による軍需産業の不況、
関東大震災、
そして昭和の金融恐慌による銀行取り付け騒ぎがありました。

この当時は海外との貿易でレートの基準となるのは「金」だったのですが、
大戦中にアメリカが一時的に金の海外持ち出しを禁止したために、
日本も金本位制度を停止していました。
この辺、経済に不案内な自分にはよくわからないのですが、
アメリカがいち早く金本位制度を復活させて経済的に黄金期を迎えていたのに対し、
日本は復活させようとするたびに地震やら金融恐慌やらが起こって、
復活を先送りするしかなかったようです。
(自分は城山三郎の「男子の本懐」を読んだくらいの知識しかないです)
なんとなく、円高誘導で不況になってた民主党時代と重なります。

それで、昭和4年に浜口雄幸内閣が誕生しまして、
この内閣は金本位復活を政権の第一目標に掲げていて、
昭和5年の1月に金解禁を実施するのですが、
そのタイミングが恐ろしく悪かった。

昭和4年の10月24日にニューヨークのウォール街で株が大暴落しまして、
それが引き金となって世界恐慌が始まります。
ただ、この段階ではまだアメリカ国内の問題だったために、
浜口内閣は金解禁を予定通り実施します。
実施したら、アメリカの不況がどんどん大事になっていって、
ついに世界規模の大不況になってしまった。

浜口雄幸と言う人は、謹厳実直を絵に描いたような人で、
政治家としては彼くらいクリーンな人は日本史上にいないと思うのだけど、
この「失策」のために後世の評価はすこぶる悪い。

日本の不景気はいよいよ深刻さを増し、
東北では娘の身売りが相次いだ。
この東北の窮乏が226事件の布石にもなっている訳で、
太平洋戦争への伏線は、着々と張られ始めている。

以上、素人の解説による昭和不景気史でした。

 3

自分がもし、この時期に日本人として生まれていたら、
決して世の中が右肩上がりなどとは思えないでしょうし、
日本の未来にも、明るい希望を見い出せないような気がします。

たとえば、太宰治などは、この時期が青春ど真ん中だったわけで、
さっそくカルモチン自殺を図ったり、カフェの女給と心中騒動を起こしたりしています。

なんて真っ黒な青春なんだろう。

この時期の日本人がノスタルジーを感じるのが明治大正の、日本が元気だった時代でして、
たとえば文学では夏目漱石や森鴎外、芥川龍之介などがブイブイいわせていましたし、
美人画の竹久夢二が大ブームになったのも、大正バブル時代だったりします。
浅草オペラに活動写真、少女歌劇団、大相撲だと太刀山が58連勝していましたし、
蓄音機なんて文明の利器まで現れて、カフェで女給さんを眺めながら音楽に耳を傾け、
日本はこれから右肩上がりじゃ、世界の一等国じゃと浮かれていたわけです。

その時代の英雄たちが次々と物故し、芥川龍之介も昭和2年に自殺してしまいます。
太宰は芥川を尊敬していたようで、この自殺に強い衝撃を受けます。

過ぎ去りし大正ロマンにノスタルジーを感じながらも、
時代は不景気の中、どんどんきな臭くなっていく。
太宰は過ぎ去りし時代をもう一度復活させるかのように、
芥川ばりに短編作品を書きつづけていきます。

しかし、結局太宰治が生きている間にそのような元気な時代が訪れることはなく、
日本は敗戦を迎えてGHQによる占領の時代になります。
なんかもう、やってられねぇやって気持ちになりそうです。

戦後になって「斜陽」を執筆。没落する華族階級を書いて流行作家の仲間入りをするも、
文壇の長老から「こんな華族いねぇよ」と小馬鹿にされて逆上、
全方位に喧嘩を売りまくって「人間失格」を書いて玉川上水で情死。
太宰の視点からすると、いい時代は遠くの過去で、
未来に対しては何の希望も抱けなかったのかもしれません。
あるいは、
「遅れて来た者の悲哀」
を、太宰もまた感じていたのかもしれない。
なんで自分の周りにいる作家が森鴎外や芥川龍之介じゃなくて、
志賀直哉とか川端康成とか、井伏とか佐藤春夫なのか、と。

しかし、実際のところ、このあと日本は戦争特需で高度経済成長の時代を迎え、
ニューヨークで土地を買い捲るくらいの好景気を迎えます。
この筋書きは、さすがに読めねえ。

