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コラム

2017年8月16日 (水)

早く来年にならないかなぁ

祝「風雲児たち」ドラマ化!
来年のお正月に放送されるみたいですね。監督は三谷幸喜さん。
原作のファンとしてはうれしい限りだ。

前野良沢と杉田玄白の「解体新書」のくだりを中心にするみたいだけど、
確かにあのあたりだと平賀源内が出てくるし、田沼意次も出てくる。
その田沼意次役が草刈正雄さんだというのもうれしい限り。

漫画準拠だと関ケ原から始めにゃならんけど、
そこは、名作大河「葵三代」の一話目がまんまあの話なので、
興味のある方は是非。
お金があった頃のNHKが国民から徴収した視聴
料を正しく使いまくり、
ドラマ史上完全な関ケ原の戦いを再現している。蟹江敬三さんの福島正則が大好き。
いまだに再現ドラマなんかで戦闘場面を切り取って使っているし、
あの時の各大名の鎧が、その後の大河ドラマでも繰り返し使われていたりする。

ビデオに撮って繰り返し見てたけど、
人に貸したらそのままとんずらされてもう十年くらいは観ていないな。
無念。

前野良沢のくだりは吉村昭の「冬の鷹」を参考にしてると思うんだけど、
あれも最後の方は男泣きに泣いてしまう名作小説なので、是非。

ああ、早く来年にならないかなぁ!

(年をとらない娘もドラマで忠実に再現するのかな?)

2017年8月10日 (木)

80年代の思い出

 1

「やっぱ、うどんは讃岐だよね」
と、平凡な結論に達しそうな今日この頃、みなさまにはお変わりありませんか。

うどんとか、数年前までは割とどうでもいい食べ物だったのだけど、
アラフォーを大きく踏み越えたあたりから、「うどんいいじゃん」となっている。
年のせいではない。断じてない。新しい味覚の世界に目覚めたのである。
あのコシ!洗練された出汁!

どでもいいけど高校時代は校庭の向かいにセルフのうどん屋があった。
「うどん屋行こうぜ」
とクラスメートの誰かが音頭をとれば、十人くらいがゾロゾロとついていく。
すでにしてブレザー姿の女子高生の集団がセルフのどんぶりを持って並んでいる。
どんぶりの中のうどんを網に落として、お湯を張ったシンクの中でみんなして湯がく。
これが、なんか微笑ましい風景で、昔漫画の中でも描いたことがあったっけ。

タンクのだし汁をどんぶりに張り、上に乗せる薬味やら天ぷらやらを選ぶ、
で、会計。
僕はちくわを選ぶことが多かったな。ちくわは天ぷらにするとおいしさが格段に上がる。
磯辺揚げ最高。
で、席についてみんなしてワイワイくだらないことを話しながら食べるわけだ。

クラスの男子生徒の間で、ジムで筋力トレーニングをするのがブームだったことがある。
なんでか新旧二つの体育館がある学校で、
その二錬の間にウエイトリフティングの施設があった。
普段は体育会系の部活が使っていたのだろうけど、それを一部男子が昼休みに使っていた。
僕は運動系は一切うけつけないので傍観していたのだけど、
同年代の男子が腹筋やら上腕筋やら、
「ちょっと触ってみ?」
と自慢するのは、少しだけうらやましかった。

で、そんな筋肉自慢を店内でワイワイやっていたら、他校の生徒に目をつけられた。
「おいお前ら、外に出ろ」
ときたもんだ。

なんでわざわざうちの高校の縄張りに来たのかわからんけど、
「かかってこいや」
みたいな感じで筋肉自慢をしていたクラスメートを挑発した。僕はこの場合部外者だと思うのだけど、
「おまえがやるか」
と凄みかかられた。困った。基本的にみんなクラスでも穏健派のグループなのだ。

で、その困ったところにクラスでもガタイのいいB君が、
「どったの、俺も仲間に入れてよ」
と飄々と首を突っ込んできた。
別にウエイトリフティングをしていたわけじゃないけど、背は高いし上半身も肉厚。
普段はお笑いキャラなので意識したことはなかったけど、改めて見るとけっこう強そう。
で、その他校の生徒は、
「ちっ!」
と漫画のように舌打ちをして、ズボンに手を突っ込んだまま引き下がってくれた。

その場にいた十人ほどはホッと胸をなでおろした。
B君は「?」な感じで「なになに、何があったの」とすっとぼけてたけど、
たぶん事情はわかってたんだろうなと僕は思ってる。

うどんというと思い出す青春の一コマだ。
夕陽をバックに飄々と笑うB君の笑顔はいまだに瞼に焼き付いて離れない。
僕はあの時のB君みたいな男になりたい。身長は平均くらいしかないけど。

 2

僕の通っていた高校は名古屋でも北の方にあった。
空港が近いから、グラウンドで空を見上げると着陸態勢のトライスターが
水色のラインを見せながら轟音とともに目の前をよぎっていった。
トライスターと言えばロッキード疑惑の飛行機で、あれを買う見返りに、
田中角栄さんはロッキード社から多額の賄賂を頂戴したのだけど、
あの頃はそんな無駄知識はなかったので、単純に、
「尾翼のエンジンがマシンハヤブサみたいでカッコええなぁ」
とぼんやり見上げていた。

食玩でいただいたのが仕事場に飾ってあったりする。

Img_0087

ウイキペディアでさらってみたら、ロッキード社はこのとき、世界中で賄賂をやっていて、
英国とか、あちこちで政治家の失脚が起こっていたらしい。
そのせいか、ロッキード社はトライスターを最後に民間航空事業からは撤退している。

単純な機体の性能ではかなりのものがあったらしいし、
全日空でも次期主力機と考えていたようなのだけど、販売はあんまり伸びなかった。
だから、焦ったロッキード社さんはあちこちの国のお偉いさんに猛烈なアタックをかけた。
田中角栄さんもその攻勢にまんまと乗っかってしまったわけだ。

自分の実家も名古屋では北寄りだったので、
空を見上げるとそこを飛んでる飛行機はデカかった。ヘリコプターも形がはっきり見えた。
だから、東京に来て飛行機がほとんど肉眼で見えないというのはなんか新鮮だった。
飛行機雲はみえるし、銀色の機体がときどききらめいたりもするのだけど、
飛んでる飛行機を真横から見るなんてことは空港の近くでなければまず体験できない。
「ああ、名古屋の状況が特殊だったんだな」
とその時初めて納得がいった。

人間はいろんなものに郷愁を覚える。僕は食玩のトライスターを見ると、
高校時代のグラウンドで見上げていた自分をしみじみと思い出す。

 3

机に向かって音楽を聴いていたら、斉藤由貴の「悲しみよこんにちは」が流れてきた。
ああ、今テレビで不倫騒動が話題になってるおばさんだと、時の流れを感じたのだった。

「悲しみよこんにちは」は高橋留美子さんの漫画「めぞん一刻」のアニメの主題歌で、
曲そのものは僕も結構好きだったりする。
目を閉じればあの当時十代だった斉藤由貴さんが歌っている姿が蘇ってくる。
眠そうな目、なぜか棒立ち、ふっくらした頬っぺた。
宗教的な理由でご実家が厳格だったので、品行方正な清純派のイメージだった。

