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2017年4月

2017年4月29日 (土)

アンダンテ・ファヴォリ

巣鴨の駅前の天丼チェーン店でオールスター天丼を食べていた。

僕が巣鴨にいたのには特別な理由はない。
迷子になって自分の居場所もわからなかったので、目の前の三田線から地下鉄にのり、
とりあえず山手線の駅に向かったのだ。

小腹がすいたので駅前の天丼屋にとりあえず飛び込んだ。
夕刻近かったので店は割とすいている。
おばあちゃんの二人組と、幼い兄妹、初老の会社員ってところかな。

お店のお姉ちゃんがお茶を持ってくる。汗をかいたので冷たいお茶が欲しかったけど、
やけくそのように熱いお茶だった。
「オールスター天丼」
と、とりあえず注文を出す。となり席の会社員がビールを飲んでいるのがうらやましいが、
飲むと食欲が増進して太ってしまうので、このごろは必死に耐えている。
天ぷらにビール、ものすごく心惹かれるけど、耐える。

「オールスター天丼」にしたのには特に理由はない。
何年か前に同じチェーンの店に入ったとき、男性客が「オールスター天丼!」と
何人も続けざまに注文していたので、
「なんでオールスターやねん」
とちょっと気になっていたのだ。本当はアナゴ天丼とかき揚げどんが好物だったりする。

お姉ちゃんが海老やらイカやらの乗った「オールスター」な天丼を持ってくる。

店の中には有線か何かのピアノ音楽が流れている。
天丼にピアノという組み合わせは、いかがなものだろうと思うけれど、
自然と耳は音楽に聴き入ってしまう。
そういう性分なのだ。

ショパンの練習曲やら、有名な曲が次々流れていくのだけど、
中で一曲、知ってるはずなのにタイトルのわからない曲があった。
素朴な旋律で、穏やかな感じのピアノ曲。
「これ、何だったかな」
なんとなく、ベートーヴェンのピアノ曲なんだろうなというのは見当がついた。
でもベートーヴェンのピアノ曲って、有名どころは割と限られている。
32曲のピアノソナタを除くと、「エリーゼのために」とか、
数曲くらいしか聴いた覚えがない。
「失くした小銭への怒り」とか。(シューマンが笑い転げながら絶賛した曲)

記憶を必死にたぐるのだけど、どうしても思い出せない。
そのうち曲が終わってしまったので、僕は勘定を済ませて店をあとにした。

それから半月ばかり、頭の中からこの曲が離れなくなった。
強迫観念的にメロディーが頭の中で再生されるのだ。
明け方目覚めると頭の中で鳴っていたりする。
これはもう、タイトルをはっきりさせないと気持ち悪くて仕方がない。

手持ちのCDのタイトルを片っ端からさらい、YouTubeも駆使したけれど、
どうしても見つけることができない。
「いやいや、これ有名な曲じゃん」
と思うけれど、ないものは仕方がない。
実はベートヴェンじゃなくてシューベルトなのかとも思ったけれど、
そちらの線でもわからなかった。
ならばショパンか?いや、このドイツまみれのくそダサいメロディは、
ピアノの詩人の作品にしては洗練度が足りない。
なんかオッサンが夕暮れの散歩道を大声で歌いながら歩いている、
そんな感じのメロディなのだ。

この野暮ったさはベートーヴェンに間違いない。あのオッサンのやらかしそうな曲なのだ。

そのとき、ふと頭をかすめるものがあった。
そういえば、ベートーヴェンのピアノソナタで、楽聖が友人に感想を求めたら、
「長すぎるよ。せめて第2楽章はもっと短くしたほうがいい」
とアドバイスされて、緩徐楽章を丸々書き直した曲があったはずだ。
はずしたのはいいけれど、没にするにはあまりにも素敵な緩徐楽章だったので、
その曲は独立したピアノ曲になっていたはず。

元になったピアノソナタは確か「ワルトシュタイン」。
外された曲は「アンダンテ・ファヴォリ」だったかな。

で、YouTubeで探してみたら、まさにその曲だった。

タイトルの意味は「お気に入りのアンダンテ」ってことで、この曲が気に入った楽聖は、
あちこちの演奏会でこの曲を弾きまくったらしい。
僕はいったいどこでこの曲を耳にしたのだろうと思ったら、
自分が二十歳くらいのとき、つまり三十年近く前、
ラジオでエアチェックした誰かのリサイタルを、繰り返し聴いていたのだ。
漫画を描きながら流し聴きしていたので、頭にこびりついていたのだろう。

