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2013年6月

2013年6月24日 (月)

ランドセルの話

日本の小学生というのはランドセルを背負って学校に通います。

アメリカやヨーロッパでは、教科書をいちいち家に持ち帰らないそうで、
大量の教科書を収納するランドセルのようなものが発展しなかったようです。
ところが日本では戦後になって、それまで一部の層しか使っていなかったランドセルが、
全国の小学生の標準的な収納鞄として定着しました。
このへん、戦後の軍需産業としての背嚢を作る職人の事情とか、
いろいろ勘ぐってしまいたくなるのですが、
例えランドセルが軍隊の背嚢を起源とするものであっても、
その語源がオランダ語のランセルで、軍隊の備品の名称であるにしても、
丸みを帯びた革の曲線のかわいらしさとか、赤やら黒やらの色の美しさとか、
ランドセルには道具として完成された品格があるように、自分には思えます。

実際、自分が子供の頃のランドセルと、現在のランドセルとでは、
それほど大きな違いがないように感じられます。トランペットやバイオリンのように、
道具として一つの究極の形にまで達している。
こういう日常のものに対する徹底的なこだわりは、いかにも日本人らしい。

自分の子供の頃もこのランドセルを背負って集団登校をしていました。

「分団」

と言っていましたけど、町内ごとに一年生から六年生まで集まって、
時間になると二列縦隊で学校まで「行軍」するアレです。

ランドセルはもともと軍隊の背嚢が進化したものですから、
行軍と言うのはあながち間違いでないような気がします。

ときどきは、上級生の命令でジャンケンをして
負けた人がランドセルを前後に連結させて交代で歩いたりもしました。
当時は子供も多かったですから、十個くらい連結していたかもしれない。

1a
1b
そんなこんなで六年間使い倒したランドセルなのですが、
さすがに最後の方はボロボロで、肩バンドの付け根がへたっていました。
緑色の毛糸で補強していた記憶があります。

六年生の秋ごろのことですが、
授業が終わってクラスの男子何人かと下校するとき、
北門のあたりで女の子の集団と口論になって、ちょっとした乱闘になりました。
それで、忘れもしない、森と言う女の子なのですが、
力任せに僕のランドセルを引っ張って、肩バンドを完全に破壊してしまった。
自分も驚きましたが、あっちも相当あせったと思います。
「ごめんなさい……」
と頭を下げてきました。まあ、もともと壊れそうな部分だったので、仕方ないです。

ただ、どう修理しても直りそうになかったので、翌日に担任の先生に見てもらって、
新しい鞄を使う許可をもらいました。
もちろん、普通の肩掛け鞄です。
卒業まであと数か月というところでしたし、
その数か月のためにランドセルを買うというのは、ちょっと馬鹿馬鹿しい話ですから。

休みの日に親と鞄を選びに行って、月曜日に新しい鞄を下げて登校しました。
まわりがみんなランドセルなのに、一人だけショルダーバックというのは、
なかなか優越感を感じさせるものでした。
自分はクラスでも背の高い方でしたし、半ズボンを止めて長ズボンを履き始めた頃で、
一足先にランドセルを卒業できたのは、自分としては願ったりかなったりだったのです。
森さん、よくぞランドセルを破壊してくれたと、内心では感謝していました。

ところが、それから数日して、クラスの何人かがランドセルをやめて、
普通カバンで登校してきました。
「どう、俺のカバンいいでしょう?」
後ろの席のおしゃれ番長のY君が緑のカバンを嬉しそうに見せてくれました。

自分のより高そうでカッコいい鞄だったのを覚えています。

でも、これはさすがに問題になるんじゃないかなと心の中でドキドキしていたのですが、
果たして、朝のホームルームで担任の先生が激怒しました。

「お前ら何やってるんだ」

「だってかわすみは普通のカバンで登校してるじゃないですが」
生徒の一人が強い調子で反論しましたが、先生には通じない。
「ランドセルが壊れたんだからしょうがないだろう」
とたしなめます。
「どうしてもと言うなら、先生のところにランドセルを持ってきなさい。壊れてるかどうか確認するから」
と、きちんと道理を立てて説明しました。

なにせ、六年生の秋ですから、
みんなとっととランドセルなんて羞恥プレイからは解放されたかったのです。
自分ですら「ヤッホー!」てな気分でしたから、
クラスのお洒落さんたちにはたまらなくうらやましかったのでしょう。
翌日から元の通りみんなランドセルで登校しましたが、
無駄な出費をさせてしまったことで、自分は少し申し訳ない気分になりました。

ランドセルと言うのは、やはり六年間使い倒してこそです。
どんなに羞恥プレイであっても、卒業式までランドセルで通ったという思い出の方が、
一時の解放感よりよっぽど大切だと、今は思います。(みんなの視線が痛かったし)

壊れたランドセルは、あれからどうなったかと言いますと、
いくら壊れたからといって、六年間使った愛着もありましたので、捨てることも出来ず、
小物入れか何かみたいになって、机の脇にずいぶん長いこと放置されていました。
自分が上京するまでは実家にあったかもしれない。
けれど今は実家も引っ越しましたし、たぶんその時に処分されたのではないかと思います。

