無料ブログはココログ

amazon

  • PCソフト
  • DVDベストセラー
  • ベストセラー
  • ウィジェット

« 秘伝の技 | トップページ | 昭和人情食堂No.4 »

2016年10月25日 (火)

出版不況

出版が危ないってのはずっと言われている。

雑誌がとにかく売れない。利益が出せない。
たまに飛び出す大ヒット作の売り上げでなんとか食いつないでいる、という話を、
先日ビームの編集長様がネットで発言しているのをたまたま読んでしまった。
ビーム様のヒット作というと「テルマエ・ロマエ」でして、
あれは映画版を拝見させていただいたけど、阿部ちゃんがいい男だな、ウホ!
って感じでとても面白かったです。

僕はノンケなのでそこのところはしっかり明記。

出版……文字や絵を大量印刷して読者様に買っていただく商売ですね。
これがネット時代になって無料で大量の文字情報や画像が配信されるようになり、
それまで持っていたアドバンテージを一気に失ってしまった。
今、電車に乗ったって漫画雑誌を読んでる乗客はめったに見かけません。
みんなスマホとにらめっこしている。

僕は僕で「いいものは全部ひとりじめ」って性分なので、
過去の名作の世界へとひたすら耽溺しまくってます。
20世紀の日本の印刷文化は本当に素晴らしい。
小説も漫画も、信じられないような名作が湯水のように垂れ流されていた。
ページをめくることで、至福の時間を21世紀の現在でも送ることが出来る。
こんな幸せを知らないなんて、今の若者はなんて不幸なんでしょうオホホホホ。

実のところ、この文章を書くまでに大量の文章を破棄しているのだけど、
問題は読み手が「お金を払ってでも出版物を手に入れたい」と思わなくなったってことで、
特に若年層の生活に出版社を買い支えるだけの余裕がなくなってしまったことが大きい、
と僕は考えている。
いちおう「書く方の人間」なので、自らの不明を恥じはするのだけど、
じゃあ、若者が昼飯を我慢してでも買いたくなる本を描けるのか、となると、
漫画は時に一杯の牛丼よりも無力だったりする。

ちょいと視点を変えてみよう。

僕は楽器が何も演奏できない。
「もしもピアノが弾けたなら」という西田敏行のヒット曲があるけれど、
「こんな気分の時に何か楽器でも演奏出来たらな」
と思うことはよくある。
何かムズムズと、体の中でうずく感覚があって、それを思い切り外に放出したい。
(僕がこう書くと何やら卑猥な感想を述べる人がいっぱいいるんだけど)
で、そんなときに楽器を演奏する代わりに文字を読んで発散させることがある。

まだ若いころ、憂鬱の発作から居ても立っても居られなくなって、
某女流作家の小説を必死に読んで、その文章の流れに救われたことがある。
活字の意味する内容なんかはどうでもよくて、ただ自分とは違う頭が生み出した文章を、
ピアノを弾きまくるように頭の中で演奏したくてたまらなくなった。
活字は演奏するものだ、というのはその時しみじみ思ったことで、
それは漫画でも同じことだと自分は思っている。
漫画は読むことで頭の中で演奏する音楽のようなものだ。
読むという演奏行為を楽しむものだ。
そこがアニメや映画なんかの映像メディアとは決定的に違っている。
文字を読み、印刷された絵師のラインを目で追い、自分の中にある何かを開放する。

これと同じ意味なのかは分からないけど、
有名な彫刻家の人がイタリアで外国人に囲まれて修行に励んでいた時、
西脇順三郎の「旅人かへらず」という詩集を繰り返し読んで、自分を慰めたという話がある。
僕も復刻本を持ってるけど、「永劫の旅人は帰らず」って感じで、
ああ、詩集というのは演奏するための楽譜なんだなと、しみじみ感じ入ったりする。

なんか妄想垂れ流しの文章になってきた。

ネット上で全くの素人が書いた文章でも、ときどき「へえ」と感心するようなものはある。
あるにはある。でも、それでも人生をかけてプロが彫塑した文章というのは、
ものすごく緻密で、片言一句にものすごい「音楽」が込められていたりする。
そのような文章を見つけて繰り返し目で追っていると、
それだけでその日一日が満たされたりする。
スマートフォン端末ではいけない。
紙に印刷された文章でなくては、そのような演奏効果は得られない。
なんでか。
ピアニストが鍵盤に指を走らせるのに、紙の楽譜でなくてタブレット端末を読んでいたら、
それはもう音楽じゃないような気がどうしてもしてしまうからだ。
作曲家が作曲した世界がものすごく安っぽくなってしまう。
そこには何か、様式の破壊がある。

だいたい、詩集なんて活字を読んで演奏する出版物の代表格みたいなものだけど、
これをスマートフォンで読んでもうれしくない。萩原朔太郎とかいろいろやってみたけど、
「大正時代にこんな端末があるものか」
と考えると、作家との距離がものすごく遠くなってしまう。
文庫本でも買って読めば、そこには出版社の労力があり、その向こう側、はるか彼方に、
詩人の生身の肉体を感じることが出来る。
ドテラを着込んで火鉢を脇に置きながらペンを軋らせる作家の息遣いを感じる。
活字は文字情報だけど、その内容さえネットに乗っかればいいというものでもない。
誰かの存在を、その書いた文章の向こう側にいる誰かの息遣いを感じる手段だ。
出版された本にはそれを所有することで誰かの存在に触れるためのからくりがある。
ただの文字情報ではない。
活字は紙に刻み付けることで、作家の存在を刻印した作家その人の分身なのである。

漫画もたぶん同じ。
自分の存在が誰かの癒しや励ましになるとはあんまり考えないけど、
こんな非力な自分の存在でも、いれば何かの気休めにはなりそうな気がする。
僕は出版という形で自分の存在が書物になることが案外幸せだったんでしょうね。
それがスイッチ一つで消し去れる映像情報になることに、
ものすごい違和感を感じていたんだ。

なんか、この一か月間文章を破棄し続けた理由がなんとなくわかった。
その違和感をずっと言葉にしたかったんだ。

漫画はだから、作家の存在を刻み付けるものじゃなくて、
便利でお手軽な情報ツールへの道を突き進んでいる。
ネットにフィットした形式としては、それが漫画の生き残る道なのかもしれない。
でもふと本棚に並べられた作家さんたちの分身に目をやると、
この人間の存在感を喪失することは、自分たちの生活にとって寂しいことじゃないかと、
感じたりもするのです。
電源の切られたスマフォ端末には、誰の存在も感じることは出来ないから。

うん、「出版不況」というお題に名を借りた決意表明だね。
本棚に置かれることで誰かに癒しと安らぎを与える、そんなささやかな出版物に、
私はなりたい。

普段は自制してるけど、かなりポエジーな文章になってしまった。
意味わかんない言葉の垂れ流しでごめんなさい。
一度形にしておきたかった考えなもんで。
書いてる内容と、それをネット上に垂れ流すことの矛盾については、
突っ込みは無しの方向で。

« 秘伝の技 | トップページ | 昭和人情食堂No.4 »

コラム」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1669327/68102756

この記事へのトラックバック一覧です: 出版不況:

« 秘伝の技 | トップページ | 昭和人情食堂No.4 »