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2016年12月

2016年12月26日 (月)

昭和人情食堂No.5

今日あたりから「昭和人情食堂 No.5鍋料理編」がコンビニで発売されているはずです。
僕の漫画も掲載されてます。諸先生がおいしそうな鍋料理についてご紹介されている中、
箸休め的なポジションを嬉々として楽しんでおります。
「なんで大学イモ?」
って話なのですが、僕がサツマイモを食べたかったからです。
他には何も考えていない。
たまたま近所のスーパーで一個100円で売っていて、
「安い!」
と思って買い込んでしまった。
で、いろいろ調理法を試してみたのだけど、
結局、「焼き芋」というのがこの食材の最高においしい調理法だと思い知りました。
焼いた石に埋めて遠赤外線でじんわりと甘みを引き出していく、
自分ちじゃ出来ないので売ってるのを買ってきたんだけど、
下手なパティシエのお菓子より数段上の甘味だと思いました。
女性が夢中になるわけだ。

自分が子供のころは名古屋で有名な焼き芋屋さんがおりまして、
チリンチリンとベルを鳴らしながら屋台を引っ張っていました。
つば付き帽をかぶった小柄なおじさんだっけ。
夏は屋台に赤い文字で「みたらしだんご」と書いて「みたらし」を売ってたんだけど、
冬場は石焼き芋を売っておりました。
有名人ですから、当然小学校でも話題になる。
「知ってるか?あのおじさんは守山区に豪邸を持ってるんだぞ」
って都市伝説もあった。大金持ちが趣味で焼き芋を売ってるって設定なんだけど、
実際のところがどうだかは知らない。
ただ、一度テレビを見ていたら名古屋駅前で屋台を引いている姿が映って、
「地元の有名人」ってことでインタビューに答えていらしたんだけど、
自分ちから名古屋駅までかなり距離があるので、
「あんなところまで屋台を流しているのか」
とびっくりしたことがある。
だから、あの当時の名古屋の人はみんなあのおじさんを知ってるんじゃないかな。

焼き芋やみたらし団子も買って食べたけど、当時の少ないお小遣いからだと、
「水飴」が多かったはずだ。
はじめて買った時の苦い記憶が残っている。
近所のお姉さんに「屋台買い」のレクチャーをされたのだけど、見事に失敗した。
おじさんが水飴の瓶の中に割りばしを突っ込んですくい上げる、
シロップをかけて手渡す。
「早く練って!」
とお姉さんがなんか焦ってるんだけど、僕にはよくわからない。
そのうち水飴がだらりと垂れてアスファルトに落下する。
なけなしのお小遣いが露と消える。
おじさんもお替りはくれないわけで、僕は身銭を切って水飴の食べ方を覚えたわけだ。
あの当時から市場に出回り始めた「チュッパチャップス」と違って、
屋台のお菓子はとてもスリリングなのだ。

今回の作中の屋台は、あの頃のおじさんの屋台を思い出しながら描いています。
舞台は東京だけど屋台は名古屋仕様。
ただひたすら描いていて懐かしかったのひと言です。

だから、本来なら焼き芋がメインの話なんだけど、
「大学イモ」も自分は大好きなので、そっちをメインに持ってきました。
実家の母がときどき作ってくれた。今回紹介させてもらったレシピとは違うので、
カリカリっとはいかなかったけど、甘いおやつは子供にはご馳走なのだ。

野菜が高騰しまくった2016年にあって、サツマイモは割とお買い得だったので、
正月のおせちに飽きたら、試してみてくださいませ。

糸魚川の大火事の話が合って、ずっとニュースをチェックしている。
えちごトキめき鉄道の取材で糸魚川に一泊しているので、
あのお寿司屋のお兄さんは大丈夫だったろうかと気になっている。
古い町並みも燃えてしまったみたいな話もあり、
雪除けの長いひさしが続く商店街の風景がどうなったか、心配。
新幹線が通って、これから町も賑わって行くはずだと、
スナックのお姉さまも言ってらした。
ヒスイをイメージしたカクテルもおいしかったです。謙信か何かがベースだったかな。

P1090278

P1090578

当日雨だったので写真がほとんど残っていない。もっといろいろ撮りたかった。
落ち着いたらまた一度行ってみたい場所なので、一日も早い復旧をお祈りしております。
頑張ってって、気安く言っちゃいけない気もするけど、応援させていただきます。


2016年12月15日 (木)

忠臣蔵

このお話が歴史的事実を基にしているってんだから、人間はおそろしい。

今から300年以上も昔の話になるのかな。
旧赤穂藩の浪人47名が徒党を組んで吉良屋敷に侵入、屋敷のあるじを殺害した。
元禄15年12月15日、西暦でいうところの1702年である。
今歴史年表で調べた。

