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2016年11月 1日 (火)

漫画につていの解説


11月ですね。さすがに寒くなってきて、マフラー姿のご老人とか見かけたりします。
えっ、もうかよ!と驚いたりもするのですが、11月ならそれも当然か。

漫画についての解説。
前回までピグマでペン入れしてたんだけど、今回は丸ペンでペン入れしてます。
金属のペン先で綺麗な○を描く自信がなかったので、ずっとピグマを使っていたんだけど、
なんか描けそうな気がして、描いてみたら案外簡単に描けたので、戻しました。
この話を突っ込んで書くと、また長々と語ってしまいそうなので、
この辺で。

カレーライスの話。
明治時代にカレーライスが日本に入ってきて、これが日本人の味覚に合ったため、
たちまち人気食品の地位に駆け上がった。
町の洋食屋がトンカツやらカレーライスを手軽に提供するものだから、
それまで外食の王様だったお蕎麦屋さんが大ピンチに陥るくらい、
カレーライスのもたらしたインパクトは大きかった、らしい。

それで、お蕎麦屋さんも生き残りをかけてカレー南蛮やらカレー蕎麦、うどんなどを
開発して、これに対抗したんだそうです。
蕎麦とカレーが意外に合うぞ、ってのは、蕎麦屋にとっては起死回生の大発見だったこと
でしょう。
でも昔はカレー粉なんて市販はされていませんし、
いろいろなスパイスの調合はみんな自分のところでやっていたんでしょうね。

市販のカレー粉の最初のものは「ハチ食品さんのハチカレー」だそうです。
他のサイトやウイキペディアからの孫引きになりますが、
漢方薬の販売などをしていたハチ食品の前身になる業者さんが、
「うちならカレー粉が作れるんじゃないか」
と思いつき、蔵の中でいろいろ調合してみて、苦心の末に完成したのが、
「ハチカレー」
なのだぞうです。
僕もここのカレー粉を一キロほど買ってきまして、いろいろ試してみました。
最初は「?」な感じだったんだけど、
いろいろ作り方を変えて試行錯誤してみたら、なるほど、
「カレー屋さんのカレー」っぽい味になってきた。
ネット上で検索してみると、ここのカレー粉のファンも大勢いるらしく、
今年になって再販されたみたいです。
「昭和カレー」のタイトルは、本当はこのカレー粉につける予定でした。
ただ、そこまで極めるところまでは行けなかったので、今回は保留。
僕は結構気に入ってます。

ハチカレーの名前は、これもあちこちで紹介されていることなんだけど、
「蔵の中でカレー粉の配合を研究していたら窓に蜂が止まっていて、
太陽の光を透かしたその羽が綺麗だったから、これを商品名にした」
とのことで、別に蜂蜜や蜂本体が入っているわけではありません。

S&Bのカレー粉が発売されたのはこの後のことで、
スーパーでお手軽に手に入るのはこちらの方。
二十世紀の初頭にカレー粉の需要の爆発的増大があって、
それにこたえるために多くの企業がこの分野に乗り出したみたいです。

で、これらのカレー粉は割と通好みの大人の味で、
昭和も戦後すぐくらいまでは「カレーは大人の食べ物」だったようです。
これを「子供の食べ物にしてしまおう」と考えたのがハウス食品さん。
昭和三十年代初頭に「ハウスバーモントカレー」を発売して、
「リンゴとハチミツとろり溶けてる」甘いカレーを一般家庭に普及させた。
この味が子供たちの嗜好にマッチして、高度経済成長期には、
「子供の大好物といえばカレーライス」
の地位にまで上り詰める。
なにせ、ベビーブームともリンクしているので、子供は雨後の筍のように沸いて出てきた。
ハウス食品さんは上手いところに目をつけたなと、感心してしまいます。

