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2018年2月

2018年2月28日 (水)

長野行ってきた

某氏はかつて雨男だった。

シュレディンガーの猫と同じで、雨男はそれと認識すると正体を現す。
「そういえば○○とどこかに行くと絶対雨が降るよね」
と発言したとたん、一天にわかにかき曇り、ぽつりぽつりと雨粒が落ちてくる。

昔、彼のいた岩手県まで遊びに行った時も濡れネズミになった。
いや、まあいいんだけどさ、雨の盛岡きれいだったし。

雨の中、二人で歩き回りながら、
「……わんこそば、食べるか?」
と誘われたけど、僕にはもうその体力は残っていなかった。
……だって「わんこそば」だぜ?そば持ったおばちゃんと戦うんだぜ?

彼が名古屋に行っただけで、矢田川は雨で決壊し、守山区に警戒警報が流れた。
鬼神も泣いて逃げ出す雨男ぶりである。

その彼が、奥様の姓に改名したとたん、晴れ男になった。
そんなことがあるのかなと思うけど、実際に一緒に行動しても雨は降らないし、
ものすごい快晴に恵まれたりする。
前の名字が水に関係するものだったせいなのかな?

それを言ったら僕なんかもろに「川」なんだけどね。

名古屋の鉄オタさんが毎年鉄道の旅に誘ってくださるようになって、
毎度好天に恵まれているのだけど、
それもひとえに彼の改名によるところが大きい。この企画が続いているのは、
彼の晴れ男っぷりのおかげである。
本当にありがとうございます。
ぺこり。

で、今年も早々に鉄道の旅がありまして、先週出かけてきました。
「長野にはかつて小田急で走っていたロマンスカーが走っとるがね」
ということで、お目当ては長野電鉄の1000系「ゆけむり」なのでした。

完全独立路線で、他社の鉄道とはまったくつながっていないそうで、
鉄道列車の搬入もトレーラーで行うのだとか。
ちょっと秘境っぽい。
Img_0287

長野駅でパノラマの正面座席の写真を撮ろうとしたら、お父さんが子供を撮影してた。
ええお父さんじゃのう。
この子も一番前の座席でテンション上がりまくりだったことでしょう。
決して「撮影の邪魔じゃ!」なんて無粋なことは考えてないよ。

列車名が「ゆけむり」ってくらいだから、路線は温泉地帯を走り抜けていく。
終着駅にも温泉があって、今回はそこで温泉に入ることになっていた。
駅名は「湯田中」。
もう何から何まで温泉尽くしである。
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そしてお目当ての温泉は駅舎と直結している。
回りが雪まみれで寒かったので早く湯につかりたかった……
Img_0297

熱い温泉であったまってから、露天の方に移動したら、ちらほら雪が降ってきた。
ああ、ええもんだなぁ。たまにはこういうのも悪くない。
東京で漫画描いてた昨日までの自分が夢幻のようじゃ……。
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この日は長野県の南では快晴に恵まれ、松本城も晴天をバックにものすごくきれいだった。
松本城は現存十二天守の一つで国宝。城の構えがカッコいいので人気も高い。
嬉々として写真を撮りまくっていたら、
今回参加した地元民さんに微笑ましい目を向けられてしまった。
ええんやで、好きなだけお撮り……
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長野は新幹線のおかげで東京からのアクセスもいいし、見るべきものも多い。
食べるものも、戸隠そば、お焼き、野沢菜漬けといろいろある。
田舎っぽいといえばそれまでだけど、リゾート地は変に観光色に毒されないのが良いので、
ナチュラルに田舎をやってる長野は、理想の観光地だと僕は思う。
帰りのスノーモンキーで地元民さんといろいろ話をしたけど、
「もうすぐ地元のひな人形を集めてお祭りをするんだわ」
なんてのは、最高に素敵な催しではないのかしらん。
長い階段にずらーーーっとひな人形を並べまくるのは壮観だろうなぁ。

「でも、いい人形は別にとっとくんだけどね」
……いやいや、地元民だからって妙なオチをつけなくてもいいから。

帰りは雨男改め、晴れ男さんと新幹線でビールを飲みながら東京へ向かう。
その日の朝も七時ちょうどのあずさ一号に乗るために、わざわざ早起きして新宿に来た。
このへん、堅気の仕事でない漫画家さんにはその大変さがよくわからんのだが、
実質的に無計画で行き当たりばったりの連れを相手に、いろいろご面倒をおかけしました。

