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2018年12月 2日 (日)

無常という事

中学か高校の国語の教科書だと思うけど、
小林秀雄の「無常という事」(有名な評論家さんのエッセイ)が掲載されていて、
そのあとのページに作者紹介の記事とともに、学習用の設問がいくつかあった。

「過去から未来に向かって飴のように延びた時間という蒼ざめた思想」とは何か

そんなもんわかるかと思ったのを覚えている。
いや、そもそも十代の若者に「無常という事」が理解できるもんなのか、
十代にして無常を理解するってのは、どんだけハードな人生を送ってるんだ、
と、今このエッセイを読み返してみてもしみじみそう思う。

僕はまったく理解できなかった。自慢じゃないけど、全然わからんかった。えへん!

小林秀雄は昭和前期、文芸の世界が一番輝いていた時代の評論家だ。
文学や骨董、音楽なんかについてひたすら語る。
「モオツァルト」
という評論なんか、その後の日本のクラシックの理解に、大きな影響を与えている。
与えすぎて、そこからの脱却まで語りだす人までいる。それくらい、影響は大きい。

そんで、滅茶苦茶文章が上手い人だ。詩的で、論理的に明快。
とあるパーティかなんかで、同業者が「文章がうまいってのは得だね」と笑って、
その場にいた吉田秀和が「ぶん殴ってやろうかと思った」ってくらい、文章がうまい。
評論家としての資質まで文章のうまさで胡麻化してるってのか!と激怒したのだ。
吉田秀和は、音楽評論家で小林秀雄の後輩、だったと思う。
初期の評論なんか、ところどころ小林秀雄の影響が見え隠れしている。

そういう日本の文学史上に残る評論家だから、国語の教科書としても何か一遍とりたい、
でも手ごろな長さのものがない、いや、「無常という事」なら丁度いいサイズだ、
掲載しよう、という流れだったのかもしれない。でもこれ、かなり観念的で難しい。

問題として切り取られた文章は、歴史家や一般の人が考える時間の感じ方のことで、
過去から未来の時間の流れというのは、引き伸ばされた飴のようにビヨヨンと延びてる。
カセットの磁気テープのようなものだ。時間は長細く、引き伸ばされた形だ。
ちょっと前まで流行したタイムリープものだと、これがさらに枝分かれして、
別次元の時間軸まで加わってくるのだけど、まあ、一本の線だ。

歴史年表の様に、カセットテープの磁気テープの様に、
時間は過去から未来へと延びていく一本の線である。そういう風に僕も認識している。

小林秀雄はこのようなイメージが現代人の抱く最大の妄想だと、言っている。

昭和17年のある日、比叡山の山王権現のあたりを歩いていて、小林秀雄は突然、
不思議な感覚に襲われた。大昔の人の残した文章が、生々しく心に染みわたった。
時間にして千年近く昔の人の残した言葉が、動かしがたい実体を持って、
小林秀雄の感覚を貫いた。

「この感覚はなんだ」

という経験から、このエッセイは始まっている。そんで、その感覚を言葉で表そうと、
あれこれ考えを巡らせる。自分でもはっきりと言葉にできないものを模索するのだから、
小林秀雄のような名文家であっても、その意はなかなかにつかみづらい。

ましてや十代の学生なら、わかろうはずもない。

ただ、時間は引き伸ばされた飴のような蒼ざめたものではない、という言葉だけが、
頭に焼き付いて離れなくなった。まあ、それだけで教科書編纂者としては、
してやったり、だったのかもしれないけど。

時間が線的なものではなく、もっと何か、奥行きのある広大なものだと考えてみると、
それはなるほど、そうなのかもしれないなと、なんとなくわかったような気になる。
僕の場合、音楽は磁気テープのように茶色く細長いものなんだけど、
こういうことは、生の演奏を聴く場合にも、やっぱり起こる。
頭の中に全体の構造を描き、自分が今どの辺にいるのか、明確にしないと、
音楽に集中できない。集中できないというのが、音楽的才能のなさを証明してるけど、
音楽の全体の形というのは、目に見ることが出来ないから、まあ仕方がない。
僕は聴覚よりは視覚寄りの人間なのだ。

例えばベートーヴェンの「運命」と言われても、その曲がどういう形をしているのか、
説明することはなかなか難しい。でもこの曲、音楽史上でもっとも完璧な構成の曲と、
呼ばれているのだ。それがどういうことなのか、頭で理解しようとすると、
なかなかに、複雑怪奇なことになってくる。いや、完璧な構成なのは、
なんとなくわかるんだけど。

ソナタ形式とか、ロンド形式とか、三部形式とか、音楽には形がある。
さらに第一主題とか第二主題とか、展開部に再現部、いろんな名前がついていて、
これらを頭の中に入れておくことが、クラシックを聴く場合の有力なヒントになる。
いや、本当はそんな名前を知らないで音楽の世界に没入できれば、それが一番なのだけど、
僕は長い曲だと退屈で意識が散漫になり、寝てしまうから、
自分が今どのあたりにいるのか、どのへんで音楽の山場が来るのか、いつ終わるのか、
みたいなことを、頭の中で考えながらじゃないと、音楽が聴けないのだ。
で、それは、磁気テープの形をしており、ところどころに名前がついている。
第一主題提示部、第二主題、展開部、再現部、コーダー……そんな感じだ。

それは物事を理解しようとするときの有効な手段だけど、
そういう風に物事をわかりやすい形に貶めようとする衝動、
固いせんべいを柔らかくして咀嚼しやすくしようとする衝動、
それにばっかり頼っていると、音楽はつまらなくなる。
もっと目の前の現象をありのままに感じ取れた方が、音楽はきっと楽しい。

それでこの頃の僕は、音楽を聴くような場合、演奏されている状況を、
頭の中でイメージするようにしている。歌なら、それを歌っている人の姿、
声を発しているときの姿勢とか、表情まで、想像する。それはそれほど難しくない。
感情だって伝わるのだ。表情がわからないわけがない。
実際の演奏では目の前に歌い手がいて、その表情まで見ることができるけど、
老眼鏡のお世話になってる身としては、むしろ声だけの方が表情を理解できたりもする。
これは楽器演奏者も同じで、何か音を発し、そこに感情が込められていれば、
演奏者の表情はけっこう見えてきたりする。

そうやってイメージを膨らませていくと、聞きなれたCDなんかの曲であっても、
それまでと違って生々しく感じられたりする。再生装置の問題でもなく、
リマスターとかの問題でもなく、単純に聴く方で積極的に入っていこうとすれば、
音楽はどんどん生々しくなるのだなと、ちょいとばかり楽しくなってきた。

そんで、小林秀雄が「無常という事」で表現したかったことって、
これに割と近いことなんじゃないかと、なんとなくわかったような気になった。
いわく、

「 (頭の中の記憶や歴史的な記録を) 上手に思い出す事は非常に難しい。
 だが、それが、
 過去から未来に向かって飴のように延びた時間という蒼ざめた思想から逃れる
 唯一の本当に有効なやり方の様に思える」

……三十五年くらい前の国語の教科書の設問に、斜め上の解答するオッサンなのだった。


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