よく言われるうんちくで、「バーモントカレーは健康療法がうんぬん」
というのがある。
アメリカのバーモント州でリンゴとハチミツを使った健康法がひろまり、
これをハウス食品さんが取り入れて、リンゴとハチミツを使った甘くて健康的なカレー、
だから「バーモントカレー」という名前になったそうな。
僕もテレビで特集番組を見るまで知らなかったので、
「へえ」
とひとしきり感心した。
話は脱線するけど、健康のために一日一個のリンゴを食べるってブームがあったけど、
僕は一週間もたなかった。
割とどうでもいい話ですね。

西城秀樹さんがバーモントカレーのCMキャラクターに起用されたのは
昭和40年代末頃。
昭和50年には
「リンゴとハチミツとろり溶けてる」も
「ヒデキ!感激!」も生まれていたことを知って、
「そんなに古くからあるんかい」とびっくりした。
ちなみにこの年、僕は小学校の1年生だったりする。

西城秀樹さんはこの前年のレコード大賞で「傷だらけのローラ」で大賞になっている。
この曲とライターを絡めているのはかなり無理やりなネタで、
西城秀樹さんがライターを目の前にかざして、瞳の中に炎を燃やしたのは、
この三年後の「ブーツを脱いで朝食を」だったりする。
僕もテレビでこの演出を見たような記憶があるので、
あれは小学校の三年生くらいのことなんだろうなと、思う。
でも、のちにテレビでこのネタを紹介したりもしているので、
それを見て、自分が見たような気になっているだけかもしれない。
見たとおもうんだけど、どうだったかな。

チルチルミチルの100円ライターが発売されたのは昭和50年の5月。
これは歴史年表の本を見ていて「へえ」と思ったので、そのうち使うつもりでいた。
100円ライターの元祖にして嚆矢と言ってもいい、昭和の名品である。
今は中国で作られたものが市場を席捲しているみたいだけど、
セブンイレブンに行ったらしっかり現在でも販売されていた。
火口の金属部分にも例の「青い鳥」のレリーフがある。
形はずいぶん変わってしまったけど、なんかうれしかったので買ってしまった。

100円ライターなんて使い切ったら捨ててしまうから現品は残らないものだけど、
学生時代に記念品でもらったチルチルミチルさんが奇跡的に残っていたので、
まあ、それでも発売後十年以上経過しているのだけど、
ネットの画像と合わせて、それを参考にファーストモデルを再現している。
いや、本当に、あの頃身近に当たり前のように転がっていたものって、
今手に入れようとすると、もう何処にもなかったりするんですよね。

以上、漫画の背景となる説明でした。
昭和50年って、この年代を舞台にした理由は特にないのだけど、
僕がかろうじて覚えている一番古い時代ってのと、
この頃から昭和の風景が劇的に変わり始める、ってのはあるのかもしれない。
イトーヨーカ堂がセブンイレブンの一号店を豊洲にオープンさせたのが、
この前の年の昭和49年5月15日のこと。
この一歩目は本当に小さな一歩なんだけど、現在じゃそこら中コンビニだらけです。

映画の「ジョーズ」が公開されたのも昭和50年。
これは僕ははっきり覚えてる。
サメの映画が大ヒットしたってんでテレビでサメの特集番組がいくつかあって、
その中に「サメに食われた人の死体映像」があり、
両親が弟の出産のために病院に行っていて、一人家に残された自分は無茶苦茶怖かった。
今でも弟の顔を見るとサメを連想するくらい、ちょっとしたトラウマになっている。
この、「ジョーズ」を制作したスピルバーグ監督が、その後にヒット作を連発して、
日本の映像産業も多大な影響を受けることになる。

田中角栄の汚職問題がクローズアップされたのもこの前後の年だったりする。
昭和51年の7月に元首相が逮捕されるという大スキャンダル、いわゆる
「ロッキード問題」にまで発達するのですが、
政治家の腐敗が雑誌記事のトップネタになり、出版社のドル箱になったのは、
まあ、この事件のあたりからなんじゃないかな。

だから、まあ、そんな時代背景も漫画に反映させられたらなって思うんだけど、
なかなか難しいので、ここにまとめて書いてみました。

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