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文房具

2017年6月21日 (水)

鉛筆の話の続き

 1

地下鉄の工事現場に子供の絵が長い間飾られていた。
そこは有楽町線でも多くの軌道が重なるところで、工事は何年も続いている。
百メートルくらい、殺風景なフェンスが続く道路があったりする。
道なりに地下鉄の軌道があるのだから仕方がない。

あんまり殺風景だから、近所の小学校の子供の描いた絵がフェンスに飾られていた。

どなたのアイデアかは知らないけれど、これが案外悪くない。
何十メートルも子供の絵がひたすら並んでいる。散歩中の自分もつい見入ってしまう。
上手い下手でいえばヘタクソな絵なのだけど、
そのヘタクソさ加減が、なんとも心地よい。
クレヨンや水彩で描かれた家族や友達、未来予想図、心地よい部屋の風景、
そんなものを何十メートルも歩きながら眺めていると、
「これが絵なんだよな」
としみじみ考えたりもする。

絵は上手下手ではない、いくら綺麗に描いてある絵でも不快なものはある。
よく言われることだけど、小学生の天真爛漫な絵が中学にあがる頃から技巧に走りはじめ、
安っぽい漫画みたいな絵になったり、「俺、絵が上手でしょう?」的な空気を漂わせて、
大人をがっかりさせることがある。違う、そうじゃない、そういう絵を描いちゃいけない、
そういう自尊心を満足させるだけの絵は、ものすごく不愉快なんだよと、
叫び出しそうになる。

自分がそういう不愉快な絵をいっぱい描いていたから、なおさら目を背けたくなる。

子供はなにしろ無垢な生き物だから、上手に描こうとか認められたいとか、
あんまり複雑なことは考えない。だから、思春期以降の大人よりはよっぽどいい絵を描いている。、
絵を描く根源的な理由に近い感じはあるから、眺めていると癒される。

 2

鉛筆の話、その続き。

鉛筆で線を引いて、それが気持ちのいいラインか、そうでないか。
一本の線ならいい。
人間には誰にでも、自分の引きやすい線というのがある。
勢いよく、サーーーッと引けば、それはたいてい気持ちのいいラインだ。

では二本目の線はどうするか。
同じような線では絵として成立しないから、ちょっと無理をしていびつな線を引く。
この瞬間に、絵は成立しなくなる。だって、無理やり引いた線なのだから、
それが気持ちがいいはずがない。

子供はそんなことを考えない。
ひたすら気持ちのいい線だけを引く。だから、絵として成立する。

上手な絵を描こうとする人は、無理やり線を引きまくって気持ちの悪い絵を描く。
見た目はなるほど上手そうに見えるが、それはたいてい上手な人の絵の模倣であり、
線の集合体としてはむしろ死んでいることが多い。

だから、無理やり上手そうに描いた絵よりは、下手糞でも勢いのある線の絵の方が、
よっぽど気持ちが良かったりする。
複雑なデッサンを駆使した絵が、なんだか気持ち悪く感じてしまったりするのは、
たいていこんな理由である。もちろん、複雑な絵でも気持ちのいいものは気持ちいいんだけど。

だから、一本目の線を引いて、二本目をどう引くかというのが、
わりと重要な問題だったりする。

うん、まったく鉛筆の話になっていない。

書きやすい鉛筆というのは、芯が本体の中央を正確に貫いている
「そうでない鉛筆なんてあるの」
と聞かれそうだけど、ある。昔の鉛筆は芯が中央に来ていないものがときどきあった。
極端な話だけれど、昔中国の色鉛筆をお隣にいただいたら、
芯が思いっきりずれていて、鉛筆削りで削ったら「ときんときんの木の棒」になった。
芯はその先端のわきに、木星の大斑点のようにずれまくっていた。

書き心地のいい鉛筆というのは、いろんな要素があるけれど、
まず芯が中央になくてはいけない。
そうでなくては、握りを変えるたびに線がぶれてしまう。この、線がぶれるというのが、
なかなかに重要だったりする。

いい絵は線がぶれていない。
常に一定の法則の上に線が存在している。
それは、線が常に円を描いて始点と終点をつないでいるからで、
ようは綺麗な円を描いている。

これがきれいな絵の第一要素。

一本目も二本目も、同じ円の円周上に存在していること。
そして三本目四本目と円を重ねていって、
それらが常に同じ中心点を持つ円の上に構成されていれば、絵は綺麗に成立する。

二本目の線がいびつで不快になりがちなのは、この法則を完全に無視しているからなので、
絵として出来上がったとき、その線が示す円の中心点が、てんでばらばらだったりする。
人の目は対象をとらえたとき、その中心点を無意識に見ている。
いい絵はその中心点が明確であり、見るものはその中心点の明確さをもって
いい絵と悪い絵を区別している。
たぶん、そうなんじゃないかと思う。(いきなり弱気になった)

鉛筆という筆記具の優れたところは、この円を導き出しやすいところにある。
筆だとある程度修行を積まないときれいな円は描けない。
気合を入れて、
「ふんぬ!」
と筆をぶんまわして、
それで中心点の明確な絵になる。
でも鉛筆だと、そこまで気合を入れなくても、消しゴムで線を修正しながら、
大体の形を探ることができる。いわゆる、「下書き」というやつである。

僕は何十年も絵を描いているけれど、それで気が付いたことは、
「自分の絵は芯のずれた鉛筆で描いた絵みたいだ」
ということだったりする。
絵の中心に対して、向かって左側に少しずれている。