なんかビールを飲み比べながら馬鹿話してたらアッという間に東京に着いた。
僕より一か月くらい早生まれなので、彼の方が先に五十歳になる。
じいさんである。
僕は魔夜峰央よろしくミーちゃん永遠の28歳だけど、
五十歳はちょっとびっくりだよね。
「今回の僕鉄の企画も五十歳になってからだと思ってたら、えらい早かったな」
としみじみおっしゃる。あ、千葉だとしみじみの意味が違うんだっけ。
あちらだと「しっかり堅実に」の意味になるんだった。
まあ、しっかり堅実に、五十歳である。

名古屋の鉄オタさんは「今年は夏にもう一回やるね」とおっしゃっていたので、
今度は五十歳の旅になるのだな。
最初は名古屋の鉄オタさんと千葉の鉄オタさんの二人旅から始まって、
それが三人になり、四人になり、今回とうとう八人のおっさんが集まったのだ。

毎度名古屋の鉄オタさんはびっくりするイベントを企画するのだけど、
今回、滋賀の部長さんと再会できたのは、本当に驚きのイベントだった。
滋賀の部長さんも、何十年かぶりでお会いできてうれしかったです。

八人中、ガチの鉄オタが三人で、僕を含めて残りは同窓会のノリなのだけど、
毎度いろいろ勉強させてもらってます。
今回も「長野の見どころ」をいろいろ知ることが出来ました。
「日本三大車窓」とか、名古屋の鉄オタさんが教えてくれなきゃ、
「おお、ものすごく雄大な風景だなぁ」
で終わってた。
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その名古屋の鉄オタさんが「かわすみにこれやるよ」
とハッピーターンをくれたので、おお、僕の好きなやつだと思ったら、
袋のプリントが前回のみんなの集合写真になってた。
いちいち芸が細かい。
亀田製菓ではそんなサービスまでやっているのか。
大好物だけど食べるのがもったいなくて、いまだに仕事場の机の隅に飾ってあります。
もうこのまま未開封でいいか、と考え始めている。
まあ、そのうち食べちまうんだろうけど。

2018年2月20日 (火)

サバ缶

昔からサバは大好きだった。魚編にブルーと書いて鯖。
はい、このネタがわかる人はおじちゃんおばちゃん確定。

塩焼きにしてもおいしいけど、味噌で煮つけてもおいしい。
いろいろな味噌でその変化を楽しむのもまたオツなもの。
赤味噌もおいしいけど、個人的には白味噌であっさり風味がいいと思う。

サバの味噌煮が大好きだから、若いころはサバ缶というと味噌缶ばかり買っていた。
それがこの頃は、どうしたわけか
「水煮最高じゃん」
と趣旨替えして、水煮缶ばかり買っている。

高血圧で病院に駆け込んだ時、お医者さんに言われたのも、
「とにかく青い魚を食べてください」
だったので、一時はそればかり食べていた。
そういえば高血圧だった父親も、やたら締め鯖が大好きだったな。
うちの母が食堂で出すのにサバを大量に酢じめにすると、必ず親父が手を出していた。
無意識に体が求めていたのかもしれない。

だから、最近の魚の不漁は困ったものだったのだけど、
いくら切り身が高騰しても、サバ缶はまだ割と安値だったんだよね。
近所で170グラム缶100円くらいで買えてた。
それがどうだい、最近「サバ缶健康法」が注目されてしまって、
そのスーパーの商品棚が買い占められてしまう事態となった。

いつ行っても缶詰コーナーのサバ缶コーナーだけが空っぽで、
最初は残っていた味噌缶ですら、きれいに買い上げられている状態だ。
そしてついに!
安値のサバ缶コーナーが消失してしまいました。四百円の高級品しか置いてねぇー!

