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2016年8月

2016年8月24日 (水)

ルーツ

クンタ・キンテと聞いて「ああ」と思うのはたいてい45歳以上の人だったりする。

アメリカのテレビドラマ「Roots」がテレビ朝日系列で放送されたのが1977年。
それからもう40年近くの歳月が流れている。
このドラマの衝撃はそれはそれは大したもので、
「系譜」を意味する「ルーツ」という言葉が半分日本語みたいになっているのも、
実はこのドラマの影響であるといわれている。

だから、この間描かせていただいた昭和50年が舞台の漫画の中で、
「親子丼のルーツは軍鶏鍋である」
と書こうとして、慌てて修正することになった。

「Roots」はアメリカ国内での黒人問題を正面から取り上げたドラマとして、
日本でも大変に評判になった。
ある黒人の男性が自分の出自について調べるうち、わかってきた歴史をドラマにした、
ただそれだけのものなのだけど、そこには人種差別に対するするどい指摘がある。

1700年代の西洋社会は広大な農園を経営するために大量の労働力を必要とした。
「でも人間を使うとお金がかかるから、人間じゃない人間を見つけてこよう」
こういう発想のもとに標的にされたのが、アフリカ大陸の黒人たちだった。
彼らは肌の色が黒くて白人とは外見が全く異なる、というのもあったけれど、
一番大きいのは、キリスト教を信仰せずにアラーの神を信じていたってところなんだろう。

物語の中でも、クンタ・キンテがアラーの神を信仰する場面がいくつか出てくる。
白人に捕らえられて奴隷船に積み荷のように押し込められたときも、
「アラーよ、どうかお救いください」
と祈っている。

けれど西洋人にとって「異教徒」というのは人間ではない目印みたいなものだ。
こいつらはどうせ最後の審判の時に復活できない、哀れな生き物なんだ、
だから、鞭で打っても構わないし、家畜のように扱っても問題はない。
クンタ・キンテは金で農場に売り飛ばされ、奴隷として労働することを強制される。

日本人の自分としてはどこか他人事みたいな気もするのだけど、
問題を「社員と派遣社員」という風にしてみるとわかりやすいかもしれない。
会社が利益を生み出す上で一番お金がかかるのが「人件費」である。
これを出来るだけ抑えるにはどうすればいいか。
「あなたは○○だから給料は多く払えない」
という名目を作ればいい。
それが90年代の日本でものすごい勢いで「終身雇用制度」をぶち壊したものの正体、
なんだと僕は思う。
この「○○」という空白部分に入ったのが、西洋では「黒人」なのだった。

黒人はキリスト教を信仰しない野蛮な生き物で、外見こそ人の形をしているが、
人間ではなく奴隷なのである。
だから牛馬のようにこき使っても一向に良心が痛まない。
キリスト教の信仰が根強い地域ほど、この考えを受け入れるのが容易だった。

クンタ・キンテはこの西洋人の身勝手な考えに決して屈しない。
アフリカの部族の中で成人の儀式(割礼あり)を終え、一人前の戦士となった彼は、
「トビー」とか変な名前で呼ばれることに抵抗しつつ、
理不尽な労働を拒否して脱走を繰り返し、しまいには足の先を斧で切断されてしまう。

ちなみに、クンタ・キンテの日本語吹き替えの声優さんはあの池田秀一さんである。
今回、CSで四十年ぶりにこのドラマを見返していて、それが一番の驚きであった。
シャアである。赤い彗星である。
それ以前から子役俳優として知名度の高かった方で、この時代の大河ドラマでも、
長州藩士として禁門の変で華々しく自決していたりする。

スペースノイドとしての独立を画策しつつ、自分たちを奴隷としか見ない地球人に反抗し、
赤いモビルスーツで三倍速く加速する男。
クンタ・キンテ!

彼の自由への渇望は彼の子孫たちに受け継がれ、南北戦争後にようやくにして達成される。
これを日本のテレビが一週間連続で番宣をバンバン打ちながら放送したのだから、
当時のテレビは本当に気骨があった。
当時小学校の低学年だった自分も、どうやら全部観ていたようで、
今回40年振りに見返したら知ってるシーンがバンバン出てきた。

子供が社会派のドラマを観たってどうせ理解できないだろうなんてのは浅はかな考えだ。
ドラマを見返しているうちに当時の自分が考えていたことがいろいろ思い出された。
差別に対する嫌悪感というものは、確実にこのドラマを観たことで学習している。

まあ、当時の小学生は「クンタ・キンテ」という語感がひたすら面白かったので、
「キンタ・クンテ!」とか叫びながら教室を駆け回ってたんですけどね。
おかげでどっちが正しい名前だったか、今でも混乱する。

今回、CSの方では新しくリメークされた「Roots」のほうが目玉で、
こちらではクンタ・キンテのお父さん役を池田秀一さんが声入れしているとのことだ。
映像も番宣を見る限りリアル度を増している。
でも結局1977年版だけを観て、自分は満足してしまった。
とにかく長い。
二時間半の一夜物が四連続である。一日が半分終わってしまう。

