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2017年3月

2017年3月29日 (水)

女の人が落ちてる


道に女の人が落ちてると困る。

いっとき小さな印刷所でアルバイトをしていて、オフセットの印刷機を回していた。
納入先は某大手自動車メーカーで、金属部品の図面を大量に印刷した。
冬には卒業文集の印刷なんかもやった。
子供たちの微笑ましい思い出を大量印刷するわけだが、
もちろん読んでいる暇なんかはない。インクの具合をチェックし、
薄くなるようだったらローラーにインクを足さなくてはならない。
バブル期だったので、創業記念日には市内の高級ホテルでパーティーまでやった。
バイト風情が出かけてもいいものかと思ったけれど、
ちゃっかり参加させていただいた。
トヨタがバックだと豪勢なものだ。
ある時は社長さんにポンポンと肩を叩かれ、
「いつもご苦労様」
と、ボーナスまでいただいてしまった。
封筒の中には四万円入っていた。
フリーターという言葉が生まれるちょっと前の話だけど、
バブル期のフリーターは今では考えられないほど、恵まれていた。

バイトの上りは夕方の五時くらいだったか、街灯のない薄暗い道を歩いていたら、
女の人が落ちていた。
アスファルトの交差路にどでーんと、うつむきに転がっている。
長い髪がアスファルトに広がり、顔は確認できない。
会社帰りのサラリーマンやら、通りすがりの土方の親父さんなんかが集まってきて、
「なんだい、酔っぱらって寝ちまったのかい」
なんて談笑を始める。いやいや、ひき逃げとかそっちの心配をしようよ、と思う。
道に転がる女の人の周囲に男性陣が五人ほど、腕を組んで話してる構図はなんか変だ。
そのうち、印刷所の女性社員が集団で歩いてきた。
目が合ったのでコックリと頭を下げる。
女性陣も「お疲れ様」と軽く挨拶をかえし、何事もなかったかのように通り過ぎる。
道に女の人が落ちているのに。

日常というものはなかなかに破られない。少しでも綻びようとすると復元力が働いて、
「なーに、どうということはないさ」
という安定した結末に落ち着こうとする。
道に女の人が落ちているというのは非日常的なアクシデントなのだけど、
人はそこに深い意味を見出したくはない。めんどくさい。
俺の平穏な日常をかき乱すな!となる。
それでも五人の男性陣がその場を立ち去らないのは、野次馬根性ばかりではない。
もし事件性があったら、寝つきが悪くなる、後ろめたい、そういう感情があるからだろう。

とにかく、酔っ払いねーちゃんが道路でうつ伏せになって寝ている、
そういう前提で話はすすむ。
「このねーちゃん、いびきかいてやがるぜ」
「こんな平日にいい気なもんですな」
おじさん達がぼやく。薄暗いので顔は見えないけれど、たぶん半笑いなのだろう。
土方の親父さんが腰をかがめてしげしげと観察する。
「あ、このねーちゃん、寝しょんべんもらしてやがるぞ」

いびき、寝しょんべんの単語で僕の中にピンとくるものがあった。
僕は思い切ってアスファルトに広がる液体の中に指を突っ込んだ。
夕暮れの薄暗い光の中、指先は真っ赤に染まっていた。

「この人、血を流してます」

携帯電話のない時代なので、サラリーマンさんがすぐさま電話のある店に走った。
脳溢血の可能性があるので、下手に動かさないほうがいいって判断で、
残りの男性陣は女性を取り囲んで走ってくる車をわきに寄せさせたりした。

救急車が来たあたりで、これ以上巻き込まれるのもめんどくさいと思って、
男性陣は散り散りにその場を立ち去っていった。
僕もその場を離れたので具体的に何があったのかはわからない。
ひき逃げだったのか、いきなり脳溢血に襲われたのか、何もわからない。
ただ、日常ってのはなかなかにしぶといもんだなと、妙な教訓だけが残った。