いい絵を描く人はたぶん中心がしっかり真ん中にきている
だから二本目三本目と線を重ねても、すべて中心が明確な線になっている。
僕は中心がずれているから、なかなかうまい絵にならない。
人体を描いて、その中心が人体の外側にあったら、それは幽体離脱した絵であり、
見ていて気持ちが悪いのは当然のことだ。

すなわち、絵が死んでいる。

だから、絵を描くときはこの「中心」がしっかり対象の真ん中になくてはならない。
自分の目の右側にすっ飛んでしまった中心を、しっかり目の前に移動させる。
おかげさまで、絵の中心というものは、なんとなくわかるようにはなっているのだ。
それをぐっと中心に移動させて、意識をそこに集中させる。
気合を注入する。
で、頭に浮かんだイメージにそって、鉛筆をできるだけ気持ちよく動かして、
大体の輪郭を一気に描き写す。

あとはその中心を意識しながら、細部をちょこちょこ入れていく。

弘法は筆を選ばすという言葉があるけれど、
いい筆は、持つと自然と中心の明確な線が引けたりする。
ペン先でも、おろしたてのものは中心のはっきりした絵になりやすい。
体がペン先にひきずられて、正しい姿勢になっているからだ。
逆に使い込んでへたったペン先だと、無駄な力が入らないから、体はその分だらける。
そのだらけた体の導き出した中心に向かって、てんでバラバラに線を引くから、
絵はぼやけるし、見ていて不快な絵になったりもする。

でも弘法大師ほどの達人になれば、筆記具の力は借りなくても、中心は見えているので、
どんな筆であろうが、きれいな線が引けてしまう。

初心者ほどいい筆記具を使わなければならないというのは、このためなのだろう。

Photo

本当に、年をとるといろんなものが見えてきて、
若いころにこれが理解できていればなと、歯噛みすることがいっぱいある。
早いとこ医学が進歩して、老人でも十代の若者の気力が持てるようにならないものか。

ま、無理か。

鉛筆の話

社会人になると使わなくなる文房具ってのは結構あります。
分度器とか、三角定規とか、人によっては鉛筆だって触らなくなるかもしれない。
シャープペンシルがあれば日常的には事足りますからね。

鉛筆は鉛の筆と表記するけれど、芯の成分に鉛は一切使われていない。
「芯をなめると鉛中毒になるぞ」
というのは鉛筆の表記に惑わされた誤解だったりします。
……いや、今の子は鉛筆をなめたりしないか。
昔の人は筆に墨を含ませて文字を書いていましたから、
筆先をなめて湿らせていたんです。
その癖で、明治大正生まれのおじいさんおばあさんはよく鉛筆をなめていました。

じゃあなんで鉛なんて名前がついているのかというと、これは単なる「誤解」です。
芯の材料になる「黒鉛」は、昔は鉛が入っていると思われていたそうで、
のちに炭素の塊だと判明したのですが、
「いまさら呼び方を変えるなんてできねぇよ」
ってんで、そのまま「黒鉛」の呼び方が残ってしまったそうです。

で、黒鉛を使っているから「鉛筆」って名称になるのですが、
まあ、「えんぴつ」という音はときんときん(名古屋弁)の芯のイメージに合ってますし、
市民団体も左翼系の歴史学者も特に文句をつける筋合いのことではないので、
そのまま使われ続けております。

僕も細かいことで揚げ足をとって勝利宣言をする趣味はないので、
鉛筆は鉛筆のままでよいのではないかと思います。

……今気が付いたけど、筆の文字を「ぴつ」と読ませるのってなんでなんだろう。
「えんひつ」が自然と「えんぴつ」の発音になったんだろうか。
他には「末筆」くらいしか思いつかないけど、どちらも一度唇を結んでいるから、
そこから「Hi」の音に行くときに破裂音になるのかもしれない。
この「ぴ」の字の破裂音が、なんかいい感じに鉛筆の形態を表している。
英語の「pencil」も破裂音から始まってるし、
破裂音には細くてするどいニュアンスがあるから、偶然にしてもよく出来てる。

ちなみに、ペンシルの語源はラテン語の「ペニス(尻尾)」からきているようです。
これを「ペニスちゃん」みたいな呼び方にしたのが「ペニキッルス」で、
これがラテン語の「画筆」になります。「小さくてかわいいしっぽ」ですね。

……いろいろ突っ込みたいところだけど、ここはあえてスルーします。

いやダメだ、スルー出来ない。

だいたい「ぱぴぷぺぽ」はなんかいやらしい。
「おっぱい」とか「おちんぽ」とか、「ヒップ」とか、「ぷりぷりのお尻」とか、
なんで卑猥な表現には「ぱぴぷぺぽ」が多用されるのか!
おかげで、「えんぴつ」まで卑猥な言葉のように思えてくるじゃないか!

「艶筆」

じゃかーしいわい!

