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2018年12月30日 (日)

「名人伝」 その2

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すっかり年の瀬ですね。
名人伝のネームをひたすらアップし続けていますが、
作者の中島敦さんは昭和17年に34歳でお亡くなりになっておられる。
生前は完全に無名状態で、没後に作品を知られるようになったのは、宮沢賢治と同じ。
代表作の「李陵」なんかも、遺品を整理していて見つかったんじゃなかったっけ。

年表を調べてみたら、「名人伝」が雑誌に掲載された数日後にお亡くなりになってる。
喘息による死去がなければ、このあといったいどれだけの傑作が生みだされたことか。

自分なんて無為のまま五十年も生きているので、考えれば申し訳ないことだなと思う。
来年こそは頑張ろうと、心に誓うのであった。

……
というか、この部分の紀昌を見ていると、
三年間も仕事もしないでひたすらノミを睨み続けていたわけで、
その間の収入はどうしていたのか、
実家が資産家か何かで働く必要のない身分だったのか、
それとも奥さんが機織で稼いで、実質ヒモ状態だったのか、などと考えてしまい、
いろいろこの主人公に感情移入をしてしまうわけだな。
ほれ、僕も絵がどうの、線の引き方がどうのとひたすら「修行」している人間だから。

「山月記」なんかもそうだけど、作者はダメ人間とか無用の人間に対して、
批判的なスタンスはとるけど、その実、ものすごく同情的になっている。

中島敦さんは漢文学の素養が天才的な人で、それがそのまま小説に出てる。
自分でもその才能の比類ないことは自覚していたのかもしれない。
でも病気がちでその才能を十分に発揮することが出来ず、くやしかったはずだ。
それに対する怒りや自嘲、悲しさなんかがそのまま作品の題材の選択に出ている。
「山月記」では、己の天賦の才に驕った詩人が、ついに虎になって友を食べそうになるし、
「名人伝」では、才能を極めた果ての至上の境地とやらを笑い飛ばしている。

そして、「李陵」では祖国から裏切り者の烙印を押され、一族を皆殺しにされた主人公に、
無名のまま消え去ろうとしている自分の怒りを投影しているんじゃないかと思う。
そんなこと、気軽に断言はできないのだけど、
才能を持って生まれ、それがこの世に十全に発揮されることを願いながらも、
状況がその才能を潰そうとすることに対する、激しい怒りを、僕は感じてしまうのだな。

だから、何かしら自分に才能があると信じ、そのことで苦悩している方が中島敦を読むと、
もうどうしょうもなく感情移入してしまうのだ。こういう感情、あるある状態になってしまう。

そういうことを踏まえて「名人伝」のこの部分を読むと、
中島敦には奥さんがいらしたわけで、しかも自分は病気がちでひたすら文学なんかをやっていて、
申し訳ないと思うところもあっただろうから、
これを戯画として笑い飛ばした作者の心は、かなり自嘲的だったんだろうなと考えてしまう。

人間は本当にいろいろで、自分の才能を信じて疑わない超人的な人もいるし、
自分が無才であることを自覚して、謙虚に生きたり、やけっぱちになったり、本当にいろいろだ。

でも、「自分ならできる」と確信を持ち、けれどそれが上手くいかないような状況は、
たいていの人が体験しているはずだ。会社で絶対うまくいくはずの企画が、会議で潰されるとか、
自分が絶対に正しいのに、まわりがそれを認めてくれないとか、
そういう思考の堂々巡りに入り込んでしまったとき、
中島敦の作品などは、とても心に入り込んでくるのではないかと、僕は思うのだな。


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