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コラム

2017年7月23日 (日)

カッメーラ!

デジタルカメラを買いに池袋まで行ってきた。
以前にもこのブログで書いているけれど、長年愛用していたのが壊れてしまい、
しばらくは携帯のカメラでしのいでいたのだけど、いよいよどうにもならなくなって、
「買うべ」
と腹を据えた。

だいたいのイメージとしては、小型で持ち運びに便利なもの、できれば望遠、
接写もできれば素敵だね、くらいのものだったので、まあ大抵のものがOKになる。
日本のカメラの技術は大したものなのだ。

特に自分のような、いまだに頭の中がフイルムカメラ時代のままなおじさんにとっては、
21世紀のデジタルカメラはドラえもんのひみつ道具みたいなもので、
どの機能をとっても「へぇ!」と驚くことになる。
奥様、自動でピント合わせができるんですってよ!お肌の色も機械が調整してくれて、
本人よりも写真の方が美人に写りそうな勢いなんですってよオホホホホ。

池袋のデンキ屋さんには中国人のお客さんが多い。エレベーターに乗ろうとしたら、
店員さんが中国人の男の子と話しているのとすれ違った。なんつーか、
あっちの子は物怖じしないよなぁと素朴に思う。
日本人の子供が店員と対等に話してるのって、なんかイメージしづらい。

カメラ売り場に上がって、良さそうなのを見つけ、
「これください」
と若い店員さんに声をかける。
キヤノンのシルバーっすねと、在庫を探しにバックヤードに引っ込み、しばらくして、
「お客さんラッキーっすね、このカラーの在庫はこれが最後っすよ」
と、ちょいと気持ちのいいことを言ってくださる。そうか、それはラッキーだな。

僕の買い物はこれで終了なのだけど、店員さんにとってはここからが本番になる。
「液晶画面の保護フイルムいかがっすか!」
ああ、あの玄人は風呂場で裸になって貼るってやつね。僕はいらないかな。
傷がついてもその傷を楽しむって境地になってるし、誤って気泡ができたり、
フイルムの角度が微妙に傾いて貼れてしまったりすると、めちゃくちゃイラつくから。

「SDメディアいかがっすか!製品には入ってませんよ!」
写真を保存するやつか。
古いデジカメのメディアをそのまま再利用できればいいんだけど、なんせ十年前のだし、
たぶん認識しないんじゃないかなと考え、買うことにする。ちなみに前のは2G。
「一番安いので8Gになります!」
ありゃ、やっぱ容量デカいのな。(ちなみに前の2Gも認識はしてくれた)

「各種保証はいかがっすか!メーカー保証のほかにビックの五年保証もできますよ!」
これは入る。故障があって修理を依頼するとき、
保証があるとないとでは店の客に対する対応が極端に変わるのだ。
保証があるととりあえず人間扱いはしてもらえる。
でも無いと迷惑クレーマーなみにぞんざいな扱いになる。

「全損保証はいかがっすか!ぶっ壊れても五百円の保証に入っていれば、二千円くらいで
同じ商品が手に入りますよ」
「それはいらないかな」
「ですよねーぇ」
あんたもそう思ってたんかいと、心の中で突っ込みを入れる。

家に帰ってからいろいろ写真を撮ってみる。
画素数はやたらデカいけど、ブログ用はレベルを落とすからあんまり意味なし。
接写はさすがに前のよりも高性能だ。しかも自動で接写モードになる。
Img_0012

どっかお出かけして風景も撮ってみたいけど、それはまた別のお話。

今朝の読売新聞の日曜版。
Img_0022

毎度見出しが著名人の名言だったりするのだけど、今回はこいつが来た!
思わす、声に出して歌っちまったよ。
(ジャスラックに気をまわしてボカシ入りました)

高校時代、名古屋ローカルのラジオ番組を毎晩聞いていたんだけど、その中で
「GSア・ゴーゴー!」ってグループサウンズの特集コーナーがあって、おかげさまで
ザ・タイガースとか、昔の音楽もそれなり耳にしていたりする。
「花の首飾り」はそのコーナーのテーマ音楽だったのかな。
当時のトップアイドルだったザ・タイガースが一般から歌詞を募集して、
18才くらいの女学生が書いたのがこの詩だ、というのは雑学として知ってた。
いわゆる企画ものなんだけど、これが当時大ヒットしたんだよね。
リアルタイムは知らんけど。

ボーカルは加橋かつみさんで、「ニルスのふしぎな旅」のオープニングの人といえば、
僕らの世代ならまず通じる。同じザ・タイガースの沢田研二さんとはまるで違う歌声で、
雄大な大地の歌声、みたいなスケールのデカさを感じる。すごい好き。

で、この日曜版はその著名人の名言とそのゆかりの土地を毎度紹介しているのだけど、
今回は北海道の八雲町なのだった。作詞の女の子のふるさとなのだ。
で、ここはお土産品として有名な木彫りの熊の発祥の地だといわれている。

鮭くわえた例のアレですね。八雲町のはくわえてないのが特徴だそうだけど。

この熊のお土産の由来については最近テレビで知ってちょっと興味を持っていました。
明治の御一新で尾張徳川藩士が職を失い、新天地を求めて北海道に入植したあと、
その行く末を常に見守っていた尾張藩の徳川義親公が、
「スイスに視察に行ってこんなん見つけたけど、みんなも作ってみたらいいんじゃね?」
と提案したのが土産物用の小さな木の彫り物で、
「だったら熊が定番だよね」
って彫り始めたのが、北海道の熊の彫り物のルーツなんだそうな。

わが地元名古屋も少し関係があるのかと思うと、ちょっと誇らしかったりする。

で、その土地が「花の首飾り」の詩の生まれた場所だってのは、また驚きだったりする。
いつか、行ってみたいものだなと、しみじみ考えたのでした。

あ、いつの間にかカメラの話でなくなってら。

2017年7月20日 (木)

イワシ

今年はウナギが平年よりも一割ほど安くなってるぞと、夕刊紙に書いてあった。
稚魚漁が好調だったそうな。それでも水産庁は、
「ウナギの資源量が回復しているという科学的根拠はない」
と、慎重な姿勢を崩さないのだが、
実際スーパーなどをのぞいていて、
「おやおや」
と肌身に感じていたことではあるので、ウナギは今年の「売れ線」になるのだろう。

