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コラム

2017年5月25日 (木)

モンブラン

誕生日にケーキをいただいて、モンブランかしら、モンブランがいいなと開けてみたら、
緑のたぬきだった。

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21世紀は本当にオモシロおかしい時代だ。
スポンジケーキにクリームでお蕎麦が再現されている。

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お蕎麦の部分はモンブランといえばモンブランに見えなくもない。
食べてみたら結構おいしかった。

幼稚園は仏教系のいいところに入園していた。昭和48年くらいのことだ。
なぜか当時流行中の「燃えよドラゴンズ」が流れていて、この歌をそこで覚えたことは、
以前このブログでも書いてると思う。

この幼稚園でおやつの時間にケーキを出していた。
大きな木のお盆の上にずらりといろんな種類のケーキが並んでいて、
園児がじゃんけんをして勝った者から好きなやつを取っていく。

僕はこの時からケーキはモンブラン狙いで、
他の園児に取られると無茶苦茶悔しかったのを、はっきりと覚えている。
なかなかに浅ましい。

今でもケーキセットの中から一品選べとなれば、僕は迷わずモンブランを選ぶ。
栗が大好物というわけでもないのだけど、あのお蕎麦のようなクリームが、
なんか心に激しくヒットしているのだ。
だから、この緑のたぬき型ケーキのプレゼントは、とてもうれしかったです。
あと大洗のガルパン印のリキュールも。(鬼のように甘かったけど)
不燃ごみとして瓶を出すときは、思い切りラベルを上にして出してやろうと、
考えてみたり、みなかったり。(ものすごいアニメ調のラベルなのだ)

2017年5月23日 (火)

ひねもす本を読んでいる。

携帯の保存フォルダーを漁ってみたらガチャピンが出てきた。
とりあえずさらしてみる。

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本を買って何年も放置、なんてのはよくあることです。
いわゆる「積読」ってやつ。
「老後の楽しみに」と保管してある某全集とかもありますし、
最初の数ページを読んでそのまま放置、なんてこともあります。

若いころはそのことで罪悪感を覚えて、無理やり読んだりもしたのですが、
この頃は「本にはそれを読むべき時が自然とやってくるのだな」と、
積みっぱなしの本が語り掛けてくるのを待つ、みたいな感じになってます。
ああ、今の自分がこんな状況だから、この時のためにこの本があったのだなと。

どんどん怪しい神秘主義を発症し始めているぅぅぅう。

今、精神的には割とどん底の状態なので、近くに積んであった本を読みだしたら、
なんかものすごくのめりこんでしまって自分でも驚いています。
吉村昭さんの「海も暮れきる」なんですけどね。
今回はこの本について思ったことを少し書いてみます。

吉村昭先生は小説家です。ただ、どんな小説家なのかをカテゴライズしようとすると、
ちょっと困惑したりする。
一般に知名度のある作品をピックアップしていくと、
「ふぉん・しーほるとの娘」とか「桜田門外ノ変」などの時代小説家になります。
世に出るきっかけになった作品が「戦艦武蔵」だから戦記作家のようでもあり、
カンヌで賞を取った映画「うなぎ」の原作者となると、もう何が何だかよくわからない。

今回読んだ「海も暮れきる」は俳人の尾崎放哉を主人公にしたものなので、
ますますもってカテゴライズが難しくなる。
いっそ、カテゴライズなんて無粋なことはやめて、
「自分の共感した人物の人生を丹念な調査のもとに掘り下げる文筆家」
としておいたほうがおさまりがいいようです。

僕はこの方の作品はたくさん読んだ方だと思いますが、
「海も暮れきる」は、その中でも一番作者の共感する度合いが高い作品だと思います。
作者自身が尾崎放哉と同化しているともいえるくらいで、
それは吉村昭先生の作品の中ではかなり異例なことです。
ほかの作品だともう少し主人公との間に距離がある。

尾崎放哉は「咳をしてもひとり」の句で知られる明治大正期の俳人で、
42歳で瀬戸内海の小豆島でお亡くなりになっている。
酒癖が悪くてそのために身を持ち崩し、流浪の果ての最期である。

吉村先生はその小豆島での最後の数か月を丹念に描き出している。
正直、「なんで吉村先生が尾崎放哉を書いたんだろう」と疑問を感じたのだけど、
それは読み進めるうちにだんだんとわかってくる。
結核で病み衰えていく放哉は、吉村先生の若いころの闘病生活に似ているのだ。

吉村先生は戦後間もないころ結核に侵され、死の瀬戸際までいっている。
そのことが初期の小説作品の重要な主題となっており、「骨フェチ」という、
一般には理解不能で不気味な一面まで持っていたりする。
肺にまで広がった結核の病巣を自然治癒させるために、背中の肋骨を切断しているのだ。
当時では最先端の手術だったのだけど、成功確率はかなり低かったそうで、
死のギリギリ寸前まで行ってかろうじて生還できたというのは、全く誇張ではない。

