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2017年2月

2017年2月28日 (火)

昭和人情食堂№6発売です

アベックラーメン!
P1100856

ということで、本日あたりから全国のコンビニにて、
ぶんか社さまの「昭和人情食堂№6」が売られているはずです。
僕も執筆させていただいております。
どうかお手にとってご一読をお願いします。

「ファミリーマート」は売ってるみたいです。
弟はそこで買ってるそうです。

セブンは置いてないそうなんだけど、うちの近所はセブンしかないので、
けっこう頻繁に利用しております。
昨夜も煙草を買いにぶらりと立ち寄ってきました。

この店は毎度「ペヤング」の新作が発売されるたび、
正面の一番目立つ棚を新商品一色にして度肝を抜くのだけど、
今回は「納豆やきそば」でした。
……
「パクチーやきそば」は買って食べてみたんだけど、
納豆はどうすっかなぁ。結構微妙な食材だったりします。

先日、名古屋の弟が東京まで遊びに来てまして、
納豆カレーのおいしさについて熱く語っていました。
でも僕はやったことがない。
カレー、納豆、それぞれは大好物なのだけど、これの合わせ技となると、
大好物なだけに失敗したときのガッカリ感が半端なさそうで、
どうしても躊躇してしまう。

納豆やきそばか、今度買って食べてみようかな。
案外、おいしいのかもしれない。

ペヤングが次々と「面白やきそば」シリーズを打ち出すのは、
たぶんペプシが「あずきコーラ」とか「きゅうり味コーラ」を出すのと同じ流れだと思う。
まず消費者の目を驚かす。メディアに取り上げられて話題になる。
とりあえず食べてみようかという層が一定以上存在している。
買う、食べる、ラインで広める、
「結構おいしいよね」
と口コミでどんどん広がっていく。

昔のお母ちゃんなら「食べ物をおもちゃにしちゃいけません!」と怒り出しそうだけど、
食べ物には間違いなく「おもちゃ」としての要素もあるので、
僕も笑いながら買い求めてしまうことがある。
まあ、さすがにチョコレート味のやきそばなんかは、
野生の本能が「食べるな」とストップをかけたんですけどね。
友人は「ありゃひどい」とコメントしておりました。

あ、地震だ。けっこう揺れてる。

とにかく消費者に「なんなんだこれは!」と岡本太郎ばりに衝撃を与えなくてはいけない。
こういう精神は漫画でも多く求められるものだったりします。
むかし、「国民クイズ」という漫画をバイト先で読んでいて、
「原子力空母八代亜紀」で腹を抱えて大笑いしていたら、
同年代の正社員様に、
「かわすみさんはそういうのが面白いんだ」
と珍獣を見るような眼を向けられたのだけど、
組み合わせのミスマッチというか、奇跡のマリアージュと申しますか、
「ねえよ」
みたいな否定的おかしさは結構大切。

ただ、それが21世紀日本文化の主流になってしまうのは、ちょっと怖かったりします。

「おニャン子クラブ」が山口百恵に代表される正統派アイドルのパロディとして、
あくまでギャグとして日本歌謡界を茶化していたのが、
いつの間にかそちらがメインストリームになっていて、
正統派の方がいつの間にかいなくなっていた、みたいなのが僕には怖い。

だから、時代がいくらミスマッチな面白さを追い求めていても、
頑固一徹に「焼きそばはソース焼きそば以外には認めねぇ!」
みたいな昭和おやじが、みんな大好きなのだと思います。
そういう人間が今みたいな時代には絶対に必要なのです。

「ひろし兄さん、納豆カレーって美味しいんだよ」
「正統派のカレーしか認めねえ!」

それが精神の狭量さからくる頑固さであったとしても、
時代にスタンダードな正当性を主張する頑迷さは、
実はめちゃくちゃカッコいいんだと、このごろは考えるのです。

単に年をとっただけかもしれませんが。

2017年2月16日 (木)