こんなこともあった。
ちょっとした買い物があって夜道を歩いていたら、
コンビニの前に女の人が落ちていた。
通勤帰りのOLやら会社員やらがそれを取り囲んでいて、
「非常事態」
って空気がむんむんと醸し出されていた。
覗き込むと、眼鏡をかけた女の子が人事不省になっている。
「しっかりして!今救急車を呼びましたからね!」
と、OLさんが彼女の手を握って必死の形相をしている。
ああ、いい人だな、この人はきっといいお嫁さんになるに違いないと、
どうでもいいことを考える。
手を握っているのは倒れている彼女の意識を繋ぎとめるためだろう。
それが無意識であれ、緊急時のマニュアルであれ、
手を握ってあげるOLさんの姿は美しいなと思った。
まあ、これだけ人がいるのだから僕がいてもただの野次馬だなと思い、
その場を立ち去る。

目当ての買い物を終えて、長い道をすたこら戻ってみると、
先ほどのコンビニから離れた場所にまた女の子が落ちていた。
眼鏡をかけた、例の女の子である。
まわりには誰もおらず、彼女一人が歩行者道路の真ん中で横になっている。
きょとんとなって、僕はその場に立ち尽くしてしまった。
救急車は来たはずなので、彼女はどうやらそれに乗せてもらえなかったらしい。
すると、この人事不省は彼女の狂言なのだろうと、なんとなく察しが付く。
案の定、近くに男性がいて見張っていたらしく、僕に声をかけてきた。
「こういうことをする子なんで、手を焼いているんです」
「さっき大騒ぎになってましたよ」
「まあ、よくあることなんです。ここは私が見張ってますんで、ご安心ください」
とのことだったので、心置きなくいつもの日常に戻ることができた。

あの親切なOLさんは災難だったけれど、彼女の気高い行為はすばらしかったと、
僕は今でも思っている。

そのほかにも、夜道で酔っ払って寝ている女の子に遭遇することが何度もあり、
そのたび良心の呵責を感じつつも、美人局やセクハラの危険を感じてその場を離れた。
なんでこんなに女の子が落ちてるのかなと、僕は不思議でならない。
男性が倒れている現場にも同じ確率で遭遇しそうなもんなのに、
道で人が倒れていたら、それは100パーセント女の子なのだ。

この文章には落ちも教訓も何もない。道に落ちている女の子は迷惑なものだなあと、
それだけのものである。
僕は薄情者なのだけど、良心が痛んだりするので、
女の子はなるべく道で寝ころばないようにしてもらいたいと切実に思う。

2017年3月26日 (日)

北勢線の話をもう一度。

昔、三重県の三岐鉄道を取材させていただいたとき、迷子になった。
酒席でスマートフォンの話をしていて思い出した。

ナローゲージの北勢線は黄色い鉄道車両がかわいらしく、
取材は楽しかった。このときはドラマの方の脚本が上がっていて、
基本的にはそれに沿って順繰りに駅を取材していった。
とある駅では
「近所に飲食店がないのでコンビニ弁当でグルメなお昼」
というネタがあったのだけど、
駅の真ん前に立派なレストランがあった。
「おいおい、これどうするんだよ」
と思いながら、そのレストランで昼食をとった。

で、そこからコンビニを取材しなくてはと思い、
お店の人に「この辺にコンビニありますよね?」と尋ねたら、
「この道をずーーーーっとまっすぐ行くと、右に折れたところにありますよ」
と言われ、何百メートルか歩いた。ドラマの脚本と現実は必ずしも一致しない。

コンビニでエビフライのあるお弁当を探したけどなかった。

その後、蘇原の駅で降りてめがね橋の取材をした。
この時もずいぶん歩いた。のどかな街中を歩くときは気持ちよかったのだけど、
広大な田畑のあぜ道を延々歩いているときは、
「まだ続くのか」
とうんざりした。

P1050398

めがね橋は鉄道ファンの撮影ポイントなので、二人ほどファンの方がいらした。
「もうすぐ来ますよ」
と三人でワクワクしながらカメラを構えた。
古い石造りの橋の上を、黄色い鉄道車両がまっすぐに走り抜けていった。

P1050405

その帰り道で迷子になった。
こんなとき、スマホがあれば現在地を特定できるのだろうけど、
ガラケーなので自分がどこにいるのかさっぱりわからない。
「駅はどこだ!」
とぼやいた。
自販機もない田舎道で、のどがカラカラに乾いて、砂漠のど真ん中にいる気分だった。

そのとき、目の前を制服の女子学生二人組が談笑しながら通り過ぎた。
「しめた」
と思った。彼女たちは下校中に違いない。ひょっとしたら駅に向かってるんじゃないか。
で、不本意ながらも女子高生二人をストーキングすることにした。

