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コラム

2018年8月21日 (火)

ラジオン


いろんな物事には始まりがあって、
その始まりを見極めようとすると、果てしなく昔に遡らなくてはならなくなる。

スマホを発明したのは誰だろうと発想の源を探ろうとすれば、
ジョブスはもちろんだけど、そもそも無線電話が誰の発明なのかまで、
遡る必要が出てくる。

無線電話の発明は、1900年ごろのアメリカのフェッセンデンである。
ではその人が偉いのかとなれば、無線は無線でも、無線電信の方は、
イタリアのマルコーニになるだろうし、
その無線機につかう「コヒーラ検波器」は、また別の人の発見だったりする。

電話は電話で、有線の電話はグラハム・ベルであるし、
エジソンやらテスラやら、この場合その開発に関係する名前は無数に存在する。

面倒なので、こんな風にまとめてみた。
「19世紀に電気を利用した通信手段の開発が各国の発明家によって行われた」
「19世紀から20世紀にかけて、電波を使った無線通信の技術が確立された」

電波によって遠方の人間と情報のやり取りをするというのは結構楽しい「遊び」であり、
その発明直後から、いろんな人がいろんな「遊び」を始める。
まず、無線電波の開発者であるフェッセンデンが1905年に「無線放送」をやってる。
時間を決めて、その時間に「クリスマスの挨拶と音楽、聖書の朗読」を放送したのだ。
一応これがラジオのハシリと言われている。

で、アマチュアで無線機を持ってる人の中から、自分でもやってようって人たちが続出し、
一時地球の電波帯は無数のラジオ放送のるつぼと化す。
この情熱はなんだろうなって僕は考えるのだけど、
誰かに向けて、自分の持っている情報を伝えたいというのは、
何か人間の根源につながる衝動なのかもしれない。

誰か自分の組んだラジオ番組を聞いてくれる人がいて、
その不特定多数の人たちのために、音楽を流し、語りかけ、ひとときの時間を分かち合う。
この時代のラジオ放送にはお金に左右されない、純粋な衝動があったんだと思う。
それはもう、現代の僕たちには思い出すことが難しいことなんだろうけど。

でも国家がこのような電波の無法使用を許すわけがなく、電波に「使用権」が設定される。
一般の利用者の使える電波の種類は限定され、時間的な制約を受けるようになる。
僕が「アマチュア無線」といったときに連想するのはこのように「排除」された人たちで、
深夜に星空に向けて「CQCQ]と声を放つイメージがある。

とにかく電波は国家が管理するものとなり、国営および民間での「ラジオ放送」が始まる。
だいたい1920年ごろ。第一次世界大戦が終わって電波の管理がゆるくなってからだ。

世界中の無線マニアたちがこの放送のことを知り、番組を聞き始める。
ニュースや音楽、朗読、ひとときの憩いとなる「語り」が電波にのって空に送り出される。
……そんな楽しい「遊び」があるのに、これを聞くためには高価な無線機器が必要であり、
当然一般人には手が出ない。で、どうしたか。
「雑誌を見て手作りした」
という予想外の回答が飛び出してくる。

実際、部品さえあればラジオ放送を聞く機械は自作可能であり、
日本でも昭和の初めごろ、手作りでラジオをこさえることが一大ブームとなる。
ある年代のお年寄りが「鉱石ラジオ」に不思議なノスタルジーを感じるのはこのためで、
都会のあちこちに、ラジオの部品やラジオ本体を売る商店が集まるようになる。
僕は詳しくは知らないんだけど、秋葉原の電気街も、
そういう流れで生まれたのではないかと想像する。

こうしてみると、すべては「無線通信」の発明から始まっており、
その開発者が仲間内限定の「クリスマス放送」を流したように、
本来のラジオは純粋な、誰かに向けてのメッセージの発信だった。
アマチュアたちが無数に発信したラジオ番組も、たぶんそうだろう。

こう考えて今更びっくりするのだけど、この時代のラジオは「双方向」だった。
ラジオ局に向けて反響の電波を送ることだって、できたわけだ。
なんせお互いに無線通信機を持っている間での「遊び」だったわけだから。
会話はきちんと成立する環境だった。
それが、国営および民間の「ラジオ放送」となったとき、情報は一方的に流されるものとなった。
もちろん手紙や電話で感想を伝えることはできるわけだけど、
通信手段と考えたとき、それはある意味で「退化」だったのかもしれない。

このへんの事情は、その後の「テレビ」でも受け継がれる。
情報はテレビによって流され、視聴者は基本的にそれを「傍観」する。
番組を制作し、それを視聴者に観てもらい、ついでにCMも見ていただくという、
考えてみれば不思議なシステムが七十年近く続いているのだ。

で、僕は一方的に垂れ流される無線電波である「テレビ」が次の段階に進もうとすれば、
それは当然、かつてのアマチュア無線士たちのラジオ放送がそうであったように、
「双方向」になることだろうなと考えて、
ああそれで一時期「双方向」をスローガンにしていたのかと、今更気が付いた。
リモコンのスイッチを押すと番組のアンケートなんかに投票できるやつ。

でもそれって、形から未来を探ろうとして、それがまだ見えていない感じがする。
視聴者とテレビ制作者は対等ではない。テレビは上流であって、視聴者は下流だ。
無線電波の始まりにあった「遊び感覚」が、ここでは希薄になっている。

で、同じ無線通信の進化系であるスマートフォン、いわゆるスマホってのが、
僕のようなオッサンにもようやくにして理解できるような気がしてきた。
あれは、無線を利用した情報ツールとしては、正しく創成期のラジオの後継者なのだ。
まだ国家が電波規制をする前の、アマチュアがラジオ番組を乱立させていた、
あの時代の空気に一番近いような気がする。

情報の発信者と、情報の受け取り手が、真の意味での「双方向」、つまり対等なのだ。

だから、テレビが昨今凋落の危機にあるということはよく言われているけれど、
その原因の一つに、無線電波の利用法としては1920年のラジオ放送開始の頃から、
マルっと百年、まったく進歩していないというのが、あるのかもしれない。

まあ、それが取り立てて新しい発見という感じはしないのだけど、
時代がそのような流れの上にあるものならば、ラジオはもちろん、テレビすら、
スマホが復活させた「双方向の文化」の前に、敗退するんだろうなぁと考えてしまう。

……なんでこんな文章を書いたのか、自分でもわからないのだけど、
前のパソコンがクラッシュする前から、無線電波についての文章が山のようにあったのだ。
全部消えちゃったけど。
で、今回それを復活させようとして、こんな形になってしまった。

たぶん、時代が情報の「一方通行」から、「双方向」に変わっているってのが、
僕が考えているよりも大きな流れなんだって、確認してみたかったのかもしれない。

おそらく漫画でさえ、読者と先生という関係はなくなっているのだ。
それは当たり前といえば当たり前のことで、僕は疑ってみたこともないけど、

「読者と漫画製作者の関係は、対等である」

ということの意味を、よくよく噛み締めなきゃいけないんだと思う。

2018年8月16日 (木)