尾崎放哉は同じ病気に侵されながら、生還できなかった。
だから、吉村昭の描く結核に侵される放哉の最期は描写としてもかなり生々しいし、
その病人の心情も、まるで本人が乗り移ったかのようにリアルである。
作家が題材に共感して主人公と同化しているというのは、このためであるし、
ここまで同化してしまっているのは、他の吉村作品にはない特色である。

死ぬとはいったいどういう現象なのか、それは吉村昭の初期作品の一貫したテーマで、
「少女架刑」などは死後に解剖される女の子の描写を少女の視点から描くという、
かなりグロテスクな試みまでしている。

人が死ぬということは桜の花びらが散るような簡単なことではない。
「海も暮れきる」の中の尾崎放哉は「病気に殺される」という死に方であり、
体は生きようとしているのに結核が放哉の首を絞めて捩じり殺すのが苦しいくらいに伝わってくる。
それは不条理に突然襲い掛かる死なのである。
けれどその死が放哉の文学的感性を研ぎ澄ませ、晩年の俳句が生まれてくる。
とても残酷な事実なのだけど、放哉は死ぬことによって「本物の歌」を残すことができた。
ならば、死には残酷なだけでは説明できない、何か特別な意義があるのだろうか。
吉村先生の筆は、その何かを描写しようとしているように僕は感じた。

吉村先生ご自身の最期は、奥様で作家の津村節子さんが公表していらっしゃるけれど、
僕はそのことを当時の新聞で読んで、ご遺族には不謹慎で申し訳ないのだけど、
「吉村昭らしい死に方だな」
と思ってしまった。生命維持装置のケーブルを自分で抜くというのは、
死をあえて受け入れるという覚悟のようでもあるし、
地震があったとき、家族をおいて一人だけ外に逃げ出した先生の臆病さのためとも思え、
どちらであったとしても、死という現象を正面から考え続けた作家であるから、
誰よりもそれが見えていたのだろうなと、思わされたりもするのです。
本当のところはまったくわからないのだけど。

好きとか嫌いとかは別にして、「海も暮れきる」はとても吉村昭らしい作品であり、
僕は読後もずっと尾崎放哉の最期の数か月間を頭の中で繰り返しているのです。

2017年5月20日 (土)

「裁判員の女神」について

裁判員裁判が始まってもう8年になるそうです。

と、結構長い文章を書いていたのですが、突然パソコンがフリーズして文章が消えた。
これはあれだな、余計なことを書くなという毛利甚八先生のご意思なのだろうな。
酔っぱらった毛利先生がいかに面白い人だったか書こうとしただけなんだけど、
ご本人が鬼籍に入られて、反論できない状態であれこれ書くのはフェアじゃない。

実業之日本社の漫画サンデーに「裁判員の女神」という作品を連載させていただきました。
原作は「家栽の人」で有名な毛利甚八先生です。
酔っぱらうと子供のように無邪気になる楽しい先生でした。

漫画サンデーさんで「もうすぐ裁判員裁判が始まるぞ」ってんで、
毛利先生に「何か書いていただけないでしょうか」とお願いに伺ったそうです。
毛利先生は「もうみそぎは終わったし、書かせていただきます」とおっしゃったそうです。
「みそぎ」がどういう意味なのかわかりませんが、いろいろ思うところがあったのでしょう。
僕はただそういう発言があったと、編集さんから聞いているだけです。

毛利先生とは浜松町で一度だけお会いして、記念写真も撮っております。
編集さんは僕にはくれなかったですけど、撮ったのは間違いない。
そのあと一緒にお酒を飲みに行きました。楽しい方で、僕は好感を持ちました。
いじられまくった編集さんには災難だったかもしれないけど。

作品の舞台については「人口五万人程度の小さな都市」とのことでしたので、
架空の街をこちらで作らせていただきました。「海鳴市」の名前は毛利先生です。
原作を読ませていただいて、すぐに「これ、なのはじゃん」と気が付いたのですが、
先生が「魔法少女リリカルなのは」を観ていらしたとは考えにくいので、
たぶん偶然です。

作品について僕があれこれ書くのは、題材が題材だけに躊躇してしまうのですが、
毛利さんがものすごく真剣に取り組んでおられたのは感じていました。
後半は一字一句、セリフはすべて毛利先生がお書きになった通りのはずです。
どこからだろう、三巻以降は全部そうしてるんじゃないかな。
つまらないギャグを挟んだら怒られた、ってのもあるけど、
ものが裁判だけに、下駄を全部先生に預けたほうがいいって判断もありました。
だって、物語のテーマに近い裁判があると、それを傍聴しに鳥取まで出向いてましたし、
他の先生と違って勢いをつけて書きまくる、みたいな文章じゃなかった。
一字一句、ものすごくこだわってお書きになってる。

