無料ブログはココログ

amazon

  • PCソフト
  • DVDベストセラー
  • ベストセラー
  • ウィジェット

漫画講座

2017年7月 3日 (月)

七月は文月 本の陰干しの季節だ!


今年も半分終わってしまって、さあ後半戦だと張り切ってみたけど、
なんか雨が降っていたりして結局部屋の中でじめじめと本ばかり読んでいる。
本って言っても、十年くらい前の漫画なのだけど、
「この高校生たちももう二十代の後半か」
と考えるとなかなかに感慨深い。まあ、○○〇(自主規制)なんですけどね。

なんでこの漫画がうちにあるんだろうと考えるのだけと、
なんでかよく思い出せない。
「▽△▽(同上)」も同じ本棚に並んでいるので、たぶん当時プチブームだったのだろう。
この先生の漫画は感情が高ぶってくると絵に作者本人が乗り移って、
ぶっちゃけ、ご本人の顔が絵に出てきているようで、ちょっと困る。
まあそんなことを考えるのは僕だけかもしれんけど、原稿越しに作者の顔が見えると、
同業だけにちょっと居心地が悪くなる。

漫画家の飲み会でとある女性漫画家の方をお見かけして、
そのご尊顔がお描きになっているキャラクターとあまりにそっくりだったので、
思わず隣の方に「リアル○○だ!」と叫んでしまったことがある。
「いやいや、あれ動物キャラだからそんなこと言っちゃ失礼ですよ」
なんてたしなめられたのだけど。

美男美女系のキャラだと作者の願望やコンプレックスの裏返しみたいな事情もあって、
あんまり似ていることはないようだけれど、
少し砕けた感じのキャラクターだと、ご本人に生き写しということはよくある。
実際何度も目にしてるし、その名前を出せないのが歯がゆいくらい、クリソツなのである。
(いつの言葉だよ、クリソツ)
画家はたぶん自分の体を物差しにして絵を描いているので、
顔なんかも自然と画家本人の顔に似てくるものなんでしょう。
だから、売れっ子漫画家には味のある顔の人が多い!とまでは言わないけど、
DNAで絵柄は左右されるなとはときどき考えます。

昔、アマチュアの漫画描きの集まりで、
「怒った表情を描くときって自分も怒った表情で描いてるよね」
って話になって、ああ、僕だけじゃなかった!とうれしく思ったことがあります。
いまだに絵を描いているときによく思い出すのだけど、
そういえばこの頃は年のせいか、絵を描くときは割と無表情だなと、
いまさらのように気が付いたりもします。目玉はカッ!と見開いているのだけど、
口元なんかは表情につられて開いたりはしない。だってよだれが落ちたら原稿汚れるし、
いちいち表情筋を動かすのにも体力を使うお年頃なのである。

若いうちはデッサンの狂いなんかは気にしないで、気合の限りを原稿に叩きつけるのが、
後々のためには良かろうと考えます。デッサンが崩れるからと、
ハンコ絵のキャラばかり量産するよりははるかに良い。
そうやって若いうちに絵の人物の「表情筋」を動かしておくと、
年をとってから無表情で感情の激しい絵が描けるような気がします。
だって、ペン入れするときって、気合を込めすぎると線が汚くなるし、
あんまり気合の入りまくっていびつになった下書きにペン入れするのも、
なかなかに技術のいることなのです。たぶん。

絵の見易さ読みやすさというのが自分の漫画を描くときの重要テーマなのだけど、
激しい感情を絵としてどうやって成立させるか、それがなかなかに難しい問題なのです。
そういうことをつらつら考えていくと、浮世絵師の写楽とか、
あいつはスゲーなと笑ってしまいます。

210pxtoshusai_sharaku_otani_oniji_1

激しい感情を絵として成立させれば、それはいい絵なんじゃないかな。

2017年3月 4日 (土)

雨を描く

昔、ベトナムで取材させていただいたとき、
ホーチミンの駅だったかな、突然のスコールに駅舎の中に逃げ込んだことがあった。
南国のスコールだからその勢いたるやものすごい。大地を叩く雨音が重低音で響いてくる。

一人でボーッと立っていたら青年さんが日本語で話しかけてきた。
僕はどうやら一発で日本人とわかる容姿をしているらしく、
担当さんと歩いていても、物売りの標的になるのはたいてい僕の方で、
そのことでいささかうんざりしている時でもあった。

でも青年さんは純粋に自分の習得した日本語を日本人相手に使ってみたいようで、
話した内容はもう忘れてしまったのだけど、その熱心さには好感を抱いた。

もう二十年も前の話なんだな。

雨といっても日本人のイメージする雨と海外の人のイメージする雨は異なる。
日本人が何気なく描いた雨の絵が、外国人にはひどく斬新に見えることもあるらしい。
有名なところではゴッホが安藤広重の版画「大はしあたけの夕立」に感激して、
自分も油絵で模写をした、なんてのがある。
どのポイントに感激したのかはわからないのだけど、絵の構図を大胆に傾け、
降りしきる雨の強さを強調したところなんかは、かなり斬新だと思う。

20100627190706e8f

「江戸名所百景」の頃の安藤広重は北斎の影響なのか、構図の大胆さに拍車がかかって、
梅の枝を思いっきり手前に配置してみたり、
手前の物体と奥の風景の対比で奥行きを出したり、
カット割りがどんどん現代的になっている。
ゴッホはそこに面白さを感じたのかもしれない。

でもなぜ「大はしあたけの夕立」なのか。
「線によって降りしきる雨を描写したのが、西洋人にはコロンブスの卵だった」
という意見を何かの本で読んだ記憶がある。
たしかに、降りしきる雨を「線」として認識するのは、おかしいといえばおかしい。
そんな物体は空から降ってきていない。でも、雨粒が移動する時間を描写すれば、
それは線になるってのは、日本人の自分には感覚的によくわかる。

西洋人はそのようには認識してこなかった。だから西洋絵画の世界では、
降りしきる雨を描写した絵がほとんど存在しない。あっても霧のように朦朧としている。
雨そのものより雨によってぼやける風景のほうにフォーカスが当たっている。

それは西洋人が日本人より感覚的に劣っているという話ではない。
同じ雨を認識するのにも、生まれた国の文化によって違いがあるという話である。

僕は逆に、雨が線ではないというゴッホの認識のほうに意表をつかれ、
しみじみ雨を見つめてしまうのである。
確かに、これは線ではない。でもいざ絵にしようとすれば、線以外には考えられない。
表現というのは、なかなかに困難なものであるなあ、と。

音楽の世界ではベートーヴェンが田園交響曲の第4楽章で雨を表現している。
村祭りの陽気な熱狂の中に、突然の弦の唸り、ティンバニーの細かい振動による雨脚、
弦は悲鳴のような跳躍で雷鳴を表現している。
「田園」は特に好きな曲でもないのだけど、この部分の表現はすごいなと素直に思う。

しとしと降る雨というなら、ブラームスのバイオリンソナタ第1番「雨の歌」。
以前にもこのブログで書いているけれど、雨の日の情感ってあんな感じだよなと、
心象の面で納得させるものがある。友人に聴かせたら納得してくれなかったけど。