まあ、愚痴はここまでにしておきますが、
サバには中性脂肪を劇的に下げる効果があるそうで、
僕も一時食べまくっていたら、血液検査で劇的に中性脂肪値が下がったことがあります。
不摂生な生活に戻ったらまた跳ね上がったけど。

サバ缶健康法の本は大ベストセラーになっているそうで、
市場もそれをダイレクトに反映しているわけなのです。
出版社は儲かり、サバ缶を製造している会社も大儲けできているのだから、
とてもいい話なのだな。
こうと分かっていれば、うちが出しときゃ良かったって出版社も多いと思うよ。
だって、ものすごくはっきり数字が出てきますからね。

問題は、近場でサバ缶を買えなくなってしまったことなんだけど、
仕方ないので切り身を焼いたり煮たりして食べてます。
不思議なもので、切り身がなくなるという事態にはなってないんだよな。

そっちの方がサバ缶より量があるし、効果も高いと思うんだけど、
「サバ缶」
というフレーズが、完全に独り歩きしてる状態なのだな。
小麦粉まぶして、フライパンで焼いて、五香粉を振るとエスニックなおかずになります。

サバ缶といえば、昔、「サバ缶なめろう風」というのが雑誌に紹介されていて、
シソの葉とみょうがを刻んで、サバ缶にまぜて醤油とゴマ油をたらし、、
あとネギを散らして、最後にゴマをかけて、酒の肴にするってのがあった。
去年の夏はこればっかり作ってたな。
夏はみょうがが安かったし、割と手軽に一品作れてしまう。
今年の夏はどうだろう。
夏までにサバ缶ブームが終息してくれるといいのだけど。

2018年2月16日 (金)

デコ愛絵師歌麿


絵を描くときに、いろいろな「萌えポイント」というのはある。
かわいい女の子を描くために、目を印象的にしてみたり、鼻筋を通したり、
唇のプックリ感を追求するフェチストというのもいる。

そんな並み居る画狂どもの中にあって、
「ははは!まだまだ若いな!本当の萌えポイントはそこじゃねぇ!」
とフェチズムの究極の形を描き出した天才絵師がいた。

「女の子の一番萌えるポイントは、おでこだ!」

並みいる変態絵師さんたちはビビる。おでこだと?そんなもんどうやって描けってんだ?
天才絵師はニヤリと笑う。
「おでこが描けねぇのか?まあそうだろうな。お前らの萌え愛なんてそんなもんだ」
「しかし、おでこなんて筆の線だけじゃ表現できねえぜ?」
「いや、出来る。愛があればおでこは描ける。デコ愛こそが絵師の究極の技法なのだ!」

そして天才絵師は筆を執り、「ふんぬ!」とばかりに一枚の絵を仕上げてみせた。

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江戸の浮世絵師喜多川歌麿のすごさというのは、なかなか理解されていない。
日本の絵師で、彼ほど「デコ愛」にあふれた美少女イラストを描いた男はいない。

20130802_floatingworld_photo3_l_2

江戸郊外の茶店に入り、そこの看板娘が「いらっしゃいませ」と声をかけると、
彼はまず、おでこを見る。つややかなデコ、なめらかな曲線を描き、
淡く光を反射する至高のパーツ。女性の美の神髄はおでこにこそ宿る!
「君!」
「はい、なんでしょうお客様」
「そのデコを描かせてくれないか?」
「……」

歌麿は少女をかどわかし……いや、モデルに雇い、そのデコを紙に描き続けた。
「君のデコは最高だ!」
「はあ」
「君のデコだけでご飯三杯はいける!」
「そうですか……」
「お願いだ!そのデコを撫でさせてくれないか?」
「嫌です」

最高のおでこを描いた絵師はそれまで日本には存在しなかった。
筆を執って絵を描こうとすれば、どうしても目鼻口を描こうとしてしまい、
おでこはおろそかになる。だって基本的に何もない空間なわけだから。
「いや、間違ってる!おでこを描かずして何の絵師か!」
歌麿は憤慨しながら究極のデコ技法を探し求めた。

そしてなぜか妖怪絵の巨匠鳥山石燕に弟子入りなんかしたりして、技法を磨き、
絵の中のおでこも磨きあげ、ついに一つの結論に達する。

「筆の線でおでこを描くためには、頭蓋の形を立体的にとらえなくてはならない」

立体……二次元の絵に三次元の立体物を表現することこそ、近代絵画の始まりであった。
西洋ではルネッサンス期にダ・ヴィンチやミケランジェロなどの大天才が、
科学的理論を駆使して彫刻の技法を絵画の上で用いる方法論を確立させた。
それとほぼ同じ理屈を、江戸の浮世絵師歌麿は独力で完成させた。
……究極のおでこを描きたい、ただその一心で。
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歌麿の絵は立体を正確に把握している。後頭部の頭蓋を見ればそれがわかる。
頭の形が立体として正確だから、目鼻立ちもその立体の上に正確に配置される。
「まるで生きているように生々しい表情」
が表現可能になる。