哀愁の膝カックン

部屋の掃除をしていたら、古いバインダーが出てきた。
20代の頃気になったことをいろいろ書き記したもので
その中に、以前このブログで紹介した

小栗虫太郎著「黒死館殺人事件」

に関するものもあった。
この本に関する思い出をもう一度書き記してみると、

……二十代のかわすみ青年はバイトの休みにコインランドリーで洗濯をしていた。
そこにぶらりと現れた「〇×ツクル」と名乗る老人が、読書中のかわすみに声をかけ、
「本がお好きなら、推理作家の小栗虫太郎はご存知ですか」
と、聞いたこともない作家の話を滔滔と語り始めた。
代表作は日本の三大奇書の一つと賞される「黒死館殺人事件」だという。

それで興味を持った自分は小岩の図書館で借りてきたのだけど、第一章で頓挫した。
言葉遣いがやたらめっぽう難解だったのだ。
あんまり難解だったんで、20代の自分はわからない言葉を抜き書きしていた。

今回見つかったのはその抜き書きしたルーズリーフである。
面白い部分をここに書いてみると、

「儂は虚妄の狼煙には驚かんて」

というセリフがある。「虚妄」と書いて「うそ」と読ませる。
お爺さんがあやしい笑いを浮かべながら、
「ワシは嘘のノロシには驚かんて、ひっひっひっ」
と勝ち誇っている顔を想像すると、意味は分からんがすごい昭和だなって感じがする。

「破邪顕正の眼」

これは今ならわかるのだけど、20代の自分にはチンプンカンプンだった。
正義の味方が一瞥を食らわせただけで、相手の悪行は白日の下にさらされるのだ。
昭和のヒーローにはみんなこの能力があって、時に目からビームとなって発射される。

他にも、「余剰推理」「湖面梵相」「盤根錯綜」なんて言葉が抜き書きされている。
こんなのの連続攻撃を食らったら、さすがに読むのを躊躇してしまう。
ただでさえ漢字は苦手なのに。

で、以前にブログで書いた「膝膕窩」も抜き書きされていた。
「ひかがみ」である。膝の裏のくぼみのことで、
この言葉の雅な響きに魅せられた自分は、普通にこの言葉を日常で使うようになった。

「あのお姉ちゃんのヒカガミ、めっちゃエロいよね」

みたいな使い方をする。腋の下と同じで、皮膚の薄い敏感な部分はフェチの扇情心を煽る。
煽るんじゃないかな。なんか特殊すぎるような気がしてきた。
でも、こんな雅な言葉を死語の世界に追いやってしまうのはもったいないと思い、
おじさんは日常的に使っているのです。

で、この言葉が「黒死館殺人事件」に出てきたのは探偵の推理か何かで、
いわゆる「膝カックン」についての説明で使われていたのだと思う。
もちろん、昭和初期に「膝カックン」なんて言葉は存在しないので、
その説明は優美にして高尚、典雅な趣を漂わせることとなる。
たかが「膝カックン」のくせに。

「そこで何者かが被害者の膝膕窩を後ろから膝で打ち、〇×反応で転倒させたのである」

みたいな文章だったと思う。この、〇×反応のところが自分の記憶になかったので、
ネットで調べてみたのだけど、結局わからず、
「エントレランス反応とか、そんな感じじゃなかったかな」
といい加減な言葉をこのブログに載せたのだけど、それも抜き書きされていた。

「イエンドラシック反応」である。
微妙に間違っていた。
その解説として本文を抜き書きした解説文によると、

「膝膕窩に加えられた衝撃が上腕筋に伝導して反射運動を起こし、無意識裡に両腕を水平に上げる」

となっている。「膝カックン」を食らって思わず万歳してしまった状態なのだろう。
もし「イエンドラシック反応」という言葉が日本語に定着していたならば、
きっと「膝カックン」はもう少しカッコいいイメージになっていたんだろうな。

中学の時、クラスの小嶋くんという背の高い男子生徒が、
やたら僕の「イエンドラシック反応」を引き出して楽しんでいた。
中学の三年間、友達と話し込んでるときとか、朝の朝礼、
修学旅行のときにもやられたような気がする。

「しししし、驚いてやんの」
と、ものすごくご満悦の表情だった。

彼はそこそこのイケメンで、クラスでも人望はあった方だと思う。
割と真面目で成績もそこそこよかったはずだ。
とても「膝カックン」なんて悪戯をしそうにないタイプなのだけど、
もうあれだな、かわすみを見ると「膝カックンせざるを得ない病気」だったのだろう。
別に仲が悪かったわけでもないので、親愛の表現だったと僕は思っている。