とりあえず

「新しいノートパソコンを買いました」

と書くと、とても景気のいい話みたいだけど、実は緊急事態だったりする。
仕事で使っていたパソコンがお亡くなりになってしまった。
いつもは電源をつなぐと点灯するランプが光らねーし、画面も起動しない。
まあ、先日三日間の完全停止になっていた奴なので、そろそろ来るかと思ったけど、
見事なまでの大往生っぷりである。

僕は原稿を原稿用紙(実はコピー紙)に描いて、スキャナーで取り込むタイプの人なので、
前半はアナログ作業、後半がデジタル作業になる。
幸いだったのはアナログ作業が完全終了してこれからデジタル作業ってとこだったので、
取り込んだ原稿が全滅!という事態は避けられた。
想像すると恐ろしい話なのだけど、作業中の原稿がパソコンの不調で消えることはれにある。

こんなことは誰でも一度は経験があることなんだろうけど、
パソコンのソフトというのはある日突然機能停止することがあって、
実際僕が今使っているテキストエディターにしても、突然強制終了になり、
結構な数の文章が消し飛んでいたりする。
「おお、僕にしては結構オモロイ文章じゃないか」
と一人で悦にいっていると、目の前のエディターが「スッ」と消えてしまう無情さ加減。
小まめにバックアップを取らなかった過去の自分を殴り倒したくなる。

仕事場のアシさんも原稿に背景を入れているとき、
よりにもよってデーターの「保存」ボタンを押した瞬間、パソコンがシャットダウンして、
しばらく暗い画面を見つめたまま、機能停止していたりする。
その瞬間に彼の中に渦巻いている感情を想像すると、哀れだけど結構笑える。
僕にしたって、最近だと一代目旅打ち人のカブちゃんが空港で部長さんに迎えに
来てもらうシーンで、背景の空港ロビーがものすごく上手に描けて、
「おっと、保存しなくてはせっかくの仕事が無駄になってしまう」
と上書き保存のボタンをクリックした瞬間、
「問題が発生したので機能を停止します」
のダイアログが出現して、三十秒ぐらい固まってしまった。
あれって「OK」のところをクリックしないとソフトをシャットダウン出来ないので、
いちいち自分の仕事の処刑執行ボタンを押している気分になるんだよなぁ。

まあ、「これは神がもっといい絵を描けとアドバイスしてくれているのだ」と考えて、
自分を立て直しているんだけどね。

今回はそういう直接的な被害はなくて、
前に描いた水着の女の子の元データが完全に消し飛んだとか、
バックアップをとっていないメールや文章データが消えたくらいなんだけど、
たとえば今打っているこの文章にしても、
IMEは新品状態になっているわけで、文字変換の候補が飛び出すたび、
前のパソコンのIMEよりものすごくおバカな子になってしまった感じがする。
お亡くなりになった前のパソコンだと「てんてん」と打ち込むと三点リーダーの「……」
が出てくるところまでクセを読み込んでくれていたのに、
今のは「てんてん」の変換候補が「点々」だったりするので、
「違う!なんでお前はそんな簡単なこともわからないんだ!」
と新入社員の指導を押し付けられた中堅社員のような気分になる。

というか、キーボードの文字配列が微妙に違っていて、ものすごく文章が打ちにくい。

最近のノートパソコンってハイビジョンテレビの画面に合わせて横に長かったりするから、
キーボードの横に計算機のボタン、いわゆる「テンキー」がついていたりする。
そのテンキーの幅の分だけ中心が左に寄っていて、体が自然と右に傾いてくる。
……世の漫画家さんでこのテンキーを有効活用している作家がどれだけいることか。
カーソルを動かすつもりで矢印ボタンを押しているつもりが、
テンキーのデリートボタンを押していて、文章が消えていく不条理さ加減。。
「CTRL+Z」でいちいち文章を戻さなくてはならない。

まあ、そのうち慣れるんだろうけどね。
(テンキーでカーソルが動かせるのだとこの文章の半日後に理解した)

また三日ほどパソコンが使用できない状態だったので、
メールソフトを起動したらいっぱいメールが来ていた。
ごめんなさい。担当さんにまたしても返信メールを送れなかった。
先週からこんなんばっかだな。

とりあえずキーボードの具合を体に覚えさせるために文章を書いてみました。

2018年7月27日 (金)

台風

今年は西日本の水害被害があったり、猛暑で熱中症被害が拡大したり、
地球規模でいろいろおかしなことになっているけど、今週末には台風も来るそうで、
それも異例なことに太平洋を小笠原の方から縦断し、関東方面に直撃するのだという。
今日から毎年恒例のフジロックフェスティバルが予定されているのだけど、
どうなってしまうのか。
いや、それもあるけど、大きな被害が出なければいいなと心から思う。

僕の父は三十年以上昔に亡くなっているのだけど、
生前に何かの話のついでに、
「お父さんは伊勢湾台風のとき、泳いで逃げたんだ」
と話し出したことがあった。
「名古屋の南は浸水したから、二十代の頃の写真はみんな無くなってしまった」
と。

古い地図を見ていただければ一目瞭然なのだけど、昔は名古屋の南は完全に海だった。
「あゆち潟」という広大な干潟があって、それが愛知の語源になったという話もある。
昭和になって開発されたとはいえ、巨大台風が来ればひとたまりも無かった。
僕が二十歳頃に友達と名古屋の南に野鳥観察に出かけたとき、
南に行くほど地下鉄の音がやかましくなって会話も出来なかったのを覚えている。
大雨が降れば浸水することが確実なので、地下鉄は密閉されてつくられていたのだ。

伊勢湾台風は名古屋の歴史に残るほどの巨大災害を地元にもたらした。
たくさんの家屋が流され、たくさんの方々が亡くなっている。(五千人以上)
父はその災害に遭遇して、身ひとつで逃げ出したというわけだ。

弟と父の話をしていたとき、
「だから名古屋の北の方に住み着いたのかもしれんな」
と冗談で言ってみたら、
「ああそうだわ、絶対それだわ」
と強く同意されてしまった。

今年の水害のニュースで悲惨な西日本の現状をテレビで見ていると、
父が昔語りに話していた伊勢湾台風も、同じように悲惨だったのだろうなと感じた。
子供の頃に想像した、
「台風の中を泳いで逃げる父」
という漫画のようなイメージが、生々しい現実となって迫ってきた。

ちなみに、僕の母は現在、名古屋の南の方に住んでいる。この人は三重県の出身だけど、
災害のあった当時は神戸で実業家の家のお手伝いさんをしていたはずだ。
「ニュートン商会」という会社の社長さん宅で、
「社長さんはリンゴで有名なニュートンさんの子孫なんだ」
と母は固く信じている。いや、アイザック・ニュートンは生涯独身だったはずだけど、
まあ、その親戚筋か何かなんだろうなと思って深くは追及していない。

