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2013年10月

2013年10月21日 (月)

米騒動

台風が次々と日本列島に襲い掛かり、ずいぶん悲しい災害が起こっている。

うかつに生きていると、台風が地震と同じくらい恐ろしい災害だという事を忘れてしまう。
自分などはその典型で、台風が来るとなんとなく楽しいような気がしてしまう。
子供の頃は台風が来て町中が大停電なんてことはよくあって、
真っ暗な店でお客さんたちのために懐中電灯を灯して、風がゴウゴウ言っている音を、
ニコニコしながら聞いていたもんだ。

それは自分が名古屋市内でもかなり北の方に住んでいたせいかもしれない。
自分の父親は昭和34年の伊勢湾台風を経験していて、
当時は南の方に住んでいたらしく、
「水の中を泳いだ」
みたいなことをボツボツ喋っていた。
「あの頃の写真はそのせいでみんな無くなってしまった」
とも。
具体的なところは聞く前に亡くなってしまったので良く知らない。
ただ、名古屋の北側に住んでたのはそのせいもあるのかなと、ちょっと考える。

古い日本の地図を見ると、名古屋の南半分が海だったことが良くわかる。
だから、台風が来ると名古屋の南半分は水没することが想定されている。
今はどうかは知らないけど、昔は地下鉄に乗っていると南に行くほど音がうるさくなった。
地下鉄を完全に密閉しているため、電車の走行音が地下道内にこもるのだ。
水が町にあふれたとき、地下道内を完全に封鎖するためらしい。
友達と野鳥を見に港の方に行ったとき、あまりの騒音に会話が出来なくなったのを、
なんとなく覚えている。

はっきりと、この頃の世界の天候はぶっ壊れれいると思うのだけど、
今年は特に壊れ方が激しい。
夏はまるで南国のような暑さで、東京は夕方になるとスコールのような雨が降り、
自分も何度か雨宿りを強いられた。
駅でたくさんの人たちが足止めされて、叩きつけるような雨をにらんでいた。
夏があんまり暑かったので、その影響でこの頃は野菜の値段がずいぶん高騰している。
農家の方は本当に大変だろうと思う。

これからやってくる冬も油断が出来ない。
なんでも例年と違って今年は黒潮が大蛇行しているそうで、
暖かい潮流が日本近海まで北上してこず、寒い冬になることが予想されているらしい。
寒いのは苦手なので、戦々恐々としている。
「気象庁の言うことはあてにならない」と、
笑い話にしてしまえればいいのだけど。

もうずいぶん前の話になってしまったけど、90年代の初めにもひどい天候の年があって、
あの時は僕は錦糸町でバイトをしていたのだけど、町の中心が台風で水没した。
膝下くらいまである水をかき分けて、大降りの中を、バス停まで歩いた。
バスに乗ると、ステップの一段目くらいまで水が上がってきていた。
窓の外を見ると、そこらはまるで水の町といった風で、茶色い沼地と化していた。

途中のバス停で女の人が乗り込んできたけど、
運転席の前で長靴を脱いでひっくり返し、中の水をステップに捨てていた。
それを見た乗客たちが「おお」と少しどよめいた。
長靴なんて役にたたないくらいの大雨だったのだ。

その年が悲惨だったのは夏の台風が過ぎ去ったあとで、
台風と冷夏のために米が大不作となった。
日本人にとってお米が食べられないというのはちょっとしたパニックだ。
タイから緊急処置として長粒種の米を輸入したけれど、質が悪かったので、
「タイ米は臭い」
という偏見が広まった。
テレビのワイドショーの奥様コーナーなどでは、臭いタイ米のおいしい炊き方なんてのが、
いろいろ特集されたりした。確か、酢をまぜるとか、そんなだったと思う。
外食産業にとっても危機的な状況で、
「ブレンド米」
と称して、日本の米とタイ米を混ぜたものが松屋や吉野屋で出されていた。
牛丼の具をかき分けると、ご飯の粒が妙に細長い。
本来ならチャーハンやピラフにするべき米を、昔ながらの炊飯で炊くのだから、
まあ、おいしくなかった。

その頃僕がバイトをしていたのは食品関係の問屋さんで、
ペットボトルの飲料や乾物などを扱っていた。
お米も入荷していたので、おっかない小売商の親父さんに「米はどこだ」と詰め寄られた。
「ありません。社員の人に聞いてください」
と言っても、社員が逃げ回っているのだから苦情はこちらにも回ってくる。
「おまえらどこかに隠しているんだろう」
と、おっかない顔の親父さんたちが洒落にならない雰囲気で迫ってくるのだから、
ずいぶん困った。
「ないものは、ないんです!」