イワシ。

先日の新聞紙面で日本の漁獲量の変化をバブル期から追ったものが載っていて、
それによると八十年代後半をピークに、日本の食卓から魚が消えていく様子がわかる。
ピーク時と比較して、現在は一割以下といったところか。
魚売り場は本当に寂しくなった。
マグロが主役の座を降りたのはいつのことだったか。
いつの間にやらサーモンが刺身の目玉商品になっていたりする。庶民的にはそうなる。

漁獲量激減の一番の原因はイワシの不漁が三十年近く続いているためで、
かつては朝食メニューの定番だった「めざし」が鮭やシシャモにその座を譲っている。
若い人の中には「めざし何それ」な人も多いみたいで、ネットでちょっと調べてみたら、
若者のめざし離れを嘆く老人の愚痴がいくつか見つかった。

全体の流通量が激減しているので、逆にめざしなんか安くなってる気もする。
スーパーの隅っこのほうで九尾二百円くらい。一時おいしいので食べまくっていた。
都内だと節分に厄除けで食べたりするので、その時期は大量に出回ったりする。

近年は漁獲量が回復傾向にあるという観測もある。

この頃は中国人がサンマやサバのおいしさに目覚め、公海での乱獲が問題になってるけど、
彼らもさすがにイワシには手を出さないんじゃないかと思うので、
案外何年か先には日本の国民食の地位を回復するかもしれない。

日本人にとってイワシは諸外国以上に身近な魚だったりする。

だいたい「鰯」という漢字そのものが日本の代表的な国字で、中国由来ではない。
最古の事例は長屋王(!)の邸宅跡から出土した木簡で、
そこに「魚編に弱い」の文字が確認できる。
なにしろすぐに痛む魚なので、干物にするか油につけるかするしかない。
だから「弱い魚」と表記するのかなとも思うけれども、
語源はいまいちよくわからない。

西洋ではオイルサーディンとかアンチョビみたいな油漬けが主流の食べ方になる。
なんだかんだ、お酒のお供にぴったりな魚なんだな。
どうでもいいけどオイルサーディンはあの髭のマークの缶詰が大好きだ。
洋酒あおりながらちびちび食べたくなる。

イワシは生臭くて焼いても独特の臭いがするのだけど、
それが昭和の家庭のにおいだった気もする。
サザエさんなんか、ずいぶんイワシ臭い世界だったと思うのだけど、
この頃はそんな空気もなくなっているんだろうな。

イワシ、カムバック!とおじさんは願うのでありました。

2017年7月15日 (土)

新聞小説のヒロイン

夕刊の新聞小説をこの頃は読み続けている。
平将門の時代を舞台とした歴史もので、馬と甲冑と弓矢が飛び交う坂東の物語だ。
これを毎夕楽しみにしていて、夕刊はまずそこから読み始める。

日々に移ろうニュース記事よりも、小説の中の登場人物の方が気がかりだったりもする。
新聞小説というのはそうやって読者を毎日紙面に引き付けるものなのだろう。

新聞小説というと、尾崎紅葉の「金色夜叉」あたりがまず浮かんでくる。
「金色夜叉」は僕は読んだことがないのだけど、寛一お宮の悲恋物語じゃないかと思う。
昔の名古屋のテレビCМで
「来年の今月今夜のこの月を、僕の涙で曇らせてみせる!」
という名セリフを繰り返し流していた。
熱海の浜辺で学生服の男が、このセリフとともに美人の娘に蹴りを入れる、
娘はそれでも成金との縁談にすがりつく。
「ああ、ダイヤモンド!」
……そこで「宝石の美宝堂」とかなんとか、社名が流れたんじゃないかと思う。

あらすじを読んでも、絶世の美女が学生との恋よりも成金との縁談を選ぶ話のようで、
女の即物的な欲望の象徴が「ダイヤモンド」(アクセントはヤの字にあり)なのだろう。
これをCМで使ってしまうあたり、名古屋の下世話なお笑いセンスなんだろうけど、
苦笑とともに宝石屋の名前は頭に残るので、まあCМとしては成立している。

明治の新時代、古風な大和撫子は知的で即物的な明治の女へと変貌しつつあった。
江戸の封建時代を知る明治男からすれば、それが実に新鮮で、面白く見えたであろうし、
女性からしても、最新の女性とはそんなものかしらと興味をそそられたに違いない。

夏目漱石が大学教授の職を投げうって、朝日新聞の新聞小説を連載し始めたとき、
その題材がまた、「今どきのけしからん女」だったのは面白い。
「虞美人草」は漱石の文語美文体小説では最後の作品になるのかな。
(※「草枕」があるの忘れてた)
古めかしい文体なんだけど、読み始めるとこれが滅法面白い。
名家の令嬢の藤尾が周りの男性を手玉に取りまくる。
「金色夜叉」のダイヤモンドに対して、こちらは金時計なのだけど、
その金時計を振り回して「お金が欲しければ私の犬になりなさい」みたいな感じで、
明治の男どもをばったばったとなで斬りにする。

夏目漱石としては「金色夜叉」はあまりお気に召さなかったみたいで、
島崎藤村の「破戒」を「金色夜叉」などより上だとほめていたりするのだけど
その漱石が新聞小説を書くと、「金色夜叉」っぽいノリになってしまうのは、
一般読者の興味を分析した結果なのかもしれないけど、まあ面白い。
実際、「虞美人草」は発表当時大評判となり、関連商品も売れたそうな。
アニメのヒロインが話題になってキャラクターグッズが売れるのと似ている。
藤尾は明治時代のヒロイン像の一つの典型なのだろう。
その影響は「高飛車で上から目線の金持ちのお嬢様」として未だに生き続けている。

ところで、漱石自身は藤尾のようなヒロインは「大嫌い」で、
「虞美人草」という作品そのものが、このいけすかない女を破滅させるための物語だ、
みたいなことを手紙か何かで書いていたはずだ。
たしか門人か誰かにあてた手紙。
「藤尾ちゃん、いいすね、激モエっすよね」みたいな言葉に対して、
「あんなもんを好きになっちゃいかん!あれはダメな女だ、あれを破滅させるために私は小説を書いたんだから!」
みたいな感じだったかな。

実際、物語の終盤になると漱石の筆はノリノリになってきて、ものすごく楽しそうに
自分の創造したヒロインを破滅させている。
文章を読んで書き手の「グルーブ感」を感じたのは僕は「虞美人草」が初めてだったので、
その部分はやたら強烈に頭に残っている。

でも読者はそうは読まなかった。高飛車な藤尾というヒロインが
ものすごく魅力的に映った。
だから関連商品は売れたし、作品も評判になった。
のちに映画化もされたし、ドラマにもなっている。
(自分のイメージだと大原麗子なんだけど、実際は古手川祐子さんだった)