僕は人生においてストーキングなんてやったことがない。
ちょっとドキドキした。
「怪しい男が私たちの後ろからついてきてる!」
と通報されたらどうしようかと、いろいろ妄想しながらテクテク歩いた。

果たして、彼女たちの目的地は駅だった。

その後、順調に取材を重ねて、麻生田駅のあたりで夕空が広がっていた。
「今日はこのまま名古屋の実家に帰って、さっき買った名物のお蕎麦を食べよう」
と考えていたら、編集部から電話が入って、
「昨日もらった原稿にミスがあるから、早く東京に戻ってください!」
と言われ、自分のミスなのだけど、泣く泣く東京に戻ることにした。

P1050496

蘇原駅で「夕方の街並みを撮影しておこう」と思い、
本日何度目かの途中下車。一日乗車券を使いまくっていたのだけど、
さすがに改札のおばさんに顔を覚えられ、
「あなたは何をしているの?」
って目を向けられる。取材です。純然たる取材です。
女の子を尾行した後ろめたさがあるから、この駅はなんだかおっかない。

星川駅で星の駅舎を取材。
駅員さんに「星の駅舎ってどのあたりで見れますか」と尋ねたら、
「出たらすぐわかりますよ。星、大きいですから」
と、とても親切に教えてくださった。

P1050530

新幹線で東京にもどって、原稿の修正作業に入ったのでした。

似たようなことを以前にも書いたような気がするけど、
なんか懐かしくなったので書いてみました。

2017年3月25日 (土)

聖徳太子


聖徳太子か厩戸王か、どちらが歴史的に正しいのかって問題があって、
一時は文部省が「厩戸王」に傾いていたのが、

「いや、聖徳太子でしょうどう考えても!」

という国民の声に押されて、

「やっぱり聖徳太子ですよね(汗)」

と元の表記に落ち着くことになった。まずは目出度い。
親が聖徳太子の話をしていて、子供に「厩戸王だよ、これだから昭和平成生まれは」
といらぬ突っ込みを入れられる心配がなくなった。

聖徳太子といえば、かつては高額紙幣の代名詞で、
昭和世代の中には一万円や五千円札が「聖徳太子」だった方が多い。僕もそうだ。
今は高額紙幣といえば「福沢諭吉」なのだけど、
これも十万円札を発行した場合を考えての「暫定高額紙幣」で、

「十万円札を出す場合を考えて、聖徳太子はとっておこう」

って話だったと思う。
まあ、バブルがはじけていらぬ懸念になってしまったけれど。

子供のころ、食堂によく来るお客さんと歴史談義をしていて、
「名前の残ってるやつで碌な奴はいない」
って話になった。
「ひろし!お前の知ってる偉人で尊敬できるやつを言ってみろ、論破してやる」
とおっしゃるので、

「聖徳太子」

と答えたら、言葉につまって沈黙してしまった。
なにしろ古い時代の人だから、論破しようにも歴史的記述が少なすぎる。
しかも、その残ってる史料が「めっちゃいい人」なのだから議論のしようがない。

「日本は中華文明とは一線を画す」

的な宣言をした人なのだから、日本史的には極めて重要な人物である。

「日出ずる国の天子が日没する国の天子に文を送る。つつがなきや」

だったかな。子供ごごろにも「挑発的だな」とその大胆さに驚いたもんだ。

今回歴史家の方々が問題にしたのは、
「聖徳太子の呼び名は没後百年ほどして確認されるもので、当時はそう呼ばれてなかった」
という点なのだけど、それを言い出したら天皇の名前は全部没後の尊称だよねとか、
いろいろ突っ込みもある。(他に個人を特定する表現がないので仕方ないけど)
歴史家の方々には歴史の厳密性がどうのこうのと言いたいことも多いのだろうけど、
結局歴史は「国民の共通の思い出」なのだから、
1500年以上守られてきた思い出の名前を改変するのは、やっぱりおかしい。
いいじゃん、そんなもん、となる。

歴史の真実なんてものは、時代によって多く変わっていく。
日本は比較的歴史に関する資料が多いお国柄なので、
いろいろな議論が沸き上がるのはとてもありがたい話だ。でも聖徳太子はなあ。