で、すっきり解決しましたというお話なのでした。

この曲がもともと入っていた「ワルトシュタイン」の方は僕がよく聴く曲で、
「世紀末オカルト学院」だったかな、アニメの中で全楽章を繰り返しBGMに使っていて、
なんでこの曲?と思ったのだけど、結構作品に合っていたので不思議だったりしました。

まあ、割とどうでもいいお話です。

2017年4月28日 (金)

昭和人情食堂No.7発売


ぶんか社様より「昭和人情食堂」No.7が発売されております。
全国のコンビニ等でお読みいただけるのではないかと思います。
平成も残りあとわずか。懐かしい昭和の思い出をかみしめるための、良い本です。
若い人たちにも新鮮な驚きがあるんじゃないかな。

年の差婚なんかだと、夫婦の日常の会話も大変なようで、
こないだの新聞で「年下の旦那が死語辞典を使っててへこむ」なんて記事がありました。
ああ、あの辞典は若者がそういう目的で使うものかと、なんか合点がいった。
少子化社会で現代の若者は嫌でも年寄り相手の生活をしなくてはいけない。
「そのチョッキ素敵ね」
と奥様が旦那の服装を褒めても、若者にはそれが何なのかわからない。

そのような悲劇が起こらないためにも、若い人にこそ「昭和人情食堂」を読んでほしい。
チョッキはあなたの着ているベストのことです!

嫁さんが中国人とか、旦那がイタリア人みたいな漫画があるんだから、
「嫁さんが昭和人」って漫画があってもよさそうなもんだ。
もう誰かお描きになってるのかな。

その記事で若者が知らない昭和語として「殿中でござる!」というのがありました。
今の若者には通じないみたいです。
赤穂浪士の忠臣蔵が通じないというのは、まあ当然ちゃ当然の話。
CSの時代劇専門チャンネルでも観なきゃ触れる機会がないものね。

今の子にとって昭和は本当に遠い世界なんでしょうね。

2017年4月15日 (土)

散歩

桜の見頃もそろそろ終わりで、今年も「お花見」はできなかったなぁ。
テレビで上野公園のあたり、外国人観光客がお花見してるのを、
「なにあれ、クソうらやましい」
とぼやいたくらいか。
何年か前、桜の時期に上野公園を散策して、プチお花見を楽しんだのだけど、
あそこは桜並木にゴミ捨てスポットが何か所も設置されていて、
お酒の据えた匂いがなんとも場末めいていた。
ぶっちゃけ、臭かった。

上野が桜の名所になったのは、あの天海僧正の趣味らしい。
桜、松、紅葉を好んでいて、奈良の吉野から桜を引っ張ってきたとか。
その当時の桜はもう残ってないのかな、ほとんどはソメイヨシノなんだろう。
僕が行ったときはすでに中国人観光客がいっぱいだったから、
今年はさらにコスモポリタンな上野の花見になっていたことだろう。

3月からずっと仕事に集中していたのが、ようやく一息つくことができたので、
意味もなくブラブラ歩いた。俺は何を目指して歩いているのだろうと、
ぼんやり考えながら、足は自然と煙草屋に向かう。
仕事中はずっとマルボロをふかし続けたのだけど、また煙管をふかそうと思った。
安いし、ひと口ふた口ふかすと燃え尽きるし、煙草を楽しんでるって感じが、
ものすごく味わえる。

問題は、売っている場所が限られていること。
池袋の専門店に行けば確実なのだけど、そうそう池袋まで出かけるのもしんどいので、
近所にないものかと、煙草屋を見つけると片っ端から首を突っ込んでまわった。
果たして、某駅の踏切前の煙草屋にひっそりと置いてあった。
かわいいおばあちゃんがひっそりと店番をしている。

初めて買ったときは、お釣りと一緒にキャンディーのように包装されたチョコをもらった。
その晩、すさまじい腹痛を起こしたので、
「あの婆ぁ毒を盛りやがったか」
と壮絶な八つ当たりをしたのだけど、まあ、ただの八つ当たりである。
「宝船ください」
と、ベルギー王国製の煙草を隅の箱からい引っ張り出す。
ラッピングに葛飾北斎の絵がプリントされているので、そこが大のお気に入り。
自分も九十歳をすぎてから
「あと十年、いや、あと五年生きられたら本物の絵が描けるのに!」
と往生際の悪いことをほざきながら死にたいものである。