で、このニュートンさんの日本人の奥様が映画女優のような美人さんで、
優雅に椅子に座るニュートン夫人と、いわゆるメイド姿の母の写真を見たことがあるけど、
なんというか、神は人類を平等にはお作りにならなかったのだなとしみじみ思った。
でも母はこの奥様にとても可愛がられていたそうで、
そのセピア色の写真を指差して、ニコニコと思い出話をするのだった。

同じように写真が残っていれば、父もいろいろ教えてくれたかもしれない。
でも僕が知っている若い頃の父は、戦時中の小学生くらいの坊主頭の父と、
三十前後からのオッサン化していく父ばかりだ。その青春の思い出は、
濁流に流されてこの世界からは消え去ってしまった。

今では名古屋の南側も、昔のような災害に見舞われることはないと思うけど、
母が南に住もうと言ったら、父は反対したかもしれない。
生きていれば八十代半ばくらいになってるんだけど、
若い頃に伊勢湾台風に遭遇した記憶は、たぶんその年齢になっても消えないだろうから。

2018年7月19日 (木)

コンテンツ病

弟子「……またまた御大層なタイトルですね」
師匠「某ネット音楽聴き放題の会員になったんだよ」
弟子「月々の定額料金を払えば好きなだけ音楽が聴けるってやつですか」
師匠「うん、まあ、なんでも聴けるってわけじゃなくて、新譜は聴けないんだけどね」
弟子「意味ねぇ~~」

師匠「僕ぐらいの年齢になると、若い頃耳にした音楽が聴ければ、割と満足なんだよね」
弟子「師匠の若い頃って八十年代ですか」
師匠「いやいや、九十年代だって十分若かったけどね。ミスチル聴いてたし」
弟子「で、どんなの聴いてるんですか」

師匠「TOTO」
弟子「便器のメーカー?」
師匠「違う。そういう名前のバンドがあるの」
弟子「なんでまたそんな名前を……」
師匠「結成当時はまさか日本にそういうメーカーがあるとは思わんかったのよ」
弟子「人気があったんですか?」
師匠「八十年代の音楽の方向を決定したバンドとも言われる」
弟子「ほう」
師匠「アフリカとかロザーナとか、聴けば八十年代の空気が一発でよみがえる」
弟子「でもトートーなんですよね」
師匠「トトだ!オズの魔法使いにそういう名前のキャラクターがいるらしい」
弟子「そこから取ったんだ」
師匠「メンバーは日本にそういう銘の入ったトイレがあると知って、複雑だったらしい」
弟子「ああ、だからあっちではTotoと表記するのが一般的なのか」
師匠「日本だといまだにTOTOなんだけどね。逆にインパクトがあるというか……」
弟子「ウイキペディアのバンド名の考察がえらい長いんだな、これが」

師匠「ボストン」
弟子「あ、カッコいいですねこの曲」
師匠「モア・ザン・ア・フィーリングね。ファーストアルバム一曲目」
弟子「なんか初めて聴くのにどこかで聴いたような感じがします」
師匠「途中のギターリフがニルバーナのスメルライクティーンスピリットと似てるの」
弟子「あ、だからか……ニルバーナの超有名曲をパクったんですね」
師匠「ボストンの方が十年以上先だっての」

弟子「マイケルジャクソンは知ってます」
師匠「亡くなったときに超話題になったからね。知らない方がおかしい」
弟子「スリラーとか」
師匠「高校生だったか、みんなしてビデオクリップのゾンビの真似してた」
弟子「ムーンウオークしたりして」
師匠「出来ねぇよあんなもん。まあ、僕らの世代はみんな一度はチャレンジしてるけど」

弟子「ポリス?」
師匠「これは知ってるでしょ。見つめていたいは今でも超定番曲だし」
弟子「あ、聴いたことがある。これが代表曲なんですが?」
師匠「いや……ドゥードゥードゥーでダーダーダーって曲の方が知名度はあったかな」
弟子「なんじゃそりゃ」
師匠「みんなあの変な呪文みたいな曲を聴いて洋楽に嵌っていった」
弟子「嘘を教えちゃいけない」
師匠「いや、マジでそんなもんよ」

弟子「なんか、師匠の話だと今より洋楽が身近だった感じがしますね」
師匠「ボンジョビの曲を日本語にしてドラマで使ったりとか、けっこう身近だったよね」
弟子「このポリスのスティングって人の恰好とか、少女漫画で出てくるイケメンみたい」
師匠「頭の毛をツンツン立てて、ランニングシャツでギター弾いてる感じな」
弟子「まさに八十年代テイスト」

師匠「リチャードマークス。洋楽版徳永英明みたいな人」
弟子「……有名なんですか」
師匠「このあいだ飛行機で暴れ出した乗客を取り押さえたので話題になってた」
弟子「勇気のある人ですね。日本でも似たようなのあったけど、かなり危険だ」
師匠「あのライト・ヒア・ウエイティング歌ってた人が!ってんで注目されたのだ」
弟子「事件は聞いたような気がしますけど、そのリチャードなんとかって人は知らない」
師匠「うーん、そういうもんかな。今回、真っ先に探したのがこの曲なんだけど」
弟子「好きだったんですか」
師匠「当時MTVでよく流れてたんで頭に焼き付いてるんだ」
弟子「確かに、今聴いてもなんかいい感じの曲ですね」

師匠「同じように焼き付いてるのだと、シンプリー・レッドの曲とか」
弟子「いふゆーどんのーみーばいなう?」
師匠「カバー曲だと思うけど、これも繰り返し流れてた」
弟子「知らないなぁ」
師匠「ユーリズミックス」
弟子「男女二人組ですか。ドリカムみたいなもんですか」
師匠「いや、あっちは元は三人組で……いや、まあ編成は似てなくもないね」
弟子「ゼア・マスビ・アン・エンジェルって曲は聞き覚えがあります」
師匠「それもいいけど、僕はドント・アスクミー・ワイって曲のPVが好きだった」
弟子「なんか拍子木叩いてますね」
師匠「アニーレノックスの顔がアップになると東野英治郎を連想したりした」
弟子「なんでやねん」
師匠「一瞬、水戸黄門そっくりの顔になるんだよね」
弟子「なんでやねん」

師匠「デビーキブソン。天才少女」
弟子「有名なんですか」
師匠「当時、十代の女の子が次々とナンバーワンヒットを連発するんで騒がれてた」
弟子「フーリッシュビートって聞いたことあります、曲名だけですけど」
師匠「日本のアイドル少女っぽいノリはあったね。カイリーミノーグとかさ」
弟子「そこまでかわいくないんじゃ……」
師匠「テレビで日本に来た時の映像を見たけど、かわいいお嬢さんだったよ」
弟子「好きだったんですか、この天才少女」
師匠「割とね。だからプレイボーイ誌にヌードが掲載されたと知ったときは……」
弟子「ショックだった?」
師匠「ネットで画像検索しまくった」
弟子「おいおい」