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話は変わりますけど、この頃ブログ用にイラストをちょこちょこアップしてます。
追加したのは「ヨーヨーの思い出」と「名古屋ローカル」です。
お暇な折など、目を通していただければありがたいです。

2013年6月16日 (日)

お絵かき

古いブログ記事にイラストをつけようと思って、描いてたら入りきらなくなってしまった。
去年の「閲覧注意」という記事です。
文章だけだと状況が分かりにくいなと、ちょっと気になっていたので。

シャープペンで描いた線画を二値化で取り込んで、フリーソフトのPixiaで色を塗ってます。

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ほんとにひどい話だな。
本は髪と同じで長い友達なのに。



2013年6月14日 (金)

またブラームスの話

音楽史上、イメチェンする作曲家は珍しい気がします。

ベートーヴェンやモーツァルトは、青年時代のイメージのまま、
そのまま大人になったような印象がありますし、
19世紀を代表するアイドルスターだったリストにしても、
若い頃のヘアスタイルのまま、老人になっちゃった感じがします。

ただブラームスだけが、ある時期を境にはっきりっと別のキャラクターになっています。

クララ・シューマンの教え子に、フローレンス・メイというイギリスの御嬢さんがいて、
彼女が二十代の頃、ブラームスにピアノを教授されたことがありました。
音楽之友社の「ブラームス回想録集」の一巻目に載っていますけど、
青年時代のブラームスは、スレンダーなイケメンで、女の子には結構やさしい。

「先生の作品を演奏して、私に聴かせてください」

授業のあとに教え子にせがまれて、ブラームスは自作の主題と変奏を演奏します。
弦楽六重奏曲第1番の第二楽章をピアノ用にアレンジしたものですが、
こんな曲を目の前で演奏されたら、若い女の子なんかイチコロだろうと思います。

ピアノ版ですが、Youtubeのアドレスはこちら
昔、日本のテレビCMで使われていたこともあったはずです。
(ピアノだとなかなか弦楽のような響きにならないせいか、エコーがきつくなってます)

カッコいいイケメンの作曲家にピアノを教えてもらい、
しかも自作を自分のために演奏してもらった……
フローレンス・メイにとってそれは美しい少女時代の思い出なのです。

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それから十年近くたって、彼女はブラームスと再会します。

ベルリンでの滞在中にハンス・フォン・ビューロー指揮のオーケストラに彼が出るらしい。
きっと多忙だろうから、リハーサルでなりともぐりこんで私がいると気付いてもらおう。
三十路過ぎのレディが乙女全開で胸をドキドキさせながら劇場にもぐりこむのですが、
その時、ビューロー氏とともにステージに出てきたのは、
彼女の知るブラームスとはまるで別人のずんぐりと太った中年のオッサンでした。

髪型は昔の面影があるのですが、もじゃもじゃのヒゲが顔を覆っていて、
とてもこれがあのブラームスとは思えない。
はっきりとは書いていませんが、たぶん彼女はかなりショックを受けたのだと思います。
いやいや、あれがブラームスとかありえないし(笑)……なんて感じで。

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それでも人波をかき分け、舞台上のブラームスに近づこうとすると、
ブラームスはひと目で彼女がフローレンス・メイだとわかったようで、
「今ベルリンにいるの?」
と言葉をかけてきたそうです。
すぐにまたファンの波にもまれて引き離されてしまいましたが。

多少オッサン臭くなっても、自分のことをちゃんと覚えていてくれたというのは、
女性にとってはものすごい高得点みたいです。
このあともフローレンス女史のブラームスに近づこう作戦は続きます。
そして晩年のブラームスと親しく接するようになるのです。

ブラームスは気難しい人間嫌いの作曲家と言われることが多いのですが、
彼女と再会してからのブラームスは、なかなか気さくなおじさんです。

「先生のピアノ協奏曲をロンドンで演奏して、あんまり難曲だからすごく疲れました。
私、田舎に転地療養に行きましたのよ」
と、冗談めかして言うと、
「そりゃ怖ろしい話だ。そんな体に悪い曲を作っちゃいかんな」
と答えたそうな。
(以前ブログで取り上げた変ロ長調の第2番協奏曲です)

ベートーヴェンにしてもモーツァルトにしても、
日常でどんな会話をしていたのか、あまり残っていないことが多いのですが、
ブラームスくらいの時代になると、この作曲家の生の言葉がとても価値があるものだと
周囲もわかっていますから、かなりの量の発言が残されています。
それは気難しい毒舌家のブラームスには不幸なことだったかもしれませんが、
後世の人間にはたまらなくおもしろかったりします。

作曲された音楽もおもしろいですけど。

東京はここ数日雨が降り続いていまして、
こういう天気ですと、何かしっとりした曲が聴きたくなるのですが、
ブラームスのバイオリンソナタ「雨の歌」なんかは、そんな気分に合うような気がします。
昔、知り合いに聴かせたら、
「どこが雨なんだ」
と説明を求められましたけど。

タイトルのせいでそう思い込んでいるのか、自分はどう聴いても、
この曲は雨の日の音楽にしか思えないんですけどね。
聴く人によって、感じ方と言うのはずいぶん変わるものかもしれません。

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