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2013年12月

2013年12月25日 (水)

西遊記と日本のキャラクターたち

小学生の頃かな、学研の忍者の本がうちにあって、
あれを何度も何度も、繰り返し読み返したものです。

忍者というと横山光輝の「仮面の忍者赤影」がテレビで繰り返し放送されていました。
あれで一通りの忍法を覚えて、みんなで忍者ごっこをしました。
たぶん、四十代くらいの日本男児なら身に覚えがあることでしょう。
学校の行きかえりに突然忍者歩きを始めてみたりだとか、
プールの中で「すいとんの術」と称して、印を結んで潜水したりだとか。

それで、ちょっと懐かしくて今でも忍者の本を買ったりするのですが、
今日それを読んでいたら、「真田十勇士と西遊記」に関するエッセイがあって、

と合点がいったのです。このふたつは確かに似ている、というか、
明らかに真田十勇士のモデルは西遊記じゃないですか。

猿飛佐助→孫悟空
霧隠才蔵→沙悟浄
三好晴海入道→猪八戒
三蔵法師→真田幸村

まったく、どうして今まで気が付かなかったのだろう。

真田十勇士と言えば、大正から昭和にかけての子供たちのヒーローです。
今の子供たちが特撮ヒーローに夢中になる、その原型がこの作品にはあります。
ただし、僕はちゃんと読んだことがない。
CSで放送された八十年代のNHKドラマ「真田太平記」を観てるくらいです。
あれにもいちおう佐助というキャラクターは出て来ていたはず。

それでも、知らないなりに知識はあって、
猿飛佐助と言えば愉快な正統派ヒーローで、
霧隠才蔵はニヒルな切れ者、
三好晴海入道は体の大きな怪力の持ち主というイメージがあります。
このキャラクター構成はそのまま昭和の特撮ヒーローものに受け継がれ、
ゴレンジャーの赤青黄はそのまんまの配分です。
つまり、元を正せばあれも西遊記の流れを汲んでいたわけだ。

こう考えてみると、西遊記というのは絶妙のキャラクター構成をしているわけで、
あれを下敷きにどれだけたくさんのヒーローが作られたのかわからない。

そういえば、西遊記を下敷きにしたドリフターズの人形劇もありました。
ピンクレディーが主題歌を歌ってたやつ。
でも主題歌を思い出そうとすると

♪ニンニキニキニキニンニキニキニキニニンガ三蔵

と人形の三蔵一行が歌ってた歌の方が蘇って来ます。なんだあれは。
僕らの世代の人は、たいていこの人形劇の配役は知っていると思うのですが、
ドリフの西遊記を知らない世代の人は、一度誰が何の役をやったか考えてみてください。
ちなみに、荒井注は脱退して志村けんが入っている頃のドリフです。

いかりや長介
高木ブー
仲本工事
加藤茶
志村けん

…………
高木ブーが猪八戒なのは間違いないです。
なにせ、ブーなのですから。実際はウクレレの達人で人格者であっても、
豚の猪八戒はこの人以外には考えられない。

仲本工事は沙悟浄。これも妥当な線です。メガネをかけた体操の得意なお兄さん。
一番頭が良くて理屈っぽいって感じも、沙悟浄にピッタリです。

いかりや長介が三蔵法師なのは、順当というか、仕方ないですね。
ドリフのリーダーだし、この人以外にこのメンバーでは三蔵のなり手がいない。

では、孫悟空は誰なのかというと、これが難しいところ、
加藤茶も志村けんもどちらでもいけます。この二人はドリフの人気を二分していましたし、
どちらもイタズラ好きで活発なヤンチャ者のイメージがあります。
……結局、孫悟空役は志村けんになりました。

では、加藤茶はどうなるのか?竜の化身の白い馬か?

白い馬はドリフの付き人の方がなさってました。
加藤茶には振り分ける役がなかったので、カトちゃんとして出ていました。
はげズラにちょび髭を生やしている例のあれです。
でも、この役は孫悟空よりおいしかったと思います。
西遊記なのにカトちゃんが出ているというミスマッチ感がたまらなく面白かった。

この配役はピッタリはまっていまして、人形劇は面白かったと記憶しています。
声はもちろん、ドリフのみなさんです。
「8時だョ!全員集合!」のノリでそのまま見ていたと思う。
でも、考えてみるとドリフというのはメンバーがそのまま西遊記にあてはまるわけで、
偶然なんでしょうけど、これも配役の妙といえるのかもしれない。