ショパンにも「雨だれ」って練習曲があった。これも心象的な雨の日の風景。
穏やかでどこかさみしい感じがする。ピアノはどんどん心の底へと沈降していき、
激しい感情が湧き出しそうになるけれど、それもやさしい雨音にかき消されていく。
いかん、またポエマーになってしまった。

今回「昭和人情食堂」に掲載していただいた漫画の中にも雨のシーンがあり、
雨をどう表現するかで少し悩んだ。
「一本一本線を引くのか?」
それはさすがにめんどくさいなとちょっと躊躇した。
僕は怠け者なのである。作業はできるだけ効率よく単純なのが望ましい。

僕は「コミックスタジオ」というソフトで漫画の仕上げ作業をしているのだけど、
その機能の中に、「自動的に平行線をひく」というのがある。
長さや間隔を調整することで、思い通りの平行線が自動的に引けてしまう。
昔は定規で一本一本引いていた線が、一瞬で引けてしまうのだから、
文明の進歩というのはありがたいもんだよなあとしみじみ思う。

数値レベルを調整すると、間隔はランダムに変わる。
「これを絶妙に調整すれば、雨みたいになるんじゃないかな」
と考えた自分は、ちょっといじくってみた。果たして雨のようなラインが出てきた。

Ws000041

今回描写した雨は、この機能を利用して仕上げていたりします。
だから仕上げるのはわりと一瞬だったりするのです。
言わなきゃ「一本一本線を引いて、漫画家さんは大変だな」と思ってもらえそうだけど、
実はそんなこともなかったりします。

もちろん、パソコンのランダムな雨の線だけでは情感が出ないので、
線を間引いたり重ねたりして調整はしています。
漫画を描く方で「コミックスタジオ」を利用している方のご参考までに。

今回は雨のシーンがそれほど多くなかったので、割と安易な方法を使ったのだけど、
本格的に雨を描写するとなると、自分の絵のボキャブラリーはまだまだ不足気味だ。
この頃東京は雨の日が多いのだけど、その中に傘を差してとぼとぼ歩いているとき、
「これをどうやって表現するかな」
とちょっと考えたりします。

一口に雨といっても、その描き方には無限の広がりがあるのだ。

2017年1月20日 (金)

ネームの話


東京では寒い毎日が続いております。
すっかり家に引きこもって漫画のネームを書き続けていたのですが、
それもなんとか終わりまして、作画に入っているところです。

「ネーム」というのは漫画に詳しい人には言わずもがなの用語なのですが、
漫画を描くための設計図みたいなもので、
自分の場合だと大規模スーパーで売ってる子供用の「らくがきちょう」を使っています。
八十枚が一綴りになっていて三冊、それで税込み三百円くらい。安い。

以前、新幹線で移動中に担当編集の方にネームをチェックしていただいたことがあって、
「君、こんなので書いてんの?」
と呆れられたことがあったので、偉い先生は「超高級手すき和紙」を使っているのかも。
まあ、冗談ですけど。

「ネーム」ってのは本来は漫画の吹き出しの中のセリフ文字のことだと思うんだけど、
漫画の設計図を作る場合でも、このセリフがメインになることが多いので、
設計図のことも「ネーム」と呼ぶのだと思います。
あくまでも主目的はキャラクターのセリフ部分で、絵はおまけですから簡略化する。
人によっては丸を書いて人物の名前だけ、みたいな方もいるみたいです。

自分は、どちらかというと書き込んでしまうタイプで、
キャラクターの表情なんかも一筆入魂の気合で書いていたりします。
忘れっぽいんです。時間が経つとどんな表情だったか思い出せなくなってしまう。

本当はこれって、良くない癖なのかもしれません。
編集の方にも、
「もっと簡単なのでいいよ」
とたびたび注意されましたし、有名な作家さんのインタビューなんかでも、
「ネームで気合を入れて絵を描くと本番で本気が出せない」
とおっしゃっているのを読んだことがあります。

自分のはこんな感じです。
これでもたぶん描き込みずぎ。

Img001

だいたいの設計図ですから、誤字脱字はしまくりになります。
この回でも「産湯」を「初湯」と書いてしまう、なんてのがありました。

Img003

でもまあ、気にしない。
ネームを書いている最中は頭の中でキャラクターがお喋りしている状態なので、
それを急いで書きとめなくてはいけない。
編集さんのほうでもそれがわかっていますから、基本的に無視してくれます。

編集さんじゃないとすごいことになります。
某鉄道漫画の時はネームを専門家の方にチェックしていただいたのですが、
もうなんだ、鉄道知識のチェックじゃなくて漢字の間違いのチェックになってた。
編集さんが見かねて、
「本人もわかってやってるんですよ、勢いの方を重要視してるだけなんです」
「講〇社の校閲は優秀ですから無視してください」
「あんまり指摘すると作家さんが落ち込みますんで」
と助け船を出してくれたけど、それでも止まらなかった。
一般社会人としてその間違いはどうなの?ってことなんだと思う。
以来、ネームを読み返すときは辞書を片手にチェックするようにしています。
「産湯」も自分で修正したし。

文字はまあ、汚い字になってしまう。キャラクターの会話を急いでスケッチしてますから、
「一文字一文字丁寧に」とはいかない。
「読めればいい」
と開き直っていたりします。
自分で書いといて「編集さんてよくこんな文字が読めるよな」と思うくらいです。
で、一度そのことを聞いてみたことがあった。
「いつも汚い字でごめんなさい」
「いやいや、君の字はまだ読みやすいほうだよ。もっとすごい人いますから」
と、にこやかに返答された。
長年漫画の担当していると作家さんの癖字をマスターしてしまうらしい。
偉いもんだなと感動する。

ああ、そうだ、今思い出した。
昔、アシスタント先の先生の原稿に消しゴムをかけるとき、
吹き出しの中のミミズを消したら、
「なんで消しちゃうんですか!」
と、ものすごく怒られたことがあった。
どうやらセリフをメモしていたらしい。
まさか、文字だとは思わなかった。
で、先生もちょっと機嫌が悪くなりまして、
「なんてセリフだったかなぁ」
「畜生、思いだせねぇ」
と唸りまくってた。
普段は温厚で明るい先生が豹変してしまったので、さすがに青ざめた。

本当に文字だとは思わなかったんです。ごめんなさい。

2016年9月25日 (日)

画竜点睛

●画竜点睛

画家が竜の絵を描きまして、最後に渾身の気合を込めて黒目を書き込む。
するとあら不思議、竜の絵に魂が入って生き生きとし始めましたよ、の意味。

転じて、あらゆる仕事の仕上げに肝となるワンポイントを付け加えること。
ショートケーキにイチゴを乗っけたり、
日航機の垂直尾翼に鶴のマークを貼り付けたり、
和室の大掃除をして、最後に床の間に生け花を置いてみたり、
……
逆に
「画竜点睛を欠く」
となると、仕事自体はそつなく出来上がっているのに、何かが足りない、
あとちょっとなんだけど、なんか惜しい、みたいな意味でも使われます。
イチゴの乗ってないプレーンなショートケーキとか、
JALマークのない日航機、
綺麗なんだけど殺風景な和室
……