師匠「ニューキッズオンザブロック」
弟子「かわいい男の子たちを集めて躍らせるって、まんまジャニーズですね」
師匠「中の一人が松田聖子といい仲になって、ようやく日本でも知られるようになった」
弟子「芸能ネタばっかりじゃないですか」
師匠「ミリ・ヴァニリ」
弟子「知らないな。……有名なんですか」
師匠「グラミー賞の最優秀新人賞を受賞してる、二人組のダンスユニット」
弟子「すごいですね」
師匠「その後、口パクで別人が歌ってたことがばれてグラミー賞はく奪」
弟子「おいおい」
師匠「出したCDは即、廃盤扱い」
弟子「ひでぇー」
師匠「まさかこの曲はないよなと思って探してみたけど、当然のごとくなかった」
弟子「そりゃそうだ」
師匠「ウイキペディアでその後の人生を見てたら泣きたくなってきたよ」
弟子「本人たちは自分で歌いたかったけど、レコード会社がそれを許さなかったのか」
師匠「口パクがばれるまでは割とMTVで見てたように思うんだけどね」
弟子「うーん」
師匠「今となってはどんな曲だったかすら思い出せない、幻の曲なんだな」

弟子「で、ミリなんとかは別にして、そういう曲を定額料金で聴きまくてるわけですね」
師匠「学生時代はバイト代は全部本に消えてたから、アルバムで聴けるのはうれしい」
弟子「若い頃の仇を五十でとる、と」
師匠「でも、アラン・パーソンズ・プロジェクトとか、新しい発見もあるんだ」
弟子「ほう」
師匠「当時小学生くらいだから、耳にはしてないんだけど、立派な音楽だよね」
弟子「最新のヒット曲が聴けないのはくやしかないですか」
師匠「僕は最近の曲がオアシスだったりするから、あんまり問題はないかなぁ」
弟子「最近て……あの頃生まれた子らはもう成人式ですぜ」
師匠「もうそんなことになっているのか」
弟子「リアルタイムで世界的ヒット曲を聴けなかったのは、くやしいですけどね」
師匠「オアシス対ブラーの頂上決戦あたりが洋楽の最後の輝きだったのかな」
弟子「見たかったなぁ~」

師匠「選りすぐりのコンテンツが既にあるって、逆に考えれば幸せじゃないか」
弟子「そうかなぁ」
師匠「土台は大きいわけだから、そこからもっと大きいものを創造できるかもしれない」
弟子「師匠は楽天的だな」
師匠「配信はamazonなんだけどね」
弟子「はいはい」

2018年7月15日 (日)

わらしべ長者

床屋に行ったら親父さんが店の横で脚立にまたがって庭木の手入れをしていた。
「あ、どうも」
とキョドると、上から「いらっしゃいませ」と返事が返ってきた。

三連休の初日である。西日本の水害について連日メディアが報道する中、
「ものすごく暑い夏」が日本列島に迫りつつある。
この日もとにかく暑い日なのだった。

暑さのせいか、土曜日なのにお客はいなくて、
こういう場合の通例として、親父さんは実に丁寧に剃刀をいれるわけだ。
マニアなんじゃないかと思う。肌を押し広げて、埋まってる髭まで剃りつくそうとする。
途中でおばあちゃんが来店して、剃刀を当ててもらうつもりだったようだけど、
「まだあと15分くらいかかります」
と親父さんは笑っていた。まだ15分も剃るんかい。

ようやく髪が仕上がって、会計するときにレジ台にドカンと抽選箱が置かれた。
「五枚引いてみてください」とのこと。
「お中元セールのサービスっすか……僕はこの店に来るたび抽選をやってる気がします」
「そうですか。何かいいものが当たりましたか」
「けっこう当ててます」
実際、干物セットとか、お菓子とか、除菌スプレーなんかを当てている。
五百円で一回引けるところを、床屋だとそれなりの値段だから、確率は当然高くなる。
今回もなんか当たるかなと思ったら、全部スカだった。
「ありゃりゃ」
「残念ですね……そうだ、こちらを持って行ってくださいよ」
と、四等の当たり券を二枚引っ張り出してきた。
「前のお客さんが置いていったものです」

なるほど、その場でもらえるならまだしも、交換所まで足を運ばなきゃいけないから、
面倒だと思う人はいるんだろうなと思い、ありがたく頂戴する。

交換所は花屋か文房具屋になってる。このブログでも何度も書いてるけど、
最初のうちは花屋で交換してもらってたけど、この頃は文房具屋に行ってる。
ついでだから画材でも買っていけば面倒がないと思ったのだ。

サインペンとシャープの芯を買い、交換券を差し出す。
「四等ですか、すいません、もうゴミ袋しか残っていません」
ということで、ゴミ袋を二つ頂戴する。
お店のオジサンはものすごく申し訳なさそうだったけど、あって困るものでもないので、
「いえいえ、ものすごく助かります」
とお礼を言って店を後にする。

最近は部屋の不要なものを捨てるのが個人的なブームになっているので、
ゴミ袋の消費が結構早くなってるのだ。
とにかく何でも捨てる。
ビデオテープも燃えるゴミで捨てていいんだとわかってからは、
いらないビデオテープをガンガン捨ててる。
昔、漫画の仕事で資料用としてもらったビデオテープなんかも、
なんとなく残してあったけど、個人的におもろいと思ったもの以外はどんどん捨ててる。

ちなみに、個人的にツボだったのは、某原作者さんが北朝鮮に取材に行って、
あちこち撮影してきたものだ。、日本に戻る前にビデオは当然のように検閲され、
あとで再生してみたらあちこち編集されていたと。
劇場を案内されたときも、昼間だったから公演はなかったはずなのに、
ちゃっかり派手なレビューシーンが挿入されていたりした。
ホテルで素朴な料理を他の観光客と食べているシーンでも、
なぜか突然豪華な料理のシーンに切り替わったりして、不自然この上ない。
これは残しておかなくてはと、妙な使命感を感じてしまった。

ゴミの捨て方にもいろいろルールがある。
スプレー缶なんかも、僕は底に穴を開けてガスを排出してから捨てていたけど、
うちの地域ではこれは実は間違いで、穴を開けずに中身を空にして、
「不燃ごみ」として捨てなくてはいけない。空き缶のような「資源ごみ」とは別なのだ。
たぶんだけど、中途半端に排気するとガスや中身の液体が残って、
引火の可能性がかえって高くなるからだと思う。

タンスやカーペットなどの大きなゴミは、「粗大ごみ」として
区の方に有料で引き取っていただく。先日もネットで予約をしてタンスやらテレビ台やら、
壊れたファクシミリなんかを取りに来ていただいた。

廃棄するときは家の前やマンションの玄関口に出しておけば持って行ってくれるのだけど、
その場合は必ず、料金分の処理券を貼り付けなくてはいけない。
タンスだとだいたい1200円分くらいの券が必要になる。