新聞小説の使命として、魅力的なキャラクターを創造し、
その一挙手一投足で読者を引き付けるというのが大きいと思うのだけど、
その点でいえば漱石の「虞美人草」は新聞小説の大成功例なのは間違いない。
でも、漱石自身は、案外「金色夜叉のパロディ」を書いただけだったのかもしれない。
「こういう女を喜ぶとか、おかしいんじゃないか」
と一般の読者に提示したつもりだったのに、読者は藤尾を称賛している。
これぞ新時代の女であると、喜んでいる。この生意気さがかわいんだよね、
俺も藤尾に振り回されてみたいと、けしからんことまで言い始めた。
「従順なだけの女は面白くない、こういう男を足蹴にする女が魅力的なんだ」
まできたところで、漱石はおおいにつむじを曲げる。
以後、漱石は藤尾のような新時代の女はヒロインにせず、
むしろ昔ながらの古い女を持ち上げるようになる。

人妻が百合の花を手にしながら、自らの恋心に罪悪感を感じるとか、たまらんですよ。
それを奪い取って破滅していくとか、本望じゃねぇか!みたいな。
ある意味、裏返しの「金色夜叉」みたいな方向へと走る。
「それから」の美千代さんが藤尾ほど印象的なキャラクターとは思えんけど、
漱石としてはそれは近代と敵対してでも守るべきものだったのかもしれない。

新聞小説の大ヒット作といえば、菊池寛の「真珠婦人」がある。
僕は横山めぐみさん主演のドラマのほうをCSで観て、滅茶苦茶はまった。
昼ドラの帝王といってもいいくらい、奥様方に人気のあった番組である。

男どもを手玉に取る若き美貌の未亡人「真珠婦人」。
その彼女は実は秘めた恋を守り通す一途な女性だった!みたいなお話。
ある意味、「金色夜叉」「虞美人草」のヒロインの発展形なのだけど、
悪女的な新時代の女性に「貞淑な昔ながらの女性」を強引に合体させたところが、
なんとも新機軸だったりする。
これは原作を読んで、そちらも面白いなと夢中になった。

なんでこんなアクロバットなことが可能になったかというと、
状況が清楚で貞淑な女性をどんどん追い込んでいき、
「この恋を守るためには、私は悪女にだってなってやるわ!」
な心境にさせてしまうのだ。だから、本当の意味で悪女ではないのだけど、
大衆娯楽作品としてはこの微妙な匙加減が大いにウケた。
だって、外面的には男を手玉に取る悪女なのに、
実は一人の男を一途に思い続ける貞淑な大和撫子なんですぜ、お客さん。

設定としては日和ってるし、尾崎紅葉や漱石が描き出したかった「醜悪な近代文明」とは、
違うような気がするけど、「一途に恋を守り通すヒロイン」は確かに魅力的なのだ。

新聞小説ではないけれど、ラジオドラマの「君の名は」(アニメじゃない方)も、
状況がヒロインを悪女にしていく系の作品である。
男性が冷静に物語を見ると、
「こうまで不運の連続攻撃を受けると、ギャグとしか思えない」
となるのだけど、製作者のご都合主義は「運命のいたずら」という甘い言葉になり、
「真知子さん、かわいそう!春樹はもっと彼女の気持ちを考えるべきだわ!」
という女性からの共感を引き起こすことになる。
僕は映画の三部作を見て笑いが止まらなかったけれど。
(恋敵のアイヌの少女が谷底に落ちていくときは、腹を抱えて笑ってしまった)

菊池寛が発明した「悪女の免罪符」としての「運命のいたずら」は、
昭和のドラマの全盛期にそれこそ雨後の筍のように乱用されまくることとなる。
本来微妙な匙加減だったものが、乱造され、それがドラマだ!みたいなノリになる。
むしろ、その過酷な運命(製作者の悪意)に立ち向かう健気なヒロインさえ出てくる。
山口百恵の赤いシリーズなんかはそうだろう。
スプリンターのヒロインが走れなくなった足にフォークを突き立てるシーンは、
壮絶なギャグとして僕の中では記憶されているのだけど、70年代のドラマではそれが
割と当たり前の演出だった。運命とは、笑ってしまうくらいに過酷なのである。

この時期のドラマを見まくった自分たちの世代なんかは、
運命がいたずらをするのはむしろ当然のことであって、
それが物語のような気さえするのだけど、たぶんとんでもない勘違いである。

新聞小説の世界で魅力的なヒロインを創造しようとすれば、悪女が一番である。
でもその悪女に道義的免罪符を与えようとすれば、運命のいたずらに頼るしかない。
で、そのうち「運命のいたずら」の面白さに製作者が目覚めてしまって、
ドラマの世界に「運命の歯車の大脱線まつり」がはじまってしまったのではないか、
なんてことをちょっと考えてみた。

何考えてんだろうな、僕は。

2017年7月 6日 (木)

エイトフォー

久しぶりに床屋に行った。若いころは無精に髪を伸ばすのが
「反体制的」
みたいな70年代のノリを引きずっていたので、割とほったらかしだったのだけど、
年を取ると「爺さんの長髪」というのは、よっぽどの覚悟がなくてはできない。
「反体制」のフラッグが「社会不適合者」の烙印になりかねない。
オッサンは東京の片隅でひっそりと漫画を描く「小市民」なのである。

「この街には落ち武者ヘアーの漫画描きがいる!」
と、妙なUMA扱いされて、当局に要注意人物扱いされたくはない。

床屋の話は以前にもこのブログで書いたのだけど、
近所の床屋が「お客さん漫画家さんなんですか」とやたら根掘り葉掘り聞いてくるので、
ここ二十年ほどは隣り町の無口な床屋さんを贔屓にしている。

自分の頭頂部の栄枯盛衰を知り抜いているのは、家族とこの親父さんくらいのもんだ。

平日なのでお客はおらず、店主はお客の椅子でテレビを観ておられた。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」

この頃は無口は無口なりに時事的な会話程度はするので、天候についてあれこれ話した。
台風は僕の知らない間に関東を通り抜けていたらしい。
「今年は雨が少ないので、もう少しいっぱい降らしてもらいたかったですけどね」
なるほど、店のテレビ(床屋式の椅子からは見えない)でも、関東の水がめがピンチで、
荒川水系で節水が始まっているとニュースキャスターの声がしている。
「荒川は埼玉県を通っている」と、どうでもいい予備知識まで披露している。
ダムの貯水率は平年の20%程度らしい。