ネット上で「ガラスの仮面」のキャラクターが白目を剥いているのが広まって、
ついに本家までそれを宣伝に使うようになっていますが、
美内先生は何ゆえにあんな表現を思いつかれたのか、ときどきぼんやり考えたりします。
あまりのショックに魂が吹き飛んでしまった表現としては、なかなかに秀逸。
画竜点睛を欠いているわけですから、まさに魂の吹き飛んだ状態の絵なわけです。

005
ネット上から勝手に拝借してきました。驚愕の北島マヤ。

ひょっとして美内先生はペン入れで最後に黒目を入れるタイプの漫画家で、
ペン入れ中に
「ここで黒目を入れなかったらショッキングな絵になるわ!」
と思いつかれたのかもしれない。

絵を描かない方にはピンと来ない話かもしれませんが、
割とリアルな絵を描こうとすると、黒目は最後に入れた方が「生きてる感じ」がします。
僕は黒目は最初に入れてしまう派なんですけど、
理屈的に前者の方が圧倒的に正しいな、というのは何となく感じているのです。
まさに「画竜点睛」、魂は最後に渾身の気合を入れて書き込むのです。

でも、本当にそうなんでしょうか。

自分は、目から作画を開始するタイプの絵描き屋さんなので、
最初にいい感じの目を描いて、そこから鼻、口、輪郭、髪の毛、体と作画を進めます。
この描き方だと目が印象的になる、ってことを経験的に知っているからです。

……今現在はもっと複雑な描き方になっているけど、
割と最近まで、目から描き始める描き方を忠実に守っています。というか、
それ以外のやり方をすると、絵が崩壊してしまう。
体を最初に描いて「画竜点睛!」とかやると、視線のあやしいおかしな人物になる。

美内先生風のびっくり顔を描いて、最後に黒目を入れる、というのもやってみました。
これも、僕だとなんか上手くいかない。
「画竜点睛」って、あれは出鱈目なんじゃないかい、ただ「画竜点睛」言いたいだけちゃうん?と、
四字熟語に似非関西弁で文句を垂れ始める始末です。

僕なりの結論から言うと、「画竜点睛」は正しい作画指南の言葉です。
いろいろ試してみた結果、条件付きでこの作画方法が成立することがわかりました。
すなわち、

「丸が綺麗に描けること」

筆記具でパッと○を描いて、それがコンパスで引いたみたいに綺麗な真円なら、
そこにポンと筆を落とすと、中心に筆は落ちます。ある程度作画経験のある人なら
そうなる。
たぶん、そうなるんじゃないかなぁ。
いびつな○だと中心が明後日の方向にすっ飛んでしまっているので、
極端な話、中心が円の外に飛び出すことだってあります。
「画竜点睛」は、目を描きいれるまでの、竜の体の作画が「綺麗な真円」だから、
最後の竜の目が生きるのだと、僕は考えます。
いくらきれいな和室でも、掃除の仕方が独特過ぎると床の間の花が生きない。
「綺麗に整頓はされているけど、こんな本ばかり積み上げられた部屋じゃ花は似合わない」
となるわけです。
大師匠のお描きになった竜の絵は、その体を描いた線が、忠実に円を描いている、
だから、最後に黒目を描きいれることで、そのすべての線がその一点に向かって収束する。
「まるで魂が込められたように」絵が生きてくるわけです。

「竜の体が忠実な円て、どういう意味だよ」
と突っ込まれそうですが、これをどう表現したらいいものか、
ぶっちゃけ、「デッサンがきちんと出来ている」ということなのですが、
自分はその方面ではダメダメな人なので、上手く表現することが出来ない。

最近の自分は、どんな線であれ、それが立体物の輪郭をどうなぞっているのか、
かなり意識して描いています。背広をペン入れするときは、
その襟が立体物であることを意識して、その外側をなぞる感じでペン入れしています。
紙はできるだけ回転はさせない。
時計に例えると、六時から九時、一二時の線は普通に引けるのですが、
お昼を回って三時四時になってくると、中心が内側に入って来るので、
体の向きを少し横にずらします。
五時、六時のあたりの線は、少しだけ紙を回転させ、
なるべく円の中心から外側の線を引く、というルールを守って、線を引きます。
だから背広の左の裾、紙面上の右下のラインを引くときは、少し体をひねっている。

P1100743
葛飾北斎師匠の「略画早指南」より。
これは毛筆で曲線を描くときの筆の握り方についての解説。
「右へ引く線かくのごとし、左へ引く線かくこのごとし」
右ページの左下に「すべて筆と書き手との間……」とあって、面白そうなんだけど、
僕の読解力じゃこれ以上は読めない。

自分のペン入れが駄目だったのは、
この最後の五時六時のラインを時計の外側から引いていたからだと思います。
ここでペン入れが崩壊して絵が無秩序になっている。

……ようは、ペン入れの上手い下手は、物体を正確に認識してペン入れしているかどうか、
だと思うのです。
出来る人はペンを握って次の瞬間には完全なペン入れが出来ている。
出来ない人は、たぶん文字を書くような感じでペン入れしているから、
線それ自体が記号になって、なんだかうるさい感じの絵になる。
線は、あくまで物体を浮き上がらせるための手段です。
上手な人の線がしびれるくらい流麗なのは、その線が
「物体を浮き上がらせる」という目的に徹しているからです。
物体の外側をなぞっているのだから、定規を使ったようにブレのないきれいな曲線が引けるのであって、
それ以上でもそれ以下でもない。
いくら線の流麗さを真似しようとしても、それが目的になってしまうと、
ただの曲線しか引けない結果になる。
大切なのは、物体をはっきりとイメージして、それを円で包み込む感じでペン入れすること、
なんじゃないかなと僕は考えるのですよ。

……なんで絵の描き方でこんなに熱くなっているんだか。

で、自分は目から絵を描くタイプの人なんだけど、
これの欠点は、目がちゃんと描けていないと、そのあとの体の線までいびつになっていく、
ということが一番大きい。
逆に言うと、目がしっかり立体を意識した完璧なものであれば、
そのあとの部品も目のいびつさに引きずられることなく、きちんと正確に描けるということです。

自分は何十年も絵を描き続けてきて、最近になってようやく糸口がつかめてきたという、
遅すぎる人、なのですが、
若い人でこれから上手い絵を描きたいという途方もない願望を抱いている人に、
少しでもヒントになればと、思っていることを書き綴ってみました。
「画竜点睛」は最後の一点で絵に魂を込めるという意味ではなく、
そこに至るまでの過程があって初めて成立する話だ、ということです。

絵の話は書いてる方はノリノリで語ってしまうので、もうしばらく続くかもしれません。

P1100740
北斎の「風流おどけ百句」より「孕んだ男」
「孕んだ男とかけて、落ちた青梅ととく、心は、うむことがない」(ならぬ?)
だと思う。こういうのがもっとスラスラ読めたら楽しいんだろうな。
北斎の線はこの道の達人だけあって正確でするどい。この線を見てるだけでご飯三杯いけます。