あれやこれやで、4000円分の処理券が必要なので、コンビニまで買いに行く。
オバチャン……いや、小柄なお姉さまにメモを渡して
必要な券をそろえていただいた。眼鏡の似合う笑顔のお姉さまは、
「コンビニでこれだけの金額の買い物をする人も珍しいわね」
と言いながら、レジ台にドカンと抽選箱を置いた。
セブンイレブン名物の商品引き換えくじである。
……なんか二か月に一回くらいはこのサービスに遭遇しているような気がする。

「五枚引いてね」

とのことだったので、底の方から五枚引っ張り出す。やるからにはガチで当てにいくのだ。
……三枚がアタリで、清涼飲料水3本と交換してもらった。
「良かったわね、きっといいことがあるわよ」
とお姉さまはニコニコしながら商品の入った袋を差し出した。

コンビニで四千円以上の買い物をする人は珍しいだろうし、ジュースを三本当てる人も、、
あんまりいないんじゃないかな。一本はビックサイズだったので、
四百円分くらい得をしたことになる。

髪を切ってゴミ袋を手に入れ、タンスを捨ててジュースを手に入れるという、
わらしべ長者的なお話なのでした。

2018年7月 8日 (日)

サティ

高校時代、僕はバスで1時間かけて通学していた。
名古屋市内の学校なので、距離はたいして離れていなかったのだけど、
途中、幅の狭い橋を二つ越えなければならなかったので、毎度のこと大渋滞に巻き込まれた。
特に市場が混み合う月曜日は要注意で、
短編小説を一本読み終える間、バスがまったく動かなかったこともある。

まあ、乗り物酔いしやすい体質なので、本を読む環境としては良かったのだけど。

そんな理由で、高校時代の僕は割と早起きだった。
家族で一番早く起き出して、食堂の明かりをつけ(実家は大衆食堂だった)
朝刊を読みながらトーストをかじった。
テレビもつけるのだけど、八十年代にはまだ24時間のテレビ放送はなくて、
早朝は試験放送ばかりだった。唯一、中京テレビだけが環境音楽を流していた。

そこで流れているのが毎度同じピアノ曲で、僕はその曲名から演奏者の名前まで、
完全に覚えてしまった。
今になってみると覚えるまでもなく、超定番曲なんだけどね。

エリック・サティのジムノペディ。
演奏はフランスのピアニスト、パスカル・ロジェさんである。

84年に発売されたレコードはけっこう売れたらしい。
瞑想的な起伏のない曲調で、病院の待合室で流すのにうってつけ、
放送開始前の朝のテレビで流すのにだって、ピッタリである。
……おかげでこの曲を聴くと高校時代に中日新聞を読みながら、
トーストをかじってた自分のことを思い出す。

有名な曲だと思うのだけど、タイトルまでは認知されていないのかもしれない。
大学時代に知人とステーキハウスに行ったとき(退院祝いだったかな)、BGMで流れていて、
「あ、この曲なんだろう」
と呟いていたから、
「エリック・サティのジムノペディ第1番、演奏はパスカル・ロジェ」
と条件反射で答えたら、
「なんでそこでスラスラ返せるんだよ!」
と呆れられた。

高校時代に毎朝聴いていたからだけど、なんか「すごい奴」と思われたようなので
そのことは黙っておいた。

ところでこの知人はその後、実際にCDを買って聴いてみたそうで、
「なんかつまらんかった」
と感想を述べた。
「おまえのせいで余計な出費をした」
……知らんがな、そんなもん。

エリック・サティは「家具の音楽」を提唱した人で、
「音楽は壁紙やテーブルのように、さりげなく存在しているのがよい」
と考え、そういう音楽を書いた人である。

BGMはさりげなく室内に流れ、
運悪くその存在に気が付いてしまったとしても、「つまらない」と忘れ去られるのがいい。
コンサートホールで聴く自己主張の激しい音楽とは真逆の、雰囲気だけの曲なのだ。

漫画だって、このごろは重い意味を押し付けない、軽いものが好まれている。
深刻ぶらず、たとえ重たいテーマがあったとしても、表面上は軽く流す。
……何事も重大事件のように大騒ぎしがちな昭和バブル世代にとっては、
なんとも不思議な時代の傾向なんだけど、
それだけ若い人にとっての現実がハードってことなのかもしれない。

ところで僕自身はピアノの曲はそれほど好きではないし、サティのアルバムも、
持ってはいるけどあんまり聴かない。基本的に自己主張の激しい、
うるさい音楽が好きなのだ。

先日、アシスタントさんの家の近所に「男の晩飯!」なる食堂があると聞いて、
わざわざ食べに行った。なんとなく濃いものが食べたくなったのだ。

カロリーの高そうなメニューを一瞥してから「レバニラ丼!」を注文する。
「レバニラ丼一丁!」とやたら濃い顔の外人さんが注文を通す。
なかなかに徹底している。
しばらくして濃い顔の店員さんが料理を持ってきた。
でっかいドンブリに大盛りご飯とレバニラが載っていて、
さらにその上にはレバカツまで飛び出している。まさに男の晩飯!
ドンブリ持ち上げてマンガのようにガツガツとかきこむ。
年齢的に厳しいものがあるけど、ときどきならこういうドカ食いの店も悪くない。
……まあ、「お昼はレディース定食もあります」の貼紙には、経営の厳しさも感じたけど、
店内の脂ぎった感じと言い、なんとも僕好みの漢空間だった。
しかも!その時BGMで流れていたのは、水木一郎の「タオ」(ゲキレンジャーの曲)なのだ!
暑苦しくも超熱血!

……たまにはそういうBGMも悪くないのだな。

YouTubeだとこれ→https://www.youtube.com/watch?v=b5kTyihW-FA

2018年6月25日 (月)

月、な。
物心ついた頃から空に輝くあの物体はなんとも不思議なモノだった。
僕が生まれたのは1968年で、アポロはこの年に月面に着陸している。
だからまあ、物心ついた頃には月の神秘はあらかた解明されていたわけだけど、
そういう世界のムードとは別に、月を見ているとなんとも不思議な気分になる。

天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ

万葉集の柿本人麻呂の歌なんだけど、月を見上げた千年以上昔の大和人のことを思えば、
さぞや壮大な宇宙が頭上に広がっていたんだろうなと考える。
月の船と言われて巨大な宇宙船を連想してしまう自分がなんともうらめしい。

小学四年生のとき、授業で「月は自転しているか、自転していないか」と先生が質問して、
クラスの大半が「自転していない」に挙手をした。
「自転している」に挙手をしたのは僕一人だった。
正解は「自転している」なのでこれは僕の自慢話なのだけど、
黒板に地球とその周囲を回る月をいくつも描いて、
それが常に同じ面を向けているのだから、
「ほら、自転してるじゃん」
と言った時、クラスの大半が「?」だった中、超おさげ髪の後藤さんだけが、
「あ」
と理解してくれたのが、ものすごくうれしかったのだな。

彼女はそれこそ月のように輝くおでこを持った女の子で、
生まれてからずっと髪を伸ばし続けていた。一度書道教室に通う道すがら、
この子の家の前を通ったら、お風呂上がりだったのか、
膝まである長い髪を足らした状態で玄関先にいて、おでこが黒髪に覆われていた。

