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2016年10月

2016年10月30日 (日)

昭和人情食堂No.4

明日10月31日月曜日に「漫画昭和人情食堂」No.4が発売になります。
「ごちそう編」ってことでお目出度い料理が盛りだくさんな内容になっております。
僕はなぜか「カレーライス」だけど。
巻末のコメントで「ご馳走」について語っていますので、微力ながら参戦ってことで。
全国のコンビニエンスストアーでの販売となります。
遠隔地での販売は少し遅れるようです。
北海道と島根の情報だと、週末くらいには発売になるのかな。
お忙しい中、コンビニ本をお探しくださる皆様には感謝の言葉もありません。
なんとなく手に取ってお買い上げくださったお客様にも、感謝です。
日々のお仕事の疲れを癒す、そんな漫画がいっぱい掲載されております。
何度も繰り返しお読みいただければ、これに勝る幸いはございません。
なんせ、このコンビニ本だと自分なんて若造っつーか、青二才っつーか、
「人生の諸先輩方」が思い入れたっぷりに執筆しまくってますから、
にじみ出る「人生」の味が濃いのなんのって。
自分は若輩なので、毎回かなり圧倒されております。

掲載作品について語るのは、ちょっと早すぎるかな。
巻末コメントについて。
「何かご馳走についてのコメントをお願いします」
とぶんか社のNさんからメールをいただきまして、書いた内容が、
「大みそかに父がハマチを一匹丸ごと買ってきて、それを正月中に家族みんなで食べた」
だったりします。

ハマチという言葉が関東圏では馴染みが薄いかもしれないけど、
養殖のブリ、またはブリの少しこぶりなやつ、って感じだと思います。
ブリだけにこぶり、ってか。(失笑)
自分のイメージだと、ブリの脂がいっぱいのってる奴って感じです。
これは
「養殖だと運動量が天然物より少ないので身に脂がいっぱいのっかる」
ってことらしいです。
まあ、ブリの若い奴だからってのもあるだろうけど。

このハマチが父親の大好物だった。茶わん蒸しよりも大好物だった。(過去記事参照)
今だから書けることだけど、店で出すのにお客様よりいいところを取ろうとして、
母に滅茶苦茶怒られてた。
だから、一度思う存分好物のハマチを堪能してみたかったんでしょうね。
年の暮れに「ブリか!」ってくらい大きなハマチを一匹丸ごと買ってきて、
台所じゃ狭すぎるってんで、風呂場で解体作業を始めた。
四十年くらい前の風景だけど、今でもはっきり覚えている。
風呂場を改装する前だから、小学校の四年生くらいじゃないかな。
風呂桶の横にむき出しのガス湯沸かし器がある、掘っ建て小屋みたいな風呂で、
コンクリートの台の上に簀子板敷いて、その上にウレタンのマットを乗っけていた。
ここが普段は洗い場なんだけど、そこに新聞紙かなんか敷いて、
夢中になってハマチの解体をやってた。
子供だったからなんだろうけど、ハマチはデカいなぁと頭に刷り込まれた。
ブリよりは小さいはずなんだけど、やたらデカく感じた。

これを身はサクにして刺身用、焼き物用に分け、頭とか尻尾とか、
アラの部分は乱切りにしてボウルに選り分け、大量の塩を振っていた。
こいつは冷蔵庫に保管しておいて、先に刺身から食べ始める。

ハマチの身は薄い肌色と紅い筋肉の部分のコントラストが素晴らしく、
ときどき銀色の皮が残っていたりして、この配色がなんとも食欲を駆り立てる。
イナダじゃ若すぎるし、ブリじゃ身が歳をとりすぎている。
ハマチだからこその、脂ののり具合なのだろうと、ちょっと力説してみる。
普段はお客様に出してしまう一番脂ののったところは、当然父親が食べる。
これだよこれ、こいつを俺は食べたかったと、
濃厚な脂の味に父は酔いしれたことだろう。

