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2018年5月

2018年5月31日 (木)

本棚

三十年くらい買い続けていた雑誌があって、大半がストックしてあるんだけど、
それを二十一世紀に入ってからの分だけでも本棚に収納しようと思い、
本棚の本を移動させたり、不要なものを処分したりと、
今週はそんな感じでのんびり過ごしている。もちろん仕事はしてますけど。

仕事場に二つの本棚があるんだけど、その下から二段目の段を空にして、
横160センチくらいずらーーーっと雑誌を並べてみた。
壮観。
しばし達成感に酔いしれる。

入らなかった雑誌も同じぐらいの量放置されているんだけど、
これはどうしたものか。パラパラめくってみる。
お、鉄道写真家の広田尚敬先生が奥様と連載をしていらっしゃるではないか。
広田先生の奥様はハーブの研究家なのだった。
植物について書かれた文章に先生が写真をつけておられる。
夫婦でこんなお仕事もなされていたのか。
もう一度ちゃんと読み返さなくては。

僕が読んだ回はニラについて書かれたものだった。
ニラというと餃子とか最近になって使われるようになった野菜のイメージがあるけど、
実は違う、大昔から日本にはニラがあった。滋養のある薬草だった、
みたいなお話。なるほどなぁ、確かに古い日本のニラ料理って、なんかイメージできない。
どうしても、餃子とかニラレバ炒めが頭に浮かんでくる。

なんだかニラが食べたくなってきた。

本棚の整理というのは五月に入ってから断続的にやっている。
ゴールデンウイークはひたすら本に雑巾をかけていた。
僕は煙草を吸う人なので、本の背表紙のあたりが茶色くなっているのだな。

高価な本はカバーに特殊なコーティングがされているので、たいてい一拭きでとれる。
文庫だと取れないものも出てくる。
でも中公新書と中公文庫は一発で取れた。
なんて読者思いの出版社なのだろうと、改めて感心したのだった。

まあ、茶色く変色してしまうのも味っちゃ味なんだけどね。
川端康成の雪国なんか、新潮文庫のを十代の頃に買っているんだけど、
さすがに八十年代だとまだフォントが小さめで、紙質も酸性紙で茶色くなっている。
煙草に燻されて妙な風格が出ている。
でも昨年読み直した時は案外気にならなかった。むしろこういう昔の小説だと、
新しくて現代的なフォントや紙質の方が違和感がある。

煙草の煙に燻された本も、自分と一緒に数十年を過ごしてきた証であるし、
そう考えると、ただの汚れとは思えず、愛着は増していく。
それに新しい本よりも、古い本を本棚に並べてみた方が、
部屋の景観は落ち着くし、居心地は良くなるのだな。

ふと、目の前の景観が昭和の本屋の中みたいだなと考える。
小売りの本屋は近所から完全に消えてしまったので、
もう身近だと自分の部屋くらいしか、こういう感覚は味わえない。
なんだか本屋の親父になったような気分だ。
万引きもないし、立ち読みする人もいない。というかお客がいない。
そういう本屋で漫画を描きながらのんびり時間を過ごしていくというのは、
ある意味で僕の理想の人生なんだろうなぁ。

2018年5月25日 (金)

机は画材なのだ!


クイーンのロジャー・テイラーだったかな、
ドラムをセッティングするとときにものすごく微妙な位置調整をやっていて、
その姿を見たギターのブライアン・メイが、
「わ。なんか、ものすごいプロっぽいのが来た」
と感動したって話があった。
デビュー前のドラマーのオーディションの話だと思う。

ギターは座るにしても立って演奏するにしても、あんまり位置の微調整はなさそうだ。
でも職種によっては、椅子の位置とか机の角度とか、めちゃくちゃこだわるものはある。

僕はいちおう漫画家なんてやってるんだけど、
机の位置や椅子にはそれなりにこだわっている。
実は今月に入ってから机を取り換えて、一日がかりで微調整をやっているのだけど、
これが奇跡的に、ベストな調整が出来てしまって、
タイラさん旅打ちの五回目はそれで描いた。