大正から昭和にかけての日本が、不運続きで、
まるで疫病神に憑りつかれているかのようだったのに対し、
戦後の日本のバブルへの歩みは、まるでシンデレラストーリーでも見ているような、
荒唐無稽な感じがします。
実際、バブルがはじけるまでの自分は、
こういう幸福な時代が無限に続いていくものだと単純に思い込んでいました。

この時代に太宰が生き残ったら、彼はどう考えたでしょうか。
彼の師匠の井伏鱒二などは平成まで存命だったわけで、その可能性は十分にありました。

自分は、日本が元気になると、太宰も元気になって傑作をポンポン書いたのではないかと、
そんな気がします。
太宰治と言う人は、たとえば日本が太平洋戦争をはじめて、
快進撃を続けていた(ことになっていた)時期に、安定した傑作を書いていたりします。
日本の元気が太宰の元気、なのではないかと、自分は勝手に考えているのです。
暴論覚悟で書いちゃいますけど。

太宰が情死などせず、生き延びていたなら、
三島由紀夫の天敵となり、芥川賞と言う権威に喧嘩を売り続け、
案外島田雅彦あたりとは同じ落選組としてシンパシーを感じ、
川端がノーベル賞を取れば、これを嘲笑い、
三島が割腹自殺をすれば、やっぱりゲラゲラ笑い、
なぜかテレビに引っ張り出されて、横山やすしと毒舌合戦を繰り広げる、
そういう昭和史に、なっていたかもしれません。

その場合、「人間失格」の太宰とはずいぶん違ったイメージになっていたでしょうけど。

P1040503

写真は今回使いまくった小学館の「江戸東京年表」1993年の第1版です。
先史時代から1993年の曙横綱昇進までの東京の歴史が年表になっています。
現在は2002年までの年表を追加した版が書店で売られています。

自分は発売早々に手に入れているので、もう20年のお付き合いになりますが、
装丁がしっかりしているし、紙の酸化などの劣化もまったく起こっておりません。
内容も庶民の暮らしに直接関係していること(物価とか流行歌とか)が多く書かれ、
文化史としても面白い読み物になっています。
良本です。

2013年2月21日 (木)

口は目ほどに真実を語らない

 1

「お前はいつも、ひとこと多い」

と、子供の頃は学校の担任の先生に叱られた。
授業中に先生が真面目に授業をしているのに、
そこに小声で「つっこみ」を入れるような、困った生徒だった。
それでまあ、教科書の背表紙でコツンとやられることもあった。

高校の頃、留学生でローズマリー・オフナーさんがいらっしゃることになり、
先生が黒板に横文字で名前を書いた。

ROZEMARY OFFNER

ほとんど無自覚に、自分は「おふなさん、ですか」
と言った。
次の瞬間、教室中が大爆笑になった。
あれ?俺何か変なこと言ったのかと思って、隣の女の子を見ると、
「やだ、かわすみくん、突然なんだもん」
と顔を真っ赤にしている。
後の席の男子生徒に「俺、何を喋ったんだ?」と聞くと、
「またまた、かわすみはHなんだから」
とぽんぽん肩を叩いてくる。

後にも先にも、自分が教室をあそこまで沸かしたことはないので、
何が起こったのか、知りたいのだが、今となってはよくわからない。
ひょっとしたら、「お……何さんですか?」だったのかもしれない。
担任の文字が読みにくかった可能性は十分に考えられる。

ラーメン屋でアルバイトをしていた時にも、
ラーメン屋協会の宴会の帰り、
「おじさんも歌えばよかったのに」
と言ってしまい、おじさんを泣かせてしまったことがある。
わざとわかりにくく書いてるんだけど、
この時の自分は、本当に愚かで馬鹿だったと後悔している。

おじさんの親友で、同じラーメン屋仲間のKさんが、その頃病院で意識不明の重態だった。
ラーメン屋協会の宴会でそのことを知っているのは自分とおじさんだけで、
宴会の空気を悪くしないために、Kさん入院の事実は伏せられた。

おじさんは宴会の間中にこやかに笑っていたけれど、
心の中はKさんの無事を祈る気持ちでいっぱいだったはずだ。

だから、自分の心無い一言はおじさんにはずいぶんバカヤロウに聞こえたはずで、
ワーワー泣きながらその場にしゃがみこんでしまった。
自分は激しく後悔したけれど、どうすればいいのかさっぱりわからず、
「すいません、おじさんの気持ちも考えないですいません」
と謝り続けるしかなかった。

今思い出しても恥ずかしく、自分に対して怒りが蘇ってくる。

Kさんが亡くなったあと、おじさんも「未亡人の喪服はそそるねえ」
なんて笑っていたけれど、自分はもう、あの時のおじさんが忘れられなくて、
その心中を察するに、自分に蹴りをいれたくなる。