僕は三人兄弟の長男なのだけど、父親と一緒に紅白を観ながらハマチを食し、
「なぜに大みそかにハマチ?」
と疑問に感じながらも、父が太鼓判を押すものはやっぱりおいしいなと、
素直に関心したのでした。
今でもパブロフの犬よろしく、イナダやブリの刺身をスーパーで見かけると、
ついつい買い物かごに突っ込んでしまう。
人の好みは二親から遺伝するという、典型的な例だと思う。

ブリを正月のご馳走にするって地域は、地方になると多くなるのかな。
昔、サライって雑誌で特集記事があったと思う。
「ブリ対シャケ」みたいな感じの奴。
だから正月にブリを食べるっては、案外普通のことなのかもしれない。

正月三が日は身の方を照り焼きにして食べる。
火を通して白くなった身は味が濃くて、醤油のタレによっていっそう香ばしく、
クセになる味わいになる。人はこれを「ブリの照り焼き」という。
正月の参拝を終えて親戚周りなんかも済ませた後、
僕は友達とゲイラカイトって凧を上げてひとしきり遊んでから、
おせちをつまみながらこの照り焼きを食べたわけだ。
どうでもいいけど見なくなったな、ゲイラカイト。

で、とどめが例のアラを使ったアラ汁だったりする。
頭部を解体しているので、当然目玉の部分も入っており、眼肉は父曰く、
「大当たり!」
となる。
のちにすっぽん鍋を食べたとき、すっぽんの頭を咥えて踊り狂った自分だが、
この当時はゲテモノが大嫌いで、イワシの頭でさえ残して食べていた。
白い球が汁の中に沈んでいる状態ってのは、小学生の自分にはちょっとしたスプラッタだ。
エクソシストだ、オーメンだ、フライデー13thだ、バタリアンだ。
まあ、食べたんだけどね。長男特権というか、長男に食べさせたかった父親の気持ちは、
この年になるとなんとなくわかる。
今でも兜焼きなんかは大好きだけど、目玉をしゃぶる境地まではなかなかいかない。
「それがおいしいんじゃん♪」
と通の方はおっしゃるけれど、
目は心の窓ですぜ。眼肉を楽しむくらいが僕の限界です。

塩を抜いたアラは残った塩味も効いているけれど、
骨にくっついている身もスルリと取れて、それがなんともおいしい。
骨をしゃぶるようにしてアラの味を楽しむ。
それに、アラの味の出た汁がまたおいしいんだよな。
この汁の味は小学生の僕をすっかり夢中にさせた。
名古屋出身の僕は、みそ汁と言えば赤だしだけど、
このアラ汁の味を覚えて以来、断然白みそ派になりました。
僕は名古屋の裏切り者です。
ういろう?きしめん?
日本にはもっとうまいもんがいっぱいあるんじゃい!
まあ、ときどき無性に食べたくなるんですけどね、赤だしもきしめんも。
ういろうは食べると「こんなもんだっけ?」と物足りない気持ちになることが多いけど。

と、これが80文字制限のコメントに書ききれなかったご馳走の思い出だったりします。

他にもご馳走の思い出はあるんですよ。
母の弟さんが「名古屋の親戚はもっと結束しなくてはならない」と考え、
川隅家と奥家合同で食事会を企画したことがあって、
このときは名古屋駅前の「ロゴスキー」だったかな、ロシア料理のフルコースを食べた。
普段貧乏な自分には、「フルコースひえーーーー」
っておっかなびっくりだったけど、
カップにパイが乗っかっていて、それをスプーンで突き破るスープとか、
小学生にはずいぶんと異国情緒たっぷりの「ご馳走」だった。
ピロシキもおいしかった。
なんせ、あの時親に買ってもらった服が青かったことまではっきり覚えている。
だから、ちょっとした大冒険だったんだと思うよ。