あの当時、僕はフランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちは」も読んでいる。
たしか、女の子が暇つぶしにお姉さんの彼氏をNTRして、それが悲劇に発展し、
本当の悲しみの意味を知る、みたいなお話だったと記憶している。
だから「悲しみよこんにちは」となる。
斉藤由貴の曲はこの作品のタイトルだけを頂戴したもので、
歌詞の内容はサガンとは何の関係もない。「悲しみとだって友達になってやるわよ」と、
かなりポジティブな内容になっている。

でも結構好きな曲だったりする。結果的に印象的な歌詞になっているし、
歌っていれば「頑張ろう」って気分にもなる。

その斉藤由貴さんも尾崎豊とあれこれあったり、清純派ではなくなってしまったけど、
瞼を閉じれば昔のかわいいお嬢さんのイメージは僕の中で生き続けているので、
まあいいかと思う今日この頃であった。
若い子にはピンとこないだろうな、昔の彼女がどれだけ輝いていたか。

2017年8月 3日 (木)

またもや音楽の話

お中元で水菓子をいただいて、半分くらい食べてしまったところで、
「この菓子は冷凍庫で8時間ほど凍らせてからお召し上がりください」の但し書き発見。
ゼリーかと思ってそのまま食っちまったよ。

またもや音楽の話。別に絶対音感があるわけでなし、楽器も何も弾けないのだけど、
とりあえず仕事中やらなんやらで机に向かうときはスピーカーから音楽が流れている。
BGMってやつだ。バック・グラウンド・ミュージック。

僕がクラシック音楽を聴くのは、間違いなく漫画の神さま手塚治虫の影響。
この方は仕事中にはテレビをつけているか、ステレオでクラシックを流していた。
お亡くなりになってから家族の方が「聖域」である仕事部屋に入ったところ、
ジャケットから取り出された状態のレコード盤がうずたかく積み上げられていたそうな。

今でも特定の音楽を聴くと手塚治虫を思い出したりする。
昭和天皇が崩御されたとき、テレビでバッハの「G線上のアリア」の生演奏があって、
今でもこの曲を聴くと30年近く前のあの時代の空気を思い出すのと似ている。

チャイコフスキーの交響曲第4番の第1楽章は金管楽器の咆哮がすさまじい。
これを手塚先生は大自然を破壊する科学文明のアニメで使っているのだけど、
NHKの特番を繰り返しビデオで観たせいで、いまだにこの曲を聴くと思い出す。
どうでもいいけどこの曲の第4楽章を聴くと「涼宮ハルヒ」のゲームの話を思い出す。

モーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」の第2楽章は大好きな曲なんだけど、
これは手塚先生の追悼番組で流れていて「手塚先生も好きだったのかな」と思ったが、
よく考えたら選曲したのはテレビ局の人なのであんまり関係ないかもしれない。

ストラヴィンスキーの「火の鳥」はまんま同名の作品が手塚先生にもあるので、
まあ、間違いなく聴いていらしたはずだ。これを聴きながら描いてた部分もあるかなと
想像するのは結構楽しい。

ベートーヴェンは間違いなく手塚治虫が大好きだった作曲家だったと思う。
どの漫画だったか忘れてしまったけど、ショパンが祖国を去る時、
思いのたけをベートヴェンのピアノソナタ「熱情」を弾いてぶつけるシーンがあったはず。
手塚先生の創作したオリジナルエピソードだと思うけど、なんか好き。
「ルードヴィヒ・B」は未完の作品だけど、手塚先生のベートーヴェン好きがよくわかる。
でも読むとちょっと複雑な気分になる。絵の力はおそろしいもので、読むと音楽に影響される。
ベートーヴェンの作曲の師匠には有名なハイドンさんがいるけど、
この二人の関係は結構複雑なもので、ベートーヴェンサイドからハイドンを語ると、
どうしてもハイドンの印象が悪くなる。
ハイドンは「交響曲の父」と言われる音楽史上の重要人物だけれど、
ベートーヴェンからすれば一昔前の古い音楽をやる人で、乗り越えるべき対象であった。
だから、ハイドンが「君の作品に師匠である私への献辞をつけなさない」と命令すれば、
ベートーヴェンはこれをつっぱねるし、
「このハ短調のピアノ三重奏曲は発表しないほうがいい」とアドバイスされれば、
そのアドバイスを鼻で笑って出版したりもする。
実際はものすごい人格者で立派な人なんだけど、ベートーヴェンを通して語ると、
なんかものすごい時代遅れの俗物っぽくなってしまう。
で、手塚先生の漫画の中でも上のエピソードは出てくるのだけど、そのハイドンの絵が、
なんというか、ものすごく俗物なので困る。いや、わかるんだけどさ、
漫画の表現としてハイドンを俗物っぽい絵にしたほうが読者にわかりやすいってのはさ。
でもなんかもうちょっと人格者っぽくしてもらいたかった。

その「ルードヴィヒ・B」の作中で、モーツァルトが出てくる。
ベートーヴェンとモーツァルトが実際に会ったかどうかは不明なんだけど、
実際に会っていたらこんな関係だっただろうなっては、漫画に許された表現の特権で、
手塚先生もその特権を大いに楽しんでいる。
ボンからやってきた冴えない若者をモーツァルトは適当にあしらうのだけど、
その才能を認識するや、それまでの態度が一変する。このシーンはものすごく好き。
でもそんな大作曲家モーツァルトに対しても、ベートーヴェンは批判的になる。
あんた、音楽を書き飛ばしすぎじゃないか、となる。もっとじっくり楽想を練れよと。
で、そんなモーツァルトのエピソードとして、トイレに入っていたと思ったら、
トイレットペーパーに音符を書いて出てくるというのを手塚先生は描いている。
この絵がなんちゅーか、ものすごく頭に焼き付いていて、なんか困る。
別にトイレでネタを考えるくらいのことは誰だってやってると思うし、
今日名曲とされているものの中にも、排泄中に思いついたものはあるんだろう。
乙女の紅涙を絞る美メロディがうんこの途中で思いついたものだったりしたら、
それはそれで面白い。手塚先生にだってそうやって思いついた感動物語は多いはずだ。
だから、これは批判でも何でもないのだけど、モーツァルトを聴いていて、
「ああ、これはモーツァルトがトイレで排泄中に思いついたかもしれないな」
と考えてしまうのは、嫌いじゃないけどちょっと困るよねって話。