夕暮れ時だったし、風通しのいいところで髪を自然乾燥させていたのだろうけれど、
唐笠お化けのように長い髪が広がっていて、そこから白い素足が伸びているさまは、
完全に異形の存在だった。僕に気が付くと「見たなぁ」みたいな目で睨みつけてきた。
怖くなって慌てて逃げ出した。何か深層心理を抉るような不気味さがあった。
まあ、この子とは中学まで一緒のクラスになったりしてたんだけどさ。
その後も卒業までずっと「おさげに満月のおでこ」のキャラクターのままだった。

このことがあったせいなのか、いまだに、
髪の濡れている女の人を見るとちょっと「怖い」と思う。
オカルト映画の「リング」で貞子が登場したシーンを見たとき、
「あ、後藤さんだ」と懐かしい気分になったのは秘密である。

月は潮の満ち引きに影響を与えている。人間の気分にも影響していると思う。
二十代の初め頃、僕は満月になると絵が描けなくなる、みたいなジンクスを持っていた。
なんか絵が上手く描けないなと思い、夜の散歩で川辺をブラついたりすると、
たいてい空には真ん丸なお月様が輝いていた。
「あ、お前のせいか」
と絵が描けないイライラを月のせいにしていたわけである。

当時住んでいたのは江戸川区の繁華街のど真ん中で、周囲はビデオ屋とラブホだった。
田舎の知り合いが大挙して東京にいらしたとき、駅前の居酒屋で飲んでいたのだけど、
そのとき、
「満月の夜は絵なんて描いてられないですよ」
と、その通りの意味でこぼしたところ、
「おお、君は満月の夜には狼になるのか、そりゃこんなところに住んでりゃな!」
と盛大に勘違いされてしまい、以後猥談モードに入ってしまった。

思えば、絵の話題を真剣に語れる相手というのは僕の人生には一人もいなかったなぁ。
この時も仕方がないので田舎の方の「武勇伝」を、
「おお、すげー!さすが!」
と笑顔でやり過ごしたけど、自分の孤独さに圧し潰されそうになっていたのだった。

絵のことは本当に、誰に話しても通じない話題なのだな。
漫画の編集さんに話を向けても、
「私は丸も書けない不器用ものだから」
と逃げられたりする。たぶんえらい漫画家さんに、
「君、丸描けるの?描けないの?描けないくせに俺の絵にケチつけるの?」
とか、いじめられたんだろうなと思う。

同業者でも通じない話題だったりする。絵のことを話題にすると、
お互いプライドとかコンプレックスとか、いろいろ複雑に絡んでいたりするので、
「てめーこの野郎」
と最終的には険悪になる。ものすごくデリケートな話題なのだ。
だからまあ、四十代になる頃には話題にすることを避けるようになってしまった。

絵を描いてる人に絵をくさすと、とにかくものすごく怒る。
一般の人は「事実を指摘して怒るのは人間が出来ていない証拠だ」と考えるけど、
その一般人は人生かけて一つことを追求した経験がなかったりする場合がほとんどで、
「全人生を否定される苦痛」というのを理解していない。これはまあ、しゃーない。
それがどうだ、お互いがお互いのウイークポイントを的確に知ってる同士の喧嘩となれば、
血で血を洗う壮絶なものとなる。てめーのアゴのラインはゆがんでるんだよ、
に始まり、視線があさっての方向を向いてやがる、
首が長い、眉がおでこに生えてる、肩幅がゴリラだとか、下半身が安定しないとか、
絵の初心者なら誰でも通る道で、深くえぐれる傷のありそうなあたりを、
バッサバッサとなで斬りにするわけだ。

何かに夢中になり、何かを究めようとすれば、人間は誰でも孤独になるという。
人様の意見に耳をふさぎ、あるいは「おまえに何がわかる」とバリアを張って
予防線の中で孤立したりする。
某原作者の人と酒の席でお話をしていて、
「漫画家さんの絵に注文を入れると狂ったように人格が変わるのはなんでか」
と嘆いていたけど、身を斬られるような苦痛を感じているのは、
漫画家さんの方だろうなと僕は考えてしまう。同業者だからというのもあるけど、
ひとつことを究めようとして、孤独になってしまう人間というのは、
それがどんな趣味や職業であっても、どうしょうもなくナイーブなのだ。
そこに世間一般の物差しを持ち込むのは、残酷だとすら思ってしまう。

残酷ではあるけど、世間一般に合わせるのがお仕事である以上、
それを乗り越えるのも原稿料分の仕事なんだけどね。

最近双葉社から月岡芳年の「月百姿」の画集が発売されて、
新聞の広告でそのことを知った僕は、本屋さんまで買いに行ったのだ。1900円+税。
画題が月ということもあって、満月の絵が多いけど、
上手いよな、芳年さん。毎度夜空の月を見上げて画想を練ったりしていたんだろうか。
月の下に百人の人間の人生模様があって、それぞれに味わいがある。
まあ、何人か神様もいるけどさ。

月を画題にすると孤独で寂しい感じがひとしおとなる。
最後の浮世絵師と呼ばれる人が晩年に病と闘いながら描いた絵だから、
余計に孤独で寂しい感じがしてしまう。

でも絵はものすごくバラエティに富んでいるのだ。滑稽画風だったり、美人画風だったり、
師匠国芳譲りの武者絵風だったり。
自分が受け継いだ江戸の浮世絵の伝統を、ここで集大成しているような感じがする。
絵描きの心は孤独だけど、絵を描く心は全然孤独じゃないんだよな。

もうすぐ満月になるみたいだけど、三十代になる頃には例のジンクスは消えていたなぁ。
ときどき絵がまったく描けなくなる時があって、こうしてキーボードを叩いたりするけど、
ふと思いついてネットで月齢を調べたりすると、満月にはまだ日があったりする。
絵が描けないことと月はあんまり関係がないのかもしれない。

それでもまあ、憂さ晴らしに夜道を散歩していたりすると、
「絵が描けないのはお前のせいだ!」みたいに
月に悪態をつくことは、あるんだけどね。

2018年6月21日 (木)

ドナドナ

原稿を出版社に送ってから、小さい冷蔵庫を一日がかりで磨いたのだな。

うちには二台の冷蔵庫があるのだけど、近所にスーパーも出来たし、
冷蔵庫を回収業者さんに引き取ってもらって、空いたスペースを有効活用しようと考えた。

小さいと言っても僕の肩ぐらいの高さがある。まさにセカンド冷蔵庫。
うちに来てもう15年になるから、中学三年生ってところか。
やわらかいベージュのボディで、愛着もひとしお。
いちおうリサイクル業者に回収してもらうのだから、新しいご主人様と巡り合って、
幸せになるんだよぉ~なんて考えながら、隅々まで磨く。
プラグも雑巾で丁寧に掃除する。
まさに、娘を嫁に出すような心境。

ところが業者さんに話を伺ったら、
「リサイクル対象になるのは五年が限界なんで、これは廃棄処分になります」
とのこと。なんか、ものすごい罪悪感を感じてしまった。

トラックに積み込まれて「ドナドナ」されてしまうかわいいそうな冷蔵庫!