などと一人で盛り上がりつつ閑話休題。
黒鉛を棒状にして、それを手に握って皮や紙にこすりつける、
これが鉛筆の原理です。
さすがにそのままじゃ手が汚れるので、布や紙を巻いたり、木の間に挟んだりします。
この、木の間に挟む形態の発展形が現在の鉛筆になります。

作るのはいたって単純。平たい板の上に溝を何本も彫って、そこに芯を並べる。
上から同様の板をのせて接着材で貼り付ける。
これを芯にそってバラバラに切断すれば鉛筆になります。

だから、17世紀に鉛筆が考案された当初は、芯は四角形で木の部分は八角形でした。
カドを落とすってのが、一番簡単な成型法ですからね。

当初は芯の部分は先端から真ん中あたりまでで、後ろのほうに芯はなかったそうです。
そりゃそうだ、削って使ううちにどんどん短くなるんだから、
後ろまで芯を入れても意味がない。僕は子供の頃からずっと不思議だったんです、
なんで使わないところにまで芯を入れちゃうかなって。

本当になんでなんだろう。

記録上最初に鉛筆を生産したのはドイツの業者だったのですが、
面白いことに、この時期の鉛筆が伊達政宗公の墓所から見つかっています。
どうも輸入品の鉛筆を参考にして国内で作らせたものらしく、
おしゃれな木製のキャップまでついています。
あと、久能山東照宮には家康のものとされる鉛筆が残されています。
これがもし普及していたら、江戸時代は鉛筆の文化になっていたかもしれず、
そうなると浮世絵なんかの芸術方面がずいぶん違ったものになっていたんでしょうけど、
まあ、そうはならなかった。
筆と墨で十分じゃん、となった。

一方、ヨーロッパでは鉛筆はどんどん発展していきます。この違いはなんだろう。
美的感覚の違いかな。横文字は鉛筆で書いてもそれなりに見られるけど、
漢字やひらがなは、均一な線で書くと味わいがずいぶん損なわれる。
それに西洋では船乗りが鉛筆を愛用したって話もあるし、
鎖国中の日本ではそれほど遠くまで航海はしなかったので、
「墨がなくなった!文字が書けねえ!」
みたいなアクシデントが少なかったのかもしれない。

船乗りにとって鉛筆が便利だったのは、インクの補充がいらないとか、
インク壺をひっくり返す心配がないとか、いろいろ考えられますけど、
一番大きいのは水に濡れても文字がにじまない、ってことだったそうです。
だったら、日本でも事情は同じはずなんだけど、
なんでか日本人は鉛筆を使わなかったんだよなあ。
日本で耐水性の開明墨汁が発明されたのって明治になってからだし……

で、まあ明治になって西洋文化が大量に入ってくるようになって、
ようやく日本人も鉛筆を使うようになりました。
明治20年にはあの「三菱鉛筆」さんが国産鉛筆の製造を開始しております。

みなさんご存知のことでしょうが、この三菱と銀行とか車の三菱さんは
まったく関係ありません。別企業です。
三菱財閥が商標登録しようとしたら、十年も前に三菱鉛筆さんが登録していたそうです。

ウイキペディアを見ていて面白い話を見つけてしまった。
戦後になってGHQが入ってきて、日本国内の財閥をすべて解体したのですが、
このとき三菱財閥も解体されています。
アメリカにしてみれば軍需産業の頭目ですから、真っ先に解体します。
戦艦武蔵とか、ゼロ戦とか、さんざん苦しめられた兵器を作ったのはこの企業ですから、
そりゃあぶっ潰します。徹底的に。

で、GHQは三菱鉛筆も一緒に解体しようとしたそうです。

「うちは三菱さんとは別会社じゃ!」
とさんざん抗議しまくって、どうにか理解してもらえたそうですが、
日本人の僕ですら二十歳くらいまで三菱グループの企業だと思っていたので、
外人さんにしてみれば「なんで同じ名前やねん」てなもんでしょう。

「うちのが元祖なのになんで名前を変えなあかんねん!」
ってことですか。

似たような話でオウム真理教事件のときのオーム電機ってのがありますが、
事件の真っ最中に家電品の大値引きセールがあって、僕はアイロンを購入しています。
滅茶苦茶安かった記憶があるので、オームさんにしてみれば不幸なことだったでしょう。
(三菱とオウムを一緒にするなって話ですが)

これが鉛筆の簡単な歴史なのですが、
本当はここから画材としての鉛筆と絵の関係を考察するはずだったんだけど、
断線しまくってるうちに文章が長くなりすぎた。
このへんで終わります。

2016年3月11日 (金)

文房具屋さんはパラダイス

またクラシックの話だけど、
指揮者のニコラス・アルノンクールさんがお亡くなりになった。
印象としては「いかつい顔をした理論派の親父」って感じなのかな。
クラシック音楽には「作曲当時の楽器で演奏するべし」という流行があって、
現代楽器で演奏されていたバッハやモーツァルトが、

「全然違う音楽」

に様変わりした時代があった。
アルノンクールさんもその流行の最先端にいた人、だと思う。

個人的には、この人の指揮したモーツァルトの交響曲「プラハ」が滅茶苦茶好きで、
二十代の頃からたびたび取り出して聴いている。
(1981年録音のロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラのやつ)
自分にとっては死ぬまで持っていたいCDのベストテンに入るものなので、
やはり、その死去は悲しい気持ちにさせられる。

「五人目もビートルズ」といわれたプロデューサーのジョージ・マーティンさんも、
とうとうお亡くなりになった。
ビートルズの世界的な成功にもっとも大きな役割を果たした。
訃報を新聞か何かで読んでいて、
「ストロベリーフィールズ・フォーエバー」の二つの違うテイクをくっつけた話、
有名な逸話なのだけど、そこで「おやおや」と思ったのだ。
いちおう解説すると、

・ジョン・レノンがめっちゃいい曲を作って持ってきた。
・メロントロンの幻想的な導入部のあるテイクを作った。
・ジョンが納得しない。
・「俺たちはロックバンドだ!」とばかりに激しいテイクを演奏し、「俺がポールを埋葬した」と聞こえるように「クランベリーソース」と吹き込んだ。
・ジョンが納得しない。
・「この二つをくっつけといて」と無茶振りをしてジョンとんずら。
・プロデューサーのジョージ・マーティンさん、「演奏速度もキーも違うのにくっつくか!」と困惑。
・エンジニアのジェフ・エメリック、テープ速度を絶妙に操作して二つをくっつける。
・奇跡的に最高のレコードが完成。