ところでその問屋さんではこっそりと日本米を入荷していた。
社員の人曰く「お寿司屋さんとか、本当に必要な方だけにお分けしているんだよね」
とのこと。
入荷するときはトラックを少し離れた場所に停めてもらい、
社員とバイトが私服に着替えて、段ボール箱を持って受け取りに行った。
お菓子とか缶詰の箱の中に米袋を隠して、裏口からこっそりと運び込んだ。
小売商の親父さんたちに見つかればただでは済まない。
米は奪われ、さんざん悪態をつかれることになる。
買い手はお金を払うという一点において、凶悪な絶対君主となる。
本来、イーブンであるはずの関係は、
「お客様は神様です」
という三波春夫の言葉を盾に、お客様至上主義へと変貌する。

あれは三波春夫先生の謙虚な姿勢を語った言葉で、
「お客様は神様」というのは一種の逆説表現である。
戦後すぐの日本人にとっては「えっ!」となる奇妙なセリフで、
とんでもないセリフだからこそ、お笑い芸人がネタにして慣用句として広まった。
三波春夫先生も、自分の死んだ後に日本人が「お客様は神様」を実践していると知れば、
ずいぶん居心地の悪い気分になることだろう。

それでまあ、禁酒法時代のアメリカよろしく、
日本米は裏ルートで取引されていたのである。
問屋さんの屋根裏に、日本米はこっそりと備蓄されていた。
たぶん、口封じのためだと思うけど、僕も日本米を五キロほど分けてもらい、
それをこっそりと食べていた。申し訳ない話ではあるけれど。

その年の冬は雪もすごかった。……あくまで東京としてはだけれど。
身動きの取れなくなったトラックをバイト総出で押した記憶がある。
本当に、あの年はいろいろぶっ壊れた年だった。

今調べたら、1993年(平成5年)の話だ。
日本経済がバブル崩壊後の「失われた10年」とやらに突入していった時代の話だ。
自分はつい昨日のことのようなノリで書いているけれど、
二十年も前の話だから、「生まれてねぇよ」って人も、ひょっとしたらいるかもしれない。

なんだか囲炉裏端でじいさまが昔話を子供に話して聞かせているような気分になる。

とっぴんぱらりのぷう!(昔話の結句)

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2013年10月12日 (土)

リプレイ

タイムトラベルはSFの王道です。

物語としてのタイムトラベルは、けっこう歴史が新しく、
主人公が過去に流されて歴史に介入する物語は、マーク・トゥエイン作の

『アーサー王宮廷のヤンキー』(1889年)

あたりが最初だそうです。題名から既にB級の香りが漂ってきます。
僕にとっての時間遡航物語は藤子F不二雄の一連の作品で、
小学生くらいの頃は「ドラえもん」の長編「のび太の恐竜」を繰り返し読んでいました。
連載時にコロコロ本誌をばらして自分だけの本を作っていた話は以前ここにも書きました。
フタバスズキ竜の「ピー助」をタイムマシーンで過去に届ける話は、
あらいぐまラスカルの恐竜版みたいですが、SFの面白さは僕はこの作品で教わりました。

あと藤子F不二雄だと、短編が好きです。「ノスタル爺」とかときどき読み返したくなる。

映画の世界でタイムトラベル物の最高傑作はたぶん
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」じゃないかと思います。公開1985年。
僕がこの映画を観たのは高校時代で、学校の球技大会でのことです。
なんのこっちゃですが、一回戦敗退後、大量に発生する難民学生のために、
映画研究会が視聴覚室で上映会をやっていたのです。

うちの高校は球技大会をそれは大々的にやっておりまして、
ふたつあった体育館はバスケとバレーでフル稼働、広大なグラウンドではソフトボール、
みんなそろいのTシャツを着て青春を謳歌しておりました。
僕は背中に「負けてもEもんね」とピンクの文字でプリントされたシャツを着て、
友達と視聴覚室に流れこみました。クラスがE組だったのです。
センスの欠片もないTシャツだ。