で、その彼と二十歳の成人式で再会しているのだけど、
その時も僕に「膝カックン」を食らわして、
「しししし、やっぱり驚いてやんの」
って感じだった。
振り返ると背広姿の小嶋君が無邪気に笑っていた。

その成人式がもう三十年近く前のことだってのは、なかなかに恐ろしいことだ。
つい昨日のことみたいなのに。
あのときみんなで行ったファミレス「デニーズ」で、
「看護婦さんを孕ませちまった」
とぼやいていたK君も、今じゃ三十歳の子持ちなんだろうな。

「膝カックン」の話をすると、歳月の過ぎ去る速さに愕然とする、みたいな話でした。

Photo

2017年2月 4日 (土)

「恵方マキ」って名前のキャラはきっといるんだろうな。

二月だ。節分終わった。
今年もスーパー・コンビニで大量に売れ残る恵方巻をしみじみ眺める作業終わった。

東京に住んでいる自分にとって、恵方巻は本当に不思議な食べ物で、
何かの圧力で強引に売られている感じが、ものすごい。
こんなことは僕がブログで不平を述べるまでもなく、あちこちで語られていることだけど、
「節分のイベントとして定着させたい」
って食品業界の欲求がものすごーーーく見え透いている。
だから、今は大量に破棄される恵方巻が続出しても、やめないんだろうな。
もったいない。

でも、十年くらいあとには「節分といえば恵方巻だよね」って定着しているかもしれない。
最初はうさん臭く思っていた「ハロウィン」なんてイベントも、
若者の間では普通に定着しているらしい。
業界が努力し、あらゆる犠牲を払って日本人の意識に
「節分とは恵方巻を食べるものだ」
って刷り込みができれば、この時期にだぶつくお米なんかの大量の食材を有効利用できる。
それはまあ、悪いことではない。

戦後の日本の「スパゲティーブーム」なんかも、その企業努力の成果なんだそうな。
大量に余った小麦をどうすっぺかと悩んだ食品業界が、
「日本人にスパゲティーをたべてもらおう」
と考えて、仕掛けたんだと何かの本で読んだ記憶がある。
こういうもんは、まず子供の嗜好を篭絡するところから始まっていくのだ。
大好きだったな、ミートソースのスパゲティー。
大人になってもその思い出は残っているので、パスタは週一で食べたくなる。

流行を仕掛け、消費者の消費心理を刺激するってのは現代社会最大の英雄物語である。
資本主義社会では経済の歯車をより多く回転させた者が勝利者なのだ。
ハムスターの飼育かごの中に回転遊具を入れると、ハムスターは喜んでその中で遊ぶ。
そういったカラクリを発明することが、業界人の使命といっても過言ではない!
僕はまあ、めんどくさいので隅っこで丸くなってるハムスターなのだけど、
何かのはずみで資本主義社会を刺激して「打ち出の小槌」が作れないもんかなとは、
よく夢想をする。うん、ダメな人間の典型だね。

僕は漫画の業界しかよく知らないのだけど、
その第一線の人たち、編集者なんかは「打ち出の小槌作るぞ!」な人たちが多い。
業界に貢献し、業界に恩恵をもたらすのがこの英雄譚に求められるプロットなのです。
漫画家は読者の求めるものを漫画にし、売れなくてはお話にならない。
その点からいえば僕なんかは落第生なわけで、
「本当の本物の漫画」なんてことを呟きながら果てしなく独り相撲をしている。
なんちゅーか、困ったもんだよねとカラカラ笑うしかない。

坂口尚さんという漫画家さんが一時の僕の憧れで、
そのことを編集さんに話したら、
「あの人ももっと売れるものを描けばいいのにね」
と一言の元に切り捨てられたことがあって、
「わかってねーな」
とぼやいたりしたんだけど、これはなかなか難しい問題だったりする。
坂口尚先生が漫画の技術面で残した業績は絶大で、
そのフォロワーはものすごく多い。
僕も自分の絵がわかんなくて悩んだ時期は先生の作品を必死に読んだし、
たぶんその流れの上で絵を描いているんだと思う。
でも決してメジャーな漫画家さんではなかった。