という話だったりします。この手柄が誰にあるのか、ジョンがジョージか、ジェフなのか。
たいていの場合、ジョージマーティンの手柄だとされることが多いのですが、
新聞では「エンジニアの功績が大きい」とちゃんと書かれていました。

ジェフ・エメリックの伝記は自分も読んで、すごく面白かったのです。
少年の頃、モノラル全盛期にステレオ音声のイベントに行って感動した話とか、
ビートルズ関係の裏話、特にジョージ・ハリソンへの個人的親近感とか、
(サムシングのギターソロをオーケストラの前で一発どりするシーンは感動的)
ビートルズが好きなら読んで損はない……ビートルズの真実の姿に幻滅するかもだけど、
……まあ、損はない本だと思います。

ただ、この「奇跡の合体作業」の主導はジョージ・マーティンだったわけで、
その功績はすこしも減じないと思います。
大きなプロジェクトを成功させるにはたくさんの人の手が必要ですし、
それをまとめ上げて成果を出すのは、それはそれは大変なことです。

なんかすごい天才が「くっつけて」とお気楽な言葉を残してとんずらして、
それでもその意図を理解して「さあ、やってみようじゃないか」と現場を動かす、
そして結果として、21世紀になっても斬新な名曲を作り出した、
この現場責任者が立派でないわけがない。

まあ、「実際に奇跡を起こしたのは誰か」という問題になると、
エンジニアのような気もするし、
「くっつけろ」と無茶振りしたジョン・レノンのような気もするのですけどね。

名プロデューサー、ジョージ・マーティンの仕事というと、
チープトリックのアルバム「All Shook Up」は個人的に好きです。
ちょっとビートルズっぽい感じがしないでもない。
ただ、このアルバムが売れなくてチープトリックは危機的状況に陥るのですけど。
(八十年代に奇跡的に復活)

なんか、ちっとも追悼していない追悼文になってる。

で、やっと本題。
文房具屋さんの話。
ないんだよね、文房具屋さん。近所から次々に撤退している。
ちょっとした文具、シャープとかボールペン、消しゴム程度ならコンビニで買えてしまう。
だから、それ専門の店というのがどんどん町から姿を消している。
このへん、本屋が次々消えていったのと事情はよく似ている。
少子化で最大の購買層である子供の数が減っていること、
コンビニに需要を奪われたこと、
ネットで買ったほうが楽だ、という発想、
などなど。

個人経営のお店だと、店主が老齢で引退というのが大きいのかもしれない。
そして、新規に文房具屋を開店というのが、ちょっと想像しにくい業種だったりもします。

で、この頃ピグマをものすごい勢いで消費するので、
散歩でぶらついているときなど、文房具がありそうな場所には必ず立ち寄るのです。

でもないんだよ、ピグマ。

ピグマは以前にも書いたけれど、80年代にデビューした画期的な文房具です。
水性顔料インクを使ったサインペンで、しかも乾くと耐水性。
ペン先が恐ろしく細いものもあり、そのサイズがなんと0,05ミリ!

ただし消しゴムをかけると線が薄くなる。

この文具が漫画業界に与えた影響は絶大で、
原稿にピグマを使っている作家さんはかなり多いのではないかと推測される。
たぶん多いんじゃないかな。

昔は町に文房具屋さんがあると必ず置いてあったのだけど、
その文房具屋さんが姿を消すと、ピグマのような「プチ専門系文具」は
なかなか手に入らなくなる。
コンビニにはないし、大規模スーパーのステーショナリー売り場にもない。
自分は文章を万年筆で書くことが多いのだけど、
そのインクカートリッジも、この手のお手軽文具売り場にはなかったりする。

需要の問題と言ってしまえばそれまでだけど、
優れた文房具が子供たちの純真な目にさらされることなく、消えていくのは、
やぱりちょっとさびしい。
話はそれるけど、最近でも三菱鉛筆が高級色鉛筆の生産を終了しようとしたところ、
それを色指定に使っていたアニメ業界の懇願にあって、生産を続行したという、
一見美談のようだけど、世知辛いお話もあった。
色鉛筆の需要がそこまで低迷しているのかと、そっちに驚かされたのだ。

まあ、僕も色鉛筆は一応持ってるだけでほとんど使わんのだけど。

子供のころは文房具屋で意味もなく文房具を眺めているのが大好きでした。
箱の中に整然と並べられた消しゴムの美しさ、
いろいろな濃さの鉛筆が大量に分類されている几帳面さ。
ときどきお手紙のコーナーなどに顔を出すと、ひどく凝った印刷の便せんがあったりして、
「きれいだな」
と至福の時間を満喫できたのです。

それがどうだい、町のスーパーのステーショナリーコーナーの味気なさよ。
おもちゃ売り場の脇についでのように設置され、子供用の文具ばかり置いてやがる。
しかも少子化だから年々その売り場面積も小さくなっていく。
次の時代を担う子供たちにこそ、大人の使う専門の文房具に触れてほしいのに、
そういうものは都心の大きな文房具屋でなけりゃお目にかかれないのだ。

……などと世の栄枯盛衰諸行無常にほろほろと涙を流す今日この頃、
「そういえば昔、あそこに文房具屋さんがあったっけ」
と、かなり離れた場所のことを思い出して、出かけてみたのだ。
昔、遠出で自転車がパンクしてしまい、
その文房具屋でサインペンか何かを買って、
「この近くに自転車屋さんはありませんか」
と尋ねたところ、親切に場所を教えてくれたのだ。