でもこれは説明が長くなるからパス。
弟さん、つまり僕にとっては平作叔父さんなんだけど、
奥さんがハイカラな方で、
ある日近所にある一軒家の前を通ったら家がピンクに塗られていたこともあった。
僕よりいっこ下の従妹の子と妹ちゃん、弟くんの二姫一太郎だった。
この家は親戚周りでお伺いすると毎回ご馳走が出てきた。
前に「お寿司のわさびがうんたら」って書いたのはこの家の話で、
唐揚げも手の込んだやつを奥さんが作ってくれた。
二姫一太郎の家はなんか華やかだな、ってのが僕の印象。
野郎三兄弟の家とは何かが違う。
長女はやんちゃでかわいかったけど、僕の知り合いがかっさらって行った。
話を聞いたとき、なんであいつの名前がここで出てくるんだ?と、
かなりびっくりさせられた。ヤンチャな旦那とヤンチャな奥さんのベストカップルだ。
話が脱線した。

母も弟さんも、三重の山奥……ってか海沿いの山奥の熊野から名古屋に出てきているので、
「一族が一体になって頑張らなきゃ」
って思いが、当時の叔父さんの中では強かったんだと思う。
たぶん、奥さんに対する見栄もあるんだろうけど。三重県出身だけに。(もうええって)
身内で「頑張ろう」って気持ちが「ご馳走」って形になるんだろうなって、
僕は叔父さんちの料理から学んだ。
まあ、ずっと後になってからそう気が付いたって話で、
小学生の頃は「俺はあんなハゲ頭にはならないぞ!」って
奥家の忌まわしき因縁を嫌ってたけど、薄毛になればその因縁も妙に愛おしい。
まあ、まだ生えてるんだけどさ。

しばらくは漫画の解説が続きます。


2016年10月25日 (火)

出版不況

出版が危ないってのはずっと言われている。

雑誌がとにかく売れない。利益が出せない。
たまに飛び出す大ヒット作の売り上げでなんとか食いつないでいる、という話を、
先日ビームの編集長様がネットで発言しているのをたまたま読んでしまった。
ビーム様のヒット作というと「テルマエ・ロマエ」でして、
あれは映画版を拝見させていただいたけど、阿部ちゃんがいい男だな、ウホ!
って感じでとても面白かったです。

僕はノンケなのでそこのところはしっかり明記。

出版……文字や絵を大量印刷して読者様に買っていただく商売ですね。
これがネット時代になって無料で大量の文字情報や画像が配信されるようになり、
それまで持っていたアドバンテージを一気に失ってしまった。
今、電車に乗ったって漫画雑誌を読んでる乗客はめったに見かけません。
みんなスマホとにらめっこしている。

僕は僕で「いいものは全部ひとりじめ」って性分なので、
過去の名作の世界へとひたすら耽溺しまくってます。
20世紀の日本の印刷文化は本当に素晴らしい。
小説も漫画も、信じられないような名作が湯水のように垂れ流されていた。
ページをめくることで、至福の時間を21世紀の現在でも送ることが出来る。
こんな幸せを知らないなんて、今の若者はなんて不幸なんでしょうオホホホホ。

実のところ、この文章を書くまでに大量の文章を破棄しているのだけど、
問題は読み手が「お金を払ってでも出版物を手に入れたい」と思わなくなったってことで、
特に若年層の生活に出版社を買い支えるだけの余裕がなくなってしまったことが大きい、
と僕は考えている。
いちおう「書く方の人間」なので、自らの不明を恥じはするのだけど、
じゃあ、若者が昼飯を我慢してでも買いたくなる本を描けるのか、となると、
漫画は時に一杯の牛丼よりも無力だったりする。

ちょいと視点を変えてみよう。

僕は楽器が何も演奏できない。
「もしもピアノが弾けたなら」という西田敏行のヒット曲があるけれど、
「こんな気分の時に何か楽器でも演奏出来たらな」
と思うことはよくある。
何かムズムズと、体の中でうずく感覚があって、それを思い切り外に放出したい。
(僕がこう書くと何やら卑猥な感想を述べる人がいっぱいいるんだけど)
で、そんなときに楽器を演奏する代わりに文字を読んで発散させることがある。