吉村昭さんの歴史エッセイを読んでいると、その執念に驚かされたりする。

「桜田門外の変のとき、雪は何時にやんだのだろう」

ってことをひたすら調査していたりする。
そんなもん、どうだっていいだろうって気もするけど、
主人公の心情を理解するためには、どうしても必要な情報らしい。
井伊直弼の首を取った。主人公は犯行現場から逃走する。
そのとき雪が降っていたのか、やんでいたのか。

そうやっていろいろ調べているうちに、副産物的に他の歴史的事実がわかったりもする。
逃走先の品川の船の中で主人公は家族宛の手紙をしたためているけれど、
その時期が潮干狩りのシーズンで、品川の浜は干上がっていたはずなので、
この「船の中」というのは浜に上がっている船に違いなく、
主人公はそこに身を潜めて事態の進展をうかがっていたのではないか、みたいな。

そのとき、雪はすでにやみ、数刻前の惨劇がうそのように浜は静まり返っていた。

吉村昭さんの歴史小説の迫真性は、その徹底的な調査の結果である。
特に幕末ものだと、
「生き証人がいるうちに調査しておかなくては」
という心理が働くようで、その追及の手はどんどん激しくなる。
結果、派手なエンターテイメントにはならないけれど、リアルな小説になる。
根強いファンがいるのは、そこに魅かれてなのだろう。

だから、一概に「歴史的厳密性を追求するのは愚かなことだ」とも言えない。
でも聖徳太子の名前を変えるのは、やっぱりやりすぎでしょう。
名前を変えたために未来の日本人から忘却される可能性が非常に高い。
「厩戸王」ではインパクトに欠ける。
歴史が国民の共通の思い出であり、未来に伝えていく記憶だってことを考えたなら、
聖徳太子の名前は絶対に変えるべきではないと、僕は思うのだけどなあ。


2017年3月18日 (土)

中学時代、一言多いと先生によく怒られたっけ。

仕事の作業中、ずっと「先生」のことを考えていました。
小森田さんておばあちゃんで、実家の食堂を贔屓にしていただいたお客様。
女学校の先生をしていらしたそうで、僕も何度か出前をしている。
お住まいは古い学生寮みたいなアパートで、前回の「高菜漫画」の学生寮は、
このとき見た先生のお住まいが元ネタ。
玄関口が共同で、廊下が薄暗く、昭和の昔の空気が漂っていた。
先生はご老人なので、一階の奥の部屋にいらした。
専門が国文学か何かなのかな、部屋の中は本がうず高く積み上げられていて、
漫画でよくある「研究者の部屋」みたいな感じだった。
源氏物語とか、とわずがたりとか。
僕が夕刊小説のとわずがたりを切り抜きしていたら、
それを欲しがられたりもしたっけ。

長身で、丸眼鏡をかけておられた。普段着は着物だったのかな。
現役教師時代はさぞ颯爽としておられたことだろうと思われる。
結婚はしておられなかったようで、退職後は悠々と余生を満喫しておられた。
僕は小森田の先生というと、京都の生八つ橋を思い浮かべるのだけど、
それは先生がよく京都にお出かけになっていらしたからで、
「食堂の息子さんたちに」と買ってきてくださるお土産が、
ほぼ間違いなく生八つ橋だった。
いただくものだから不平を言っては罰当たりなのだけど、
薄荷くさいあのお菓子は子供の僕にはちょっと苦手で、
もっと子供向けのを買ってくださればうれしいのに、といらんことを考えていた。

一度出前でお部屋に伺ったとき、
「女子高の教え子たちの写真を見せてあげましょうか」
と言われたので、昭和初期の麗しき制服姿の女子高生の写真かと思ったら、
妙齢のご婦人方が先生を囲んでいる同窓会の写真だった。
まあ、僕は少しがっかりしたのだけど、
自分の教え子をわが子のようにいつくしむ先生は、素敵な方だなとしみじみ思った。

晩年は僕は名古屋を出ていたのでお会いしていないのだけど、
ずいぶんボケてしまって大変だった、というのは風のうわさで聞いていた。

僕がこの頃しみじみ思うのは、
「小森田先生って、いつ会っても笑顔だったんだよな」
ってことだったりします。
子供のころは生まれつきそういう顔なんだろうって思ってたけど、
あれ、生徒の前でいつも笑顔でいたからそのまま固定されたんじゃないかって、
ふと気が付いた。
僕もいろんなご老人を見る機会があり、人の顔がどうやって老いていくのか、
それなりに思うところもある。
環境と人生は確実に顔に刻み付けられる。