小さなビルの一階テナントを丸々文房具屋にしていたので、かなり広かった。
さっと目を通した印象でも、なかなか品ぞろえが良い感じがした。
近所にあれば間違いなく常連さんになっていただろうお店である。

記憶を頼りに繁華街のはずれを彷徨っていると、
「文房具屋」
の看板を発見、思わず「あった!」と喜んだのもつかの間、
文房具屋のあった一階テナントは健康食品のお店へと変貌していた。
もう一度言おう、
健康食品のお店へと変貌していた。

……そういえば店主の方も結構年がいってたし、
お店をたたんでしまったんだろうなと、
わびしい気持ちで立ち尽くしていると、
脇にダンポールの看板が出ていた。

「文房具○○二階で営業中 階段が狭いのでお気をつけてお上がりください」

なんてこったい、しぶとく文房具を売り続けているではないか。
狭い階段をえっちらおっちら昇ると、小さな部屋の中が文房具で埋め尽くされていた。
可能な限りありとあらゆる文房具を押し込んでみましたって感じで、
ここまで密集すると文房具コレクターのコレクションルームとしか思えない、
そんなパラダイスな風情なのでした。

「おじさん、ピグマありますか」
「あるよ」

しっかり全種類、サイズ別で並んでおりました。
しばらくこの楽園に浸っていたかったけど、お客が増えると身動き出来ない。
レジのおばさんに商品を渡し、会計を済ませたところ、
「階段が急なので気を付けてお帰りください」
とのお言葉を頂戴した。

ちょっと遠いけどまた来ようと、おっさんはルンルン気分で店をあとにしたのでした。

2015年11月10日 (火)

ラビスラズリ

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青い絵の具のお話。

いきなりだけど、昔は青い絵の具はとんでもない高級品だった。
21世紀に生きていると、なかなか実感しにくいのだけど、
大昔の一般庶民は、青といえば菜っ葉の緑のことで、
日常生活の中で青い色とお目にかかることは、めったになかった。

空の青と海の青……すぐに思いつくのはそれくらい。
あとは花の色かな。

魚の青というのもある。
水族館に行くと、魚の青い色にとても驚かされる。
マグロのような大衆魚ですら、水の中では両サイドが青く輝いている。

デパートのペットショップで熱帯魚のディスカスだったかな、
青い色がとてもきれいで、しばらく見惚れた。
あの青い色を紙の上に表現できたら、楽しいだろうなと、
そんなことをずっと考えていた。
(池袋のロフトの屋上のとこにあった。昔はよく屋上に「うどん」を食べに行ってた)

あと、富士山なんかの青い色もいい。空の色なんだろうけど、
山に対して人が信仰心を抱くのは、あの崇高な色彩の力によるものかもしれない。

でも、そんな青い色を二次元の紙の上に残そうとすると、
昔の人はとても残念な気持ちを味わうことになった。
自然界に青い物質というのは、ほとんど存在していないのだ。

古代から青い絵の具の材料として用いられたのは、ラビスラズリという宝石である。
これを砕いて膠や何かで紙の上に固定させる。
宝石だから、とても高い。金塊と同じ値段で取引されていた。

一般人が趣味で絵を描くのに使うには、あまりにも「べらぼう」である。

画家にしたってそうである。
昔のヨーロッパの絵は、赤とか黄色、緑で描かれていることが多い。
青は高いからめったに使わない。
ルネッサンス前後のヨーロッパの絵を美術館に見に行くと、
この青の希薄な世界に「時代の古さ」を感じて、
なんだか古代の洞窟にでも迷い込んだような気分にさせられる。

それでも、青い色をふんだんに使った画家もいる。
例えば、フェルメールである。
日本ではずいぶん人気のある画家なので、知っている人はたくさんいるはず。
17世紀オランダの人。
名前は知らなくても、「真珠の耳飾りの少女」の絵は見てるはず。

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絵ももちろん素晴らしいけれど、世界に三十数点しか絵が残っていないため、
価値が「べらぼう」に跳ね上がっていることでも有名。
そして、そのわりに一年に一回くらいは都内の美術館で展示されるという、
客引きパンダ的な存在としても、超有名。

自分もいくつかの美術館に足を運んで鑑賞したけれど、
フェルメールの絵の前はいつも黒山の人だかりで、
せっかくチケット代を奮発して見に行ったのに、あんまり「見た」という気にならない。
でも、光の使い方と画面の奥行の素晴らしさは、やっぱりすごいと唸らさせられる。

このフェルメールさんは、比較的裕福な家の出身だったようで、
金塊と同じほどの価値のあったラビスラズリをふんだんに使って青い色の絵を残している。
「真珠の耳飾りの少女」は同名の映画もあるけれど、
その中で画家が石を砕いて自分で絵具を作るシーンがある。
何しろ、宝石ほどの価値もある画材だから、フェルメールさんも「ここぞ」という時しか、
青い色は使わない。
古い絵画の茶色の世界(赤と黄色がメインの世界)に、
青い色彩が鮮やかに、とても効果的に使われているから、
現代絵画よりもよっぽど青い色が印象に残る。
これもたぶん、世界中の愛好家がフェルメールが大好きな理由のひとつだと思う。
「真珠の耳飾りの少女」が青いターバンじゃなくて、緑や黄色だったら、
その価値はたぶん半減していたことだろう。

金持ちしか使えない青色が、広く一般の画家でも使えるようになったのは、
18世紀にドイツでプルシャンブルーが化学的に合成されてからである。
これは、絵画の世界では革命的な出来事だった。