「すげぇ!こんな絵見たことねぇ!」
「紙の中から美人のお姉ちゃんが飛び出して見えるぞ!」
「神だ……俺たちは今、神の技を目撃しているんだ……」
江戸の庶民は熱狂し、歌麿の美人画は飛ぶように売れた。
茶屋のお姉ちゃんも
「先生!私、先生のモデルにしていただいたおかげで超有名人になれました!」
と艶っぽい目で愛嬌をふりまく。

しかし、歌麿は大いに不満だった。
「違う……俺はおでこを描きたかっただけなんだ……なのに誰もそのことを理解しない」
みんな美人だ生き絵だ、天下の大名人だと誉めそやすが、
「おでこ」
を褒めてくれる人間は誰もいない。そこが萌えポイントなのに、
誰もそこを指摘してくれない。

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こんなにまろやかで叩くと「ペンペン」と音がしそうなおでこの絵なのに、
「デコ絵の巨匠」とは呼んでもらえず、「美人画の巨匠」と呼ばれてしまう。

歌麿は絵画の世界で一つの革命を起こしていた。
絵が立体的であるから、平安絵巻の「へのへのもへじ」絵と違い、
顔だけで十分に絵を成立させることが可能となったのだ。
版元、つまり出版社は歌麿の「大首絵」というバストショットの絵を売り出した。
「美人の顔が画面いっぱいだ!」
と、江戸の庶民は大いに喜んだ。
西洋でも「バストショットの肖像画」が成立したのは例のルネッサンス期以降である。
二次元に三次元を表現する技法の確立があって、初めて可能となる絵画分野なのだ。
まあ、歌麿としてはおでこ以外に描きたいものはなかったし、
体とか手とか、めんどくさいからそうしたまでで、
まさかそれがダ・ヴィンチ級の絵画革命だったとは夢にも思わなかっただろうけど。

歌麿の追随者は次々と出現した。
「歌麿先生、この絵を見てください」
ある日、版元の蔦屋重三郎が大首絵を持って訪ねてきた。
「葛飾北斎って、売り出し中の若手なんですけどね、なかなか上手いもんでしょう?」
見れば歌麿風の美人画で、筆さばきはなかなか見事、絵としては上々である。
しかし……
「ダメだ、この絵はまるでおでこが描けちゃいねぇ!」

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まるでデコ愛が感じられない。おでこがぞんざいでそこにあることすら認識できていない。
立体造形としても、後頭部の形がいびつにすぎる。ぺしゃんこで中身が潰れてそうだ。

「こいつには才能がないな」
「……そうですか?なかなか上手い絵だと私は思うんですけどねぇ」
「ニ三年で消えるんじゃないか?人の絵をまねるのは構わないが、肝心のところが描けちゃいねぇ。それがわからない限り、こいつは大成しねぇよ」
デコ愛なくして何の絵かと、歌麿は大いに憤慨したのだった。

蔦屋重三郎は言われたままを葛飾北斎に伝えた。
「どういう意味なんですかねぇ。絵に魂が籠っていないってことなんでしょうか」
デコ愛を理解しない蔦屋重三郎には歌麿の言葉はちんぷんかんぷんだった。
もちろんそういう性癖のない北斎にも理解はできなかった。
だが、美人画の巨匠がそういうのだから、自分には何かが足りないのだろうと反省し、
「自分の描きたいものを見つけなくては、いい絵は描けないんだ」
と、自身のフェチズムを究極までつきつめ、ついに、
「蛸と海女さんが乱れ乱れてルンルンルン♪」な春画をものにするのだが、
もちろんこの一連のお話は作り話である。

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そして言うまでもないことだけど、
歌麿がデコ愛溢れる究極のおでこ絵師というのは僕が勝手にそう言ってるだけで、
美術の偉い先生にそんなことを言ったら怒られたり破門にされる可能性があるので、
絶対に言っちゃダメだよ!