これだけのことがあったので、自分も喋る時にはずいぶん気を使っているのだが、
空気を読まないトンデモ発言と言うのは、頻繁に発生している。
仕事の上でも、ずいぶん御不快な思いをされた方が多いのではないかと思う。
すごく謝罪する。頭を地面になすりつけて謝罪する。

基本的に自分は隠し事が出来ず、ペラペラ余計なことを喋ってしまう人間なんだと思う。
そのことは自分が一番よくわかっているので、
絶対に余計なことは言うまいと毎度心がけているのだが、ここ一番でアホな発言をしてしまう。

そういう危険極まりない自分なのだが、
「君だから話すんだけど」
と、いろんな人の秘密がコロコロ転がり込んで来ることも多い。
いちおう、常識人として認めていただいているのだと思うので、
そういう場合は命がけで秘密は守る。
自分がペラペラ喋ってしまうのは、その場その場の素直な感想であり、
他人のプライバシーに関することは喋らないという予防装置は働いているので、
一緒にお酒を飲むときなどは、安全な人種です。

ただ、本音がポロポロこぼれ落ちるというのは、
自分にとっては全く迷惑な性質で、
なんとかならんもんかなと、いまだに悩んでいたりする。

 2

実はこれについては一つだけ解決方法が存在している。

自分は名古屋時代から標準語で喋っていたのだけど、(両親名古屋じゃないから)
ときどき母方の熊野弁が出ることがある。
この熊野方言を喋っているときの自分は完全に別人格で、
口の達者な詐欺師のような人格に変わる。
本音を隠して、小ずるい口先人間に変貌するのだ。

以前、とあるご婦人とその娘を前にして、
「俺、実は占いやるんですよ」
などと嘘をついて、手相を見ながらいい加減な占いを始めたことがあった。

知ってる人は多いと思うけれど、
占いというのはほとんど会話のマジックみたいなもので、
「運命線がなんたらかんたら」
と基本的なことを喋っていると、特に女性などは、
「そうそう!実は私も今そのトラブルを抱えていて……」
などと話のタネをバラしてくれる場合が多い。
「そのトラブルが手相に出てますな。だからこの先はうんたかんたら」
と、相手が言って欲しそうなことを並べ立てれば、占い師のいっちょあがりである。
「すごいすごい、先生当たってるわ!」
純真な母娘は自分の口車にまんまとのってしまった。

その家を出てから、自分のやらかしたことの無責任さに、
「俺は馬鹿か」
と標準語で自己嫌悪を感じたのだけど、口先だけで人を有頂天にさせるというのは、
まんざら悪い気持ちでもない。

ところが何年かたって、ある場所で
「先生!」
と声をかけられた。
はて、先生などと声をかけられる覚えはないのだけどと振り返ると、
こともあろうにスキンヘッドの女性がニコニコしながら近づいてくる。
正直言って、かなりビビった。

「覚えてませんか、昔占いをしてもらったじゃないですか」
「ああ……」
なんでも近くの芸大に通っているとかで、あの時の占いは本当に良かったですと、
純朴な笑顔で語りかけてきた。つるつるのスキンヘッドで。

……俺は、一人の少女の人生を狂わせてしまったのじゃないだろうか……

相手の会話も受け流すばかりで、自分は一刻も早くこの場所から逃げ出したいと思った。

以来、熊野弁で詐欺師めいた会話をすることは、自分にとってタブーとなっている。

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2013年2月10日 (日)

迷信という名の処世術

自分はけっこう迷信深いほうである。

子供の頃、友人たちと自転車で川へ遊びに行ったのだけど、
目の前を黒猫が横切って、そこを五人が順番に通り過ぎた。

・最初の奴が自転車のペダルを踏み外して、足に怪我をした。

・次の奴も自転車でこけてどこぞを強く打撲した。(確か男の急所)

・その次が自分だったのだけど、川に落ちて友達に引き上げてもらった。

・その次の奴は、夜熱を出してえらいことになった。(期末試験の前日だった)

・最後の奴だけは何も起きなかったので、黒猫の呪いは四人までとなった。

それで今でも目の前を黒猫が通ると、その道は絶対に通らない。
親戚で黒猫を何匹も飼っている家があって、その家に泊まることになったとき、
呪われるのではないかと少し怯えたのだけど

「ここは道じゃないから大丈夫」

と自分を納得させて数日間をのりきった。
黒猫に罪はないと思うのだけど、世の中にはなにか不思議な「流れ」があって、
その「流れ」を読み取るための古人の知恵というのがあるように思う。