昔、スペイン絵画の展示会があって、自分はゴヤを目当てに見に行ったのだけど、
エルミタージュ美術館だったかな、収蔵品を年代順に展示してあったのだけど、
ある時期から、絵の雰囲気が劇的に明るくなったので、とてもびっくりした。
画家が青い色を自由に使えるようになって、絵に色彩の広がりが生まれたのだ。

同じことは、少し時間をおいて日本でも起こっていた。

日本はラヒスラズリが産出しないそうで、絵の中の青はたいてい緑である。
浮世絵なんかは、基本的に庶民のものだから、
江戸初期の版画は、赤と黄色と緑色の世界である。
この状況は、あの葛飾北斎の時代まで続く。

北斎はとても長生きをした人で、代表作の「富岳三十六景」などは七十過ぎで描いている。
その、富岳シリーズを描く少し前に、西洋から青い絵の具が輸入されてきた。
絵描きにとってこんな目出度い話はないので、北斎は青を使った。
それこそ、狂ったように青い色を使いまくった。
ベルリンで作られた青い画材だったので「べろ藍」と言ったらしい。
富岳三十六景の「神奈川沖浪裏」なんかは、青い色がなかったらたぶん生まれなかった。

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青色発光ダイオードの発明が、ダイオードによる色彩の大革命だったように、
青一色が加わることで色彩の世界は格段にひろがっていく。
北斎はこのあともいくつも浮世絵を出しているけれど、
色彩がどんどん派手になっていって、僕はかえって気持ち悪く感じる。
江戸の昔の人には新鮮な驚きだったのだろうけれど。

青い色は、だから使うのがずいぶん難しい色だと思う。
色彩が派手になるほど、使い勝手を誤ると絵がとてつもなく混乱する。
むしろ青い色をぎりぎりまで使わないで、フェルメールのように一点豪華主義で使う方が、
見栄えのいい絵になるような気がする。なにしろ、自然界にはほとんど存在していない
希少な色彩なのだ。

で、僕も自分の絵の彩度を落として古い感じにしてみました。

フランケンシュタインが、突然描きたくなったのです。
で、あれこれいじっているうちにSM調になってしまった。そんな趣味はないけど。
彩度を落とす前の元の絵はこちらです。
なんだかんだで、僕は青い色が大好きです。

2

2015年10月22日 (木)

色彩


この頃は絵に色を塗るのが自分にとっての流行りでして、
今回は「赤い絵が描きたい」と思い、
こんな絵になりました。
色から絵を考えたのは初めてかもしれない。
ずっと白黒の世界で生きてきましたから。

Photo

色を塗る画材というと昔は絵の具くらいしかなかったのですが、
この頃はパソコンで着色できるので、ずいぶん簡単になりました。
自分はかなり優柔不断で、一度塗った色をあとでいじりたくなる方なのですが、
パソコンは簡単に色の調節ができるので、便利です。

でも、ここまで便利だと、昔の人はやり直しがきかない一発勝負の世界で、
よくあんな絶妙な色使いが出来たものだと、無茶苦茶感心します。

世の中には、絶対音感とか、生まれついての特殊能力というものがありますが、
色についても、センスのいい人というのはやっぱりいます。
前にも書いたけど、僕には色のセンスはあんまりないです。
「自然界の色彩が目に飛び込んでくる!」
みたいな体験が、ほとんどない。
雨男なので、たまに海沿いの街に旅行に出かけても、
どんより曇った海景色ばかりで、
「美しい海の青さよ!」
などと叫ぶ機会がほとんどなかったりします。

ただ、物の立体感とか、手触りを紙の上に表現することばかりにこだわってきました。

ただ、夢なんかは色付きで見たりはするんです。
昔、知人と話をしているとき、
「緑色の透明な子供の夢を見た」
という話をしたら、
「なんでお前の夢には色がついてるんだ」
と返されたことがあります。その人はいつもモノクロの夢ばかり見ているそうです。

色彩感覚は、たぶん生活環境に影響されて育てられるものだと思います。
和服屋の子供が微妙な色加減に敏感になったりとか、とてもうらやましい。
自分にとっての色区分って、赤橙黄緑青藍紫の七区分だもんな。

カラー原稿で色を塗る場合、三原色で考えたりします。
印刷所が赤、青、黄色の三原色のインクをベースに印刷するために、
この三原色に近い色を塗る方が、印刷後の発色が良くなるからです。
プロの原稿を初めて見せてもらったとき、赤い色が強調されているのにビックリしました。
人物の影とか、ピンクに近いどぎつい色が使われていたりします。
それでも、印刷されると茶色になっていたりして、
色を塗る難しさに唖然とさせられたりしました。

今はどうなんだろう。印刷技術もずいぶん進化しているし、
パソコンで直接版を作っているから、色について昔のように
あれこれ悩まなくてもいいのかもしれません。

でも、考えてみるとパソコンのモニターにしたところで、どんなに技術が進化しても、
基本は三原色の混合で色を作り出しているわけで、
自然界の本当の色彩というのは、なかなか出せないような気もします。

自然の岩を砕いて絵の具を作っていた時代の方が、
色の世界ははるかにひろかったのかもしれません。
(今でもやってる人はたくさんいるけど)

絵の下書きが終わってから、「これ右にもなんか描けそうだな」と思いつき、
もう一枚描いてみました。

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こんだけいろんな色があると、絵の具だと調整が難しいので大混乱を起こすのですが、
パソコンだと簡単に修正が出来るので、
なんかそれっぽい感じになります。
昭和のセンスが突き抜けて、明治時代の浮世絵みたいな感じ。