僕が老人の顔というと笑顔の老人を思い浮かべるのは、
小森田先生のおかげなのかもしれない。
そんで、その笑顔の向こうにたくさんの女学生の青春があったんだろうなと考えると、
なんだかほのぼのした気持ちになったりするのです。

うん、余計な部分を取り除くときれいなコラムになるもんだ。
いちおう取り除いた部分を書いておくと、
昭和のご老人の中には「年金生活者」ならぬ「利子生活者」というのがいらして、
銀行に一億円預けておけば、その利子だけで生活できた時代だった。
先生はその典型で、近所の人は「いくらくらい預けているんだろう」とよく話題にしてた。
先生の晩年は文学の世界で有名な土地を歩き回ることで、
ある意味、アニオタが聖地巡礼するのと根本的には何も違わない。
趣味に没頭できたのだから、こんなうらやましい人生もない。
遺産は甥っ子がすべて相続した。

人生はお金じゃないといいつつ、やっぱりお金なんだよなとしみじみ考えたりもします。

2017年3月10日 (金)

ガンダム


ガンダムについて語ってみる。

ガンダムは、ロボットアニメだ。
僕が小学生の頃に名古屋テレビで放送していた。
でも僕は裏番組の「天才クイズ」を見ていたので、
本放送時には全く見ていない。
ただぼんやりと、
「スターウォーズの影響を受けてるな」
くらいに思っていた。
ロボットは鎧武者風だし、光る剣を使うし、
チャンバラロボットアニメだと単純に考えた。

宇宙世紀0078、人類は悪の帝国の攻撃を受けていた。
正義の少年、アムロ・レイは森田健作バリに剣道の達人で、
スーパーロボット「ガンダム」に乗って、
悪いシャアと剣技を競う、だと思っていた。

シャアのセリフで「当たらなければどうということはない」ってのがあるけど、
「どうということはない」というのも、当時の時代劇で多用されたセリフで、
栗塚旭あたりが喋っているイメージが、僕にはある。
僕はシャアは栗塚旭演じる土方歳三あたりがモデルではないかと思っている。

それか、仮面の忍者赤影。ちなみに赤影役の坂口祐三郎と栗塚旭が、
時代劇の撮影現場でお姉言葉で雑談していたら、監督に怒られた、というエピソードが、
あったはずだ。
妖しい二枚目である。

僕がガンダムをちゃんと見たのは、たぶん中学生になってからじゃないかと思う。
クラスの男子がその話題で盛り上がっていたので、僕も見なくちゃと考えた。

考えていた「僕のガンダム」と「機動戦士ガンダム」はまったく違っていた。
富野由幸監督(改名前)がスポンサーを騙して、やりたいようにやったってのは、
知ってる人には有名な話だけど、
子供向け玩具販促アニメの皮をかぶった本格SFだと思った。
目新しい点はいっぱいあるのだけど、

●主人公が正義の怒りに燃えていない
●敵のロボットが同じのを使いまわししている
●ヒロインがヒロインしていない

というのが、新鮮というか「よくこんなの作ろうと思ったな」と衝撃的だった。
ロボットアニメの定石破りだったのは間違いない。
結果、オモチャが売れなくてクローバーは倒産し、その権利はバンダイに移った。
あくまで子供向けのオモチャにこだわり、ミサイルやらキラキラデカールに固執した、
クローバーの失敗だったのだけど。

ガンダムの面白さはロボットのデザインの面白さにあると思う。
スターウォーズのストームトルーパーやダースベイダーを下敷きにしているのだろう、
「スターウォーズが受けてるんだから、これでやれば子供たちにウケまっせ」
と、スポンサーを欺く監督の声が聞こえるようである。

ザク、なんてのは間違いなくストームトルーパーのロボット版だろうし、
アニメの中でもロボットの足軽、みたいな扱いだった。
実際、ランバ・ラルのグフが出てくる12話まで、三か月間もザクと旧ザクだけで通した。
敵メカの多彩さを望む子供たちはあっけにとられ、脱落したんじゃないかと思う。
クローバーの企画部は真っ青になったことだろう。