僕としては、粗削りな原作のほうがやりやすかったりするのですが、
「このセリフには私が全責任を持ちます」
みたいな書き方をされてしまうと、それに従うのが漫画家の仕事のようにも思えるのです。
実際、毛利先生の作品としての「裁判員の女神」は、
3巻以降どんどん強いメッセージ性を帯びてきたはずです。
こちらの絵もそれに合わせてどんどんリアル志向になってる。
最後の死刑判決の是非についても、僕は毛利先生と逆の立場で見ていましたが、
あくまで人間性の尊重を第一に考える先生の立場は、尊いと思います。

連載終了後、某団体から「作品を無償で提供してください」というメールを頂戴し、
そのことで毛利さんとメールのやり取りがあったのですが、
自作に対して強い自負を持っていらっしゃるのを、僕は感じました。
僕も「裁判員の女神」の作画を担当させていただいて、良い仕事をさせていただいたと、
心から思っております。
(作品の提供はしておりません)

以上が、この作品について僕がコメントできるギリギリのところなのかな。

僕自身はいつか裁判員への要請が来るんじゃないかと思ってたけど、
現在まで全くお声がかかっていない状態です。
(まあ、たとえ声がかかってもこんなところに書いちゃいかんのですが)

先生がお亡くなりになってから、傍聴人が裁判員に向かって、
「お前の顔を覚えたからな」
と脅迫する事件がありました。
連載時からいつかは起こるだろうなと予想はしていたのですが、
さすがに事件が起こってからでなければ、漫画の題材としては使えない事態だったりします。
もし先生が生きておられたらどうお考えになるか、お聞きしてみたいところですが、
それがもうできないってのは、なんともさびしかったりするのです。

2017年5月10日 (水)

打ち合わせ


出版は、絶賛不況中だ。

編集さんも今は本当に大変らしく、なんか人相が変わっていたりする。
頑張れ!くらいしか言葉は出てこないのだけど、
会議であれこれ絞られている様子を想像すると、迂闊な言葉もかけられない。

なんかずっと出版不況についての話と、デジタル出版の可能性についての話で、
その合間に、すいません、申し訳ない、が挟まる。
こちらもやっぱり、すいません、申し訳ない、と返すしかない。

一番申し訳ないのは読者に対してなのだけど、大筋は未完とはいえ、
各話数ごとに面白いものは描けたのではないかと胸を張ってみる。

少なくとも、次号の昭和人情食堂の発売は、果てしなく未定なのだけど、
こういう場合の未定は希望があるのかないのかよくわからないので、
僕も言葉を濁すことしかできない。

編集さんの様子だと、「お察しください」みたいな感じだった。
僕もノートとボールペンをしまって、じゃあ今日は仕事の話は抜きで漫画の話を、
みたいな「打ち合わせ」になった。

編集さんは小山田いく先生の作品は全部集めていたくらいのファンなのだそうで、
その最後にお会いした時の話を、しみじみ語っておられました。
この一年でお亡くなりになった作家さんは他にもおられるので、
「週刊連載は本当に大変なんですね」
と、早世する作家さんを悼んでおられました。

出版であるから儲けが出なければ続けることはできないのだけど、
病気療養中のたがみ先生が震える手でお描きになったお兄様追悼の原稿とか、
貴重なものを世に出してもらえたことは、漫画ファンとしてはありがたいことだと、
感謝しております。

これもまた天の配材。きっといい風が吹くときも来るでしょう。

太陽の黒点異常で世界中のスマホがすべて機能停止し、紙のメディアが大復活!とか、
実は実在したミノフスキー博士が粒子を大量にばらまき、宇宙世紀は紙のメディアに
先祖返り!とか。

夢物語もあんまり切実だと笑えないなぁ。

名前とかペンネームとか

ときどき意味不明な文章をこのブログで書いたりもしますが、
書いた本人にも意味不明だったりするので、適当に読み飛ばしてください。

ものを書くとき、頭を使うとロクな文章にならないってことを経験的に知っているので、
音楽を聴きながら、割とだらだらとキーを叩いています。

「いやいや、文章を書くときは頭を使わなきゃでしょう」
と突っ込みを入れられそうですが、
そうやって頭をひねって書いた文章が壮絶に読みづらかったりするので、
基本、頭を空っぽにして、だらだらと書いております。

文章を書く商売じゃなくてホントによかった。

「君の書くネームは引っ掛かりがなくてツルンと読めちゃうんだよね」
と編集者の人に注意されたことがあるけど、
自分の目指してる文章がツルンと読める文章だったりするので、
それはむしろ誉め言葉。
意味なんかより読んでて気持ちいいことが一番だったりする。

自分もそろそろ半世紀近く生きているので、
「気が付くとものすごく古臭くなっていた」
ってところがいっぱいあります。例えば名前。

「ひろし」

というのが僕の名前なのだけど、
小学生のころにはクラスに三人か四人くらいは「ひろし」がいたものです。
それがどうだろう、今は子供にこの名前は付けないんじゃないかな。古いってか、
爺臭い名前になってるような気がします。