Photo_3


2015年10月17日 (土)

ピグマ


ピグマは1980年代初頭に発売された画期的な筆記具です。
発売当初、僕は中学生くらいだったと思うのですが、
なんかすごいもんが出てきたと、その青いボディーをしみじみ眺めたものです。

でも実際に使ったのは結構あとじゃないかな。
漫画はインクとペンで描くものって固定観念があったし、
はっきり断言できるのは、
90年代初頭にアシスタント先の先生の所で枠線を0.8のピグマで引いていた、
くらいのことだったりします。

そこで初めて、漫画にピグマを使ってもいいんだと、妙にビックリしたもんです。

個人的な感想だと、漫画はやっぱりペンとインクで描くもので、
ピグマで描くとあんまり漫画っぽい絵にならなかったりします。
でも、ピグマで描いた絵でも、現在の出版社はたぶん受け付けてくれます。

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上の絵は、0.05のピグマで描いてみました。
例によって輪郭からペン入れして、だんだんと中の線をペン入れしています。
良くも悪くも均一な線しか引けませんから、
立体的な絵はあんまり描けなかったりする。
そのかわり、線がきちんとつながっているから、パソコンで色を塗るのは、
結構楽だったりします。
(パソコンはきちんと囲まれた線の中にしか色を入れてくれないから)

で、色を入れるとこんな感じ。

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まったく関係のない話なのですが、
高校時代に理科室でアストロノータスオセレータスというピラニアを飼ってまして、
その隣にウーパールーパーの水槽がありました。
自分はどこの部活にも属していなかったのですが、生物部に知り合いがいたので、
ときどき理科室には遊びに行っていたのです、
ウーパールーパーかわいかったし。
あと、夏には製氷機の氷があり、ときどきビーカーでコーヒーを入れたりもしてたな。
で、何か話し込んでるとき、手元に糸のついた釣り針があったので、
なんとなくピラニアの水槽に垂らしてみたら、ピラニアがものすごい勢いで
食いついてきまして、あたり一面水浸しになったことがあります。

あの時は、かなり怖かったです。

2015年10月14日 (水)

書道の話

伊豆急行様でぶらり旅の第3弾をやっていますので、ちと宣伝。

伊豆急行100系ぶらり旅第3弾

これ、本当に楽しかったので、鉄子の三巻をご覧になった方は是非。
というか、僕がもう一回行きたい。
「鉄子の育て方」の宣伝もしていただいてます。

画材についてあれこれ書きたいなと思っていたのですが、
で、まあ実際にあれこれ書いてみたのですが、
結局ここへはアップしてません。
けっこう難しい。

「弘法は筆を選ばず」といいますが、
実際はどうなんだろう。いい筆はやっぱりいい字が書けるような気がします。
小学生の頃の僕は、クラスでブラックリスト的な意味でナンバーワンが多かったのです。
忘れ物がナンバーワンとか、漢字を知らないのがナンバーワンとか、
あと、字のクセの強さがナンバーワンとか先生に言われたな。
ぶっちゃけ、字が汚いってことなんだけど、
これを父兄参観か何かで親に言われたので、速攻書道教室に送り込まれました。
たぶん、小学校五年生の頃です。

先生は眼鏡をかけたロッテンマイアー先生のようなタイプの方でした。
アルプスの少女でハイジにガミガミ言ってたあの女の方です。

もうお亡くなりになりましたが、生前、僕が店の前に貼りだした、
「本日休業」
の文字を見て、
「これ、ひろし君ですね」
と笑っていたそうです。母が何かのついでに思い出してました。

僕が実際に通っていたのは中学の一年生までで、
実質、二年くらいお世話になったと思うのですが、
この時期に基本を叩き込んだおかげか、不格好なりに読める字にはなったはずです。
たぶん、絵画教室に通ったことよりも、書道教室に通ったことのほうが、
絵を描くときの発想の元になっているかもしれない。

余白を生かすとか、白い半紙も文字の一部であるみたいな感覚は、
たぶん、ここで覚えたのだと思います。
原稿用紙にコマを切って、そこにどうやって人物を配置するか、
どうすればうれしい感じがするか、また、悲しい感じがするかとか、
そういう面白さは、やっぱり書道に通じるものがあるんでしょうね。

まあ、偉そうなことを言っても、
実際は学校で覚えた卑猥な歌を歌って怒られたり、
独り言を言うクセを矯正されたり、
いかにも子供っぽい思い出が多いんですけどね。

一番記憶に焼き付いているのは、小6の卒業制作で、
「顔真卿をやりなさい」
と言われ、中国の武人書道家の文字をさんざん叩きこまれたことです。
書道の基本といえば、王羲之ですが、
顔真卿は王羲之よりも力強い感じで、僕はこれがなんとなく気に入った。
後年、台湾の故宮博物館で実物にお目にかかって、ちょっとうれしかったです。

「開」という一文字を何度も書いたのですが、
そのうち、何かの拍子にとてもカッコいい「門」が書けてしまった。
これは、なんとしてもモノにしなくてはならないと思った僕は、
ものすごく緊張しながら鳥居を書いたのですが、
これが見事に失敗した。
めっちゃ悔しかった。

ところが、先生はこれを見るととても喜んで、
「とてもいい字です」
と僕のことを褒めてくれた。
狐につままれたような気分になりました。

普段厳しくて、おっかない先生が突然べた褒めを始めると、さすがに薄気味悪く、
何か裏があるんじゃないかと思ったのですが、
他の生徒にも、「かわすみ君はこんないい字を書いたのだから君も頑張りなさい!」
なんて言ってるから、本当に訳がわからない。