どうでもいいけど「ドナドナされる」ってなかなかうまい言い回しだ。
冷蔵庫の悲しい運命はさておき、僕はドナドナについて調べてみることにした。

「ドナ・ドナ」は第二次世界大戦中にユダヤ人作曲家によって作られた曲で、
日本では安井かずみさんが訳詞をされたものが有名。
なんと、「超時空要塞マクロスー愛・おぼえていますか」と同じ作詞家さんである!
……というのは今さらなくらい、日本歌謡史に残る名作詞家さんである。

なんだ、ただの翻訳か、と思われるかもしれないけど、
この方、一度発表したものを修正していて、
その修正版が現在みんなの知ってる「ドナ・ドナ」なのである。
修正前は子牛が食肉として死ぬ運命なのだと露骨にわかってしまうものだったけど、
現行バージョンではそこは伏せられている。
子供が歌っても、「子牛さんは新しい飼い主さんと出会えて幸せになれるといいな」
とはぐらかすことが出来る。でも、よくよく注意してみると、
「子牛が市場に売られていく、ただそれだけのことですよ」と語る語り口は、
とんでもなく重たいのである。
やっぱ、日本語の訳詞が優れているから、この歌は普及したのだと思う。

ドナドナが「不要になって売り飛ばされる悲しみ」を表現する言葉になったのは、
僕の記憶だとアニメ「攻殻機動隊」のどれかの話で自立機動兵器「タチコマ」が
不用になって廃棄される?みたいなシーンだったと思う。
タチコマ君たちが集団で「ドナドナ」を歌っていた。
それでオタク界隈から「ドナドナされる」みたいな使い方が広がったと僕は思うけど、
こういうのって同時多発的にあちこちで発生したりするので、
ソースカツ丼の発祥地よろしく、その起源はよーわからんのです。

「ドナドナ」はことほど左様に現代語として普及しつつあるように見える。
そのうち広辞苑にも載るのかもしれない。いや、もう載ってるのかな、
手元にないからわからないけど、ネット上では普通に日本語として解説されている。

うがった見方をすれば少子高齢化社会になって、
「未来ある若者がドナドナされている!」とか、
「いや、老人の方がドナドナされてるんだ、楢山節考だ!」とか、
現代のいろんな社会問題がこの一言で語られてしまうのが、普及の理由かもしれない。
社会学者さんが本を出すとき、「ドナドナされる日本」とかタイトルをつけそうだ。

でもこういうものはギャーギャー騒ぐよりも、作詞家の先生よろしく、
「それが日常なのだ」
と歌に流すのがよい。いいじゃん、荷馬車でドライブ。
人生なんてどうせ「市場」に到着するまでの一里塚。
泣こうがわめこうが、終わるもんは終わる。

とりあえず僕は、
「今ある冷蔵庫は大切に使ってあげよう」
としみじみ思うわけなのだな。

2018年6月20日 (水)

パタリロの第40巻が大好きだ、という話

本棚の大移動もようやく落ち着いてきたのだな。

自分はかなり本を持っている方だとは思っていたのだけど、
実際に箱に詰めたり担いで移動したりしていると、
「きゃははは」
と頭の回線が切れて笑ってしまうくらい、無尽蔵に本が存在している。
いったいいつ読んだんだろうと疑問に思うのだが、
どの本にも見覚えがあり、モノによってはそれを本屋で買った時の情景まで、
はっきり記憶していたりする。

岩波文庫で「セザールフランクの生涯」昭和20年代の発行で、すでにしてボロボロ。
名古屋にいた頃からずっと探していた本だったので、東京の古本屋で目にした時、
「!」
となった。頭で理解するより先に目が釘付けになったというか、
視線が背表紙に吸い込まれたというか、
ああ、本好きの人が本に呼ばれるってこういう感じを言うんだろうなと、
その時しみじみと思った。値段を見たら600円だったので、
「安い、この店の店主は見る目がない、僕の勝ちだ」
とよくわからない勝利に酔いしれ、レジでふんぞり返ったことも、はっきり覚えている。
内容はフランスの作曲家セザールフランクの生涯を、
弟子のヴァンサン・ダンディが書いたもので、ダンディが恩師を必要以上に持ち上げ、
神様のように崇拝しているために、評伝としての評価は低い。
むしろ「フランク教」の教典としてイロモノ的に楽しむもの。
だからまあ、これを喜んで買う人はものすごく少数だとは思うんだけどね。

小川国男さんの随筆集があり、パラパラと読んでいたら、
学生時代に色画用紙で作ったしおりが挟んであった。
どこへやったのかと思っていたら、こんなところで眠っていたのかい!と、
感慨深くながめる。
確か、修学旅行か何かで関東方面に行ったとき、箱根の寄木細工を実際に目にして、
「何か無駄に手先を使うようなものを作りたい」
と衝動にかられ、作ってしまったのものだと思う。
赤と黄色の色画用紙を組み合わせて、織り込んである。
二十代の前半くらいまではしおりとして活用していたのだけど、その後行方不明になった。
三十年以上前のものなので、黄色い画用紙に赤い画用紙の色が移っている。

パタリロの第40巻。
現在100巻近くまで続いている有名な漫画だけど、僕はこの40巻が大好きで、
これだけ別にしてあった。
別にしてあったためにしばらく行方不明になってしまうというのは、
まあ割とよくあることだよね。本棚の裏に落ちていた。
この40巻はパタリロの中でも異色作で、基本的にパタリロは出てこない。
「出てこない」という設定になっている。
実際は国王パタリロが単調な生活に飽きて、変装して日本で発明三昧のバカンスを過ごす、
という内容である。だからシバイタロカ博士は出てくるけど、パタリロは出てこない。
僕がなんでこの巻が好きかというと、パタリロなのにこれ、ラブコメなのである。
気の弱い高校生と、世話焼きの幼馴染、クラスのマドンナ、かわいい妹と、
ラブコメの要素がこれでもかとぶち込まれている。
「魔夜峰央がラブコメを描くとこうなります」
という実験を、先生本人がオチャラケてやってしまった!という作品なのである。
しかも、ラブコメとしての完成度もかなり高い。一巻のなかで綺麗にまとまっている。
なんなら前後関係なく、この巻だけ買っていただいても問題はない。
パタリロがマリネラの国王で、英国情報部にバンコランというスパイの知り合いがいて、
そのバンコランが視線だけで美少年を落とす「美少年キラー」だとわかっていれば、
十分に楽しめる。
最近「飛んで埼玉」が話題になってその才能がますます注目されている魔夜先生だけど、
これも同じくらい……いや、正直に言ってしまえばそれ以上に楽しい作品だと思う。