僕の名前は父のお世話になった会社の上司の方につけていただいたんだけど、
父が「高志」で僕が「広志」なので、「高い広い」でものすごく単純なネーミングです。
中学の時にそのことに気が付いて、
「それってギャグだよね」(怒)
とものすごく不満でした。名前自体は好きなんだけど、命名由来が割といい加減。

「ど根性ガエル」の主人公もひろしなのだけど、同じ名前なので、
僕も頭に眼鏡をのっけて、根性根性ど根性でい!と近所を走り回ってました。

だから、今でも「ひろし」は割とメジャーな名前のつもりなのだけど、
若い人には田吾作とか与作なみにダサい名前なのかもしれない。

僕がペンネームをひらがなにしたのは、漢字の名前があんまりパッとしなくて、
それなら平仮名がなんぼかましだなってのと、
当時の担当さんが
「かわぐちかいじと間違えられたらもうけもんだ」
と発言したからだったりする。
担当さんが気に入ってるならそれでいいや、みたいな。

僕がデビューした当時は「かわすみ」という苗字もかなりマイナーだったけど、
その後同じ「かわすみ」で有名な方が何人か活躍されているので、
割と普通の名前になっているような気がする。
サッカー!とかセイバー!とか。
だからもっとインパクトのある名前にしとけば良かったかなと、思わんでもない。

ペンネームが他のものになる可能性もあった。
学生時代に先輩に「学祭でエッチな本を出すからエッチなイラストを描いてこい」
と言われて、そのとき使ったのが「あるま太郎」で、
アシスタント先の先生が晴海で同人誌を出した時も、そのペンネームで描いてる。

このペンネームはなんか18禁みたいなイメージがあるので、使わなかったけど、
いま選べと言われたらこっちにしたかもしれない。

いろいろ思い出したのでついでに書くけど、
その学際で出した本は学祭実行委員会否認可の本だったので、法被の中に隠して、
「お兄さんお兄さん、いい本があるんだけど買ってくれませんか」
とチラ見せしながら売り歩いた。
先輩の命令なので仕方がない。それでも、お兄さんがパラパラと本をめくって、
「へぇー真面目に描いてあるじゃん」
と言って買ってくれたときは、うれしかったなぁ。

で、法被姿であやしい本を売り歩く僕の姿は、なぜか写真に撮られていて、
よりにもよって卒業アルバムにでかでかと掲載されている。
アルバム制作委員会に知り合いがいたのだ。

まあなんだ。貴重な青春の思い出を残してくれて、どうもありがとうございます。


2017年5月 8日 (月)

照る日曇る日


えーと、パチスロ攻略マガジン誌に漫画が掲載されています。
パチスロライターの睦月ライドさんが八代目の旅打ちになって、
今北海道でパチスロサバイバルしていらっしゃるんだけど、
その状況を一年にわたり漫画で追いかけるというものです。
日本をくるりと回って東京でゴールになります。

僕は別にパチスロに詳しいわけではないので、そちらは編集サイド頼みです。
自分にできる部分は今のところ、料理、日本各地の風景、それと、
漫画家という賭博性の高い職業を四半世紀近くやってるから、
わかっている部分ではないかと考えています。
なんせ自営業ですから、ツキとか不運とか、潮の満ち引きのように感じたりします。

今回はその辺をお話させていただこうかと思います。

昔、まだ二十代のころ、南紀州の漁師の方とお話しする機会があって、
その方が、
「照る日もあれば曇る日もあるさぁ」
と口癖のように言っていたのが、まだ耳に残っていたりします。
体のがっちりした、日焼けしたおじさんで、笑顔がなんともすがすがしい方でした。
個人的な僕の事情でいろいろ助言いただいて、まあ、御恩のある方だと考えております。

上の「照る日もあれば……」というのは、昔からよくある格言で、
それだけならまあ、そういうもんかなと思うのですが、
海の上で体を張って働いている方がこれを口にすると、迫力が違ったりします。
天候の変化がその日の稼ぎにも関わってくるし、下手すれば命の危険だってある。

だから今でも耳の奥のほうでこの言葉が繰り返し響いてくるんでしょうね。

運とか不運というのは、波のようにサイクルのあるもんだと感じたりします。
これを話すと思い出にしがみついてる爺さんみたいでみっともない気がするんだけど、
「大使閣下」のお話が最初に来た時、あ、なんか来てるなって感じがありました。
実際、それから一年くらいは何から何までものすごく上手くいって、
いい仕事場はあっさり見つかるし、たまたま優秀なアシさんが近所に住んでるしで、
「見えない天の配材」ってのを実感していました。

まあ、漫画のほうは最初のうちは低空飛行で、当時の担当さんは
「いつ打ち切られるか冷や冷やしてた」
って言ってましたけど、僕は割と確信に近いものを持っていたと思います。
これ、絶対無茶苦茶面白くなる企画だって。

全部終わってから考えると、あれを僕が作画して良かったのかなとも思うけど、
僕じゃない他の方が漫画にしたら、まったく別の漫画になっていたのは確実で、
もっと成功する可能性はあったかもしれないけど、あれより上じゃないとは思ってます。