追記)
記事をアップしてから、上の絵の意味がなんだか気になっていろいろ調べてみた。
目の前に置かれた米とかつお節らしきものはいったい何なのか。
これに梅干を加えると、何かが「熟む」のだろうか。
米が日本酒なら、江戸時代の「煎り酒」という調味料を作りたかったのに、
孕み男を連れてきてどうするんだい、みたいな意味なんだろうけど、何か、江戸の特殊な風俗なんだろうか。
(どうでもいいけど、梅とかつお節を日本酒で煮込んだ調味料ってなんかおいしそうだ)
坊主が頭を掻いているのは、女人禁制のお寺で寺内の小僧に手を出して孕ませた、の意味。
案外、米を炊くのに鰹節と梅干を入れて炊くとおいしいかやくご飯ができる、くらいの意味なんだろうな。
それなのにこの糞坊主が孕み男なんて連れてきやがった、産めねえよ、
落ちた青梅でおいしいかやくご飯が作れないみたいに、孕んだ男じゃ子供は産めねぇんだよ、
って意味なのかな。

上の絵で一番面白いのはポッコリ膨らんだ小僧のおなかの表現。
北斎のラインが生み出すお腹のポッコリ感は、妖艶にして生々しい。
肉のダボついた感じがよく出てる。
あと、着物の上からでもわかるオバちゃんの骨ばった体つき。
こういうものが表現できてしまうのだから、筆の絵ってすごいなとホトホト見惚れてしまうのです。

2016年6月16日 (木)

SFとは宇宙海賊の独断場

Photo

前回に続き、Gペンでペン入れしてみました。

「何かSFっぽいものを描きたいな」
と思って、真っ先に思いついたイメージをそのまま絵にしてます。
どうです、昭和のSF全開でしょ?
最近、自分の絵が昭和臭いのは「特徴」なのだから、それでいいじゃないかと、
かなり開き直ってます。
だって仕方がないじゃないか、昭和生まれなんだから。

SFの知識って、あんまりないです。
いっとき、気張ってグレッグ・イーガンとか無理して読んでみたのだけど、
やっぱりスラスラとは読めない。
平行宇宙がどうのこうので、だから確率論がうんたらかんたらと、
「じゃかましいわい!」
となってしまう。
確かに、頑張って読み終えれば、
「なるほど、すごい発想力だ」
となるのだけど、自分の求めているSFとは、なんかちょっと違う。

自分の子供の頃というと、ジョージ・ルーカスの「スターウォーズ」が公開された頃で、
それ以前だと、「ミクロの決死圏」とか「600万ドルの男」とか、
あと、「スタートレック」かな。そこに「サンダーバード」とか円谷作品が入ってくる。

SF、いわゆるサイエンス・フィクションは、
人類にもたらされた「科学文明」の可能性をとことんまでシミュレーションしたものです。
これが何百年か昔の中世ヨーロッパあたりだと、頑張って想像力を駆使しても、
ダンテおじさんの冥界紀行くらいが関の山だったのだけど、
ある程度科学が発達してくると、未来の可能性がパーーーツと広がってきた。
「ひょっとしたら宇宙くらいいけるんじゃない?」
そう思いついたあたりで、最新の科学情報を駆使して「なんちゃって未来」を作るのが、
人間のすさまじさ。ついには銀河を二分する帝国対同盟軍の宇宙戦争まで映画にしちゃった。

70年代から80年代の漫画やアニメでは、この辺の想像力がバネになって、
次々といろんな作品が生まれました。
宇宙人対人類の種の存亡をかけた戦い、なんてのは基本中の基本。
はるか遠いガミラス星からの侵略攻撃で、荒廃した地球を救うために旅立つ宇宙船、
それがなぜか大東亜戦争で撃沈された戦艦大和だったり、
オニールのスペースコロニーのアイデアを膨らませて、
「コロニー落とし」
なんて大殺戮の可能性まで考えてしまった某機動戦士とか、
すごいよね、人類対スペースノイドの独立自治権をかけた戦いなんて、
まんま植民地時代のアジアの独立運動だもの。

でもまあ、限界はある。
科学の提供してくれる未来の可能性というのも、人類総がかりで何十年もシミュレートすれば、
ある段階で頭打ちになる。
そうすると、「どっかで見たような設定」のお話が延々と繰り返されるようになる。

最近はタイムリープものが手を変え品を変えて繰り返されている状況だ。
「シュタインズ・ゲート」は誕生日にソフトをプレゼントしてくれた人がいて、
ちょいとばかりプレイしてみた。
タイムリープにより発生した多次元世界を行き来する物語。
タイムリープで過去を改変するというSF設定があって、そこから別のルートの人生が生まれる。
その人生がどうしょうもなく悲惨で地球規模で救いようのない未来だから、
「もう一回、正しい世界線に戻らなくては」
と主人公が必死に行動をするようになる。

これは、とても面白かった。

大昔にタイムリープものの古典「リプレイ」は読んでいるので、
自分の知っている現実とは違う現実をやり直す面白さは、大歓迎である。
僕だっていろいろやり直したい現実はあるもの。

で、この今では古典になった人生やり直しストーリーだけれど、
歴史はたぶん滅茶苦茶古い。藤子F不二雄先生の作品だと、
違う世界線の自分が一堂に会する作品がある。
社長に出世した自分、落ちぶれてみじめな人生を送っている自分、
なんか、テロリストみたいになった自分もいたっけ。

「ノスタル爺」もそうなだな。
過去に戻って絶叫する主人公が哀しい。

藤子F不二雄先生だと、他にも「人生やり直し」のストーリーはいっぱいありそうだ。
なんせ、タイムマシーンがあればこの手の話はいくらだって広がっていく。

手塚治虫だとどうだろう。
案外、タイムマシーンと手塚治虫は相性が悪いような気がする。
後進の藤子先生に気を使ったのかもしれないし、
そもそも、タイムマシーンという安易なマシーンを作品に出すことが、
本格的なSFを志向する手塚先生には許せなかった可能性もある。
勝手な妄想ではあるけど。

「時間を遡行する手段」というのは、科学的にはまだ実証されていない。
電子レンジと大型ブラウン管でたまたま出来ちゃった、
そこにセルンの量子マシンがどうのこうのと、理屈をでっち上げることは出来るけれど、
現実に発生する可能性のない未来というのは、SFというよりはおとぎ話の世界であり、
もちろんそれはそれで僕は大歓迎なのだけど、
ここから科学のもたらす恐怖と人類への警鐘を作品にもたらすのは、
不可能なんだと思う。
どこかでただの絵空事になってしまう。
スペースコロニーを作ったらそれを地球に落とすテロリストが生まれるかもしれない、
そちらの方が確かに本格的なSFの匂いがする。

だから、タイムリープもののSFが次々と生まれてくる背景には、
科学に対する失望とおとぎ話的な物語世界への回帰があるのだろう。
そこに描かれているのは科学的な推論ではなく、むしろ「人生」についての考察である場合が、
ほとんどだから。