まだ若いころ、憂鬱の発作から居ても立っても居られなくなって、
某女流作家の小説を必死に読んで、その文章の流れに救われたことがある。
活字の意味する内容なんかはどうでもよくて、ただ自分とは違う頭が生み出した文章を、
ピアノを弾きまくるように頭の中で演奏したくてたまらなくなった。
活字は演奏するものだ、というのはその時しみじみ思ったことで、
それは漫画でも同じことだと自分は思っている。
漫画は読むことで頭の中で演奏する音楽のようなものだ。
読むという演奏行為を楽しむものだ。
そこがアニメや映画なんかの映像メディアとは決定的に違っている。
文字を読み、印刷された絵師のラインを目で追い、自分の中にある何かを開放する。

これと同じ意味なのかは分からないけど、
有名な彫刻家の人がイタリアで外国人に囲まれて修行に励んでいた時、
西脇順三郎の「旅人かへらず」という詩集を繰り返し読んで、自分を慰めたという話がある。
僕も復刻本を持ってるけど、「永劫の旅人は帰らず」って感じで、
ああ、詩集というのは演奏するための楽譜なんだなと、しみじみ感じ入ったりする。

なんか妄想垂れ流しの文章になってきた。

ネット上で全くの素人が書いた文章でも、ときどき「へえ」と感心するようなものはある。
あるにはある。でも、それでも人生をかけてプロが彫塑した文章というのは、
ものすごく緻密で、片言一句にものすごい「音楽」が込められていたりする。
そのような文章を見つけて繰り返し目で追っていると、
それだけでその日一日が満たされたりする。
スマートフォン端末ではいけない。
紙に印刷された文章でなくては、そのような演奏効果は得られない。
なんでか。
ピアニストが鍵盤に指を走らせるのに、紙の楽譜でなくてタブレット端末を読んでいたら、
それはもう音楽じゃないような気がどうしてもしてしまうからだ。
作曲家が作曲した世界がものすごく安っぽくなってしまう。
そこには何か、様式の破壊がある。

だいたい、詩集なんて活字を読んで演奏する出版物の代表格みたいなものだけど、
これをスマートフォンで読んでもうれしくない。萩原朔太郎とかいろいろやってみたけど、
「大正時代にこんな端末があるものか」
と考えると、作家との距離がものすごく遠くなってしまう。
文庫本でも買って読めば、そこには出版社の労力があり、その向こう側、はるか彼方に、
詩人の生身の肉体を感じることが出来る。
ドテラを着込んで火鉢を脇に置きながらペンを軋らせる作家の息遣いを感じる。
活字は文字情報だけど、その内容さえネットに乗っかればいいというものでもない。
誰かの存在を、その書いた文章の向こう側にいる誰かの息遣いを感じる手段だ。
出版された本にはそれを所有することで誰かの存在に触れるためのからくりがある。
ただの文字情報ではない。
活字は紙に刻み付けることで、作家の存在を刻印した作家その人の分身なのである。

漫画もたぶん同じ。
自分の存在が誰かの癒しや励ましになるとはあんまり考えないけど、
こんな非力な自分の存在でも、いれば何かの気休めにはなりそうな気がする。
僕は出版という形で自分の存在が書物になることが案外幸せだったんでしょうね。
それがスイッチ一つで消し去れる映像情報になることに、
ものすごい違和感を感じていたんだ。

なんか、この一か月間文章を破棄し続けた理由がなんとなくわかった。
その違和感をずっと言葉にしたかったんだ。

漫画はだから、作家の存在を刻み付けるものじゃなくて、
便利でお手軽な情報ツールへの道を突き進んでいる。
ネットにフィットした形式としては、それが漫画の生き残る道なのかもしれない。
でもふと本棚に並べられた作家さんたちの分身に目をやると、
この人間の存在感を喪失することは、自分たちの生活にとって寂しいことじゃないかと、
感じたりもするのです。
電源の切られたスマフォ端末には、誰の存在も感じることは出来ないから。