手塚先生と音楽の関係をもっとも分かりやすく伝えてくれるのは、
僕はブラックジャックの中の、LET IT BEのエピソードなんじゃないかと思う。
ネタ晴らしにならないように気を使って大筋を書くと、こうなる。
昔は東西冷戦の時代でしてね、アメリカ中心の資本主義社会と、
ソビエト連邦中心の共産主義社会に明確に分かれておったのですよ。
で、いわゆる「東側」であるソビエトの方では、「西側」の音楽は退廃音楽とされていた。
レーニンが政治のトップだった頃にはその傾向が強くて、
「現代音楽なんてものは腐った資本家どもの豚の音楽である」
ってことになっていた。だから、ショスタコーヴィチとかプロコフィエフとか、
亡命することなく祖国で作曲を続けた人たちは、悲惨なことになる。
発表された音楽が当局に目をつけられ「退廃音楽」ってレッテルを貼られてしまうと、
仕事は奪われるし下手をすればシベリアあたりに追放されて重労働を課せられる。
だから、「ごめん悪かった、こんな豚の音楽を書いて自分は間違っていた」
と反省文を発表させられたりもした。
当然、そういう音楽を一般の人が耳にするのも不可能で、
レコードを持っているのもやばいし、プレイヤーにかけるのだって下手をすれば銃殺もの。
でも、そんな時代にもお医者様が手術をするときには密室の中で音楽は聴けるはずだ。
患者は麻酔で眠っているし、オペを一人でやれば誰にも邪魔されることなく、
「退廃音楽」を堪能することができる。
で、手塚先生はそういう漫画をブラックジャックの中で描いているのだけど、
このとき手塚先生が「退廃音楽」として選曲したのが、
THE BEATLESの「LET IT BE」全曲だった。
ある程度ビートルズを知っていると、いやいやそこはホワイトアルバムだろうとか、
いろいろ突っ込みたい気もするけど、作品の書かれた時代の楽曲の知名度を考えたら、
まあ、妥当な線かなと思う。ウクライナの娘がうんぬんのBACK IN THE USSR流したいけど。
それに、「なるようになるさ」ってLET IT BEの投げやりさは物語に合ってる。
で、このエピソードを思い出すたび、手塚先生は仕事部屋でクラシックを聴きながら、
あの東側のお医者さんみたいに作品を描いていたんだろうなと想像すると、
ちょっと物悲しい気分にもなったりする。創作は孤独な作業なのだ。

でもまあ、LET IT BEを聴いて手塚先生を思い出すことはあんまりない。
むしろ、こいつを録音していた時のメンバー間のいざこざとか、
ボールの意向を無視して映画が公開され、それを映画館で観たジョンが泣いたとか、
ワインディングロードをフィルスペクターが派手なアレンジをしてポール激高とか、
ループトップライブでジョージのギターのプラグが外れたとか、
いらん予備知識が多いので、そっちの方をどうしても思い出してしまう。

以上、手塚治虫と音楽のお話でした。って、当初書くつもりだった話から脱線しちまった。

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街を散策していたらセクシーな足の看板が歩いてた。

2017年7月23日 (日)

カッメーラ!

デジタルカメラを買いに池袋まで行ってきた。
以前にもこのブログで書いているけれど、長年愛用していたのが壊れてしまい、
しばらくは携帯のカメラでしのいでいたのだけど、いよいよどうにもならなくなって、
「買うべ」
と腹を据えた。

だいたいのイメージとしては、小型で持ち運びに便利なもの、できれば望遠、
接写もできれば素敵だね、くらいのものだったので、まあ大抵のものがOKになる。
日本のカメラの技術は大したものなのだ。

特に自分のような、いまだに頭の中がフイルムカメラ時代のままなおじさんにとっては、
21世紀のデジタルカメラはドラえもんのひみつ道具みたいなもので、
どの機能をとっても「へぇ!」と驚くことになる。
奥様、自動でピント合わせができるんですってよ!お肌の色も機械が調整してくれて、
本人よりも写真の方が美人に写りそうな勢いなんですってよオホホホホ。

池袋のデンキ屋さんには中国人のお客さんが多い。エレベーターに乗ろうとしたら、
店員さんが中国人の男の子と話しているのとすれ違った。なんつーか、
あっちの子は物怖じしないよなぁと素朴に思う。
日本人の子供が店員と対等に話してるのって、なんかイメージしづらい。

カメラ売り場に上がって、良さそうなのを見つけ、
「これください」
と若い店員さんに声をかける。
キヤノンのシルバーっすねと、在庫を探しにバックヤードに引っ込み、しばらくして、
「お客さんラッキーっすね、このカラーの在庫はこれが最後っすよ」
と、ちょいと気持ちのいいことを言ってくださる。そうか、それはラッキーだな。

僕の買い物はこれで終了なのだけど、店員さんにとってはここからが本番になる。
「液晶画面の保護フイルムいかがっすか!」
ああ、あの玄人は風呂場で裸になって貼るってやつね。僕はいらないかな。
傷がついてもその傷を楽しむって境地になってるし、誤って気泡ができたり、
フイルムの角度が微妙に傾いて貼れてしまったりすると、めちゃくちゃイラつくから。

「SDメディアいかがっすか!製品には入ってませんよ!」
写真を保存するやつか。
古いデジカメのメディアをそのまま再利用できればいいんだけど、なんせ十年前のだし、
たぶん認識しないんじゃないかなと考え、買うことにする。ちなみに前のは2G。
「一番安いので8Gになります!」
ありゃ、やっぱ容量デカいのな。(ちなみに前の2Gも認識はしてくれた)

「各種保証はいかがっすか!メーカー保証のほかにビックの五年保証もできますよ!」
これは入る。故障があって修理を依頼するとき、
保証があるとないとでは店の客に対する対応が極端に変わるのだ。
保証があるととりあえず人間扱いはしてもらえる。
でも無いと迷惑クレーマーなみにぞんざいな扱いになる。

「全損保証はいかがっすか!ぶっ壊れても五百円の保証に入っていれば、二千円くらいで
同じ商品が手に入りますよ」
「それはいらないかな」
「ですよねーぇ」
あんたもそう思ってたんかいと、心の中で突っ込みを入れる。

家に帰ってからいろいろ写真を撮ってみる。
画素数はやたらデカいけど、ブログ用はレベルを落とすからあんまり意味なし。
接写はさすがに前のよりも高性能だ。しかも自動で接写モードになる。
Img_0012

どっかお出かけして風景も撮ってみたいけど、それはまた別のお話。

今朝の読売新聞の日曜版。
Img_0022

毎度見出しが著名人の名言だったりするのだけど、今回はこいつが来た!
思わす、声に出して歌っちまったよ。
(ジャスラックに気をまわしてボカシ入りました)

高校時代、名古屋ローカルのラジオ番組を毎晩聞いていたんだけど、その中で
「GSア・ゴーゴー!」ってグループサウンズの特集コーナーがあって、おかげさまで
ザ・タイガースとか、昔の音楽もそれなり耳にしていたりする。
「花の首飾り」はそのコーナーのテーマ音楽だったのかな。
当時のトップアイドルだったザ・タイガースが一般から歌詞を募集して、
18才くらいの女学生が書いたのがこの詩だ、というのは雑学として知ってた。
いわゆる企画ものなんだけど、これが当時大ヒットしたんだよね。
リアルタイムは知らんけど。

ボーカルは加橋かつみさんで、「ニルスのふしぎな旅」のオープニングの人といえば、
僕らの世代ならまず通じる。同じザ・タイガースの沢田研二さんとはまるで違う歌声で、
雄大な大地の歌声、みたいなスケールのデカさを感じる。すごい好き。

