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2017年1月 8日 (日)

日本語と日本歌謡史

割とどうでもいい独り言です。

 1

歌は世につれ、世は歌につれと申します。
誰が言ったのかは知らない。昔のテレビの司会者さんかな。

時代とともに歌は変わっていくし、時代もまた、流行歌とともに変わっていく。
「青い山脈」や「りんごの歌」を耳にすれば、敗戦後の焼け野原が浮かんでくるし、
最近なら「ラブマシーン」を聴けば、
「なにそれ超懐かしい!めちゃウケるんですけど」
な気分になる。

日本の歴史をひも解いていて、日本の流行歌の元祖は何かをたどってみると、
まあ、明治24年の「オッペケペー節」にたどり着く。

大阪の落語家さんがこしらえたのを川上音二郎が流行らせた。
赤い陣羽織を着て、頭にはハチマキ、日の丸の扇子をかざして踊り狂ったそうな。
「オッペケペー」という言葉には何の意味もない。
ただ、歌詞のほうはかなり辛辣で、詳しくはウィキペディアでも検索してもらいたいけど、
当時の世相や政治権力を滅多切りである。

♪米価騰貴の今日に 細民困窮みかへらず 目深に被ぶった高山帽 金の指輪に金時計
♪権門貴顕にひざを曲げ 芸者太鼓に金をまき うちには米を倉に積み
♪同胞兄弟見殺しか 
♪いくら慈悲なき欲心も あまり非道な薄情な
♪ただし冥土のお土産か 地獄で閻魔に面会し ワイロ遣うて極楽へ
♪行けるかへ 行けないよ
♪オッペケペ オペケペッポーペッポーペッポーポー

今流行中のピコ太郎のPPAPの、もっと過激な奴なんだろうけど、
ノリとしてはほとんど同じ。日本人は基本的にほとんど変化していない。

川上音二郎は自由民権運動に目を光らせる当局に何回もしょっ引かれ、
投獄されること十数回。ついには西欧にも一座を従えて出向いていき、
イギリスのグラモフォンで日本人初のレコードまで吹き込んでいる。
間違いなく日本の流行歌第一号なのであります。

歌は世につれと申しますが、明治時代には「歌」と呼べるものは存在しなかった。
小唄とか都都逸とか、民謡みたいなのはあったんだけど、西洋基準でいえば、
歌に関しては恐ろしく不毛地帯だった。あの永井荷風先生が五年間の洋行から帰るとき、
「俺にはこんな時に歌う母国語の歌もねえ」
と帰国を渋ったくらい、何もなかった。

正確に言えば、日本は歌に関してはめちゃくちゃ豊かな国なのである。
万葉集や古今和歌集の歌をメロディに乗せて歌えたら、さぞや気持ちよかろうと思う。
でも、あれらは五七五の定型で、あれをサロンや酒場で歌ったら、
会場がカルタ大会になってしまうってくらい、同じ節回しの連続攻撃である。
日本には西洋楽理のようなものがついに発明されなかった。なんでか。
日本的情感を表現するのにドレミファソラシドは適していないからじゃないかな。
実際、演歌なんかは「ペンタトニックスケール」で五音階にしてるくらいだし、
それが日本人の欠点だと言われればそれまでだけど、
日本人が自分たちの心からの叫びを歌にしたら、五音階の音世界がベストらしいのである。

でも明治時代の文部省は「これじゃいけない」と考えた。
日本人にも日本人が歌える歌を作らなくちゃいけない。だってかっこ悪いじゃん。
外国の人に「日本人の歌を教えてください」と言われて、「オッペケペー節」を披露するわけにもいかない。
だからまあ、いろいろ頑張った。滝廉太郎も「荒城の月」みたいな曲を公募で出してきた。

♪春高楼の花の宴 めぐる杯影さして 千代の松ヶ枝分け出でし 昔の光今いずこ

もう、これが日本の歌ですでいいんじゃないかってくらい、大好きな曲なんだけど、
「君んとこの国歌とそっくりだよね」
と言われたら、うんそうだねとしか返答のしようがない。
日本語の語感を損なわないように、
音色と日本的詩の世界を融合させようとすると、どうしてもそうなってしまう。