2018年2月10日 (土)

おいしさの相対性理論

 1

朝目覚めると、頭の中で音楽が鳴っていることがある。
ふん・ふん・ふん……おや、なかなかいい音楽じゃないか、これはホレ、
有名なあの……なんだっけ?

以前にも天丼屋でかかっていたBGMの曲名が思い出せなくて、必死にで探して、
「ベートーヴェンのアンダンテ・ファヴォリでした」
ってことがあったけど、こういうのって音符がわかれば検索できたりするのだろうか。

自分のポータブルオーディオには2000曲ぐらい入っているけれど、
これをランダムに再生すると、
「知ってる曲なのに名前が思い出せない」ってのが結構な数出てくる。
中には、頭を働かせれば曲名がわかりそうなのもあるけど、あえて考えないようにして、
「わからない」
という状況を楽しんだりもする。
まあ、耳のいい人ならたいてい聴き分けられるんだろうけど、
僕にはわからない。

わからないって素晴らしい!なにしろせっかく買ったCDをさらに楽しめるわけだから。

買ったCDは、たいてい最初に集中して聴いたときが一番感動する。
二度めはどこで何が起こるか、耳に残っていたりするので、効果が半減する。
これはJ-ポップでも同じ。最初にワクワクしながら再生したときが一番面白い。

ところが、ラジオで同じ曲がかかったりすると、その時はまた新鮮な感じがして、
「あれ、この曲ってこんなにいい曲だっけ?」
と思ったりする。

結局、退屈というのも、気の持ちようでいくらでも新鮮に塗り替えられるものなのだろう。

で、朝から正体不明の音楽がずっと鳴り響いていたのだけど、
これは二日かかって自己解決できた。
スペインのファリャという作曲家の、「三角帽子」ってバレエ音楽の曲で、
「隣人たちの踊り」だった。
また何とも、小難しいところを突いてくる。聴き流しているようでいて、
頭はしっかり記憶していたのだ。

でも不思議なもので、曲名がわかってしまうと、
「なーんだ」って感じで、どうでもよくなってきた。
名前がわからないときは、ものすごくいい曲のような気がしていたけど、
実際にその曲の場所がわかってしまうと、もういいやとなって、
同じCDの別の曲を聴いていたりする。

曲を純粋に音楽として楽しめずに、名前でなんとなく聴いた気になってるってのは、
我ながら浅はかだなと思う。

こういうことが人の名前でもときどき起こったりする。
先日、知り合いと話していて、
「大学時代の、同学年だけど実は年上の人」
の話になり、あいつとあいつと……と名前を挙げていったところ、
一人、どうしても名前の出てこない人が出てきた。
顔は当時の面貌と十年くらい前に会ったときの面貌がはっきり思い出せるし、
声も生々しく脳内再生できる。
でも、名前がどうしても出てこない。

一応断っておくと、老人性の痴ほう症ではない。
僕は若いころからこの手の記憶の欠落が頻繁に発生する人なのだ。

で、その人の名前がなかなか出てこないので、その人のことをあれこれ考え、
こんなことがあったな、あんなことを言われたなと、
懐かしく回想するうちに、突然フルネームを思い出してしまった。

で、名前がはっきりしてしまうと、また「やれやれ」という感じで、
思い出すことをやめてしまった。これは同期だけど年上の○○君の記憶であり、
その記憶のフォルダーは大切にしまっておかなくてはならない。

実は、名前を思い出さないときの方が、その人のことを生々しく思い出したりするのだ。
名前というのは便利なものだけど、その名前があるために、
感覚的に封印されてしまう情報がいろいろとあるらしい。

話をしていた知人に、
「○○君だった」
と名前を告げたところ、
「○○さんは知ってますけど、まさかかわすみさんがその名前を忘れるはずがないと思って、指摘しなかった」
とのこと。

もし、老人性痴ほう症ですべての名前が思い出せなくなってしまったら、
それは周囲にはものすごい迷惑なんだろうけど、
世界はそれまでよりもいっそう生々しく、新鮮に感じられるのかもしれない。

 2

ずっと牛乳を配達してもらっていて、月ごとにお金を払っているのだけど、
そのお兄さんにずっと言いたかったことがある。
「毎朝配達してもらってる牛乳ですが、じつは一番最初に飲んだ試供品が、一番おいしかったです」