でも、そのような「兵器」としての量産システムのリアルさが、
「本物志向」の若者たちの琴線を震わせた。
ザクの基本色が戦車のような緑色だったのが大きい。
それは戦車のように量産され、戦車のように実用されるロボットだった。
だから、クローバー倒産後にバンダイが権利を買い取って、模型として販売したとき、
爆発的なヒットにつながった。模型ファンが戦車を作る感覚で、ガンダムを作ったのだ。

小学校当時の僕は近所の模型屋によく出入りしており、M4シャーマンとか、
タイガー(今はティーガーっていうんだっけ?)とかを眺めて、
「かっこいいなぁ」
と憧れた口だけど、本格的な模型の敷居は高かった。
それが、わずかな小遣いで戦車みたいにロボットを作れるというのは、斬新だった。
ストーリーがどうのこうのとか、ニュータイプがどうのこうのより、
戦車みたいにロボットが作れる、ってのがとにかく「楽しかった」のだ。

実際、ホビージャパン主導でガンダムのモビルスーツのリアル化はどんどん進んでいった。
戦車や戦闘機の模型を作るときのノウハウが、「たかがロボットアニメ」に
どんどんと投入されていった。
土と接触する部分は金属がはげ、地金が露出するのが当たり前だし、
排気口には煤が黒い痕跡を残すし、コクピット周りには手すりや操作パネルが必要だ。

ガンダムのロボットには、そういうリアリティを投入する幅があったし、
そうやって「模型のプロ」が改造したモビルスーツは、いかにも本物っぽかった。
ガンダムという作品が模型のプロの創作欲を刺激するだけの戦場のリアルさを持っていた、
というのが、あの当時のガンダムブームの一端だったのは間違いない。

そのリアルさの追求は「ザブングル」「ボトムズ」「ダグラム」なんて作品に継承され、
ある時点でピタリと止まった。
模型ファンが質的に変化して、戦車のようなリアリティをロボットに求めなくなった、
とも考えられる。実際、ZガンダムとかZZとか、エルガイムなんかのデザインは、
戦車よりはスポーツカーのような洗練されたデザインであり、
そちらの方が新規のファンのウケが良かった。

第二次世界大戦の記憶が生々しかった時代が遠ざかるにつれ、日本の空気も変わったのだ。

今度、お台場あたりに実物大のガンダムの代わりにUCガンダムを作るという話がある。
「え?」
と耳を疑ったのだけど、あれを実物大で見たいものかなあと不思議に思った。
おじさんがなんで不思議に思ったのかは、上の文章からなんとなく伝わるんじゃないかな。
21世紀のガンダムは「リアル」なガンダムではなく、もっと洗練された、
鉄の匂いのしないガンダムなのである。
それを実物大で作るのは、どんなものだろうと素朴に疑問だったのだ。

ここに時代に取り残された古い地球人がいる、というお話なのでした。

2017年3月 4日 (土)

雨を描く

昔、ベトナムで取材させていただいたとき、
ホーチミンの駅だったかな、突然のスコールに駅舎の中に逃げ込んだことがあった。
南国のスコールだからその勢いたるやものすごい。大地を叩く雨音が重低音で響いてくる。

一人でボーッと立っていたら青年さんが日本語で話しかけてきた。
僕はどうやら一発で日本人とわかる容姿をしているらしく、
担当さんと歩いていても、物売りの標的になるのはたいてい僕の方で、
そのことでいささかうんざりしている時でもあった。

でも青年さんは純粋に自分の習得した日本語を日本人相手に使ってみたいようで、
話した内容はもう忘れてしまったのだけど、その熱心さには好感を抱いた。

もう二十年も前の話なんだな。

雨といっても日本人のイメージする雨と海外の人のイメージする雨は異なる。
日本人が何気なく描いた雨の絵が、外国人にはひどく斬新に見えることもあるらしい。
有名なところではゴッホが安藤広重の版画「大はしあたけの夕立」に感激して、
自分も油絵で模写をした、なんてのがある。
どのポイントに感激したのかはわからないのだけど、絵の構図を大胆に傾け、
降りしきる雨の強さを強調したところなんかは、かなり斬新だと思う。