歴史的にどこまでが真実かは難しいところで、
有名な「松の廊下」の場面にしても、実際は違う場所だったという説もある。
確実なのは、300年前に47人の浪人が主人の敵の吉良上野介を殺害、
当時の日本人がこれを大いに賞賛し、
「あっぱれ忠臣、日本の武士道ここに極まれり!」
と大いに熱狂したという事実である。

「敵討ち」
というのは物語の題材としてまさに王道といってもいい。
ひじょーーーーにわかりやすい。
読者を引き込むための「主人公の目的」がメチャクチャはっきりしている。

「ご主人様が殺されたので復讐せずにはいられません」

そりゃそうだろうなと人々は共感するし、目的を達成すれば高揚感も味わえる。
四十七士の討ち入りの場面は物語の最大の見せ場であり、ドラマでやれば視聴率も稼げる。
まさに劇中屈指の名場面である

物語としての忠臣蔵は、このような理由で三百年間も生きながらえてきたのだろう。
実際よく出来てるし、僕はこのお話が結構好きだったりする。
でも、物語として面白ければ面白いほど、大きな疑問が出てくる。

「これって、老人を集団で襲ってリンチするってお話だよね?」

歴史的に残された史料を見ても、吉良が悪人だったという証拠は何もない。
天皇の勅使を迎えたイベントで逆上した浅野内匠頭に切りつけられた、
ただ、それだけである。
何故そんなトラブルになったのか、理由は一切不明。

「イベント責任者の吉良がスタッフの浅野をイジメたのだ」

というのは後世の作り話で、事実だけを見れば吉良老人はむしろ被害者である。
このことは赤穂浪士側から見ても同じだったはずで、

「うちの殿様が逆上して江戸城内で傷害事件を起こした」

としか認識していなかったはずだ。
だって犯行理由に心当たりがあれば後世に残してるはずだもん。
どう考えても悪いのは浅野のほうで、赤穂側がブチ切れる理由はない。
(内匠頭の当日切腹の処置には切れただろうけど)

この「犯罪者側の人間」がなぜか後世「あっぱれ忠臣の鑑」となった。
「忠臣蔵」が恐ろしいのは江戸時代にそういう摩訶不思議な現象が起きたところにある。
この事件には天才的な演出家がいる。
それはたぶん、大石内蔵助という赤穂藩の家老なのだろう。
後世の人間がでっち上げた虚像でもなんでもない、リアルにこいつはスゴイ奴だった。

作家、池宮彰一郎の「四十七人の刺客」が忠臣蔵を題材にしながらも画期的だったのは、
それが物語として語られてきた忠臣蔵を一切否定し、
歴史的な事実だけをつなぎ合わせて、メチャクチャ説得力のある小説にしたところだ。

前々回のブログでも「四十七人の刺客」について触れたので、
今回久しぶりに読み返してみたけど、やぱり面白かった。
たぶん吉村昭だいすきっ子の自分には、実証的な創作姿勢が肌に合っているのだろう。
自分を「悪人」と呼ぶ大石内蔵助には「あっぱれ忠臣」のイメージはほとんどないけど、

「これが本当の内蔵助なんだろうな」

としっかり感じさせるだけのものがある。忠臣以上に武士であることを貫いた男なのだ。

忠臣蔵もののファーストチョイスとしては絶対におすすめ出来ないけれど、
ある程度「赤穂浪士の物語」に馴染んだ読者にとっては、これくらい面白いものもない。
それまでの常識が次々と破壊されるさまは、快感ですらある。
おススメ。

ぶんか社さまの「昭和人情食堂」の最新版は今月末発売予定です。
編集長さまに「何かシリーズとしてのタイトルを決めてください」と言われまして、
いろいろ候補を上げて選んでもらったところ、

「東京下町恋どんぶり」

が正式なタイトルになりました。
当初からそのつもりで一話目につけたタイトルなので、まずはおめでたい。
発売されるコンビニ本の今回のテーマは「鍋料理」です。
どんな鍋料理を諸先生方が紹介してくださるのか、今からとても楽しみです。
僕はひねくれものなのでまたテーマからはずれますけど、お正月らしい漫画になってます。
だって鍋料理で最初に思いついたのが「味噌煮込みうどん」なんだもの。

発売時期が近づきましたら、またここで紹介させていただきます。

2016年12月 7日 (水)