だいたい、タイムリープという発想そのものが、若者のものではない。
そりゃ、小学校からやり直したい中学生はたくさんいるだろうけれど、
おじさんの希望としては、若者には未来の可能性を信じて、
三十年後の自分に薔薇色のイメージを持ってもらいたい、だけど、
社会に出ればそのイメージはたいていボロボロに踏みにじられ、
老後の生活についての暗澹たる思いばかりが気を重くするようになる。
せめてポックリ死にたいからポックリ寺でも行ってみようか、
なんてのがたいていの人生の行く末だ。

だから、未来に希望が持てないなら、もう一度可能性のあった時期の自分に戻りたい、
人生をリスタートさせて、今度こそ薔薇色の未来を手に入れたいと、
これはどう考えても、失敗した人間の発想であり、若者のもんじゃない。

漫画やアニメの購買層がどんどん高齢化していて、
出版社が対象年齢をどんどん引き上げている事情も大きいのだろうけど、
タイムリープの作品がどんどん出てきてしまうのは、
単純に時代の閉塞感の表れであると、言っちゃえそうな気がする。

でも、それが時代の要求だからなのか、タイムリープ物には傑作が多いんだよな。
「僕だけがいない町」とか、すごくよく出来てると思う。

でも、それでも、
僕個人としては宇宙海賊になって、私腹を肥やす東京都知事、じゃない、
地球統合政府の親玉をひいひい言わせてやりたいです。
派手に波動砲をぶっ放して、エネルギー120パーセントの怒りの鉄槌をぶち込みたい。
つまりどこまでも自分は「昭和」なのです。

……話が思わぬ方向にずれまくってしまった。
本当はカール・セーガン博士の「コスモス」って科学番組が面白かったねと、
そこからSFについていろいろ書いてみるつもりだったんだけど、
まあ、これはこれでいいかなと、とりあえず納得してみる。

あと、上の絵について思いついたことをコメント。
「地球を描きたいけどめんどくさいな」
と、とりあえず青い球体のレイヤーを作りまして、
「次、どうすっべかなぁ」
なんてぼやきながら、茶色い陸地と緑の森林部分を塗りまして、
雲を描く段になったとき、毛筆のツールソフトを最大にして、
「そいや!そいや!」
やったら、案外簡単に雲が描けました。
コミックスタジオの毛筆って、線を引くと毛筆っぽいタッチを出すために線が変形するので、
その思わぬ効果が、雲の流れっぽい感じになるみたいです。
細かいところは毛筆の「削り」の方で整えましたけど。

あと、立体感を出すために、同じコミックスタジオの、
「遠近感を出す移動」のやつを使って奥行きを出してます。
雲が水平線に消えていく感じが、なんとなく出せたように思えます。
さあ、同じコミックスタジオを使っている同業者のみなさん、
今日からあなたも「地球マスター」だ!

2016年6月15日 (水)

ラブシーン見ちゃった事件

Irast8

またお絵かきの話。

今回は普通にGペンを使ってペン入れをしている。
順番は、輪郭→目→鼻口眉毛→顎→髪の毛→その他。

この頃は水性顔料マーカーのピグマばかり使っているけれど、
絵に立体感を与えるなら、圧倒的につけペンのペン入れがいい。

色塗りはコミックスタジオの色塗りツールそのまんま。

ただ、今回は先に全体の色を青と決めて、それを一面に塗ってから、
ちょいとずつ色彩を変更していった。
最終的に青い色の部分はあんまり残ってないけど、
なんとなく青い絵の感じは出てるんじゃないかな。

このやり方をやっていて、ふと思い出したことがある。

小学校の四年生の頃、クラスに転校生がやってきた。
ショートヘアーで目元のかわいいAさんって女の子だった。

家は「山の手」の優雅なマンション。比較的ステイタスの高い人たちが住んでる。
自分は山ふもとの食堂の息子なので、なんとなく気おくれしてしまう。

まあ、クラスには豪邸住まいのモノホンのお嬢様がいらしたので、
彼女に比べれば庶民派の女の子なのだろうけど、育ちはとても良さそうだった。

成績は優秀で、けっこう美人さん。くしゃみをすると、
「くっしゅん」
と棒読みのような脱力系の声がしたので、授業中の静まり返った教室が、
そのたびに大爆笑に包まれた。

学級委員長もやってたような気がするし、すべてがすべてソツなくこなせるので、
クラスでも一目置かれる感じの女の子だった。
そんな子だから、コミカルな「くっしゅん」のくしゃみが余計におかしかったんだな。
ああ、神様はちゃんとこの子にも弱点を与えてくださったんだな、と。

で、この子の特技がよりにもよって絵を描くことだった。
僕も学級新聞の四コマ漫画を任される程度には絵に自信のある子どもだったので、
「面倒なのが来たな」
とちょいとばかり警戒した。
クラスヒエラルキーの中で、「お絵かきの上手な○○さん」というのは、
強力な看板になり、それがそのままクラスでの発言権につながっていくのだ。
だから、図画工作の時間などに彼女が絵を描き始めると、
僕はそれとなくのぞいたりしていた。

なんの絵だったかは忘れてしまったけど、Aさんは鉛筆で下書きを入れると、
やおら画用紙一面をオーカーイエロー一色で塗りつぶし始めた。
なんだこの子は、なにやってんだ?と僕はあっけにとられた。

そこからちょいちょいと色を足していって、色のバランスを見ながら調節しているらしい。
小学校の4年生でこんなプロっぽいやり方を見せつけられると、
普通のガキんちょの自分は、敗北を認めるしかなかった。

思えば、「色塗りが上手でも、それが絵描きの性能の差ではない!」とひねくれたのは、
全部このAさんの責任だな。
僕が色塗りに苦手意識を持ったのはたぶんこのときからだ。

で、そのAさんだけど、
中学でも同じクラスだったのかな。一つだけ強烈に覚えているのが、
「ラブシーン見ちゃった事件」かな。
教室異動で音楽室に行くことになって、自分も少し遅れて教室を出たのだけど、
なんか、音楽室の前で女の子たちが異様に興奮してキャーキャー騒いでいる。
「なんかあったの?」
と、クラスのおしゃべりな女の子に聞いてみたら、
「三年生の先輩がキスしてた!」
と絶叫するのだ。
なんでも、校内でも有名なカップルさんが白昼の音楽室で堂々といたしていたらしい。
で、その現場をリアルに目撃してしまった女の子たちが、
制御棒ぶち抜きでテンションマックスになってしまったのだった。

クラスの男子は、へえ、そうかい、みたいな顔だったけど、
思春期の中学生女子にとっては、お目めキラキラになってしまうくらいの大事件、
だったのだろう。
なにしろ、あのパーフェクト超人のAさんが、顔を真っ赤にしてはしゃいでいるのだ。
端正なお顔がお猿さんのように真っ赤っかである。
「こいつ、こんなキャラクターだっけ?」
と、心のライバルの豹変ぶりに、自分は愕然としたのでした。まる。

2015年12月 7日 (月)

絵について、しつこいけどまた語る

お肉が食べられない日々が続いております。若い頃なら耐えられなかったかもしれないけど、今の年齢だとお肉抜きの食生活もそれなりに楽しめてしまうので、まだ頑張れます。
なにせカレーにお肉を入れないで普通においしく食べてますからね。(ルーはあれだけで油の塊だからあんまり良くないんだろうけど)