その根拠になるのは、おかしな言い方になるけど、ものすごい風を感じていたからで、
その風に背中を押されて描かされてるって感じを、ずっと持っていたからです。
漫画は技術や才能が占める部分も大きいけど、その風を味方にできるかどうかってのが、
一番大きいような気もします。
僕はあの時はそれを味方にすることができた、それは間違いなくそうだったと思います。

んで、これが終わったら、もう二度と同じ風は吹かないだろうなってのも、
感じていたりしました。

僕には漫画の技術面でのオタクみたいなところがあって、
大使閣下の終了後はそちらの方面にどんどん突き進んでいったのだけど、
それは風に背中を押されて実力以上のことをやっていたのを、
ちゃんと自分のものにしておきたかったからで、
もしその風とやらが神様が吹かせているものだとしたら、
その神様に逆らうようなやり方だったかなと、思ったりもします。

これはもう性分の問題で、もっと上手いやり方があったのはわかってるんだけど、
自分の中で「白黒はっきりさせてみたい」ってのがどうにも抑えられなかった。
たぶん同じ状況になったらまた同じことをやるんじゃないかと思う。
ものすごくいい風が吹いてきて、それがいつか止まるのだとわかっていたら、
その風を自分のものにしてしまいたいって、ものすごく単純な願望。
技術でそれを確立できるなら、それを見極めたいってものすごく贅沢な欲望。

ちょっと話が横にそれてしまったけど、
人生にはものすごくいい風が吹く瞬間が、たぶん誰にでもあって、
それに上手く乗れる人もいれば、乗れない人もいるし、
乗ってもコロリと落っこちる人も大勢いる。
とにかく風は誰にでも平等に吹いているってのは感じていたりします。

冒頭の
「照る日もあれば曇る日もあるさぁ」
ってのは、たぶんそこまで深い意味で喋っていた言葉じゃないかもしれないけど、
とにかく人生の運不運の風は誰にでも平等に吹いているんだから、
「逆境」みたいな不運極まりない状況でもめげるな、平常運転でいけってことだろうと、
僕は考えていたりします。
んで、これにはもう一つ、裏の意味もありまして、
ものすごくいい風に乗ってる時でも、やっぱり平常運転で流せ、ってのがあって、
これはたぶん年寄りの方のほうが共感していただけるんじゃないかと考えます。

「ラッキー!俺ってめっちゃツイテルぅ~」

と思っても、調子に乗るな、いつも通りに自分のできることを精一杯やれってことです。
運命の風が味方をしているようでも、相手はしょせん「ただの風」です。
それ以上でもそれ以下でもない。
誰にでも同じように吹いているものだし、同じように吹かない時も訪れる。
そのたび一喜一憂するのは馬鹿げたことだ、幸運だろうが不運だろうが、
とにかくいつも通り生きていればいい。
惑わされるな、ってことです。

だから、「照る日もあれば曇る日もあるさぁ」というのも、
突き詰めて考えれば、「太陽が出ようが雨が降ろうが、自分を見失うな」って、
そんな意味ではないかなと、この頃は考えたりもします。

いささか抽象論めいていますが、まあ、そんなところだろうと納得しています。

運命ってのがあるかどうかはわかんないけど、自分の実体験だと、
こんなのがあります。
大使閣下の作画アシスタントで、料理の絵のめちゃくちゃ上手な方がいて、
今でもものすごくお世話になっているのだけど、
その方のことを、僕は実際に会う前から雑誌の投稿欄で知っていたりしました。
イラストの投稿者なんて星の数ほどいるだろうに、なんでかその人だけは、
名前と絵柄を完全に記憶していた。

その後、そのことを彼に話しても「知ったこっちゃない」って感じなんだけど、
こちらからすれば何か見えない糸を感じてしまったりもするのです。
そういう「天の配材」みたいなのは、たぶん確実に存在する。

西村ミツル先生に最後にお会いしたのはドラマの撮影見学の時で、
そこで大使閣下についていろいろお話して、
長年気になっていたことをいろいろ解決することができました。
あれも運命の配材だと勝手に考えております。

作画担当をやらせていただいてものすごく幸運だったって僕の気持ちも、
たぶん伝わってるんじゃないかな。

なんかとりとめもなく続けられそうな話なんだけど、
本当にまとまりのない話になってきたので、この辺でやめにします。

運不運について、現状の僕が感じているのはこんなところです。

2017年5月 5日 (金)

端午の節句

「ちはやふる 神代もきかず 竜田川 唐紅にみずくくるとは」

という百人一首の有名な歌があって、落語のネタにもなっているのだけど、
相撲取りの竜田川が吉原遊女の千早に振られ、神代にも相手にされないという、
そちらの話のほうが妙にリアリティがあって頭から離れない。