東京のラーメン屋で出前のアルバイトをしていたとき、
玄関前に棒で刺した鰯の頭をいくつも見かけた。

「ああ、これが鰯の頭も信心か!」

と、ちょっと感動した。故事熟語が生きて目の前に存在している。
名古屋ではついぞ見たことのない風習だった。

なんでも節分に柊の枝に鰯の頭を刺して戸口に置いておくと、
鬼が柊の棘と鰯の臭いを嫌って、家の中に入ってこないそうだ。
あの、恵方巻きなんてものが無理やりブームになる前は、こんな迷信も生きていた。

まあ、どう見ても「百舌鳥の早贄(もずのはやにえ)」で、汚い風習だったけれど。


飲み屋に入ると、その店のトイレを掃除する芸人さんがいる。
なぜそんなことを始めたの知らないけれど、
「金運」というのは、人様の使った便器を磨くことで高まるように聞いている。
お金が欲しければ、お金が入ってくる入口よりも、
お金の出ていく出口の方を大切にしなければならない。
トイレというのは、ある意味お金の出口の象徴なわけで、
ここを綺麗に掃除すると、物事がすらすらと流れ始め、
お金もずんどこ入ってくる。

もちろん、無報酬で無くてはならないし、
自分の家のトイレだと、効果は薄いかもしれない。


財布にも迷信がある。
「汚れて来たから買い換えよう」
と思っても、そうおいそれと財布は変えられない。
変な財布を使うと、運気が変わりそうな感じがするからだ。

昔、大須のアメ横で小銭入れを探していたら、
店のおばちゃんから財布と風水についていろいろ薀蓄を聞かされた。
「だからこの七色の財布を買いなさい!」
と、牛革の一枚作りの、端っこがなぜかレインボーカラーなのを薦められたのだけど、
あんまり悪趣味なので、別の奴を買った。

この財布との相性はとても良くて、
いろいろ幸運にも恵まれたのだけど、
10年も使い込むとさすがに穴が開いてきたので、
同じようなのを大須のアメ横で探した。
まったく同じものの新品が欲しかったのだ。

けれど10年も経つとあの店もおばちゃんもどこぞに行ってしまっていて、
途方に暮れた。
怪しいジャンク屋っぽかったアメ横ビルも、なんか小奇麗になってしまって、
その綺麗さが御利益を損なっているようで、結局財布を買うのをやめた。

縁起物はごちゃごちゃした怪しい店で買いたい。
胡散臭いおばちゃんの薀蓄が聞ければ、なお最高である。


部屋に人形を飾る時、人形同士を向い合せにしてはいけない。

実家の食堂で、店のテレビの上に木彫りの大黒様があったのだけど、
それと反対側の壁にも、えびすと大黒の人形があった。
ちょうど店のテーブルを挟んで、にらみ合う形になっていた。

ある日、客のいる時間にテレビの上にある大黒様が何もしないのに落っこちた。
一本作りの大黒様は、腕と小槌のところがポッキリと折れて、
もったいないことになった。

その当時のお客さんで、小さな神社の神主さんがいたのだけど、
「人形同士を差し向かいにしたから、喧嘩して木彫りの方が負けたんだよ」
と、当然のことのように解説した。
神主さんの話は本当かどうかは知らないけれど、
人形同士が喧嘩するというのは、なんかありそうなので、
それ以来、部屋に人形を飾るときは、その視線の先をチェックして、
人形同士がガンの飛ばし合いをしないように気を付けている。


世の中には人知の及ばない、不思議な法則が働いている。
大切な人の背中はこっそり拝むものだし、
不埒な輩に不快な思いをさせられても、
じっと耐えて、悪い運気を持って行ってもらう。
捨て台詞は必ず自分に返ってくるから、
むしろ感謝の言葉をのべて、先々自分に返ってくるのを楽しむ。

年寄り臭い迷信の数々だが、人生の経験値が上がるほどに、
「昔の人は偉いな」と感心させられることが多くなってくる。

今さら上手に生きようとは思わないが、
こういうカラクリを見極めてみたいものだとは、ちょっと思っている。

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上野の西郷さん。
梅原猛さんが著作の中で、日本には亡ぼした相手の祟りを畏れ、
神に祭り上げる傾向があると指摘している。
西南戦争で死んだ西郷さんを上野の山に鎮座させるのは、
何かそういう迷信的なものが関係しているのかもしれない。

明治天皇が西郷さん大好きだったのが大きいだろうけど。

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