視聴覚室には早々に敗退して時間を持て余した生徒が集まってきて、
グラウンドの大歓声を耳にしながら映画を観たわけです。
それもまた、青春と言えば青春。

マイケル・J・フォックス主演の「BTTF」は当時大ヒットした映画で、
今でもCSなんかでは繰り返し放送されている古典的名画です。
1985年のロック大好きな高校生が、1955年にタイムスリップする話で、
自分の両親の青春時代に出くわしてしまう。
まあ、ストーリーの解説はいまさらなのですが、脚本が見事で、
張り巡らされた伏線が次々と回収されていくラストは快感ですらあります。

そして、この映画も既に公開から三十年近くが経って、
映画の中の1985年さえ、大昔の歴史的世界になってしまいました。
今の若い人がこの映画をどう見ているのか、想像もつきませんが、
僕の個人的な感想だと、2013年の現在と1985年の大昔は、
それほど違っていないのじゃないかと思います。
少なくとも、1955年と1985年ほどの極端な違いはない。
……繰り返しCSで放送されているということは、今見てもあの世界観は有効ということ、
なのかもしれません。

この映画のすぐあとくらいに、ケン・グリムウッドの小説「リプレイ」が発表されます。
中年の主人公が青春時代に繰り返し戻るストーリーは、日本でもドラマ化されました。
主演は堂本剛、ヒロインが遠藤久美子と仲間由紀恵だったかな。
自分が原作を読んだのもこの日本版のドラマを観てからだったはずです。

物語は1987年から始まります。
この段階で43歳くらいだった主人公のジェフは、電話で妻と口論しているうち、
心臓に激痛を覚え、気が付くと1963年の大学時代の学生寮にいました。
……この物語の特徴的なのは、「BTTF」のようなタイムトラベルではなく、
意識だけが過去の自分に移動するところで、頭の中に25年分の未来の情報があります。
いわゆる、タイムリープというやつなのですが、この設定がおいしい。
一度目のリプレイをした主人公は競馬の大穴レースの知識があるわけで、
そこに有り金をすべてつぎ込み、二十代にして巨万の富を築きあげます。
そして、セレブな人生の果てにまた1987年を迎えるのですが……(以下略)

自分は十年以上前にこの小説を読んでいるのですが、
そのときは、「よく出来たお話だな」程度だったはずです。
ところが、実際に主人公と同じくらいの年齢になってみると、よく出来たお話以上の部分、
人生のもろさとか、虚しさとか、そういう部分に心が魅かれまして、
「あれ、この話ってこんなに深かったっけ?」
とちょっと驚いています。若い頃にこの小説を読んだことがある方は、
是非、もう一度ジェフと同じ視点で読み返すことをお勧めします。
人生を何度もやり直すのって、残酷だよなとしみじみ感じます。
名作です。

そんでもって、この小説についても、物語の起点が1987年ですから、
今の若い人にはちょっときついかなと思うのですが、どんなものでしょうか。
細かいところですが、缶ジュースを飲もうとしたらプルトップがなかった、というネタは、
三十代でもちょっときついかもしれません。
昔は缶ジュースを飲むときは専用の器具で穴を二つ開けて飲んでいたのです。
飲む穴と、空気穴です。
多機能缶切りなんかだと、穴あけ用の器具が今でもくっついていたりしますが、
あの使用目的も、若い人にはわからないかもしれない。
自分ですら、ギリギリ体験しているくらいですから。

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 ネット上の拾いものですが、こんな感じ。

それでも、若い頃のスティーブ・ジョブズというヒッピーの青年を見つけ出して、
彼に投資してひと財産儲けるという話なんかは、今の若い人にも面白かろうと思われます。
あと十年もしたら、その時の若年層にはピンとこない話になっているはずです。
だから、興味のある方は読んでみてくださいね。

とりとめのない話ですが、タイムトラベルとタイムリープについて書いてみました。

2013年10月 3日 (木)

酒は涙か溜息か

日本の音楽シーンから国民的ヒット作が生まれなくなってずいぶん経つ。

以前にもここへ書いたような気がするけれど、僕の子供の頃は日本歌謡界の黄金時代で、
山口百恵もいたし、西城秀樹や沢田研二もブイブイ言わせていた。
思春期の頃には松田聖子も近藤真彦もヒットを飛ばしまくっていた。

