無料ブログはココログ

amazon

  • PCソフト
  • DVDベストセラー
  • ベストセラー
  • ウィジェット

« 歴史ドラマ | トップページ | 校歌 »

2013年8月18日 (日)

ひそみにならいて

高校生の頃、一人で奈良の古寺名刹を歩いて回ったことがある。
奈良駅を降りて東大寺で大仏を見上げ、奈良公園では鹿と戯れた。
なぜか、

ふんふんふん♪黒豆や♪

という歌が奈良限定でリバイバルしていて、あちこちで耳にした気がする。
今調べてみたら、吉永小百合さんの「奈良の春日野」という歌で、
黒豆とは鹿の糞のことである。鹿の糞だから「ふんふんふん」となる。

永遠のアイドルになんて歌を唄わせるんだ。

それから、法隆寺に回って、そのあと興福寺を見学する。
藤原家の菩提寺として作られた寺院だったはず。

付属の博物館みたいなところで仏像を見たのだけど、これが何とも壮観だった。
まず、なんといっても阿修羅像。
脱活乾漆という技法でつくられていて、中は空洞になっている。
表面は木の粉を漆で捏ねたような素材で成型されていて、
仏像としてはかなり特殊な部類に入ると思う。(八部衆も同じつくりだ)

胸のあたりで合わせられた手は後世の復元で、完成当初に手を合わせていたかどうかは謎。

実際の人間と比べると少し小ぶりな感じで、八割ぐらいに縮小した感じがする。
僕はこの阿修羅像のまわりをクルクル回って、
どれくらいだろう、十分以上は眺めていたと思う。
館内に人はそれほどいなかったはずだし。

で、その日の宿に入ってから、ひたすら阿修羅像を描きまくった。
絵葉書を何枚か買ったので、それを見ながら模写したのだと思う。

他にも、天灯鬼・竜灯鬼像なんかが気に入ったのだけど、
やっぱり阿修羅像がド・ストライクで、名古屋に帰ってからも、
阿修羅像の絵ばかり描いていた。

Img117
      後生大事にとってあった。
Img118
    竜灯鬼像

なんでこんな思い出話をするのかというと、
こういう衝動は、案外大切なんじゃないかとしみじみ考えたからだ。


人間にはコピーしたいという欲求がある。
会社にすごく出来る上司がいれば、そのライフスタイルを真似したいと思うだろうし、
美人がいればそのメイクなりファッションなりを真似してみたくなるのが女心だろう。

昔、中国にものすごい美女がいて、すこし病気を患っていたのだけど、
その痛みをこらえて眉間にしわを寄せる様子が何とも艶っぽく、
村の男たちがみんな夢中になった。
これを見た醜い女が「私も男にもてたい」と思い、真似をしてみたのだけど、
醜い女が眉間にしわを寄せるのだから、その面相は何とも恐ろしく、
村は大パニックに陥った。

この故事を称して「ひそみにならう」と言う。
ひそみとは眉と眉の間のことで、美女のひそみを醜女が真似をすること、転じて、
「立派な人の行いを自分のような立派でない人間が真似してみました」の意となる。

人間は良いものがあれば真似したいと思うし、取り込みたいと感じる。
そういう衝動があるから、人類は進歩するのだし、立派な行いも増えていく。
でも、その真似をする対象への愛情と言うか、敬意は欠かせないもので、
表面だけを剽窃して「自分は本物を越えた」なんて誇るのは品のない人間のすること。

「ひそみにならう」の醜女さんは、そこがちょっと欠けていた。


コピーとは本来、愛に満ちた行為であり、
それ故に漫画の世界をコピーした同人の世界を多くの人が支持しているし、
そこから本物が生まれてくる事だってある。

でもコピーをコピーし続けるというのは自家中毒というものであり、
ときどきは自分が愛情を向けている対象が何なのか、冷静に見つめなおす必要がある。
これは自分の反省としても書いてるんですけどね。

昨夜、古い友人と居酒屋で飲んできた。
この方はそれはそれは先輩を大切にして先輩からもかわいがられる方だった。
先輩の良いところは真似をして、自分もそうなろうとしたし、
先輩が何かの実行委員として大役を果たすのを見れば、
自分も同じ委員になって後に続こうとした。

その人が長い時間を経過してどうなったかと言うと、とてもカッコいい大人になったのだ。

まあ、やっていることは学生時代と同じで、
名古屋飯が売りのその店で、昔みたいに味噌カツやら手羽先やらを奪い合って、
この数十年繰り返してきた同じ話題をまた繰り返したのだけど、
その方の喋りは昔よりはずいぶんと落ち着いていたし、表情も穏やかだった。
彼には大学や会社に尊敬する先輩が何人もいて、
必死でその背中を追いかけているうちに、
自分もまたその先輩たちと同じ風格を身に着けたのだと思う。

時代はコピー文化が全盛で、
あらゆるものが日常的にコピーされ、真似をされ、剽窃される。
ついには3Dプリンターなんてものまで現れ、人々のコピー衝動に訴えようとしている。
けれど安易なコピーは一時の衝動を満足させるだけで、虚しく終わってしまう。
何かをコピーして所有欲を満足させる前に、対象への愛情をしっかり持ち続けねばと、
この頃は考えるのですよ。


追記。友人と飲んだ後、会計を二千円札三枚でやろうとしたら、すごく受けた。
何がツボだったのかよくわからないのだけど、
「会計の女の子が、一瞬目を見開いてた」
とうれしそうに語り、
「このことブログに載せるね」
と言って夜の街に消えて行った。
どこかのブログで二千円札で会計をした男の話が出てきたら、
それはたぶん自分のことだと思う。

01_2

02_2

03_2

04_2

05_2

06_2

07_2

 

 

« 歴史ドラマ | トップページ | 校歌 »

コラム」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1669327/52931371

この記事へのトラックバック一覧です: ひそみにならいて:

« 歴史ドラマ | トップページ | 校歌 »