風流な歌なんだろうけど、男の悲哀も感じてしまうのは全部落語家が悪い。

作者は在原業平で、こちらは伝説では超イケメンでモテ男ってことになっている。
なおさらたちが悪い。
「伊勢物語」を中学だったかで古典の時間に勉強して、
「カキツバタ」の頭の文字で歌を詠んだ、みたいなことはなんとなく覚えていて、
在原業平というと「カキツバタの色男」と僕の中ではインプットされている。

ぶんか社さまの「昭和人情食堂」が今全国のコンビニで売られていますが、
そこに菖蒲の出て来る漫画を描かせていただきまして、
それからずっと「あやめ菖蒲にカキツバタ」って言葉が頭の中を回転しております。
こいつらみんな似たようなツラしやがって、区別がつかねえんだよ、の意味です。

僕は区別できない。目の前に出されてもどれが菖蒲かカキツバタだかわからない。
カキツバタというと尾形光琳の「八橋図」らしいのだけど、
これも僕はずっとアヤメだと思っていた。

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今文字変換していて気がついたけど、アヤメも漢字だと菖蒲ってしょうぶと同じなのだ。
ああややこしい!

で、この尾形光琳の「八橋図」は先程の「伊勢物語」を絵にしたものだそうです。
だから、カキツバタなのですね。
事情の知らない人はみんな「アヤメの絵」と思ってそうだけど。

上京した当時、業平橋(これも在原業平からきている)のあたりに
お世話になっている方がいて、メチャクチャ美人の奥様だったのだけど、
そこに江戸川区から京成電鉄で向かう途中に菖蒲園への乗り換えがあった。
僕はそちらには行ったことがないのだけど、東京の人は菖蒲が好きなのだなと、
なんとなく刷り込まれている。

この美人の奥様の旦那様の紹介で江戸川区のラーメン屋さんでバイトしたのだけど、
そのラーメン屋の近くにも菖蒲園があった。今でもあるんだろうと思う。
花菖蒲の季節には紫の花が咲き乱れてきれいだったなぁ。
藤の花もそうだけど、春の終わりの五月から梅雨本番の六月まで、
紫の花が続くのは気分的にはものすごく心地よい感じがする。
穏やかな気候が目に優しい色彩とマッチしているのかもしれない。

そのラーメン屋の近く、京成電鉄の駅の前に銭湯があって、
そこの菖蒲湯にも入った思い出がある。
頭に菖蒲の葉を巻いたりしてね。すっかり気分は江戸っ子でした。

菖蒲と花菖蒲。
僕はこの二つをずっと結びつけて考えていたんだよな。
ここの銭湯は菖蒲園が近いから、菖蒲には不自由しなくていいなって。

で、今回そういう漫画を描かせていただいたんだけど、
執筆途中で判明したんですよ。
菖蒲湯の菖蒲と菖蒲園の花菖蒲が全くの別物だって。

銭湯なんかで使う菖蒲が本物の菖蒲で、こちらも花は咲くんだけど、
あんまりきれいな花じゃない。
花菖蒲はアヤメ科だったかな。なんでかこっちの方が菖蒲っぽくなってしまった。

もうね、なんというか「アヤメ菖蒲に花菖蒲にカキツバタ」ですよね。
そこらじゅう菖蒲のドッペルゲンガーだらけ。

今日、菖蒲湯に入る方もおられるでしょうが、
「これはきれいな花が咲くんだよな」と勘違いなさらないように。
僕は三十年近く、勘違いしておりました。

これもみんな花菖蒲なんて微妙な名前をつけた昔の人が悪いと、
僕は思います。

2017年4月29日 (土)

アンダンテ・ファヴォリ

巣鴨の駅前の天丼チェーン店でオールスター天丼を食べていた。

僕が巣鴨にいたのには特別な理由はない。
迷子になって自分の居場所もわからなかったので、目の前の三田線から地下鉄にのり、
とりあえず山手線の駅に向かったのだ。

小腹がすいたので駅前の天丼屋にとりあえず飛び込んだ。
夕刻近かったので店は割とすいている。
おばあちゃんの二人組と、幼い兄妹、初老の会社員ってところかな。

お店のお姉ちゃんがお茶を持ってくる。汗をかいたので冷たいお茶が欲しかったけど、
やけくそのように熱いお茶だった。
「オールスター天丼」
と、とりあえず注文を出す。となり席の会社員がビールを飲んでいるのがうらやましいが、
飲むと食欲が増進して太ってしまうので、このごろは必死に耐えている。
天ぷらにビール、ものすごく心惹かれるけど、耐える。

「オールスター天丼」にしたのには特に理由はない。
何年か前に同じチェーンの店に入ったとき、男性客が「オールスター天丼!」と
何人も続けざまに注文していたので、
「なんでオールスターやねん」
とちょっと気になっていたのだ。本当はアナゴ天丼とかき揚げどんが好物だったりする。

お姉ちゃんが海老やらイカやらの乗った「オールスター」な天丼を持ってくる。

店の中には有線か何かのピアノ音楽が流れている。
天丼にピアノという組み合わせは、いかがなものだろうと思うけれど、
自然と耳は音楽に聴き入ってしまう。
そういう性分なのだ。