で、この日曜版はその著名人の名言とそのゆかりの土地を毎度紹介しているのだけど、
今回は北海道の八雲町なのだった。作詞の女の子のふるさとなのだ。
で、ここはお土産品として有名な木彫りの熊の発祥の地だといわれている。

鮭くわえた例のアレですね。八雲町のはくわえてないのが特徴だそうだけど。

この熊のお土産の由来については最近テレビで知ってちょっと興味を持っていました。
明治の御一新で尾張徳川藩士が職を失い、新天地を求めて北海道に入植したあと、
その行く末を常に見守っていた尾張藩の徳川義親公が、
「スイスに視察に行ってこんなん見つけたけど、みんなも作ってみたらいいんじゃね?」
と提案したのが土産物用の小さな木の彫り物で、
「だったら熊が定番だよね」
って彫り始めたのが、北海道の熊の彫り物のルーツなんだそうな。

わが地元名古屋も少し関係があるのかと思うと、ちょっと誇らしかったりする。

で、その土地が「花の首飾り」の詩の生まれた場所だってのは、また驚きだったりする。
いつか、行ってみたいものだなと、しみじみ考えたのでした。

あ、いつの間にかカメラの話でなくなってら。

2017年7月20日 (木)

イワシ

今年はウナギが平年よりも一割ほど安くなってるぞと、夕刊紙に書いてあった。
稚魚漁が好調だったそうな。それでも水産庁は、
「ウナギの資源量が回復しているという科学的根拠はない」
と、慎重な姿勢を崩さないのだが、
実際スーパーなどをのぞいていて、
「おやおや」
と肌身に感じていたことではあるので、ウナギは今年の「売れ線」になるのだろう。

イワシ。

先日の新聞紙面で日本の漁獲量の変化をバブル期から追ったものが載っていて、
それによると八十年代後半をピークに、日本の食卓から魚が消えていく様子がわかる。
ピーク時と比較して、現在は一割以下といったところか。
魚売り場は本当に寂しくなった。
マグロが主役の座を降りたのはいつのことだったか。
いつの間にやらサーモンが刺身の目玉商品になっていたりする。庶民的にはそうなる。

漁獲量激減の一番の原因はイワシの不漁が三十年近く続いているためで、
かつては朝食メニューの定番だった「めざし」が鮭やシシャモにその座を譲っている。
若い人の中には「めざし何それ」な人も多いみたいで、ネットでちょっと調べてみたら、
若者のめざし離れを嘆く老人の愚痴がいくつか見つかった。

全体の流通量が激減しているので、逆にめざしなんか安くなってる気もする。
スーパーの隅っこのほうで九尾二百円くらい。一時おいしいので食べまくっていた。
都内だと節分に厄除けで食べたりするので、その時期は大量に出回ったりする。

近年は漁獲量が回復傾向にあるという観測もある。

この頃は中国人がサンマやサバのおいしさに目覚め、公海での乱獲が問題になってるけど、
彼らもさすがにイワシには手を出さないんじゃないかと思うので、
案外何年か先には日本の国民食の地位を回復するかもしれない。

日本人にとってイワシは諸外国以上に身近な魚だったりする。

だいたい「鰯」という漢字そのものが日本の代表的な国字で、中国由来ではない。
最古の事例は長屋王(!)の邸宅跡から出土した木簡で、
そこに「魚編に弱い」の文字が確認できる。
なにしろすぐに痛む魚なので、干物にするか油につけるかするしかない。
だから「弱い魚」と表記するのかなとも思うけれども、
語源はいまいちよくわからない。

西洋ではオイルサーディンとかアンチョビみたいな油漬けが主流の食べ方になる。
なんだかんだ、お酒のお供にぴったりな魚なんだな。
どうでもいいけどオイルサーディンはあの髭のマークの缶詰が大好きだ。
洋酒あおりながらちびちび食べたくなる。

イワシは生臭くて焼いても独特の臭いがするのだけど、
それが昭和の家庭のにおいだった気もする。
サザエさんなんか、ずいぶんイワシ臭い世界だったと思うのだけど、
この頃はそんな空気もなくなっているんだろうな。

イワシ、カムバック!とおじさんは願うのでありました。

2017年7月15日 (土)

新聞小説のヒロイン

夕刊の新聞小説をこの頃は読み続けている。
平将門の時代を舞台とした歴史もので、馬と甲冑と弓矢が飛び交う坂東の物語だ。
これを毎夕楽しみにしていて、夕刊はまずそこから読み始める。

日々に移ろうニュース記事よりも、小説の中の登場人物の方が気がかりだったりもする。
新聞小説というのはそうやって読者を毎日紙面に引き付けるものなのだろう。

新聞小説というと、尾崎紅葉の「金色夜叉」あたりがまず浮かんでくる。
「金色夜叉」は僕は読んだことがないのだけど、寛一お宮の悲恋物語じゃないかと思う。
昔の名古屋のテレビCМで
「来年の今月今夜のこの月を、僕の涙で曇らせてみせる!」
という名セリフを繰り返し流していた。
熱海の浜辺で学生服の男が、このセリフとともに美人の娘に蹴りを入れる、
娘はそれでも成金との縁談にすがりつく。
「ああ、ダイヤモンド!」
……そこで「宝石の美宝堂」とかなんとか、社名が流れたんじゃないかと思う。

あらすじを読んでも、絶世の美女が学生との恋よりも成金との縁談を選ぶ話のようで、
女の即物的な欲望の象徴が「ダイヤモンド」(アクセントはヤの字にあり)なのだろう。
これをCМで使ってしまうあたり、名古屋の下世話なお笑いセンスなんだろうけど、
苦笑とともに宝石屋の名前は頭に残るので、まあCМとしては成立している。

明治の新時代、古風な大和撫子は知的で即物的な明治の女へと変貌しつつあった。
江戸の封建時代を知る明治男からすれば、それが実に新鮮で、面白く見えたであろうし、
女性からしても、最新の女性とはそんなものかしらと興味をそそられたに違いない。

夏目漱石が大学教授の職を投げうって、朝日新聞の新聞小説を連載し始めたとき、
その題材がまた、「今どきのけしからん女」だったのは面白い。
「虞美人草」は漱石の文語美文体小説では最後の作品になるのかな。
(※「草枕」があるの忘れてた)
古めかしい文体なんだけど、読み始めるとこれが滅法面白い。
名家の令嬢の藤尾が周りの男性を手玉に取りまくる。
「金色夜叉」のダイヤモンドに対して、こちらは金時計なのだけど、
その金時計を振り回して「お金が欲しければ私の犬になりなさい」みたいな感じで、
明治の男どもをばったばったとなで斬りにする。

夏目漱石としては「金色夜叉」はあまりお気に召さなかったみたいで、
島崎藤村の「破戒」を「金色夜叉」などより上だとほめていたりするのだけど
その漱石が新聞小説を書くと、「金色夜叉」っぽいノリになってしまうのは、
一般読者の興味を分析した結果なのかもしれないけど、まあ面白い。
実際、「虞美人草」は発表当時大評判となり、関連商品も売れたそうな。
アニメのヒロインが話題になってキャラクターグッズが売れるのと似ている。
藤尾は明治時代のヒロイン像の一つの典型なのだろう。
その影響は「高飛車で上から目線の金持ちのお嬢様」として未だに生き続けている。