「今年も去年のキャベツのように、野菜が値上がりするかもしれませんね」
と、適当な感想をのべると、
「そうですねぇ」
と、あちらも適当な相槌を返す。

テレビは節水についての蘊蓄をしゃべり続けている。
歯磨きはコップに水をためて、蛇口の水は流しっぱなしにするな、
髪を洗う時もこまめにシャワーを止めろ、
それだけで一日に2リットルのペットボトル十本分くらいは節約できるらしい。

うちは共栄住宅なので、水を流しっぱなしにするのは配管の中の水を入れ替えるって、
そういう意味もあるんだけどなぁと、ぼんやり考える。
以前部屋の外で水道業者が会話していたのを聞いてしまったのだけど、
「外側のパイプの入れ替え工事をして、それで水は奇麗になりますか」
「ダメだね。個々の部屋への配管は古いままだから、ずいぶん汚いことになっているよ」
と、物騒なことを話題にしていた。
以来、水道の水を口に入れるときは、ある程度流しっぱなしにしている。

基本的にそれほど神経質な人間ではないので、ネットで、
「中国のウナギ業者は自分のところのウナギは食べない」
って話題を読んだ時も、そんなもんかなと納得した。
なんか、始末に困った人間の死体を餌の代わりに養殖槽に放り込んでるとか、
そういう風聞なのだけど、
「危険な薬物を投入されるよりはまだマシ」
「死体が怖くてシャコが食えるか」
とネット人が笑い飛ばしていて、まあそりゃそうだ、生々流転ってくらいで、
自分が普段口にしている有機物にも、かつては人様を構成していた物質もあろうし、
だいたい肉や魚はまんま生き物なのだ。

そんなどうでもいいことをあれこれ考えているうちに床屋は仕事を終えていた。
本当にどうでもいいことだ。
僕は頭をいじられていると面白いアイデアを思いつくことが多いので、
風呂で髪を洗っているときとか、床屋でアイデアを仕入れることがある。
「外国語で話すと人格が変わるって面白いよな」
ってこの店で髪を刈られている間に思いついて、早くメモしなくてはと焦ったこともある。
でもこの頃は割と平凡に、くだらないことばかり考えている。

レジで会計を済ませようとすると、小ぶりなゴミ箱が置いてあった。
「商店街の催しなんですよ」
とクジを引くように勧められた。五百円で一回。僕は七回引くことになる。
五等が五枚、三等が二枚当たった。
「申し訳ない、二枚も当たってしまった」
「景品交換所でお菓子なんかと交換できますよ」
とのことだった。

毎年やっているので、これまでにも干物の詰め合わせとか、割とよく当てている。
今年は何だろうと交換所の文房具屋に向かう。

何も買わないのも何なので、漫画用のインクとピグマを買う。まさに思うつぼ。

三等の景品は店の隅の箱の中から選べるとの話だったが、目ぼしいものはあまりなかった。
むしろ四等の箱の中のほうが、お菓子やらグッズやらがあって賑やかな感じがした。
三等は洗剤とかティッシュの箱とか、制汗剤だったりした。「8×4」だ。
「なんで八かける四なのだろう」と今調べてみたのだけど、
もともとはドイツの商品で、有効成分に
「Hexachlordihydroxydiphenylmethan」
が使われているらしい。これが三十二文字。だから八かける四でエイトフォー。
「ちなみに現在はこの成分は使われていない」となっている。

語呂が面白いから名前だけ意味不明のまま残っているってことか。どうでもいいけど、
商品名の来歴だけまとめたブログがあったら、そこそこ人気になるんじゃないかと思った。

景品を目の前にしばらく考えてから、除菌剤と洗剤を取り出して、
「これいただきます」
とお店の人に提示した。
「そこに袋があるんですよ」と、店主がレジ袋に詰めてくれた。

面白い商品名というと、サランラップがある。
透明な樹脂を発明した二人組の研究者がいて、それぞれの奥さんが「サラとアン」だった。
だから愛妻家の二人はのろけ半分に「サラ・アンド・アン樹脂」と名前を付けた。
それが詰まって、「サランラップ」になったのだけど、
「ン」一文字に短縮されたアンさんがなんか不憫だなと、思い出すたびに考える。

夕方の空は夏前なのでずいぶん明るいのだけど、少し曇っていて、時々雨粒が落ちる。
買い物の奥様方が自転車で行き過ぎる。半袖にコットンパンツで、尻の形が頭に残る。
漫画描きの名言に
「若者は胸にこだわるが、年を取ると尻の良さに目覚める」というのがあるのだけど、
人体のデッサンをしていると、尻のデッサンが案外難しいのだなと気が付く。

尻とはなんであるか。

股関節から足が分岐し、その付け根の形状が尻になる。
ダビンチのように人体の構成を解剖学的に考えると、そこには一切の無駄はなく、
筋肉の配置の妙があの形を作り出していることになる。それなのに、
なんで人間は尻に変なロマンを抱いたりするのだろうか。
一説には、サルは発情期に交尾を促進するために、メスの尻が赤くなって、
それが煽情的にオスを駆り立てるというのがある。
太古の人間にもそういう時期があって、女性の尻の形状に種の保存への欲望が、
フツフツと湧き上がるのかもしれない。

桃の果実や半分に切ったリンゴの断面にも、ロマンを感じる男はいる。

そういったロマンを突き詰めていくと、尻のラインには生命の根源が感じられるようで、
その核心をなんとかつかみ取ってみたいものだなと思うけれど、
客観的に考えてただのエロおやじ以外の何物でもないので、困ったもんだ。
ものすごく哲学的な話題だし、それに人生をかけた芸術家もいるのだけど、
自分には万難を排して尻に人生をかける男気はないなと、
またしてもくだらないことを考えながら、夕方の商店街をブラブラと歩いた。

特に書く話題を用意しないでダラダラ文章を書くと、本当に意味のない文章になるという、
見本みたなものだな。

2017年6月20日 (火)

キャベツと社長さん

 1

亡くなった父が自分の叔父をものすごく尊敬していて、その話をさんざん聞かされた。

僕から見れば大叔父にあたる良雄さんは川隅の本家の次男坊か三男坊で、
養子に出されて才覚一本で大きな会社の社長さんにまでのし上がった。
だから、同じように本家を出て独立した父には、人生の目標だったんだと思う。
俺も叔父さんみたいに故郷に錦を飾ってやるぞ、てな感じで。