美空ひばりは現役だったし、北島三郎は演歌の帝王だった。

サザンオールスターズは、はじめてザ・トップテンに出た時のことを良く覚えている。
スポットライトのコーナーで、ライブ会場からの中継だった。
歌ったのは「勝手にシンドバッド」。
沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンクレディの「渚のシンドバッド」がくっついている。
何じゃこりゃと思った。
曲は妙ちっくりんで、「今何時!?」というサビのフレーズだけが頭に残った。
(今考えてみると、短い音節でするどい感じのする絶妙な日本語だ)
アラジンみたいにただの一発屋だろうと思っていたら、
「いとしのエリー」が出てきて、たちまち一流のアーティストになってしまった。
……アラジンも良かったですよ。「完全無欠のロックンローラー」大好きだったし。

サザンの桑田さんの作る曲にはのちの音楽シーンにつながる大きな特徴があった。

歌詞が何言ってんのか聞き取れないのだ。

はっぴーえんどや桑田さんによって、歌謡曲は日本語のリズム的な制約を抜け出して、
カッコいいサウンドに日本語をのせるオシャレなミュージックへと変貌した、と言われる。
誰が言ってたのか忘れたけど、なるほどなと妙に納得させられた。

あと、80年代にはBOOWYがいた。
CMソング以外ではテレビに出てこないアーティスト。
歌詞が、歌謡曲的な情念の世界からオシャレな口説き文句に変わった。
「俺は君が好きだ」
ではなく、
「君はいかしてる。最高だ」
の違い。
心の中身を吐露するのが歌謡曲だったとすると、BOOWYはひたすら女の子を口説いた。
耳元でささやかれると気持ちのいい言葉が次々と飛び出した。

それから、中島みゆきと松任谷由美の無理やりな対立構造もあった。
この二人は清少納言と紫式部に比べられたりしたけど、確かにそんな感じ。
中島みゆきは文学!と叫んでた人がいたっけ。

……それに比べて最近のミュージックシーンのさみしい事よ……

自分たちの世代からするとどうしてもそう見えてしまう。
だから「うるさいおっさん」と若い者にウザがられながらも、
握手券ってなんだよ、同じCDを買い捲るってなんだよと、
小うるさいことをゴチャゴチャと言ってしまうわけだ。
部屋の中に聴かれもしない同じCDがうず高く積まれている情景は、
奇妙と言えば奇妙。日本人もついにおかしくなってしまったのかと感じないでもない。

ところが、実は日本人は最初からそういう変な人種なのではないかとこの頃は思うのだ。

日本の歌謡界の歴史をひも解いてみると、
いわゆる昭和歌謡の黎明期に不思議な現象が起きている。
藤山一郎という歴史的な大歌手がいるのだけど、この人が古賀政男と組んでヒットさせた、

「酒は涙か溜息か」

と言う曲は、昭和6年当時100万枚を売り上げている。
日本史上最初のミリオンセラーなのだけど、当時日本領内にあった蓄音機の数は、
たった20万台だったという。

残りの80万枚はいったいどこへ行ってしまったのだろう。

まあ、一概にAKB商法とは比較できないのだけど、
音楽を音楽として楽しむより、熱狂的ブームの中で買うという行為を楽しむ、
そいう奇妙なところが日本人にはある。
まあ、かわいい女の子と握手出来るって魅力も大きいんだろうけど、
昭和初期の事例から考えて、AKB商法はとても日本的な現象だと言える。

買うという行為には、それ自体に欲望に訴える何かがある。
お金を支払うとき手に入れるものは、何も商品と言う形のあるものばかりではない。
ファンとアイドルとの連帯感みたいなものかもしれないし、
あるいは社会そのものとの連帯感なのかもしれない。

人間がお金を払うという行為には商品の獲得以上の何かがある。
一世紀近く前の日本人が藤山一郎のレコードを買い捲ったという奇妙な現象には、
その辺の秘密が隠されているのではないかと、
自分は一年くらい前からずっと考えているのだけど、上手く言葉にまとめられない。

あるいは、とても素敵な歌を街中で耳にしたとき、体が震えるくらいの感動をして、
その感動を与えてくれた人に何かせずにはいられないという、すごく素朴な衝動が、
蓄音機は無いけどレコードは買うという謎の行動になったのかもしれない。
……自分の願望もあるだろうけど、日本人ってそういうものだよなと信じたい部分もある。

レコードやCDを「買う」という行為には、きっと等価交換以上の意味があるのだろう。
藤山一郎のミリオンヒットに始まる昭和歌謡の巨大産業化と、AKB商法を考えるにつけ、
「感動を形にしたい」という日本人の律義さはいいものだよね、と、
言ってみたくもなるのである。

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