そういえば最近、今やってる旅打ち漫画でタイラさんのお母様を描くとき、
担当さんに「顔に母と文字を書くと魔夜峰央っぽい」と話題にしたのだけど、
その出典はこの40巻である。何がそんなに魔夜峰央っぽいのかというのは、
読んでいただければわかる。あのネタは至高である。

魔夜先生というと、中学の頃クラスメートの水野君に「面白いよ」と紹介されているから、
もう40年くらい読み続けていることになる。初期パタリロとラシャーヌは、
読んでいて床の上を転がりまわるくらい笑った。こんなに面白いものがあるのかと、
目から鱗が落ちて背中で割ってしまうくらい、転がりまくった。
中学生になって一時期漫画から離れて小説ばかり読んでいたのだけど、
再び漫画の世界に嵌るようになったのは魔夜先生の責任である。
それと「ガラスの仮面」……どちらもいまだに完結していないというのは、
さすがに中学生の自分には思いもよらないことだったのだな。

他にもいろいろな本が再発見され、再び読書欲が目覚めている自分なのだけど、
そうなるとまた部屋に籠りきりになってしまいそうで、健康には良くないなと、
考えてみたりもするのだな。

2018年6月 5日 (火)

あじさい

五月が終わり六月になって、紫陽花のガクも大きく膨らみ始めている。
もうすぐ紫がかった赤っぽい色がついて、雨に鮮やかに映え渡るようになる。

アジサイを「紫陽花」と書くのは日本だけらしい。中国ではそうは書かない。
「斗球花」とか「八仙花」の文字を使う。
……慣れもあるんだろうけど、「紫陽花」の表記は秀逸だなと個人的には思う。

日本人はすごいな、偉いなと右曲がりに喜んでみるけど、
実はこれは平安時代の日本の学者の早とちりが原因らしい。
白居易の漢詩にあったのを、アジサイのことだと勘違いしたのだ。
実際はライラックのことではないかと言われている。

今さらそんなことを言われても「紫陽花」で刷り込まれたイメージは取り消せないので、
日本人は千年この方、この漢字を使い続けている。
いいじゃん、紫陽花。もうこの漢字を見るだけで雨の中に咲きほこる花が見えてしまう。

人生はたいてい思い込みと勘違いで作り上げられてしまう。

またしても本棚の話だけど、一つの本棚を丸まる開放して、
そこに「ガンダムA」をぶち込んだのだ。

なんのこっちゃ。

2001年ごろに機動戦士ガンダムをコミカライズしようという動きがあり、
最初は講談社に話を持ち込んで、のちに角川がこれをメインにした雑誌を発行した。
題して「機動戦士ガンダム ジ・オリジン」である。
漫画執筆をアニメーターでもある安彦良和先生が担当されると聞いて、
僕は狂喜乱舞した。ガンダムのキャラデザで作画監督の安彦先生が漫画を描くのだから、
これはもう、ほんまもんのガンダムである。
雑誌は六年間、毎月発行されるとのこと。これはもう、買うしかない。
買って安彦先生の神がかった描線をじっくり堪能しようと心に誓った。

安彦先生の名前は物心ついた頃から認識していた。
勇者ライディーンとか、ろぼっ子ビートンとか、洗練されたキャラデザに魅せられた。
千代田橋のユニーに映画の宣伝でやってくると聞けば、小躍りして出向いたりした。
クラッシャージョウはミネルバのプラモデルを作っちまうくらい、のめり込んだ。
あんな風にスラスラ絵が描けるようになりたいな、神様だなと思ってた。

その熱狂が去り、懐かしく思い出すようになるのが三十代になってからで、
その時期にこの企画を立ち上げるというのは絶妙だし、ずるいと思う。
僕は毎月買ってきた「ガンダムA」を堪能し、安彦絵に酔いしれ、
その分厚い雑誌の処分に窮した。
捨てられないのだ、「ガンダムA」。

安彦先生の絵を資源ごみとして廃棄することがなぜできるだろうか。

幸い、うちにはかなり広大な収納スペースがあったので、
雑誌はそこに押し込まれることになる。なに、たったの六年だ。
余裕で収納できるはずだ。番外編でも始めない限り、余裕のよっちゃん♪

シャア・セイラ編始動!(笑)

幼いシャアとセイラ、キャズバルとアルテイシアのお話は、そりゃ見たいさ。
ランバラルとハモンさんの馴れ初めも、おお、こうであったかと楽しませていただいた。
でも一年戦争開戦まで続くこの番外編が、雑誌の量をどんどん増大させていく。
仕事場のあちこち、ソファーの上から机の下まで、雑誌がどんどんたまっていく。

連載は結局、十年間続いた。

押し入れやらあちこちに乱雑に積み上げられたジ・オリジンは、もちろん順不同であり、
たまに手に取ると、ジャブローでズゴックが暴れていたり、
別の雑誌では「マチルダさぁあああん!」とアムロが絶叫していたりする。
最初からちゃんと読みたいと思っても、創刊号がどこにあるのかわからない。
いっそ単行本を買って雑誌を捨てるか?とも考えたけど、
アムロのパンツの柄が変更される前の雑誌版は、貴重と言えば貴重なのだ。
(ミライさんの服の柄と被ったとか、そんな理由で変更されたはず)

で、ゴールデンウイークから進行していた本棚大整理作戦の終盤メインとして、
本棚一個丸まるガンダムAを並べることにした。

そのために不要な雑誌やら旅行ガイドブックを大量に破棄。
狭い我が家の本の占有率を無理やり引き下げる。
ゼクシイとか、なんでいまだに取ってあるんじゃい!と苦笑しながら、
まとめてポイする。たぶん本棚一つ分くらいはスペースが空いたはず。

かくして、すべての雑誌を順番通り並べ切ったのであった。

ずらっと並んだガンダムAを見ながら、僕は思うのだ。
おまえ、本当にそこまでガンダムが好きなのか?と。
単なる思い込みなんじゃないか、と。

ふと記憶がよみがえる。中学生の頃ガンダムの再放送を見ていて、
それはシャリアブルの回だったのだけど、
亡き父が後ろから覗き込んで、
「それ、何が面白いんだ」
と真顔で聞いてきたのだ。

いや、シャリアブルの回はニュータイプの話の説明回みたいなものだし、
安彦先生は過労で倒れて入院中だから、作画もけっこういいかげんで……と、
中学生の自分は必死に言い訳しようとしたけど、まあ、
面白いかと言われれば、けっこう微妙な回なんだよな。ひたすら宇宙空間だったし。

しかし父よ!今やお台場にUCがそびえ立ち、日本人でこれを知らない人はいない。
「これはとてもいいもの」なのだ!(塩沢兼人の声で)

そこでようやく最初の話に戻るのだけど、
人生はたいてい思い込みや勘違いで成り立っている。
アジサイは紫陽花であると千年以上誤表記され続ける。

でもそれが人生なのだと開き直りつつ、
僕は「ガンオタの女」を掲載順に読み進めるわけなのだな。


より以前の記事一覧