それに1977年版には特別な思い入れもあるので、
それを最新の映像で観たいとは、僕は思わなかった。
むしろ、若い世代に観てもらうために今風の映像にしたものなのだろう。

本当はこういうものを地上波で放送するべきなんだろうけど、
今だといろいろ難しいのかな。
僕はこのドラマを子供のころに観ておいて、本当に良かったと思いましたよ。

ぶんか社さんの「昭和人情食堂」に作品を掲載していただいてます。
発売は8月29日月曜日あたり。
書店での取り扱いは基本的になしで、
メインはコンビニ販売です。あとネット配信。
お祭りの話ってことでいろいろ懐かしい縁日の風景を描いています。
アセチレンランプとか、僕の世代ではすでに絶滅していたはずなので、
いろいろ調べるのが楽しかったです。あ、手塚治虫のキャラクターの名前ではないですよ。
小型の発電機で電球を光らせるのは戦後だいぶん経ってからの風景で、
昭和の初めごろあたりだと、照明はたいていアセチレンランプ。
夜のお祭りだとガスのにおいがたちこめて、それがまた祭りの風情だったようです。
今でも山小屋とか登山関係で使ってそうな気はする。
どうなんだろう。

2016年8月 7日 (日)

ツッパリ気分でロッケンロール!

自分が学生時代を送った1970年代から80年代にかけては、
いわゆる「ツッパリ」が一世を風靡していた。
小学生時代は短パンに白のソックスだった同級生が、
やおら髪形をリーゼントにとがらせ、制服は長ランにボンタン、
その制服をめくれば裏地は昇竜の刺繍入りだったりした。

あれはなんだったんだろうな。
行き場のない青春のリビドーがバイオレンスな衝動へと向かったのだろうか。

自分はまじめだけが取り柄の学生だったので、
学ランはノーマルな詰襟で、白いカラーをつけていた。
そういえばこのカラーもツッパリさんたちははずしていたな。

その、まじめだけが取り柄の自分も、刺繍入りの学ランにはちょっと憧れた。
ズボンのポケットに手を突っ込んで颯爽と歩くと、
チラチラと長ランの刺繍が見える。
赤とか金色とか、なかなかに綺麗である。
江戸の火消しのいなせな半纏に通じるものがある、というか元祖はそれだろう。
シックな黒の制服にど派手な刺繍の裏地はなかなかに粋である。
自分もお小遣いがあったらやってみたかった。

で、そんなツッパリな方々も、自分の知る限りはそこまでバイオレンスではない。
せいぜい学校の廊下の天井をほうきでつついて破りまくるくらいである。
自分が住んでいた名古屋の千種区はわりと治安のいい地域で、
いくら荒れたくても荒れようがない。

でも全国的には「荒廃する学校」とか騒がれていた時代だし、
それを矯正する「戸塚ヨットスクール」なんて施設がテレビでよく取り上げられていた。
たぶん僕の知らないところではビーバップな荒くれ学園生活が行われていたのだろう。

自分はとにかく大人しくてまじめな「よゐこ」だったので、
不良グループの抗争とやらに巻き込まれる劇的な青春時代は送っていない。
ただ、目はつけられた。
放課後に渡り廊下で雑巾を使った野球みたいなのを楽しんでいると、

「またかわすみ軍団が群れてやがる」

とガンをつけられた。今でいうオタク連中で集まっていたのだけど、
それがなぜ「かわすみ軍団」などと自分の名前で呼ばれていたのか謎である。
そういえばいきなり取り押さえられて首筋にマジックで落書きされたことがあった。

「先生に言いつけてやる!」

と、まっすぐ職員室に告げ口しに行った自分は、なんかイケてないな。
でもまあ、顔に落書きされなかっただけ、ツッパリ君たちも紳士的だった。
どこか牧歌的な遊びの延長みたいな気分があったんだと思う。

本物のツッパリは、たぶんもっと怖い。

僕は高校は普通の公立校だったのだけど、名古屋の果てだったのでバス通学だった。
そのバスの路線にはちょっと柄の悪い男子校があって、帰宅時などよく一緒になった。

中学時代のツッパリ君たちが泣いて逃げ出す本格的なアウトロー連中である。
人間の性質は確実に表情に出る。
目つきが狂犬みたいで触るものみな傷つけそうな物騒なオーラを全身から漂わせている。

で、普通科高校の自分は帰宅時にはたいてい一人だったのだけど、
一度同じ高校の見知らぬ女の子が同じバスに乗ってきたことがあった。
普段は電車通学だけど、たまには気分転換にバスでも乗ってみようかしら、
みたいな軽い気持ちだったんだろう。

同じ高校の制服の僕を見ると、少し離れた座席に腰を下ろした。
まあ、普通そうだわな。
小柄で小鹿みたいにかわいらしい女の子である。たぶんブレザーか何かじゃなかったかな。
うちの高校の取り柄は女子生徒のブレザーがなかなかにかわいいところにある。
男子は黒の詰襟だったけど、女子の制服には全振りで力を注ぐ。あっぱれ学校関係者。