うん、「出版不況」というお題に名を借りた決意表明だね。
本棚に置かれることで誰かに癒しと安らぎを与える、そんなささやかな出版物に、
私はなりたい。

普段は自制してるけど、かなりポエジーな文章になってしまった。
意味わかんない言葉の垂れ流しでごめんなさい。
一度形にしておきたかった考えなもんで。
書いてる内容と、それをネット上に垂れ流すことの矛盾については、
突っ込みは無しの方向で。

2016年10月 6日 (木)

秘伝の技


10月の気候の不安定なこの時期、とかく体調は崩しやすいもの。
かく言う自分も風邪をひきまして、咳が止まらない。
咳が止まらない中、煙草なんかをふかしていると、
むかし先輩で喘息もちなのにひたすらスパスパやってる人がいたな、
難波さんは元気かなと、学生時代のことなどを回想したりします。スパスパ。

風邪のひき始めの時によくやる秘伝の技があって、
軽いものならこれで抑えることが出来る、らしい。
それを実行に移してみたりするのだけど、
その詳しい内容をここに書くことはできない。

「絶対、他の人に言っちゃ駄目だよ」

と釘を刺されているからだ。
教えてくれたのは子供の頃、近所の小さな神社にいた神主さんで、
いつも高齢の母親様の後ろにつき従う、従者のようなイメージが僕にはある。

明治生まれの母親様は、小柄だけど少しおっかない感じがした。
その息子の従者さんはあらゆる宗教や民間伝承などにも精通しているらしく、
自分ちの食堂にいらっしゃったときなど、僕や弟たちを相手にいろんな話をしてくれた。
民間療法みたいなものも教わっているのだけど、

●「風邪のひき始めを抑える術」
●「肩の凝りを指先に下して、そこからスポンと抜き取る術」
●「ハゲを100パーセント予防する術」
●「蓄膿症を改善する術」

なんかは今でもはっきり思い出すことが出来る。
冬のストーブの前でいろいろ実行してみせては、
「他の人に教えちゃ駄目だよ、間違ったやり方をすると逆効果だからね」
と釘を刺すのだけど、
だったらなんで僕に教えちゃうのかなと、子供ごころにも不思議に思っていた。

きっと誰かに教えたくて仕方がなかったのだろう。
その方は以前は結婚もしていらして、お子さんもいたらしいのだけど、
例の厳格な母親様が別れさせた、というのは後になって知ったことだ。
「修行の邪魔だ」
とか、そんな理由だったらしい。

「蓄膿症を改善する術」はどうやら効果はあったらしい。
そういえば子供の頃は蓄膿症だったと、今頃になって思い出すくらいだ。
「肩こりを指先から抜き取る」は、肩から腕の方にもみほぐしていき、
最後に指先をつまんで、

「プチン」

と音をさせると、肩こりが嘘のように抜けていった。
ちょっと痛いけど、「プチン」と抜ける感覚はなかなか面白かった。
整体師にでもなれば千客万来で大繁盛したに違いない。

教わった術の中でいまだに実行しているのは「風邪のひき始めを抑える術」で、
さっきからここにその詳細を書きたくて仕方がないのだけど、
一つ間違えると命の危険のあることなので、やっぱり書けない。
せっかく読んでやってるのになんだよそれ!と不快に思われるかもしれないけど、
人との約束は守らなければならない。
僕だって半信半疑で実行しているのだ。他人がやって上手くいくとは思えない。

「ハゲを100パーセント予防する術」はとても魅力的だった。
その神主の人は年齢の割に髪が黒々と豊かに生えていらしたので、
なんだかものすごく説得力があった。
「今のうちからこれを毎日やっておけば、歳をとってもハゲないからね」
と、頭にポンポンとある秘術を施して見せた。