ところで、漱石自身は藤尾のようなヒロインは「大嫌い」で、
「虞美人草」という作品そのものが、このいけすかない女を破滅させるための物語だ、
みたいなことを手紙か何かで書いていたはずだ。
たしか門人か誰かにあてた手紙。
「藤尾ちゃん、いいすね、激モエっすよね」みたいな言葉に対して、
「あんなもんを好きになっちゃいかん!あれはダメな女だ、あれを破滅させるために私は小説を書いたんだから!」
みたいな感じだったかな。

実際、物語の終盤になると漱石の筆はノリノリになってきて、ものすごく楽しそうに
自分の創造したヒロインを破滅させている。
文章を読んで書き手の「グルーブ感」を感じたのは僕は「虞美人草」が初めてだったので、
その部分はやたら強烈に頭に残っている。

でも読者はそうは読まなかった。高飛車な藤尾というヒロインが
ものすごく魅力的に映った。
だから関連商品は売れたし、作品も評判になった。
のちに映画化もされたし、ドラマにもなっている。
(自分のイメージだと大原麗子なんだけど、実際は古手川祐子さんだった)

新聞小説の使命として、魅力的なキャラクターを創造し、
その一挙手一投足で読者を引き付けるというのが大きいと思うのだけど、
その点でいえば漱石の「虞美人草」は新聞小説の大成功例なのは間違いない。
でも、漱石自身は、案外「金色夜叉のパロディ」を書いただけだったのかもしれない。
「こういう女を喜ぶとか、おかしいんじゃないか」
と一般の読者に提示したつもりだったのに、読者は藤尾を称賛している。
これぞ新時代の女であると、喜んでいる。この生意気さがかわいんだよね、
俺も藤尾に振り回されてみたいと、けしからんことまで言い始めた。
「従順なだけの女は面白くない、こういう男を足蹴にする女が魅力的なんだ」
まできたところで、漱石はおおいにつむじを曲げる。
以後、漱石は藤尾のような新時代の女はヒロインにせず、
むしろ昔ながらの古い女を持ち上げるようになる。

人妻が百合の花を手にしながら、自らの恋心に罪悪感を感じるとか、たまらんですよ。
それを奪い取って破滅していくとか、本望じゃねぇか!みたいな。
ある意味、裏返しの「金色夜叉」みたいな方向へと走る。
「それから」の美千代さんが藤尾ほど印象的なキャラクターとは思えんけど、
漱石としてはそれは近代と敵対してでも守るべきものだったのかもしれない。

新聞小説の大ヒット作といえば、菊池寛の「真珠婦人」がある。
僕は横山めぐみさん主演のドラマのほうをCSで観て、滅茶苦茶はまった。
昼ドラの帝王といってもいいくらい、奥様方に人気のあった番組である。

男どもを手玉に取る若き美貌の未亡人「真珠婦人」。
その彼女は実は秘めた恋を守り通す一途な女性だった!みたいなお話。
ある意味、「金色夜叉」「虞美人草」のヒロインの発展形なのだけど、
悪女的な新時代の女性に「貞淑な昔ながらの女性」を強引に合体させたところが、
なんとも新機軸だったりする。
これは原作を読んで、そちらも面白いなと夢中になった。

なんでこんなアクロバットなことが可能になったかというと、
状況が清楚で貞淑な女性をどんどん追い込んでいき、
「この恋を守るためには、私は悪女にだってなってやるわ!」
な心境にさせてしまうのだ。だから、本当の意味で悪女ではないのだけど、
大衆娯楽作品としてはこの微妙な匙加減が大いにウケた。
だって、外面的には男を手玉に取る悪女なのに、
実は一人の男を一途に思い続ける貞淑な大和撫子なんですぜ、お客さん。

設定としては日和ってるし、尾崎紅葉や漱石が描き出したかった「醜悪な近代文明」とは、
違うような気がするけど、「一途に恋を守り通すヒロイン」は確かに魅力的なのだ。

新聞小説ではないけれど、ラジオドラマの「君の名は」(アニメじゃない方)も、
状況がヒロインを悪女にしていく系の作品である。
男性が冷静に物語を見ると、
「こうまで不運の連続攻撃を受けると、ギャグとしか思えない」
となるのだけど、製作者のご都合主義は「運命のいたずら」という甘い言葉になり、
「真知子さん、かわいそう!春樹はもっと彼女の気持ちを考えるべきだわ!」
という女性からの共感を引き起こすことになる。
僕は映画の三部作を見て笑いが止まらなかったけれど。
(恋敵のアイヌの少女が谷底に落ちていくときは、腹を抱えて笑ってしまった)

菊池寛が発明した「悪女の免罪符」としての「運命のいたずら」は、
昭和のドラマの全盛期にそれこそ雨後の筍のように乱用されまくることとなる。
本来微妙な匙加減だったものが、乱造され、それがドラマだ!みたいなノリになる。
むしろ、その過酷な運命(製作者の悪意)に立ち向かう健気なヒロインさえ出てくる。
山口百恵の赤いシリーズなんかはそうだろう。
スプリンターのヒロインが走れなくなった足にフォークを突き立てるシーンは、
壮絶なギャグとして僕の中では記憶されているのだけど、70年代のドラマではそれが
割と当たり前の演出だった。運命とは、笑ってしまうくらいに過酷なのである。

この時期のドラマを見まくった自分たちの世代なんかは、
運命がいたずらをするのはむしろ当然のことであって、
それが物語のような気さえするのだけど、たぶんとんでもない勘違いである。

新聞小説の世界で魅力的なヒロインを創造しようとすれば、悪女が一番である。
でもその悪女に道義的免罪符を与えようとすれば、運命のいたずらに頼るしかない。
で、そのうち「運命のいたずら」の面白さに製作者が目覚めてしまって、
ドラマの世界に「運命の歯車の大脱線まつり」がはじまってしまったのではないか、
なんてことをちょっと考えてみた。

何考えてんだろうな、僕は。

2017年7月 6日 (木)

エイトフォー

久しぶりに床屋に行った。若いころは無精に髪を伸ばすのが
「反体制的」
みたいな70年代のノリを引きずっていたので、割とほったらかしだったのだけど、
年を取ると「爺さんの長髪」というのは、よっぽどの覚悟がなくてはできない。
「反体制」のフラッグが「社会不適合者」の烙印になりかねない。
オッサンは東京の片隅でひっそりと漫画を描く「小市民」なのである。

「この街には落ち武者ヘアーの漫画描きがいる!」
と、妙なUMA扱いされて、当局に要注意人物扱いされたくはない。

床屋の話は以前にもこのブログで書いたのだけど、
近所の床屋が「お客さん漫画家さんなんですか」とやたら根掘り葉掘り聞いてくるので、
ここ二十年ほどは隣り町の無口な床屋さんを贔屓にしている。

自分の頭頂部の栄枯盛衰を知り抜いているのは、家族とこの親父さんくらいのもんだ。

平日なのでお客はおらず、店主はお客の椅子でテレビを観ておられた。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」