姫路に本社があって、幼稚園の頃に父と叔父さんとお城をバックに写真を撮っている。
だからその時のことだと思うけど、父に連れられて社長に会いに行った。
駅前の商店街のおもちゃ屋に寄って、ガッチャマンのゴッドフェニックスの玩具を見つけて、
買ってほしかったけど買ってもらえなかったのは覚えてる。
なんと、ガチャマンのほかのマシンも収納できてしまうすぐれもの。
子供のころの自分は、ボンフリー号とかタイムボカンのメカブトンとか、
小さいマシンを収納できる大きなマシンがなんか大好きだったのだ。
電人ザボーガーの頭の中からヘリコプターが出てきても許せてしまうお年頃だ。

で、会社の社員寮みたいなところに一泊した。
社長さんなら豪邸の一つや二つは持ってそうなものだけど、
「そんなものはいらない」
という、実にあっさりした叔父さんだったのだ。
お金持ちの豪邸に泊まってみたかった僕は、ちょっとがっかりした。
トラ皮の絨毯の上でフカフカのソファーに寝転がってみたかった。
僕の持ってる昭和のお金持ちのイメージは完全に成金親父である。

で、その晩は僕は社員寮に残され、父は叔父さんと飲みに繰り出したのだと思う。
幼稚園児が一人でわけのわからないところに置き去りにされ、ちょっと不安だった。
父にしてみれば、尊敬する叔父さんに自分の長男を見せたかったのだろうけど、
いざ連れてきてみたら持て余した、ってところなんだろう。
計算してみたらあの当時の父は30代中ごろである。
今の僕からすれば考えなしのただの若造である。

で、朝になって目が覚めたら、父が申し訳なさそうに苺を用意していた。
「練乳も買ってきたぞ」
と、苺にまわしかけてくれて、食べたらそれがものすごくおいしかった。
あんまり昭和の話なんでわかりづらいかもしれないけど、昭和40年代、
苺に練乳をかけて食べるなんてのは、なかなかにステータスの高い食事なのである。
普段は牛乳に砂糖をまぶして食べていた。

あと、姫路城内でレインボーマンのお面をかぶった僕の写真なんかが残っているけれど、
そこらへんのことは全く記憶に残っていない。
社長さんと写真を撮っているのに会ったことすら記憶に残っていない。
ただ、この旅行で「父は叔父さんのことをものすごく尊敬しているのだな」というのが、
なんとなく頭に刻み付けられた。

だから、中学生くらいの時に父が話して聞かせる叔父さんの伝説も、話半分で聞いていた。
「本社のセレモニーホールにピアノを置いたんだけどな」
「うん」
「叔父さんはそれまで触ったこともないのにピアノを演奏したんだぞ」
「ふうん」
「やっぱり社長になるくらいの人は天才なんだな」
「さよけ」
みたいな感じである。
たぶん適当に叩いたピアノの音が、父には天上の音楽のように聞こえたのだろう。

この大叔父がテレビに出たときは、僕もさすがにワクワクした。
宮尾すすむの「日本の社長」は僕の大好きな番組コーナーだったし、
自分の縁者が宮尾すすむとどんなやり取りをするのか、期待もした。
でも、少年のワクワクは番組開始早々に裏切られた。
宮尾すすむが長期休業か何かでレポーターが代理の人だったのだ。
この段階で僕の興味は半分吹き飛んだ。

テレビに出てきた大叔父は、ものすごく成金ぽかった。
たぶん、そう思わせないために豪邸を持っていなかったのだろうけど、
そのことで逆説的に成金度はアップしていた。

「私はキャベツが大好物なんですよ」
と、高級マンションの一室で丸のままのキャベツをむしって食べていたけど、
なんかカッコ悪かった。そんなもん全国放送で流すなやと思った。

「私は金持ちだけど、こんな質素な生活をしています」的なアピールは良くない。
いっそ金満豪邸親父であってくれたほうがよっぽどすがすがしかった。
番組の最後にスタジオに現れ、一千万円の眼鏡を自慢したのも、かっこ悪かった。
なんか、徹底していない。結局お金持ちだって自慢したいだけじゃん。

この大叔父の息子さん、父の従兄にあたる人はこれとはまるで逆の性格で、
ラスベガスまで遊びに行って一億円ふっ飛ばしたという話がある。
「道楽息子だ」と、父は批判的に話していたけれど、
僕はそっちの方がよっぽどカッコいいと思った。
金持ちは金持ちらしく、豪楽に振舞ったほうがよっぽど見栄えがいいのである。

で、ここまでが前振りなのだけど、キャベツを生のままでむしって食べてみました。
今回はそのお話なのです。

 2

原稿を描き終え、ホッとした反動なのか、それまでの不健康な食生活の反省なのか、
「生野菜が食べたい」
と、ものすごい欲求が沸き上がってきた。
冷蔵庫の中には買ってきたばかりのキャベツやらピーマンやらがある。
よし、食べよう。
僕は皿の上に生のキャベツと種を取り除いたピーマンをのせた。
さすがにそれだけだと寂しいので、お酢と塩をふりかけた。

で、バリバリ食べてみた。手づかみで。

驚いたことに、めちゃくちゃおいしかった。
ピーマンはさすがに不味いんじゃないかと思ったけど、そんなことはなくて、
程よい甘みさえ感じるくらい、おいしかった。
「料理っていったいなんなんだろう」
と考えたけれど、その答えはすぐにわかった。
アゴがものすごく疲れるのだ。
普段自分がいかにアゴの筋肉を使わないのかを実感した。
少量の野菜を生で食べただけなのに、いまだにアゴが疲労している。
料理とはつまり、食事で使う筋肉の労働を軽減させるものだと悟った。

食べるってことは、それだけで重労働なのである。
肉を食いちぎり、骨を砕き、野菜を粉みじんに粉砕する。
これだけでかなりのカロリーを消費するし、肉体は疲労する。

このことは僕にはものすごく大きな発見だった。

あと、酢と塩をかけたのは余計だったなと思った。
今市場に流通している野菜は、おそろしく完成されている。
それだけでチョコレートや菓子パンのようにおいしく食べられる。
昔の野菜ならもう少し青臭かったのだろうけど、それはまったく感じなかった。
農家の方はものすごく頑張っているんだなと、しみじみ考えた。

そんで、これを日常的にやっていた大叔父のことを思い出した。
「あの人、これを毎日やってたんだよな……」
案外、逆説的な金持ち自慢ばかりではなくて、大叔父の編み出した健康法だったのかもしれない。
これを毎日やればアゴの筋肉は鍛えられ、脳にはものすごい刺激になる。