で、今回は絵を描くときのお約束をつらつらと書いてみます。
自分が絵を描くときに注意するポイントなので、極端な話、自分にしか意味はないのかもしれないけど、「あの人は絵を描くときにこんなことを考えながら描いているのか」と座興程度にはなるかと思います。

01

●デッサン

最近になって確信したことだけど、鉛筆なりシャープペンなりで下書きを始めるときはペンを立てるほうがいい。紙に対してペンの軸が垂直になるように心がける。よくイーゼルにキャンバスをかけてデッサンを始めるとき、大体のアタリを鉛筆を垂直に立ててやるけど、あれはものすごく理にかなってる。
____________________________
|         |
|  原稿用紙   |
|   ∧     |
|     ||      |
|     ||      |
|     ||      |
|     ||      |
|          |
|   垂直     |
|          |
|_______|

鉛筆の角度が2時や10時の角度になると正しいデッサンが出来ない。少なくとも最初のアタリを取るときは、鉛筆を立ててやる方がいい。

(上から見れば垂直ということで横から見れば斜めになってます)
(僕の鉛筆の持ち方はクセが強すぎてデッサンがうまくいかないことが多かった)

●顔に十字の線をいれる。

人物の顔を描くときに丸を描いて十字を切ってだいたいの目鼻の位置を決める。
ただし、いい加減に十字を入れてもあんまり意味がない。鉛筆を斜めにして描いた十字は斜めにひしゃげているから、その上に左右の目を入れても右目が上を向いて左目が下を向いてる感じで必ずおかしくなる。だから、十字は鉛筆を原稿用紙に対して垂直にして入れるようにする。

●できるだけ立体を意識して下書きをする。

下書きするときはあんまり鉛筆の角度とかは考えていない。アタリがしっかり入っていれば自然と正しい角度に矯正される。

これはいろんなことに言えることなんだろうけど、結局正しい姿勢を心がけることが上達の近道なんでしょうね。前にもどこかで書いたけど、僕は姿勢があまり良くないから絵が全然上達しなかった。もし、今目の前に若い頃の自分がいたら、まずその姿勢を直せとアドバイスするはずです。
「君のデッサンが歪んでいるのは君の姿勢が歪んでいるからだ」
とかなんとか。

でも、若い頃の自分は「これが俺流だ」とか頑固なことを言って抵抗するんだろうな。

●ペン入れは輪郭から

これはこのブログでもあちこちで書いてます。結局、すべては○に行きつく。人間の始まりが受精卵だとすれば、人生はその丸い球が分裂して複雑な形になっていく過程なのでしょう。でも、どんなに複雑な形になっても結局はただの○です。
例えば「手」を描くときでも、指を一本一本ちまちまとは描かない。まずシルエットをイメージして全体の形を描いてから爪とか関節とかの線を入れる。不思議なもので姿勢をちゃんとしてシルエットを描くと、自然と爪の具合まで鉛筆の先から出てきます。これが、すごく面白い。(上の絵の熊と真田さんの指は失敗してるけど))

ルーベンスだか誰だか忘れてしまったけど、有名な画家の先生が王様の使者に「絵の進行具合はどうか」と尋ねられて、「これを王様に見せなさい」とキャンバスに丸を描いて渡したって話があったと思う。あれはたぶん、「ひと筆でこんなきれいな丸が描けるくらい、今の私は絶好調」って意味なんだろうけど、昔の偉い人も○にこだわっていたんだなと考えると、いろいろ絵を描く糸口が見つかりそうな気がします。

で、ペン入れなんだけど、結局人体は複雑な球体であるってことで、たとえ手足が飛び出したいびつな形であっても、たった一つの中心点に向かって均等に引っ張られている。レオナルド・ダ・ヴィンチが丸の中に手を広げた人体の絵を残しているけど、イメージとしてはあんな感じ。だから、手とか足を個別に一生懸命描いてもバラバラ死体をつなぎ合わせたような絵にしかならない。人体の中心点が明後日の方向にずれまくるからだ。(僕の絵なんかその傾向がかなりある)

だから、最初に輪郭ですべて囲んでしまう。これが絶対に正しい描き方ではないかもしれないけど、僕にはこのやり方が最適だったというお話です。

●モブの描き方

上の話の関連でモブ(群衆)のペン入れについて。

昔、「大使閣下~」でオーケストラを描いたことがあります。配列はよくあるパターンで、確か向かって左から第一バイオリン、第二バイオリン、ビオラ、チェロ、ダブルベースだったかな。真ん中が管楽器で後ろの方にティンパニーがいたはず。
漫画の中で演奏したのがブラームスの交響曲第一番だったから、今なら楽器編成までちゃんと考えて描くんだけど、あの当時はそこまではやってないはずです。個人的に第二楽章のオーボエの旋律が大好きなので、オーボエ奏者が目立つように描きたかった。

それはともかく、たくさんの人をペン入れするのは実はけっこう難しい。駅のホームで朝のラッシュを描くのはまだいいのだけど、オーケストラのような規則性のあるモブは、一人ひとりちまちまペン入れをしていると全体がぼやけてきます。で、あのコマは確か一度失敗して描き直しているはず。
結論から言うと、オーケストラをひとつの生命体だと考えて、ジグソーパズルを外枠から組み立てるみたいに全体の輪郭を先にペン入れするとかなり楽にまとまりました。

第一バイオリンから一人ひとりペン入れしていくと、チェロ奏者のあたりで集中力が途切れてくるのですが、全体の輪郭が先にあると、中の人物をペン入れするのがかなり楽しくなってきます。

これで味をしめた僕は、「鉄子の育て方」のモブでも全体の輪郭を先にペン入れをしてから、だんだん中の人物をペン入れするようにしています。

これの応用として、上の絵だと女の子が二人で手を組んでいますが、あれも二人をひとつの生命体としてペン入れしています。黒髪ロングの左側の輪郭線を描いてから、茶色い髪の子の右の輪郭線を引き、それから頭、足、と進めています。その方が「一体感」が出るからです。

……………………………………

と、ここまでいろいろ小難しいことを書いてきましたが、これはあくまで「僕が絵を描くときに注意するポイント」を書き並べたものです。本音を言えば、

「絵なんて好きなように描けばいいんだよ」

となるのですが、基本も何もなく独学で絵を描いてきた自分には「あの時これがわかっていればもっと楽に絵が描けたのに」と思うことがいっぱいあるので、ちょっと書いてみました。

※2015年12月27日修正。
Photo

線画をもう一度スキャンしなおして解像度を上げてます。あと全体的に色を派手にしてみました。
パソコンではちゃんとした色のつもりなのですが、別の端末だと肌色が黄色っぽくなるので、
ちょっとくどいくらいピンクにしてみました。あと、細かいところ微妙に修正。


2014年6月20日 (金)

点と線

ときどき、一般人にはまったく興味のなさそうな技術的な話をしたくなります。

以前にこのブログにも書きましたけど、絵の技術の話は、
興味のない人にはひたすらうざいです。
カタギの職業の人達はもちろん、漫画編集者、アシスタント、
このあたりはアウトです。