で、途中の停車場からゾロゾロと青い詰襟の男子高生が大量に乗り込んでくるわけだ。
「おっ、今日はかわいい女の子がいるじゃねぇか」
ってんで、彼女の座席の周りに野郎連中が集まってくる。
「ああ、ご愁傷さま」
と自分は見て見ない振りをしていた。世の中は漫画みたいには進まない。
名前も知らない女の子を助けてあげられる腕力も甲斐性も自分は持ち合わせていない。
まあ、連中も直接手を出したりはしないだろうから、大人しくうつむいたまま、
今日は天中殺だと思って耐え抜いておくれよと、他人事のように考えた。

そう、この時点までは他人事だったのだ。
彼女がやおら席を立って自分のすぐ隣にピッタリくっついてくるまでは。

柄の悪い男子高生が満載のバスの中で、
普通科生の自分が女の子と一緒の席に座るとどうなるか、つまり、こうなる。

「先輩、あの野郎、ちょっと生意気っすね」

「あいつとタイマンしたらイチコロっすね」

「ちょっとガタイはいいけど、瞬殺だな」

なんか、目つきの悪い連中が僕にガンつけて煽りはじめた。
髪はリーゼントで眉毛も剃ってる。おいおい、なんでこうなる。
女の子はうつむいたまま、隣の席でブルブルと震えている。
女の子に密着されてこれほどうれしくなかったことはない。
この子は露骨に僕を防波堤代わりに利用しているのだ。

「私に手を出すなら、どうぞこいつを倒してからにしてください」

まあ、か弱い女の子が自分の身を守るという点では最善の策には違いないのだけど、
この防波堤はバイオレンスな展開には向いていないのですよ。

刺々しい空気がバスの中に充満する。
どれだけの時間を耐え抜いたか、やがてバスが停留所に停車すると、
女の子は一目散に扉へと走り、哀れな僕を残してバスを降りてしまった。
鍋屋上野浄水場の前だったかな、浄水場に何か用事があるわけもなく、
危険地帯から逃げ出した、というのが正しいのだろう。

残された僕はたまったもんじゃない。

男子高生の負のエナジーは共学校のロン毛野郎に八つ当たり的に集まってくる。
ネチネチとした視線にさんざん煽られまくった末に、
ようやくにしていつもの停車所に到着した。

生きた心地がしなかった。あと女はえげつないと心から思った。正しい判断なんだけど。

そんなツッパリ兄ちゃんたちもいつの間にか絶滅危惧種になってしまった。
その往年の雄姿を拝めるのはテレビの中か漫画の中くらいで、
今のとんがってる学生さん達はスタイリッシュでオシャレな外見になっている。

髪にパーマをあてたスケバンが自転車のチェーンを振り回したりもしないし、
ラジカセを中心に踊り狂う竹の子族も原宿にはいない。

三原じゅん子は立派な政治家になった。

かつてのヤングマガジン誌が煽りまくったアウトローな若者たちも、
前髪が薄くなってもうリーゼントにするだけのボリュウームが残っていない。
シャコタンに蛍ライトで違法改造のハの字タイヤで駆け回る燃費の悪い連中もいない。

絵にかいたような「悪」が時代遅れになったのは、たぶん、
本当の悪がオシャレでスタイリッシュであることを、
みんなが漠然と感じているからなのだろう。
田中角栄が書籍で再評価されているのもそう、
みんなああいう絵に描いたような「昭和のワル」にノスタルジーを感じているに違いない。

悪い奴になりきるのが難しい世の中になってきているのだろう。

※昔書いた落書きを取り上げてみた。

追記 2016・8・7

高校時代に中学で目をつけられていたツッパリさんと道でばったり出くわしたことがある。
背の高い、仲村トオルをさらにゴツくした感じの人で、
中学時代は校内のツッパリの頂点に君臨していらしたようなお方だ。
夕暮れ時だったかな。
「おう、久しぶり」
とあちらから声をかけてくださった。
中学時代は隣のクラスで、僕が体育の着替えで友達のメガネを跳ね飛ばしてしまったとき、
「またおまえか」
とものすごい目で凄まれたことがある。
ちょっとじゃれてただけなんだけど、僕はどうも空気の読めない大馬鹿野郎と思われていたから、
「いい加減にしとかないとしばくぞ」
という警告だったんだと思う。
中学卒業後は就職したんじゃなかったかな。
「高校はどうだ」
と親し気に話をふってくださって、僕はあれこれお話をさせていただいた。
なんか、丁寧語になってしまうのは、あちらが二回りくらい体が大きくて喧嘩が強いというのもあるけど、
一足先に社会に出られて、大人の風格みたいなものを醸し出していたからだ。
鋭い目つきにも、心なしかやさしくなったように感じた。
「元気で頑張れよ」
と、かつてのリーゼントのツッパリさんは笑顔で立ち去って行った。

あの時は半分怯えきっていたんだけど、
今になって思い返すと、もっと親しく話しておけばよかったと、
ちょっと後悔している。
高校に上がってからはひどいいじめを目にすることもあったので、
ああいう「番長」みたいなのが、少し懐かしいと感じたりもするのだ。
ツッパリを美化しすぎなのかもしれないけど

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