この頃は無口は無口なりに時事的な会話程度はするので、天候についてあれこれ話した。
台風は僕の知らない間に関東を通り抜けていたらしい。
「今年は雨が少ないので、もう少しいっぱい降らしてもらいたかったですけどね」
なるほど、店のテレビ(床屋式の椅子からは見えない)でも、関東の水がめがピンチで、
荒川水系で節水が始まっているとニュースキャスターの声がしている。
「荒川は埼玉県を通っている」と、どうでもいい予備知識まで披露している。
ダムの貯水率は平年の20%程度らしい。

「今年も去年のキャベツのように、野菜が値上がりするかもしれませんね」
と、適当な感想をのべると、
「そうですねぇ」
と、あちらも適当な相槌を返す。

テレビは節水についての蘊蓄をしゃべり続けている。
歯磨きはコップに水をためて、蛇口の水は流しっぱなしにするな、
髪を洗う時もこまめにシャワーを止めろ、
それだけで一日に2リットルのペットボトル十本分くらいは節約できるらしい。

うちは共栄住宅なので、水を流しっぱなしにするのは配管の中の水を入れ替えるって、
そういう意味もあるんだけどなぁと、ぼんやり考える。
以前部屋の外で水道業者が会話していたのを聞いてしまったのだけど、
「外側のパイプの入れ替え工事をして、それで水は奇麗になりますか」
「ダメだね。個々の部屋への配管は古いままだから、ずいぶん汚いことになっているよ」
と、物騒なことを話題にしていた。
以来、水道の水を口に入れるときは、ある程度流しっぱなしにしている。

基本的にそれほど神経質な人間ではないので、ネットで、
「中国のウナギ業者は自分のところのウナギは食べない」
って話題を読んだ時も、そんなもんかなと納得した。
なんか、始末に困った人間の死体を餌の代わりに養殖槽に放り込んでるとか、
そういう風聞なのだけど、
「危険な薬物を投入されるよりはまだマシ」
「死体が怖くてシャコが食えるか」
とネット人が笑い飛ばしていて、まあそりゃそうだ、生々流転ってくらいで、
自分が普段口にしている有機物にも、かつては人様を構成していた物質もあろうし、
だいたい肉や魚はまんま生き物なのだ。

そんなどうでもいいことをあれこれ考えているうちに床屋は仕事を終えていた。
本当にどうでもいいことだ。
僕は頭をいじられていると面白いアイデアを思いつくことが多いので、
風呂で髪を洗っているときとか、床屋でアイデアを仕入れることがある。
「外国語で話すと人格が変わるって面白いよな」
ってこの店で髪を刈られている間に思いついて、早くメモしなくてはと焦ったこともある。
でもこの頃は割と平凡に、くだらないことばかり考えている。

レジで会計を済ませようとすると、小ぶりなゴミ箱が置いてあった。
「商店街の催しなんですよ」
とクジを引くように勧められた。五百円で一回。僕は七回引くことになる。
五等が五枚、三等が二枚当たった。
「申し訳ない、二枚も当たってしまった」
「景品交換所でお菓子なんかと交換できますよ」
とのことだった。

毎年やっているので、これまでにも干物の詰め合わせとか、割とよく当てている。
今年は何だろうと交換所の文房具屋に向かう。

何も買わないのも何なので、漫画用のインクとピグマを買う。まさに思うつぼ。

三等の景品は店の隅の箱の中から選べるとの話だったが、目ぼしいものはあまりなかった。
むしろ四等の箱の中のほうが、お菓子やらグッズやらがあって賑やかな感じがした。
三等は洗剤とかティッシュの箱とか、制汗剤だったりした。「8×4」だ。
「なんで八かける四なのだろう」と今調べてみたのだけど、
もともとはドイツの商品で、有効成分に
「Hexachlordihydroxydiphenylmethan」
が使われているらしい。これが三十二文字。だから八かける四でエイトフォー。
「ちなみに現在はこの成分は使われていない」となっている。

語呂が面白いから名前だけ意味不明のまま残っているってことか。どうでもいいけど、
商品名の来歴だけまとめたブログがあったら、そこそこ人気になるんじゃないかと思った。

景品を目の前にしばらく考えてから、除菌剤と洗剤を取り出して、
「これいただきます」
とお店の人に提示した。
「そこに袋があるんですよ」と、店主がレジ袋に詰めてくれた。

面白い商品名というと、サランラップがある。
透明な樹脂を発明した二人組の研究者がいて、それぞれの奥さんが「サラとアン」だった。
だから愛妻家の二人はのろけ半分に「サラ・アンド・アン樹脂」と名前を付けた。
それが詰まって、「サランラップ」になったのだけど、
「ン」一文字に短縮されたアンさんがなんか不憫だなと、思い出すたびに考える。

夕方の空は夏前なのでずいぶん明るいのだけど、少し曇っていて、時々雨粒が落ちる。
買い物の奥様方が自転車で行き過ぎる。半袖にコットンパンツで、尻の形が頭に残る。
漫画描きの名言に
「若者は胸にこだわるが、年を取ると尻の良さに目覚める」というのがあるのだけど、
人体のデッサンをしていると、尻のデッサンが案外難しいのだなと気が付く。

尻とはなんであるか。

股関節から足が分岐し、その付け根の形状が尻になる。
ダビンチのように人体の構成を解剖学的に考えると、そこには一切の無駄はなく、
筋肉の配置の妙があの形を作り出していることになる。それなのに、
なんで人間は尻に変なロマンを抱いたりするのだろうか。
一説には、サルは発情期に交尾を促進するために、メスの尻が赤くなって、
それが煽情的にオスを駆り立てるというのがある。
太古の人間にもそういう時期があって、女性の尻の形状に種の保存への欲望が、
フツフツと湧き上がるのかもしれない。

桃の果実や半分に切ったリンゴの断面にも、ロマンを感じる男はいる。

そういったロマンを突き詰めていくと、尻のラインには生命の根源が感じられるようで、
その核心をなんとかつかみ取ってみたいものだなと思うけれど、
客観的に考えてただのエロおやじ以外の何物でもないので、困ったもんだ。
ものすごく哲学的な話題だし、それに人生をかけた芸術家もいるのだけど、
自分には万難を排して尻に人生をかける男気はないなと、
またしてもくだらないことを考えながら、夕方の商店街をブラブラと歩いた。

特に書く話題を用意しないでダラダラ文章を書くと、本当に意味のない文章になるという、
見本みたなものだな。

2017年6月20日 (火)

キャベツと社長さん

 1

亡くなった父が自分の叔父をものすごく尊敬していて、その話をさんざん聞かされた。

僕から見れば大叔父にあたる良雄さんは川隅の本家の次男坊か三男坊で、
養子に出されて才覚一本で大きな会社の社長さんにまでのし上がった。
だから、同じように本家を出て独立した父には、人生の目標だったんだと思う。
俺も叔父さんみたいに故郷に錦を飾ってやるぞ、てな感じで。