まともに聞いてもらえません。

アシスタントさんとか、なんでかなと思うけれど、
まあ、自分の教え方が悪いのだろうなと反省をするのです。

自分が大昔にアシスタントさせていただいた先生の場合、
「かわすみさんはペンの使い方が駄目ですね」
というんで、しばらく特訓を命じられました。

まず、原稿用紙に横一文字に線を引き、
それに沿ってフリーハンドで平行線を描き続けます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーー~~ーーーーーー~ーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーー~~ーーーーーーー~ーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーー~~ーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーー~~ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー~~ーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー~~~
使っていたのは丸ペンだったと思うけど(アシスタントは丸ペンで細い線を引く)、
これで横の線を引くのが結構きついです。インクがなくなったら、
その途切れたところから「継ぎ目がわからないように」引き始めます。

僕は上から下に引き下ろす線は、まあ大丈夫なのですが、
横に引くのは結構苦手で、線がプルプルと震えます。
「これじゃあ使えないよ」
と怒られます。

次、丸を描く練習。 
コンパスで半径三センチくらいの円を引き、
その一ミリくらい外側にフリーハンドで丸を描いていきます。
……これは結構おもしろかったけど、プロからするとグダグダの線みたいでした。

先生もさすがに呆れたのか、この訓練は一日で強制終了しました。

一応弁明させてもらうと、自分が初めてペンを握ったのは小学三年生の時で、
それ以来、たぶん300ページくらいの漫画原稿は描いていたと思います。
それでも、プロに要求されるきれいな線というのは、自分には引けませんでした。

絵を描くのは大好きですが、ペンで線を引くのは大嫌い、
これが十代から二十代の頃の僕だったりします。

ところがねぇ、引ける人は引けるんですよね、漫画の線。
超有名漫画家さん……おそらく名前を出せば誰でも知ってる方、
そこのアシスタントさんが三カ月だけ入ってくれるというので、
狂喜乱舞したことがあります。

で、絵を見せてもらったら、すごく上手なんですよね。線とかちゃんと引けてる。
さぞや修業を積まれたのだろうなと思ったら、
「いや、漫画を描き始めてまだ数か月なんですよ」
という話。オラびっくりしちまったぞ。

なんか、その先生のところでは一番下の方で、ちょっと仕事場に入れないから、
先生の奥様が出産で抜けるまで、かわすみのところでアシスタントをしてちょ、
という話だったと思います。
でも、有名少年誌の新人募集のイラストとか描いていて、それがもうプロなんですよね。
生まれながらに持っているセンスが違う。たった数か月でそのレベル。
神様ってなんて不公平なんだろうって思ったよ。

ただ、数か月というのは本当みたいで、ちょっとしたことが変だったりはしたのです。
たとえば、
「俺、丸ペンは苦手なんですよ」
というので、Gぺんで背景を描いていたんだけど(それでもきれいな線引いてた)
それじゃあこの先不便だろうと思って、線を引くところを見せてもらった。
そしたら、なるほど線がギギギギギと小刻みに震えている。
で、ちょっとおかしいなと思って借りて引いてみたら、僕でもギギギギギとなる。
「……これ、文字を引く専用の丸ペンだよ」

ペン先にはいろいろ種類があって、漫画を描くのに向いてるものもあるし、
向かないものだってある。
英語のスペルを書くのに特化したペン先なんかは、まず漫画には向かない。
「ちょっと僕の使ってるやつで線を引いてみてよ」
と貸したら、
「うおおおおおおおおおおおお」
みたいな感じでスラスラ線を引きやがる。僕よりきれいに使いこなしてやがる。

その大先生のところではアシスタントとの会話がほとんどなかったそうで、
自分の使ってる道具がおかしいことにずっと気が付かなかったそうです。

はじめて漫画を描く人にはありがちなミスなのですが(僕もやってる)
それをプロ並みの絵を描く奴がしでかすから、ちょっと面白くなかったです。

漫画の絵というのは、描ける奴はさっさと描けるようになります。
これはもう「才能」というしかない。
前世が手塚治虫というやつがゴロゴロしているのが漫画界なのです。
で、僕の場合は前世が手塚治虫ではなかった。
そりゃそうだ、大学生の頃まで手塚先生はご存命だったし。

僕にはハンディがあったという言い訳もできます。
生まれてからずっと両親が共働きだったので、
鉛筆の持ち方が壊滅的に悪かった。薬指にペンダコが出来てました。
これはちょっと矯正したくらいではどうにもならない。

それでも、きれいな線を引きたいという欲求だけは人一倍あるのです。

だから、この方面ではいろいろ試行錯誤しましたし、
「描けない奴がそれっぽく描ける方法」というのは、
いろいろ開発していたりするのです。開発しているうちに歳をとっちまったけど。

例えば、「右向きの顔は描けるけど、左向きの顔は描けない」
という古典的な命題にも、自分なりの解答はもっていたりします。
それ、姿勢が悪いか、ペンの握りが悪いかで、絵の焦点が紙の右側にずれてるんです。
丸を描いてみるとわかります。○の左半分はきれいに描けても、
右半分はおそらくきれいに描けないはずです。
○の中心軸が○の外側に飛び出しているんです。
「絵の重心がどこにあるのか」を意識して描くようにすれば、
たぶん、数か月で矯正できます。
僕は十年くらいかかったけど。

わかりやすく描くと、こんな感じ

   ○ ×

×のところにコンパスの針を刺しても丸い線は引けないです。
左の線はなんとか引くことが出来るかもしれないけど、右は無理です。

ペン入れにしても、正しいデッサンで描かれた下絵なら、難なく線が入ります。
コンパスで描いた丸にペン入れをするのは、割と簡単なはずです。
重心ははっきりと丸の中心にありますから。
でも、自分が書いた丸にペン入れが出来ないというのは、
それはもう、その人のデッサンが曲がっているからとしか言いようがない。

デッサンがいびつだと、ペン入れによってそのいびつさが際立ってきます。
ここがプロの絵が最初から描ける人と自分の違いかなと思います。
だから、以前にこのブログで発言した、
「輪郭からペン入れする」
というのは、下絵のいびつさを矯正するための、苦肉の策だったりします。
先に輪郭を囲ってしまえば、中の線はそれ以上いびつになりようがないわけです。

とまあ、こういう話をアシスタントさん相手に一方的に話したりするのですが、
「なんかよくわからないです」
と困った顔をされるので、
「……ごめんなさい」
と謝るしかないです。

最近、作画作業が終わりまして、
ペン入れしている間ずっとこんなことばかり考えていたので、
ちょっとここに吐き出してみました。
デジタル全盛の現在では役には立たないかもしれないけど、
何かのヒントくらいにはなればと思います。

Photo
うん、まあ、左向きの絵はいまだに苦手なんですけどね。

2014年1月30日 (木)

トレース台

また新しいトレース台を買ってしまった。
トレース台というのは、光る画板みたいなもので、
一番身近なものだと、お医者さんがレントゲン写真を見るときに使う、
アレです。

医療用のはシャウカステンという名前があるらしいです。
ウインナーみたいな名前です。

トレースというのはもともと製図の用語で、
図面に紙を重ねて、新しく書き写すことを言います。
トレーシングペーパーという透過率の高い紙を使います。
今はコピー機というものがありますが、
昔はそんなものありませんでしたので、いちいち書き写していたのです。