ある意味、千年以上続く和歌の世界で磨き抜かれた日本語の世界は、深いのである。
幽玄であり、諸行無常であり、人生の喜びにも手放しの感情は表明しない。
奥ゆかしいのである。
「歓喜の歌」
などはとてもはしたなくて歌えないお国柄なのである。

ところが西欧はどうだ、ラ・マルセイエーズですよ。
敵兵の血で自国の畑が満ちるまで戦ってやるぞ、ですよ。
日本人の感性からすれば、こんな汚らわしい歌はありゃしない。

でも、相手に自分たちの決然とした意志を伝えるって点では、
卓越した機能を持った言語だったりする。
音を相手にぶつけることが主眼だったりするから、口元がはしたないくらいよく動く。
それがどうだい、日本語だとどんなに感情的になっても表情は崩れない。
歯をむき出しにして相手をやり込めるような言語は淘汰されている。
そこが日本語の優れた点でもあり、欠点なのかもしれない。

歯をむき出しにして相手をやり込める言語というと、
「ざじずぜぞ」
あたりがそれに適した音を持っている。
「ざけんなよ」
「冗談じゃねぇ」」
「ずうずうしいんだよ」
「絶対許さねぇ」
「ぞっとするわ」
などは使うと恥ずかしい言葉と認定されている。誰に?僕に。
ざ行の音は耳障りで聞き苦しい。特に
「絶対」
という言葉は奥ゆかしくない女の子のお気に入りの言葉で、
かの涼宮ハルヒさんも多用することをキョン君が嘆いている。
ざ行の音は発音時に歯がむき出しになる瞬間があるので、
日本語を整理する時の流れの中で、淘汰されたように思える。
日本的な美感からすると、はしたない音なのである。

ところが外国語だと歯をむき出しにすることにそれほど抵抗はないし、
むしろ歯を見せたがる傾向もあるので、
「ザッツライト!」
「ジーザス!」
などと大胆な使い方をする。
日本だとせいぜい否定語に「行かず」「ならず」「ならぬぞ」
と使うくらいだったけど、すべて「ない」という便利語に置き換わってしまった。

逆に考えれば、「ざじずぜぞ」を多用すれば、強い日本語は作れるかもしれない。

「残酷な罪悪感に自己嫌悪し、ずっと続く地獄の絶体憎悪にゾクゾクと自壊しようぜ」

……なんのパンクバンドだか。
これが英語なら、
「When the night has come,and the land is dark~」
と、ざ行使いまくりである。
歯を見せまくり。
「the」とか「has」とか「is」とか基本の部分でもう使ってる。
だいたい「スタンドバイミー」という曲からして、歯を見せて笑顔で歌ってる歌なのだ。
こういう笑顔の曲を日本語で作れるのか、というのが大問題だったりする。

その点からすると、「ずいずいずっころばし」はすごい歌詞なんだな。
女の子が歌ってる表情を想像すると、
「俵のねずみが米食ってちゅー、ちゅーちゅーちゅー」
と、ねずみ以降女の子の歯が出しまくりになる。かわいい。

 2

「ざ行」の話は一例だけど、日本語は外国語とはかなり違っている。
感情を相手に露骨にぶつけないことが美徳なのだから、言葉もそれ相応の進化をしている。
それをいきなり「外国の歌みたいなのが日本にも欲しいよね」
と言われたって、一朝一夕には出来るわけもない。

明治時代にはしばらく「~節」ブームが続いて、
明治34年の「ストライキ節」
明治43年の「ハイカラノーエ節」
そして明治44年の「デカンショ節」
と続く。
年代は全国的なブームになった年、だと思う。歴史年表を参考にしてるから詳細は不明。