八つ墓村2


自分はどうも、笑いのツボが人とは微妙に違っているらしく、
一緒に映画を観たりすると、おかしなところで笑い出したりするので、
よく迷惑がられたりする。

そんな自分の読書感想文。

結局、横溝正史の「八つ墓村」を定価で本屋さんで買ってきたのだ。
作者様への墓前の線香代くらいにはなるのかな。
とても楽しませていただいたので、なにか作者様にお礼を言いたい気分だ。

映画の渥美清版を観て、原作を読んでみたくなったことは前回のブログで書いた。
僕は推理小説というのはほとんど読まない。
学生時代にシャーロックホームズは全部読んだと思うけど、
あれも推理ものとしては読んでいなかったと思う。
ホームズとワトソンの探偵コンビが好きだったのだ。

たぶん、頭をフル回転させて読む系の小説が苦手なのだろう。
ページの向こうで作者様が「君にこの謎がわかるかね?」と挑発してくる作品を読むと、
「もったいぶってないでとっとと教えろよ」
と、どうしても思ってしまう。気が短いのだ。高血圧だし。

読者様に「先がもっと読みたい」と考えていただくために、創作者はいろいろ苦心する。
推理小説は「謎」をことさらに強調して、読者様を惹きつける。
だから、下手な推理小説だと犯人が分かった時に「なんじゃそりゃ!」と激怒する。
謎への期待が大きかった分だけ、謎が陳腐だと安手の詐欺師に騙された気分になるのだ。

その点「八つ墓村」のトリックは、77年版映画ではほとんど省かれているけれど、
自分は「なるほど」と思ったし、ラスト後に作者様と語り合いたくなるくらい、
心地よい終わり方だった。

でも自分は推理小説としては読んでいなくて、むしろ主人公の「冒険物語」として、
楽しんだような気もする。僕は今回横溝正史作品を初めて読んだので、
読む前はもっとドロドロした怪異物語だと勝手に思い込んでいたから、、
その文体の明るさとはっちゃけ具合にかなり驚かされた。
「推理作家とその読者に悪い人はいない」みたいな一文で「おいおい」と思った。
なんかずいぶんお茶目な作家さんだ。

映画で美しく映像化された鍾乳洞の描写も、
原作では「そんな奇麗なもんじゃないよ」とはっきり断言されていて、
作者様の飄々としたパーソナリティに突っ込みが追い付かない。
そのくせ鍾乳洞の神秘的な舞台設定は縦横に駆使されているのだ。
「いやいや、作者様は鍾乳洞の美しさをちゃんとわかってますよね?」
と声をかけても、その作者様はのほほんと洞窟の先に進んでしまう。
冒険大好きのやんちゃな少年みたいだ。
「陰惨な殺人事件を描くミステリアスな推理作家」のイメージはない。

第五章まで読み進めて、第六章のタイトルが「春代の激情」だったときは、
「おっさん!」
と思わず声に出して笑ってしまった。何がツボったのか、ほとんど理解不能。
女性を描写するときの容赦ないブラックさは個人的にかなり好きだったりする。

こういう明るいパーソナリティは映像作品ではバッサリ切り落とされる。
殺人事件の猟奇性とオドロオドロしい不気味さが強調されて、別の作品になる。
僕は原作を読んで、これは背筋も凍る犯罪ファイルではなくて、
スディーブンソンの「宝島」だと思った。
で、その冒険活劇具合がものすごく気に入ってしまったのだ。

そして、その作品から猟奇性とミステリーの空気をピックアップしたのが、
七十年代の映像作家たちなのだろうなと考えた。
薄暗い闇のなかで光る犯罪者の倒錯した視線、恐怖と戦慄、それらは映像として、
刺激的に再構成されたものだ。
逆に、その後のミステリー小説のほうが、映像のイメージを取り込んでいる気もする。
犯罪者はより倒錯的に、怪しさを増幅されていく。
ほとんど人知を超越した異界の存在へと変貌していく。

その怪異的イメージは強烈で、犯罪という非日常が醸し出す妖しい空気は、
本屋のミステリーコーナーでうず高くとぐろを巻いていたりする。
読者はその「禁断」の空気に惹きつけられ、ミステリー小説を手にするのかもしれない。
僕は読まないからよくわからないけど、たぶんそうなのだろう。

そういうミステリーのイメージを作った業界関係者の手腕というのはすごいなと、
映画と原作の「八つ墓村」を比較して、僕は思ったのでした。
どちらも優れた作品なのだけど、面白さのベクトルはまったく違っている。
普段ミステリー小説を読まない自分には原作作者様のミステリアスでないところが、
ものすごく面白かったのでした。

昭和のミステリー小説が明るく明快だと感じてしまうのは、
平成という時代が暗くて必要以上に複雑だからなのかもしれないけど。

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