僕自身ははアゴの疲労がすごくてさすがに続けられないと思ったけれど、
大きなことをやらかす人ってのは、それなりすごい人なんだなと、
妙なところで感心したのだった。

若いころの自分ではあるけど、人を一方的な価値観で切り捨ててはダメだなと、
反省したのでした。

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大井川鐵道で「懐かしかろう」と名古屋の鉄ヲタさんがくださった「クッピーラムネ」。
子供のころは安価に手に入る駄菓子の定番だった。
「名古屋の会社なんですよ」
と言われ、全国区だと思っていたお菓子が地元のものだと初めて知った。
おいしさハッピーである。
下りのアプト式列車の中で雄大なダムの風景を見ながら食べたら、
すごくおいしかったです。

2017年6月 2日 (金)

名古屋めし


となり町に雑用で出かけて、ついでにその町に新しく出来たスーパーをのぞいてみたら、
スガキヤの味噌煮込みうどん(インスタント)が置いてあった。
喜々として買ってくる。

故郷名古屋を離れ、はや四半世紀。いや、26年だったかな。
名古屋では当たり前に手に入るものがここ東京ではなかなか入手困難なのだけど、
それでも、近年の「名古屋めしブーム」とやらのおかげで、
どうにか入手できるようになってきた。

昨日、何気なくテレビをつけてみたら、名古屋めしの特集をやっていた。
妙齢のお嬢さん方(当社比)がお店で鉄板ナポリタンを食べて、
「鉄板だと食べながら調理してくれるから、味が変わって面白いのよオホホホホ」
とほほ笑んでおられた。

名古屋出身で幼稚園の頃に鉄板ナポリタンを食べていた自分からすれば、
味が変わるなんて考えたこともなかったし、熱々の鉄板を前に
ヤケドしそうなスリルを味わいながら食べるもんだと思ってた。

実家が大衆食堂だったので、開店当初は流行りものをいろいろお店で出していた。
鉄板ナポリタンもそんな流行りものの一つだったのかもしれない。
ステーキ用の鉄板、木の器に黒い鉄板がのっかってるやつに溶き卵を敷き、
半熟加減で焼けたところにスパゲッティ・ナポリタンを乗せる。
ウインナーは赤いウインナーでなくてはならない。
で、食べるときは鉄板の卵をフォークでかき起こし、麺とからめながら食べる。

大好きだったけど、客層に合わなかったか、めんどくさくなったのか、
自分が小学校に上がる頃にはメニューからは消えていたな。

その後、よその喫茶店なんかに行っても見かけることがなくなってしまったので、
「鉄板ナポリタンは僕の見た幻だったのではないか」
とまで考え始めていたのだけど、近年になってまた注目されるようになってきた。

まあ、そろそろ食品業界もネタが出尽くしたってことなのかもしれない。

大人になって「そんなもん、ナポリタンにスクランブルエッグのっけりゃいいじゃん」
みたいな考えになって、すっかりどうでもよくなっていたのだけど、
アツアツの鉄板でヤケドするかもしれないスリルと戦いながら食べるナポリタンてのは、
案外いいものだ。
幼稚園児だった自分は、鉄板に口をつけて麺をすすれないもどかしさを感じながらも、
なんか唇が熱かった記憶もあるので、無理やり鉄板を持ち上げて食べてたんだろうな。

食べ物の話になるとガキの頃の自分がいかに浅ましかったかの話になって、
なんか困る。

2017年5月31日 (水)

ディスカウントショップ

のらのらと散歩していると、ご近所のディスカウントショップが閉店セールをやっていた。
入ると、全商品2割引きとかで、ご近所の妙齢のお嬢さん方がいっぱい集まっている。
明治のカールの騒動でもそうだけど、消えるとなれば人間はどうしても気になってくる。
欲しくなくても今生の別れにもう一度手に取ってみるかとなる。

1960年代生まれの自分にとって「カール」は物心ついた頃から既に存在した商品で、
別に好物ではなかったのだけど、食べたことはある。
「甘さを抑えたお菓子」とのことだが、なんか甘かったような気もする。
たぶん、三十年くらいは口にしていないから、記憶がどうもあいまいだ。

ディスカウントショップというのも、自分が東京に出てきた90年代初頭は、
あちこちに開店していたように思う。二十代の自分もあちこちの店をのぞいては、
電話機やら生活雑貨、チープで奇妙なグッズなんかを買っていた。
こういう店のカセットテープコーナーで七十年代の演歌歌手のベスト盤を見るのも、
なんとなく好きだったりした。今にして思えば買っときゃよかったと思わんでもない。

あの当時から四半世紀、下手をすれば三十年近い歳月が流れている。
三十代でお店の経営を始めた方々も、もう還暦を超えていてもおかしくない。
「安価でチープ」ってことなら、ドンキホーテとか百円ショップで十分だし、
この辺でそろそろ店を畳むか、となってもちっとも不思議ではない。
ご近所のディスカウントショップが閉店するのは今年に入って二件目だけど、
もうそういうサイクルに入っているってことなのだろう。

安い商品のまとめ買いってことなら、ドンキホーテは無敵の存在だ。
昨日苫小牧の風景を見るためにグーグルアースを使って駅前をぶらついていたのだけど、
殺風景な街並みの中にドンキホーテがやたらでかでかとそびえ立っていた。
いつの間にか時代の勝利者になってたんだな、この店。

池袋で出版社の人と会うとき、駅前のドンキでいつも落ち合っていたのだけど、
あそこは一階部分を女性向けのコスメやらなんやらで固めていて、
二十代くらいの女性客が多かった。
どんな業界でもそうだけど、今は女性がお金を使う時代なので、
ディスカウントショップだって思い切り女性仕様になりつつある。
編集さんが来るまで店内をぶらつくと、マスカラやら付けまつげやら、
入浴剤なんてものまで、狭い店内にヤケクソのように詰め込まれている。
そういえば、ドンキは商品を大量に詰め込む系のお店であった。
物量にものを言わせて、ここでなら何でもそろうぞ安いけど、って空気を漂わせている。
昔渋谷のドンキで放火騒動があって、隙のない商品陳列が問題になったりもしたっけ。