ショパンの練習曲やら、有名な曲が次々流れていくのだけど、
中で一曲、知ってるはずなのにタイトルのわからない曲があった。
素朴な旋律で、穏やかな感じのピアノ曲。
「これ、何だったかな」
なんとなく、ベートーヴェンのピアノ曲なんだろうなというのは見当がついた。
でもベートーヴェンのピアノ曲って、有名どころは割と限られている。
32曲のピアノソナタを除くと、「エリーゼのために」とか、
数曲くらいしか聴いた覚えがない。
「失くした小銭への怒り」とか。(シューマンが笑い転げながら絶賛した曲)

記憶を必死にたぐるのだけど、どうしても思い出せない。
そのうち曲が終わってしまったので、僕は勘定を済ませて店をあとにした。

それから半月ばかり、頭の中からこの曲が離れなくなった。
強迫観念的にメロディーが頭の中で再生されるのだ。
明け方目覚めると頭の中で鳴っていたりする。
これはもう、タイトルをはっきりさせないと気持ち悪くて仕方がない。

手持ちのCDのタイトルを片っ端からさらい、YouTubeも駆使したけれど、
どうしても見つけることができない。
「いやいや、これ有名な曲じゃん」
と思うけれど、ないものは仕方がない。
実はベートヴェンじゃなくてシューベルトなのかとも思ったけれど、
そちらの線でもわからなかった。
ならばショパンか?いや、このドイツまみれのくそダサいメロディは、
ピアノの詩人の作品にしては洗練度が足りない。
なんかオッサンが夕暮れの散歩道を大声で歌いながら歩いている、
そんな感じのメロディなのだ。

この野暮ったさはベートーヴェンに間違いない。あのオッサンのやらかしそうな曲なのだ。

そのとき、ふと頭をかすめるものがあった。
そういえば、ベートーヴェンのピアノソナタで、楽聖が友人に感想を求めたら、
「長すぎるよ。せめて第2楽章はもっと短くしたほうがいい」
とアドバイスされて、緩徐楽章を丸々書き直した曲があったはずだ。
はずしたのはいいけれど、没にするにはあまりにも素敵な緩徐楽章だったので、
その曲は独立したピアノ曲になっていたはず。

元になったピアノソナタは確か「ワルトシュタイン」。
外された曲は「アンダンテ・ファヴォリ」だったかな。

で、YouTubeで探してみたら、まさにその曲だった。

タイトルの意味は「お気に入りのアンダンテ」ってことで、この曲が気に入った楽聖は、
あちこちの演奏会でこの曲を弾きまくったらしい。
僕はいったいどこでこの曲を耳にしたのだろうと思ったら、
自分が二十歳くらいのとき、つまり三十年近く前、
ラジオでエアチェックした誰かのリサイタルを、繰り返し聴いていたのだ。
漫画を描きながら流し聴きしていたので、頭にこびりついていたのだろう。

で、すっきり解決しましたというお話なのでした。

この曲がもともと入っていた「ワルトシュタイン」の方は僕がよく聴く曲で、
「世紀末オカルト学院」だったかな、アニメの中で全楽章を繰り返しBGMに使っていて、
なんでこの曲?と思ったのだけど、結構作品に合っていたので不思議だったりしました。

まあ、割とどうでもいいお話です。

2017年4月28日 (金)

昭和人情食堂No.7発売


ぶんか社様より「昭和人情食堂」No.7が発売されております。
全国のコンビニ等でお読みいただけるのではないかと思います。
平成も残りあとわずか。懐かしい昭和の思い出をかみしめるための、良い本です。
若い人たちにも新鮮な驚きがあるんじゃないかな。

年の差婚なんかだと、夫婦の日常の会話も大変なようで、
こないだの新聞で「年下の旦那が死語辞典を使っててへこむ」なんて記事がありました。
ああ、あの辞典は若者がそういう目的で使うものかと、なんか合点がいった。
少子化社会で現代の若者は嫌でも年寄り相手の生活をしなくてはいけない。
「そのチョッキ素敵ね」
と奥様が旦那の服装を褒めても、若者にはそれが何なのかわからない。

そのような悲劇が起こらないためにも、若い人にこそ「昭和人情食堂」を読んでほしい。
チョッキはあなたの着ているベストのことです!

