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2017年2月 4日 (土)

「恵方マキ」って名前のキャラはきっといるんだろうな。

二月だ。節分終わった。
今年もスーパー・コンビニで大量に売れ残る恵方巻をしみじみ眺める作業終わった。

東京に住んでいる自分にとって、恵方巻は本当に不思議な食べ物で、
何かの圧力で強引に売られている感じが、ものすごい。
こんなことは僕がブログで不平を述べるまでもなく、あちこちで語られていることだけど、
「節分のイベントとして定着させたい」
って食品業界の欲求がものすごーーーく見え透いている。
だから、今は大量に破棄される恵方巻が続出しても、やめないんだろうな。
もったいない。

でも、十年くらいあとには「節分といえば恵方巻だよね」って定着しているかもしれない。
最初はうさん臭く思っていた「ハロウィン」なんてイベントも、
若者の間では普通に定着しているらしい。
業界が努力し、あらゆる犠牲を払って日本人の意識に
「節分とは恵方巻を食べるものだ」
って刷り込みができれば、この時期にだぶつくお米なんかの大量の食材を有効利用できる。
それはまあ、悪いことではない。

戦後の日本の「スパゲティーブーム」なんかも、その企業努力の成果なんだそうな。
大量に余った小麦をどうすっぺかと悩んだ食品業界が、
「日本人にスパゲティーをたべてもらおう」
と考えて、仕掛けたんだと何かの本で読んだ記憶がある。
こういうもんは、まず子供の嗜好を篭絡するところから始まっていくのだ。
大好きだったな、ミートソースのスパゲティー。
大人になってもその思い出は残っているので、パスタは週一で食べたくなる。

流行を仕掛け、消費者の消費心理を刺激するってのは現代社会最大の英雄物語である。
資本主義社会では経済の歯車をより多く回転させた者が勝利者なのだ。
ハムスターの飼育かごの中に回転遊具を入れると、ハムスターは喜んでその中で遊ぶ。
そういったカラクリを発明することが、業界人の使命といっても過言ではない!
僕はまあ、めんどくさいので隅っこで丸くなってるハムスターなのだけど、
何かのはずみで資本主義社会を刺激して「打ち出の小槌」が作れないもんかなとは、
よく夢想をする。うん、ダメな人間の典型だね。

僕は漫画の業界しかよく知らないのだけど、
その第一線の人たち、編集者なんかは「打ち出の小槌作るぞ!」な人たちが多い。
業界に貢献し、業界に恩恵をもたらすのがこの英雄譚に求められるプロットなのです。
漫画家は読者の求めるものを漫画にし、売れなくてはお話にならない。
その点からいえば僕なんかは落第生なわけで、
「本当の本物の漫画」なんてことを呟きながら果てしなく独り相撲をしている。
なんちゅーか、困ったもんだよねとカラカラ笑うしかない。

坂口尚さんという漫画家さんが一時の僕の憧れで、
そのことを編集さんに話したら、
「あの人ももっと売れるものを描けばいいのにね」
と一言の元に切り捨てられたことがあって、
「わかってねーな」
とぼやいたりしたんだけど、これはなかなか難しい問題だったりする。
坂口尚先生が漫画の技術面で残した業績は絶大で、
そのフォロワーはものすごく多い。
僕も自分の絵がわかんなくて悩んだ時期は先生の作品を必死に読んだし、
たぶんその流れの上で絵を描いているんだと思う。
でも決してメジャーな漫画家さんではなかった。

メジャーじゃないけどあの先生がいなかったら漫画の技術はずいぶん変わっていたと思う。
スクリーントーンと白黒の線が作り出す世界を突き詰めたって点では、
すごい人なんだよね。
抒情的な漫画表現をいっぱい発明してくださった。
「あっかんべぇ一休」のあたりだと、「悟りの境地」まで漫画で表現している。
僕が話題にしているのはあくまで「二次元表現」の話なのだけど、
絵で表現できる世界は何気に果てしがないのである。

そうやって広げられた漫画表現の可能性の上で、たくさんのヒット作が生まれたわけで、
ある日、奇跡的に誕生した天才漫画家がミリオンセラーを当てた、という神話はない。
どこかで「本当の本物の漫画」を地道に目指している人たちがいて、
その膨大な土壌の上に、フレッシュな若者の大ヒット作が生まれるんだと思う。

でも編集さんも現状ではそんなのん気なことも言ってられないので、
編集部で電話の前に張り付いて「期待の大型新人」が電話してくるのを待っていたりする。
電話を取った人が優先的にその作家の担当になるわけなので、
若い編集者さんは人生をかけて電話に張り付いているんだと、古老編集者が話してた。

「目先のことしか見ていない」と言ってしまうのは簡単なんだけど、
業界は資本主義の過酷な流れの中で日々戦っているので、
「漫画界の土壌がどうのこうの」ってのは、のんきなおっさんの戯言でしかない。
だいたい、その掲載誌がどんどん削られているってのが現実なんだよな。

そういう自分の視点からすると、恵方巻を国家的イベントにしたいという業者の努力は、
笑えないというか、むしろ応援したい気分にもなるんだよね。
それが消費者の中から生まれた掛け値なしの欲求ではないにしても、
資本主義の歯車を回そうと努力をする勇者の戦いは、英雄的なんじゃないかな。

今日は大量に余った恵方巻がプライスダウンで安売りされていることでしょう。
限りある資源を有効に利用するために、何本か買ってこようかしら。
英雄たちの物語は美しい大団円を迎えなくてはならない。
僕だってその努力は尊いものだと考えるもの。

ああ、この皮肉な文体は本当になんとかならんものか。

イワシだ。

東京では節分といえばイワシのようで、この時期のスーパーでは大量のイワシが出回る。
「なんでイワシ?」
と思うのだけど、今ネットで調べてみたら、
「魚辺に弱いと書いて鰯。これを焼いて食べると負の気を払うことが出来るんじゃ」
とのことです。
焼くときの煙と臭いにおいが邪気を払ってくれるのだとか。
東京では家の門口に焼いたイワシの頭をヒイラギの枝に刺して飾ったりします。
「イワシの頭も信心」の語源がこれです。
昔、江戸川区でラーメン屋の出前をしていたころ、家の入口にイワシの頭があって、
「なんだこのハヤニエは!」
と気持ち悪かった思い出がある。
江戸の風流人がこの庶民の風習を見れば、

「イワシの頭も信心だよ」

と呟いてみたくもなるってもんです。
おかしな風習だけど、これも庶民の切ない願いなのだ。
僕はイワシは頭から食べてしまうので、もったいなくてそんなこと出来ないけど。

豆まきも邪気を払うイベントなので、どうも節分の目的は邪気払いにあるらしい。
来るべき春を前に、たまりにたまった悪い気を追い出してしまおうという行事なのだ。
これはなんとなく、感覚的にわかる。
冬は寒いから僕なんかもずっと部屋にこもって悪い気をためまくりだった。
この気分のまま春を迎えるのはなんか嫌だ。
パーーーツと気分をリフレッシュしてもう一度新しいスタートラインから始めなきゃ!
なんて殊勝なことを考えたりもするのです。
そういう節目としての「節分」なんでしょうね。
これは賛成!大いに邪気を追い払うべきである。

原稿もようやく仕上がりそうなので、今日は仕事部屋の大掃除でもしようかな。
安売りの恵方巻も買ってこなくちゃ。

Photo


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