ドリフの人気を継承したのは「オレたちひょうきん族」です。
あれもビートたけしとか明石家さんまとかは西遊記の方程式に当てはまります。
では、猪八戒は誰なんだというと、ちょっと思いつかない。
ぼんちのおさむちゃんか安岡力也か、片岡鶴太郎とか山田邦子とか、
……ダメだ、やっぱり思いつかない。

西遊記の方程式というのは、漫画やドラマでは鉄板の構成だったと思います。
とりあえずこの型に嵌めておけば、面白い作品が作れてしまう。
だから普通のドラマや映画作品でも、潜在的に西遊記を真似ているものが多いはずです。
熱血主人公にクールな同僚、体の丸い愛嬌のある三番手とくれば、
「三匹が斬る」でも「水戸黄門」でも、
「ゲッターロボ」でも「コン・バトラーV」でも、
何でも当てはまってしまう。

この型に入れようとしてはずれてしまった作品としては、「ドラゴンボール」があります。
自分はあのDr.スランプの鳥山明が次に何をやるのかというので
少し気にかけていたのですが、
中国に取材旅行に行かれたりしたので、金庸の武狭ものっぽいものをやるのかなとか、
ぼんやり思っていました。金庸を知ったのはここ十年くらいだけど。

そうしたら西遊記を下敷きにした話だったので、
「そんなもん、今更駄目だろう」
と冷めた目で見ていました。西遊記のままだったら尻すぼみだったと今でも思います。
配役は孫悟空とヤムチャとウーロンで西遊記の方程式です。
ブルマは間違いなく夏目雅子三蔵法師の流れだと思います。

ウイキを見たら、当初は孫悟空のキャラクターが弱くてアンケートが下降したとあります。
真面目で天真爛漫ですが、毒のないキャラクターが子供には受けなかったのかな。
それが、西遊記の方程式を破壊したあたりから人気が出てきたらしい。
ピッコロ(若い方)とか、ベジータとか、強いキャラクターがどんどん出てきて、
ヤムチャやウーロンよりクリリンの方がサブを張るようになり、
ブルマがヒロインの座を追われて明確なヒロインが不在になった。
このあたり、日本の西遊記的ヒーローの系譜から外れて、
アメコミヒーローの流れに近くなったのかもしれない。
主人公は孫悟空だけど、一番西遊記から遠い西遊記ものなんだと思います。

この時期、子供たちの間でどんな変化が起こっていたのか、
考えてみるのも面白いかもしれません。
時は日本経済の最盛期でバブル経済の真っただ中。
「夢と希望のガンダーラなんて目指さなくても、強い自分であればいい」
ということかもしれませんし、
「ニヒルな二枚目も、ひょうきんなデブもいらない」
ということなのかもしれない。
とにかく、この時点で何かヒーロー像が決定的に変わったような気がします。

ドラマで言うと、トレンディドラマがウケはじめていた頃でしょうか。
自分は学生時代に友達と話していて、
「ナウいじゃなくてこれからはトレンディだよ」
と、村上春樹か誰かの小説で覚えた言葉を使いまくっていた記憶があるので、
あれはバブル期の言葉だと認識しています。
即物的というか、スタイリッシュというか、
価値基準が他人じゃなくて主観的というか、
まあ、バリバリの昭和世代には冷たい感じのする言葉です。

そうなると孫悟空にとっても沙悟浄や猪八戒は仲間というよりは、
自分を引き立てるためのパーツでしかないということなのかもしれません。
友人を「友達」と呼ぶのがカッコ悪くて、「ツレ」とか呼び出したのも、
この頃だったように記憶しています。

今でも「ツレ」という言葉にはものすごく抵抗があります。
友達は友達じゃんねと考えてしまう。
その友達がまあ、こちらを「ツレです」と呼んだりするから、
半分あきらめている部分もありますが。

「ツレ」はもともと関西の方からはやりだした言葉で、
最初は能のシテに対する用語だったようです。
ヤンキー言葉とも呼ばれますが。
「連れ合い」の略語で結婚相手や恋人を差すという説もありますね。
能の言葉だとすると、自分が一生懸命演じている脇で、それを補助する役割なわけで、
「友達」とはだいぶんニュアンスが違ってきます。
主役は自分で、相手は脇役なわけですから。
(シテの相手だったらワキじゃないのかといま疑問に思った……ワキが鬱になりまして)

僕は今でも「ツレ」という言葉は使いません。
「お連れ様ですか」と聞かれたら、反射的に「はい、連れです」
と答えるくらいじゃないかな。
なんとなく、嫌な感じのする言葉だとずっと思い続けています。
まあ、古い世代のたわごとですから若い世代が使う分には気にしません。