嫁さんが中国人とか、旦那がイタリア人みたいな漫画があるんだから、
「嫁さんが昭和人」って漫画があってもよさそうなもんだ。
もう誰かお描きになってるのかな。

その記事で若者が知らない昭和語として「殿中でござる!」というのがありました。
今の若者には通じないみたいです。
赤穂浪士の忠臣蔵が通じないというのは、まあ当然ちゃ当然の話。
CSの時代劇専門チャンネルでも観なきゃ触れる機会がないものね。

今の子にとって昭和は本当に遠い世界なんでしょうね。

2017年4月15日 (土)

散歩

桜の見頃もそろそろ終わりで、今年も「お花見」はできなかったなぁ。
テレビで上野公園のあたり、外国人観光客がお花見してるのを、
「なにあれ、クソうらやましい」
とぼやいたくらいか。
何年か前、桜の時期に上野公園を散策して、プチお花見を楽しんだのだけど、
あそこは桜並木にゴミ捨てスポットが何か所も設置されていて、
お酒の据えた匂いがなんとも場末めいていた。
ぶっちゃけ、臭かった。

上野が桜の名所になったのは、あの天海僧正の趣味らしい。
桜、松、紅葉を好んでいて、奈良の吉野から桜を引っ張ってきたとか。
その当時の桜はもう残ってないのかな、ほとんどはソメイヨシノなんだろう。
僕が行ったときはすでに中国人観光客がいっぱいだったから、
今年はさらにコスモポリタンな上野の花見になっていたことだろう。

3月からずっと仕事に集中していたのが、ようやく一息つくことができたので、
意味もなくブラブラ歩いた。俺は何を目指して歩いているのだろうと、
ぼんやり考えながら、足は自然と煙草屋に向かう。
仕事中はずっとマルボロをふかし続けたのだけど、また煙管をふかそうと思った。
安いし、ひと口ふた口ふかすと燃え尽きるし、煙草を楽しんでるって感じが、
ものすごく味わえる。

問題は、売っている場所が限られていること。
池袋の専門店に行けば確実なのだけど、そうそう池袋まで出かけるのもしんどいので、
近所にないものかと、煙草屋を見つけると片っ端から首を突っ込んでまわった。
果たして、某駅の踏切前の煙草屋にひっそりと置いてあった。
かわいいおばあちゃんがひっそりと店番をしている。

初めて買ったときは、お釣りと一緒にキャンディーのように包装されたチョコをもらった。
その晩、すさまじい腹痛を起こしたので、
「あの婆ぁ毒を盛りやがったか」
と壮絶な八つ当たりをしたのだけど、まあ、ただの八つ当たりである。
「宝船ください」
と、ベルギー王国製の煙草を隅の箱からい引っ張り出す。
ラッピングに葛飾北斎の絵がプリントされているので、そこが大のお気に入り。
自分も九十歳をすぎてから
「あと十年、いや、あと五年生きられたら本物の絵が描けるのに!」
と往生際の悪いことをほざきながら死にたいものである。

おばあちゃんが店の奥から顔を出す。
商品を渡すと、目を近づけて値段を確認しようとする。
刻みの煙草なんて、買う人はめったにいないのだろう。
「五百円……五百六十円かしら……」
印字がにじんでよく読めないらしい。脇からもう一個取り出して渡したのだけど、
それも同様に印字がにじんでいる。
「五百円よね?」
と僕に同意を求める。こういうときに安い値段を口にするのは何か申し訳ないのだけど、
「五百円です」
と答える。
亜米利加式混合葉使用の煙管用刻み煙草宝船は五百円である。

小銭を取り出して渡す。
「あれ、六百円あるわよ」
とあばあちゃん。しまった。また小銭を間違えた。
「ふふふ、黙ってれば良かったわね」
「あぶないあぶない」
百円を戻してもらって店を出る。
仕事に集中したから頭が暴走しているのもあるけど、このごろはイージーなミスが多い。
コンビニでマルボロを買って、商品を置いて店を出ようとしたのも最近のことだった。

最近、このブログで「煙草のめのめ」の歌を紹介して、そのときYouTubeで音源を聴いて、
以来、「煙草のめのめ」をよく歌っている。
「けーむーりーよ、けーむりよー、たーだ煙ー、いっさいがっさーいみな煙」
この、「いっさいがっさーい」のフレーズが、とても気持ちいい。
この世は一切合切がすべて煙のように夢幻なのである。
煙草をのむときの心境は、まさにそれ。
肺癌になろうが、心筋梗塞のリスクが跳ね上がろうが、
どうとでもなれ、という気分である。
まさに大正ロマン。この歌を作ったのが、「雨雨ふれふれ」の歌と同じ人だと思うと、
蛇の目(の傘)でお迎えに来るのがあの世の天女様のような気さえしてくる。

ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン

天国でいったい何をやっているやら。
こちらの歌を作詞しているときの詩人の方の心境を想像してみる。
野口雨情さんだったと思う。
雨の日は嫌なものだ。うっとうしい。でも、歌は楽しくなくてはならない。
雨の日でも楽しいこととは何であろうか。
急な雨で学校で雨宿りしている自分を、
母親が傘を持って迎えに来てくれる。
自分を気にかけてくれる人間がいる。
これはうれしいものだ。

なんか深いな。
最近歳をとったせいか、世界の神秘とかこの世の奇跡なんてものより、
身近な何気ない出来事に「いいもんだなぁ」としみじみ感じいったりする。
たとえばさっきのおばあちゃんの
「黙ってればよかった」
と茶目っ気たっぷりに笑った顔とか。

さて、とっ散らかった部屋をかたづけなくちゃ。

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