問題は、ノートパソコンのタッチタイプが出来なくなってしまったことである。
何が違うんだか、肩が凝って集中力が続かない。
かといって絵を描く方は何の問題もないので、今さらパソコン用にいじることは出来ない。
それで今床に仰向けになって、立膝をして、そこにパソコンを置いて打ち込んでいる。
いろいろ試した結果、暫定的だけど、これが一番文章を書きやすい。
モニターが遠いので変換の文字がよく見えんけど。

話を絵の方に戻すけど、絵を描くときは割と全身を使って描いていたりする。
みなさんにしても、文字を書く場合、けっこう全身の筋肉を使って書いてると思う。
その力は滅茶苦茶すごい。昔、数年間お世話になったアシスタントさんがいたのだけど、
その人は椅子の上で胡坐をかくタイプの人で、絵を描くときに足を踏ん張るせいか、
見事に椅子に二つの穴が開いてしまっていた。

そういう全身の力を机の上の紙の一点に集中するわけだから、
当然机や椅子の微妙な調整が必要になってくる。
大砲をぶちかますために砲身の土台固めが重要なのと同じことだ。

漫画家さんでも、アーロンチェアだったかな、十万円くらいする椅子を使う人が多い。
昔、アシスタント先の先生も使ってたな。
この先生のところにはいろんな種類の椅子があって、さんざん試行錯誤したんだろうなと、
妙なところで感心させられてしまった。
まあ、僕は正座の一歩手前みたいな変な姿勢をさせられる椅子をあてがわれて、
ちょっと迷惑だったけど。
あれも先生が絵を描くために試したものであるのは間違いない。

つまるところ、椅子に座って、鉛筆も持って、
一番きれいな丸を描けるポジションに机の天板があること、
それがもっとも重要なのではないかと考える。
どのカーブにも均等に力が振り分けられて、コンパスのようにきれいな円が描ける姿勢、
それを長時間維持できること。

画家がイーゼルを使って画版を縦に固定させるのは、
それが一番円を描きやすいからだと思う。
漫画家さんでもそうやって描いている人がいる。
実はアシスタント先の先生のところにもそのための机があったのだけど、
あの先生は結局机の上で水平に絵を描いていたなぁ。
人それぞれで、いろんな描き方があり、みなさん苦労してベストな姿勢を探しているのだ。

ここでふと閃いた。
浮世絵師の葛飾北斎は、生涯に何十回も引っ越ししまくった引っ越し魔だったのだけど、
あれって、絵を描くための絶好のポジションを探していただけかもしれない。
なんせ、絵にこだわりまくった画狂老人卍先生なわけだから、
「柱の位置が気に入らねぇ」とか、
「天井が低すぎて絵がゆがむ」
くらいのことは言い出しかねない。
江戸時代の北斎にとって、家そのものが机や椅子に相当したってことは、
割とありそうだなと思う。

「なにを神経質な」と笑われるかもしれないけど、
それくらい、絵を描く人間にとって、机と椅子は重要な「画材」だったりするのだな。

2018年5月12日 (土)

チュッパチャプス


人間を長くやっていると、いろいろな「コツ」が身についていたりする。

うどんを茹でるときに「びっくり水」をいれるとか、
ポテトサラダのジャガイモは砂糖を加えて茹でるとか、
人間関係でも、否定的な言い回しはなるべく使わないとか、
知識として本で読んだり、長年の経験から習得した技術もある。

絵を描くときにもいろいろな「コツ」がある。
顔を描くとき「十字線」を入れる、みたいなのは割と有名なんじゃないかな。
僕は入れないけど、丸を描いて、十字線を入れると、なんとなく顔っぽくなる。
このとき横線より下に目を入れると、子供っぽい顔になり、
上に入れると大人の顔になる。