でも、友達という言葉が二十歳を過ぎた頃から使いにくくなって、
「俺たち友達だよな」
と言われると、借金の連帯保証人にでもされるんじゃないかと身構えるようになったのは、
確かです。
仲間というほんわかした共同体のイメージが、バブル期に崩壊して、
人間同士の関係に微妙な緊張関係が生まれたのかもしれません。

……西遊記の方程式が今でも効力を持っているのか、ちょっと不安を感じます。

ところで、先日弟二人と電話で話をする機会がありまして、
子供の頃は「ひろし」だの「おまえ」だの、ずいぶんそんざいに呼ばれていたのですが、
二人とも社会に出てからはちゃんと「兄ちゃん」と呼んでくれるので、
お兄ちゃんはとてもうれしいです。
残された共同体の砦は「家族」だけなのかもしれない。

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という文章を11月20日に書いて、
そのままずっと放置していました。
もったいないのでメリクリでアップ。

P1010352

2013年12月 9日 (月)

敗者復活 その4

駄文紹介の4回目。
思い出としては笑えないので没にしたものです。

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新谷かおる先生の傑作漫画に「エリア88」というのがある。
有名な作品なので今さら解説もないのだけど、
日本の民間航空会社のパイロットが、親友に裏切られ、
中東の激戦地帯で、戦闘機乗りとして闘い続けるという、
とても面白い漫画である。

温厚な青年パイロットが、地獄の戦場で空の狼となり、
日本に戻るため、恋人の元へと帰るために殺戮を続けるというこの壮絶な物語は、
漫画史に残る傑作だと、自分は考える。

ところで、これと似たような経験を、自分は一度したことがある。
スケールはかなり違うのだけど。

たぶん、高校の二年か三年生くらいじゃないかと思う。
夏の暑い盛りに、古い友人から電話がかかってきた。
「かわすみ、お前、絵が得意だったよな」
「うん、まあ、程々にはね」
「君のその才能を生かしたアルバイトがあるんだけど、やらないか」
「どういうバイトなんだ」
「来てみればわかるって。他にも何人か誘ってあるからさ」

今なら、この会話の段階で怪しさ120%なのだけど、
当時は「友情」というものを純粋に信じていたし、
小学校、中学校と馬鹿をやった仲間ではあったので、そのバイトに参加することにした。

土曜日の早朝だったかな、名古屋の南の方のどこぞの地下鉄の駅で地上に出ると、
三人くらい、中学時代の馬鹿仲間が集まっていた。
卒業後の進路はみんなバラバラで、工業高校だったり進学校だったりした。
しかし、そこに電話をかけてきた友人Nの姿はなかった。

そのかわり、ガタイのいい土方の親父さんたちが5,6人、我々を取り囲んだ。
「お前らがNの友達か」
「はあ……」
「じゃあ、これから現場に行くから、みんなつなぎに着替えな」

我々はライトバンの中から引きずり出された湿ったつなぎを身にまとい、
その「現場」とやらへ連れて行かれた。

「まあしかし、絵の才能が必要と言うのだから、ペンキ塗りか何かだろう」
と、この段階ではまだ友人Nの言葉を信じていたのだけど、
現場がどこぞの中学校の家庭科室で、
しかもその床が完全に取り払われ、土がむき出しとなり、
その土を工事用一輪車で外に運ぶ仕事だとわかったときに、
自分は「裏切り」の苦さを存分に味わうこととなった。

普段、運動なんかしないなまった体で、
一輪車に土を盛り、細長い一枚板を綱渡りのように登って、
廊下まで持ち上げる、これだけで全身の筋肉が悲鳴をあげる。
そこからさらに、青いシートを敷いた長い廊下を延々と進んで、
非常口からまた一枚板の上を下って、
校舎の外にザーッと土を捨てる。
空になった一輪車を押してまた家庭科室に戻る。
これをひたすら何十回も繰り返す。

何処にも絵の才能を使う余地がない。

だいたい、本人が顔を出さないのがおかしい。
友人を売りとばして、奴はいったい何をやっているのだ。

彼は中学卒業後、就職して堅実に働いているという話だった。
年に数回、中学時代の「仲間」で集まって、ボーリングをしたり、
スケートをしたり、楽しく「友達」をやったりした。

今回もそのノリだろうと思ったのだけど、
自分の考えは、激烈に甘かったようだ。

昼になって、仕出し弁当の昼食が出た。
(この当時は今ほどコンビニは普及していなかった)
自分はやれやれと思いながら、とりあえず腹が減っていたので完食したのだけど、
一緒に騙されたK君は、胃が食べ物を受け付けないようで、
炭酸飲料をなめるように口にするだけだった。
M君はしんどそうに日影で俯いていた。

