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2017年3月18日 (土)

中学時代、一言多いと先生によく怒られたっけ。

仕事の作業中、ずっと「先生」のことを考えていました。
小森田さんておばあちゃんで、実家の食堂を贔屓にしていただいたお客様。
女学校の先生をしていらしたそうで、僕も何度か出前をしている。
お住まいは古い学生寮みたいなアパートで、前回の「高菜漫画」の学生寮は、
このとき見た先生のお住まいが元ネタ。
玄関口が共同で、廊下が薄暗く、昭和の昔の空気が漂っていた。
先生はご老人なので、一階の奥の部屋にいらした。
専門が国文学か何かなのかな、部屋の中は本がうず高く積み上げられていて、
漫画でよくある「研究者の部屋」みたいな感じだった。
源氏物語とか、とわずがたりとか。
僕が夕刊小説のとわずがたりを切り抜きしていたら、
それを欲しがられたりもしたっけ。

長身で、丸眼鏡をかけておられた。普段着は着物だったのかな。
現役教師時代はさぞ颯爽としておられたことだろうと思われる。
結婚はしておられなかったようで、退職後は悠々と余生を満喫しておられた。
僕は小森田の先生というと、京都の生八つ橋を思い浮かべるのだけど、
それは先生がよく京都にお出かけになっていらしたからで、
「食堂の息子さんたちに」と買ってきてくださるお土産が、
ほぼ間違いなく生八つ橋だった。
いただくものだから不平を言っては罰当たりなのだけど、
薄荷くさいあのお菓子は子供の僕にはちょっと苦手で、
もっと子供向けのを買ってくださればうれしいのに、といらんことを考えていた。

一度出前でお部屋に伺ったとき、
「女子高の教え子たちの写真を見せてあげましょうか」
と言われたので、昭和初期の麗しき制服姿の女子高生の写真かと思ったら、
妙齢のご婦人方が先生を囲んでいる同窓会の写真だった。
まあ、僕は少しがっかりしたのだけど、
自分の教え子をわが子のようにいつくしむ先生は、素敵な方だなとしみじみ思った。

晩年は僕は名古屋を出ていたのでお会いしていないのだけど、
ずいぶんボケてしまって大変だった、というのは風のうわさで聞いていた。

僕がこの頃しみじみ思うのは、
「小森田先生って、いつ会っても笑顔だったんだよな」
ってことだったりします。
子供のころは生まれつきそういう顔なんだろうって思ってたけど、
あれ、生徒の前でいつも笑顔でいたからそのまま固定されたんじゃないかって、
ふと気が付いた。
僕もいろんなご老人を見る機会があり、人の顔がどうやって老いていくのか、
それなりに思うところもある。
環境と人生は確実に顔に刻み付けられる。

僕が老人の顔というと笑顔の老人を思い浮かべるのは、
小森田先生のおかげなのかもしれない。
そんで、その笑顔の向こうにたくさんの女学生の青春があったんだろうなと考えると、
なんだかほのぼのした気持ちになったりするのです。

うん、余計な部分を取り除くときれいなコラムになるもんだ。
いちおう取り除いた部分を書いておくと、
昭和のご老人の中には「年金生活者」ならぬ「利子生活者」というのがいらして、
銀行に一億円預けておけば、その利子だけで生活できた時代だった。
先生はその典型で、近所の人は「いくらくらい預けているんだろう」とよく話題にしてた。
先生の晩年は文学の世界で有名な土地を歩き回ることで、
ある意味、アニオタが聖地巡礼するのと根本的には何も違わない。
趣味に没頭できたのだから、こんなうらやましい人生もない。
遺産は甥っ子がすべて相続した。

人生はお金じゃないといいつつ、やっぱりお金なんだよなとしみじみ考えたりもします。

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