メジャーじゃないけどあの先生がいなかったら漫画の技術はずいぶん変わっていたと思う。
スクリーントーンと白黒の線が作り出す世界を突き詰めたって点では、
すごい人なんだよね。
抒情的な漫画表現をいっぱい発明してくださった。
「あっかんべぇ一休」のあたりだと、「悟りの境地」まで漫画で表現している。
僕が話題にしているのはあくまで「二次元表現」の話なのだけど、
絵で表現できる世界は何気に果てしがないのである。

そうやって広げられた漫画表現の可能性の上で、たくさんのヒット作が生まれたわけで、
ある日、奇跡的に誕生した天才漫画家がミリオンセラーを当てた、という神話はない。
どこかで「本当の本物の漫画」を地道に目指している人たちがいて、
その膨大な土壌の上に、フレッシュな若者の大ヒット作が生まれるんだと思う。

でも編集さんも現状ではそんなのん気なことも言ってられないので、
編集部で電話の前に張り付いて「期待の大型新人」が電話してくるのを待っていたりする。
電話を取った人が優先的にその作家の担当になるわけなので、
若い編集者さんは人生をかけて電話に張り付いているんだと、古老編集者が話してた。

「目先のことしか見ていない」と言ってしまうのは簡単なんだけど、
業界は資本主義の過酷な流れの中で日々戦っているので、
「漫画界の土壌がどうのこうの」ってのは、のんきなおっさんの戯言でしかない。
だいたい、その掲載誌がどんどん削られているってのが現実なんだよな。

そういう自分の視点からすると、恵方巻を国家的イベントにしたいという業者の努力は、
笑えないというか、むしろ応援したい気分にもなるんだよね。
それが消費者の中から生まれた掛け値なしの欲求ではないにしても、
資本主義の歯車を回そうと努力をする勇者の戦いは、英雄的なんじゃないかな。

今日は大量に余った恵方巻がプライスダウンで安売りされていることでしょう。
限りある資源を有効に利用するために、何本か買ってこようかしら。
英雄たちの物語は美しい大団円を迎えなくてはならない。
僕だってその努力は尊いものだと考えるもの。

ああ、この皮肉な文体は本当になんとかならんものか。

イワシだ。

東京では節分といえばイワシのようで、この時期のスーパーでは大量のイワシが出回る。
「なんでイワシ?」
と思うのだけど、今ネットで調べてみたら、
「魚辺に弱いと書いて鰯。これを焼いて食べると負の気を払うことが出来るんじゃ」
とのことです。
焼くときの煙と臭いにおいが邪気を払ってくれるのだとか。
東京では家の門口に焼いたイワシの頭をヒイラギの枝に刺して飾ったりします。
「イワシの頭も信心」の語源がこれです。
昔、江戸川区でラーメン屋の出前をしていたころ、家の入口にイワシの頭があって、
「なんだこのハヤニエは!」
と気持ち悪かった思い出がある。
江戸の風流人がこの庶民の風習を見れば、

「イワシの頭も信心だよ」

と呟いてみたくもなるってもんです。
おかしな風習だけど、これも庶民の切ない願いなのだ。
僕はイワシは頭から食べてしまうので、もったいなくてそんなこと出来ないけど。

豆まきも邪気を払うイベントなので、どうも節分の目的は邪気払いにあるらしい。
来るべき春を前に、たまりにたまった悪い気を追い出してしまおうという行事なのだ。
これはなんとなく、感覚的にわかる。
冬は寒いから僕なんかもずっと部屋にこもって悪い気をためまくりだった。
この気分のまま春を迎えるのはなんか嫌だ。
パーーーツと気分をリフレッシュしてもう一度新しいスタートラインから始めなきゃ!
なんて殊勝なことを考えたりもするのです。
そういう節目としての「節分」なんでしょうね。
これは賛成!大いに邪気を追い払うべきである。

原稿もようやく仕上がりそうなので、今日は仕事部屋の大掃除でもしようかな。
安売りの恵方巻も買ってこなくちゃ。

Photo


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