それから夕方まで、過酷な労働は続いたのだけど、
もう立てねぇ、この地獄から一刻も早く解放してくれ、となったところで、
裏切り者Nがお調子メガネをピカピカさせながら、
「よう、元気?」
なんて感じで現れた。

悔しいけれど、体はボロボロだし、
長時間ガタイのいい親父どもにこき使われた後だったので、
知ってる顔が現れたのがちょっとうれしかった。

「何が君の才能を生かしたアルバイトだよ」
と睨みつけると、
「俺、そんなこと言ったっけ?」
とすっとぼける。
確か給料は一日働いて七千円だったと思うけど、
まったく割に合わないバイトだった。

ちなみに、人生最初のアルバイトだったりする。

そのあと、お詫びと称して、Nの運転する車に乗って、
どこぞのスナックまで飲みに連れて行かれた。
スピードキチガイのNの運転する車は、商店街を猛スピードで突っ切り、
「ああ、新聞に載ってる若者五人乗りの暴走車が大破ってこの状況なんだろうな」
と、恐怖に青ざめた。

馬鹿な若者として新聞に載るのはすごく嫌だけど、
今の自分はどう考えても馬鹿な若者なのでどうしょうもない。

ちなみに後になって彼が無免許であることを知った。

「河原で兄貴の車を運転して覚えたんだ」
と、酒を飲みながら話すNだった。

友達は選ぶものだよなと、心から思った。

まったく自慢にも何にもならないし、
むしろカッコ悪くて情けない話なのだけど、
Nとしては、仕事で急遽人を集めなくてはならなくなって、
知り合いをかき集めないとかなりヤバイ状況だったのだろう。
今ならそこまでは想像できるし、それはまあ、仕方ないかなとも思うのだけど、
やっぱり、やり方が汚い。

筋肉痛は数日の間全身を苛んだ。
翌日に「月曜日も仕事あるんだけど来ない?」
と誘われたけど、全力でお断りした。

どうしょうもなく残念な思い出である。

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肉体労働って一か月くらい辛抱して体を作らないと、
ひたすらしんどいもんですよね。

P1010359

東武東上線、大山駅横の踏切。
この写真自体、トレスして何かに使ったと思います。

最近、歩きスマホをしている人をよく見かけますが、
本当にあれだけは止めた方がいいです。
自分も何回か「歩き小説」をやったことがありますが、
車が急に出て来ても、「きょとん」とするだけで、
自分が今危ない目に合ったという事さえわからなかったりします。

せっかく親からもらった命なので最期まで大切に使いたいものです。



2013年12月 6日 (金)

敗者復活 その3

書き損じの文章をさらし続ける、その3回目。

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出前の話 その7

時期的には完全に外しているのだけど、冷やし中華の話。

ラーメン屋の親父さん夫婦とその年最初の冷やし中華を食べているとき、
話の流れで、
「そういえば名古屋では冷やし中華にはマヨネーズがついてくるんですよ」
と話したところ、
「なんじゃそりゃ」
と、ひどく驚かれ、そりゃ何かの間違いだろうという顔をされた。

名古屋で冷やし中華にマヨネーズは割とポピュラーなので、
「案外おいしいですよ」
と、なんとか納得してもらおうとしたのだけど、どうしても理解してもらえなかった。
かなり不気味な感じがするらしい。
マヨラーがご飯にマヨネーズをかけるような感じだろうか。

ウィキペディアだと、ラーメンとマヨネーズを掛け合わせたのは寿がきやが最初らしい。
寿がきやは名古屋のジャンクフードみたいなものなのだけど、そこで出していたものが、
一般のラーメン屋にも広がったらしい。
ただし、東海地方限定で。

だから、自分は冷やし中華とマヨネーズには違和感をまったく感じないし、
親父さんたちが「信じられない」と言ったその感覚も、よくわからない。
ただ、涼を求めて酸味のある爽やかなラーメンを作っているのに、
そこに味のちゃぶ台をひっくり返す高カロリーの食材を投入されるのは、
ラーメン一筋の親父さんには認めがたい事だったろうなとは思う。

そういう自分も、まかないで味噌ピーナツが出てきたときには、
「これでご飯を食べるんですか」
とちょっと躊躇した。

「同じにするな」と、関東の人には怒られるかもしれないけど、
メロンに生ハム、酢豚にパイナップルくらいの違和感があった。

まあ、みんな好きなんですけどね。

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これを使わなかった理由は単純。
「こんな寒いのに冷やし中華の話なんて誰も読まねえよ!」
ということです。
書いたの9月なんですけどね。