「そうか、これで将来は万全だな!」

と、その時は思ったのだけど、
今になってみるとそんなマメなことをズボラな僕が出来るわきゃない。
毎朝カガミの中の薄毛オヤジを見るたび、あの教えを守っていたらなと、
ちょいとばかり悔しい思いをしている。

考えてみると、薄毛を見るたびあの神主さんを思い出すのだから、
「自分の記憶を後世に伝える」という意味では、成功しているのかもしれない。
僕はあの神主さんのことを四六時中、それこそカガミを覗くたびに思い出しているのだ。
そういうことを仕出かしそうな、不思議な雰囲気のある人だった。。

厳格な母親様が高齢で大往生なされると、その神主さんは旅に出た。
「母親そっくりの地蔵菩薩を探し出すのです」
と、あるのかどうかもわからない菩薩探しの旅だったらしい。
それで半年か一年か、その方は実家の食堂に現れなくなった。
地蔵菩薩を見つけいったいどうするのか、
それを譲り受けて小さな神社に飾るのか、
ってか、神社にお地蔵様を飾るのって、ものすごく間違ってないかと、
いろいろ突っ込むポイントはあったのだけど、
まあ、宗教を超越していらした方なので、どうだっていいことなのかもしれない。
あの厳格な母親の化身の石像を探し求める、そこが重要だったのだろう。

その地蔵菩薩が見つかったのかどうか、僕は寡聞にして知らない。

先日、名古屋の母親に「あの神主さんはどうしてるんだ」と聞いてみたら、
「とっくの昔に亡くなってるよ」
と教えられた。
母親にとってあの男性はしょっちゅう店に現れて何時間もくつろぐ困った人だったので、
ちょいとばかり言葉に棘があったけど、
「道にうずくまっているところを通行人に発見されてね」
と、そこで言葉を切った。身近な人間の死にざまの話はくどくどするものではない。
あんな変わった人でもうちのお客様だったんだからね、と。

アツアツのお風呂につかって教えられた秘術を実行しながら、
「あの人は本当に不思議な人だったな」と、
しみじみ思い出にふけるのだ。
こうやって食堂のガキんちょに思い出されることが、たぶんあの方の一番の目的だったと、
なんとなくそんな気がするから。

とりあえず咳は収まったので明け方までかかって原稿の仕上げを続けた。
明日が締め切りなのだ。
たぶん今月末にぶんか社さんの方で掲載になるはずです。
て、なんでそんなときにブログ記事を書いてるかな。

2016年10月 1日 (土)

有名人

江戸川区に住んでいた時の話。
近所の川に小奇麗な橋がかかって、普段ブラブラ歩いてばかりいた自分には、
格好のお散歩コースになった。
白いアーチを伸ばして、上からワイヤーで橋を持ち上げる感じのもので、
なんでこんな殺風景なところに作ったのか、ちょっと悩む代物ではあった。
でもまあ、綺麗なんだから不満はない。
夜中に川の土手際をブラブラ徘徊していたら、
なぜか綺麗にライトアップされて、その白いアーチが輝いていたことがあった。
もう一二時近いのに何事だろうと近づいていくと、黒山の人だかりがあった。
「何事ですか」
と見知らぬおじさんに声をかけると、
「ドラマの撮影をやってんだよ」
とのことだった。
なるほど、出来たばかりで知名度のない橋をライトアップでお洒落に演出して、
ドラマのワンシーンに使おうというわけか。
普段は気にもかけなかったけれど、橋の少し離れたところには寂れた公園があり、
そこにワゴン車が止められ、照明が明々と照らされている。
どうやらあの中にSMAPの香取慎吾くんと女優の安田成美さんがいるらしい。
撮影そのものは、スタッフさんに離れているように指示されたので見ていない。
香取くんは撮影が終わると黒いカーテンに隠されて、すぐにワゴン車に乗り込んだようだ。
近くの女の子が友達に話していた。