絵を描く人はたいてい頭を丸として認識している。
丸に首が生え、胴体とつながっているというのが、人体の基本認識である。
だからまあ、絵を描き始めた十代の頃なんかは、
一生懸命「頭」ばかりを描いているのだな。顔を描くのは上手だけど、
体を描かせるとおかしなことになるという人も結構多い。
僕の身近にも何人かそういう人がいた。

顔から体が生え、手足が生えているから、遠くの部位になるほどデッサンは崩れる。
そこでいろいろ絵の模索がはじまるのだけど、
逆転の発想で「胴体から頭が生えていると考えた方が絵が描きやすいんじゃないか」
とはなかなかならない。冷静に考えれば当たり前のことなんだけど、
「頭→首→胴体」というのは描きたい部位の優先順位みたいなものだから、
どうしてもそうなってしまう。

少なくとも、絵を描きだすときに首のだいたいの位置は決めておいた方がいい、
というのがこの頃の僕のやり方で、二本の縦線を引いてから、
頭のだいたいのラインを引いて、それから目鼻を描くようにしている。
イメージとしては、チュッパチャプスを描いて、その棒を握りながら、顔を描く、
みたいな感じである。

このやり方にしてから、いろいろな発見があった。
顔の左右のバランスはこのやり方の方が圧倒的にとりやすい。
左右の目のバランスが狂うと、変な表情になってしまうのだけど、そこはなんとか解決。
あと、あごの描き方が劇的に変わる。
頭を丸として認識すると、あごは球体の下半分って考え方だから、
どうしても頭頂部の影響を受けて丸っこくなってしまう。
でも首の位置を先に決めてしまうと、あごは体から生えている一つの独立した部位になる。
頭の部品というよりは、首とか胴体の側の部品なのだと思う。

と、これがここ一か月くらいの僕の絵を描くときの「コツ」だったりする。
絵を描かない人には本当にどうでもいい話なんだろうけど、
「人間の顔は球体として認識するよりも、チュッパチャプスと考えた方が描きやすい」
というのは、僕には割と「大発見」だったりするのだな。

ところでチュッパチャプスとは何か。
僕が子供のころ、お隣が煙草屋さんで、菓子パンとかお菓子も売っていたのだけど、
ある日、スタンドに大量の飴玉が突き刺さった謎の物体が出現した。
棒に飴玉がくっついているのが大量に密集して、ハチの巣のようだった
「おばちゃん、これ頂戴」
と一つ買って食べてみたのだけど、それが僕とチュッパチャプスの出会いだった。
たぶん七十年代の後半ごろだと思う。

元々はスペインのお菓子で、あちらは第二次世界大戦前からフランコ政権が続いており、
長い間独裁国家だったのだけど、フランコ自身はかなり良識ある独裁者だったようで、
「自分が死んだら王政復古が望ましい」と、およそ独裁者らしからぬことを考え、
その通りに実行した。1975年にスペインは立憲君主制の国家となった。

以後、スペインの商品が世界中で展開されることになるのだけど、
僕が煙草屋さんで出会った「チュッパチャプス」もその一つで、
このキャンディはCMでの宣伝効果もあり、今に生き残る定番商品となっていく。

僕は「チュッパチャプス」というと、
あのハチの巣のようなスタンドディスプレイを思い出して、
「外国からきたオシャレなキャンディ」とイメージするのである。

そう言えばもう長いこと食べてないな。
大きな飴玉は口に入れると邪魔だけど、棒をつければ食べやすくなる。
飽きたら一度口から取り出すことも出来る。
昔はそういうお菓子がいっぱいあったような気がするけど、
一度口にしたものを取り出すのが汚いせいなのか、見かけなくなった。
棒付きの飴というと、鳴門巻きみたいなのがあったけど、
あれもまったく見かけなくなった。

チュッパチャップスは近所のスーパーで売ってるので、
今度買ってみようかしらん。


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