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「江戸名所百景」の頃の安藤広重は北斎の影響なのか、構図の大胆さに拍車がかかって、
梅の枝を思いっきり手前に配置してみたり、
手前の物体と奥の風景の対比で奥行きを出したり、
カット割りがどんどん現代的になっている。
ゴッホはそこに面白さを感じたのかもしれない。

でもなぜ「大はしあたけの夕立」なのか。
「線によって降りしきる雨を描写したのが、西洋人にはコロンブスの卵だった」
という意見を何かの本で読んだ記憶がある。
たしかに、降りしきる雨を「線」として認識するのは、おかしいといえばおかしい。
そんな物体は空から降ってきていない。でも、雨粒が移動する時間を描写すれば、
それは線になるってのは、日本人の自分には感覚的によくわかる。

西洋人はそのようには認識してこなかった。だから西洋絵画の世界では、
降りしきる雨を描写した絵がほとんど存在しない。あっても霧のように朦朧としている。
雨そのものより雨によってぼやける風景のほうにフォーカスが当たっている。

それは西洋人が日本人より感覚的に劣っているという話ではない。
同じ雨を認識するのにも、生まれた国の文化によって違いがあるという話である。

僕は逆に、雨が線ではないというゴッホの認識のほうに意表をつかれ、
しみじみ雨を見つめてしまうのである。
確かに、これは線ではない。でもいざ絵にしようとすれば、線以外には考えられない。
表現というのは、なかなかに困難なものであるなあ、と。

音楽の世界ではベートーヴェンが田園交響曲の第4楽章で雨を表現している。
村祭りの陽気な熱狂の中に、突然の弦の唸り、ティンバニーの細かい振動による雨脚、
弦は悲鳴のような跳躍で雷鳴を表現している。
「田園」は特に好きな曲でもないのだけど、この部分の表現はすごいなと素直に思う。

しとしと降る雨というなら、ブラームスのバイオリンソナタ第1番「雨の歌」。
以前にもこのブログで書いているけれど、雨の日の情感ってあんな感じだよなと、
心象の面で納得させるものがある。友人に聴かせたら納得してくれなかったけど。

ショパンにも「雨だれ」って練習曲があった。これも心象的な雨の日の風景。
穏やかでどこかさみしい感じがする。ピアノはどんどん心の底へと沈降していき、
激しい感情が湧き出しそうになるけれど、それもやさしい雨音にかき消されていく。
いかん、またポエマーになってしまった。

今回「昭和人情食堂」に掲載していただいた漫画の中にも雨のシーンがあり、
雨をどう表現するかで少し悩んだ。
「一本一本線を引くのか?」
それはさすがにめんどくさいなとちょっと躊躇した。
僕は怠け者なのである。作業はできるだけ効率よく単純なのが望ましい。

僕は「コミックスタジオ」というソフトで漫画の仕上げ作業をしているのだけど、
その機能の中に、「自動的に平行線をひく」というのがある。
長さや間隔を調整することで、思い通りの平行線が自動的に引けてしまう。
昔は定規で一本一本引いていた線が、一瞬で引けてしまうのだから、
文明の進歩というのはありがたいもんだよなあとしみじみ思う。

数値レベルを調整すると、間隔はランダムに変わる。
「これを絶妙に調整すれば、雨みたいになるんじゃないかな」
と考えた自分は、ちょっといじくってみた。果たして雨のようなラインが出てきた。

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今回描写した雨は、この機能を利用して仕上げていたりします。
だから仕上げるのはわりと一瞬だったりするのです。
言わなきゃ「一本一本線を引いて、漫画家さんは大変だな」と思ってもらえそうだけど、
実はそんなこともなかったりします。

もちろん、パソコンのランダムな雨の線だけでは情感が出ないので、
線を間引いたり重ねたりして調整はしています。
漫画を描く方で「コミックスタジオ」を利用している方のご参考までに。

今回は雨のシーンがそれほど多くなかったので、割と安易な方法を使ったのだけど、
本格的に雨を描写するとなると、自分の絵のボキャブラリーはまだまだ不足気味だ。
この頃東京は雨の日が多いのだけど、その中に傘を差してとぼとぼ歩いているとき、
「これをどうやって表現するかな」
とちょっと考えたりします。

一口に雨といっても、その描き方には無限の広がりがあるのだ。

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