もう一つ。

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新しい日本語というのは日々製造される。
何日か前の新聞に「イケメン」という言葉は、
新しい日本語として既に市民権を得たと書かれていた。広辞苑にも載っているらしい。

「全然大丈夫」というのも、使われ始めた当初は逆説的で面白い言葉だと思ったけれど、
今では当たり前の慣用句になってしまって、面白味の方はどこかへ吹き飛んでしまった。

言葉は時代のスタイルに合わせてマイナーチェンジされている。
そのマイナーチェンジが積もり重なって、
言葉の方で日本人の思想や生活習慣を作り上げていく。

前のブログでも書いたけど、三波春夫先生の
「お客様は神様です」
という言葉は、言葉の方で独り歩きして、
「商売人はお客様という神のために尽くすのが当たり前なのだ」
と曲解され、今の時代に横柄で自分勝手な人間をたくさん作り出してしまった。

くどいようだけれど、三波春夫が「お客様は神様です」と言ったのは、
まず、客と売り手は対等な関係であるという前提があって、
それが当たり前だと考える日本人が大多数だった時代に、
あえて逆説的に、

「決しておごり高ぶることなく、お客様を神様と考えて、いっそうの精進に励む」

という芸で身を立てる人間の心意気を表現した言葉であり、
それをお笑い芸人が、

「こちらも芸で身を立てていますので、お客様は神様でございますよ」

と客を持ち上げて笑いを取るのに使った、と言うだけの話である。
当時の客は、自分が神様だとは思っていないので、

「こんにゃろ、心にもないことを言いやがって」

と、その調子の良さを笑ったのである。
ところが、言葉があまりにも完成されて、慣用句としてよく出来ていたために、
その来歴を知らない世代が「客は神様なんだ」と勘違いしたために、

「おい、そこの店員!客に対してその態度はなんだ、もっと奴隷のように仕えろ」

とおかしなことを言い出すようになってしまったのだ。
もちろん、態度の悪い店員というのはいるし、それに文句を言うのは当然だ。
けれどそんな場合でも神様のように尊大な態度で店員に教えを垂れるのは、
大人としてカッコ悪いと思う。

人に教えを垂れるならば、そこに愛情がなければならない。
古いの暖簾の老舗には、そこをひいきにする常連客がいて、
長い間に培った店と客との信頼関係がある。そういう所の客ならば、
「おまえさん、この頃少し態度が良くないよ。直した方がいいよ」
と言葉をかけるのも粋である。

牛丼屋のバイト相手にまなじり上げて喧嘩腰になるのは、どうしょうもなくカッコ悪い。
止めた方がいい。

店側の方でも、お客様へのサービスは本店からの至上命令だから、
逆らえないという事情もある。
マクドナルドに昔気質の職人のバイトがいても面白いと思うのだけど、
そういう「勘違い」の人は客のクレームで淘汰される運命にある。
これが昭和なら、店の方で客を教育するということもあったのだけど、
一流の料亭ならともかく、ファーストフードの店でそれは出来ない。
そして、若い世代は一流の料亭なんてものにば行かないので(僕も行かないけど)
ますます客の方までジャンク化していくことになる。
ジャンク化した客が「お客様は神様だ」という言葉を曲解して世にはびこらせる。

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また三波春夫かよ、と言われそうですが、
「お客様は神様です」
という例の言葉が妙にひっかかるらしく、何度か書いたり破棄したりしています。
お店側の人間としては、これはありがたい金言です。
接客の心を一言で言い表している。
でも自分は実家が食堂でしたし、バイトで接客業をすることも多かったので、
どうしても神様でないお客様が目に入ってしまう。
出前のバイトで中華丼にウズラの卵が入っていると言って怒られたこともあります。
「こんなの普通入れないでしょ!」

これはでも、クレームしてくれた方がありがたい案件ではあります。
ラーメン屋のおじさんというのはすごいもので、
昼の稼ぎ時に大量に入ってくる注文を順番通り記憶して、
しかも客の好みまでほとんど頭に入っているのです。
「ウズラの卵で怒られました」
と報告すれば、
「そうか」
と呟いただけで、次にはその客に卵抜きの中華丼を出してきます。
こういう職人的な能力には憧れます。
記憶力もですが、客をあくまで立てる姿勢にはやはり、学ぶところが多いです。

「お客様は神様です」という言葉は、
こういう方が口にしてこそカッコいい言葉なんだと、僕は思うのですよ。

P1010376

招き猫が寿司屋の二階にいた。

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