ドラマそのものは結局見ていないのだけど、
テレビガイドでそのシーンがスナップショットで使われることがあり、
あの白い橋が白鳥のようにアーチを伸ばしている姿をたびたび見かけた。
「そこまで大した橋じゃないんじゃないかな」
と思わんでもないが、ご近所がドラマに使われたのは素直にうれしい。
「ドク」ってドラマだったと思う。

東京都内に住んでいても山手線の内側にはめったに出向かない自分は、
有名人などとはめったに出くわさない。

池袋界隈をブラブラと歩いていたとき、
何気なく表札を見たら「横山光輝」と書いてあってびびった。
当時は「コミックトム」を毎月買って読んでいたので、
「歴史ものの大家のお住まいであったか」
と思わず拝み倒してきた。
お亡くなりになったのはその数年後のことだったと思う。

僕が「大使閣下」の最初のネームを切ったとき、
斜めのコマを使ったり、ずいぶん派手なネームを切ったのだけど、
「セリフの量を考えるとこれじゃ読みにくいな」
と考えて、横山光輝風にブロック状のコマ割りをすることにした。
だから最初の読み切りには少し横山光輝先生の影響がある。
たぶん、あの表札を拝んだ直後だったからじゃないかな。
ご利益はあったわけだ。

同じく池袋で地下の食品売り場から長いエスカレーターで二階まで登ったら、
ガラスの間仕切りの向こうで嘉門達夫が営業をやっていた。
レコードショップか何かのお店の中だと思われる。
ありがたいので拝み倒してきた。
テレビでずいぶん楽しませていただいている。
本気で笑い転げたことも何度かあった。
その背中がガラス一枚を隔ててすぐ目の前数十センチのところにある。
これが拝まないでいられようか。
「ありがたや、ありがたや」
……この方に唯一不満があるとすれば、
バッハの「トッカータとフーガ」を聴くたび、
「たらりーん、鼻から牛乳ー」
のフレーズが頭に浮かんで仕方がないことだ。
そこはちょっと許しがたい。

有名人と近距離ですれ違う機会なんてめったにありゃしない。
その気になれば、あちこちで握手会だのサイン会だのをやっているのだが、
そういう場にわざわざ出向いて行こうというほどの気概も自分にはない。
だから出会わない。

子供の頃はそうでもなかったかな。
名古屋で「千代田橋のユニー」という大きなスーパーが出来て、
そこではたびたび催し物があったので、面白そうなものがあると出向いていた。
小学生の頃、神谷明さんがスクールメイツのみなさんといらっしゃって、
歌とトークを披露してくれたのは鮮明に覚えている。
まだ北斗の拳もキン肉マンもない時代だったので、
「ライディーンのひびき洸だ!」
って感じで、なんかうれしかった。
本物の声優さんはやっぱり声が違うなと、聞きほれた。
スクールメイツが後ろでダンスしているのは、今考えるとちょっと謎だったけど。
(僕の記憶が間違いでなければ、ライディーンのエンディング「俺は洸だ」歌ってくれたんだと思う。
そりゃそうだ、あなた以外にひびき洸はいない)

そのライディーンつながりというわけでもないんだろうけど、
アニメーターの安彦良和さんがユニーにいらしたことがあって、
あれは初監督作品の営業だと思うんだけど、
「アリオンの安彦さんだ!ガンダムだ!マチルダさーん!」
と訳の分からない興奮をしたのも覚えている。
僕がイベント関係でまともに足を向けたのって、たぶんあれが最後だと思う。

なんだかんだで有名人というのは拝むだけでご利益のあるありがたい存在である。
何かオーラみたいなものが分けてもらえそうな気がする。
少なくとも、会ったときの感激というのは長々と残っていく。

当人にとっては面倒極まりないことなんだろうけど、
そこはほれ、有名税というものなんじゃないかなと、
お気楽な自分は考えるのであった。

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