おばあちゃんが店の奥から顔を出す。
商品を渡すと、目を近づけて値段を確認しようとする。
刻みの煙草なんて、買う人はめったにいないのだろう。
「五百円……五百六十円かしら……」
印字がにじんでよく読めないらしい。脇からもう一個取り出して渡したのだけど、
それも同様に印字がにじんでいる。
「五百円よね?」
と僕に同意を求める。こういうときに安い値段を口にするのは何か申し訳ないのだけど、
「五百円です」
と答える。
亜米利加式混合葉使用の煙管用刻み煙草宝船は五百円である。

小銭を取り出して渡す。
「あれ、六百円あるわよ」
とあばあちゃん。しまった。また小銭を間違えた。
「ふふふ、黙ってれば良かったわね」
「あぶないあぶない」
百円を戻してもらって店を出る。
仕事に集中したから頭が暴走しているのもあるけど、このごろはイージーなミスが多い。
コンビニでマルボロを買って、商品を置いて店を出ようとしたのも最近のことだった。

最近、このブログで「煙草のめのめ」の歌を紹介して、そのときYouTubeで音源を聴いて、
以来、「煙草のめのめ」をよく歌っている。
「けーむーりーよ、けーむりよー、たーだ煙ー、いっさいがっさーいみな煙」
この、「いっさいがっさーい」のフレーズが、とても気持ちいい。
この世は一切合切がすべて煙のように夢幻なのである。
煙草をのむときの心境は、まさにそれ。
肺癌になろうが、心筋梗塞のリスクが跳ね上がろうが、
どうとでもなれ、という気分である。
まさに大正ロマン。この歌を作ったのが、「雨雨ふれふれ」の歌と同じ人だと思うと、
蛇の目(の傘)でお迎えに来るのがあの世の天女様のような気さえしてくる。

ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン

天国でいったい何をやっているやら。
こちらの歌を作詞しているときの詩人の方の心境を想像してみる。
野口雨情さんだったと思う。
雨の日は嫌なものだ。うっとうしい。でも、歌は楽しくなくてはならない。
雨の日でも楽しいこととは何であろうか。
急な雨で学校で雨宿りしている自分を、
母親が傘を持って迎えに来てくれる。
自分を気にかけてくれる人間がいる。
これはうれしいものだ。

なんか深いな。
最近歳をとったせいか、世界の神秘とかこの世の奇跡なんてものより、
身近な何気ない出来事に「いいもんだなぁ」としみじみ感じいったりする。
たとえばさっきのおばあちゃんの
「黙ってればよかった」
と茶目っ気たっぷりに笑った顔とか。

さて、とっ散らかった部屋をかたづけなくちゃ。

2017年4月12日 (水)

つれづれなるままに


世の中には責任を相手に押し付けるのが上手な人がいて、
なんつーかー、とても上手に生きていらっしゃるのである。

そういう人たちはすごいなあと感心はするのだけど、
自分がそういう生き方をするのは真っ平御免、
ブラックホールのように、責任を吸い込んで太平楽を決め込むことにしている。
植木等である。天下無敵の無責任男。

知人が会社での人間関係に悩んでいて、
僕はなんと答えていいかわからず、
「逃げちまえよ」と、
それこそ無責任極まりない言葉を使ったのだけど、
逃げられないから「人間関係」なんだよな。

ブラックホールのように生きるのは難しい。
腹も立つし、世の不条理に押しつぶされそうにもなる。
責任をいっぱい背負い込んで、どんどん悪いほうへと押し流されもする。
それでも、生きることは楽しい。
「仕事」とカテゴライズされる枠組みから抜け出せば、
楽しいことは星の数ほど転がっている。
そして振り返れば、仕事だって楽しかったんだと気が付く。

楽しいは僕を裏切らない。
責任回避の達人たちはそればかりに精通して、
後味の悪さを味わうことさえ、忘れてしまったようなのだけど、
僕はそれをまだ知っているから、
責任をブラックホールのように吸い込んで、
とりあえずニコニコと笑っているのである。

節分の鬼の役を買って出たとでも思っていればいい。
子供が理不尽な怒りを込めて豆をぶつけてきたとしても、
おどけて逃げ回ることが、案外楽しかったりもするのである。

責任感の強い人間は貧乏くじばかり引かされるのだけど、
そういう不器用な生き方が、責任回避の生き方よりもずっといいと思う。
あとはブラックホールを目指すだけだ。
責任の重圧に押しつぶされないように、
みみっちいプライドをかなぐり捨てることだ。

「俺がみんな悪いんだ、文句あるかぁ!」

よし、頑張るぞ!

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