有名百貨店のこじゃれた商品配列もいいけれど、ディスカウントショップはそうじゃない。
商品倉庫をそのまま解放しました的な、お宝発掘探検隊なノリがいい。
だからたぶん、ドンキはわざと商品を所狭しと並べたてているのだろう。
人間の物欲を刺激するのは、何もよい商品を並べるばかりじゃない。
安くても、大量に詰め込まれているってお買い得感が物欲を刺激する場合もある。
だから、中にはとんでもなくひどい商品があったりもするけれど、
枯れ木も山のなんとやらで、一握りのお買い得品があれば、他のダメダメな商品も、
購買意欲を刺激するシステムの一部になる。

ダメな商品にも存在価値を与えるって点では、ある意味見事な経営戦略である。

それでご近所のディスカウントショップの閉店セールなのだけど、
目ぼしいものは既にお客に買われまくってしまって、半分以上がカラの棚になっていた。
カップラーメンとかトイレットペーパーとか、
主要な商品はすでになくなっていて、ピクルスとか、便せんとか、
「枯れ木」ばかりがポツポツと置いてあるだけだった。
いつもは薄暗くて倉庫の中のようだった店内も、思いのほか明るくて、
実は結構小奇麗なテナントだったことがいまさらのように判明した。

店員のおばちゃんが常連さんだろう、若い作業員風のお客さんと話をしている。
これからも頑張ってねと、お客に声をかける。
このおばちゃんも店を始めた当初は若くていろいろ苦労したんだろうなと想像する。

その間も、店内をおOLさんとか、近所の奥さんとか、
残り物をあさるハイエナのように物色し続けている。

僕もチョコレートを買ってお店を出ようとしたが、また商品を置いて出てきてしまい、
おばちゃんに呼び戻された。
どうも締め切り前になると同じ失敗をやらかすらしい。

2017年5月25日 (木)

モンブラン

誕生日にケーキをいただいて、モンブランかしら、モンブランがいいなと開けてみたら、
緑のたぬきだった。

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21世紀は本当にオモシロおかしい時代だ。
スポンジケーキにクリームでお蕎麦が再現されている。

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お蕎麦の部分はモンブランといえばモンブランに見えなくもない。
食べてみたら結構おいしかった。

幼稚園は仏教系のいいところに入園していた。昭和48年くらいのことだ。
なぜか当時流行中の「燃えよドラゴンズ」が流れていて、この歌をそこで覚えたことは、
以前このブログでも書いてると思う。

この幼稚園でおやつの時間にケーキを出していた。
大きな木のお盆の上にずらりといろんな種類のケーキが並んでいて、
園児がじゃんけんをして勝った者から好きなやつを取っていく。

僕はこの時からケーキはモンブラン狙いで、
他の園児に取られると無茶苦茶悔しかったのを、はっきりと覚えている。
なかなかに浅ましい。

今でもケーキセットの中から一品選べとなれば、僕は迷わずモンブランを選ぶ。
栗が大好物というわけでもないのだけど、あのお蕎麦のようなクリームが、
なんか心に激しくヒットしているのだ。
だから、この緑のたぬき型ケーキのプレゼントは、とてもうれしかったです。
あと大洗のガルパン印のリキュールも。(鬼のように甘かったけど)
不燃ごみとして瓶を出すときは、思い切りラベルを上にして出してやろうと、
考えてみたり、みなかったり。(ものすごいアニメ調のラベルなのだ)

2017年5月23日 (火)

ひねもす本を読んでいる。

携帯の保存フォルダーを漁ってみたらガチャピンが出てきた。
とりあえずさらしてみる。

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本を買って何年も放置、なんてのはよくあることです。
いわゆる「積読」ってやつ。
「老後の楽しみに」と保管してある某全集とかもありますし、
最初の数ページを読んでそのまま放置、なんてこともあります。

若いころはそのことで罪悪感を覚えて、無理やり読んだりもしたのですが、
この頃は「本にはそれを読むべき時が自然とやってくるのだな」と、
積みっぱなしの本が語り掛けてくるのを待つ、みたいな感じになってます。
ああ、今の自分がこんな状況だから、この時のためにこの本があったのだなと。

どんどん怪しい神秘主義を発症し始めているぅぅぅう。

今、精神的には割とどん底の状態なので、近くに積んであった本を読みだしたら、
なんかものすごくのめりこんでしまって自分でも驚いています。
吉村昭さんの「海も暮れきる」なんですけどね。
今回はこの本について思ったことを少し書いてみます。

吉村昭先生は小説家です。ただ、どんな小説家なのかをカテゴライズしようとすると、
ちょっと困惑したりする。
一般に知名度のある作品をピックアップしていくと、
「ふぉん・しーほるとの娘」とか「桜田門外ノ変」などの時代小説家になります。
世に出るきっかけになった作品が「戦艦武蔵」だから戦記作家のようでもあり、
カンヌで賞を取った映画「うなぎ」の原作者となると、もう何が何だかよくわからない。

今回読んだ「海も暮れきる」は俳人の尾崎放哉を主人公にしたものなので、
ますますもってカテゴライズが難しくなる。
いっそ、カテゴライズなんて無粋なことはやめて、
「自分の共感した人物の人生を丹念な調査のもとに掘り下げる文筆家」
としておいたほうがおさまりがいいようです。

僕はこの方の作品はたくさん読んだ方だと思いますが、
「海も暮れきる」は、その中でも一番作者の共感する度合いが高い作品だと思います。
作者自身が尾崎放哉と同化しているともいえるくらいで、
それは吉村昭先生の作品の中ではかなり異例なことです。
ほかの作品だともう少し主人公との間に距離がある。

尾崎放哉は「咳をしてもひとり」の句で知られる明治大正期の俳人で、
42歳で瀬戸内海の小豆島でお亡くなりになっている。
酒癖が悪くてそのために身を持ち崩し、流浪の果ての最期である。

吉村先生はその小豆島での最後の数か月を丹念に描き出している。
正直、「なんで吉村先生が尾崎放哉を書いたんだろう」と疑問を感じたのだけど、
それは読み進めるうちにだんだんとわかってくる。
結核で病み衰えていく放哉は、吉村先生の若いころの闘病生活に似ているのだ。

吉村先生は戦後間もないころ結核に侵され、死の瀬戸際までいっている。
そのことが初期の小説作品の重要な主題となっており、「骨フェチ」という、
一般には理解不能で不気味な一面まで持っていたりする。
肺にまで広がった結核の病巣を自然治癒させるために、背中の肋骨を切断しているのだ。
当時では最先端の手術だったのだけど、成功確率はかなり低かったそうで、
死のギリギリ寸前まで行ってかろうじて生還できたというのは、全く誇張ではない。