後ほど、名古屋市の書道家の集まりで披露したそうで、
「みんな褒めてましたよ」
と満面の笑みで言われて、
こちらとしてはお追従で笑うしかなかった。

セロ弾きのゴーシュで、ゴーシュが拍手喝さいを浴びて、
「馬鹿にしてやがる」
と困惑する場面がありますが、
ちょうどあんな気分です。絶対なにか勘違いしてると思った。

そのとき書いた「開」の字は、きれいに表装され、
今はうちの仕事場の僕の机の前に飾られています。
これが、何度見てもいい字には思えないんだよな。
むしろ、門の下の部分を「失敗した!」と思った記憶が蘇ってきて、
「物事は最後まで気を抜いてはいけない」
という教訓になっていたりします。

この額は二十五年ほど実家の店に飾られ、煙草のヤニにまみれていたのですが、
これを見た初老のお客さんが
「漫画みたいな文字だな」
と感想を述べたそうです。
案外、上手な文字じゃないところが、先生方に受けたのかもしれません。

まったく画材の話になっていませんが、まあ、どこかに残しておきたかった、
瀬古先生の思い出話なのです。

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2015年7月20日 (月)

消しゴム

先日、名古屋に帰ってまして、昔住んでいたあたりを弟の車で回ったのですが、
町並みは子供の頃とはずいぶん変わってしまっていて、
ちょいと物悲しさを味わった。
さんざん立ち読みをしまくった古本屋さんは駐車場になり、
駄菓子屋さんも一般住宅になっていました。

不思議なもので、公園の遊具はあんまり変わった感じはしなかった。
コンクリで固めた山、子供の頃はずいぶん巨大に思えたあの山も、
印象はずいぶん小っちゃくなりましたが、残ってました。

あの山で小学生の頃、友達とおっぱいアイス(たまごアイス)食べたんだよな、
若いお母さんが子供を遊ばせてたけど、すね毛が濃くてびっくりしたよな、
など、覚えているのは本当にどうでもいいことばかりなのですが、
まあ、懐かしかったのです。

そんな中、子供の頃に入り浸った文房具屋さんもまだ残っていて、
弟が言うには娘さんの代になっているそうなのだけど、
ちょっと嬉しかった。

子供の頃、お小遣いをもらってすっ飛んで行くのは、
この文房具店か、隣にあった加藤書店さんでした。
少子高齢化が叫ばれる昨今ではイメージしづらいけど、
あの頃は子供がうじゃうじゃそこら中に徘徊しておりまして、
例のコンクリ山のある公園も近かったせいで、子供はよくここに集まっていました。

ビー玉とかリリアン(わからない方は調べてください)はここで入手しましたし、
ルービックキューブがブームになったときも、ここで扱っていたと思う。
レジの後ろの棚に透明ケースに入って置いてあったはず。高級な知恵の輪と一緒に。
あと、プラモデルも置いていたので、ロボダッチとか、
この店で買いまくって段ボールいっぱい集めていました。

あと、アオシマの四体合体のロボットもあったな。すげーパチもん臭いの。
近所に振甫模型が出来るまでは、プラモデルはたいていここで買ってました。

でも、文房具屋さんですから、文房具も大半はここで買っていたのです。
鉛筆や筆箱、下敷きなんかはたいていここでした。
中でも、一番印象に残っているのが、消しゴムだったりします。

この当時、僕が買う消しゴムの定番は、シード社のレーダーという消しゴムでした。
水色のパッケージに入った、いかにも実用本位っぽいデザインの奴です。
今ネットで調べてみたのだけど、本社は関西のほうで、
いわゆるプラスチック消しゴムの国内での走りは、このメーカーさんなのだとか。

関東で生まれ育った方にはピンとこないかもしれませんが、
僕が子供の頃は雑誌で「消しゴムのナンバーワン」と紹介され、
国内の文房具屋さんの棚を占拠しまくっていた、定番中の定番商品です。

昭和50年代ごろは、消しゴムもいろいろ変わったものが出始めていました。
カレーの匂いがするものとか、動物の形のものなんかも、この時代からじゃないかな。
自分が小学生の頃はスーパーカー消しゴムなんてものもありましたし、
そのあとに国内で大ブームを巻き起こす「キンけし」こと「キン肉マン消しゴム」も、
あったのです。

でも僕はそれらには目もくれず、まあ、2・3回は買ったかもしれないけど、
ひたすらレーダーを使い続けたわけです。
とにかく、きれいに消せた。消し味がひたすら良かった。
お絵かき少年としては、文房具にも妙なこだわりがあったので、
自分が一番と信じたレーダーをひたすら使い続けたわけです。

これが、東京に来てからはなぜかあまり見かけなくなり、
現在はコンビニなどでも手に入る「MONO消しゴム」ばかり使っています。
いえ、これもずいぶんすぐれた商品なのですけどね。

僕が見たネットの記事によりますと、
文房具の販売の主流が町の文房具屋さんからスーパーやコンビニに移動していく過程で、
営業戦略的に出遅れた、というのが原因みたいです。
大手のトンボさんにしてやられた、ということなのかな。

今、僕の机のまわりには未開封のMONO消しが5個くらい転がってるけど、
今度池袋の画材屋さんにいったら、レーダーを探してみようかと、
ちょっと考えています。

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それからTOKYO MX2で自分が漫画版を描かせていただいた「鉄子の育て方」やってます。
関東地上波初進出。
円谷プロの名作、怪奇大作戦もありますので、日曜の深夜には是非。

自分が怪奇大作戦を見るときは、岸田森さんの表情ばっかり目で追ってしまうな。