僕の舌が馬鹿なせいかもしれないけど、最初に見本で飲んだ奴の方が、濃かったように思うんだよな。もう二十年くらい前の話なんだけど。

これはまあ、半分言いがかりみたいなもんだけど、
業者というのもある程度の固定客がつかめると、とたんに手を抜き始めるというのはある。
知名度のあるスナック菓子なんかは、お値段据え置きのまま、量が減らされていたりする。
長年食べ続けていたオールレー〇ンが、いつの間にか個別包装になっていて、
明らかに量が減っていることを知ったときは、しばらくショックで買うのを控えていた。
まあ、原材料の高騰で仕方ない面もあるけど、ちょっとくやしい。

ネットで某セブンイレ〇ンのお弁当の変遷を見て、
弁当がお値段据え置きのままどんどん小さくなっていくのがなんともわびしかった。
僕が頻繁に食べてた頃のあのお弁当は、もう存在しないのだな。

某スーパーで自社販売のわかめうどんがあって、
これが目を見張るほどおいしかったのだけど、
あれもおいしかったのは最初のうちだけで、ある程度定番商品として定着してからは、
味の質がずいぶん落ちたように僕は思っている。
勘違いでなければ、最初はお客を得るために全力でおいしい商品を提供して、
固定客が見込めるようになったところで、コストカットを行ったのだろう。

そういうことをいろいろ考えたりすると、店の定番商品なんかより、
弱小メーカーが出した隅っこの商品が、案外おいしいのではないかと気が付き、
買ってみると、実際おいしかったりもする。
まあ、そういう商品は次のシーズンには姿を消してしまって悔しい思いをするのだけど、
世界というのは、頑張っていいものを作ってる人がなかなか報われないのだなと、
あきらめることにしている。
うどんがそう。思いがけずおいしい袋入りの讃岐うどんを見つけて、まとめ買いするけど、
次のシーズンには消えて無くなっている。マイガーーーットと思う。

世の中は、ことほど左様に量産品があふれかえるようになる。
シャアザクよりはMS-06の量産型、ガンダムよりはGM、
コストを抑えて出来るだけ安定して商品を供給することに主眼を置く。
それはまあ、仕方がないというか、経営としてはたぶん正しいことなんだよな。
おいしいものが食べたければ、それ相応の代金を払いなさいと。

でも量産品でもおいしく、お値打ちな商品を作ろうと頑張っている弱小企業はある。
そういうところを発見して、「頑張れ、頑張れ」と応援するのが、
この頃の自分の楽しみになっているのだな。

03

しおり用落書き。

描いてて思い出した。昔剣道の漫画描いたとき、編集責任者の方に、
「あなたの描く太ももは太すぎる、少女というのはカモシカのように細い足が至高なのです!」
とものすごく力説されてしまった。
そのあと担当さんと「いや、ムッチリした太ももの方がいいよねぇ」
と反論しながら太ももを修正したのだ。

割とどうでもいい思い出。

2018年2月 7日 (水)

今朝の新聞から


泣く泣く売り飛ばした本の話をするのは、未練がましくてカッコ悪いのだけど、
25歳ごろに北斎漫画の復刻本と作品の画集を手放している。
「そのうちまた手に入れればいいさ」
と考えたのだけど、北斎漫画は一回り小さい廉価版でしか持っていないし
画集にいたっては、美術展で買ったカタログが何冊かあるだけだ。

その涙ながらに売り飛ばした画集、何度も見返して目に焼き付いているあの画集の、
責任編集者だった永田生慈さんが、昨日お亡くなりになった。
今朝の朝刊で知った。
66歳、こんなにお若かったのかと驚く。
だって、僕がこの方の存在を知ったのはもう三十年も前の話だもの。

1990年代初頭に北斎ブームがあった。その火付け役の一人だと思う。
五巻本のカラー画集を、僕は発売されるごとに買っていた。北斎の絵はもちろんだけど、
永田生慈さんがお書きになった解説も、精読させていただいた。
僕の北斎の知識の大半はこのお方の研究と、仁田義男先生の小説「画狂一代」による。
(後者はまあ、半分フィクションみたいなものだけど)

新聞には近影の写真が掲載され、誌面も多く割かれていた。
残した業績の大きさが、改めて思い返される。
ありがとうございましたと、朝から新聞に頭を下げる自分なのです。

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