今の若い子は青写真とかガリ版刷りとか、知識でしか知らないのかもしれない。

それはともかく、この時使うトレース台というものを、
漫画家さんも使うようになりました。
たぶん、80年代くらいからだと思います。

一番良く使うのが背景トレース。
写真をコピー機で使いたい大きさに複写します。
コピー紙は薄いですので、写真そのままよりは光が透けやすいという利点があります。
この上に薄い紙、110㎏の原稿用紙を重ねまして、
浮かび上がる画像をインクとペンでなぞっていきます。
すると、まるで写真のような絵が出来上がります。

昔、アシスタントのSさんが自腹でトレーシングペーパーを買って来まして、
「こっちの方が細かいのまで描けます」
と言ってトレペでトレースを始めました。
ああ、あれインクがのるんだと、当たり前のことで感動してみたり。
それを紙にテープで固定して、
コピーすれば背景画として使えるようになります。
面白いことに、裏返しにしてもコピーできますから、反転画像としても使えます。

コピーした背景画は裏にスプレーのりをかけて、
原稿用紙に貼りつけ、カッターで切ります。
枠線や人物画は先に描いてありますので、それが見えるようにカットします。

誰が考えたのか知りませんが、アシスタントの人に教えてもらうまで、
まったく想像すらしなかったやり方です。

ここで問題になるのが、トレース元の画像をどこで手に入れるかです。
自分はそのためにカメラを持ち歩いてパシャパシャ写真を撮り歩きますが、
それは雑誌や写真集の写真を使うと後がめんどうだと知っているからです。

昔、原稿を投稿して賞をいただいたとき、
自分は賞金が20万円くらいだったのですが、
もっといっぱい貰った人で、作品が本誌に掲載されることになった人が、
掲載直前に雑誌の写真をトレースしまくっていたことが判明し、
片っ端から書き直しさせられたという事がありました。
まだずいぶん若い人だったから単純に知らなかったのだろうけど、
出版社は大手になるほど権利関係の問題に敏感になります。
著作権のある写真をトレースするのは完全にアウトです。

これは背景トレースの場合ですが、
他に、ネームをトレースするという場合もあります。

ネームというのは漫画の設計図というか、
「こんな漫画になります」
というのを紙に書いたものですが、
たいていは簡単な絵とセリフが入っているだけのものです。
これをファックスで編集部に送って、
「いいよ」
と許可が出たら仕上げまで一気に書き上げます。(今はネットで送ってます)

業者の仕様書って感覚のものです。

ところが、この段階で下書きレベルの絵を入れてしまう漫画家さんがいます。
編集部はそこまでは求めていなくて、
「キャラクターの区別がつけば○書いてチョンでもいいよ」
と言ってくださるのですが、なんせ物語の設計図ですから、
書いてる間に頭の中でそのシーンがどんどん展開していくわけです。
キャラクターの表情とか、仕草とか、背景とか……
今描かなきゃ二度と思いだせない、そう考えるともう描きこまないではいられない。

……で、ついつい下書きレベルのネームを書いてしまうわけです。

あちこちの出版社に持ち込みしていた頃、
そんなネームをいくつか見せていただいたことがあるのですが、
アクションもので筋肉までみっちり描きこんでいるものもあって、
「いやいや、そこまでやる必要はないだろう」
と思ったりもしました。
編集部としては注文がある場合は全面的に描きなおしを要求するわけでして、
何時間もかけて描いた絵であっても、ばっさり削除します。

それがわかっていても、こればかりは描きこまないではいられない。
そういう悲しい宿命の漫画家さんがいるわけです。

で、そうやって何とか審査をパスしたネームですが、
それを原稿用紙に下書きする頃になると、人生を二度やり直すようなもので、
なんとなく気分がのらないという事もあります。
何度描きなおしてもネームのような熱い絵にならない。
そういう場合、
「これにペン入れをしよう」
と考えるわけです。

そこでトレース台の出番です。

自分がトレース台を使うのはたいていこのパターンです。
ネーム用紙を原稿用紙に貼りつけて、裏から光を当てて、
原稿用紙にそっくりそのまま写し取ります。
大使閣下を描いていたころはネーム用紙もB4の紙でしたから、
ネームをほぼそのまま使っていました。

ただ、原稿用紙に直接下書きしたほうがいい絵が描ける場合もありますので、
あくまで補助的な手段です。
調子の悪い時のネームだと、トレースしているときにその気分が戻ることもあります。

レコードの針と溝みたいな所もトレースにはあります。

ずいぶん昔に、知人の絵を十人分くらいトレースして、
一枚の絵を描いたことがあるのですが、
他人の絵をトレースすると、その人が頭のどの部分を使って絵を描いているのかわかって、
ちょっと気持ち悪くなったりします。
「ああ、この人の絵は右の脳みそを使って描いてる」
とか、なんとなくわかります。
逆に、自分よりうまい絵だと賢い人間になったような気がします。
普段使っていない部分が刺激されるからかもしれません。

トレース台というのも時代によって進化するもので、
古いものは10ワットくらいの蛍光灯を入れていましたから、
本体の厚みも五センチ以上はあったのですが、
この頃は発光ダイオードの板状になっていて、ずいぶん薄い物も出回っています。

かなり高いですけど。

発光ダイオードのものは、まだ発売されたばかりの頃、
「これこそ僕がもとめていたものだ!」
と思って買いました。四万円以上したかな。
電源ケーブルの途中にコンデンサーがついていて、
スイッチを入れるとブンブンとすごい音がしていました。
厚みは五ミリくらい。大きさはA3.
コンデンサーのせいでラジオが聞けないくらいで、使いやすいものでした。
「でした」と過去形で語るのは、今は作動しなくなっているからです。
接触部分がかなり軟弱で、三年くらい使っているうちに電気が通らなくなってしまった。
一体成型だったからそこだけ取り換えることも出来ない。

それからしばらくは必要な場合だけ蛍光灯のものを使っていたのですが、
厚みが五センチ以上となるとやっぱり使いにくい。
そこで、また買ってしまったわけです。

P1040731

P1040732

マクソンのものは厚みは一センチくらいなのですが、
これくらいだと特に不都合もなく、机に置いたままで絵が描けます。
値段も結構安くなってます。あくまで比較の問題ですが。
表面が波立っているのが少し気になりますが、
(出荷時の透明シートは剥がしてる)
良いものだと思います。三カ月使って特に問題は感じませんでした。

マクソンさんにはスクリーントーンでずいぶんお世話になったものです。
プロのアシスタントさんが入っていた頃、
「グラデーションのトーンはマクソンが一番です」
と言われて、以来ずっとグラデのトーンはマクソンを使っていました。
ドットがずれないのと、表面が削りやすいって理由だったと思います。

最近はコミックスタジオを使うので、スクリーントーンを貼ることはなくなったのですが、
このコミックスタジオにもデータのトーンでマクソンが入っていたりするので、
知らず知らずにずいぶんお世話になっていたりします。

以上、なんとなくトレース台の話を書いてみました。