姫路に本社があって、幼稚園の頃に父と叔父さんとお城をバックに写真を撮っている。
だからその時のことだと思うけど、父に連れられて社長に会いに行った。
駅前の商店街のおもちゃ屋に寄って、ガッチャマンのゴッドフェニックスの玩具を見つけて、
買ってほしかったけど買ってもらえなかったのは覚えてる。
なんと、ガチャマンのほかのマシンも収納できてしまうすぐれもの。
子供のころの自分は、ボンフリー号とかタイムボカンのメカブトンとか、
小さいマシンを収納できる大きなマシンがなんか大好きだったのだ。
電人ザボーガーの頭の中からヘリコプターが出てきても許せてしまうお年頃だ。

で、会社の社員寮みたいなところに一泊した。
社長さんなら豪邸の一つや二つは持ってそうなものだけど、
「そんなものはいらない」
という、実にあっさりした叔父さんだったのだ。
お金持ちの豪邸に泊まってみたかった僕は、ちょっとがっかりした。
トラ皮の絨毯の上でフカフカのソファーに寝転がってみたかった。
僕の持ってる昭和のお金持ちのイメージは完全に成金親父である。

で、その晩は僕は社員寮に残され、父は叔父さんと飲みに繰り出したのだと思う。
幼稚園児が一人でわけのわからないところに置き去りにされ、ちょっと不安だった。
父にしてみれば、尊敬する叔父さんに自分の長男を見せたかったのだろうけど、
いざ連れてきてみたら持て余した、ってところなんだろう。
計算してみたらあの当時の父は30代中ごろである。
今の僕からすれば考えなしのただの若造である。

で、朝になって目が覚めたら、父が申し訳なさそうに苺を用意していた。
「練乳も買ってきたぞ」
と、苺にまわしかけてくれて、食べたらそれがものすごくおいしかった。
あんまり昭和の話なんでわかりづらいかもしれないけど、昭和40年代、
苺に練乳をかけて食べるなんてのは、なかなかにステータスの高い食事なのである。
普段は牛乳に砂糖をまぶして食べていた。

あと、姫路城内でレインボーマンのお面をかぶった僕の写真なんかが残っているけれど、
そこらへんのことは全く記憶に残っていない。
社長さんと写真を撮っているのに会ったことすら記憶に残っていない。
ただ、この旅行で「父は叔父さんのことをものすごく尊敬しているのだな」というのが、
なんとなく頭に刻み付けられた。

だから、中学生くらいの時に父が話して聞かせる叔父さんの伝説も、話半分で聞いていた。
「本社のセレモニーホールにピアノを置いたんだけどな」
「うん」
「叔父さんはそれまで触ったこともないのにピアノを演奏したんだぞ」
「ふうん」
「やっぱり社長になるくらいの人は天才なんだな」
「さよけ」
みたいな感じである。
たぶん適当に叩いたピアノの音が、父には天上の音楽のように聞こえたのだろう。

この大叔父がテレビに出たときは、僕もさすがにワクワクした。
宮尾すすむの「日本の社長」は僕の大好きな番組コーナーだったし、
自分の縁者が宮尾すすむとどんなやり取りをするのか、期待もした。
でも、少年のワクワクは番組開始早々に裏切られた。
宮尾すすむが長期休業か何かでレポーターが代理の人だったのだ。
この段階で僕の興味は半分吹き飛んだ。

テレビに出てきた大叔父は、ものすごく成金ぽかった。
たぶん、そう思わせないために豪邸を持っていなかったのだろうけど、
そのことで逆説的に成金度はアップしていた。

「私はキャベツが大好物なんですよ」
と、高級マンションの一室で丸のままのキャベツをむしって食べていたけど、
なんかカッコ悪かった。そんなもん全国放送で流すなやと思った。

「私は金持ちだけど、こんな質素な生活をしています」的なアピールは良くない。
いっそ金満豪邸親父であってくれたほうがよっぽどすがすがしかった。
番組の最後にスタジオに現れ、一千万円の眼鏡を自慢したのも、かっこ悪かった。
なんか、徹底していない。結局お金持ちだって自慢したいだけじゃん。

この大叔父の息子さん、父の従兄にあたる人はこれとはまるで逆の性格で、
ラスベガスまで遊びに行って一億円ふっ飛ばしたという話がある。
「道楽息子だ」と、父は批判的に話していたけれど、
僕はそっちの方がよっぽどカッコいいと思った。
金持ちは金持ちらしく、豪楽に振舞ったほうがよっぽど見栄えがいいのである。

で、ここまでが前振りなのだけど、キャベツを生のままでむしって食べてみました。
今回はそのお話なのです。

 2

原稿を描き終え、ホッとした反動なのか、それまでの不健康な食生活の反省なのか、
「生野菜が食べたい」
と、ものすごい欲求が沸き上がってきた。
冷蔵庫の中には買ってきたばかりのキャベツやらピーマンやらがある。
よし、食べよう。
僕は皿の上に生のキャベツと種を取り除いたピーマンをのせた。
さすがにそれだけだと寂しいので、お酢と塩をふりかけた。

で、バリバリ食べてみた。手づかみで。

驚いたことに、めちゃくちゃおいしかった。
ピーマンはさすがに不味いんじゃないかと思ったけど、そんなことはなくて、
程よい甘みさえ感じるくらい、おいしかった。
「料理っていったいなんなんだろう」
と考えたけれど、その答えはすぐにわかった。
アゴがものすごく疲れるのだ。
普段自分がいかにアゴの筋肉を使わないのかを実感した。
少量の野菜を生で食べただけなのに、いまだにアゴが疲労している。
料理とはつまり、食事で使う筋肉の労働を軽減させるものだと悟った。

食べるってことは、それだけで重労働なのである。
肉を食いちぎり、骨を砕き、野菜を粉みじんに粉砕する。
これだけでかなりのカロリーを消費するし、肉体は疲労する。

このことは僕にはものすごく大きな発見だった。

あと、酢と塩をかけたのは余計だったなと思った。
今市場に流通している野菜は、おそろしく完成されている。
それだけでチョコレートや菓子パンのようにおいしく食べられる。
昔の野菜ならもう少し青臭かったのだろうけど、それはまったく感じなかった。
農家の方はものすごく頑張っているんだなと、しみじみ考えた。

そんで、これを日常的にやっていた大叔父のことを思い出した。
「あの人、これを毎日やってたんだよな……」
案外、逆説的な金持ち自慢ばかりではなくて、大叔父の編み出した健康法だったのかもしれない。
これを毎日やればアゴの筋肉は鍛えられ、脳にはものすごい刺激になる。

僕自身ははアゴの疲労がすごくてさすがに続けられないと思ったけれど、
大きなことをやらかす人ってのは、それなりすごい人なんだなと、
妙なところで感心したのだった。

若いころの自分ではあるけど、人を一方的な価値観で切り捨ててはダメだなと、
反省したのでした。

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大井川鐵道で「懐かしかろう」と名古屋の鉄ヲタさんがくださった「クッピーラムネ」。
子供のころは安価に手に入る駄菓子の定番だった。
「名古屋の会社なんですよ」
と言われ、全国区だと思っていたお菓子が地元のものだと初めて知った。
おいしさハッピーである。
下りのアプト式列車の中で雄大なダムの風景を見ながら食べたら、
すごくおいしかったです。

2017年6月 2日 (金)