尾崎放哉は同じ病気に侵されながら、生還できなかった。
だから、吉村昭の描く結核に侵される放哉の最期は描写としてもかなり生々しいし、
その病人の心情も、まるで本人が乗り移ったかのようにリアルである。
作家が題材に共感して主人公と同化しているというのは、このためであるし、
ここまで同化してしまっているのは、他の吉村作品にはない特色である。

死ぬとはいったいどういう現象なのか、それは吉村昭の初期作品の一貫したテーマで、
「少女架刑」などは死後に解剖される女の子の描写を少女の視点から描くという、
かなりグロテスクな試みまでしている。

人が死ぬということは桜の花びらが散るような簡単なことではない。
「海も暮れきる」の中の尾崎放哉は「病気に殺される」という死に方であり、
体は生きようとしているのに結核が放哉の首を絞めて捩じり殺すのが苦しいくらいに伝わってくる。
それは不条理に突然襲い掛かる死なのである。
けれどその死が放哉の文学的感性を研ぎ澄ませ、晩年の俳句が生まれてくる。
とても残酷な事実なのだけど、放哉は死ぬことによって「本物の歌」を残すことができた。
ならば、死には残酷なだけでは説明できない、何か特別な意義があるのだろうか。
吉村先生の筆は、その何かを描写しようとしているように僕は感じた。

吉村先生ご自身の最期は、奥様で作家の津村節子さんが公表していらっしゃるけれど、
僕はそのことを当時の新聞で読んで、ご遺族には不謹慎で申し訳ないのだけど、
「吉村昭らしい死に方だな」
と思ってしまった。生命維持装置のケーブルを自分で抜くというのは、
死をあえて受け入れるという覚悟のようでもあるし、
地震があったとき、家族をおいて一人だけ外に逃げ出した先生の臆病さのためとも思え、
どちらであったとしても、死という現象を正面から考え続けた作家であるから、
誰よりもそれが見えていたのだろうなと、思わされたりもするのです。
本当のところはまったくわからないのだけど。

好きとか嫌いとかは別にして、「海も暮れきる」はとても吉村昭らしい作品であり、
僕は読後もずっと尾崎放哉の最期の数か月間を頭の中で繰り返しているのです。

2017年5月20日 (土)

「裁判員の女神」について

裁判員裁判が始まってもう8年になるそうです。

と、結構長い文章を書いていたのですが、突然パソコンがフリーズして文章が消えた。
これはあれだな、余計なことを書くなという毛利甚八先生のご意思なのだろうな。
酔っぱらった毛利先生がいかに面白い人だったか書こうとしただけなんだけど、
ご本人が鬼籍に入られて、反論できない状態であれこれ書くのはフェアじゃない。

実業之日本社の漫画サンデーに「裁判員の女神」という作品を連載させていただきました。
原作は「家栽の人」で有名な毛利甚八先生です。
酔っぱらうと子供のように無邪気になる楽しい先生でした。

漫画サンデーさんで「もうすぐ裁判員裁判が始まるぞ」ってんで、
毛利先生に「何か書いていただけないでしょうか」とお願いに伺ったそうです。
毛利先生は「もうみそぎは終わったし、書かせていただきます」とおっしゃったそうです。
「みそぎ」がどういう意味なのかわかりませんが、いろいろ思うところがあったのでしょう。
僕はただそういう発言があったと、編集さんから聞いているだけです。

毛利先生とは浜松町で一度だけお会いして、記念写真も撮っております。
編集さんは僕にはくれなかったですけど、撮ったのは間違いない。
そのあと一緒にお酒を飲みに行きました。楽しい方で、僕は好感を持ちました。
いじられまくった編集さんには災難だったかもしれないけど。

作品の舞台については「人口五万人程度の小さな都市」とのことでしたので、
架空の街をこちらで作らせていただきました。「海鳴市」の名前は毛利先生です。
原作を読ませていただいて、すぐに「これ、なのはじゃん」と気が付いたのですが、
先生が「魔法少女リリカルなのは」を観ていらしたとは考えにくいので、
たぶん偶然です。

作品について僕があれこれ書くのは、題材が題材だけに躊躇してしまうのですが、
毛利さんがものすごく真剣に取り組んでおられたのは感じていました。
後半は一字一句、セリフはすべて毛利先生がお書きになった通りのはずです。
どこからだろう、三巻以降は全部そうしてるんじゃないかな。
つまらないギャグを挟んだら怒られた、ってのもあるけど、
ものが裁判だけに、下駄を全部先生に預けたほうがいいって判断もありました。
だって、物語のテーマに近い裁判があると、それを傍聴しに鳥取まで出向いてましたし、
他の先生と違って勢いをつけて書きまくる、みたいな文章じゃなかった。
一字一句、ものすごくこだわってお書きになってる。

僕としては、粗削りな原作のほうがやりやすかったりするのですが、
「このセリフには私が全責任を持ちます」
みたいな書き方をされてしまうと、それに従うのが漫画家の仕事のようにも思えるのです。
実際、毛利先生の作品としての「裁判員の女神」は、
3巻以降どんどん強いメッセージ性を帯びてきたはずです。
こちらの絵もそれに合わせてどんどんリアル志向になってる。
最後の死刑判決の是非についても、僕は毛利先生と逆の立場で見ていましたが、
あくまで人間性の尊重を第一に考える先生の立場は、尊いと思います。

連載終了後、某団体から「作品を無償で提供してください」というメールを頂戴し、
そのことで毛利さんとメールのやり取りがあったのですが、
自作に対して強い自負を持っていらっしゃるのを、僕は感じました。
僕も「裁判員の女神」の作画を担当させていただいて、良い仕事をさせていただいたと、
心から思っております。
(作品の提供はしておりません)

以上が、この作品について僕がコメントできるギリギリのところなのかな。

僕自身はいつか裁判員への要請が来るんじゃないかと思ってたけど、
現在まで全くお声がかかっていない状態です。
(まあ、たとえ声がかかってもこんなところに書いちゃいかんのですが)

先生がお亡くなりになってから、傍聴人が裁判員に向かって、
「お前の顔を覚えたからな」
と脅迫する事件がありました。
連載時からいつかは起こるだろうなと予想はしていたのですが、
さすがに事件が起こってからでなければ、漫画の題材としては使えない事態だったりします。
もし先生が生きておられたらどうお考えになるか、お聞きしてみたいところですが、
それがもうできないってのは、なんともさびしかったりするのです。

より以前の記事一覧