デカンショ節は「デカルト・カント・ショーペンハウアー」と僕は覚えていたけれど、
これもそういう説があるというだけで、実際のところは不明らしい。もとは学生歌である。
「どっこいしょ」が訛ったという説もあるけど、学生のすることに理屈はないからなぁ。
僕らが学生の頃も名古屋の「マウンテン」という大盛スパゲティが有名な例の店を、
「デウンテン」
なんて呼んでたし、どっこいしょ!がでっかんしょ!になっても全然不思議じゃない。
それにしても、明治人にとって「オッペケペー節」はものすごいインパクトだったんだな。

日本でヒット曲と呼べるものが生まれてくるのは、大正時代になってかららしい
これには蓄音機の普及が大きいともいえる。都会のカフェに行けば音楽が流れている。
僕のイメージだとそうなる。
ショパンやらモーツアルトやら、ピアノやバイオリンの曲が蓄音機から流れていたことだろう。
そんな中で流れる日本語の曲だから、「オッペケペー節」ではどうにも都合が悪い。
大正を代表する日本の歌として僕が好きで好きでたまらないのが「宵待ち草」である。

♪待てど暮らせど来ぬ人を 宵待ち草のやるせなさ 今宵は月も出ぬそうな

作詞は竹久夢二で、彼の小唄集にあったのを日本のバイオリニストが曲をつけて流行歌にした。
ちなみにこの小唄集の出版が実業之日本社さんで、今年いただいた年賀状を見ると、
「創業130年の老舗ベンチャー企業!」
と大々的に銘打っている。日本の歌謡史にも足跡を残す立派な出版社である。
そりゃエロ漫画雑誌を社長の鶴の一声で発売停止にするよね。
創刊寸前の発売停止は当時かなり話題になったけど、あの判断はある意味正しかったのかもしれない。年賀状をありがとうございます。

大正期には「まっくろけのけ節」みたいな曲も流行っているけど、
「カチューシャの唄」とか「恋はやさし野辺の花よ」みたいな曲も生まれている。
ドイツのリート、シューベルトの歌曲あたりの流れかもしれない。

歌曲の王様といえばウイーンのシューベルトである。
「野ばら」「魔王」「セレナーデ」「影法師」「鱒」と、日本人にも馴染みの深い曲が多い。
なんでか。僕らのお爺ちゃんの世代が歌っていた歌だからだ。
日本語の歌がないならドイツ語の歌を歌えばいいじゃない!ってことで、
学生さんたちがこの辺の歌をよく歌っていたのだ。
おかげさまで僕たちの世代の音楽の教科書にまでしっかり掲載されていた。
大正時代の小説作品、梶井基次郎の短編の中にもシューベルトを歌う学生さんが出てくる。

♪ドッペルゲンガー

その青年は海辺の月の光に導かれて天に昇っていったのだ。
まさに大正ロマン。

大正期には他にも「ゴンドラの唄」なんてのもあるけど、個人的に好きなのは、
「煙草のめのめ」
だったりする。喫煙者に人権のない今の世の中じゃリバイバルすることはまずあり得ない。

♪煙草のめのめ 空まで煙せ どうせこの世は癪の種 
 煙よ煙 ただ煙 一切合切みな煙

作曲者の中山晋平さんは「雨雨ふれふれ母さんがー」のあの歌で有名な人だけど、
それ以前にすでに70年代フォーク調の曲を作っていたのでした。
ちなみに作詞は北原白秋。
大正時代の歌は童謡だけでは語りつくせない。

これ以降、昭和初期に古賀政男が現れて日本歌謡の黄金時代が始まるのだけど、
それって昔このブログで書いたような気もするので、この辺で終わりにします。

古賀政男さんが出した結論が、「日本語と西欧音楽の融合は演歌にとどめを刺す」
ってことなんだけど、その演歌が下火になることで、音楽業界そのものが下火になった、
なんてのは考えすぎでしょうか。
七十年代以降の日本の歌謡曲は「日本語を英語風に発音してスピードアップする」
って方向に流れていったように思うけど、
そのためには日本語の情感は切り捨てる、って方向でもあったわけで、
日本語の歌詞はどんどん画一化されてラブソングばかりになったようにも思えます。
それが悪いことだとまでは言い切れないんだけど、
毎年の暮れに紅白歌合戦を見ていると、なにやら寂しい気分にもなるわけです。

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