名古屋めし


となり町に雑用で出かけて、ついでにその町に新しく出来たスーパーをのぞいてみたら、
スガキヤの味噌煮込みうどん(インスタント)が置いてあった。
喜々として買ってくる。

故郷名古屋を離れ、はや四半世紀。いや、26年だったかな。
名古屋では当たり前に手に入るものがここ東京ではなかなか入手困難なのだけど、
それでも、近年の「名古屋めしブーム」とやらのおかげで、
どうにか入手できるようになってきた。

昨日、何気なくテレビをつけてみたら、名古屋めしの特集をやっていた。
妙齢のお嬢さん方(当社比)がお店で鉄板ナポリタンを食べて、
「鉄板だと食べながら調理してくれるから、味が変わって面白いのよオホホホホ」
とほほ笑んでおられた。

名古屋出身で幼稚園の頃に鉄板ナポリタンを食べていた自分からすれば、
味が変わるなんて考えたこともなかったし、熱々の鉄板を前に
ヤケドしそうなスリルを味わいながら食べるもんだと思ってた。

実家が大衆食堂だったので、開店当初は流行りものをいろいろお店で出していた。
鉄板ナポリタンもそんな流行りものの一つだったのかもしれない。
ステーキ用の鉄板、木の器に黒い鉄板がのっかってるやつに溶き卵を敷き、
半熟加減で焼けたところにスパゲッティ・ナポリタンを乗せる。
ウインナーは赤いウインナーでなくてはならない。
で、食べるときは鉄板の卵をフォークでかき起こし、麺とからめながら食べる。

大好きだったけど、客層に合わなかったか、めんどくさくなったのか、
自分が小学校に上がる頃にはメニューからは消えていたな。

その後、よその喫茶店なんかに行っても見かけることがなくなってしまったので、
「鉄板ナポリタンは僕の見た幻だったのではないか」
とまで考え始めていたのだけど、近年になってまた注目されるようになってきた。

まあ、そろそろ食品業界もネタが出尽くしたってことなのかもしれない。

大人になって「そんなもん、ナポリタンにスクランブルエッグのっけりゃいいじゃん」
みたいな考えになって、すっかりどうでもよくなっていたのだけど、
アツアツの鉄板でヤケドするかもしれないスリルと戦いながら食べるナポリタンてのは、
案外いいものだ。
幼稚園児だった自分は、鉄板に口をつけて麺をすすれないもどかしさを感じながらも、
なんか唇が熱かった記憶もあるので、無理やり鉄板を持ち上げて食べてたんだろうな。

食べ物の話になるとガキの頃の自分がいかに浅ましかったかの話になって、
なんか困る。

2017年5月31日 (水)

ディスカウントショップ

のらのらと散歩していると、ご近所のディスカウントショップが閉店セールをやっていた。
入ると、全商品2割引きとかで、ご近所の妙齢のお嬢さん方がいっぱい集まっている。
明治のカールの騒動でもそうだけど、消えるとなれば人間はどうしても気になってくる。
欲しくなくても今生の別れにもう一度手に取ってみるかとなる。

1960年代生まれの自分にとって「カール」は物心ついた頃から既に存在した商品で、
別に好物ではなかったのだけど、食べたことはある。
「甘さを抑えたお菓子」とのことだが、なんか甘かったような気もする。
たぶん、三十年くらいは口にしていないから、記憶がどうもあいまいだ。

ディスカウントショップというのも、自分が東京に出てきた90年代初頭は、
あちこちに開店していたように思う。二十代の自分もあちこちの店をのぞいては、
電話機やら生活雑貨、チープで奇妙なグッズなんかを買っていた。
こういう店のカセットテープコーナーで七十年代の演歌歌手のベスト盤を見るのも、
なんとなく好きだったりした。今にして思えば買っときゃよかったと思わんでもない。

あの当時から四半世紀、下手をすれば三十年近い歳月が流れている。
三十代でお店の経営を始めた方々も、もう還暦を超えていてもおかしくない。
「安価でチープ」ってことなら、ドンキホーテとか百円ショップで十分だし、
この辺でそろそろ店を畳むか、となってもちっとも不思議ではない。
ご近所のディスカウントショップが閉店するのは今年に入って二件目だけど、
もうそういうサイクルに入っているってことなのだろう。

安い商品のまとめ買いってことなら、ドンキホーテは無敵の存在だ。
昨日苫小牧の風景を見るためにグーグルアースを使って駅前をぶらついていたのだけど、
殺風景な街並みの中にドンキホーテがやたらでかでかとそびえ立っていた。
いつの間にか時代の勝利者になってたんだな、この店。

池袋で出版社の人と会うとき、駅前のドンキでいつも落ち合っていたのだけど、
あそこは一階部分を女性向けのコスメやらなんやらで固めていて、
二十代くらいの女性客が多かった。
どんな業界でもそうだけど、今は女性がお金を使う時代なので、
ディスカウントショップだって思い切り女性仕様になりつつある。
編集さんが来るまで店内をぶらつくと、マスカラやら付けまつげやら、
入浴剤なんてものまで、狭い店内にヤケクソのように詰め込まれている。
そういえば、ドンキは商品を大量に詰め込む系のお店であった。
物量にものを言わせて、ここでなら何でもそろうぞ安いけど、って空気を漂わせている。
昔渋谷のドンキで放火騒動があって、隙のない商品陳列が問題になったりもしたっけ。

有名百貨店のこじゃれた商品配列もいいけれど、ディスカウントショップはそうじゃない。
商品倉庫をそのまま解放しました的な、お宝発掘探検隊なノリがいい。
だからたぶん、ドンキはわざと商品を所狭しと並べたてているのだろう。
人間の物欲を刺激するのは、何もよい商品を並べるばかりじゃない。
安くても、大量に詰め込まれているってお買い得感が物欲を刺激する場合もある。
だから、中にはとんでもなくひどい商品があったりもするけれど、
枯れ木も山のなんとやらで、一握りのお買い得品があれば、他のダメダメな商品も、
購買意欲を刺激するシステムの一部になる。

ダメな商品にも存在価値を与えるって点では、ある意味見事な経営戦略である。

それでご近所のディスカウントショップの閉店セールなのだけど、
目ぼしいものは既にお客に買われまくってしまって、半分以上がカラの棚になっていた。
カップラーメンとかトイレットペーパーとか、
主要な商品はすでになくなっていて、ピクルスとか、便せんとか、
「枯れ木」ばかりがポツポツと置いてあるだけだった。
いつもは薄暗くて倉庫の中のようだった店内も、思いのほか明るくて、
実は結構小奇麗なテナントだったことがいまさらのように判明した。

店員のおばちゃんが常連さんだろう、若い作業員風のお客さんと話をしている。
これからも頑張ってねと、お客に声をかける。
このおばちゃんも店を始めた当初は若くていろいろ苦労したんだろうなと想像する。

その間も、店内をおOLさんとか、近所の奥さんとか、
残り物をあさるハイエナのように物色し続けている。

僕もチョコレートを買ってお店を出ようとしたが、また商品を置いて出てきてしまい、
おばちゃんに呼び戻された。
どうも締め切り前になると同じ失敗をやらかすらしい。

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